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2009年8月

やる気あるのか~!~大阪第2日目~(2009/08/24)

豊中平和映画祭の翌日は夜行バスで東京に戻る予定でしたので、ほぼ丸一日自由時間がありました。宿泊したホテルのチェックアウト時間が朝11時と一般的なホテルに比べて1時間遅く設定されていたので、ゆっくり寝ることが出来ました。

チェックアウトして、朝食を食べようと外に出ました。おしゃれな喫茶店の前を通り、「モーニングセット」の看板を見つけました。
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飲み物の代金で、トーストとミニサラダ(もしくはゆで卵)がついてくるという、名古屋並みのサービス! ここに入ることに決めました。
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写真で分かるかもしれませんが、この喫茶店の入り口はちょっとした坂道になっています。バリアフリーでかもしれません。私は扉を開けようとスーツケースから手を離したら、スーツケースはこの小さな坂道をするすると下って、ばたんと最後に倒れました。

・・・すると、店内大爆笑!!!!!

お客さんの男性は「かばんが”嫌や、嫌や”ゆうてるわ!」と大笑い。

私はこれらのリアクションにまたびっくりしました。東京だったら、このシチュエーションで笑う人はいません。皆心の中で”冷笑”ってやつです。またまた大阪に来ていることを実感。

モーニングセット
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さて、腹ごしらえを済ませ、今日一日をどう過ごすか、です。1つだけ元々予定していた、大事な予定がありました。大阪の十三という街にある、第七藝術劇場の支配人と会う約束があるのです。少し前に連絡をいただいて、劇場公開する気があるか?と聞かれたのです!!! 大阪に行く予定があるので、ぜひそのときに立ち寄らせてくださいとお願いしていました。

その待ち合わせが大体1時過ぎとなっていました。その前に、私はインターネットで偶然見つけた、西成に新しく出来た市民メディアセンター「カマンメディアセンター」に行ってみたいと思っていました。このメディアセンター自体にも興味がありましたし、その日はちょうど11時から「栗原彬さんの公開原稿執筆パフォーマンス」があると聞いていたからです。

カマンメディアセンター ウェブサイト
http://kama-media.org/

公開原稿執筆って何だ?と思う人が多いと思いますが(←私も含め)、ウェブサイトではこのように紹介されていました。

栗原彬さん(政治社会学者、立教大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授、ボランティア学会代表)の原稿執筆現場をカマン!メディアセンターにて大公開

ふだんとじられた場でひとりでされることの多い執筆活動を商店街の道路に面し、解放されたメディアセンターにて、ライブでおこなっていただきます。ひらかれ人の出会いがくりかえされる場「カマメ」での原稿執筆パフォーマンス。どんなものになるかわたしたちにもわかりませんが、こうご期待!

地下鉄御堂筋線の動物園前駅で降りて、カマンメディアセンターへ向かいました。メディアセンターは、商店街のど真ん中にありました。入り口全体がガラスで、中は丸見え。なんだか、舞台の上に作られたお茶の間空間といった様相です。かなりオープン。大きなテレビが通りに面して置いてあって、昔の釜ヶ崎の様子が放映されていました。メディセンターとは気がつかずに、普通に足を止めてしまうような感じです。

メディアセンターの中にはスタッフらしき人が1人いました。原稿執筆パフォーマンスを観に来たというと、スケジュールが変更になり、栗原彬さんは近くの紙芝居小屋にいるとのことでした。「行ってみたら?」と言われたので、スーツケースを預け、歩いて5分ほどの紙芝居小屋へ歩いていきました。目印は「ど派手なスーパー”玉出”」とのこと。なるほど、すごい目立つ看板のスーパーのすぐ近くに、紙芝居の「むすび」がありました。

「紙芝居劇 むすび」の活動を以下に紹介します。(むすびパンフレットより)

「むすび」は、大阪にある日本最大規模の日雇い労働者の街、通称・釜ヶ崎で平均年齢70歳以上のメンバーが活動するグループです。2005年7月より活動をスタートしました。「紙芝居劇」の上演が主な活動。釜ヶ崎に暮らし、野宿生活を経験したメンバーも多く、その人生経験から出た何とも言えない味わいが好評です。また、釜ヶ崎の街を訪れた方たちの窓口としての役割や、地域のボランティア活動も行っています。困難を乗り越え、仲間と喜怒哀楽をともにしながら活動しているおじさんたちの明るさは、社会が失いつつある「なにか」を照らしてくれています。

むすびウェブサイト
musubiproj.exblog.jp/

事務所の中にいれてもらいました。中にはむすびのメンバーの方、栗原さん、東京から来られた大学生の方たちなどがいました。インタビュー中のようです。

私は事務所の隅っこに座り、むすびのメンバーの一人に、活動について、新作の紙芝居についてなどを聞きました。

最新作「ネコちゃん人生スゴロク」の表紙。初上演は今月末だそうです! 見られなくて残念!!
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メンバーの方と話していて、話の内容はむすびの活動についてから、どうして釜ヶ崎に住むようになったかという話へと移りました。学生時代のこと、仕事のこと、家庭のこと・・・小説にでもなるのではないか?というぐらい、波乱に満ちた人生です。

ふと時計を見ると、第七藝術劇場の支配人との約束の時間が近づいていることを知りました。今すぐにここを出れば、ぎりぎり1時過ぎに間に合うかもしれません。ましてや、私は新人監督という身。就職活動での面接に挑むようなものです。時間厳守は言うまでもありません。

でも、そんな状況とは裏腹に、メンバーの方のお話は、ますます佳境へ入っていきます。とうとう、男と女の修羅場を迎えました。ここで私が「第七藝術劇場の待ち合わせが・・・」とか、「電車に乗り遅れる・・・」とか、言えるでしょうか? おじさんにとっては、そんなこと、人生の中でたいしたことじゃありません。私がお暇しようとする間髪を与えることなく、おじさんの話はどんどん続きます。

やっとおじさんがむすびにたどり着いた、という結末を迎え、私はお暇することにしました。まだ1時にはなっていませんでしたが、完全な遅刻になることは間違いないので、急いで電話をしました。

カマンメディアセンターに戻り、スーツケースを受け取って第七藝術劇場のある十三へ向かいました。

十三駅前の様子
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第七藝術劇場は大きなボーリングのピンが目印
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支配人と、映画の宣伝をされている方とお会いしました。「映画の世界は厳しいよ。それでも頑張れるか?」と聞かれ、「ハイ!」と元気よく答えました。「今日はこれからどうするの?」と言われたので、「夜に待ち合わせがありますが、それまでは何をしようかなと思っています」と言いました。「電車でそんなに遠くないから、京都シネマとか神戸アーツビレッジとかそういう単館映画館に行ってみるのは勉強になるよ」と言われました。

「頑張ります! よろしくお願いします!」と挨拶をして、第七藝術劇場を後にしました。

さてと。前日の豊中平和映画祭で、「十三といえば”ネギ焼きのやまもと”だよ」と聞いた私は、第七藝術劇場の目の前にあるやまもとで腹ごしらえをしようと思いました。

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早速入ろうとしたところ、第七藝術劇場の支配人に入るところを見られてしまいました(汗)・・・!

「実はお好み焼きが美味しい」と聞きましたが、ネギ焼きを食べたことがないので、ネギ焼きを注文しました。普段は混雑しているそうですが、4時近かったので店内はすいていました。
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私が注文したのは豚肉乗せ。
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中はネギたっぷり!
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腹ごしらえをした後は、商店街をぶらぶらします。すると、黄金に輝くサブちゃんを発見!
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演歌モノ中心のレコード屋さんのようです。今日はこれから演歌歌手の新曲発売ミニライブがあるとかで、レコード屋の前は人だかりが出来ていました。
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私も人ごみに混じり、演歌歌手の登場を待ちます。1曲聴いた後で、十三を後にしました。

さて、これからどうするかな・・・。京都、神戸の映画館に行ったら?と言われた私ですが、心の中では、公開原稿執筆パフォーマンスが見たいと言う気持ちがありました。それに、商業映画館を見るよりも、市民の情報発信のほうに関心がある私には、もっとよくカマンメディアセンターを見たいという気持ちがありました。

カマンメディアセンターに電話をして、まだ原稿執筆パフォーマンスはやっているか?と聞きました。残念ながらパフォーマンスはとっくに終了してしまったそうですが、「センター自体はまだオープンしているので、来たらどうですか?」と言ってくれました。それで、また動物園前駅へ向かいます。

パフォーマンスは終わっていましたが、明治学院大学の学生さんたちによる発表会が6時半からあると聞き、それを見させてもらうことにしました。

明治学院大学の「ボランティア実習」という授業の受講生(現在の受講生と過去に受講した生徒さんが混じっていました)たちが、「GO WEST 2009:自治なるものをむすぶ旅」というテーマで、西へ向かって旅をして、その土地の人々と出会い、ともに汗をかき、絆を作るという内容の授業だそうです。

最初の1週間は埼玉県の見沼田んぼ福祉農園にて、畑で野営(!)をしながら農作業を行ったとか。次の1週間は岐阜県の郡上八幡町に滞在し、郡上まつりにゲストとしてではなくまつりを支える側として参加したそうです。

そして旅の最後の締めくくりが、この大阪の西成。カマンメディアセンターを企画したNPO法人「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」に滞在しながら、釜ヶ崎を通じて社会を見るとのこと。一連の旅の最終日のこの日は、旅で感じたことなどを各自「詩」にしてメディアセンターで発表するということでした。

