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2009年9月

ログハウス滞在(上映会報告2009/09/14-16)

到着した来迎寺の駅は、半無人駅でした。日中は駅員がいて、夜になると無人駅になるようです。改札には、郵便受けのようなポストがあり、乗客はそこに切符を入れるという仕組みです。

来迎寺改札
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性善説に基づいたポスト。乗客は切符をここに入れます。東京だったら、ほとんど回収されないのではないでしょうか・・・?
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さて、駅の改札を出て、これから6日間お世話になる、加藤ゲストハウスへ向かいます。広島の上映会で出会った方にいただいた「新・ニッポン放浪宿ガイド」という本で知ったこのゲストハウス、長岡駅から3駅の来迎寺にあり、駅からは歩いて5分。そして何よりも1泊1,500円という安さが魅力です! 今回富山、長岡、北海道と上映会があり、これらの地域は地図上で繋がっていなくもないのですが、東京にいったん戻ることなく上映会場を放浪することを可能にしてくれたのは、このゲストハウスのおかげと言っても過言ではありません。(実際には、長岡アジア映画祭の会場である長岡駅から3駅と言っても、電車自体が1~2時間に1本しかなく、交通の便はそんなによくなかったということを後で知ったのでありますが・・・)

駅からの行きかたについてウェブサイトで検索済みでしたが、それでも道に迷いました。段々日も暮れて辺りは暗くなり、狸でも出てきそうな勢いです。近くの民家のチャイムを鳴らし、加藤ゲストハウスがどこか聞きました。「山の上。大きな家だよ」と言われ、坂道をどんどん上がります。電気もなく、うっそうとした茂みのような道でしたが、”山の上”という言葉どおりにどんどん登っていきました。頂上近くで、イヌの散歩をしていた女性が「今日泊まる人? こっちじゃないよ!」と言ってくれて、どうやらだいぶ上に上がってきてしまったことを知りました。ちょうど宿のおかみさんが散歩をしていたのでラッキーでしたが、もしあえなかったら私は一山越えて歩き続けていたことでしょう!

加藤ゲストハウス外観(看板もないので、まさかこれがゲストハウスとは思わず通り過ぎていたのでした!)翌朝撮影。
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築50年の民家だそうです。おかみさんによると100年は持つと言われているほど丈夫な造りの家で、中越大地震の際も、被害は少なくて済んだとか(お風呂の扉がきちんと閉まらないのは地震によるものだそうです)。

ここのゲストハウスのご主人は、一人で、奥さんと、幼い子ども二人を連れて、これまでに3度も世界旅行をしていて、モスクワ、スペイン、イラン、アフガニスタン、トルコなど各地の安宿を泊まり歩いたそうです。日本には安い宿がない!ということで、1泊1500円のゲストハウスを数年前からはじめたのだとか。

母屋正面
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私が泊まることになったのは、母屋から10歩ほど離れたログハウス!!!
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定員4名のログハウスは広々として中も綺麗!
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ただし水道やトイレ、鏡などはなく、それらは母屋のを使うことになっています。はしごを上って上のロフトで寝ているのに急にトイレに行きたくなっても、はしごを伝って下まで降りて、靴を履いて外に出て母屋に向かう・・・これは最初とても不便に思いました。でも、何があっても最後は「1,500円なんだから!」と思えるので、やっぱりお金の力はすごい。

素泊まりで自炊不可なのが長期滞在者にとっては厳しいかもしれませんが、私の場合は外食が多かったので、特に問題はありませんでした。(ちなみに自炊はダメだけど、なぜかバーベキューはOKとなっています。でも朝から火をおこして飯盒炊さんするのもねえ・・・。)

長旅で疲れたので、その日は早めに寝ました。

翌朝、8時ごろに起きて洗濯をしました。ここは洗濯機が自由に使えるので助かりました。ログハウス内に選択を干し、メールのチェックをします。

エキゾチックなPCスペース
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家の中ではお香が炊かれています。
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世界旅行で集めた布がいたるところに飾られています。
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リビングではコーヒー、紅茶は自由に飲めます。
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メールチェックの後、今日から始まる長岡アジア映画祭へ向かいました。

長岡駅に到着し、お昼ご飯を食べます。喫茶店のカレーです。(そういえば富山でも喫茶店のカレー・・・)と思い出したときにはとき既に遅し、で、注文したカレーが運ばれてきました。

1日限定20食のカレー
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正午までには映画祭の会場へ向かうことになっていました。というのも、長岡アジア映画祭のスタッフ、菅野さんから電話で「当日のチケットもぎりを手伝ってもらえますか?」と言われたからです!

映画祭の会場は、長岡駅からバスで10分ほど乗った、リリックホールという会場でした。
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会場に入り、映画祭の実行委員である菅野さんと関矢さんにご挨拶をしました。よく見ると、チケット販売のテーブルでは、映画監督の小林茂さんもお手伝いされています!! (これまでいくつかの映画祭に行った私ですが、こんな光景・経験は初めてでかなり面白かったです。私はお客さん扱いされるよりもスタッフの方たちや地元の方々と沢山交流したいというほうなので、お手伝いを通じてこの後スタッフの人たちにずいぶん話しかけてもらえました)

当日のスタッフ表(もぎりのところに「早川」と書いてあります!)
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映画祭が始まり、実行委員長の菅野さんによる挨拶がありました。
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オープニングはロマンダムールさんのピアノ演奏がありました。
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オープニングの後はそのまま是枝裕和監督の「大丈夫であるように」を観ました。Coccoについては、名前と歌ぐらいは知っていましたが、沖縄で生まれ、自身も苦しみながら、日本中を祈るかのようにライブして回っているのだということは知りませんでした。

上映の後は、映画祭スタッフの関矢さんと大学生の上條さんとともにご飯を食べに行きました。「新潟に来るのは初めてですか?」と聞かれ、フジロックでしか来たことのない私は(フジロックを”新潟に来た”とカウントしてよいのだろうか?)と悩みつつ返答。「フジロックで何度か・・・」と申し訳なさそうに言うと、関矢さんは大のフェス好きであることが判明! 

どうりで、着ているTシャツがThe Whoのものだったことに納得。思わず、フジロックや、グラストンベリー・フェスティバル(フジロックの原型とも言われているイギリスのフェスで、私も行きました)の話で盛り上がりました。フェスでの経験(アウトドア、キャンプ、天気・気温の変化への対応、長時間モチベーションを高く維持する)などは、ドキュメンタリー制作をする上で、とても使えるテクニックばかりでした。フェスの経験があったからこそ、ドキュメンタリーが作れたと言っても良いでしょう!(←私限定ですが・・・)

上條さんは学部で勉強されているということでした。将来は産婦人科に興味があるそうで、イギリスのお産について聞かれました。私はイギリスに留学していたときのアルバイトで、ロンドンで助産婦になるために留学している日本人を雑誌で取材したことがあり、実際に産婦人科病棟にも行った経験があります。

上條さんによると「欧米では無痛分娩を望む妊婦が多い。それは親と子は別人格と考えられているから。子どものための痛みを親がなぜ味あわなければならないのかと考える。日本では親と子は情で繋がっている」と言っていました。私はイギリスで無痛分娩がどの程度ポピュラーなのか分かりませんが、ホームステイ先のお父さんがよく「末期がんの親の最期にホスピスにいれてあげた。最高の死に方だったよ」と自慢していたのを思い出しました。日本ならば、「最期は自宅で家族に看取られたい」と望む人も多いですが、イギリスでは快適なホスピスに入れてあげるのが親孝行だと思われているようでした。

上條さんと
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初日の最終回はマサラ・ムービーで3時間近くあったため、観ないでゲストハウスに戻ることにしました。関矢さんに車で長岡駅まで送っていただきました。関矢さんは私と年が近いのですが、長岡アジア映画祭には高校生の頃から関わっているそうです。映画祭は今年が14年目。「長岡に市民映画館を作ろう!」ということで、今から約20年ほど前にメンバーが集まり、最初の頃は映画館の立ち上げのために活動していたそうですが、やがて映画祭を開催するようになり、今では主に映画祭を開催することが活動のメインになっているそうです。

映画祭の運営は「市民映画館を作る会」という名称なので、私はこれまで(なぜこの会が映画祭を主催しているのだろう?)と不思議に思っていました。やっと謎が解けました^^

約20年の活動の歴史の中で、毎年映画祭を開催していることにも頭が下がりますが、私が注目したのは「これまでに3組のカップルが生まれた」ということです! 確かに妙齢の男女が集まって、活動していたら何か生まれてもちっとも不思議ではありません。もともと、学校や会社以外の活動に加わってみようという心意気のある人、ということで価値観が合うこともあるだろうし、映画好き(しかもかなりマニアックなレベルで)ということでも意気投合するかもしれません。20年で3組が多いか少ないかは判断のしようがありませんが、私としてはすごくいい!と思います。関矢さんは「婚活したい方は是非♪」と言っていましたが、後日他のスタッフからは「自分には全く・・・」という意見もありましたので、あまり期待しすぎないほうがよろしいかと・・・(汗)。

関矢さんに駅まで送ってもらい、来迎寺行きの電車に乗りました。ゲストハウスに戻ると、母屋で大学生の男の子に会いました。昨日の夜遅くにここに到着したそうです。私同様道に迷って、電話をして迎えに来てもらったのだとか。ここ長岡へは数日間滞在するそうで、スポーツ・チャンバラの修行で来たと言っていました。チャンバラをスポーツとしてやる競技だそうで、地元で通っている道場の先生の知り合いが長岡で教室を開いていると聞いて、武者修行にやってきたとのこと。

その彼はタイに良く行くそうで、ちょうどこの前行ったときは空港がデモ隊によって封鎖されていたときだったと言っていました。日本でも連日ニュースで報道されていたあれです! ニュースでは、一食触発の状態であるかのように報道されていましたが、実際その場にいた彼によると、皆お祭りのように楽しんでいた、と言うではありませんか! 実際の現場では、デモ隊だけではなく、デモ隊が多く押し寄せているのをビジネスチャンスと捉えて、屋台やマッサージ屋などもあちこちに展開されていたそうです。ニュースではステレオタイプなデモの場面しか報道されませんが、やはり現場に行かなければ分からない雰囲気というものがある。そんなことを考えながら一日を終えました。

翌16日は朝9時過ぎに長岡駅で菅野さんと待ち合わせをしました。長岡を案内してくださるということでした。早速駅前からスタートします。

長岡駅前には、長岡花火大会で使われた打ち上げ筒があります。
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長岡にこれまで行ったことがなかった私ですら知っている「長岡花火大会」。とにかく打ち上げ数が多く内容も豪華なことで有名です。この花火大会が、太平洋戦争で長岡が空襲に遭い、命を失った人々への慰霊として行われているということを、私は初めて知りました。花火大会といえば、8月第一週の土日、などというように決められているところも多いですが、長岡の場合は毎年空襲のあった8月1日、2日となっているそうです。

この後は市民センターへ行き、国際交流センターの方とお話したり、男女共同参画センターの方にご挨拶をしました。

そして「市民映画館を作る会」の事務所へ!
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階段を上がって事務所の中へ案内していただきました。かなり広いスペースですが、つくる会の20年の歴史を物語るかのように、とにかく色んな資料やポスターなどが山積みになっています!
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映画のポスター類が入っているファイルDsc05004

壁には映画監督や俳優さんたちのサイン色紙が掲げられてあり、散らかってはいますが(←失礼!)とても価値あるスペースなのではないかと思いました。

もとは市民映画館を作ろう!という思いで発足したつくる会。映画館を含むまちづくりの構想というのは、時の市長によって左右される部分がかなりあるそうです。市長が節約派だったり、再開発に強気だったり・・・。計画が途中まで進んでいても、市長の交代によって白紙に戻されてしまうこともあるのです。

現在、長岡駅前は再開発が進んでいて、駅前に建設されるビルに市役所の機能を持たせ、市民ホールのような設備も入るそうです。では、将来の映画祭開催はここで?と聞いてみましたが、この土地は城の跡地で、現在は遺跡などの発掘調査中であり、まだ建設作業には入っていないので、完成はまだ先の話だそうです。

そんな駅前の再開発地域ですが、それに反発するかのように昔の佇まいを守りながら営業されている居酒屋があると教えてもらいました。

その名も「酒小屋」。
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ここのメニューは「モツ煮込み」だけで、それが終了したらお店も閉まるそうで、なんと夕方4時ごろにオープンして6時には閉まってしまうのだそうです! これは行かなくては!!

