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コマーシャルではない限り(広島1日目2009/7/18)

上映会のため、土曜日に広島へ向かいました。昨年の8月に初めて広島へ行ったときは、行き帰りとも夜間の高速バスで行きましたが、安価ではあるものの体力的にはハードだったため、今回は行きは飛行機、帰りは高速バスで行くことにしました。

飛行機ならば1時間20分ととても近いですが、飛行機が降り立った景色は深い山の中。私の中で広島市のイメージと言えば、平地に河が何本も通っているというものでしたが、こんな山に囲まれているなんて・・・と不思議に思いました。

相変わらず事前に良く調べていない私は、15分ぐらいで国内線の空港と市内はつながっているだろうと考えて予定を立てていましたが、空港の案内所で市内までの道のりを聞いたところ、「リムジンバスで45分から1時間。料金は1,300円です」と言われてびっくり! 意外に空港は市内から離れているのですね・・・。

バスの中からの景色。周りは山。
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途中、道路も混雑していたため、予定より1時間ほど遅れて、本日の上映会場兼宿泊所である、ワールド・フレンドシップ・センターに到着しました。ここは、平和のための交流施設が主な役割ですが、宿泊も出来、英会話教室なども開催されています。

ワールド・フレンドシップ・センター ウェブサイト
http://homepage2.nifty.com/wfchiroshima/japanese/index.html

館長のアメリカ人夫妻、ロンさんとバーブさんに挨拶をして、部屋へ案内してもらいました。
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枕の上には、ウェルカム折鶴が!
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『原爆の絵』の本(日・英表記)もおいてありました。
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上映会は17時スタートで、その前にヒロシマ平和映画祭の青原さんとお会いしました。今回、私は初めて自分主催の上映会を企画したのですが、無謀にも150名ほどが入れる会場を予約して、当日の運営のことなど何も考えずに進めていたのです。それを心配してくれた青原さんが、ヒロシマ平和映画祭として協力してくれることになったのでした! 

16時過ぎに青原さん、続いて同じく平和映画祭の実行委員の東さんが来られました。東さんには当日のトークのお相手もお願いしていました。簡単に当日の集合時間、流れなどの打ち合わせをします。ヒロシマ平和映画祭では、8月5日夜から8月6日朝にかけて、「プレイベント」としてオールナイトのイベントを横川シネマで開催します。そのイベントでの上映作品のひとつとして、私の映画も上映してくれることになったので、そのことも打ち合わせをしました。

このイベントは、映画の上映だけでなく、トークやライブなども企画されています。さらに、スカイプを使ったインターネットラジオもやる予定なのだとか。「パーラメント・スクエアのブライアンとスカイプでつながったらすごいよねぇ」と言われたのですが、イギリスの屋外インターネット事情は日本に比べてだいぶ遅れています。もちろん、ほとんどの人が家でインターネットをやっているし、学校や図書館、カフェなどでも無線LANでネットが使えるようになっているところは多いです。しかし、日本で言うE-Mobileのような、屋外のどこでもインターネットが使えるようなサービスを使っている人は、身の回りでは聞いた事がありません! もしかして新聞記者の人とかはそういうサービスを使っているかもしれませんが・・・。

ブライアンは時々外国からのラジオインタビューを受けますが、インターネットの接続がパーラメント・スクエアでは難しいため、彼の携帯電話にかける方式でインタビューを行っています。ネットカフェに行けばスカイプで話すことはイギリスでももちろん可能ですが、でも”やはりパーラメント・スクエアからじゃないと意味がない!”となると、かなり難しいかも・・・。今夜、ちょうどパーラメント・スクエアのサポーターであるポールとスカイプで話す予定があるので、パーラメント・スクエアでも出来るのかどうか聞いてみたいと思います。

17時近くになり、青原さんたちとの打ち合わせを終え、上映会の準備を始めました。宿泊先であるワールドフレンドシップセンターで、事前に「居間のような場所があれば上映会をやらせてもらえませんか?」とお願いしていました。私にとって広島や他の場所へ行くのはちょっとした遠出であるので、滞在中はなるべく沢山に人に会うとか、他にも上映会をやるなどしたいと思うのです。貧乏性なのかもしれません。

