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2009年10月

政治抜きで戦争・平和は語れる?(上映会報告2009/10/24)

10月24日の土曜日は、東京・三鷹で上映会がありました。会場は、三鷹市民協働センター。主催してくださったのは、沖縄の米軍基地問題に取り組む「うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会」です。


三鷹市民協働センター
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上映の経緯は、半年以上前に遡ります。映画を完成させ2月に帰国した私ですが、当初映画を上映できるあてはまったくありませんでした。映画業界にも知り合いはおらず、平和団体にもほとんど知っている人はいなかったのです。反戦関係の映画を上映している団体だったら、私の映画にも興味を持ってくれる人がいるかもしれない、と新聞のイベント欄などを見ていました。

3月頃に近くで「アメリカばんざい」の上映があることを知り、私はその主催団体である「うちなんちゅの怒りとともに~」に連絡をしました。突然電話をかけて「イギリスの反戦ドキュメンタリー映画に興味がありますか?」と聞いたのです。今から思えば、こんなに怪しいセールス電話はありません! しかし、電話に出られた代表の古荘さんは、「では一度あって話しましょう」と言ってくれました。そして実際に会い、将来上映会が出来ると良いね、と言ってくださったのです。それで実現した、私にとってはとても思い出深い上映会でした。

上映会場は、協働センターの会議室。かなり広いです・・・!大体50人ほどの方が来てくれたとの事。中には、武蔵野三鷹市民テレビ局の方、以前京大の座り込み「くびくびカフェ」で相席となった官製ワーキングプア問題に取り組んでいらっしゃる方、つい最近高円寺のVege食堂で高江のTシャツを着ていることから話しかけた方、中井信介監督の上映会でライブをしていたミュージシャンの寺田町さん・・・などなど、色んなところで知り合った方が来てくださいました。ありがとうございます!
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上映は2時からで、上映の後はトークと質疑応答をしました。
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質疑応答では、人形アーティストのキャロリンの夫が42才という若さでなくなられたのはなぜか? ブライアンと私は性格的に似ていると思ったがどうか? ブライアンのやり方は独特だ。彼は他のやり方を模索していた時期もあったのか? イギリスのゼロ・トレランス(非寛容)政策などについての質問が出来ました。(ゼロ・トレランスについては、私は詳しくは分からず)。

その後は10名弱で懇親会になりました。三鷹駅近くの自然食レストラン「たべもの村」です。私はここに何度か食べに来たことがありました。「自然食」というのに魅かれて来たのですが、店内に入ってみてびっくり! 壁一面に沖縄の基地問題などの資料類が張られていたのです。でも、考えてみれば、「食」や「健康」に目を向ける人であれば、それと対極にある戦争や環境破壊などに無関心でいられるはずがありません。このレストランの中で、自然食と平和が同居しているのは、全く特別なことではないわけです。

たべもの村入り口
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壁に貼られたメニュー。自然食=高い、というイメージがありますが、ここは定食類が800円前後で食べられ、とてもリーズナブルです。
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私はいわしの梅煮定食を注文しました!
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各自食事を注文しながら、順番に自己紹介をしました。中には、「立川自衛隊監視テント村」のメンバーの方もいました。テント村の方は、東京都立川市の自衛隊官舎の郵便受けに、「イラク派遣反対」のビラを配布したという理由で逮捕、起訴され、さらに有罪判決(罰金刑)を受けるという、表現の自由を脅かす大事件を経験されました。

立川・反戦ビラ弾圧については「立川自衛隊監視テント村」ウェブサイトに詳しく掲載されています。
http://tentomura.web.fc2.com/hansenbira.html

平和のためにはまず表現の自由を守るべき!と思っている私は、テント村の方のお話を興味深く聞きました。

沖縄・高江から戻ったばかりの私は、「運動体の中での家庭崩壊」について話題にしてみました。というのも、今回の主催者である古荘さんは、いつもご夫婦でデモ活動やチラシ配りなどをされていて、理想的な夫婦だなと感心していたからです。会を立ち上げたキッカケは95年の沖縄で起きた米兵によるレイプ事件と聞いていたので、活動は既に15年近く続けていることになります。

「いつもご夫婦で活動されていますが、最初からお二人とも同じレベルで問題意識を持って活動されてきたのですか?」と聞いてみたところ、方向性やレベルが一緒だったわけではない、紆余曲折を経て今の状態になった、と言っていました。どうやって乗り越えていったのかまでは聞きませんでしたが、それにしてもこうして夫婦関係を続けながら活動も続けているというのはすごいことだと私は思います。

古荘さんの知っている人の中には、夫婦のどちらか一方が活動にのめりこみすぎて家庭が崩壊した例は結構あると言っていました。中でも、チェルノブイリの原発事故をキッカケに運動に目覚めた人たちが、いきなり活動家になり家庭が崩壊して離婚が続出したといいます。”チェルノブイリ離婚”という言葉まであったそうなのです! ”成田離婚”は聞いた事がありましたが、チェルノブイリ離婚なんて言葉があったのは、知りませんでした!!

