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沖縄・高江の座り込み(2009/10/15-16)

ブライアンのサポーターであり、私の映画の編集・音楽なども手伝ってくれたポールが、日本に遊びに来ていました。日本に来るときにどこに連れて行こうかと考えて、ブライアンと同様に2007年の7月から座り込みで抗議活動をしている、沖縄の高江に行くことにしました。

私が初めて高江の座り込みのことを知ったのは、昨夏のG8洞爺湖サミットの抗議活動を撮影した時です。自然の広がる北部のやんばるで、米軍のヘリパッド建設に反対して座り込みの抗議を続けている人たちがいる聞き、いつか訪ねたいと思っていました。なかなか行ける機会がありませんでしたが、やっとそのチャンスがめぐってきました。

高江の座り込みについて、詳しくはこちらのブログをご覧ください。
「やんばる東村 高江の現状」
http://takae.ti-da.net/

ブログでは、抗議活動について下記のように説明されています。

高江は、約160人が暮らすヤンバルの小さな集落です。この集落をかこむように米軍のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を6つ作る工事が、始まっています。高江は米軍のジャングル訓練センターの真横にありますが、これでは訓練センターの中に高江があるかのようになります。高江では米軍ヘリが低く長く飛ぶのです。
これ以上ヘリが飛んだら、しかも新型機オスプレイが飛んだら、高江に人が住めなくなる!と考えた高江の住民が、「自分の家で普通に暮らすため」に去年の7月から工事現場の入り口で、工事をやめてもらうために座り込みを始めました。

私たちは、10月13日に那覇に着き、その日のうちに名護まで移動しました。路線バスで海岸沿いをひたすら走ります。電車が走っていたら大した距離ではないのでしょうが、沖縄では電車はないので(市内のモノレールを除き)、移動は車に頼るしかありません。私たちが路線バスに乗ったときは、まさに夕方のラッシュ時で、名護まで3時間近くかかってしまいました。

高江に行くには、那覇→名護→高江とバスを乗り継ぎます。しかし、名護から高江へ向かう路線バスが1日に3本しかないのです! しかも始発が朝の5時50分で、そのあとは午後1時40分までありません! 一体こんなダイヤ、日常的に使う人はいるのでしょうか??!! (ちなみに最終の高江行きバスは夕方の5時半)。朝5時台のバスに乗るのはかなりハードであるため、私たちは那覇から名護まで行って、名護で宿泊した後、午後1時40分のバスに乗ることにしました。

10月15日の朝はのんびりして、午後のバスを待ちます。名護のバスターミナルから路線バスに乗ると、しばらく乗客は私たちだけでした。海岸線沿いをバスは走ります。那覇から名護行きのバスと異なり、途中ほとんど信号もなく、渋滞は全くなく、バスはかなり飛ばして走っていました。

バスの中、車窓からはきれいな海が見えます。
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1時間ちょっとで終点の高江に到着しました。バス停のすぐそばにコンビニ(?)らしき「高江共同売店」があり、そこで飲み物を買うことにしました。
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事前に高江の座り込み活動のウェブサイトをみて、「座り込みに参加したい場合は、N-4ゲートに行って受付をする」などの情報を得ていました。N-4ゲートというのは、高江共同売店前の道路(70号線)を北上したところにある、と書いてありましたが、バスを降りた私たちは「どっちが北?」という状態。サバイバル感覚ゼロです! 共同売店の店員さんに北がどちらか聞きました・・・。

高江共同売店を背にして、右側へ向かうのが北上とのこと!
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北の方角を教えてもらい、歩き始めました。少し歩くと、道沿いにおしゃれなカフェを発見。「ヒロ・コーヒーファーム」と書いてありました。なんと、自家栽培のコーヒーを自家焙煎して出すお店だそうです! 着いたばかりですが、早速休憩することに変更。

ヒロ・コーヒーファーム前にて
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コーヒーポットは冷めないように、ホットプレートのようなものに乗せておくという心配りも。
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早くも一休みしてしまった後、お店を出てN-4ゲートに向かって歩き始めました。途中、時々「スピード落とせ」や、ブリーダーの看板などがポツポツとありましたが、座り込みのテントらしきものは見えてきません。行き交う車も、歩いている人もなくて、果たしてこちらの方角でよかったのかしら?と不安に思いつつも歩き続けました。