10~20人ぐらい入れる居間があり、プロジェクターもある、と聞いた私は上映会をやらせてもらうことになりました。館長さんがアメリカ人であるのと、バイリンガルな日本人の方が多く集う施設であると聞いていたので、英語字幕版での上映にしました。

17時15分ごろになり、映画の上映を始めました。
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映画の後半で、ブライアンがギターを弾いて、サポーターの人たちが歌うシーンがあります。その時に歌っている歌は「Last night I had the strangest  dream...」で始まる歌なのですが、私はそれまでに聴いたことがなく、映画を見た日本人からも「あれはなんという歌ですか?」と良く聞かれていました。しかし、今回の上映会では日本人の方々がその歌を知っていて、皆で口ずさんでいます! これにはびっくりしました。ちなみにその歌は「Last night I had the strangest dream」というタイトルで、1950年代にEd McCurdyというミュージシャンによって作られた歌です。

上映後は輪になって雑談をしました。参加者の多くは日本人でしたが、皆さん海外へ行って広島の平和活動を広めている人が多く、アメリカ、スウェーデン、イギリスなどいろんな国の事情を知っていました。ヒロシマの平和記念資料館には「ピースボランティア」と呼ばれる活動をされている方が150人近くいて、資料館を訪れる人に日本語&英語で説明してくれるのだそうです。今回上映会にきてくださった慶子さんも長くその活動をされています。

お話の中で、「海外に出かけるだけでなく、広島にいると世界が訪ねてきてくれる」・・・と言われていたのが印象的でした。これはブライアンや、アメリカでブライアンと同じようにホワイトハウスの裏庭で20年以上抗議活動をしている女性(コンセプション・ピショットさん)も言っていた事です。「自分が出かけなくても世界が訪ねてきてくれる」こう言えるのは、それだけ強力な発信場所となっているからこそなのでしょう。

雑談の中で、「日本人の女の子が、大学でビラを撒いたら警察に通報されたって言ってたけど本当?」と聞かれました。本当の話ですが、でも広島の人には信じられなかったようです。それは、広島(と長崎)はある程度平和活動が認められている土地だからということか、東京が異常だからなのかは分かりません。いずれにしろ、平和活動が出来る度合いというのは、広島と東京では違うのかもしれません。

上映会の後で記念撮影
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上映会が終わったあと、センターのすぐ隣にあるお好み焼き屋さんへ夕食を食べに行きました。「広島風お好み焼き」は有名ですが、一体なにがどう”広島風”なのでしょうか!?

広島風お好み焼きの特徴は、「それぞれの具を別々に焼いて最後に重ねる」ということだそうです。小さな器で全ての具をかき混ぜて焼くスタイルを良く東京では見かけますが、あれは大阪風なのだそう!

それぞれで焼いていきます。広島風は大阪風に比べかなりのスペースを要します。
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広島のお好み焼きは、お店の人が焼いてくれるスタイルが一般的だそうです。有名な「おたふくソース」は広島のもの。
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作業が佳境へ入っていきます!
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出来上がり!
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そばも入っているのでかなりボリューム満点です! ちなみに、広島っ子スタイルは、へらを使ってお好み焼きを鉄板から直接食べるのだそうです。

いくら広島っ子とはいえ、かなり熱いんじゃないでしょうか・・・?!
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広島には国内外から沢山の人が訪れます。ある人は平和活動で、ある人は観光などで。広島や原爆を題材に映画や絵画、舞台などはこれまでに数え切れないほど作られてきたことでしょう。平和を後世に伝えていくには、出来るだけ多くの人が情報発信をしたほうが良いと思います。しかし、原爆の体験は、被爆者にとって思い出したくもない辛いもの。被爆者が戦後差別され続けたという歴史もあるのですから、被爆の事実を話したがらない人も多いはずです。