そんな話をしていて、他の人からは「”家庭崩壊”とか”離婚”っていうと、マイナスイメージだけどさ、それって本当に悲しいことかな?」といわれました。人間は常に成長するもの。何かの事件(例えばチェルノブイリ)などをキッカケに、目覚めることがあります。今まで家の中に閉じこもっていた人が、社会の役に立とうと外へ出かけるようになる。それをパートナーも理解してくれたら良いけれど、どうしても理解してもらえなかった場合に、それでも我慢して一緒にい続ける、婚姻関係を続けることが本当に幸せ?と。

もしかして何十年も一緒にいても、実は相手のことを良く知らないでいることもあるかもしれません(熟年離婚とかがそうと言えるかも・・・?)。何かのきっかけで(運動だけでなく、例えば病気とか転職とか、人生の大きな方針転換などがきっかけのこともあるでしょう)、どうしようもなく埋めがたい価値観の相違があった場合は、別れても仕方ないのではないか。これがその方の意見でした。それも一理あると思います。

話が変わって、今日の上映会で配られたチラシの話になりました。古荘さんによると、この日はもっと沢山の種類のチラシを来場者へ配布する予定だったそうですが、施設の受付でチラシを印刷する・しないで時間がかかってしまい、結局印刷した種類が少なくなってしまったとのことです。

印刷しようとしたチラシは、沖縄の米軍基地に関して鳩山首相や岡田外務大臣らに対して市民の声を伝えましょう、といった内容のものでした。それが、”政治家の名前が含まれている”ということで、施設の利用規定=政治活動での利用不可、に該当するといわれたのだそうです!

今回の上映会は、「戦争を考えるシリーズ」という名前で施設の利用許可もきちんと取られています。戦争を考えるのだから、政治に対しての見解や活動への署名用紙があるのは、ある意味当然のことです。政治のあり方を抜きに、戦争や平和を考えることなどそもそも可能なのでしょうか?

今回のような上映会は、政治活動というより、市民の勉強会、意見交換会としてくくられるべきものではないでしょうか。利用規定にある「政治目的での利用は不可」というのは、例えば特定の政治団体の資金集めパーティーなどに使われてしまうような場合を想定して禁止しているのではないでしょうか?

別に私はこの施設だけを槍玉に挙げたいのではありません。むしろ、市民が気軽に利用でき、設備もそれなりに整っていて、とてもよい施設だと思っています。でも、こういう市民が利用できる施設で、「戦争や平和を語るのは良いけど、政治は抜きでお願い」といったような両立できない注文のために、市民の活動の場が狭められてしまうことがこの施設に限らず多くあるのです。その結果、平和や戦争を語る人というのはどこか煙たがられる存在のように見られてしまう・・・。

私は施設を運営する人や窓口で応対してくださる方々に、政治家の名前が文面に見受けられるからNGなどと判断するのではなく、もっと柔軟に対応してもらいたいと願います。そうでないと、草の根の市民活動は活発になっていかないのですから。そんなことを考えた上映会でした。

上映会を企画していただいた「うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会」の皆様、来場してくださった皆様、どうもありがとうございました!!

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沖縄・高江の座り込み(2009/10/15-16)

ブライアンのサポーターであり、私の映画の編集・音楽なども手伝ってくれたポールが、日本に遊びに来ていました。日本に来るときにどこに連れて行こうかと考えて、ブライアンと同様に2007年の7月から座り込みで抗議活動をしている、沖縄の高江に行くことにしました。

私が初めて高江の座り込みのことを知ったのは、昨夏のG8洞爺湖サミットの抗議活動を撮影した時です。自然の広がる北部のやんばるで、米軍のヘリパッド建設に反対して座り込みの抗議を続けている人たちがいる聞き、いつか訪ねたいと思っていました。なかなか行ける機会がありませんでしたが、やっとそのチャンスがめぐってきました。