GO WEST 2009 ブログ
http://gowesto8.exblog.jp/

カマンメディアセンター向いにある、インフォショップ「ココルーム」
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始まるのを待っている間、むすびのメンバー・浅田さんとお話をしました。私がむすびを訪れたときには、浅田さんはインタビュー中でお話が出来なかったので、お話しする機会が持てた事をうれしく思いました。浅田さんは、1928年生まれだそうですが、とにかく元気! 話しているこちらの方が元気をもらいます。昨年はロンドンでむすびの紙芝居の上演をされたのだそうです!! 80を過ぎてなお、「現状に満足してない。これで終わりたくない。小説を書き始めた」という浅田さん。すごいです。

・・・と、第七藝術劇場の支配人さんから電話が入りました。「今どこにいますか?」と。私が「釜ヶ崎でお茶を飲んでいます」というと、かなりびっくりされていたようでした。もしかして京都か神戸に行ったものと思っていたかもしれません。ほんと、やる気あるのか~!って思われたことでしょう。

新人監督としては勉強のため映画館周りをするのでしょうが、せっかくこの魅力的な大阪という街に来て、京都や神戸の、しかも映画館に出かけるのはもったいない!と私は思ってしまうのです。もっと街や人を見たい! 月並みな表現ですが、ほんとに”ディープ”としか言いようがない大阪。支配人さんには申し訳なかったですが、私は映画館周りよりもこちらに来てよかったと思いました。

明治学院大学の学生さんたちは直前まで詩を作るのに苦心しているようでしたが、いよいよ発表の時間になりました。
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まずは先生の発表から。
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メディアセンターの立地ゆえ、道行く人も沢山足を止めます。もともと好奇心の多い”大阪気質”もあいまってか、どんどん見物客が増えていきます。

沢山並んだ靴。ぞうり率が高い。
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7時ごろになり、映画祭実行委員会の遠藤さんと会いました。前日に、夜ご飯を一緒に食べましょうと言ってくれたからです。待ち合わせと言っても、大阪の場所など全く分からない私。(ちなみに「十三」(じゅうそう)をずっと”じゅうぞう”と読んでいました)。遠藤さんに釜ヶ崎まで来てもらいました。

遠藤さんもカマンメディアセンターに来て、むすびの浅田さんとしばらくお話しました。そのあとで、私たちは通天閣で有名な新世界の方へご飯を食べに行きました。

遠藤さんに「ここからが一番良く通天閣が見えるよ!」と案内してもらい、写真を撮ったのですが、つぼらや(ふぐ屋)の立体看板の自己主張が強すぎて、通天閣が小さく見えてしまいます。
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とにかく大きい看板の店ばかり。
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お店に入り、大阪名物の串揚げとどて焼きを食べました。
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串揚げのそばに置いてあるのがソースの缶。これに串揚げを浸して食べます。しかし、二度漬けは禁止! お店の人に怒られるんだそうです。

店内にも「二度漬け禁止」の張り紙が!
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どて焼き
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映画のこと、大阪のことなど、話題は尽きることなく、気がついたらバスの時間が迫っていました! 慌てて店を出て、梅田のバスターミナルへ向かいます。無事バスに乗り込んだのは、出発の3分前でした! ぎりぎりセーフ。走って連れて行ってくださった遠藤さん、どうもすみませんでした&ありがとうございました!!

翌朝無事東京へ戻り、今回の旅を終えました。

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笑いが肝心~大阪第1日目~ (上映会報告2009/08/23)

日曜日朝早く羽田空港へ向かいました。午後から大阪の豊中平和映画祭での上映があるからです。私にとって初めての大阪での上映会。これまで電話とメールでしかやり取りしたことのない平和映画祭の方々と会えるのが楽しみでした。

常々、「映画は作っただけでは誰にも見てもらえない。ましてや、初監督で無名の私の作品を誰が見るだろうか? 自分から宣伝していかないと道は開けない。」と思い宣伝活動をしてきた私ですが、今回の上映ほどそれを実感したことはありません。

今年の2月に映画を携えて帰国した私は、映画は出来たもののどこでみせることが出来るのか、何の当てもない状態でした。とりあえず、平和活動をしている団体などにメールを出したり、デモに出かけていってチラシを配ったりしていましたが、まだ1度も上映をしていない作品にそうそう興味を持ってくれる人はいません。映画を作ることはずいぶん簡単になったけれど、インターネット以外の場所で上映できる機会を持つのは、やはりいまだにハードルの高いことなのだ、と今更ながらに実感していました。

そこで、映画祭、特に私の映画に興味を持ってくれそうな平和映画祭に連絡をしてみたらどうだろう? と考えました。インターネットで偶然見つけた「豊中平和映画祭」に電話をしてみました。普段、電話のセールスに対して「結構です!」と平然と断る私ですが、いざ自分が逆の立場になると、かなり緊張!! 電話で応対してくださったのは、実行委員会の横山さんでした。当時のやり取りと、上映までの経緯が映画祭のウェブサイトで紹介されていますので、そちらを下記に引用します。

今年は豊中平和映画祭はお休み、という方向が決まった初春のある日、「豊中平和映画祭で、私の映画を上映してもらえませんか」という電話が入りました。
ちょっと不安そうな女性の声で、今年は開催の予定がないと断りつつ、とりあえず作品の見本を送ってください、とお願いしました。こういう自主映画や、配給会社からの売り込みは時々あるのですが、いい映画だけど平和映画祭のコンセプトにはちょっとなあ、という作品がほとんどで、正直、全く期待はしていませんでした。

しかし、送られてきたDVDを見て、びっくり。低予算で作られたと思われる映像、なおかつ、座り込みの反戦活動をしている活動家を追うという地味な内容にもかかわらず、キラキラした魅力に満ちていたからです。何より、ブライアンにつきすぎず、離れすぎず、誠意と尊敬を持って取材する監督のバランス感覚の素晴らしさ。これはもう、上映しなくては、と「今年はお休み」ののんびり気分を返上して突然動き出したのが四月、時間がかかりましたが、何とか「大阪地区初上映」に間に合いそうです。

従来の豊中平和映画祭で上映されてきたのは、ほとんどが配給会社が買い付けた商業作品です。こうした、若い、新しい才能を紹介できる機会はなかなかなく、今回の上映も、監督からの不安そうな、一本の電話がなければ、ありえませんでした。新しい出会いに感謝しながら、ぜひ多くの方々にこの映画を見て頂きたいと奮闘しています。

当日は早川監督の舞台挨拶、質疑応答も予定しております。
豊中平和映画祭にぜひお越しください。

「今年は映画祭はナシ」と電話で聞いていましたので、映画祭を開催する、私の映画を上映することに決まったと聞いたときは、それはもう本当にびっくりして、うれしかったです!!

お昼前に大阪・伊丹空港へ到着しました。上映会のときはいつも食べるタイミングがなかなか取れなかったり、時間はあっても周りに食べるところが見当たらなかったりするので、空港で食事を取ってから会場へ向かうことにしていました。何か適当なものを・・・出来れば大阪のもの・・・などと考えながら空港内のレストランを探そうとしたら、食べるところは1箇所のみ、しかも大阪の肉饅頭などで有名な551があるではありませんか! 早速そこで食べました。551が空港にあるなんて・・・と、大阪に来たことを実感しました。

食事の後、実行委員会の横山さんに電話をして空港まで迎えに来ていただきました。豊中と空港は車で15分ぐらい。道中は、豊中平和映画祭はもともと豊中市のイベントとして始まったこと、途中から市民参加できるようになり、数年前に市が平和映画祭をやめるとなったときに、やめるなら市民で開催しようということになり、現在は市民だけで活動・開催しているということなどを聞きました。

会場であるすこやかプラザ
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上映会場の入り口
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会場内の様子
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健康施設だそうですが、建てられたばかりで、スクリーンやDVDプレーヤーなどの設備もあり、上映会会場としても良い感じです!

上映は午後1時からと3時半からの2回でした。
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各上映のあとには質疑応答がありました。
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質疑応答では、「なぜ政府はブライアンたちの活動を止めさせたいのか?」、「ブライアンはいつまで活動を続けるのか?」、「撮影をしていて危険な目に遭ったことはあるか?」などの質問をいただきました。「映画を撮るために留学したのか、それとも偶然か?」 という質問に対し「偶然です」と答えたところ、「”瓢箪からコマ”やな、おおきに」と言われたのが面白かったです!

いつも上映の後にはトークや質疑応答をする私ですが、今回特に感じたのは、観客の方々が話によく反応してくれるということでした。笑い声にしろ、頷きにしろ、他地域に比べて確実に1.5倍以上あると言えます。ライブと同じで反応があると話す私もどんどん乗ってきます。ロンドンで貧乏生活をしていた時の話なども思わず飛び出しました。

各回約15分ほどの質疑応答でしたが、あっという間に時間が過ぎていきました。

終了後に映画祭実行委員会の方々と
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映画祭の後は、実行委員会の横山さんが経営されているスペイン料理店「コンテンタ」へ向かいました。
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お店のウェブサイト
http://www.ne.jp/asahi/bar/contenta/

店内の様子
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横山さんの妹さんがかかれたステキな絵が飾られています。
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豊中市は沖縄とチョーデー都市(姉妹都市)だそうで、店内にはシーサーもありました。
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トルティージャ(スペインのオムレツ)
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自家製ピーナツ豆腐!
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名前を失念・・・すごく美味しかったんですが・・・!じゃがいも、ツナなどをすりつぶして揚げたものだとか・・・?(うろ覚えです・・・)
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こちらのトマトはつぶして、オイルにパンを浸していただきます。
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コカ(スペインのピザのようなもの)
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イベリコ豚のソテー
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食べている間、とにかく実行委員の方々の会話が面白いのです。まるで漫才を見ているみたい。必ず”笑い”がそこにはあるのです。これは生まれ持っての気質なのでしょうか? そう思って聞いてみると、「食べながらでも常に(この話どう終わらせようかな)と考えている。ゆっくりご飯なんか食べていられない」ということでした! ”話す=戦い”ぐらいの勢いなんでしょうか!? 私なんて、笑いをとることを意識して話す習慣は特にありません。話すときに気をつけることは”要点をはっきりさせる”とか・・・? ずいぶんな意識の違いだな、と改めて実感しました。