この後は長岡戦災資料館へ行きました。長岡の空襲について、新潟が原爆投下の候補地だったこと、それで長岡に模擬原子爆弾が投下され4人が亡くなったことなどを知りました。

空襲で被害に遭った地域
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空襲後の長岡市内の様子を伝える写真
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模擬原子爆弾について
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戦災資料館は3階にもあり、エレベーターで行って見ました。ドアを開けると一面に遺影・・・。入るのに思わず足がすくんでしまいました。
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部屋にはボランティアガイドの山谷さんがいて、空襲の体験を語ってくれました。山谷さんは当時中学1年生だったそうで、当時のことははっきり覚えているそうです。空襲から逃れ、河の近くに避難して一命を取り留めたのだとか。

この部屋に飾られている写真は空襲で亡くなられた1400名あまりのうちの200名強。写真を入手することができた人の分です。当時、写真を撮る機会といえば冠婚葬祭、入学・卒業式くらいだったので、それらの集合写真からなくなった方の部分を切り抜いて拡大して展示しているのだそうです。

展示してある写真は、家族ごとにまとめられています。繋がって飾られているのが一家族。中には7人、9人と、大勢の家族を一気に失ってしまった家庭もあります。
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戦災資料館の後は、映画祭もお世話になっているという老舗の喫茶店「いそしぎ」へ連れて行っていただきました。

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この「いそしぎ」という名前の由来は、オーナーである川上洸さんが、エリザベス・テーラーと同じ生年月日(!)なので、彼女が主演した映画のタイトルにちなんで付けられたと言うことです。

川上洸さん
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女学生だった頃は映画の全盛期で、学校が始まる前にモーニングショーで映画を観てから学校に向かった、などのお話を伺いました。今では「モーニングショー」と言っても、朝10時ごろから始まりますが、当時はずいぶん朝早くからやっていたのですね! 

お店の店内は、まるで映画の舞台にでも使われそうなステキな内装。銀座の不二家を手がけた川上さんの友人のデザイナーの方がデザインしてくれたそうです。
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長岡に行ったらまた是非立ち寄りたいお店と思っていましたが、残念ながら9月末で閉店してしまったそうです。その前に駆け込みででも立ち寄ることが出来たのはうれしいような悲しいような・・・複雑な思いです。

いそしぎを出て、映画祭の会場へ向かいました。お昼から35mmの映写機を設置するので、それを手伝ってほしいと言うことでした。映写機の設置なんて、手伝うも何も見た事さえない私は、好奇心から「手伝いたい」と言いました。映画祭では、35mm用の映写機をレンタルして上映していると言うことです。スタッフの関矢さんは、映画祭に関わるうちに映写機の操作を覚えてしまったとのこと!

映写用の機材一式を映写室に運びます。機材はどれも重いものばかりで、結局私は好奇心の赴くまま写真を撮ったりビデオを撮ったり・・・。

映写室
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映写用の機材を運び入れます。とにかく単身者の引越しかと思うぐらい、荷物が多い!
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この中にフィルムが!
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スタッフの関矢さんとダイスケさんで映写機を設置します。
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映写室から見た会場の様子
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映写機の角度などを調節するためにトンカチなども使います。設置作業ってかなり大変!!
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設置完了!!
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映写機の設置の後は、つくる会が発行しているフリーペーパー「すくらんぶる」編集長のあさこさんにお会いしました。今日の午後、長岡を車で案内してくれるとのことです!

すくらんぶる、私も読ませていただきましたが、映画についての記事だけでなく、長岡市内のユニークなお店の紹介や映画配給会社のおシゴトぶりが伝わるレポート、編集長asacoさんの世界旅行記などもあり、読み応えのあるフリーペーパーです。長岡市内で配布されているとのことです。

「何が食べたいですか?」と聞かれた私は、以前関矢さんに教えていただいた新潟のB級グルメ「イタリアン」を食べたいと答えました。このイタリアン、焼きそばにミートソースをかけたものなのだそうです!

イタリアンはレストランで食すようなものではなく、スーパーのテイクアウトが基本なのだそうで、まずはスーパーに向かいました。

これがイタリアン!
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焼きそばとミートソースという組み合わせは意外に美味でした^^

映画祭の会場から車でずいぶん走りました。山をどんどん登っていきます。頂上らしきところに着くと、そこは「杜々の森名水公園」という場所で、日本名水百選に選ばれた湧き水もあるとのことです!

杜々の森名水公園
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これが湧き水です!!
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湧き水のそばにおいてある柄杓で飲んでみましたが、めちゃめちゃ美味しかったです。早速ペットボトルにいれて持ち帰りましたが、そちらはもとがリンゴジュースが入っていたボトルだったので微妙なリンゴ味になってしまいました(涙)。

ドライブの途中は、編集長あさこさんがピースボートで世界一周の旅をしたときのお話などを聞きました。

映画祭会場へ戻る途中、道の駅に立ち寄り、長岡名物の「あぶらげ」をいただきました。分厚い油揚げを食べやすい大きさに切って、鰹節やネギを添え、しょうゆをかけていただきます。日常的に食べられているそうです。

道の駅
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あぶらげ
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夕方に映画祭会場に戻りました。

あさこさんと記念撮影。案内していただいて、ありがとうございました!!
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この後は「シリアの花嫁」を観て帰りました。

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旅の始まり(上映会報告2009/9/13-14)

9月13日の朝、富山での上映会のため6時半過ぎに家を出ました。まず東京駅へ向かい、上越新幹線で越後湯沢へ。そこから特急はくたかの金沢行きに乗って、11時半ごろに富山へ着きました。富山に行くのは小学生の家族旅行以来・・・実に20年以上ぶりというのは驚きです。

富山駅
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上映会は13時半からでしたので、駅前の喫茶店で昼食を取りました。
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上映会場は「フォルツァ総曲輪」。はじめにこの会場名を知らされたときは、読み方さえわかりませんでしたが、後に「そうがわ」と読むことが判明。ネット上で調べた地図を片手に会場へ向かいます。駅から15分ほど歩くと商店街があり、会場はその商店街の中にありました。

商店街
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フォルツァ総曲輪入り口
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映画館が閉館になってしまい、今富山市内の映画館はここだけなのだそうです。フォルツァ総曲輪は、映画館とライブホールが併設され、第三セクター「まちづくりとやま」によって運営されています。

会場へ入り、今回の上映会を企画してくださったシネ・ラ・セット21の大島さんにご挨拶をしました。シネ・ラ・セット21は、主に4人のメンバーが中心となってドキュメンタリー映画などの上映会を富山で開催しています。今回の上映会は、09年イラク戦争を考えるシリーズの3作目・最終章として上映していただいたのでした。(ちなみに他の2作品は「アメリカばんざい」と「冬の兵士」で、冬の兵士の監督である田保寿一さんは富山出身なのだそうです)。

シネ・ラ・セット21について
http://www.colare.jp/rareko/active/tsushin/cinela01/cinela.html

上映会のチラシより今回の上映意図について抜粋します。

戦争と革命の世紀といわれた20世紀が終わったとき、誰もが次に来る21世紀は希望に満ちた、公正で平和な世紀になってほしいと願ったはずでした。ところが、21世紀が始まったばかりの2001年9月11日の事件以降、再び世界で血に染まった戦争が、あたかもしなければならないかのように始まりました。アフガニスタン報復戦争(2001年)、イラク戦争(2003年~)。いずれの戦争も避けることが出来た戦争でした。20世紀において人類が自ら繰り返してきた戦争への反省を元にして作った国際法をいとも簡単に踏みにじる形で、圧倒的に軍事力を持っている国がそうでない国を単に懲らしめるだけと思われても仕方のないような、まさに非対称の戦争が行われ、何の罪もない、名もなき何百万もの人々の命が失われました。

映画が伝えるのは、まさに21世紀という新たな戦争の時代の幕開けとほぼ同時に戦争反対の声を上げ、その声を絶やすことなく出し続けているイギリス市民の姿です。身銭を切りつつも悲壮感もなく自らのスタイルで、国会前でアピールし続けるごく普通の市民。その姿に、私たちが願っていた21世紀のもうひとつの未来を感じました。

戦争と平和、そして私たち市民。監督のお話を含めて、じっくりと考えあう場をもつことが出来ればと思っています。

大島さんとこれまでにメールで上映会のやり取りをしているときに、これまでの上映会での配布資料などをいくつか送ってくれたことがありました。大島さんの情報収集は、新聞、雑誌など多岐に渡り、それらをきちんとスキャンして保存・整理されています。

今回の上映会でも、立派な配布資料が作られていました。日本の表現の自由を脅かす象徴的な事件(ビラ撒きの取り締まり、路上・公共空間での表現の自由)、イギリスの反戦活動について書かれたもの、私のインタビュー記事などで構成されていました。私の映画は、ピンポイントで、イギリスの、更に言えばブライアンの抗議活動を取り上げただけのものですが、時代、国といったように俯瞰的に資料を構成すると、どういう時代を生きているのか、時代はどのような方向に向かっていくのか、というものがうっすら見えてくるようです。

大島さんの資料の一部
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会場の受付
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エレベーターの脇に貼られたポスター
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会場の様子
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上映会前の大島さんの挨拶
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上映の後は、50分程度が私の講演で、そのあと20~30分ぐらいが質疑応答となっていました。会場からの質問では、「日本人が他人の目を気にしてしまうのはなぜか? 元々持っている国民気質なのか?」、「オックスフォードユニオンは大学の敷地内にあるのか? ディベートにはどんな人が参加しているのか?」、「ブライアンたちが路上にテントを張れているのはなぜか? 道交法違反にはならないのか?」、「日本のマスコミの現状をどう思うか?」という質問をいただきました。

講演の様子(大島さん撮影)

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その他に「アメリカの医療制度を批判したドキュメンタリー”シッコ”(マイケル・ムーア監督)の中では、イギリスの皆保険制度NHSは素晴らしいものとして描かれている。でも、この映画の中では、精神病患者が路上に放り出されて何のケアもされないと言っている。なぜか?」という質問をいただきました。

確かにイギリスでは、医療費はタダです。シッコでは、いかにアメリカの医療制度を批判するかという目的で作られているため、イギリスのNHSは素晴らしいかのように描かれています。でも、NHSにも問題があり、例えば風邪を引いて診療の予約をしようとすると大抵2~3週間またされます。そんなに待っていたら大抵の風邪は治ってしまうでしょう! なので、収入のある人はNHSではなくプライベートの病院に行く人が多いです。NHSで働く医師のなり手不足、長時間労働、低賃金の問題もあります。以前イギリスの新聞では、ポーランドの医師が出稼ぎでイギリスのNHSで働いているという記事も読んだことがあります。