高江の座り込みについて、詳しくはこちらのブログをご覧ください。
「やんばる東村 高江の現状」
http://takae.ti-da.net/

ブログでは、抗議活動について下記のように説明されています。

高江は、約160人が暮らすヤンバルの小さな集落です。この集落をかこむように米軍のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を6つ作る工事が、始まっています。高江は米軍のジャングル訓練センターの真横にありますが、これでは訓練センターの中に高江があるかのようになります。高江では米軍ヘリが低く長く飛ぶのです。
これ以上ヘリが飛んだら、しかも新型機オスプレイが飛んだら、高江に人が住めなくなる!と考えた高江の住民が、「自分の家で普通に暮らすため」に去年の7月から工事現場の入り口で、工事をやめてもらうために座り込みを始めました。

私たちは、10月13日に那覇に着き、その日のうちに名護まで移動しました。路線バスで海岸沿いをひたすら走ります。電車が走っていたら大した距離ではないのでしょうが、沖縄では電車はないので(市内のモノレールを除き)、移動は車に頼るしかありません。私たちが路線バスに乗ったときは、まさに夕方のラッシュ時で、名護まで3時間近くかかってしまいました。

高江に行くには、那覇→名護→高江とバスを乗り継ぎます。しかし、名護から高江へ向かう路線バスが1日に3本しかないのです! しかも始発が朝の5時50分で、そのあとは午後1時40分までありません! 一体こんなダイヤ、日常的に使う人はいるのでしょうか??!! (ちなみに最終の高江行きバスは夕方の5時半)。朝5時台のバスに乗るのはかなりハードであるため、私たちは那覇から名護まで行って、名護で宿泊した後、午後1時40分のバスに乗ることにしました。

10月15日の朝はのんびりして、午後のバスを待ちます。名護のバスターミナルから路線バスに乗ると、しばらく乗客は私たちだけでした。海岸線沿いをバスは走ります。那覇から名護行きのバスと異なり、途中ほとんど信号もなく、渋滞は全くなく、バスはかなり飛ばして走っていました。

バスの中、車窓からはきれいな海が見えます。
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1時間ちょっとで終点の高江に到着しました。バス停のすぐそばにコンビニ(?)らしき「高江共同売店」があり、そこで飲み物を買うことにしました。
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事前に高江の座り込み活動のウェブサイトをみて、「座り込みに参加したい場合は、N-4ゲートに行って受付をする」などの情報を得ていました。N-4ゲートというのは、高江共同売店前の道路(70号線)を北上したところにある、と書いてありましたが、バスを降りた私たちは「どっちが北?」という状態。サバイバル感覚ゼロです! 共同売店の店員さんに北がどちらか聞きました・・・。

高江共同売店を背にして、右側へ向かうのが北上とのこと!
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北の方角を教えてもらい、歩き始めました。少し歩くと、道沿いにおしゃれなカフェを発見。「ヒロ・コーヒーファーム」と書いてありました。なんと、自家栽培のコーヒーを自家焙煎して出すお店だそうです! 着いたばかりですが、早速休憩することに変更。

ヒロ・コーヒーファーム前にて
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コーヒーポットは冷めないように、ホットプレートのようなものに乗せておくという心配りも。
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早くも一休みしてしまった後、お店を出てN-4ゲートに向かって歩き始めました。途中、時々「スピード落とせ」や、ブリーダーの看板などがポツポツとありましたが、座り込みのテントらしきものは見えてきません。行き交う車も、歩いている人もなくて、果たしてこちらの方角でよかったのかしら?と不安に思いつつも歩き続けました。

通称「ブロッコリーの森」と呼ばれているこの辺り一体は、まるで森とジャングルが混じったような素晴らしい景色が広がります。
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途中でヤモリを発見!
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15分ぐらい歩いたでしょうか? テントとのぼり旗が見え、N-4ゲートに到着しました!
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関東から支援に来られている2名の方がN-4ゲート前のテントにいて、状況を説明してくれました。これまで住民の方を中心に座り込みの抗議活動を続けてきたのですが、なんと那覇防衛局は2008年11月に住民15名に対して「通行妨害禁止仮処分」の訴えを那覇地裁に起こしたというのです! 当初、訴えられた住民の中には小さな子どもも含まれていたのだとか! (批判を受けてか、現在その子どもに対する訴えは取り下げられたそうです)。