和やかな食事風景ですが、水面下では笑いについて色んな思惑が・・・?!
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さて、最後の締めはスペインの名物料理、パエリアです! 
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しかも玄米のパエリアです♪
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美味しい料理を堪能し、実行委員会の皆さんとお別れしました。私は横山さんと遠藤さんにホテルまで送っていただきました。

そのホテル、インターネットで予約したのですが、なんと1泊1,500円! もしかしてネットカフェのナイトパックより安いかもしれません。室数限定とも書いてなかったし、何かのキャンペーンと言うわけでもありませんが、何でこんなに激安なのでしょう? 日曜宿泊と言うことで少しは割引があるかもしれませんが、それにしても安すぎます。映画祭の人たちも「え~、それおかしい!」と不思議がっていました。もしかしてフロントのソファ寝じゃないかという話も出たぐらいです。1500円だったら、私のような旅行者だけではなく、深夜にタクシーで家に帰るより安いでしょうから、地元の方にもオススメかも。

車で15分ほどでホテルに到着しました。大きくて立派なビジネスホテル。チサンホテルというビジネスホテルのチェーン店だそうです。フロントでチェックインをすると、確かに1500円と言われました。部屋は5階。ソファ寝は免れたようです。一体1500円の部屋とはどんなだ?!という好奇心から、3人で部屋を見に行くことにしました。

部屋を開けます。入り口のすぐ脇にトイレ&シャワー。狭いですが、ビジネスホテルだったらこれは普通ですし、このホテルの場合は大浴場が使えるので問題なしと言えるでしょう。さて、ベッドは・・・。

・・・・・・・・・ベッドがありません!!!!!

一体この部屋はどうなっているのでしょう?! ビデオを撮りましたので、こちらをご覧ください。(ビデオは約53秒です)
http://www.youtube.com/watch?v=tMRRcWiG_tc

いやいや、ほんとにびっくりしました。これにも私たちは大笑い。ベッドにも笑いの仕掛けがあるなんて・・・恐るべし大阪!!

ホテルの外観(翌朝撮影)
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(ホテルのリーフレットにはシングル1名7,700円と書いてありました。本当に何で1,500円だったんでしょう・・・)

映画祭が無事終了し、ほっとして眠りに着きました。横山さんはじめ実行委員会の皆さま、映画を観に来てくださった皆さま、どうもありがとうございました!!!

最後に、大阪に在住でDVDをご覧になった方から感想をいただきましたので、下記にご紹介します。どうもありがとうございました!
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ほんの数日前までは、ブライアンさんのことも、イギリスがどんな国かということにも全く興味がなかった私が、この映画でいろんなことを知ることができました。
「平和運動」という側面から、イギリスを、自分の国、日本をもっと知りたい。
パーラメント・スクエアに行ってみたい。本当にそう思っています。
最後の、ブライアンさんの願いは、とても重く、そして強く心に残りました。
ブライアンさんと仲間達の願いは、とてもシンプルなこと。
なのに、何故叶わないのでしょうか。本当に地団駄を踏む思いです。
でも、彼らが仕事を終えて、パーラメント・スクエアを後にする日がきっと来ると信じています。両手を挙げて、私も、そのサポーターの一員になります!
この地球上から全ての戦争がなくなりますように!
(大阪府 H・Iさん)
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Japan Congress of Journalists New Face Award ceremony! 08.08.2009

Japan Congress of Journalist (JCJ) is the oldest journalists organization which was formed in 1955. Their slogan is "Never use pen, microphones and cameras for wars again". JCJ selects the JCJ award and New Face award every year, and the Brian & Co. won the new face award 2009!!!

The ceremony was taken place at the Japan Press Centre.
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At the ceremony, with the JCJ award (main award) winners.
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I got the testimonial from the journalist Akihiro Otani-san.
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The testimonial.
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I got the trophy and the prize money from Osamu Kuroda-san. He is a brother of the late famous Japanese journalist, Kiyoshi Kuroda. The new face award was named after him.
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The trophy.
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All winners had to have an 8 minute speech!

My speech
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I had a small memo with me!
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JCJ award winner, reporter Handa-san from Tokyo Newspaper.
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JCJ award winner, TV director Nishiwaki-san from NHK Hiroshima.
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JCJ award winner, reporter Kimura-san from Kumamoto Daily Newspaper.
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After the ceremony, with Kuroda-san, Otani-san and my sister.
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After party.
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Fujii-san, the lady I met at the demo before, she came along and gave me the hand-made flag!
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The congratulation card from Parliament Square!! Paul sent me.
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Brian's message.
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Screening report 5-6.08.2009

6th August is the day when the world's first A-bomb was dropped in Hiroshima. So, every year there are big peace ceremony and many events in Hiroshima. Hiroshima Peace Film Festival had an all night even on 5th August until the A-bomb day. The event had film screenings, live performance, and so on.

A-bomb dome
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Sadako's momument. (The girl was died from radiation).
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Near the Sadako's monument, Yamaguchi-san and Endo-san had reading event of Sadako's story.
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Yamaguchi-san
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Endo-san
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At night, I went to the restaurant with the reading group.
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My hotel was located in the middle of the night town!
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I woke up in the afternoon for the all night event.

I had lunch in the restaurant.
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I went to the event venue.
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Inside of the theatre.
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With the film festival director, Aohara-san.
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During the event, film festival had an Internet radio.
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Director Tanaka-san's interview.
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With the film festival staff Fujii-san and Tanaka-san.
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With the film festivals staffs.
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Pak Poe band's live performance at 4 am!!!!
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With the uni students and the professor from Fukuoka.
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The event finished around 5am, then I went back to hotel and slept like dead!!

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Screening report 25.07.2009

I had a screening on Saturday, 25th July in the book shop in Koenji, Tokyo. In this book shop, you can also have drinks, foods, and some interesting goods.

On the way to the book shop, I found Tesco :-(
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Outside of the shop.
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Inside of the shop.
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At that time, they had an exhibition. All objuects were made from cat's hair!!
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The screening organiser Nakasee brought his friend's prohector. It was very small! Actually smaller than my compact digital camera!
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Today's MC, Hoshika-san. She is an actress.
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Post screening talk with Nakasee and Hoshika-san.
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After the screening. With Nakasee, Hoshika-san and Ikaru-san.
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Screening report 20.07.2009

I had the screenings in Hiroshima for the first time! I prepared that since I came back to Japan!!

I arrived in Hiroshima on 18th July. I had an English screening at the World Friendship Centre. Japanese and American people watched the film and had the discussion after the screening.
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With the World Friendship Centre people.
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After the screening, I went to have Okonomiyaki food with Keiko-san and other people. Okonomiyaki is a popular Hiroshima food.
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I went back to the Friendship Centre, because it was also the hostel I stayed at.

Paper crane for peace on the pillow.
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My room.
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Next day I went to the Hiroshima peace memorial park.
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I had an appointment with Shimonaka-san to have a lunch. She is a lawyer and a peace campainger in Hiroshima.
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She introduced me to Watanabe-san who is a representative of Ant-Hiroshima, peace NGO. We visited her new project.
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She rents out the big space in the old building for making a community room.
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The space used to be a Karaoke rooms.
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After that, I went to the Hiroshima Modern Art Museum. It locates on top of the hill!

Skywalk to the museum.
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This very long escalator reminded me of the london underground!
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The museum.
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When I visited the museum, the exhibition was Martin Creed, a British modern artist who won the Turner prize.
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Today's dinner was Sushi and Udon noodle.
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Street car. This is popular transport in Hiroshima.
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Next day, 20th July was the main screening day in Hiroshima. But unfortunately, it was unbelievably heavy rain all day :-(
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I appreciated people still came to the screening!

With the A-bomb survivor, Okada-san
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Screening venue, Hiroshima peace museum.
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Post screening talk with Higashi-san, the member of Hiroshima Peace Film Festival.
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After the screening, I went to the women's centre with Hiroshima Peace Film Festival staffs.
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Watanabe-san made delicious food for us!
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Next day was the last day in Hiroshima. It was still heavy rain outside, but I went to Miyajima. Miyajima is famous for Torii on the sea. (Torii = gateway at the entrance to a Shinto shrine).
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You can walk to the Torii when the low tide.
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On the way back to the hostel, I saw the Belgian backpackers who stayed in the same place with me. They went to Miyajima, too. In Miyajima, everything was expensive, so we didn't have lunch. So we went to have Okonomiyaki together.
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At night, I got on a highway bus and went back to Tokyo.

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Screening report 12.07.2009

I had a screening on Sunday, 12th July at the British pub called Heaven's Door in Shimokitazawa, Tokyo. The screening was organised by an anarchist group, Tokyo Spring.

Tokyo Spring website (English)
http://www.tokyospring.org/aboutus.html

The group has Japanese and foreign members, so we had a screening with English subtitles. Then after the screening, we had a discussion about the film and the style of protest which Brian adopts.

