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30歳定年?!(上映会報告2009/10/10)

ちょっと日にちがたってしまいましたが、10月10日は日本ジャーナリスト会議(JCJ)の千代田区にある事務所で上映会がありました。最寄の駅までJCJの林さんに迎えに来ていただき、事務所へ向かいました。

会場へ着くと、既に何人かの方がいらしていました。中には、つい最近イギリスへ行き、ブライアン達と交流してきたと言う方がいらっしゃいました! 写真、ビデオも撮ったそうです。その時は、パーラメント・スクエアにはエリック(映画の中で”北海道”、”札幌”というおじいさん)がいて、朝まで話し続けるかのようなマシンガントークに驚いたのだとか。

今回の上映会はJCJの「ミニシンポ」という形で開催していただいたのですが、事務所で映画を上映するのは初めてだったそうです。映画を上映するということは、それはスクリーンが必要なことを意味しますが、そのような設備は事務所に備わっていなかったそうで、大きな布を天井から吊るすという手作りのスクリーンを用意していただきました!

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2時になり、上映が始まりました。
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上映の後、トークと質疑応答の様子。質疑応答では、映画の中に出てくる日本人たちは何の人たちなのか? 偶然彼らと出会ったのか? という質問や、ブライアンはどこかの組織の後ろ盾があるのか? それとも全く個人の活動か? ロンドンのジャーナリズムの学校へ通ったというが、どういう授業内容だったのか? などの質問をいただきました。
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ミニシンポは予定通り4時半に終了しました。その後、希望者で懇親会となりました。JCJの皆さんが集まりの後に良く使われるという中華料理店に向かいます。
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トークでは私が話すばかりですが、こういった懇親会では参加された方々のお話が聞けるのが楽しみです。特に今回はジャーナリストやマスコミ業界にいる(いた)方々。私の映画に対する意見も含め、どんなお話が飛び出すのか楽しみで向かいました。
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映画を観た人から、いつも色んな意見をいただきます。それらはとても参考になりますが、中でも私は映像製作者(テレビでも映画でも)の意見に興味があります。そのことをJCJの方に話したら、「製作者の意見は優しいよ。だって、作り手の大変さを分かっているんだから。一般の人の意見は厳しいよ。面白いか、面白くないか、シビアに観るからね」と言われました。

確かにそうかもしれませんが、私が映像製作者の意見が参考になると思うのは、彼らの意見が単に「面白かった」、「つまらなかった」というものではなく、「ここをこうすれば良くなるのではないか?」といったような、完成品としてではない、制作途上のアドバイスがもらえるからです。単に「つまらない」と一蹴されても、私としてはどうしていいのか分かりません。それよりも「もっとこういうシーンを入れたほうがいい」など言ってもらえた方が、実際はもうその作品をやり直すことはなかったとしても、大いに今後の参考になるのです。

私の作品に関しては、まずタイトルにインパクトがほしいと言われました。観終わった後で(なるほどね)とタイトルの意味したいところを理解されたそうですが、観る前は(なんだこれ?)と思ったそうです。ほとんどの人はタイトル、スチール写真、簡単なあらすじぐらいで映画を観たいかどうか決めるのですから、タイトルにインパクトを持たせることは大事です。確かに・・・。

音声に関しては、音声をきっちりと撮った方がよいといわれました。ずっとテレビでニュース、ドキュメンタリーを制作されていた方は、「今は20万円ぐらいでものすごい良いマイクがある。それを使いなさい」と言っていました。今回の映画に関しては、もともと映画にするつもりでもなかったし、ゲリラ的に始めていたので、画質と音声についてはしょうがないと割り切っていましたが、やはり雑音が入ったものを1時間以上聞くのは耳が相当疲れます。次回は音声をちゃんと・・・と思っていますが、20万円って、私のビデオカメラ本体より高い・・・(汗)。

今回上映を企画していただいた林さんは、TBSでディレクター、プロデューサーを30年近くされてきたそうです。林さんがテレビとかかわり始めた頃は、テレビがとても面白い時期だったのだとか。製作者たちが良い番組を作ろうと熱意を持っていたそうです。ディレクターとしてカメラマンとよく大喧嘩したのだとか! 私個人としては、カメラマンとの相性はものすごく大事だと思っています。合わない人にお願いするぐらいだったら自分で撮る方が良い、とさえ考えています。しかし、林さんは「最初から合うカメラマンなんていない。ケンカを通して意思疎通して相性は合っていくもの」と言っていました。

テレビ、新聞というと、組織が大きすぎて制約が強く、好きなことはやれないというイメージがあるのですが、それを林さんに聞いたところ、内容についてとやかく言われるのは10回に1回程度しかなかったそうです(←取り上げたいテーマにもよるのだと思いますが)。テレビは毎日放送するものだから、基本的にはいつもネタがほしい状態。なので、やりたいことはほとんど出来たと言っていました。仕事はハードだったけれども、面白くて家に帰りたくないほどだったそうです!