これまでは24時間体制でゲート前での見張りを行ってきたそうですが、裁判進行中は工事はしないと那覇防衛局が約束したため、現在座り込みは1箇所を除き夕方ごろまでとしているそうです。

テントにて
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洗ったコップが山積みに置かれていました。
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わずかに残っている赤い線が米軍基地との境界線なのだそうです。それにしても薄すぎ!
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線の向こうは米軍基地内!
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このように柵で囲ってあるのは北部訓練場全体の一部に過ぎず、そのほかの地域は一瞥して米軍基地なのか、民間の土地なのか分からないところも多いです。住民の方に聞いたところでは、突然茂みの中から訓練中の米軍の一団が飛び出してくる場面に遭遇することもあるのだとか。

やがて今日の座り込みは終了しました。途中のんびりしすぎて遅くに到着したので、ほとんど座り込みに参加できなかったのが残念です。もっと早くに到着すべきでした。

その後は、座り込み支援の方たちが宿泊する場所へ連れて行っていただきました。今夜は私たちもここに泊まらせてもらうことに。

この場所は、座り込みの人たちのミーティングや支援者の宿泊などに使われるそうです。「ブライアンたちが見たらうらやましがるだろうな~」とポールは言っていました。ブライアンたちは8年たったいまだにテント暮らしですからね^^;

宿泊所へ向かうと、清水さんがいました。清水さんは、私が映画を作ったときに連絡して、座り込みの方たちで映画を見て下さいとお願いしたときにお世話になった方です。これまでメールで連絡していたので、お会いするのは初めてでした。清水さんが車で各ゲートを案内してくれるとのことで、7人ほどで車に乗り込みました。とにかく基地が広大で、ゲート間を行き来するにも車が無いと厳しそうです。
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メインゲート前。どこのゲート前も門番のような人はおらず、人影も見えませんでした。
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警備員(←座り込み派の方ではない)の方が自分で建てたという小屋が見えました。
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鳥の巣のようですが、雨風はきちんと防げるのでしょうか・・・
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「命どう宝」(命こそ宝)と書かれた横断幕
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現在一人で24時間体制の座り込みをされている方がいると聞きました。このときは不在だったのですが、彼専用の寝床(?)がありました。なんと、皆さんで手作りされたそうです!
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北部やんばるにはダムがいくつかあって、沖縄県民の水がめとして機能しているそうです。車では大きなダムの近くも通りました。(以前雨不足でダムの水が枯れそうになったとき、底から薬莢(やっきょう)が見つかったことも・・・!)

公共事業や米軍基地などの建設の際は、その工事が自然環境へどのような影響を与えるのかを調べる、環境アセスメントをすることが必要です。しかし例外もあるようで、例えばこの写真の森の中の小道。防衛局は、ここをヘリパッド建設の資材を運ぶ道として使う予定だそうですが、「木の枝を一本も折らずに通るので、環境への影響はない。よってアセスメントは不要」と言っているのだそうです! 木を折ることなく、この茂みの中を一体どうやって通るのでしょう・・・?! 
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ゲートを車で回ってみている間に辺りはすっかり暗くなり、宿泊所へ戻りました。7時ごろになり、抗議活動をしている住民の皆さんも集まって、美味しい沖縄料理も用意していただきました。短い滞在ながら、住民の皆さんと会えてお話できたのは貴重な体験でした。
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中でも、もともと沖縄出身ではなく、沖縄にあこがれて移住し、お子さんが生まれたのを機に「大自然の中で子育てしたい」と高江に移り住んだ女性の話が印象的でした。念願かなって高江に住んだとたんに沸いたヘリパッド建設の計画。抗議活動とか、いわゆる”運動”とは無縁だったけれど、自分たちの住む環境を守るためにとにかく座り込みを開始。仕事、子育てという日々の生活を続けながら、少ない人数のローテーションで抗議活動もやる。その両立は想像するだけでハードです。でも、抗議活動を始めてみて、「色んなことを知った。こんな山奥の小さな村に、色んなところから支援をしに来る人がいるのにびっくりした」とも話していました。

高江は人口150人ほどの村だそうですが、抗議活動のメインとなって活動している村民は15人ほど。それは単純に人口比で言えば1割程度に過ぎません。他の地元住民の人たちはどう思っているのか聞いてみました。すると、抗議活動のメインとなっている人たちは、村外から移住してきた方が多いそうです。元々の地元住民の人たちは、もちろん基地なんてないほうが良いとは思いつつも、戦後ずっと基地を押し付けられてきた長い歴史があるので、かつては抵抗したけれどもあきらめモードの人も多いとのこと。ヘリパッドが作られてしまうのなら、何らかの恩恵(=補助金)をもらうべきだとか。でも、何か起こったときは結集するというのが沖縄。緊急事態のときは、多くの人が集まるようです。やはり根底には不満の気持ちが多くあるのだと思います。