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Yokoyama-san and Kouguchi-san came and helped me to record the event. I appreciate their help because basically I always go to the screening by myself, so I can't take photos and video (I can only put the camcorder on the tripod).
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公園のベンチが人を排除する? 不便に進化するホームレス排除の仕掛け

2006年9月21日にオーマイニュースへ投稿した私の記事です。その後オーマイニュースは閉鎖されて記事は読めなくなりました。この記事は、私がジャーナリズムを本格的に学んでみようと思い、後にビデオカメラを持つキッカケともなったもので、よく上映後のトークで話題にもします。トークでこの話を聞いた方々から「記事はどこで読めるの?」というお問い合わせを多くいただきましたので、オーマイニュース閉鎖前に保存した記事全文をここに掲載します。(記事中の事実等はすべて執筆時のものです)。

公園のベンチが人を排除する?
不便に進化するホームレス排除の仕掛け

早川 由美子(2006-09-21 08:50)
         
東京の上野に位置し、1873年に日本で最初の“公園”の1つに指定された「上野恩賜公園」。桜の名所として花見客で賑わうこの公園は、博物館、美術館、図書館、動物園、音楽堂などを併せ持つ、日本でも有数の文化複合地でもある。

広い園内をぐるりと回れば、それだけで運動不足の解消になりそうだ。しかし歩き疲れても、この公園は訪れる人の多さのわりにベンチが少ないので、座れないと思っておいたほうが良いだろう。

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写真A(撮影:早川由美子)

しかし、運良く座れたとしても、5分もすれば立ち上がりたくなってしまう。ベンチの形状が不思議なのだ。例えば、上のベンチ(写真A)は真ん中に鉄製の頑丈な仕切りがあるので、姿勢は真っ直ぐにしていなければならないし、座面が斜めに傾いているので、前のめりにならないよう両足で踏ん張っていないとならない。

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写真B(撮影:早川由美子 )

他のベンチも、寝るには短い横幅のもの(写真B)や、ベンチではないが、人が腰を下ろすのにちょうど良い場所にはなぜか1メートルごとに突起がついていたりして(写真C)、どれも座り心地が悪そうなものばかりだ。

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写真C(撮影:早川由美子 )

上野恩賜公園だけではない。都内の大きな公園ではどこでも、そのような“不思議ベンチ”を見つけることができる。いったい何のためなのか?

実はそれらは、ホームレスがベンチを占領することに対し、市民から苦情が寄せられ、都や区の公園管理課が導入した“ホームレス撃退”の仕掛けを持つベンチなのだ。ベンチの真ん中の仕切り方が、寝させないためのもっともポピュラーな方法だが、植え込みに沿って肘掛けをつけたり、突起をつけたりと、撃退方法にはさまざまなバリエーションがある。

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写真D(撮影:早川由美子 )

写真Dのベンチは、モダンなデザインに見えるけれど、チューブ状なので油断すると滑ってしまう危険なベンチだ。酒に酔っているときは特に注意して使わなければならないだろう。また、ステンレス製なので、夏は熱いし、冬は冷たい。

このベンチが設置されている池袋西口公園を管理する豊島区公園管理事務所によると、「街のイメージに合わせた近代的な、かつホームレスに長居をさせないためのデザイン」だという。「滑って危ないし、座り心地が悪いのでは?」と聞いてみると、「座るときは十分注意」し、寄りかかったり、少しの間だけ座れる程度、つまり「座ろうと思えば座れるベンチと思ってほしい」とアドバイスされてしまった。そのようなベンチを誰が使いたいと思うだろうか?

誤解のないように言っておくが、もちろん公園のベンチを1日中占領して寝ることはホームレス(ホームレスに限らずすべての人)の“権利”ではない。しかし、公園のベンチがすべての利用者にとって不便に進化していく現状を放っておいて良いだろうか? 公園で赤ん坊のおむつを替えたいと思っても、チューブ状や真ん中に仕切りがあるベンチでは赤ん坊を寝かせることは不可能だ。晴れた日の休日に公園のベンチで横になって本を読みたいという一市民のささやかな夢まで奪われてしまうのだ。最近は古くなったベンチを撤去後、新しいベンチを設置せずに芝生や砂利を敷くだけの場所も増えている。いずれ公園からベンチは消えてしまうかもしれないのだ。

ホームレス撃退のためにベンチのデザインに細工をしても、ホームレス問題の根本的な解決にはならないことは明らかである。行政はそのデザインの進化に努力するよりも、もっと建設的な対策のために税金を使うべきではないか?

ホームレス問題の解決のために、東京都と特別区は2004年から、「自立支援システム」という取り組みを始めた。これは、主に都内の公園に住むホームレスを対象に、自立支援センターに入所させ、食事を支給、生活相談・就職相談などを行い、自立を促すという内容。ただし、2カ月という期限付きの収容期間、収容可能人数は都内のホームレス約5000人に対し、3カ所で510人分しかない。なかなか効果が上がらないのが実情である。

ホームレス排除の仕掛けは、公園のベンチに限らない。アート関連の雑誌編集を手がけ、写真家としても活躍されている都築響一氏によれば、パブリックアートの分野にも、ホームレス排除の仕掛けを見つけることができるという。

例えば、写真E、F(新宿西口地下通路)の“作品”。新宿駅西口から都庁方面に向かう地下道には、カラフルなオブジェがずらっと並んでいる。斜めにカットされ、しかも交互に設置されているので、座ることも、寝ることもできない。

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写真E(撮影:早川由美子 )

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写真F(撮影:早川由美子 )

写真G(渋谷)の「ウェーヴの広場」は、アートというよりも、見るからにホームレスを排除する目的が見て取れるデザインだ。広場の名前にちなんで波型の凹凸はまだ理解できなくはないが、無数に埋め込まれた突起はどう説明するのだろう?

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写真G(撮影:早川由美子 )

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写真H(撮影:早川由美子 )

写真Hは大森駅の「彫刻広場」。大森駅近くの歩道橋の下にある。かつてそこに定住していたホームレスは追い出され、ペンギンとイルカのオブジェが置かれた。管轄の品川区によると鋭利な石は「さざなみ」を表現しているそうだ。

都築氏は、これらの行政のやり方は、悪意があるように見せないことが大事で、排除アートだということを市民に気が付かせないようにするのが“芸”だという。本来は、人々の心や生活を豊かにするためのアートを、特定の人を排除するために使うなどいやらしいやり方だと思う一方で、行政・ホームレス双方の態度に不器用さを感じる。

排除したいからといって、ガラスの破片を埋め込んだものを置いておくわけにもいかないので、新しいデザインというオブラートに包んで、アートとは呼び難いものを街中に配置する行政。一部のホームレスの側も、ベンチを1日中占領し、公共の場所はみんなで使うものという基本的な考えを欠いていたため、最終的には排除せざるを得なくなってしまったというのだ。

7年前に自身もホームレス生活を体験し、現在は上野恩賜公園でホームレスのための炊き出し、年金・生活保護の申請などの活動をする石崎克雄氏は、ホームレス撃退のためにベンチのデザインが進化することに対して、ベンチに仕切りを設けてもホームレス問題の解決にはならない、景気が良くなり失業率が改善されない限り公園からホームレスはいなくならないと話す。

石崎氏は、ホームレス問題の解決には、政府の経済政策が一番重要だと考えている。国際的な価格競争を勝ち抜くために、安い労働力を求めて海外に工場を移転する企業は多い。そうすると、国内の工場は閉鎖され、失業者が増える。海外で工場を作っても、さらに安い労働力が見つかればまたほかの国へ移転する。その国でも、後に残るのは閉鎖された工場と失業者である。政府や企業は利益・効率だけを追求するのではなく、“雇用”という社会的な責任をもっと自覚するべきだという。

ところで、実際にホームレスの人たちは、この“撃退ベンチ”をどう思っているのだろうか? 都内のホームレス生活をしている人たちにアンケートを試みた。

ベンチに対する反応は大きく3つに分かれた。一番多かったのは、あまりに座り心地が悪いので、新聞を敷いて地面に座るほうがマシと思う「あきらめ型」。次いで、ベンチに長居できないので自分は不便に感じるが、一般の公園利用者にとっては、ホームレスを見る機会が少なくなって良いのでは?と分析する「客観型」。中には、“く”の字形に体を折り曲げて仕切りを避けて寝たり、仕切りの両脇に仕切りと同じ高さのバッグを置いて寝たり、寒い冬には写真Dのチューブ型鉄製ベンチの下にガスコンロを置いて食事を作りつつ、ベンチも温めてから座る「工夫型」もいた。

先日、私は散歩の途中、疲れたのでどこかで休もうと近くの神社に立ち寄った。そこにも、あるのは真ん中に頑丈な仕切りの付いた石製のベンチだった。もはや排除ベンチは公園だけにとどまらない。横になって休めるベンチに座りたいと思うのは、今では贅沢な望みなのだろうか?
(終わり)

同記事の英語版はオーマイニュース・インターナショナルに掲載されています。日本語の記事に少し補足を加えました。こちらよりご覧いただけます。

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Screening report 6-7.7.2009

I arrived in Kumamoto on 6th July. It took two hours by express train from Fukuoka.
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I found a local restaurant. I had a salad and salmon bowl for lunch.
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I saw Miyata-san in the afternoon. He was the organiser of the screenings in Kumamoto. He runs the fabric factory which is opens to everyone (especially small children and disable people).
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Miyata-san made a Sri Lankan coffee!
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I met Miyata-san for the first time when I visited Aldermaston for CND event. He visited there with other Japanese peace campaigners. They visited Brian in Parliament Square on the other day, and I filmed them. So, he is in my film, too!

He read my interview article on the Japanese anti-atom paper, and then contacted me. I explained to him that I was going to Fukuoka. So, he organised the screening in his city, Kumamoto.

I tried to make the fabric art!

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Done!
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There was a harp in his factory, too!
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Screening in the evening at the anti-atom meeting.
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After the screening, Miyata-san and Mori-san took me to the local restaurant to eat raw horse meat! This is the famous food in Kumamoto.
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And the fresh raw fish.
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And the curry!
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I thought I was definitely going to be fat after the trip. All the food I had was very tasty and I thought people living in Tokyo had to have very bad food for very high price.