さらに大きい問題は、NHSの予算削減。サッチャー政権の時代に、NHS関連の予算が削られ、企業型の経営に方向転換するような政策が始まりました。例えば、精神病患者をずっと入院させておくのではなく、地域の中でケアをするという方向へ。しかし、実際には地域のコミュニティーでのケアのためにお金は使われず、患者は路上に放り出されたも同然でした。映画の中に出てくるキャロリンの夫も、入院していた病院から放り出され、数年間はホームレスとして路上生活をしていたそうです。(ちなみに私はキャロリンを取材していて、彼女の抗議活動の原点は”政府が夫を見捨てた”というところにあると思いました)。

今回の上映会について、映画をご覧になった方々の感想を大島さんがまとめてくれました。下記よりダウンロードしてPDFでご覧いただけます。
「Toyama_comments.pdf」をダウンロード

上映後は会場近くのとんかつ屋さんへシネ・ラ・セット21のメンバーの方々に連れて行っていただきました。

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とんかつの衣がサクサクです!!
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食べながら、「イギリスのデモはなぜ大規模なのか?」というお話になりました。私はその理由を「抗議活動をする土壌があるから」、「関心が高いから」というように理解していましたが、「多民族を巻き込んでやるから大規模になるのだ」という背景もあるということを聞きました。確かに、イギリスには植民地支配の歴史もあり、沢山の民族が暮らしています。昨年末~今年初めにかけてのイスラエルによるパレスチナ侵攻のときは、ロンドンで連日大規模なデモがあり、週末には10万人以上のデモがありました。私もそのデモに参加しましたが、参加者のほとんどは見るからにイスラム圏の風貌の人たちでした。彼らが大規模デモを呼びかけ、イングランド各地から長距離バスを手配してロンドンに集まったのです。

でも、このように多民族を巻き込んで大規模デモをやれるトピックというのは残念ながら限られていて、パレスチナ、イラク、チベット、ミャンマーなどは割りと多様な民族や白人系の運動家たちもデモに参加しています。しかし、先のスリ・ランカの内戦などでは、他民族の関心を集め大規模なデモを組織するのはとても困難なようでした。(ロンドンにも沢山のスリ・ランカ系移民の人々が暮らしていて、内戦を止めさせるようイギリス政府に訴えていました)

(南アフリカのネルソン・マンデラや、ミャンマーのアウンサン・スーチーなど、ヒーロー的に目立つ人がいると、”内政の問題だ”と言われてしまうようなものでも関心が集まりやすい傾向があるように思います・・・)

また「イギリスのメディアでタブーなものは?」という話題になりました。イギリスのタブー・・・。日本ではあれこれと思いつきますが、イギリスは・・・? 王室なんて、年中パロディーにされているし、いじられまくりです。キリスト教への批判も特にタブーではなさそうです(キリスト教信仰の厚いほかのヨーロッパ諸国ではタブーかもしれません)。イスラム教? (批判はみた記憶がありませんが、タブー視はされていないように思います)。もちろんイギリスのメディアでも、例えばイラク戦争他についてゆがんだ報道などはされていますが、”取り上げること自体がタブー”とまでされているトピックは思い浮かばない・・・。

この点についてイギリス人何人かに聞いたところ、「特にタブーはないと思う」ということでしたが、もっと調べたり、ジャーナリストを職業にしている人に聞いたら何か出てくるかもしれません。今後分かりましたらお知らせします。

また「最近はモザイクの人が多い」という話にもなりました。つまり、この問題に対してこのような意見の持ち主だったら、別の問題に対してはこういう意見の持ち主であろう、といったような推測が成り立たない人のこと。例えば「死刑制度」、「憲法九条」などで、こちらはイエスで、あちらはノーというように。なので、完璧に支持したい人、安心して信頼できる代表者がなかなかいないということでした。

シネ・ラ・セット21のメンバーの方とのお話は尽きることなく、面白かったです!! 

食事の後、シネ・ラ・セット21の方々とお別れし、ホテルに向かいました。チェックインをすると、ダブルルームが空いているので、そこに宿泊してくださいと言われました。
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慣れない早起きで富山に向かったので相当疲れたのか、翌朝はフロントからの電話で起こされました。朝食付きで宿泊したのですが、その朝食のラストオーダーの時間だと言います。慌てて顔も洗わずに1階のレストランへ向かいました。

10時にチェックアウトして富山駅に向かいます。

ホテル外観
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富山駅に向かう道すがら、「シネマ食堂街」という大きな看板を駅前に見つけました。(確か映画館はフォルツァ総曲輪しか残っていないと言っていたのに・・・)不思議に思って、覗いてみました。

シネマ食堂街の看板
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廃墟のような映画館がそこにありました。聞くと、ずいぶん前にこの「富山シネマ」は閉館してしまったそうです。
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「次週公開」の看板もそのまま残されています。
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映画館は取り壊されるでもなくそのままで、小料理屋がひっそりと営業しているようでした。
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シネマ食堂街を通り抜けると、富山駅は目の前にありました。

富山駅前周辺
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駅ビルの中のインターネットカフェでメールのチェックをしました。これから東京に戻るのではなく、新潟・長岡へ向かうのです。長岡アジア映画祭のため長岡で6泊し、そのあとは新潟から北海道「新得空想の森映画祭」へ行くという予定でした。東京へ戻るのは24日。これから始まる12日間の旅。インターネットが使えるかどうか、洗濯が出来るかどうか、などが宿選びの重要なポイントとなってきます。

長岡アジア映画祭は火曜日から始まるため、月曜日は長岡まで移動すればよいだけでした。時間はあるがお金はない、というバックパッカーのような心境で、各駅停車に乗って富山から長岡へ向かうことにしました。

まずJR北陸本線で富山から直江津へ約2時間。
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ボックスシートが懐かしい感じ
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2時間も乗ってたら飽きるだろうと思っていましたが、全然! 左手には日本海、右手には山という景色がずっと広がっていたのです。

日本海沿いを走る電車。日本海の海は灰色で荒くれていると思っていましたが(偏見^^;)、この日は天気もよく真っ青な海が広がっていました。
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右側の景色
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直江津の駅に到着しました。乗り換えの時間が1時間近くあったので、改札の外に出させてもらい、駅のそばで食事をしました。

直江津駅
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おそばを食べました(味は至って普通)
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路線地図がありました。海岸線をずっと走ってきたことがよく分かります。
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直江津から今度はJR信越本線に乗り、宿泊先である来迎寺駅(長岡市)へ向かいます。
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途中の駅は無人駅も多く、日本海の海にさらされている駅もありました。真冬に駅のホームで電車を待つのはちょっとした修行・・・?!
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1時間半ほど乗って、来迎寺駅に到着しました。もう夕暮れです。
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続きは次のページへ。

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『Weabak:外泊』東京上映会&キム・ミレ監督トークイベント賛同の呼びかけ

フェミニスト・アクティブドキュメンタリー・ビデオフェスタ(連連影展FAV)より、『Weabak:外泊』東京上映会&キム・ミレ監督トークイベント賛同の呼びかけをいただきました。この映画、私は5月に20分の予告編を見てものすごい衝撃を受け、FAVを主催している友人に「絶対上映してほしい!」と興奮しながらメールをしたのです。旅先でメールを受け取り、賛同の締切日が設けられているのをうっかり見落としてしまい、告知するのが遅くなってしまってすみません・・・。でも今からでもカンパも歓迎しているそうですし、かろうじて映画の上映には間に合います(言い訳ですが・・・)。残念ながら私は上映会の日に東京にいなくて参加できないのですが、ぜひ監督に来てもらって、沢山の人に映画を観てもらいたいと願っています。10月16日に早稲田で上映会をするそうなので、都合のつく方は是非!!

ーーー賛同呼びかけ文ーーー

『Weabak:外泊』東京上映会&キム・ミレ監督トークイベント賛同の呼びかけ

 フェミニスト・アクティブドキュメンタリー・ビデオフェスタ(連連影展FAV)は、下記の日程でキム・ミレ監督をお招きし、韓国ショッピングセンター非正規女性労働者たちの泊まり込み闘争を描いた『Weabak:外泊』の上映イベントを計画しています。
 たくさんの方々に賛同いただき一緒に上映イベントを作っていけたらと思っています。チラシへの団体名掲載の都合上、賛同いただける方は9月7日月曜日までにご連絡いただけると嬉しいです(weabakfav@yahoo.co.jp)。質問などありましたらメールでご連絡ください。

■東京上映会&トークイベントの内容■

日時:2009年10月16日金曜日午後7時~9時
場所:早稲田奉仕園スコットホール
参加費:1,000円(賛同団体会員)、1,200円(一般)
イベント内容:『Weabak:外泊』(監督:キム・ミレ/韓国/日本語字幕つき/2009/73分)の上映とキム・ミレ監督のトーク
共催団体:フェミニスト・アクティブドキュメンタリー・ビデオフェスタ(連連影展FAV)、早稲田奉仕園

作品の内容:
2007 年6月30日夜、500人の女性労働者たちが韓国ワールドカップ競技場にあるホームエバー・ハイパーマーケットのカウンターを占拠した。翌7月1日「非正規職保護法」が施行。ホームエバー社は法の施行を前に大量解雇を行い、女性労働者たちはその差別的扱いに怒り、立ち上がったのだ。『Weabak:外泊』は、510日間続いた女性労働者たちの闘いを描く。女性たちは歌い、踊り、泣き、笑う。労働闘争はいつしか家族的役割からの解放の場を生み出す。

キム・ミレ監督の紹介:
1964 年生まれ。労働問題を通して韓国社会の現実を撮り続けてきた。代表作品に『Always Dream of Tomoorrow(私は日ごとに明日の夢を見る)』(2001)、『We Are Workers Or Not?(労働者だ、違う)』(2003)、『NoGaDa(土方)』(2005)などがある。今回上映予定の『Weabak:外泊』は第11回ソウル国際女性映画祭(2009年)で上映、また2009年10月山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映予定。

賛同金:団体一口5,000円(キム・ミレ監督の来日・滞在費、イベント諸経費)
     個人一口3,000円(氏名の公表可・不可をご連絡ください)
     その他、カンパ大歓迎です!
振込先:三菱東京UFJ銀行 新宿新都心支店 普通口座 1217961 連連影展

連絡先:連連影展FAV weabakfav@yahoo.co.jpまで
www.renren-fav.org

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「宮下NIKEパーク」の命名権契約と改造工事の撤回を求める共同声明

「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」が、「宮下NIKEパーク」の命名権契約と改造工事の撤回を求める共同声明への賛同を募っていますので、下記にご紹介します。ご協力よろしくお願いします。

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「宮下NIKEパーク」の命名権契約と改造工事の撤回を求める共同声明への賛同をお願いします。

8月27日に渋谷区とナイキ社との間でネーミングライツ契約が非公開に調印され、9月1日付けの渋谷区ニュースの第一面には、ナイキにより改造された宮下公園の完成予想図が掲載されました。いま、宮下公園は多国籍企業ナイキに売り渡されようとしており、数々の問題点に答えが出されないまま工事の強行が画策されています。これに対し、私たちは10月の半ば、開催中の渋谷区議会にあわせた大規模な抗議行動を準備しています。
 
それにあたり以下の声明を準備しました。取り組みに心を寄せて下さる多くの皆さんからの賛同をお願いします。個人/団体両方からの賛同を受け付けます。氏名または団体名を公表していいかどうか、合わせてお知らせ下さい。賛同金は不要です。第一次集約の締切りは10月10日です。(みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会: 東京都渋谷区東 1-27-8-202/TEL 080-3127-0639/FAX 03-3406-5254/MAIL: minnanokouenn@gmail.com

お名前/団体名:
肩書き(個人の場合):
公開可否:
メールアドレス(非公開):