話していて、私はブライアンたちの座り込みとの大きな違いを感じていました。それは、高江の彼らが”生活上の必要に迫られて抗議活動をしている”という点です。ヘリパッド建設によって自分たちの生活を壊されたくないから活動をしている。これは、ヘンな言い方ですが”誰に頼まれたのでもなく、自分の意思で抗議活動をやりに来ている、やり続けている”というブライアンとの大きな違いです。ブライアンは、抗議活動のためには自分の生活や家族を犠牲にするのも厭わないぐらいの気持ちでやっていますが、高江の女性は「何よりもまず家族が大事。家族がバラバラになってしまったら、それは本末転倒で、抗議活動を続ける意味がない」と言っていました。

現在、那覇防衛局が仮処分の訴えを起こしているので、これからは裁判手続きのたびに那覇地裁に行かなければならないそうです。座り込みのローテーションだけでもやりくりするのが大変なのに、1日がかりで那覇まで出かけなければならないのは、相当な負担となってしまうでしょう。仮処分の訴えはどうなりそうと予測しているか聞いてみたところ、おそらく訴えられている人のうちメインの数名が仮処分の対象とされてしまうかもしれない、と言っていました。全員を対象とすると批判が大きくなってしまうので、数名を対象にして活動をやりにくくさせるのが狙いだ、と。裁判所がどのように判断するか。これは様々な抗議活動をしている人々にとって、重要な判断になるだろうと思います。

この日は、高江の抗議活動が始まったときからずっとその記録を撮り続けている比嘉真人さんともお話が出来ました。活動の様子を「やんばるからのメッセージ・高江の記録」としてまとめ、各地で上映されています。

比嘉さんも仮処分で訴えられている1人なのだそうですが、イギリスの新・テロ対策法で「軍隊・警察などの写真やビデオを撮った者は最高で懲役10年」(「軍隊・警察の情報を広めたものは・・・」と法律の条文上は広く定義されていますが、実際は「警察・軍隊の撮影をしたら逮捕」と言う意味で捉えられています)という改悪が行われたことに対して、とても驚いていました。日本でもしこの法律が作られてしまったら、比嘉さんのように座り込みを撮影することは出来なくなってしまいます。

「イギリスではこんな法律が作られることは、大問題にはならなかったのですか?!」と聞かれました。大問題になってしかるべきと思いますが、”スルーされてしまった”というのが実情でした。「どうやらこんなとんでもない法律が出来てしまうらしい」とインディペンデント系のメディアで誰かが投稿したのが昨年末ごろでした。その時、大手メディアではまったくこのことは報道されていませんでした。その直後にパレスチナのガザ侵攻が起き、アクティビストも独立系メディアも皆、そちらにかかりっきりになってしまったのです。そして2月に法律が制定されてしまい、された直後には大手メディアも報道し、主にフリーのカメラマンたちがその法律に抗議してロンドン警察前で”大撮影大会”を行ったのですが、法律が出来てしまった後では、すべて後の祭りでしかありませんでした。

BBCがイギリスのジャーナリスト組合NUJに、この法律についてインタビューをしていて、NUJは「表現の自由にとって大きな問題」と発言をしていましたが、はっきりいってNUJはこの問題に対して事前に何もアクションをしていませんでした。NUJの機関紙を購読し、メーリングリストにも入っていましたが、”組合”なので、”雇用問題”が彼らのメインテーマで、表現の自由は二の次になってしまっているのが実態のように思いました。

高江の座り込みを積極的に支援されている阿部小涼さんともお会いすることが出来ました。阿部さんは、アメリカ、カリブ海地域の研究が専門で、琉球大学で教えられているそうです。世界各地の反戦・抵抗のムーブメントにも詳しく、授業で取り上げているとのこと。

阿部さんからは私の映画に対するコメントをいただきました。まず気になったのはナレーションの声だと言っていました。映画の中での私の話し方(インタビューなどで時々出てきます)は普通なのに、ナレーションがかしこまっている、とのこと。このナレーションについては意見の分かれるところで、「普通に読んだ方がいい」、「柔らかい感じでよい」、「素人っぽい」、「素人っぽいから良い」など、人によってだいぶ意見が違います。私はナレーションについてどうやるべきだったのかは未だに分かりませんが、でも「句読点のつき方がおかしい」と言われることもありますので、どう読むか以前のレベルでそれは直さないとっ!と思います。