I went to the hotel.
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The breakfast was buffet style.
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In the morning, I went to Kumamoto Castle.
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The wall is beautifully designed not to be invaded by enemies.
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I had a Japanese green tea and sweets.
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I saw Miyata-san again in the afternoon, and I went to the church for the screening. People were setting up the screen!
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Miyata-san's talk.
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Post screening talk.
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One lady said Brian was handsome and he looked like Clint Eastwood!!!!! What do you think?!?!

I flew back to Tokyo in the evening.

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Screening report 5-6.7.2009

I woke up at 5 am on Sunday and I got the highway bus from Tateyama to Haneda airport (domestic airport in Tokyo) to go to Fukuoka, Kyushu.

I arrived at Fukuoka airport, and it was very hot!
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I went to the restaurant before going to the Fukuoka Asian Film Festival venue. Because I was hungly and I knew it would be better to eat something whenever I could otherwise I would miss the chance to eat at all!
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With the film festival organisers, Maeda-san and Imamura-san.
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With the film festival staffs
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Post screening talk
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After my film, I saw the documentary film "Smell of Sunshine" by Yoko Tashiro-san. I listened her talk.
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After the film festival, I went to have dinner with the film festival staffs and other directors. The night's dinner is Motsu-Nabe (gut & vegetable pot). This is very popular food in Fukuoka.
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I went to the hotel after the party.
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The break fast was buffet style.
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Traditional (?) Japanese breakfast!
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I checked out the hotel and went to the station to get on a train to Kumamoto city.

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Screening report 3-4.07.2009

My film was shown at the "film festival" for the first time, so I went to Tateyama city, Chiba prefecture for Awa Peace Film Festival. Tateyama city locates two hours away from Tokyo by highway bus. Popular tourist place for beach and marine sports.

Tateyama Station
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I checked in the hotel near the station.
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When I arrived at the venue, I met film festival staff and did sound check for the screening. My film is super home-made, so only my film had to be lower the volume because of the loud traffic noise in Parliament Square!
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At the opening, the film festival representative, Yagi-san had a speech.
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Film festival was held for two days (Friday and Saturday). The first day was only one screening, America Banzai. The post screening talk by Asako Kageyama san (producer and interviewer of the film).
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After the first day screening, we went to the restaurant/bar in the city with film festival members.
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Tateyama is also known for very fresh raw fish (Sashimi).
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On Saturday, I changed my hotel because I decided to stay one more day here. I had to go to airport on early Sunday morning to go to Fukuoka (Fukuoka Asian Film Festival), so it was easy for me to stay in Tateyama and go to the airport from there. This hotel is so old Japanese style!
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In the room.
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Saturday was my screening day. Before my film, I looked around the venue and took photos.

Film Festival venue.
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Entrance
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Many of the film festival staff and also some audiences are organic farmers. They brought home-grown rice and vegetables. They were very tasty!
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After my screening, I did post screening talk in the meeting room as film festivals's special event!
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MC was Mao-san, film festival staff.
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In the talk, we talked about the possibility of independent media. I talked about my experience how to make the documentary with the very cheap camera! In Tateyama, it is not a small city, but they don't have a cinema at all. So, for them, having film festival is a good opportunity to know what's going on in Japan and elsewhere. It is also important for them to have own media to get information for themselves. The talk lasted nearly two hours and I had a very good time with the audience.

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黒田清JCJ新人賞贈賞式報告!(2009/8/8)

広島でオールナイトのイベントに出演し、すわり心地最低の夜行バスで帰宅した翌日は、日本ジャーナリスト会議(JCJ)主催の2009年度JCJ贈賞式に出席しました。

以前からJCJ賞、黒田清JCJ新人賞については知っていました。しかし、どうやって応募するのかは知りませんでした。今回映画を携えて2月に帰国した際、(応募は出来るのかな?)とJCJのホームページを観て、自薦が出来ること、ちょうど作品募集中であることを知り、応募してみました。何しろなんの後ろ盾も評価もない自分の作品が、選考委員の著名なジャーナリストの方々に観てもらえるだけでも、十分応募する価値があると思ったからです。

JCJについて(JCJウェブサイトより抜粋)
自由なジャーナリズムなくして自由な社会はない。私たちがめざしているのは、自由に事実を知ることの出来る、自由な言論のある社会です。自由な言論は、健全な民主主義社会を支える礎です。「再び戦争のためにペン、カメラ、マイクを取らない」―。日本ジャーナリスト会議はこの言葉を合い言葉に1955年以来、各分野のジャーナリストが活動を続けている日本で最も古く、唯一のジャーナリストの統一組織です。マスメディア関連の仕事に従事する方はもちろんPTA新聞や労組機関紙の編集者、フリーライターの皆さんまで、目的に賛同して表現活動をする方すべての参加を呼び掛けます。自由な言論を守り、自由な社会を確かなものとするためにジャーナリストと市民が手を携えて進むJCJ(日本ジャーナリスト会議)に。

黒田清JCJ新人賞とは?(JCJウェブサイトより抜粋)
2000年7月23日に亡くなられたジャーナリストの黒田清氏を偲び、2002年に創設された。大阪読売新聞・社会部部長として反戦・反差別の視点を崩さず、諸悪の背景を深く掘り下げた記事を数多く執筆する。退社後も雑誌、テレビなどのメディアで活躍。若い人材の育成に情熱を燃やし、優れたジャーナリストを世に送り出す。黒田清JCJ新人賞には、賞状と伊達信明氏制作の木製オブジェ、および故黒田清氏遺族による出資の賞金50万円を贈呈します。

3月頃にDVDと作品資料を送った後は、数ヶ月間しばらくそのことは忘れていました。映画祭もそうですが、選ばれる作品以外には連絡をしないというところは多いです。なので、今回もそうだろうと思っていました。

そんな感じでしたので、6月半ばにJCJ事務局の守屋さんから「最終選考にまで残っている」と初めて連絡をいただいたときには、本当にびっくりしました! (出してみるもんだな~)というのが自分の第一の感想だったかもしれません。

私は映画のメールマガジンを発行しているのですが、早速メールマガジンに最終選考まで残っていると報告をしました。何しろ、最終選考に残ること自体が自分にとっては快挙でしたので、選ばれるかどうかを待たずに報告したかったわけです。

それから2~3週間後、私の作品が最終的に選ばれたというメールを、福岡のインターネットカフェで読みました。そのメールには贈賞式の日程や、式で各受賞者は8分ずつのスピーチをすること、新人賞には賞金50万円が贈られる事などが書かれてありました。

最終選考に残った時点では、単に”うれしい”という感情でしたが、実際に受賞が決まったときのメールで、具体的な式典の予定などを見て、改めてすごいことなのだ、と実感をしました。8分間のスピーチ・・・しかもジャーナリストたちの前で・・・。普段、上映会後のゆるいトークしかやった経験のない私は、そのようなフォーマルな場所で話す経験がありません。一体何を話せば良いのかと考えるだけで緊張してきました。ロンドンで撮影していた頃は、基本的に毎日防寒着に長靴というスタイルだった私には、式典に着て行く服もありません!

今回、私の映画を新人賞作品として選んでいただいた理由について、JCJのウェブサイトではこのように説明されていました。

イギリスの国会議事堂ビッグ・ベン前の広場(パーラメント・スクエア)には、テントを張って、8年近く<イラク戦争反対、NO KILL KIDS!>と抗議している男性がいる。名はブライアン・ホウ(1949年生まれ)。警察は、プラカードの撤去、スピーカーの使用制限、さらにはSOCPA法まで制定して追い出すのに懸命だ。「ブライアンと仲間たち」は、独特のアイデアとユーモアを駆使して抗議活動を続ける。その様子を1年半に渡り、体当たりで撮影・取材し、ひとりひとりの表情を生き生きと捉え、感動のドキュメント映画に仕上げた。1975年生まれ。独学で映像制作を始める。初監督作。

不安と疲れの中で迎えた8日。贈賞式の会場は千代田区内幸町の日本プレスセンタービルでした。「日本記者クラブ」などが入っているビルの10階です。普段行きなれない場所なので、十分余裕を持って家を出ました。

日本プレスセンタービルの前で
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姉とともに出席した私は、会場でビデオカメラをセットし、姉に託しました。贈賞式の様子をビデオに撮ってもらいたかったからです。

その後、JCJの守屋さん、他の受賞者の方々とともに集まり、当日の流れについて聞きました。贈賞式の前半はジャーナリストの原寿雄さんの講演、後半は休憩を挟んで2:15分より贈賞式の開始となっていました。

他の受賞者の方々と壇上へ上がります。
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ジャーナリストの大谷昭宏さんより賞状を、黒田清さんのご兄弟・黒田脩さんよりオブジェと賞金をいただきました。
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賞状
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オブジェ
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大谷昭宏さんより、受賞理由についてのお話がありました。「ブライアンの愚直な活動を、ひたすら追い続けた愚直な映画。それは今のジャーナリズムに必要な姿勢ではないか?」とお話をされました。
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続いて黒田脩さんよりお話がありました。
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賞状とオブジェ、賞金をいただいて自分の座席に戻ります。これは姉が撮った写真ですが、私は賞金が気になって仕方がないのでしょうか??!!
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続いて、JCJ賞の受賞者の方々へ賞状とオブジェが贈られ、いよいよスピーチです!

