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踏み込むカメラ!(上映会報告2009/08/28 - 30)

ちょっと日にちがたってしまいましたが、先月末はシューレ大学国際映像祭に行ってきました! シューレ大学は1999年に設立されたちょっとユニークな大学。というのも、設立母体が東京シューレというフリースクール(オルタナディブスクールなど、様々な言い方があります)なのです。学校に行かない・行けないという、いわゆる不登校の人から、もっと自由なスタイルで勉強したいという人まで、いろんな人が集まります。シューレ大学によれば、「知る・表現すると言うことを自分のスタイルで進め、自分とは何者かを問い、生き方を模索し創り出す場」をめざしているのだそうです。

シューレ大学ウェブサイト
http://shureuniv.org/top/

その大学が主催した、シューレ大学国際映像祭は「生きたいように生きる」というテーマで、国内外のフリースクールの生徒さんの作品、テーマに沿った公募作品などを3日間上映しました。

私の学生時代にも学校に来なくなる人はいましたが、私はフリースクールには今回初めて行きました。初日はシューレ大学の作品「孤独の閃光スペクトル」を観ました。主人公はシューレ大学の学生でもある山本菜々子さん。不登校を経験し、強い孤独感、自己否定感を持つ彼女。彼女の生きづらさはどこから来るのか? というテーマに挑んだドキュメンタリーです。

私は観て、とにかくびっくりしました。カメラの前でさらけ出される自己憎悪。慕っている男性から「あなたの全てが好き」と何度も言われても、受け入れられない彼女。自分は結局利用されているだけ、不潔な存在・・・繰り返される自己否定の言葉と絶叫の数々・・・。

誰にでも孤独感や自己否定の感情はあると思いますが(なければないで、それも問題でしょう!)、忙しい日々の生活に埋没されて、(こんなもんだ)と自分なりに解決をして(蓋をして?)私などは生きているように思います。でも彼女の場合、そしてこれを一緒に作り上げているフリースクールの生徒さんたちは、真剣に自分の孤独、存在について掘り下げ、表現をしているわけです。それ自体が苦しい作業に見える・・・。かなり骨太なドキュメンタリーでした。

他には、公募作品の「わけられて」(かしょう監督。性同一性障害に向き合ったセルフドキュメンタリー)を観ました。

初日の上映の後は、フリースクールの生徒さん、スタッフの方々とお話が出来ました。韓国のフリースクールの人も来ていました。日本、韓国、台湾などは学歴社会で、その反動から不登校になる人が多く生まれるそうです。例えば、韓国では人生で一番大切とされる大学入試の日に遅刻しそうになると、警察官がパトカーに載せて受験会場まで送ってくれるという話は有名です。また、台湾では、激しい受験勉強の反動から、受験が終わった日には教科書を燃やす人もいるそうです。合否発表の日には自殺者も出るとか。

激しい受験戦争→不登校という背景から、これらの国々ではフリースクールが多く存在するそうです。しかし、フリースクールのあり方も国によってずいぶん違うそうで、生徒の自主性を重んじたカリキュラムで進める学校もあれば(日本はこのタイプが多い)、逆に韓国などではものすごく勉強に力を入れるところもあるそうです。

また、「不登校」という概念自体がない国もあるのだとか。カナダでは、「フリースクール」というと、「ホーム・エデュケーション」(家庭での教育)と捉えられるそうです。そもそも「学校に合わせる」という固定観念がなく、学校が合わないのなら学校を変えればよい、家で勉強すればよい、学校に合わせて無理に自分を変える必要はないという考え方が浸透しているそうです。

そのような違いはありますが、フリースクールでは表現活動に重きを置いているところが多いというところでは一致しているようです。スタッフの朝倉さんは「言葉、写真、映像、演劇、音楽などの表現活動を通して、自分の生きづらさがどこから来るのかを探る。それは辛い作業ではあるけれども、大きな魚の骨がのどに突き刺さっているのを抜き取る。のどに手を突っ込んで抜き取らなければならないものもあるだろう。それは見苦しい作業かもしれない。でも、そうしないと状況は変わらない」と言っていました。