また、現在進行形の問題を、映画としてまとめて世に出すことについても話題になりました。ブライアンも、高江の活動もそうですが、その活動自体は現在も続いています。でも映画は、例えば辺野古を扱ったMarines Go Homeなどもそうですが、その活動の一期間を撮影して、しばらく時間をかけて編集して、映画として完成します。そこにはどうしても現在の活動とのタイムラグが発生してしまいます。なので、当事者が映画を観たときに違和感があるのだといいます。でも、”映画”として完成したものは一人歩きをはじめるので、その問題を知らなかった人にとっては、その映画こそがその問題の全て。この問題はそういうものなんだ、と思われてしまう。

映画作りには時間がかかるので、このタイムラグというのは避けられない問題のように見えます。でも、現在進行形の問題を取り上げるのは、それが現在進行形であるということを示すための配慮が特に必要で、制作側もこれを意識しなければなりません。「これは現在進行形の問題で、この作品はその問題を私という個人のフィルターを通して見つめたものです」、というスタンスが出るように。・・・とは言え、それをどうやって映画に盛り込むのかは難しいですが・・・。

製作側の意図としては、現在進行形の問題こそ取り上げたいと思います。終わるまで見届けるのも大事で、全てが終わったときにまとめた作品を作るのも有りですが、それだと”過去の出来事”になってしまい、今更何も出来ないと思うからです。歴史としてきちんと残し、語り継いでいくことももちろん大切だけれど、私としては「今、私たちに何が出来るのか」のキッカケとなってほしい気持ちがあります。

現在進行形で取り上げて、その問題をもっと多くの人に気がついてほしいと思って映画作りを始めるのですが、テレビのニュースと違ってすぐに世に出せないのが自主制作のドキュメンタリーの難点。確かにタイムラグは発生するけれども、その問題に映画をキッカケに興味を持った人は、今度は自分でその問題を追うようになり、タイムラグについては各自でフォローしてもらう・・・観た人にこんなあらすじを期待してしまうのは、都合が良すぎでしょうか・・・。

また、映画の中で取り上げられているエピソードというのも、実際に活動している人の視点と、製作者の視点では違うことがあります。沢山撮った中で(何でこれがわざわざ使われているの?)と思われることもしばしば。例えば、私の作品の場合は「なんで○○が大きく取り扱われているの? XXさんの方がもっとメインで活動しているのに」とか、「日本人の女子大生が出てきて日本の状況を語るけど、かなり限定的。日本にも沢山活動している人たちがいるのだから、それを代表しているとはいえない」と言う意見ももらいます。

確かにそうです。日本にも長い運動の歴史があります。でも、イギリスの抗議活動をメインに取り上げている映画で、どこまで日本を登場させるか、あまりそちらのボリュームが多くなるとかえって視点がぼやけてしまうとも思いましたし、日本の現状として、活動している人たちはいるけれどもまだまだ少数派に過ぎず、表現の自由が広く認められているとは言い難い状況であると思ったので、女子大生だけ登場させています。

究極のところ、ドキュメンタリーは社会的な事象を取り上げてはいるものの、作者個人のメッセージで構成されてしまうように思います。しかし、”映画”として作る以上は、これが少なからずその活動なりについて観た人に限定的な印象を与えてしまうことを作り手はもっと意識しなければならないと、阿部さんとお話していて強く思いました。

その他、話していて特に興味深かったのは「製作者は運動体のタブーも恐れずに取り上げていくべきだ」ということでした。運動体というのは、反権力だったり、既存の価値観、マジョリティーに対抗するものでありながら、運動体の組織自体は、権力側と全く同じような縦社会の構造だったり、男性優位のマッチョな世界だったりします。また、運動にのめりこみすぎて起こる家庭崩壊も大きな問題です。阿部さんは、これまでの様々な運動を見てきて、こういう問題は幾度も繰り返されてきたのに全く改善されていないことに不満を持っているといっていました。製作者たちは運動を取り上げるときに、内部崩壊の様子などまで描くことをタブー視しているが、どんどん取り上げてほしいと言っていました。