話す内容をカンペに書いて臨みました。
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この会場に来られている方のほとんどは、私の映画を観たことはないと思ったので、簡単に映画の説明もしました。イギリスでも表現の自由が脅かされていること、表現の自由が守られない限り平和もないと思うこと、などを話しました。ほぼ予定通り8分で収めることが出来て一安心! (この贈賞式での自分のスピーチ部分を後日YouTubeにアップします。)

会場の最前列に、以前都内のデモで知り合った藤井さんが応援に来てくださっていて、とてもうれしかったです。手作りのお祝い旗を振ってくれました。
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続いて、JCJ賞受賞者の方々のスピーチが行われました。

『「戦地」派遣ー変わる自衛隊』(岩波新書)の半田滋さん
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NHKスペシャル「こうして”核”は持ち込まれたー空母オリスカニの秘密」よりNHK広島放送局を代表してディレクター・西脇順一郎さん。
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熊本日日新聞「川辺川ダムは問う」の取材班を代表して木村彰宏さん。
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全員のスピーチが終わり、無事贈賞式も終了しました。黒田さん、大谷さん、そして私の姉とともに記念撮影。
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贈賞式の後は、懇親会があり、こちらは姉、両親とともに参加しました。私の母親はずいぶん長く黒田さんとお話していたようですが、一体どんな話を??!!

懇親会の様子
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お世話になったJCJ事務局の守屋さん
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守屋さんが突然、「今日は早川由美子さんのご両親も来られていますので、挨拶をしていただきましょう!」と提案!! 父にマイクが手渡されます。えぇーー! 突然の展開にびっくり。

父は「この度は、娘に”JCB”新人賞を・・・」とのっけから賞の名前を間違えてます!! そりゃぁ、確かに父にとってはクレジットカードの方がジャーナリズムより馴染みがあるかもしれませんが! 誰かが「まぁ、似たようなもんだよ!」とフォローの掛け声。娘としてはかなり冷や汗の一瞬でした。

懇親会では、選考委員の諌山修さん、中村梧郎さんたちともお話しすることが出来ました。作品について、より深く評価を聞くことができて、とても勉強になりました。

諌山さんは、以前TBSのロンドン支局長としてイギリスに滞在されていたことがあるそうです。映画のタイトル中のSW1は地域番号(郵便番号)で、SW1とは国会を含むサウス・ウェスト1のエリアということです。諌山さんはSW7のサウス・ケンジントンに住まわれていた、とのことです。サウス・ケンジントンと言えば、東京で言うところの南青山のような地域です! (ちなみに私の住まいはイースト地域E1のスラム街・・・!)

中村さんはベトナム戦争からフォトジャーナリストとして活躍をされています。「ジャーナリストはしつこくないとダメだよね、執念だよ」と話されていたのが、とても印象に残りました。中村さんの30年以上にもわたる取材に比べたら、私の撮影なんて短い期間ですが、とにかく何かを取材し追い続けるというのは、精神的にも肉体的にも粘り強くなければならないと痛感しました。ジャーナリズムは、効率性、生産性とは正反対の作業のように思います。

あっという間に懇親会が終わり、その後は黒田さん、大谷さんたちに二次会へ連れて行っていただきました。私の両親と姉も一緒です。タクシーに乗って到着したそのホテルは、ものすごい豪華! 普段、私が接するジャーナリストの人々は、どちらかというと”下請けイジメ”の犠牲者みたいな立場の人が多いので、ホテル、そしてホテル内のバーに驚きの連続です。

大谷さんたちから、「映画を見たときに、これを作った人はどんな人だろう?と思った」と言われました。これまでの作品では、読んだり、観たりしているときに、大体その人の人柄のようなものが浮かんでくるそうです。でも私の場合は、映画の内容はイギリスの愚直な抗議活動、私自身の映像は作品の中に全く出てこない、ナレーションの声(私)はちょっと幼いような印象だったとか。

この日は両親が同席していたこともあって、話は私の幼い頃にも及びました。「とにかく対等・平等を主張する子どもで、祖母がお年玉を上げたら、”姉より金額が少ない”と泣いて抗議した」などのエピソードを改めて聞くと、その平等意識がジャーナリズムに繋がったのか・・・などと都合よく自分の過去を解釈したりします。その他にも、六本木に住んだこと、沖縄へ行ったこと、イギリスでの生活などを話し、黒田さんには「アンタは中身が男の子だね」と言われました。

ところでこの黒田清新人賞、実は第1回目を除く全ての受賞者が女性なのだそうです! なぜでしょうか? 「女の方が元気だからじゃない?」という人もいましたし、「女性の方が組織とかにとらわれないで、好きだからやってるんじゃない?」とも聞きました。理由は分かりませんが、なぜでしょうね?? 

そして、過去の新人賞受賞者の方の現在の活躍についても、話題になりました。例えばこれまでに、「にがい涙の大地から」で海南友子さん、「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」で堤未果さんなどが受賞されています。彼女たちのその後の活躍については、皆さんもご存知の通りです。

では、私はどうなんでしょう?! 今回、ラッキーにも新人賞をいただいて、私はこれまでの自分の活動と大きな違いが生まれたように思いました。今までは、自分の活動に注目するのは自分だけ、という状態でした。いくらでも自分のやりたいように出来るし、一方で、私の去就について誰も注目しません。変な話、途中で投げ出しても、誰にも分からないわけです。でも、今後は「あの人、次は何をやるかしら?」、「今はどんなプロジェクトをしているかしら?」となるのでしょう! 既に、懇親会の席から「今後は何を?」と何度も聞かれました。(ちなみに賞金の50万円はどうするのか、とも!)

賞をいただいたことで、今後はより積極的に活動していくことを期待されているのだし、この賞はこの作品に対してのねぎらいなどではなく、今後のためにいただいたのだ、という自覚を持ちました。ゆえに賞金に関しても、モロモロの”支払い”系に充てるのではなく、将来のプロジェクトのためにとっておこうと思います。いゃ~、本当に、頑張らなくちゃ!

・・・といっても、もともと構えた作品作りなんてやろうとしても無理ですから、賞を受賞したとしても、構えずに、常識に捉われずに、面白いと思った題材を積極的に取り上げていきたいと思っています。

どうもありがとうございました!!!

追伸:パーラメント・スクエアのブライアンと仲間たちから、受賞についてお祝いのカードが届きました!
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皆からの寄せ書き
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ブライアンのメッセージ
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(あなたを誇りに思います! 受賞に値します。心よりありがとう。ブライアンと仲間たちより)

大谷昭宏さんの事務所のウェブサイトにも、黒田清JCJ新人賞のレポートがあります。
http://homepage2.nifty.com/otani-office/jcj/2009.html

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ヒロシマオールナイト!(上映会報告2009/8/5→8/6)

先月20日の広島上映会に続き、今月4日から再び広島を訪れました。今回は、ヒロシマ平和映画祭のプレイベントでの上映のためです。このイベントは、8月5日の夜から広島原爆投下の日である8月6日の朝まで、平和に関する映画の上映、監督のトーク、ライブなど盛りだくさんの企画・・・・と聞くと非常に魅力的ですが、何しろ約12時間にも及ぶイベントです。体力的にはかなりハード!

私は前回の広島行きは飛行機を使いましたが、今回は行きも帰りもバスにしました。夜行バスにも数種類あって、これまでは「リラックスシート」などと呼ばれる、通常のバスに比べてリクライニングの幅があり、フットレストや毛布までついているタイプのものから、いわゆる通常の観光バスのようなものまであり、値段も快適さによって比例しています。今回は節約のため、行きも帰りも最低ランクの観光バスにしました。

バスは値段が安いということが唯一の利点ですが、車内では十分な睡眠がとれず、あまりに早朝に到着するため、ホテルのチェックインも出来ずにファーストフード店で時間をつぶす・・・など、結局、時間、予算、体力などを総合的に判断すると、おトクかどうか微妙だったりします。

バスの欠点である、早朝の時間をどう過ごすか、出来れば寝たい・・・という希望をかなえるため、事前に宿泊先のホテルに相談してみることにしました。

今回、プレイベント開催のお知らせをいただいたのが6月の初め頃だったのですが、この8月5日の夜の宿泊先を確保するのは至難の業です。毎年2月に8月5日の宿泊予約が解禁となるそうですが、平和公園に近いホテルは大体20分ぐらいで予約が満杯になるのです! この時期はラブホテルでさえも平和関係者で埋まるのだとか・・・! そのような状況ですから、6月なんて、既に空きはほとんどない状態です。

ところが! 映画祭スタッフの東さんによると、広島市内の激安ホテルにまだ空きがあるとのこと。シングルで1泊3400円・・・! ホテル28と書いて”トゥエニーエイト”と呼ばせるこだわり(?)のホテル。確かに空きがありましたので、その場で予約を済ませることができました。

宿泊の1週間ほど前にホテルにメールをして、「高速バスで約13時間ぐらいかけて広島に行くので相当疲れます。早朝について時間をつぶすのは大変です。しかもオールナイトのイベントに行くので、チェックアウトの日に早起きが出来ません。チェックインの時間を朝8時、チェックアウトの時間を午後2時にしてもらうことは出来ますか?」と、超個人的な事情を説明して交渉。そしてなんとOKをいただいたのです! しかも、割増料金なし!! 相談してみるものなのですね、とつくづく思いました。

東京からの高速バスは、朝8時に広島駅へ到着する予定でしたが、道路状況がとてもスムーズで6時には駅に到着しました。(ちょっと早すぎるかな?)と思いつつもホテルにチェックイン。早速5時間ほど寝ました。部屋はちょっと狭いですが、でも快適です!!