映像祭2日目は16時から自分の映画の上映をやりました。上映の前にスタッフの朝倉さんと長井さんと打ち合わせをしました。「なぜ映画を作ろうと思ったか?」、「なぜビデオカメラを持っていたのか?」、「難しいと思った点は?」などの質問をされると言うことでした。

上映後のトークでは、上記に加え「ブライアンは幸せだろうか? 身を削ってやっている感じだ」、「戦争賛成派の主張は”防衛としての戦争”なのか?」といった質問をいただきました。

トークの様子。スタッフの長井さんがお相手をしてくれました。
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上映の後は少し休憩時間があったので、会場内にあるカフェブースで豆乳キャラメルドリンクとバナナケーキを食べました。その時にフリースクールの学生さんと世間話になりました。

私が大学を卒業した年は「就職活動、超・氷河期」といわれる時代でした。現在も不況ですが、企業は新規採用をわずかながらしています。それは私たちの時代に、不況であまりにも新卒採用をしなかったため、社内の年齢構成バランスがおかしくなってしまった反省から、不景気でも少しは採用するのです。でも私のときは、新卒採用ゼロ企業が沢山ありました。

その話を私がしたら、その二十歳前後の男性は「自分は生まれた年がちょうどバブルがはじけた年だったんですよ」と言いました。生まれた年がバブル崩壊・・・。「これまで生きてきて”これから良くなる”って上向きの体験をしたことないんですよね」とも言っていました。

うーーーん。私の就職活動時期は確かに大変でしたが、私が小さな頃はそれでもまだ経済は良かったし、将来の不安や暗い結末などあまり考えずに過ごしていたように思います。でも一方でこの男性は、生まれた年にバブルがはじけ、その後経済はほとんど良くならずに、社会保障なども切り下げられる一方の中で成長してきたわけです。人にはそれぞれ生まれ持った個性の違いはありますが、この圧倒的な時代の背景が人格形成に及ぼす影響は大きいでしょう。

彼は「生まれてからずっと世の中は暗いんです」とも言っていましたが、色々話をしていて、「でも今はあまりにも経済や世の中が悪くなりすぎて、行き詰っている。これまでは”良い大学→正社員として就職”が王道とされてきたけど、その構図は幻想になった。価値観の転換を迫られて、逆に何でも出来る世の中になってきているのではないか?」という意見も出ました。そういう発想の転換で世の中を渡り合っていけたらいいなと思いました!

同じくカフェブースでは、前日に観たシューレ大学の作品の主人公、山本菜々子さんのお母さんに会いました。映画の中で、私が印象に残っているシーンのひとつがお母さんなのです。菜々子さんの子どもの頃を話す場面で、お母さんは「女の子がいじめられていると、普通は先生に言うでしょう? でも菜々子はいじめた男の子本人に直接言うの。正義感の強い子だったんでしょうね。人といつも全力で向き合って、いい加減に出来ないから疲れちゃうんでしょうね?」といっていました。

自分の子どもを正義感が強いと、人前で、カメラの前できちんと言える親は少ないのではないでしょうか? 少なくとも我が家は”謙遜派”です。それに私は感動したので、菜々子さんのお母さんにも伝えたのでした。

するとお母さんは「共感できるものは共感するし、出来ないものはできないと言う」といっていました。「子どもと親ではなく、人と人として向き合っている」とも。「所詮”親”の幻想を求められても無理なんだし」とも言っていました。

私は反抗的な子供でしたが、特に「アンタは子どもだから」「親だから」という言葉に強く反抗していました。それを象徴するエピソードが「コカ・コーラ事件」です。(今では笑い話ですが!)