私は自分の映画の中で、ブライアンの家庭崩壊については、「家には帰ってない」ということ、「でも奥さんと子供は何人かいるらしい」ことだけほのめかしています。また、パーラメント・スクエアでの仲間同士の不和もあえて取り上げていません。取り上げることで、印象が悪くなってしまうし、全体として私が伝えたいメッセージとの整合性が取れなくなってしまうと考えたからです。でも、こういう活動がどんな犠牲の上に成り立っているのか、原始的な”社会”の形成過程でもある運動体がどのように生まれ、どんな問題を抱えながら成り立っていくのかをみせることは、大事であると今は思います。(ちなみに、運動体が何かを”所有”することで、組織のバランスが崩れていくということが多くあるそうで、例えば、それまでうまく行っていた団体が、車を寄付され、「これは役に立つ!」と最初は歓迎したものの、名義を誰にするか、維持費をどうするかなどで後々様々な問題が生じてくるそう。そういう意味では、高江の宿泊施設を借り上げるということも、組織にとっては良くも悪くも”試練”になるのです。)

運動体がもつ問題や可能性について、どう描けるか、どう被写体になる人々の蓋をしておきたい問題に踏み込んでいけるか、そしてそれをどう映画の中に取り込んでいくか・・・難しいですが、今後意識して取り組みたいです。(後日別の人とこの話題を話していたときに、「韓国の運動系のドキュメンタリーは、かなりこの辺をきちんと描いている」と聞いたので、観てみたいと思っています)。

夜も更け、清水さんたちが唄と三線を披露してくれました。
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遅くになってお開きになり、それぞれ帰り始めました。私とポールも、翌朝のバスが7時5分と早かったので(本当にこんなダイヤは嫌!)早めに寝ることにしました。(でもなんだかんだと話していて、結局寝たのは3時近くでした!)

翌日、6時半頃に起きてバス停に向い、名護行きのバスへ乗りました。名護でバスを乗り換えて那覇市内へ。10月の曇りの日にもかかわらず、沖縄はやっぱり暑くて(高江の人たちはそれでも「ちょっと冷える」とか言っていて可笑しかったですが)、寝不足もたたって体力を消耗しながら市内観光をしました。

那覇の台所、公設市場。
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イラブチャー、ハリセンボンなど沖縄の珍しい食材が沢山!
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本物の豚の頭が鎮座しています!!
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お土産やさんがずらっと並んだ国際通りを歩いていて、大きな水槽の中に「ドクター・フィッシュ」を見つけました。死んだ皮膚をエサとして食べる魚で、温泉地やスパなどで見かけるあれです。魚に皮膚を食べてもらうと、余計な角質が取れて肌がつるつるになるんだとか。5分500円と書いてあったので、やってみることにしました。
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足を入れるとさっそく大量の魚が食らいついてきて、足をつついてきます。私にはこんなに死んだ皮膚が沢山あるのか、それともこの魚たちは全くえさを与えられていないのか知りませんが、とにかく足という足にまとわりついて、それは大量のムカデか何かが這い回っているような感触! 気持ちいいというよりも、とにかく馴れるまではかなりくすぐったいです。
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でもこのリアクションはちょっと大げさかも・・・。ポールは「Torture Fish」(拷問の魚)と呼んでいました。
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翌日午前中の飛行機で那覇から東京へ戻りました。高江の皆さん、どうもありがとうございました! これから仮処分の裁判でますます大変になると思いますが、応援しています!!!

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30歳定年?!(上映会報告2009/10/10)

ちょっと日にちがたってしまいましたが、10月10日は日本ジャーナリスト会議(JCJ)の千代田区にある事務所で上映会がありました。最寄の駅までJCJの林さんに迎えに来ていただき、事務所へ向かいました。

会場へ着くと、既に何人かの方がいらしていました。中には、つい最近イギリスへ行き、ブライアン達と交流してきたと言う方がいらっしゃいました! 写真、ビデオも撮ったそうです。その時は、パーラメント・スクエアにはエリック(映画の中で”北海道”、”札幌”というおじいさん)がいて、朝まで話し続けるかのようなマシンガントークに驚いたのだとか。

今回の上映会はJCJの「ミニシンポ」という形で開催していただいたのですが、事務所で映画を上映するのは初めてだったそうです。映画を上映するということは、それはスクリーンが必要なことを意味しますが、そのような設備は事務所に備わっていなかったそうで、大きな布を天井から吊るすという手作りのスクリーンを用意していただきました!