通称「ブロッコリーの森」と呼ばれているこの辺り一体は、まるで森とジャングルが混じったような素晴らしい景色が広がります。
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途中でヤモリを発見!
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15分ぐらい歩いたでしょうか? テントとのぼり旗が見え、N-4ゲートに到着しました!
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関東から支援に来られている2名の方がN-4ゲート前のテントにいて、状況を説明してくれました。これまで住民の方を中心に座り込みの抗議活動を続けてきたのですが、なんと那覇防衛局は2008年11月に住民15名に対して「通行妨害禁止仮処分」の訴えを那覇地裁に起こしたというのです! 当初、訴えられた住民の中には小さな子どもも含まれていたのだとか! (批判を受けてか、現在その子どもに対する訴えは取り下げられたそうです)。

これまでは24時間体制でゲート前での見張りを行ってきたそうですが、裁判進行中は工事はしないと那覇防衛局が約束したため、現在座り込みは1箇所を除き夕方ごろまでとしているそうです。

テントにて
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洗ったコップが山積みに置かれていました。
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わずかに残っている赤い線が米軍基地との境界線なのだそうです。それにしても薄すぎ!
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線の向こうは米軍基地内!
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このように柵で囲ってあるのは北部訓練場全体の一部に過ぎず、そのほかの地域は一瞥して米軍基地なのか、民間の土地なのか分からないところも多いです。住民の方に聞いたところでは、突然茂みの中から訓練中の米軍の一団が飛び出してくる場面に遭遇することもあるのだとか。

やがて今日の座り込みは終了しました。途中のんびりしすぎて遅くに到着したので、ほとんど座り込みに参加できなかったのが残念です。もっと早くに到着すべきでした。

その後は、座り込み支援の方たちが宿泊する場所へ連れて行っていただきました。今夜は私たちもここに泊まらせてもらうことに。

この場所は、座り込みの人たちのミーティングや支援者の宿泊などに使われるそうです。「ブライアンたちが見たらうらやましがるだろうな~」とポールは言っていました。ブライアンたちは8年たったいまだにテント暮らしですからね^^;

宿泊所へ向かうと、清水さんがいました。清水さんは、私が映画を作ったときに連絡して、座り込みの方たちで映画を見て下さいとお願いしたときにお世話になった方です。これまでメールで連絡していたので、お会いするのは初めてでした。清水さんが車で各ゲートを案内してくれるとのことで、7人ほどで車に乗り込みました。とにかく基地が広大で、ゲート間を行き来するにも車が無いと厳しそうです。
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メインゲート前。どこのゲート前も門番のような人はおらず、人影も見えませんでした。
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警備員(←座り込み派の方ではない)の方が自分で建てたという小屋が見えました。
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鳥の巣のようですが、雨風はきちんと防げるのでしょうか・・・
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「命どう宝」(命こそ宝)と書かれた横断幕
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現在一人で24時間体制の座り込みをされている方がいると聞きました。このときは不在だったのですが、彼専用の寝床(?)がありました。なんと、皆さんで手作りされたそうです!
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北部やんばるにはダムがいくつかあって、沖縄県民の水がめとして機能しているそうです。車では大きなダムの近くも通りました。(以前雨不足でダムの水が枯れそうになったとき、底から薬莢(やっきょう)が見つかったことも・・・!)

公共事業や米軍基地などの建設の際は、その工事が自然環境へどのような影響を与えるのかを調べる、環境アセスメントをすることが必要です。しかし例外もあるようで、例えばこの写真の森の中の小道。防衛局は、ここをヘリパッド建設の資材を運ぶ道として使う予定だそうですが、「木の枝を一本も折らずに通るので、環境への影響はない。よってアセスメントは不要」と言っているのだそうです! 木を折ることなく、この茂みの中を一体どうやって通るのでしょう・・・?! 
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ゲートを車で回ってみている間に辺りはすっかり暗くなり、宿泊所へ戻りました。7時ごろになり、抗議活動をしている住民の皆さんも集まって、美味しい沖縄料理も用意していただきました。短い滞在ながら、住民の皆さんと会えてお話できたのは貴重な体験でした。
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中でも、もともと沖縄出身ではなく、沖縄にあこがれて移住し、お子さんが生まれたのを機に「大自然の中で子育てしたい」と高江に移り住んだ女性の話が印象的でした。念願かなって高江に住んだとたんに沸いたヘリパッド建設の計画。抗議活動とか、いわゆる”運動”とは無縁だったけれど、自分たちの住む環境を守るためにとにかく座り込みを開始。仕事、子育てという日々の生活を続けながら、少ない人数のローテーションで抗議活動もやる。その両立は想像するだけでハードです。でも、抗議活動を始めてみて、「色んなことを知った。こんな山奥の小さな村に、色んなところから支援をしに来る人がいるのにびっくりした」とも話していました。