私は小さな頃から親に「コーラを飲んだら骨が溶けるから飲んじゃダメ!」と強く言われ、それを信じて育ってきました。しかしある日、台所でコーラを飲んでいる母親を発見したのです。(うそつかれた!)という気持ちはなく、「お母さん、コーラ飲んだら死んじゃうよぉ!」と必死で止めようとした私に「お母さんは大人だから良いの」の一言で片付けられてしまったのです。(何でオトナはいいんだ!?)・・・子どもながらに納得がいきませんでした。

スタッフの長井さんともお話をしました。シューレ大学の作品には、沢山の生徒さんが関わっていて、映画の中には製作過程についての様子も描かれています。「このときはどうしてこう思ったの?」、「このセリフ、自分はちょっと言いたくないな~」など、ざっくばらんな意見が交わされます。映画自体は菜々子さんの実体験に基づいているのですが、更にそれを深く掘り下げているのです。やり取りを観ていて面白そうだなとも思いましたし、正直(大変そう・・・)とも思いました。

製作に関わった長井さんは、集団でのモノづくりプロセスについて「議論が出来ているならまだいい。でも感情的な部分で意見の言い合いになると難しい。」と言っていました。例えば、誰かが何かについて意見を言います。それについて、そのコメントの良し悪しを客観的に判断出来るなら良いですが、それとは別の感情(アイデアが採用されないのは、自分が認められていないからだ)とか感じてしまったりすると、意固地になって譲らなくなったりしてしまい、何時間も前に進まないことがあるといいます。(でも、私もそれ分かるな~。批判はありがたく受けるべきとは思いつつも、そのときはカチンとなってしまったりすることもあるし。でも翌日に一人で言われたことを思い出してみて、”その方が良いじゃん!”と思ったり)・・・など、自分に重ね合わせて思いました。

では、そのような感情的な意地の張り合いとなってしまった場合はどうすればよいのでしょうか? 長井さんは、そのひとつの解決策として、”原点に戻ること”と言っていました。モノづくりをはじめるときは、まずどんなコンセプトでやるのかを皆できっちりと決めておきます。意見が分かれた場合、誰さんの意見という見方からではなく、コンセプトという原点に立ち戻ってこの意見は有効か否かで判断する、というものです。その方が冷静に判断が出来るし、これだと言われた方も”コンセプト”という大義名分があるので自己を否定されたと受け取ることもなく、結果的にもコンセプトにブレがなくて良いでしょう。

集団でモノづくりは面白そうだけれども、意思決定には人間関係の力のバランスや信頼関係も絡んで来るのですね・・・。私は今回の作品をほぼ一人で作って、内容の検討を他の人と練りながらやるということをしなかったので、次回は共同作業で作ってみたいと思っているのです。それが大変でも、そのプロセスを経験することも自分の勉強と思って。なので、長井さんのお話を興味深く聞きました。

その後は、公募作品の「国労バッジははずせない! 辻井義春の闘い」(湯本雅典監督)、韓国のフリースクール出身の映画監督、イ・ハクミンさんの作品「誰かの自転車」、大阪芸術大学で映像制作を学んだ石田未来監督の「愛と、生きる」をみました。

イ・ハクミン監督(右)と通訳の方(左)
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石田未来監督
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司会の山本菜々子さん
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さて、映画祭の最終日は日本を代表するドキュメンタリー作家・原一男監督のデビュー作、「さようならCP」の上映、原一男監督の講演、そして各上映作品について監督からの講評(!!)がありました。

監督の講演は、「さようならCP」制作の裏話で、カメラマンを志した初期の頃、ドキュメンタリー制作に至った背景、サディスティックなつくりと批判されることについての反論などが語られました。

原一男監督
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私は初めてこの映画を観ました。映画のあらすじを映像祭のパンフレットから抜粋すると「CP ("Cerebral Palsy=脳性麻痺)者の先駆的な団体「青い芝の会」。障害者だからといって、社会の片隅でひっそりと暮らすことを拒否し、あえて街頭に繰り出す彼らは、不自由な身体を人々にさらすことで障害者=健全者という関係の問い直しを迫る。青い芝の会の生活と思想を正面から捉えた原一男の初監督作品」。