マスコミの仕事というと、忙しすぎてネタを見つけてくる時間なんてあるのか?と思ってしまいますが、仕事の合間を縫って外に出たりして、情報を拾ってきたそうです。「まあ、こんな仕事、割に合わないんだから、好きじゃないと出来ないよ」とも言っていました。でも、そんな林さんにとって、現在のテレビ業界の状態は芳しくないようです。「働いている人に余裕がない。かわいそう」と言っていました。

1次会の終わりに記念写真
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上映会が早くから始まったので、1次会が終わったといってもまだ6時過ぎ。ほとんど同じメンバーで2次会へ向かいます。2次会の席では、映画の中で描かれた「イギリスの民主主義」の話から、日本の民主主義についての話題になりました。これまでニュース、ドキュメンタリーを制作されてきた方は「日本はこれからが面白い。民主党政権でどこまで変わるか分からないが、でも変わり始めている。」と言っていました。特に民主党が導入を検討している日本版FCC(放送局の認可や番組規制などの監督権限を持つ独立行政機関の設置)に注目しているそうです。

私もFCCには興味はあります。でも、それ以前に、マスメディア自体のありかたに興味(というか疑問?)を持っています。権力がメディアを監視したり、圧力を加えてはならないのはもちろんですが、メディア自身が視聴者やスポンサーの反発を買うことを恐れて物議をかもしそうな話題を避けたり、記者クラブの解放には及び腰だったり・・・。政権以前に、マスメディア自身が、まず自分たちのこれまでのあり方を見直したり、変えていくつもりがあるのか? この点に私は注目しています。

さて、2次会は9時ごろに終わりました。やはり上映会の始まりが早いと、散々飲み食いしてもまだ9時なんですね。お開きになって駅に向かおうと思ったら、3次会に誘われました。泡盛のボトルをキープしているお店があるのだそうです! 3次会のメンバーは私も入れて女3人でした。(もしかして他の駅に向かった方々は、そちらでも3次会を開催していたかもしれませんが!)

泡盛をいただきながら、世間話。その中で「30歳定年」という言葉が出ました。30歳定年? 私は聞いた事がない言葉でした。かつて55歳定年だった時代があるというのは聞いた事があるけれど・・・。

聞くと、その方が就職された頃(1970年代)は、就業規則で「女の定年は30歳」と決められていたのだそうです!!!!!!!

有り得ない! 本当? と信じられない気持ちで聞きました。もちろん、今でも就職で女性差別はあります。結婚や出産で暗に退職を迫られる人も沢山います。でも、あからさまに「女性の定年は30歳」なんて、書いて良いものなのでしょうか??? 30歳で定年なんて、人生もまだ半ばにもなっていないのに!

その方は学校を卒業後、地方から東京へ出てきてテレビ局に就職したそうです。結婚するまで都会の空気を吸いたい、ぐらいの気持ちだったので、採用時に「30歳定年」と決められていましたが契約書にサインをしたそうです。

それが30歳目前になり、仕事も面白くて、「辞めたくない」と思いはじめます。そう決め、上司に告げてからは、社を挙げての嫌がらせが始まったそうです。倉庫での資料整理のような仕事を与えられ、いろんな人からお見合いを勧められる。組合に助けを求めても、そこは会社と繋がった御用組合で、「組合に女性は入れない」と何もしてくれなかったそうです。

社内には彼女と同じく30歳で辞めることになる女性たちが働いていたのですが、彼女に味方したら自分の首が危ない、と、心の中では同情しつつもなかなか行動は起こせない。そんな中、彼女をサポートしてくれたのは同業他社の人たちだったそうです。「絶対退職届を書いてはダメ」というようなことから、「赤信号で道路を渡ってはダメ」「会社の備品はペン1本たりとも持ち出してはダメ」(←これら全て首にさせる口実を与えてしまうから。他の人にとっては問題にならないようなことも彼女にとっては命取りな訳です)というようなことまでアドバイスされたそうです。

・・・でも、そもそもそんな就業規則って、憲法違反じゃないの??!! 

私はこう思って聞いてみました。彼女によると、その当時は他の会社でも同じような規定があり、裁判が起こされ始めた頃だったそうです。下級裁判所は「(憲法よりも)社会通念に従う」といったような判決で、それを争っている最中だったとか。

結局、退職届を書かずに(会社では解雇ではなく、依願退職という形で30歳を迎えた女性たちを辞めさせていた)、彼女は働き続け、その後会社は就業規則を男女とも55歳定年と変更し、彼女は定年までその会社で働き続けたそうです。すごい!!!

すごいエネルギーで戦ってきた彼女ですが、それでも「辞めたくない」と声を上げることに、ものすごい抵抗と恥ずかしさがあったそうです。まず、周りの人に「あの人30なんだね」と知られること自体が恥ずかしい。当時は「25歳を過ぎたら後家の口しかない」と言われていたような時代(!)。それが、ただ単に仕事をやめたくないという理由から、突然労働問題、女性問題に直面してしまったのです。会社、社会、組合、法律の仕組みを知るにつれ、労働者の味方ではないのだということに愕然としたそうです。その10年後に、彼女は自分自身の経験から、誰でも入れる組合を立ち上げ、今日までその活動を続けているのだとか。

私はかつて女性には選挙権がなく、婦人参政権運動を通じて選挙権を勝ち取ったということぐらいは勉強しましたが、それ以外にもいろんな差別問題があり、それらは全て孤軍奮闘で戦ってこられた人たちの上に享受できている権利なのだということを、改めて思いました。

11時過ぎにお開きとなり、家に戻りました。

それにしても30歳定年って・・・。私はとっくに定年を迎えていることになります^^;

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