-------------------- 以下声明 ------------------------
「宮下NIKEパーク」の命名権契約と改造工事の撤回を求める共同声明

2009年8月27日、渋谷区長とナイキジャパン社長の間で区立宮下公園を「宮下NIKEパーク」とする命名権売却の調印式が非公開で行われ、9月1日には渋谷区報に完成予想図が掲載されました。工事期間は9月~2010年4月とされ、十分な説明がなされないまま、公園の作り替えが行われようとしています。私たちは、この計画に関して主に4つの理由から撤回を求めます。

(1)宮下公園の公共的な価値を奪う計画内容
今回の改造工事では公園内に新たに有料のスケートボード・ロッククライミングなどの施設を設け、公園名が「宮下NIKEパーク」に変わります。すでにできているフットサルコートを含めると、公園の大部分をナイキ商品販促のための施設が占めることになり、実質的に利用者はスポーツ施設に関心のある人、つまりナイキジャパン社の潜在的顧客に限られます。本来、多面的な機能をもち老若男女が消費せずに憩える「公」園の価値が奪われ、商売を優先する一企業の意のままに変質されてしまいます。

(2)民主主義的な手続きを無視したずさんなプロセス
この計画は単なる命名権契約の範囲を大きく逸脱し、公園の中身の改造にも踏み込んだものです。にもかかわらず、渋谷区政はこの1年間、基本プランの公開を行なわず、市民からの意見の募集もせず、驚くべきことに区議会での議決すら経ずに区長と一部の議員のトップダウンで計画を実行に移しました。公募や競争入札が行われておらず、数ある企業の中からナイキジャパン社が選ばれた経緯についても情報の公開を拒んでいます。

(3)野宿を強いられる人々の追い出し
現在、宮下公園で野宿を強いられている約30名は、ナイキ化工事を理由に住まいを奪われようとしています。ナイキジャパン社・渋谷区とも、これらの問題について十分な説明や対応策を提示しておらず、当事者は不安を感じています。昨年以降の世界的な経済危機のもと、仕事・住まいを失う人々が大量に生み出されており、東京都下の炊き出しには、前年を大きく越える数の人々が集まっています。行政窓口はこの事態に対応できていないにもかかわらず、都内各地で炊き出しをつぶし、同じ渋谷区では区役所駐車場で夜を過ごす約40名を10月にも締め出す計画が進められています。このような状況のもとで宮下公園を含めた公共空間は、経済的・社会的な排除を受ける流動的貧困層の避難場所としての機能を実質的に果たしています。公園から野宿者を追い出すことは、直面する当事者の問題だけにとどまらず、仕事・住まいを失ったすべての人々の生命を著しく危
険にさらす行為です。

(4)グローバリゼーションの典型としてのナイキ化計画
いま、ナイキジャパン社が宮下公園で行っているのは、公園の社会的、地域的、倫理的な次元を無視し、公共空間を、制限なく商品を販売するための場として意のままにすることです。規制緩和のなかで、議会での議論や情報公開などの正当な手続きが省略され、貧者の排除が強行されます。この、地球のすべての空間を市場原理に従わせ、あらゆる活動を市場と商品に変換しようという動きは、宮下公園だけでなく日本や世界各地で進行しています。一握りの多国籍企業による社会全体の再編であるグローバリゼーションの進行、このような動きに私たちは反対します。

みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会
東京都渋谷区東 1-27-8-202
TEL 080-3127-0639
FAX 03-3406-5254
MAIL: minnanokouenn@gmail.com

-------------------- 以上声明 --

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大須ワンダーランド(上映会報告2009/9/5-6)

映画祭4日目の土曜日は、10時から酒井充子監督の「台湾人生」を見ました。会場である大会議室へ向かうと、すでに超満員! 今回の大会議室での上映で、おそらく一番座席が埋まった作品ではないでしょうか?

上映前の舞台挨拶
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上映後の質疑応答では、「私は戦後、台湾から引き揚げてきました」というような、まさに台湾人生の中で扱われているテーマそのものを生きてきた方の発言が結構ありました。

上映の後は控え室に戻ります。映画祭スタッフの方は、毎日お弁当の献立には気をつけているそうで、特に期間中ずっと会場に缶詰になる映写技師の方々はここのお弁当を連続して食べることになるので、彼らのためにもバラエティーに富んだ内容にしているといっていました。

今日のお弁当はお寿司です。
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お昼を食べた後は、デンマークのカトリーネ・ヴィンフェルド監督の「エスケープ」を観ました。同じ時間に橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」がホールで上映されていて、監督のゲストトークもあるとのことで、どちらにしようかかなり迷ったのですが、ここはお話しする機会の持てたカトリーネ監督の作品を見てみようと、「エスケープ」にしました。

カトリーネ監督とプロデューサーの舞台挨拶
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上映の後は、「女性ドキュメンタリー監督と語る」というトークサロンに出席しました。映画祭プロデューサーの加古さんが司会をつとめ、三浦順子監督、宮崎信恵監督、鯨エマ監督、酒井充子監督、そして私の5人が参加しました。

トークサロン会場の入り口
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前日の世界の山ちゃん並みに盛り上がることを期待してビデオカメラをセット!
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始まる前に記念撮影。
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事前の打ち合わせで、加古さんは今回のゲスト監督たち同士が交流していることを、とても喜んでいました。そこで、トークサロンでは、自己紹介ではなく、他己紹介をしようということになりました。

席の並び順から、私の紹介は三浦監督がしてくれました。映画のナレーションの声が女の子らしいけれど、映像は体当たりで突撃している感じでギャップがある。日本製マイケル・ムーアか、という紹介をしてもらいました。ナレーションの声、たしかに普段の話し声とずいぶんギャップがあるね、と言われます。私としては「ナレーション=かしこまってやるもの」というような理解があったので、そうやってみたのですけれど・・・。

私は酒井監督の紹介をしました。いろいろ紹介したいエピソードはありましたが、厳選し、”実は酒豪”ということを紹介させてもらいました!

司会の加古さん
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パネリスト(左から鯨エマ監督、宮崎信恵監督、宮崎順子監督、わたし、酒井充子監督)
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会場全体の様子
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(ちなみにトークサロンの写真は、宮崎信恵監督の姪っこさんが撮ってくれました。どうもありがとうございました!)

他己紹介の後は、ドキュメンタリーを作るうえでのこだわりについて、各監督が語りました。会場からの質問では「生活はどうしているのか?」という質問があり(←確かに気になりますよね!)、栄養失調と診断されたという貧乏話や過去の苦労話など、面白いエピソードがたくさん飛び出しました!

トークサロンが終わり、6時半からは交流パーティーがありました。映画祭のゲスト、スタッフ、そして一般のお客さんたちとウィルあいち地下1階のレストランで交流をしました。乾杯の後は、立食パーティー形式でいろんな方とお話ができました。映画祭に第1回目からこられている方、映画方面に進みたいと考えている大学生、TV局で働いていて、自主映画作りに転向したいと考えている方、岐阜から毎年映画祭にこられている方など、さまざまな方がいらっしゃいました。

映画祭スタッフの大学生の方々と
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パーティーの中頃に、観客賞と愛知県興行協会賞の発表がありました。観客賞は「とらわれの水」、ディーパ・メータ監督。残念ながらゲストとして来場はされていなかったので、映画祭のスタッフの方がかわりに賞状を受け取っていました。

そして、愛知県興行協会賞の発表。
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宮崎信恵監督でした!!
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宮崎信恵監督の受賞スピーチはこちらでご覧いただけます。私は自分のことのようにうれしかったです!
http://aiwff.com/modules/whatsnew/details.php?bid=31&cid=2

賞の発表の後は、プレゼント抽選会があり、交流パーティーにも出席していた私の両親は、なんと賞品をゲット!映画館のチケット(名古屋市内の・・・!)をもらえたそうです。

最後は記念撮影。
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交流パーティーの後は、名古屋市・栄にあるモダン・チャイニーズ、Joe's Kitchenに連れて行っていただきました。事前に「超おいしい!」とその評判を聞いていたので、お昼過ぎからそのことを考えていました。

デンマークのプロデューサーによる、デンマーク式乾杯レッスン。
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確かに前菜から、すごくおいしい!
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チャーシューを肉まんの皮のような素材で包んでいただきます。
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坦々麺
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デザートのマンゴープリンも美味。
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おいしい中華をおなかいっぱい食べてすっかり満足し、お店を出ました。すると、別テーブルだった、デンマーク人監督&プロデューサーが大笑いしています。監督に関しては、笑いすぎて涙まで流しているようです・・・いったい何が?!

聞くと、鯨監督と三浦監督が、日本の「勝負下着」について彼らに説明したのだそうです。勝負下着・・・どこの国でも勝負下着を身に着けることは意識的・無意識的に行われているかもしれませんが、単語として存在している国は珍しいのではないでしょうか? では英語でなんて??? 鯨監督と三浦監督は勝負下着を「アタック・ランジェリー」と説明したのだそうです!!! 攻撃する下着・・・!?!? 一体デンマーク人がどこまで勝負下着の真髄を理解できたかは分かりませんが、とにかく大笑いしていました。

映画祭最後の夜が終わり、ホテルへ戻りました。監督によっては、翌日の日曜日(映画祭の最終日)は映画祭会場に来ないという人もいましたので、お別れの挨拶もしました。

そして日曜日、荷造りをしてチェックアウトをした後、私は映画祭の会場へ向かいました。5日間の滞在は思ったより大荷物で、ホテルの移動がないのを良いことにとことん散らかし放題だったので、荷造りに時間がかかり、午前中の上映にちょっと遅れて到着しました。

午前中に見た作品は、木村大作監督の「剣岳」です。上映の後は監督のゲストトークがありました。
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CGを一切使わず、山での撮影に200日以上をかけたというこだわりの作品。なだれのシーンでは、1発25000円もするダイナマイトを130発も使って雪の塊を爆破して撮影したそうです。雪崩に巻き込まれるシーンにスタントを使うと高いから、撮影スタッフでやったのだとか!! 監督は最近の商業映画の傾向について、1~2ヶ月で作る作品ばかりで、テレビでヒットしたものの二番煎じ。映画を見る側も、「見て何かを学んでやるぞ!」という気合を入れて観る人が少なくなった、と嘆いていました。そんな中で、「自分の思うように、何の妥協もせず、誰のいうことも聞かないで作ったこの作品は、いわば壮大な自主映画です!」と話されていたのが可笑しかったです。

上映の後は控え室に向かい、お世話になったスタッフの方々に挨拶をしました。

映画祭最後のお昼ご飯は天むす。毎年最終日はこれと決まっているそうで、天むすを食べると、皆さん(これで今年の映画祭も終わりだな)と感慨深いそうです。
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お昼をいただいて、映画祭会場を後にしました。その後は、名古屋市美術館へ行ってみました。開催されていた企画展のチケットをいただいたので、それを見に行きました。

名古屋市美術館外観
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企画展のポスター
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美術館の後は、大須の商店街に行ってみることにしました。「名古屋のアメ横」といわれるのを聞いたことがありますが、ありとあらゆる種類のお店がひしめき合っている地区です! 衣料品、電化製品などの中古品や、食料品店、専門店など、人口に比してこんな大きなマーケットが存在するのか?!と驚くばかりです。上野のアメ横よりずっと大きい(もしくはずっと密集している)と感じましたが、どうなのでしょうか?