高江は人口150人ほどの村だそうですが、抗議活動のメインとなって活動している村民は15人ほど。それは単純に人口比で言えば1割程度に過ぎません。他の地元住民の人たちはどう思っているのか聞いてみました。すると、抗議活動のメインとなっている人たちは、村外から移住してきた方が多いそうです。元々の地元住民の人たちは、もちろん基地なんてないほうが良いとは思いつつも、戦後ずっと基地を押し付けられてきた長い歴史があるので、かつては抵抗したけれどもあきらめモードの人も多いとのこと。ヘリパッドが作られてしまうのなら、何らかの恩恵(=補助金)をもらうべきだとか。でも、何か起こったときは結集するというのが沖縄。緊急事態のときは、多くの人が集まるようです。やはり根底には不満の気持ちが多くあるのだと思います。

話していて、私はブライアンたちの座り込みとの大きな違いを感じていました。それは、高江の彼らが”生活上の必要に迫られて抗議活動をしている”という点です。ヘリパッド建設によって自分たちの生活を壊されたくないから活動をしている。これは、ヘンな言い方ですが”誰に頼まれたのでもなく、自分の意思で抗議活動をやりに来ている、やり続けている”というブライアンとの大きな違いです。ブライアンは、抗議活動のためには自分の生活や家族を犠牲にするのも厭わないぐらいの気持ちでやっていますが、高江の女性は「何よりもまず家族が大事。家族がバラバラになってしまったら、それは本末転倒で、抗議活動を続ける意味がない」と言っていました。

現在、那覇防衛局が仮処分の訴えを起こしているので、これからは裁判手続きのたびに那覇地裁に行かなければならないそうです。座り込みのローテーションだけでもやりくりするのが大変なのに、1日がかりで那覇まで出かけなければならないのは、相当な負担となってしまうでしょう。仮処分の訴えはどうなりそうと予測しているか聞いてみたところ、おそらく訴えられている人のうちメインの数名が仮処分の対象とされてしまうかもしれない、と言っていました。全員を対象とすると批判が大きくなってしまうので、数名を対象にして活動をやりにくくさせるのが狙いだ、と。裁判所がどのように判断するか。これは様々な抗議活動をしている人々にとって、重要な判断になるだろうと思います。

この日は、高江の抗議活動が始まったときからずっとその記録を撮り続けている比嘉真人さんともお話が出来ました。活動の様子を「やんばるからのメッセージ・高江の記録」としてまとめ、各地で上映されています。

比嘉さんも仮処分で訴えられている1人なのだそうですが、イギリスの新・テロ対策法で「軍隊・警察などの写真やビデオを撮った者は最高で懲役10年」(「軍隊・警察の情報を広めたものは・・・」と法律の条文上は広く定義されていますが、実際は「警察・軍隊の撮影をしたら逮捕」と言う意味で捉えられています)という改悪が行われたことに対して、とても驚いていました。日本でもしこの法律が作られてしまったら、比嘉さんのように座り込みを撮影することは出来なくなってしまいます。

「イギリスではこんな法律が作られることは、大問題にはならなかったのですか?!」と聞かれました。大問題になってしかるべきと思いますが、”スルーされてしまった”というのが実情でした。「どうやらこんなとんでもない法律が出来てしまうらしい」とインディペンデント系のメディアで誰かが投稿したのが昨年末ごろでした。その時、大手メディアではまったくこのことは報道されていませんでした。その直後にパレスチナのガザ侵攻が起き、アクティビストも独立系メディアも皆、そちらにかかりっきりになってしまったのです。そして2月に法律が制定されてしまい、された直後には大手メディアも報道し、主にフリーのカメラマンたちがその法律に抗議してロンドン警察前で”大撮影大会”を行ったのですが、法律が出来てしまった後では、すべて後の祭りでしかありませんでした。