お好み焼きを食べながら、話題はつい最近NYタイムズに自身の被爆体験を寄稿した広島出身のデザイナー、三宅一生さんのことになりました。寄稿文の中で被爆者であることを告白した三宅さんですが、広島の平和活動に関わっている彼女たちでさえ、彼が広島出身であることは知っていたものの、被爆の事実までは知らなかったそうです。被爆者であることを公にしなかった理由について、「被爆者のデザイナーとして語られたくなかった」と本人は書いています。それぐらい、被爆されたという経験は、その後の個人のアイデンティティーとなってしまうぐらい強烈な体験なのでしょう。

将来の平和のために被爆の事実を知らせなければ、という思いで被爆者の方は証言をされています。でも、突然やってきて被爆体験をインタビューさせてくださいとかいう人たちに対して、「興味本位で撮られたくない」、「何も勉強しないで、今迄興味も持ってなかったくせに、今頃なんだ?」と不快に思う人もいるはずです。その体験を話さなくてはならない義務は少しもありません。でも被爆者は語るべきなのか? ジャーナリストや映画人は伝えていくべきなのか? いくら社会問題だとはいえ、他人がずかずかと人の心の傷に入り込んでいくのは、どうなんだろうか?と私は思っているのです。

私自身が原爆や被爆者をテーマにするというわけではありませんが、被爆だけでなく、例えば公害問題、何かのトラウマなどを題材とする場合、同じことがついて回るのです。コマーシャルの映像仕事でもない限り、社会問題を題材とした作品の場合、社会の誰かにとっては知りたいことであり、同時に当事者の誰かにとっては触れられたくないこと、であるわけです。私は、その触れられたくない人が、政府や大企業であったらば、何のためらいもなく突っ込んだ取材をすると思いますが、対個人だったらどう向き合ったらよいのだろう?と考えてしまうのです。

ジャーナリストや映画人としての伝える義務と、被取材者との関係。それについて考えていた私は、広島で平和活動をし、多くの被爆者と接してきた彼女たちにそのことを聞いてみました。

被爆者の人は撮影されるということをどう思っているのか? 本当は嫌なのか? でも、将来の平和のためという義務感で協力してくれているのか?

彼女たちによると、被爆者の方の撮影に対する感じ方にはかなり個人差があるのだそうです。嫌な人は絶対撮影には応じない。いまだに暗いところにいくとダメになってしまったり、焼けたにおいなどに敏感な人もいるそうです。撮影に応じるような人は、将来二度と繰り返させないためという気持ちからインタビューに答えますが、でも撮影後の素材がどのように使われるのかを知らせてくれないといやだ、という人もいました。

原爆の体験をかろうじて話せるか、それとも全く話せないかの違いはどういうところから生じるのでしょうか? 誰かが「被爆時の年齢じゃないか?」と言いました。被爆時に小さい子どもだった子の方が、よく状況が分からないからトラウマになりにくいかも、ということです。でも、それに対しては「小さい子の方がもっとひどいトラウマになることがある。ある程度の大人になると戦争や死ぬことがどんなことがうっすら分かってきているが、小さい子はそれが何も分からない。いきなり原爆で地獄絵を見せられてひどいトラウマになる」とも聞きました。結局、どんな要素がどういう結果を招くのかは一概には言えないようです。同じ被爆者でも、その後の活動にはかなり個人差があると言っていました。姉弟で一緒に被爆しても、お姉さんのほうは積極的に被爆体験を語るけれど、弟のほうはいまだに語れない、とか・・・。

カメラという”暴力”で個人が傷つけられてはいけない。しかし、だからといって、そういう問題には”触れない”、”避けて通る”のではなく、どう被写体との信頼関係を保ちながら、事実を世の中に訴えていくのか、というのを常に考えていくべきなのだと思います。そんなことを考えた広島第1日目でした。

(追記)
その後パーラメント・スクエアのサポーターであるポールと話したときに、やはりパーラメント・スクエアのスカイプはかなり難しいだろう、とのことでした。事前にブライアンからのメッセージをビデオに撮ってくるのはどうか?と提案されました。”生ブライアン”ではありませんが、確実ではあります。うーーーん、難しいなあ!

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