とてつもなく大きな商店街。商店街のあちこちで無料の地図が入手できます。それを見て回ったほうが効率よく回れます。よく、「ルーブル美術館をよぉ~く観て回るには3日かかる」ということを聞きますが、大須は3日どころじゃない!と言いたいです。

大須商店街のウェブサイトもあります。
http://www.osu.co.jp/

大須商店街で入手できる地図自体も、ちょっとした小冊子のようで、かなり読み応えがあります。ざっと読んだつもりでしたが、帰京してから「日本初の全自動ラーメン屋」があったことを知りました。次回はぜひ行かねば。

大須商店街は自販機も安い。70円から。
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時計のアウトレットショップ。
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カッコイイバイクがとめてありました!
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商店街の中には、大小さまざまな通りがあります。
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ドンキ・ホーテのように店内中、天井まで商品がつるされています。観ているだけでおなか一杯な感じ。
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マネキンの頭がつるつるで、裸足・・・。大須では独特のセンスで商品がディスプレイされているようです。
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オリジナルTシャツを販売するお店を見つけました。
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友達の誕生日用にTシャツを2枚買いました。

小腹がすいたので何か食べようとお店を探しました。本格的な釜焼きピザのお店を発見。マルゲリータの世界大会で3位に入賞と書いてあります。
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このピザが350円というのは驚きです!
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他にも色んな雑貨屋さんや射的場など様々なお店があり、紹介し切れません。名古屋に行かれた際にはぜひ大須商店街に立ち寄ってみてください。

大須商店街を抜けると、大須観音があります。
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近くに建つアパートの壁には巨大なグラフィティー(?)が。
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夕方になり、名古屋駅へ向かい新幹線で帰京しました。帰宅すると、大阪から手作りせっけんが届いていました。以前私の映画のDVDを買ってくれた方が、もはや趣味とは呼べないほどにせっけん作りをされていて、そのせっけんを分けていただいたものなのです。
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ローズパウダー入り、死海のクレイ(粘土)入り、アボカドオイル入り・・・と全部で5種類。体だけでなく、髪の毛まで洗えるせっけんなのだそうです。この方とは、その後もメールでやり取りをしています。名古屋での6日間も沢山の出会いに恵まれましたが、大阪の方ともDVDから出会いが始まって、うれしいなと思いました。

約6日間の旅がこれで終わりました。映画祭スタッフの皆様、ゲストの皆様、映画を観に来てくださった皆様、どうもありがとうございました!

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デカ過ぎる!(上映会報告2009/9/3-4)

映画祭2日目の9月3日は早起きをして、朝一番の上映を観にいくことにしました。「チベットの音調」という作品で、中国の女性監督、ダイ・ウェイさんによって作られた劇映画です。上映の後には、プロデューサー2人によるゲストトークがありました。

控え室でお昼ご飯を食べ、午後からは鯨エマ監督の「つぶより花舞台」を観ました。鯨監督は今回の来場ゲストの中でもひときわ元気で明るく、いつもみんなのムードメーカーとなっていた人です!

鯨監督の舞台挨拶
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午後4時半からはシンポジウムを観にいきました。「アジアの新世代女性監督からの提言」というテーマで、「チベットの音調」プロデューサーのチャン・ルイさん、「今、このままがいい」監督のプ・ジヨンさん、ソウル国際女性映画祭ディレクターのイ・ヘギョンさんが語りました。

特に興味深かったのは中国、韓国の映画業界事情の違い。韓国については日本と似ているように感じましたが、中国はその経済成長の勢いとともに、映画業界も希望に満ち溢れているようでした。映画制作に携わる人の数は増え、映画監督の2~3割が女性。男女差別はない、と言い切る女性プロデューサー。

しかし、中国を含むアジアの映画事情に詳しい司会の木全ディレクターの状況補足によると、中国で映画業界に入るには超難関の国立映画学校に入学しなければならないとのこと。超難関ですから、入れば男女の差別はないのですが、まず入るの自体が難しいので、映画業界が広く開放されているとは言いがたいようです。

一方、韓国は不景気で映画の製作数自体が減り、これまでは年間120本ほど作られていた商業映画が、今年は80本近くまで落ち込んでいるそうです。商業映画界で活躍する女性監督の数は20名ほど。圧倒的に男性の監督が多い。一方で、インディペンデント、超低予算の映画の分野では男女問わず面白い作品が沢山作られているようで、ここに希望が持てるとおっしゃっていました。

シンポジウムは予定より約30分オーバーして、とても充実したものでした。

18時からはあいち男女共同参画財団理事長の栗本さん主催でパーティーを開いていただきました。私は三浦淳子監督と、デンマークのカトリーネ・ヴィンフェルド監督と同じテーブルに着きました。「自分の映画を海外で見せるには?」という話題になりました。例えばデンマークのテレビや映画館は日本の自主制作作品にもオープンなのか? など。

カトリーネさんは、映画館で上映することにこだわるべきではない、と言っていました。映画館で上映するようなお金のかかる作品を作るために必死で資金を集めるよりも、DVDやビデオ・オン・デマンド、インターネットでみせればいいではないか? とのこと。映画館は上映期間、上映時間ともに決まっているので、忙しいカトリーネ監督にとってはまったくフレキシブルではないそうで、今では映画館で映画を見ることはほとんどないそうです。

デンマークは自宅で高品質のホームシアターをそろえ、家で映画を観る人が増えているそうです。(そういえば、私は以前ホームシアターのスピーカー関係の取扱説明書を作る仕事をしていましたが、住環境の恵まれた北欧ではサラウンドのスピーカーシステムなどの需要がかなりあるようでした)。

そのときはなるほど~と思って聞いていましたが、日本の事情を考えると、劇場で公開せずにDVDを販売するのは宣伝に欠けるでしょうし、ビデオ・オン・デマンドがまだそこまで広く普及しているとは言えませんし、インターネットだけでみせる場合は作品から収入を得ることが出来ないという問題点もあります。・・・とはいっても、劇場での公開はいまだに敷居が高いですし・・・なかなか難しい問題です。

話はデンマークの助成金に移りました。デンマークでは、(うろ覚えですが)毎年劇映画、ドキュメンタリー映画、新人監督の各分野から1人ずつ選ばれて、2~4年かけ、かなりの助成金を受けながら映画を作れるようになっているそうです。

人数は少ないですが、それはかなり恵まれた環境!と私が言うと、「国策でやっているの」とカトリーネ監督は言いました。人口500万人足らずのデンマークでは、人口の流出(主にEU圏への)が激しく、国民は英語やフランス語などを話せます。”デンマーク語”を存続させるために、国策としてデンマーク語での映画を作らせているそうです。日本では日本語の”乱れ”を憂う声は別として、この先当分日本語の”存続危機”はないでしょうから、国によってずいぶん事情は違うし、映画が担わされる役割というのも異なるのだと興味深く思いました。

宴会の様子
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さて、宴会の後はまっすぐホテルに戻るのかと思いきや、ディレクターの木全さんが「今夜はスーパー銭湯に行きましょう!」と言いました。(もう夜遅いし、明日は自分の上映会が・・・)などうだうだ考えましたが、結局私も参加することにしました。

ホテルに戻り、バスタオルや着替えを持ってロビーに集合。タクシーに分乗してスーパー銭湯へ向かう映画祭ゲストご一行様。木全さんによると、映画祭14年目にして初めてのスーパー銭湯なのだそうです。参加したのは7名ほどでした。

タクシーで10分ほどで「山王温泉」へ。3階建ての大きな建物です。スーパー銭湯というより、温泉ワンダーランドと言った感じで、内湯、露天風呂あわせて10種類以上もありました。リンゴ酢の入ったお風呂、炭酸の湯、ジェットバス、寝転び湯など、珍しいものも沢山。良いリフレッシュになりました。

男性陣との待ち合わせは10時でしたが、女性たちが下で待てども降りてきません。更衣室で着替えながら思ったのですが、このスーパー銭湯参加者の女性ドキュメンタリー監督たちの行動がとにかくテキパキしていたのです! これは忙しい環境で撮影などしているから、どんどん行動がすばやくなっていったのではなかろうか、と想像しました。私などでも、撮影をしているときは、とにかくその場にいる誰よりも早く行動します。ご飯も2分ぐらいで食べてすぐ撮影が始められるように。そうしないと、被写体の人たちの行動を取り逃がしてしまうのですから!

そんなわけで、女性陣は待ち合わせ時間より前にフロントへ行き、木全ディレクターと中国のプロデューサーを待ったのでした^^

さて、翌日9月4日はいよいよ私の作品の上映日! 今回、私の両親がはるばる東京から名古屋へ映画を観に来てくれました。・・・実はうちの親、私の映画を観るのが初めてなのです! 一体私の映画を観て、どう思うのでしょうか・・・???

朝9時半にホテルを出て、午前中は宮崎信恵監督の「あした天気になる? ~発達障がいのある人たちの生活記録~」を観ました。福岡の知的障がい者施設で、彼らの生活、家族を丹念に追ったドキュメンタリーです。

上映の後は、控え室に戻りました。お昼ごはんのお弁当を勧めていただきましたが、毎朝ホテルのバイキング、夜は宴会という生活です。後は映画を観ているだけなので、お腹は常に張っている状態。今回はお弁当を断り、お茶を飲みに行くことにしました。

タクシーの運転手さんに聞いた、名古屋で老舗の喫茶店「ボンボン」。このお店が映画祭の会場から歩いて10分足らずのところにあると教えてもらったので、そこに行くことにしました。

ボンボンの入り口
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レトロな店内
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特筆すべきはそのケーキの種類の豊富さと安さ。ケーキは1つ230円程度が主流!
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ダンドルトルテ(230円)を注文しました。味は昔スーパーで買ってもらったケーキを彷彿とさせました。
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カフェオレ。器が懐かしめです。
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ケーキとコーヒーを合わせて500円ですんでしまったのがびっくりでした!!

ウィルあいちにもどり、午後は三浦淳子監督の「空とコムローイ~タイ、コンティップ村の子どもたち~」を見ました。タイ北部メーサイにある少数民族、アカ族の子供たちとイタリア人の神父さんを、7年にわたって追い続けたというドキュメンタリーです。

三浦監督が現地で購入したという、アカ族の民族衣装を映画祭のスタッフに着せていました。アカ族の女の子たちは、この衣装を特別なときだけではなく日常的に着ているのだそうです! 特に帽子が個性的で、歩くたびに金属(?)がじゃらじゃらと音を立てるのですが、これは”魔よけ”のためだそう。
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4時からは中日新聞の取材を受けました。偶然取材してくださった記者の方が、イギリスに留学されていたことがあるそうで、イギリス生活、日英のジャーナリズムの違いなどについて話が盛り上がり、予定を30分ほどオーバーしてしまいました!

ジャーナリストであるその記者さんにとっては、ジャーナリズムをイギリスで勉強した私が”中立”に全くこだわらない立場で映画を作っていることに驚きを覚えたと言っていました。私たちは、ジャーナリズムのいう中立とは何か、力のバランスの違う両者を対等に扱うことが中立と言えるのか、現在のジャーナリズムで”中立”は達成されているか?と話しました。

また、メディアの将来性についても話題になりました。新聞は”死にゆくメディア”として危機感を持っているとのことでした。マスメディアに属さない私に、新聞などのマスメディアの将来をどう思うか、市民メディアなどのオルタナティブメディアの位置づけなどの質問をされました。

インタビューの後は、映写技術師の方と、スクリーンサイズや音量の調整をしました。私はいつものように「音質が悪いので、他の作品に比べてボリュームはやや下げてください」とお願いしました。とにかくスクリーンが巨大なのです! これまでの上映会で一番大きいです。畳でいったら何畳ぐらいになるのでしょうか・・・見当がつきません。座席数も約300。これも過去最大。空席が目立ったら悲しいなと思いつつ、控え室に戻りました。

控え室では、司会の方と打ち合わせをしました。司会の方は既に私の映画を観てくれていて、その感想も交えながらゲストトークでの質問内容を話し合いました。ビデオに興味を持ったキッカケ、ブライアン達と知り合ったことで人生がどのように変わったのか?映画を勉強しないで作ったという苦労は? などを基本的には聞くということでした。

いよいよ上映開始の時刻になりました! 上映の前に簡単な舞台挨拶をします。最前列には私の両親が! これまで何度も上映会をやってきた私ですが、自分の親が座っているのはとても不思議な感覚でした。

巨大スクリーンの前で舞台挨拶
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上映が無事終わり、ゲストトークの時間になりました。前半は司会の方とお話しをする形式で、後半は会場からの質問を受けました。会場からの質問では「どれぐらい撮影したか?」、「カメラは途中で買い換えたか?」、「イギリスで上映したか?」「ブライアン達とどうやって親しくなったのか?」、「彼らを通して学んだこと」、「これから監督はどうするのか?」(←ご心配ありがとうございます^^;)、「日本では機動隊の暴力はないと思うが、イギリスより日本の方がマシなのでは?」などの質問をいただきました。

ゲストトーク後に、映画祭の立ち上げをされた大野さん、あいち平和映画祭の加藤さんが声をかけてくださいました。どうもありがとうございました!!