BBCがイギリスのジャーナリスト組合NUJに、この法律についてインタビューをしていて、NUJは「表現の自由にとって大きな問題」と発言をしていましたが、はっきりいってNUJはこの問題に対して事前に何もアクションをしていませんでした。NUJの機関紙を購読し、メーリングリストにも入っていましたが、”組合”なので、”雇用問題”が彼らのメインテーマで、表現の自由は二の次になってしまっているのが実態のように思いました。

高江の座り込みを積極的に支援されている阿部小涼さんともお会いすることが出来ました。阿部さんは、アメリカ、カリブ海地域の研究が専門で、琉球大学で教えられているそうです。世界各地の反戦・抵抗のムーブメントにも詳しく、授業で取り上げているとのこと。

阿部さんからは私の映画に対するコメントをいただきました。まず気になったのはナレーションの声だと言っていました。映画の中での私の話し方(インタビューなどで時々出てきます)は普通なのに、ナレーションがかしこまっている、とのこと。このナレーションについては意見の分かれるところで、「普通に読んだ方がいい」、「柔らかい感じでよい」、「素人っぽい」、「素人っぽいから良い」など、人によってだいぶ意見が違います。私はナレーションについてどうやるべきだったのかは未だに分かりませんが、でも「句読点のつき方がおかしい」と言われることもありますので、どう読むか以前のレベルでそれは直さないとっ!と思います。

また、現在進行形の問題を、映画としてまとめて世に出すことについても話題になりました。ブライアンも、高江の活動もそうですが、その活動自体は現在も続いています。でも映画は、例えば辺野古を扱ったMarines Go Homeなどもそうですが、その活動の一期間を撮影して、しばらく時間をかけて編集して、映画として完成します。そこにはどうしても現在の活動とのタイムラグが発生してしまいます。なので、当事者が映画を観たときに違和感があるのだといいます。でも、”映画”として完成したものは一人歩きをはじめるので、その問題を知らなかった人にとっては、その映画こそがその問題の全て。この問題はそういうものなんだ、と思われてしまう。

映画作りには時間がかかるので、このタイムラグというのは避けられない問題のように見えます。でも、現在進行形の問題を取り上げるのは、それが現在進行形であるということを示すための配慮が特に必要で、制作側もこれを意識しなければなりません。「これは現在進行形の問題で、この作品はその問題を私という個人のフィルターを通して見つめたものです」、というスタンスが出るように。・・・とは言え、それをどうやって映画に盛り込むのかは難しいですが・・・。

製作側の意図としては、現在進行形の問題こそ取り上げたいと思います。終わるまで見届けるのも大事で、全てが終わったときにまとめた作品を作るのも有りですが、それだと”過去の出来事”になってしまい、今更何も出来ないと思うからです。歴史としてきちんと残し、語り継いでいくことももちろん大切だけれど、私としては「今、私たちに何が出来るのか」のキッカケとなってほしい気持ちがあります。

現在進行形で取り上げて、その問題をもっと多くの人に気がついてほしいと思って映画作りを始めるのですが、テレビのニュースと違ってすぐに世に出せないのが自主制作のドキュメンタリーの難点。確かにタイムラグは発生するけれども、その問題に映画をキッカケに興味を持った人は、今度は自分でその問題を追うようになり、タイムラグについては各自でフォローしてもらう・・・観た人にこんなあらすじを期待してしまうのは、都合が良すぎでしょうか・・・。

また、映画の中で取り上げられているエピソードというのも、実際に活動している人の視点と、製作者の視点では違うことがあります。沢山撮った中で(何でこれがわざわざ使われているの?)と思われることもしばしば。例えば、私の作品の場合は「なんで○○が大きく取り扱われているの? XXさんの方がもっとメインで活動しているのに」とか、「日本人の女子大生が出てきて日本の状況を語るけど、かなり限定的。日本にも沢山活動している人たちがいるのだから、それを代表しているとはいえない」と言う意見ももらいます。

確かにそうです。日本にも長い運動の歴史があります。でも、イギリスの抗議活動をメインに取り上げている映画で、どこまで日本を登場させるか、あまりそちらのボリュームが多くなるとかえって視点がぼやけてしまうとも思いましたし、日本の現状として、活動している人たちはいるけれどもまだまだ少数派に過ぎず、表現の自由が広く認められているとは言い難い状況であると思ったので、女子大生だけ登場させています。