ホテル入り口
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お昼過ぎに起きてご飯を食べてから、平和公園へ向かいました。昨年広島滞在の際に、大変お世話になった山口さんたちを訪ねてみようと思いました。山口さんと遠藤さんは、昨年ロンドンを観光で訪れて、偶然ブライアンたちのテントを観光バスの中から見つけ、駆け寄っていった人。私はその日、ロンドンの自宅で学校の宿題をしていてパーラメント・スクエアにはいなかったのですが、日本からのお客様ということでマリアが私に電話をかけてきました。「日本人だよ!」ですって!! 理由はそれだけ。それで山口さんと電話で話し、山口さんたちは毎年8月6日前後に広島で「さだ子と千羽鶴」の朗読をされていると聞き、「ではそのときに広島へ行きます」と約束し電話を切ったのでした。それで、昨年の夏広島を訪れ、山口さんたちの朗読会に私も参加させてもらったのでした。

ホテルから歩いて平和公園へ向います。

原爆ドーム
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さだ子の像が見えてきました。
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さだ子像のすぐそばで、山口さんたちの朗読会が行われていました。今年でなんと16年目なのだそうです!
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チェロを演奏される山口さん。曲目はストーリーの展開によって変わっていきます。
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山口さんとともに長年朗読会をされている遠藤さん。
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撮影をする報道カメラマンらしき人。
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日本では報道カメラマンがデモの撮影現場などでも”脚立”を持参して撮影していますが、これはイギリスでは絶対見られない光景です。イギリスのデモの場合、しょっちゅう乱闘騒ぎになるし、警察は馬やドーベルマン犬も持ち込んで制圧しようとするので、脚立に乗っていたりしたら危険だからです。でも、日本のデモも混乱することはあると思うのですが、それよりもよい画を取りたいということでしょうか? とにかく私から見ると危なっかしくて仕方がありません。この彼は三段ですが、十段近くのはしごで撮影している人も見たことがあります!

その後平和公園内を歩いて回りました。8月6日の式典のため、ずら~っとパイプ椅子が並べられています。
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去年の式典は早朝3時半に会場に乗り込んだところ一般座席に一番乗りしましたが、今年はオールナイトのイベント・・・恐らく式典参加は無理でしょう・・・

平和公園内には沢山の来園者がいて、公園内の石碑などを見て回っています。様々な団体が広島ツアーを組んでやってきているようです。ガイドさんらしき人がそれぞれの石碑の説明をしていて、私もひそかに群れに加わります。説明してもらわなければならないような背景が聞けてよかったです。

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夕方になり、朗読の山口さんたちとともにご飯を食べにいきました。創作和風料理とお酒、美味しかったです!

ほおずきが料理に飾られていました。ほおずき遊びの説明をする遠藤さん。

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さて、すっかり夜遅くになり、解散しました。私はホテルへ向かいます。平日の夜ということもあって、大通りは人影もまばら。しばらく歩いて、私が宿泊しているホテルちかくの「流川通り」へやってきました。ここは真昼か!?と思う位、ネオンが煌々と輝いています!
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聞けば、この流川通りと隣接する薬研掘通りというのは、中国&四国エリア一の歓楽街なのだそうです。なるほど、それでお昼ご飯を食べようと思っても、ほとんどの店が夕方からの営業となっていたし、靴擦れをした私が薬局で絆創膏を買おうとしたら、やたら精力剤ばかりが店頭に並んでいたのでした。

無事ホテルに着き就寝。明日のオールナイトイベントに備えます。

そして翌日。昼1時過ぎに起きて、お昼ご飯を食べようと外に出ました。相変わらずホテルの周辺の店は閉まっています。流川通りを歩き、その近くのえびす商店街へ向かいました。こちらは一転買い物客で賑わう昼の街です。

麦とろ定食を食べました。メインのおかずはなすと豚肉の辛みそ炒め。
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昼食後ホテルに戻り、イベントのための準備をして、本日の会場である横川シネマへ向かいました。

横川シネマ外観
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今回のイベントは映画の上映だけでなくライブもあったので、壇上ではリハーサルが行われていました。
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ヒロシマ平和映画祭代表の青原さんと
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イベントをネットラジオで生中継する!しかも朝まで! という試みがありました。ネットラジオの接続をチェックする藤井さんたち
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今回の上映作品は、「Marines go home」、「アメリカばんざい」(藤本幸久監督とプロデューサーの影山あさ子さん)、「朴保~歌いたい歌がある~」(田中幸夫監督)、そして私の作品、となっていました。上映順の関係で、ネットラジオの出演や食事休憩などは、藤本監督&影山さん、私と田中監督のペアで分かれていました。

ネットラジオで田中監督に質問をする藤井さん。この二人の掛け合いが面白かったです! ラジオですからリスナーの方は田中監督の風貌について藤井さんの評価に頼るしかありません。藤井さんによると、田中監督は”ワイルド”かつ”マイルド”!!??
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「未来世紀ニシナリ」という作品でロンドンでも撮影されたことがあるという田中監督と、ロンドン話でも盛り上がりました。監督曰く、もうロンドンで撮影することはないだろうとのこと。理由は「食べ物がまずいから」。確かに!
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私の作品の上映は真夜中を過ぎて始まりました。初めてのDVカムテープでの上映、さらに映画館での上映は、普通の映画監督にとっては感涙モノなのかもしれませんが、素材自体のクオリティーが低い私の場合は、普段以上に画面の粗さが目立ち、騒音が良く聞こえてしまうという状態でした。

上映の後には、今回のイベントのためにイギリスで撮影してもらったブライアンのメッセージビデオを流しました! 上映会のつい1週間ほど前に、サポーターのポールにお願いして撮影・編集してもらったものです。ブライアンの性格を良く知る私たちは、もしかして数時間しゃべり続けるのではないかとヒヤヒヤしましたが(実際、私はブライアンのインタビューをしていて、彼が喋り捲り、終電を逃すことがよくありました)、メッセージは6分半に収まっていて一安心。翻訳まで入れる時間がなかったので、私がマイクで同時に翻訳を読み上げました。

観客の方からはブライアンのメッセージ内容よりも、「ブライアンが杖をついていてびっくりした。大丈夫なのか?」と言ったことを良く聞かれました。ブライアンは昨年の秋頃から杖をついています。デモのときに警察に突き飛ばされたのが原因。

メッセージビデオを流した後は、私が自己紹介も兼ねて映画のことを話しました。前回広島で上映会をしたときは東さんがトークのお相手をしてくれましたが、今回は一人だったのでかなり緊張してしまいました。

上映後に映画祭スタッフの皆さんと写真撮影。ありがとうございました!!
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私の作品の次は田中監督の作品でした。作品の解説チラシに「これだけのミュージシャンを見逃していたのはメディアの責任かもしれないな」と書いてあるとおり、私はこれまで朴保さんを恥ずかしいことに知りませんでした。

ご参考までに映画の解説をチラシから抜粋します↓

故郷・富士、韓国人の父、日本人の母、二つのルーツを持つ朴保(パクポー)。テレビ・ラジオでは「イムジン河」がまだ政治的配慮の名目で放送自粛されていた70年代。実力でスカウトされ79年に「広瀬友剛」名義で一度はメジャーデビューするが、自らのルーツにこだわり「朴保」と改名。それは差別や偏見の多く残る日本の音楽界での苦難と波乱に満ちた人生への決断でもあった。

それから10年近い渡米生活。反核・反原発をテーマにネバダ・核兵器地下実験場でのライブなどに言葉も国籍も超えて有名ミュージシャンが彼に賛同し集まった。
まだ日本語で歌うことが禁止されていた文化解放前の父方の祖国・韓国で日本語を使ったライブの開催、また韓国の人気歌手・巖仁浩との日韓共同アルバム制作や、南北統一を願って開催される38度線に一番近い町でのワンコリアフェスティバルなど、どれも前代未聞の快挙だった。東京、ソウル、大阪コリアタウン、日本の高校や阪神・淡路被災地への慰問ライブ。在日スタッフが結集した映画「夜を賭けて」の音楽監督での参加・・・・・・。


音楽市場には未だ彼の音楽が並ばず、放送で流れることのない日本の現実。しかし人間の、民族の、国境の壁を越え、彼のまわりには人の輪が大きく広がっていく。
2009年朴保デビュー30年。音楽を通して壁を越えてきた朴保は今、ベルリンの壁の前に立つ。


ホームレスやニートを支援する男性や、雇用創出のため古着ビジネス開業を模索する女性などの姿に迫った映画「未来世紀ニシナリ」など人権や差別をテーマに多くの作品を手がけた田中幸夫監督が10年以上の歳月をかけて完成させた最新ドキュメンタリー。”

映画の中で、高校生からの率直な質問に答える朴保さん、ベルリンの壁の前に立つ朴保さんのシーンがとても印象的でした。途中入場したため最初の部分を見逃してしまったので、また観たいです!

さて、全上映作品が終了し、4時ごろになっていよいよライブです! 私は時々休憩をとっていましたが、さすがに疲れてきました。でも、ず~っと映画を見ているお客さんの方がしんどいでしょうね・・・!

私は今回の広島滞在で、朴保さんのライブを撮りたいとビデオカメラを用意してきました。休憩時間中にビデオカメラを準備します。

・・・・・・・ところが、ビデオカメラにバッテリーがついていません!!!!!

昨年末に新しいビデオカメラを購入してまだあまり使用していない私は、今までのビデオカメラに比べたから少しは高級品なそのカメラを守るため、これまではやらなかった「持ち運び時はバッテリーを外しておいたほうが、衝撃で壊れるということがなくて良いかも」と考え、東京から高速バスに乗る際にバッテリーを外しておいたのでした。そんなことそれまでにやったことがなかったので、j今日ホテルを出るときはバッテリーはカメラについているものだと信じて疑わなかったわけです。

うーーーん、このためにビデオカメラを持ってきたのに・・・・!!!