ゲストトークの後は、今回の映画祭にゲストとして呼ばれた日本人のドキュメンタリー監督たちで名古屋を代表する居酒屋、「世界の山ちゃん」へ行くことにしました。「そういえば名古屋名物を食べてない」と言った鯨監督の一言が、山ちゃん行きを決めました。

山ちゃんへ向かう途中のタクシーから、観覧車を発見! 観覧車好きなパチンコ屋の社長が、パチンコビルの目の前に観覧車を建ててしまったのだそうです! よく観ると左下にはクリスマスツリーまで。年中飾られているようです。
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世界の山ちゃんへ到着。
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監督さんたちで記念撮影~♪
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これが山ちゃん名物、幻の手羽先!
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手羽先を食べながら、映画をどうやって宣伝するか、普段の生活はどうしているかという話題から、映画の中のあのシーンはどうやって撮影したのかということまで、話題は多岐に渡り、かなり盛り上がりました。詳細は省きますが、会話の中でなぜか私ともう一人が「パイプカット」とハモり、一同大爆笑! 店内で女性客は私たちだけ。大声で話しまくりパイプカットで大笑いとは、店内の男性客はどん引きでしょう。世界の山ちゃんを敵に回してしまったかもしれません!!??

とにかく今回の映画祭参加で言えることは、ゲストの監督さんたちととても親しくしてもらったことです。毎日顔をあわせ、色んな話をして、ご飯を食べ、果てはスーパー銭湯にまで行く・・・こんな合宿のような経験は滅多に出来ないことです。こんな出会いに恵まれたことは、大きな収穫と言えるでしょう。

帰り道で、翌日のトークサロンの話題になりました。翌日も、このメンバーで「女性ドキュメンタリー監督と語る」というトークをやることになっているのです。「こんなぶっちゃけ話をした後で、トークサロンでかしこまって話したら全部ウソっぽいね」、「今日の話をビデオにとって明日流せばよいのに!」などと言い合いながらホテルに戻りました。

映画祭3日目の夜が終わりました。

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B級グルメ!(名古屋1-2日目)

9月1日の朝、あいち国際女性映画祭出席のため、名古屋に向かいました。日本の旅の足としてポピュラーな新幹線ですが、私は上映会で使うのは初めてでした。普段の移動は本州ならば無理して夜行の高速バス、本州以外は飛行機を使っているからです。今回は映画祭が新幹線の回数券を支給してくれたので、名古屋まで新幹線で向かっているのです^^; 新幹線ならば東京駅から1時間43分で名古屋に到着! ずいぶん楽ですね。

東京駅の新幹線ホーム
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私の覚えている新幹線の車体の正面は「ウルトラマンの目」のようでしたが(←いつの話だっ!)、現在はかなり流線型に進化しているようです。
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駅について、そのまま宿泊先のホテルに向かい、荷物を預かってもらうことにします。

宿泊先の名古屋観光ホテル。
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映画祭自体は2日(水)からですが、今日は記者会見があるとのことで、会場であるウィルあいちへ午後1時半までに伺うことになっていました。夜までご飯が食べられないので、とりあえずお昼を食べておくことにしました。

ホテルに入ると、さささっと数名が駆け寄ってきて、「チェックインでございますか?」、「お荷物お持ちいたします」と言われました。普段はベルを何度も鳴らしてやっとフロントに応対してもらえるぐらいの安ビジネスホテルに滞在している私は、その丁寧な扱いにかえって戸惑ってしまいました。ドキュメンタリーを自分で撮影している人ならば皆そうだと思いますが、現場で重い機材を「持ちましょうか?」などと気遣ってくれる人はいないのですから!

私の荷物は小さなかばんまで剥ぎ取られ、フロントへ運ばれました。周りを見渡すと、エレベーターのそばにまで従業員が立って、ボタンを押したり、扉を押さえたりしています。(ここは人員削減とは無縁)、そう思わせるゴージャスさでした。

しかし、名古屋と言えばそもそもB級(グルメ)! ホテルの近くにB級グルメてんこ盛りの定食屋を発見!

広小路 キッチンマツヤ
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食べ物のサンプルが店頭のガラスケースに並べられているのはどこでも見られる光景ですが、なんとここでは”お客様の声”まで張り巡らされているのです! 名古屋の商売はとにかくアピールが大事なのか??? 私なんて「ずっと来たいと思っていて、今日やっと来ることが出来て感激」なんてコメントを見たら、逆に引いちゃうと思うのですが・・・。
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となりの「酒天童子」というお店の「本日のサービスランチ」に魅かれ、ここに入ることに決定! パスタにカレーととんかつがのって680円也!
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名古屋は「あんかけスパゲッティー」なども有名ですが、それは氷山の一角であることがよく分かりました。とにかくパスタの種類が豊富ですし、そのどれもが”名古屋オリジナル”なのです!
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ほどなくして、私の注文した品がテーブルへ運ばれました。名古屋では、スパゲッティーが熱々の鉄板に載ってやって来ます! 見て下さい、このボリュームを!
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記者会見まで十分余裕があったはずが、なんだかんだで時間がなくなり、結構ぎりぎりになってしまいました。この名古屋スパの”ボリューム”と、鉄板なので”なかなか冷めない”という壁に阻まれ、飲食は難航。完食した頃には、集合時間が間際になってしまいました。

タクシーで、会場であるウィルあいちへ向かいます。
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既に何人かの監督さんが来られていて、挨拶したり、名刺を交換したりしました。スタッフの方から記者会見の流れについて説明を受け、いざ会見場へ。ゲスト(監督やプロデューサーなど)が一人ずつ紹介され、1人約2分ずつで自己紹介をしました。そのあとで記者たちから質問を受けるという形式でした。

質問では「映画監督として、ドキュメンタリー、フィクション、どちらの手法を選ぶか?」、「ナレーションの中で”私”という一人称をいれている人もいるし、いれていない人もいる。それはどのように選択したのか?」という質問がありました。

記者会見の後は、私は中日スポーツの取材と写真撮影を受けました。

その後、控え室に行くと、他の監督さんたちは上の階でお茶を飲んでいるとのこと。私も上の階に上がってみました。

お茶室です!
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お茶菓子とお茶をいただきました。
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海外からのゲストの方は浴衣を着せてもらい、茶道にも挑戦!
デンマークのカトリーネ・ヴィンフェルドさん(「エスケープ」の監督)。お茶を飲んでいるのは、映画祭ディレクターでシネマスコーレ支配人の木全(きまた)さん。
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浴衣が良く似合う中国のプロデューサー、チャン・ルイさん
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浴衣を着るのは基本的に海外のゲストのみなのですが、なぜか私も英語で話しかけられ浴衣を着せてもらいました・・・!(私は日本語で応対していたのですが・・・)
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お茶を飲んだ後は、また控え室の方に戻りました。夜からはレセプションパーティーがありますが、しばらく時間があります。手持ち無沙汰で廊下をうろうろしていました。

同じく廊下にいたスタッフの柴田さんとお話しました。私と話す前、彼女は韓国から来た監督さんのお姉さんに、流暢な韓国語で話していました。なので、私は韓国語の通訳スタッフなのかなと思って話しかけました。お話を聞いてみると、彼女は独学で韓国語をマスターされたのだそうです! 韓国ブームが来るずっと以前に韓国語を始めたそうですが、当初は通訳になるつもりなど全くなく、趣味でやっていたそうです。それが娘さんに「その能力を社会に生かしたら?」と言われたことがキッカケで、本格的に勉強を始め、この女性映画祭などでスタッフ兼通訳として活動するようになったということでした。

「まだまだ勉強しないと」と謙遜していましたが、韓国人の方とお話しているのをみている限り(私は韓国語は”ヨブセヨ”(電話で”もしもし”)ぐらいしか分かりませんが)、全く問題なく話せているようでした。

彼女と名古屋のB級グルメの話になり、私はお昼に食べたカレースパゲッティーのことを話しました。名古屋のメニューに揚げ物が多いのは”ボリューム感=お得感”がでるからではないか、とのこと。確かに、名古屋では喫茶店のモーニングにコーヒーを頼むとトーストやゆで卵がついてくると聞いた事がありますし、回数券文化が発達していることでも有名です。東京ならば回数券は自分で持ってくるなり、インターネットでプリントアウトしなければなりませんが、ここ名古屋では回数券が既にお店に常備されているところも珍しくないそう。「それじゃ意味ないじゃないですか!」と私は言いましたが、これもサービスの一環として捉えられているようです。

18時半になり、オープニングのレセプションに出席しました。映画祭スタッフ、ゲスト、スポンサーの方々などを合わせて、100名強の方が参加されていました。ここでも各ゲストは2分ずつで挨拶。その後乾杯をし、後は立食パーティーでした。

パーティーの様子
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ゲストの自己紹介挨拶(すみません、私も飲み食いしていたので、全ての人の撮影が出来ませんでした・・・)

右側は「今、このままがいい」監督のプ・ジヨンさん(韓国)
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ソウル国際女性映画祭ディレクターのイ・ヘギョンさん(右)
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女優の岡田茉莉子さん
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「星の国から孫ふたり~「自閉症」児の贈りもの~」の槙坪夛鶴子監督と主演の上野楓恋(かれん)ちゃん。
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私!
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「台湾人生」の酒井充子(あつこ)監督
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映画監督で、あいち国際女性映画祭運営委員会顧問もされている吉田喜重さん。
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レセプションパーティーが終わったあとは、映画祭ディレクターの木全さんがゲストを中華レストランに連れて行ってくれました。

レストランでの様子。
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私の隣にはソウル国際女性映画祭のディレクター、イ・ヘギョンさん、そして私の目の前の座席には東京国際女性映画祭の大竹洋子さんと、女性映画界の大物メンバーです。今更ながらに(今、私は国際女性映画祭に来ているんだ!)ということを実感していました。

私の右隣はデンマークの監督さんで、これまで主に政治ネタを扱ったテレビドラマを数多く制作してきて、今回が初めての長編劇場用映画なのだそうです。その映画「エスケープ」はアフガニスタンで誘拐される、デンマークの女性ジャーナリストのお話。実際の撮影はトルコで行ったそうです。彼女自身はアフガンを舞台にした作品を作るのだからアフガンに行きたかったそうですが、スポンサーなどが行かせなかったそうです(もし監督が事件に巻き込まれたりしたら映画の評判が悪くなってしまうと心配してとのことだそう)。人口500万人程度のデンマークで興行成績は15万人とのことですから、すごいヒット作品なのです!