講演は(ビデオを撮っておけばよかった!)と後悔するほど、とても素晴らしいものでした。監督の作品作りに対するこだわり・意気込みと言うより、監督の社会(の固定観念)への挑戦、破壊行為と言った方が良いかもしれません。被写体の人もすごいですが、それを作る監督自体がすごい。要約して言葉にしてしまうと陳腐なのですが、あえて要約すると「これまでにも障害を扱ったテーマの映画は沢山作られてきた。が、どれも”障害者も私たちと同じ人間なのですよ”という欺瞞的なものばかり。その欺瞞をぶち壊し、社会に揺らぎを与えるようなものを作りたかった」とのことです。

時代的に全共闘時代の思想を強く受けていると自認する監督は「社会への戦い方として、10人がそれぞれ1歩づつ、よりも一人のヒーロー的な人が10歩進む方がいい」と言っていました。強烈な個性を持った人、国とケンカできるぐらい強烈な人物(その典型例は「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三さんでしょうか)を撮りたい。ケンカを通じて人は強くなるのだが、現在は社会のケンカの構造が見えにくくなっている。どこにけんかを売ってよいのか分からない。よって被写体となりうるような強烈な個性を持った人がいなくなった、と言っていました。監督自身も次作を作りたくてたまらないそうです。でも、被写体がいないとのこと・・・。

また、少年犯罪をテーマにしたフィクションも作りたいそうですが、フィクションは制作にお金がかかるし、原監督が作ると言うと(とんでもないものが出来る!)と思われて、お金を出してくれる人を見つけるのが大変とも言っていました。すごい監督ですが、すごいがゆえに苦労されているのですね・・・!

さて、講演が終わり、いよいよ各上映作品への公表の時間になりました。原監督に「ブライアンと仲間たち」はどう評されたのでしょうか???

ビデオに収録しましたので、後日その一部始終をアップしたいと思います。私の言葉で伝えるよりも、そのままの方が良いと思うので。(問題は私のPC環境がデジカメレベルの動画しか取り込める容量がないということです。環境が出来たらアップしますので、しばしお待ちを・・・。映像製作者としてこんな環境じゃまずいですね・・・!)

でも、講評について一言で言うなら、「対象にもっとカメラで踏み込め!」ということでした。踏み込むということは、被写体(社会でもあり、自分自身でもある)と向き合う精神的な強さと、それを支える技術力が必要です。”踏み込む”は私の大きな大きな課題。。。

講評の後は、パーティーがありました。シューレ大学の学生さん手作りの料理、韓国の人からのマッコリの差し入れなどで乾杯をしました。

手作りの料理が沢山並んでます
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パーティーの様子
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スタッフ朝倉さんの挨拶。映像祭を10年続けたいとのこと。来年も楽しみです!
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いろんな人と話せてかなり盛り上がったのですが、この日私は宮下公園での上映があり、1時間程度でおいとまして、台風の土砂降りの中渋谷へ向かいました。市民がつどい、野宿者の生活の場でもあった宮下公園が、8月31日をもって閉鎖され、野宿者は排除され、ナイキのテーマパークに変わるということに抵抗するイベント(宮下公園サマーフェスティバル)です。

詳細は以下をご覧ください。
みんなの宮下公園をナイキ公園化計画から守る会ウェブサイト
http://minnanokouenn.blogspot.com/

私が到着したときには既に映画が終わっていたので、私は上映後の挨拶だけしました。渋谷駅から走ってきて、息も絶え絶え、暴風雨で洋服も乱れまくりですごい形相だったに違いありませんが、私として宮下公園のナイキテーマパーク化、野宿生活者の排除について言いたいことを言わせてもらいました。フェスティバルには、京都大学の非正規職員雇い止めに反対して座り込み+カフェをしている小川さんも来ていました! 日中は仰天パフォーマンスをしたとのこと。観たかったです!!

台風とともに8月が終わりました・・・。

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