究極のところ、ドキュメンタリーは社会的な事象を取り上げてはいるものの、作者個人のメッセージで構成されてしまうように思います。しかし、”映画”として作る以上は、これが少なからずその活動なりについて観た人に限定的な印象を与えてしまうことを作り手はもっと意識しなければならないと、阿部さんとお話していて強く思いました。

その他、話していて特に興味深かったのは「製作者は運動体のタブーも恐れずに取り上げていくべきだ」ということでした。運動体というのは、反権力だったり、既存の価値観、マジョリティーに対抗するものでありながら、運動体の組織自体は、権力側と全く同じような縦社会の構造だったり、男性優位のマッチョな世界だったりします。また、運動にのめりこみすぎて起こる家庭崩壊も大きな問題です。阿部さんは、これまでの様々な運動を見てきて、こういう問題は幾度も繰り返されてきたのに全く改善されていないことに不満を持っているといっていました。製作者たちは運動を取り上げるときに、内部崩壊の様子などまで描くことをタブー視しているが、どんどん取り上げてほしいと言っていました。

私は自分の映画の中で、ブライアンの家庭崩壊については、「家には帰ってない」ということ、「でも奥さんと子供は何人かいるらしい」ことだけほのめかしています。また、パーラメント・スクエアでの仲間同士の不和もあえて取り上げていません。取り上げることで、印象が悪くなってしまうし、全体として私が伝えたいメッセージとの整合性が取れなくなってしまうと考えたからです。でも、こういう活動がどんな犠牲の上に成り立っているのか、原始的な”社会”の形成過程でもある運動体がどのように生まれ、どんな問題を抱えながら成り立っていくのかをみせることは、大事であると今は思います。(ちなみに、運動体が何かを”所有”することで、組織のバランスが崩れていくということが多くあるそうで、例えば、それまでうまく行っていた団体が、車を寄付され、「これは役に立つ!」と最初は歓迎したものの、名義を誰にするか、維持費をどうするかなどで後々様々な問題が生じてくるそう。そういう意味では、高江の宿泊施設を借り上げるということも、組織にとっては良くも悪くも”試練”になるのです。)

運動体がもつ問題や可能性について、どう描けるか、どう被写体になる人々の蓋をしておきたい問題に踏み込んでいけるか、そしてそれをどう映画の中に取り込んでいくか・・・難しいですが、今後意識して取り組みたいです。(後日別の人とこの話題を話していたときに、「韓国の運動系のドキュメンタリーは、かなりこの辺をきちんと描いている」と聞いたので、観てみたいと思っています)。

夜も更け、清水さんたちが唄と三線を披露してくれました。
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遅くになってお開きになり、それぞれ帰り始めました。私とポールも、翌朝のバスが7時5分と早かったので(本当にこんなダイヤは嫌!)早めに寝ることにしました。(でもなんだかんだと話していて、結局寝たのは3時近くでした!)

翌日、6時半頃に起きてバス停に向い、名護行きのバスへ乗りました。名護でバスを乗り換えて那覇市内へ。10月の曇りの日にもかかわらず、沖縄はやっぱり暑くて(高江の人たちはそれでも「ちょっと冷える」とか言っていて可笑しかったですが)、寝不足もたたって体力を消耗しながら市内観光をしました。

那覇の台所、公設市場。
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イラブチャー、ハリセンボンなど沖縄の珍しい食材が沢山!
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本物の豚の頭が鎮座しています!!
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お土産やさんがずらっと並んだ国際通りを歩いていて、大きな水槽の中に「ドクター・フィッシュ」を見つけました。死んだ皮膚をエサとして食べる魚で、温泉地やスパなどで見かけるあれです。魚に皮膚を食べてもらうと、余計な角質が取れて肌がつるつるになるんだとか。5分500円と書いてあったので、やってみることにしました。
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足を入れるとさっそく大量の魚が食らいついてきて、足をつついてきます。私にはこんなに死んだ皮膚が沢山あるのか、それともこの魚たちは全くえさを与えられていないのか知りませんが、とにかく足という足にまとわりついて、それは大量のムカデか何かが這い回っているような感触! 気持ちいいというよりも、とにかく馴れるまではかなりくすぐったいです。
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でもこのリアクションはちょっと大げさかも・・・。ポールは「Torture Fish」(拷問の魚)と呼んでいました。
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翌日午前中の飛行機で那覇から東京へ戻りました。高江の皆さん、どうもありがとうございました! これから仮処分の裁判でますます大変になると思いますが、応援しています!!!

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