監督のカトリーネさんは、初めの頃ドキュメンタリーを自分で撮影したことがあるそうですが、現在は”監督 ”のみで、撮影や編集は一切自分ではされないそうです。編集は最初の頃から全くやったことがないのだとか。「自分で作ったものを自分で編集すると、距離が近すぎてしまう。客観的に観たいから編集は自分ではやらない」と言っていました。”監督”をやり、その他は分業していますが、分業していく上で一番大切なことは”スタッフを信頼すること”と言っていました。

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お腹一杯食べてホテルに戻りました。お昼に一度ホテルに行きましたが、部屋は見ていなかったので、部屋に入ってまたびっくり! 普段泊まるビジネスホテルの倍以上のスペースがあるではありませんか! これまでで一番小さかったホテル(具体的には広島のホテル28)の部屋が、ここでは風呂・トイレスペース程度です!
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部屋からの夜景
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レセプションパーティーでは、各ゲスト(←女性のみ!)に花束が贈られました。
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アップ
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さて、名古屋二日目は、朝起きて朝食を食べ、メールの返信などの用事を済ませてから、御園通へ向かいました。お目当ては、すし屋のランチ。名古屋の穴場グルメとして、前日にスタッフの柴田さんから教えてもらったお店です。

目的の場所、東鮨は映画館・ミリオン座の向いにあります。
ミリオン座
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東鮨外観。ポイントは”2階”だそうです?!
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東鮨名物”二階でランチ!”。なんと、二階でのみ提供される日替わりランチは、ランチのお代わりが自由!!! 例えば、毎週水曜日はチラシ寿司だそうで、そのチラシ寿司とお味噌汁のお代わりが自由なのだそうです!
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ランチタイム開始と同時に入ったので、二階の座席はまだすいていました。
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この日の日替わり定食のお品書き。2枚に渡って書き綴られています。
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お代わり自由とはいっても、とにかくすごいボリュームで完食するのがやっとでした・・・。
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これがお代わり自由のアナゴちらし!
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すっかりお腹いっぱいになって、店の外に出ました。映画祭の会場に向かう前に、この満腹感をちょっと押さえないとと思って、その辺を歩いていました。

すると、金券ショップの自動販売機を発見! 自販機なので24時間買えます。名古屋の割引券・回数券文化がこんなところにも現れています。
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午後は2時から「星の国から孫ふたり~「自閉症」児の贈りもの~」(槙坪夛鶴子監督)を観ました。観終わった後に、三浦監督、酒井監督とともに控え室に向かいました。ちょうどソウル国際女性映画祭ディレクターのイ・ヘギョンさん、東京国際女性映画祭の大竹さんがいて、話題は「なぜ日本の女性映画祭の観客は年齢層が高いのか?」という話題になりました。確かに私も上映会場に入ってみて、年齢層が50~70代ぐらいというのに驚きました。まあ、平日の昼間の上映ということもあると思いますが、ソウルの国際女性映画祭では、観客のメインは若い女性や大学生なのだそうです。この違いは一体どこから来るのか?という話になりました。

ヘギョンさんのお話では、ソウルの場合映画祭が女子大の先生方と協力して開催をしているそうです。それで先生たちが学生を巻き込む。女子生徒がボーイフレンドと手をつないで映画祭にやってくる、そんな光景も珍しくないそうです。一方日本の場合は、女性運動にメインで関わっている人たちや女性インテリ層の年齢が高いからかもしれない、とのことでした。同じアジアの、距離的には近い国ですが、女性映画祭、女性運動ひとつとってもだいぶ違うのだなと感じました。

今、韓国では大学生たちの「知りたい!」「観たい!」という意欲がとても旺盛なのだそうです。一方で日本の大学は、私の映画の中にも出てくるように、学内でビラ配りをすることさえ禁じられ、学校のカリキュラムもかなり監視・介入されるようです。経済状況としては、日韓とも非正規職(契約社員やフリーターなど)が問題となり、若者の雇用状況が厳しいという点で非常に似ているし、両国とも「生きづらさ」を感じていると思うのですが、それに対する行動はかなり隔たりがあるようです。

そのあとで、他の日本の監督さんたちと雑談していて、文化庁の助成金の話になりました。フィクション、ノンフィクションに関わらず、映像製作に関して助成金の申請が出来る制度のことです。私の知り合いの監督さんでも、何人か受けている人がいます。(劇場公開をしているような作品の場合は、特にもらっている人が多いようです)。

私はそもそも映画を作ることを目的にして撮り始めたわけではないし、海外に住んでいたし、申請するのは手間ばかりがかかりそうというイメージがあったので、申請していませんでした。カメラ自体が家庭用なので、映像や音声の元々のクオリティー自体が低いし、これはどうにもしようがない、と思っていました。でも、他の方によると、ポストプロダクションでかなり改善されるのだそうです。特に”整音”と呼ばれる、音の処理。これをプロの人にやってもらうことで、かなり良くなるとのこと。でも、これらにはお金がかかるので、そのためにも助成金をもらうことはかなり重要と言われました。

そんなに良いなら是非!と思いますが、助成金にも問題はあるそうで、例えば、助成金申請時にかなり詳しい映画の構成等を書かなければならないこと。ドキュメンタリーの場合、始める前にテーマについて少しは調査するでしょうが、どんなドラマが展開されていくことになるのかは始めて見なければわかりません。それを審査員が”読んで情景が目に浮かぶ”くらい詳しく書かなければならないのは、かなり厳しいといえます。また、助成金の申請が決まってから半年以内に映画を完成させて提出しなければならないのだそうです!(助成金は年に二回ある関係で半年以内に完成となっています)。完成できなければ助成金は取り消しになってしまう・・・。制作のプロセスと全く関係ない役所の都合で助成金を出すな~と言ってやりたいですが・・・!

この半年の制限のため、監督さんの中には、製作をあらかじめ始めておいて、あと半年で完成するという段階のときに助成金を申請するという人もいる、と聞きました。それならば助成金を問題なくもらえるでしょうが、映画制作にはとにかく初めからお金がかかるもの。最初に何の資金も助成金もなくはじめるのは、難しいでしょう。それに助成金だって、最後までもらえるかどうかわからないのですから、最初からもらえることを前提として予算を組むのはかなりの賭けのようにも思います。

夜になり、今夜もまたゲストの人は食事に連れて行っていただけるとのことでした。今夜は鉄板焼きのお店。3つのテーブルに分かれて座り、私はあいち女性映画祭の立ち上げ人である大野さんと同じテーブルになりました。映画祭立ち上げまでのお話を聞いていて、今でこそ知名度のある映画祭ですが、最初は本当に大変だったんだな~と思いました。

私は感覚で動くタイプですが、他人を巻き込んで何かをやる場合、しかもそれが県や市など行政も巻き込んでやる場合は、女性映画祭をやる”必要性”というのを説いて回らなければならないのです。面白そう!だけではなく、役人も納得し更にお金も出すような理由付けを!

最初「男女共同参画の一環として、女性映画祭をやろう!」となったときに、「何で映画なの?」、「どれだけ人は来るの?」という意見もあったそうです。実際、第1回の映画祭では当時まだ無名だった河瀬直美監督の作品を上映して、その回のお客さんは10人ぐらいだったとか。 

大野さんのお話を聞いていて、何かを立ち上げるというのは、バイタリティーだけではなく、企画力、説得力、さらには書類作成能力(地味だけれど、これが実は一番重要かもしれません・・・!)なども必要なのだ、と思いました。ちなみに大野さんは現在、来年開催されるあいちトリエンナーレの事務局長として活動されているそうです。

二日目の夜が終わり、ホテルに戻りました。

追伸:
この名古屋の滞在ですが、朝からホテルのバイキング、映画鑑賞(座っているだけ)、控え室でお弁当、また映画鑑賞、夜は宴会の繰り返しで、まるでブロイラーの鶏のように太っていきました・・・。

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踏み込むカメラ!(上映会報告2009/08/28 - 30)

ちょっと日にちがたってしまいましたが、先月末はシューレ大学国際映像祭に行ってきました! シューレ大学は1999年に設立されたちょっとユニークな大学。というのも、設立母体が東京シューレというフリースクール(オルタナディブスクールなど、様々な言い方があります)なのです。学校に行かない・行けないという、いわゆる不登校の人から、もっと自由なスタイルで勉強したいという人まで、いろんな人が集まります。シューレ大学によれば、「知る・表現すると言うことを自分のスタイルで進め、自分とは何者かを問い、生き方を模索し創り出す場」をめざしているのだそうです。

シューレ大学ウェブサイト
http://shureuniv.org/top/

その大学が主催した、シューレ大学国際映像祭は「生きたいように生きる」というテーマで、国内外のフリースクールの生徒さんの作品、テーマに沿った公募作品などを3日間上映しました。

私の学生時代にも学校に来なくなる人はいましたが、私はフリースクールには今回初めて行きました。初日はシューレ大学の作品「孤独の閃光スペクトル」を観ました。主人公はシューレ大学の学生でもある山本菜々子さん。不登校を経験し、強い孤独感、自己否定感を持つ彼女。彼女の生きづらさはどこから来るのか? というテーマに挑んだドキュメンタリーです。

私は観て、とにかくびっくりしました。カメラの前でさらけ出される自己憎悪。慕っている男性から「あなたの全てが好き」と何度も言われても、受け入れられない彼女。自分は結局利用されているだけ、不潔な存在・・・繰り返される自己否定の言葉と絶叫の数々・・・。

誰にでも孤独感や自己否定の感情はあると思いますが(なければないで、それも問題でしょう!)、忙しい日々の生活に埋没されて、(こんなもんだ)と自分なりに解決をして(蓋をして?)私などは生きているように思います。でも彼女の場合、そしてこれを一緒に作り上げているフリースクールの生徒さんたちは、真剣に自分の孤独、存在について掘り下げ、表現をしているわけです。それ自体が苦しい作業に見える・・・。かなり骨太なドキュメンタリーでした。

他には、公募作品の「わけられて」(かしょう監督。性同一性障害に向き合ったセルフドキュメンタリー)を観ました。

初日の上映の後は、フリースクールの生徒さん、スタッフの方々とお話が出来ました。韓国のフリースクールの人も来ていました。日本、韓国、台湾などは学歴社会で、その反動から不登校になる人が多く生まれるそうです。例えば、韓国では人生で一番大切とされる大学入試の日に遅刻しそうになると、警察官がパトカーに載せて受験会場まで送ってくれるという話は有名です。また、台湾では、激しい受験勉強の反動から、受験が終わった日には教科書を燃やす人もいるそうです。合否発表の日には自殺者も出るとか。

激しい受験戦争→不登校という背景から、これらの国々ではフリースクールが多く存在するそうです。しかし、フリースクールのあり方も国によってずいぶん違うそうで、生徒の自主性を重んじたカリキュラムで進める学校もあれば(日本はこのタイプが多い)、逆に韓国などではものすごく勉強に力を入れるところもあるそうです。

また、「不登校」という概念自体がない国もあるのだとか。カナダでは、「フリースクール」というと、「ホーム・エデュケーション」(家庭での教育)と捉えられるそうです。そもそも「学校に合わせる」という固定観念がなく、学校が合わないのなら学校を変えればよい、家で勉強すればよい、学校に合わせて無理に自分を変える必要はないという考え方が浸透しているそうです。

そのような違いはありますが、フリースクールでは表現活動に重きを置いているところが多いというところでは一致しているようです。スタッフの朝倉さんは「言葉、写真、映像、演劇、音楽などの表現活動を通して、自分の生きづらさがどこから来るのかを探る。それは辛い作業ではあるけれども、大きな魚の骨がのどに突き刺さっているのを抜き取る。のどに手を突っ込んで抜き取らなければならないものもあるだろう。それは見苦しい作業かもしれない。でも、そうしないと状況は変わらない」と言っていました。