「残念でした」とは簡単に納得できないぐらいやりきれない気持ちになりました。仕方なく、デジカメのムービー機能で動画を撮影しましたが、所詮デジカメのムービーですよ・・・・。今後は二度とこのようなことが起こらないようにしなければと固く誓いました。

写真は沢山撮れました。私は写真の腕前はありませんが、朴保さんたち、すごい絵になる!! 夢中で写真をとりまくりました。いくつか載せます。

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ドラマーの方、ダンサーの方の写真がうまく取れなくて残念!

明け方のライブは大盛り上がりで、オールナイト明けとは思えないテンションの高さでした!! ライブの後に、キーボードの方から「写真とってましたよね? 送ってください」と言われました。本当にバッテリーを持ってこなかった自分を恨みました。ライブを全収録したものを渡せたらどんなに良かっただろうと・・・。

福岡から大学の先生と生徒さんたちが来ていました。明け方に一枚。お疲れさまでした~!!
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イベント終了後もいろんな方とお話をしていたら、既に時間は6時ごろになっていました。会場を後にして、同じ広島駅方面へ向かう田中監督とキーボードの中川さんとともに駅へ向かいました。電車を待つ間、私の作品を観てくれた田中監督から映画についての感想とアドバイスをいただきました。

私が映画の中で多用しているフェードアウトについて話題になりました。フェードアウトさせるということは、本来絵としてつながらないもの同士を繋げている事。一端黒にしてしまうということは、何でも繋げてしまう。黒を使うことなく絵はつながっていなければならない、現在はパソコン上での編集だから簡単にフェードアウトが出来るけれど、そういう癖をつけてしまうことは危険だ、とのことでした。

繋げるか、繋げないか、という視点を持つことなく編集をしていた私は、安易にフェードアウトを多用していたのだと思います。繋がらなくても、フェードアウトを使っていたので、それを気にする必要もなかったのでしょう。でも、私は一度私の作品の全フェードアウトを取り払ってみて、果たして絵が繋がるのか、繋がらないとしたら、どういう絵なら繋がるのか、見直してみる必要があると思いました。

また、出来上がった作品を、映画のテーマに全く関係のない人や、映像制作の関係者ではない人に見せてみるのが良いとも言われました。例えば田中監督の場合、奥様の前で映像を見せるそうですが、面白ければそのまま座って観続けるし、つまらないと思えばぷいっと立ち上がって、洗物など始めるそうです。これは良いバロメーターになるそう。そのテーマに興味のある人ならば、多少作りが粗くても元々興味があるので最後まで観るでしょうし、映像関係者なら職業柄細かいところまで見るわけです。だから「純粋に面白い作品かどうか」という視点をかえって持ちづらいのでしょう。なるほど~と思いました。

アドバイスもすごく参考になったのですが、とにかく今回のイベントは偶然田中監督と行動スケジュールを一緒にしていただいたおかげで、ネットラジオでの対談、食事休憩で2~3時間もお話しすることが出来、監督が仕事を始められた頃のお話や映画についてなど、色んなお話を聞くことができたのです! これは私にとってとても参考になるものばかりでした。

7時過ぎにホテルに戻ると、ロビーは平和式典に向かう人々でごった返していました。私はそんな人の流れに逆らって、大浴場へ向かいました。

ホテルとの事前交渉でチェックアウト時間を大幅に延長した私は、午後1時ごろにおきました。5時間ぐらいは寝た計算ですが、まだかなり眠いです。支度をして14時にチェックアウトをしました。

相変わらず流川通りのお店は閉まっていますので、また昼食探しで歩き回ります。中華薬膳のお店を見つけて入りました。

八宝菜定食
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ヒロシマ平和映画祭のスタッフの方+出演者たちで、ひろしま女性学研究所で14時から交流会があると聞いていたので、そちらへ伺うことにしました。15時ぐらいには到着するだろうと思っていたのですが、迷った挙句に到着したときは17時近くになっていました。夕方19時には広島駅からバスで東京へ帰るのでほとんどいられなかったのが残念ですが、それでも色々と興味深いお話が聞けました。

東京に住んでいる私には正直そこまで浸透しているとは思えない、広島市長の造語”オバマジョリティー”についての話題になりました。オバマジョリティーとは、核兵器の廃絶努力を明言したオバマ大統領を世界の大多数(マジョリティー)が支持している、と言う意味の造語です。オバマ大統領が核兵器の廃絶について言及したことは評価されるべきですが、それを”私たちの大多数がアメリカ大統領を支持します!”かのごとく、市を挙げて大々的にキャンペーンをするのはいかがなものか?と。(私もオバマ大統領の演説について胡散臭さを感じていたというのは、熊本での上映会レポートで書いたとおりです)

その件について、広島で圧倒的な部数を誇るローカル新聞=中国新聞に投書をされた方がいましたが、結局掲載されなかったそうです。中国新聞では、オバマジョリティーについては賛同する投書が一件あったのみとのこと・・・。市長の意向に反するような意見は、たとえ一般市民からの投稿という形でも載らないのでしょうか? 

普段上映後のトークなどで「マスメディアに頼るだけでなく、自分で情報発信できる時代になってきた」などと発言している私ですが、確かにそう感じてはいるものの、やはりマスメディアの威力は強大です。オルタナティブなメディアだけで物事が変わっていけるとは思っていません。でも、そのマスメディアが人々の声を反映してくれなかったり、権力側にとって不利なことでも報道する勇気を持ってくれなければ、大事な問題も議論されることなく進められてしまうことでしょう。

マスメディアが権力にコントロールされているという点で、イギリスも日本と同じ状況です。でも少し違うと思うのは、イギリスの場合、ポーズとして”少しは”反対意見などが載せられることです。それは民衆のガス抜きのために、戦略としてやっているのです。(←なので、これもどうかと思いますが、でも中には反対意見の記事を読んだ市民が本気で立ちがあるかもしれませんので、少しは良いかも)全く反対意見を載せないほうがかえって市民の不満が募り、やがて大爆発・大暴動に発展することを恐れているからです。

話がややそれますが、近年のイギリス史上最も激しいデモ、民衆の大爆発というのは、マーガレット・サッチャー政権時代のpoll tax(人頭税)導入に反対するデモ(1990年)と言われています。YouTubeでそのデモの様子が見られます。サッチャー政権はこれによって大きくダメージを受けましたので、イギリスの為政者(とそれに追随するメディア)は人々の不満が押さえ込まれることによって大爆発をしないようにしているのだと思います。http://www.youtube.com/watch?v=zdVquOmFJ0U

別名「Battle of Trafalgar(トラファルガーの戦い)」とも呼ばれるそのデモでは、市民も暴れていますが、警察の無軌道っぷりがすごい。市民の群れに向かってパトカーが暴走するなんて・・・! このデモに参加したという私の友人(当時18才)は、よく「あの当時の警察に比べたら今はマシ」と言っていますが・・・。私にとっては今も十分ひどいし暴力的だと思います。

マスメディアに所属する人々が、会社の方針によって記事をゆがめられてしまうのだとしても、あきらめないで反撃するチャンスを伺い続けてほしいと私は思います。思考停止こそが一番危険なこと。もし、そのメディアで書けないとしたら、自分の記事が政治的介入で没にされてしまうのだとしたら、そんなちっぽけな会社のシステムを匿名ででも社外に暴露するとかどうでしょうか? それだけでも効果があるのではないですか? そんな私のもくろみは、所詮社外の一般人の考えでしょうか? 

でも例えば私は、イギリスの戦争に反対するメディア労働者たちのネットワークの集会で、真実を報道できない職業ジャーナリストたちの大暴露集会に参加した経験があります。ガーディアンやBBCなどの大手メディアに属する記者たちがジャーナリスト”個人として”(←これはポイントかもしれません。所詮団体や会社主導でやる集まりほど形骸化しているものはありませんから)戦争報道のゆがみに反対して、その実情を暴露しているのです。

Media Workers Against the War ウェブサイト(英語)
http://www.mwaw.net/about/

対テロ戦争下の、いわば「ジャーナリズム冬の時代」でも、こうして良心あるジャーナリストたちが連帯して発言し続けていくことはとても重要だと思います。(まあ、これもガス抜きとして、政府から許容されている面があるかもしれませんが)。でも、少なくとも私たち一般市民が情報を得ることが出来るからです。

スタッフの方々とお話をしていて、メディアのコントロールについて、メディアのあり方についてつくづく考えました。

広島は、昨年は平和記念式典に参加しただけの私でしたが、今回自分の上映会やヒロシマ平和映画祭での上映を通じて、広島の平和活動に携わる方々と多く出会うことができました。これまでは広島というと、平和活動が盛ん=言論の自由も保障されているようなイメージがありましたが、その広島でさえ、(広島だからこそ、なのかもしれません。被爆地として優等生的に振舞うことを強要されているのかも)言論の自由は脅かされていると感じました。

あっという間に18時になってしまい、広島駅へ向かうために女性研究所を後にし、東京へ戻りました。

ヒロシマ平和映画祭のスタッフの方々、映画を観ていただいた皆さま、幸運にもイベントでご一緒させていただいた出演者の皆さま、本当にどうもありがとうございました!!

プレイベントで映画をご覧になった方から感想をいただきましたので、掲載します。
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この映画を一言で言うなら愛が感じられる映画でした。今まで観たドキュメンタリー映画は眠くなったりする場面があったりしたのですがこの映画はオールナイトの三本目にもかかわらず絶対最後まで観るぞという気にさせてくれました。映像、音楽も綺麗で、だからといって綺麗ごとだけではなくてすごく訴えるものがあり、自分自身出来ることをしようと希望と勇気を与えてくれました。ブライアンの世界を思う行動は優しく、強く心に響きました。一人でも多くの方がこの映画に出会っていただきたいです。
(増永 香さん)
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