映像祭2日目は16時から自分の映画の上映をやりました。上映の前にスタッフの朝倉さんと長井さんと打ち合わせをしました。「なぜ映画を作ろうと思ったか?」、「なぜビデオカメラを持っていたのか?」、「難しいと思った点は?」などの質問をされると言うことでした。

上映後のトークでは、上記に加え「ブライアンは幸せだろうか? 身を削ってやっている感じだ」、「戦争賛成派の主張は”防衛としての戦争”なのか?」といった質問をいただきました。

トークの様子。スタッフの長井さんがお相手をしてくれました。
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上映の後は少し休憩時間があったので、会場内にあるカフェブースで豆乳キャラメルドリンクとバナナケーキを食べました。その時にフリースクールの学生さんと世間話になりました。

私が大学を卒業した年は「就職活動、超・氷河期」といわれる時代でした。現在も不況ですが、企業は新規採用をわずかながらしています。それは私たちの時代に、不況であまりにも新卒採用をしなかったため、社内の年齢構成バランスがおかしくなってしまった反省から、不景気でも少しは採用するのです。でも私のときは、新卒採用ゼロ企業が沢山ありました。

その話を私がしたら、その二十歳前後の男性は「自分は生まれた年がちょうどバブルがはじけた年だったんですよ」と言いました。生まれた年がバブル崩壊・・・。「これまで生きてきて”これから良くなる”って上向きの体験をしたことないんですよね」とも言っていました。

うーーーん。私の就職活動時期は確かに大変でしたが、私が小さな頃はそれでもまだ経済は良かったし、将来の不安や暗い結末などあまり考えずに過ごしていたように思います。でも一方でこの男性は、生まれた年にバブルがはじけ、その後経済はほとんど良くならずに、社会保障なども切り下げられる一方の中で成長してきたわけです。人にはそれぞれ生まれ持った個性の違いはありますが、この圧倒的な時代の背景が人格形成に及ぼす影響は大きいでしょう。

彼は「生まれてからずっと世の中は暗いんです」とも言っていましたが、色々話をしていて、「でも今はあまりにも経済や世の中が悪くなりすぎて、行き詰っている。これまでは”良い大学→正社員として就職”が王道とされてきたけど、その構図は幻想になった。価値観の転換を迫られて、逆に何でも出来る世の中になってきているのではないか?」という意見も出ました。そういう発想の転換で世の中を渡り合っていけたらいいなと思いました!

同じくカフェブースでは、前日に観たシューレ大学の作品の主人公、山本菜々子さんのお母さんに会いました。映画の中で、私が印象に残っているシーンのひとつがお母さんなのです。菜々子さんの子どもの頃を話す場面で、お母さんは「女の子がいじめられていると、普通は先生に言うでしょう? でも菜々子はいじめた男の子本人に直接言うの。正義感の強い子だったんでしょうね。人といつも全力で向き合って、いい加減に出来ないから疲れちゃうんでしょうね?」といっていました。

自分の子どもを正義感が強いと、人前で、カメラの前できちんと言える親は少ないのではないでしょうか? 少なくとも我が家は”謙遜派”です。それに私は感動したので、菜々子さんのお母さんにも伝えたのでした。

するとお母さんは「共感できるものは共感するし、出来ないものはできないと言う」といっていました。「子どもと親ではなく、人と人として向き合っている」とも。「所詮”親”の幻想を求められても無理なんだし」とも言っていました。

私は反抗的な子供でしたが、特に「アンタは子どもだから」「親だから」という言葉に強く反抗していました。それを象徴するエピソードが「コカ・コーラ事件」です。(今では笑い話ですが!)

私は小さな頃から親に「コーラを飲んだら骨が溶けるから飲んじゃダメ!」と強く言われ、それを信じて育ってきました。しかしある日、台所でコーラを飲んでいる母親を発見したのです。(うそつかれた!)という気持ちはなく、「お母さん、コーラ飲んだら死んじゃうよぉ!」と必死で止めようとした私に「お母さんは大人だから良いの」の一言で片付けられてしまったのです。(何でオトナはいいんだ!?)・・・子どもながらに納得がいきませんでした。

スタッフの長井さんともお話をしました。シューレ大学の作品には、沢山の生徒さんが関わっていて、映画の中には製作過程についての様子も描かれています。「このときはどうしてこう思ったの?」、「このセリフ、自分はちょっと言いたくないな~」など、ざっくばらんな意見が交わされます。映画自体は菜々子さんの実体験に基づいているのですが、更にそれを深く掘り下げているのです。やり取りを観ていて面白そうだなとも思いましたし、正直(大変そう・・・)とも思いました。

製作に関わった長井さんは、集団でのモノづくりプロセスについて「議論が出来ているならまだいい。でも感情的な部分で意見の言い合いになると難しい。」と言っていました。例えば、誰かが何かについて意見を言います。それについて、そのコメントの良し悪しを客観的に判断出来るなら良いですが、それとは別の感情(アイデアが採用されないのは、自分が認められていないからだ)とか感じてしまったりすると、意固地になって譲らなくなったりしてしまい、何時間も前に進まないことがあるといいます。(でも、私もそれ分かるな~。批判はありがたく受けるべきとは思いつつも、そのときはカチンとなってしまったりすることもあるし。でも翌日に一人で言われたことを思い出してみて、”その方が良いじゃん!”と思ったり)・・・など、自分に重ね合わせて思いました。

では、そのような感情的な意地の張り合いとなってしまった場合はどうすればよいのでしょうか? 長井さんは、そのひとつの解決策として、”原点に戻ること”と言っていました。モノづくりをはじめるときは、まずどんなコンセプトでやるのかを皆できっちりと決めておきます。意見が分かれた場合、誰さんの意見という見方からではなく、コンセプトという原点に立ち戻ってこの意見は有効か否かで判断する、というものです。その方が冷静に判断が出来るし、これだと言われた方も”コンセプト”という大義名分があるので自己を否定されたと受け取ることもなく、結果的にもコンセプトにブレがなくて良いでしょう。

集団でモノづくりは面白そうだけれども、意思決定には人間関係の力のバランスや信頼関係も絡んで来るのですね・・・。私は今回の作品をほぼ一人で作って、内容の検討を他の人と練りながらやるということをしなかったので、次回は共同作業で作ってみたいと思っているのです。それが大変でも、そのプロセスを経験することも自分の勉強と思って。なので、長井さんのお話を興味深く聞きました。

その後は、公募作品の「国労バッジははずせない! 辻井義春の闘い」(湯本雅典監督)、韓国のフリースクール出身の映画監督、イ・ハクミンさんの作品「誰かの自転車」、大阪芸術大学で映像制作を学んだ石田未来監督の「愛と、生きる」をみました。

イ・ハクミン監督(右)と通訳の方(左)
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石田未来監督
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司会の山本菜々子さん
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さて、映画祭の最終日は日本を代表するドキュメンタリー作家・原一男監督のデビュー作、「さようならCP」の上映、原一男監督の講演、そして各上映作品について監督からの講評(!!)がありました。

監督の講演は、「さようならCP」制作の裏話で、カメラマンを志した初期の頃、ドキュメンタリー制作に至った背景、サディスティックなつくりと批判されることについての反論などが語られました。

原一男監督
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私は初めてこの映画を観ました。映画のあらすじを映像祭のパンフレットから抜粋すると「CP ("Cerebral Palsy=脳性麻痺)者の先駆的な団体「青い芝の会」。障害者だからといって、社会の片隅でひっそりと暮らすことを拒否し、あえて街頭に繰り出す彼らは、不自由な身体を人々にさらすことで障害者=健全者という関係の問い直しを迫る。青い芝の会の生活と思想を正面から捉えた原一男の初監督作品」。

講演は(ビデオを撮っておけばよかった!)と後悔するほど、とても素晴らしいものでした。監督の作品作りに対するこだわり・意気込みと言うより、監督の社会(の固定観念)への挑戦、破壊行為と言った方が良いかもしれません。被写体の人もすごいですが、それを作る監督自体がすごい。要約して言葉にしてしまうと陳腐なのですが、あえて要約すると「これまでにも障害を扱ったテーマの映画は沢山作られてきた。が、どれも”障害者も私たちと同じ人間なのですよ”という欺瞞的なものばかり。その欺瞞をぶち壊し、社会に揺らぎを与えるようなものを作りたかった」とのことです。

時代的に全共闘時代の思想を強く受けていると自認する監督は「社会への戦い方として、10人がそれぞれ1歩づつ、よりも一人のヒーロー的な人が10歩進む方がいい」と言っていました。強烈な個性を持った人、国とケンカできるぐらい強烈な人物(その典型例は「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三さんでしょうか)を撮りたい。ケンカを通じて人は強くなるのだが、現在は社会のケンカの構造が見えにくくなっている。どこにけんかを売ってよいのか分からない。よって被写体となりうるような強烈な個性を持った人がいなくなった、と言っていました。監督自身も次作を作りたくてたまらないそうです。でも、被写体がいないとのこと・・・。

また、少年犯罪をテーマにしたフィクションも作りたいそうですが、フィクションは制作にお金がかかるし、原監督が作ると言うと(とんでもないものが出来る!)と思われて、お金を出してくれる人を見つけるのが大変とも言っていました。すごい監督ですが、すごいがゆえに苦労されているのですね・・・!

さて、講演が終わり、いよいよ各上映作品への公表の時間になりました。原監督に「ブライアンと仲間たち」はどう評されたのでしょうか???

ビデオに収録しましたので、後日その一部始終をアップしたいと思います。私の言葉で伝えるよりも、そのままの方が良いと思うので。(問題は私のPC環境がデジカメレベルの動画しか取り込める容量がないということです。環境が出来たらアップしますので、しばしお待ちを・・・。映像製作者としてこんな環境じゃまずいですね・・・!)

でも、講評について一言で言うなら、「対象にもっとカメラで踏み込め!」ということでした。踏み込むということは、被写体(社会でもあり、自分自身でもある)と向き合う精神的な強さと、それを支える技術力が必要です。”踏み込む”は私の大きな大きな課題。。。

講評の後は、パーティーがありました。シューレ大学の学生さん手作りの料理、韓国の人からのマッコリの差し入れなどで乾杯をしました。

手作りの料理が沢山並んでます
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パーティーの様子
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スタッフ朝倉さんの挨拶。映像祭を10年続けたいとのこと。来年も楽しみです!
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いろんな人と話せてかなり盛り上がったのですが、この日私は宮下公園での上映があり、1時間程度でおいとまして、台風の土砂降りの中渋谷へ向かいました。市民がつどい、野宿者の生活の場でもあった宮下公園が、8月31日をもって閉鎖され、野宿者は排除され、ナイキのテーマパークに変わるということに抵抗するイベント(宮下公園サマーフェスティバル)です。

詳細は以下をご覧ください。
みんなの宮下公園をナイキ公園化計画から守る会ウェブサイト
http://minnanokouenn.blogspot.com/

私が到着したときには既に映画が終わっていたので、私は上映後の挨拶だけしました。渋谷駅から走ってきて、息も絶え絶え、暴風雨で洋服も乱れまくりですごい形相だったに違いありませんが、私として宮下公園のナイキテーマパーク化、野宿生活者の排除について言いたいことを言わせてもらいました。フェスティバルには、京都大学の非正規職員雇い止めに反対して座り込み+カフェをしている小川さんも来ていました! 日中は仰天パフォーマンスをしたとのこと。観たかったです!!

台風とともに8月が終わりました・・・。

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