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2時になり、上映が始まりました。
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上映の後、トークと質疑応答の様子。質疑応答では、映画の中に出てくる日本人たちは何の人たちなのか? 偶然彼らと出会ったのか? という質問や、ブライアンはどこかの組織の後ろ盾があるのか? それとも全く個人の活動か? ロンドンのジャーナリズムの学校へ通ったというが、どういう授業内容だったのか? などの質問をいただきました。
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ミニシンポは予定通り4時半に終了しました。その後、希望者で懇親会となりました。JCJの皆さんが集まりの後に良く使われるという中華料理店に向かいます。
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トークでは私が話すばかりですが、こういった懇親会では参加された方々のお話が聞けるのが楽しみです。特に今回はジャーナリストやマスコミ業界にいる(いた)方々。私の映画に対する意見も含め、どんなお話が飛び出すのか楽しみで向かいました。
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映画を観た人から、いつも色んな意見をいただきます。それらはとても参考になりますが、中でも私は映像製作者(テレビでも映画でも)の意見に興味があります。そのことをJCJの方に話したら、「製作者の意見は優しいよ。だって、作り手の大変さを分かっているんだから。一般の人の意見は厳しいよ。面白いか、面白くないか、シビアに観るからね」と言われました。

確かにそうかもしれませんが、私が映像製作者の意見が参考になると思うのは、彼らの意見が単に「面白かった」、「つまらなかった」というものではなく、「ここをこうすれば良くなるのではないか?」といったような、完成品としてではない、制作途上のアドバイスがもらえるからです。単に「つまらない」と一蹴されても、私としてはどうしていいのか分かりません。それよりも「もっとこういうシーンを入れたほうがいい」など言ってもらえた方が、実際はもうその作品をやり直すことはなかったとしても、大いに今後の参考になるのです。

私の作品に関しては、まずタイトルにインパクトがほしいと言われました。観終わった後で(なるほどね)とタイトルの意味したいところを理解されたそうですが、観る前は(なんだこれ?)と思ったそうです。ほとんどの人はタイトル、スチール写真、簡単なあらすじぐらいで映画を観たいかどうか決めるのですから、タイトルにインパクトを持たせることは大事です。確かに・・・。

音声に関しては、音声をきっちりと撮った方がよいといわれました。ずっとテレビでニュース、ドキュメンタリーを制作されていた方は、「今は20万円ぐらいでものすごい良いマイクがある。それを使いなさい」と言っていました。今回の映画に関しては、もともと映画にするつもりでもなかったし、ゲリラ的に始めていたので、画質と音声についてはしょうがないと割り切っていましたが、やはり雑音が入ったものを1時間以上聞くのは耳が相当疲れます。次回は音声をちゃんと・・・と思っていますが、20万円って、私のビデオカメラ本体より高い・・・(汗)。

今回上映を企画していただいた林さんは、TBSでディレクター、プロデューサーを30年近くされてきたそうです。林さんがテレビとかかわり始めた頃は、テレビがとても面白い時期だったのだとか。製作者たちが良い番組を作ろうと熱意を持っていたそうです。ディレクターとしてカメラマンとよく大喧嘩したのだとか! 私個人としては、カメラマンとの相性はものすごく大事だと思っています。合わない人にお願いするぐらいだったら自分で撮る方が良い、とさえ考えています。しかし、林さんは「最初から合うカメラマンなんていない。ケンカを通して意思疎通して相性は合っていくもの」と言っていました。

テレビ、新聞というと、組織が大きすぎて制約が強く、好きなことはやれないというイメージがあるのですが、それを林さんに聞いたところ、内容についてとやかく言われるのは10回に1回程度しかなかったそうです(←取り上げたいテーマにもよるのだと思いますが)。テレビは毎日放送するものだから、基本的にはいつもネタがほしい状態。なので、やりたいことはほとんど出来たと言っていました。仕事はハードだったけれども、面白くて家に帰りたくないほどだったそうです!

マスコミの仕事というと、忙しすぎてネタを見つけてくる時間なんてあるのか?と思ってしまいますが、仕事の合間を縫って外に出たりして、情報を拾ってきたそうです。「まあ、こんな仕事、割に合わないんだから、好きじゃないと出来ないよ」とも言っていました。でも、そんな林さんにとって、現在のテレビ業界の状態は芳しくないようです。「働いている人に余裕がない。かわいそう」と言っていました。

1次会の終わりに記念写真
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上映会が早くから始まったので、1次会が終わったといってもまだ6時過ぎ。ほとんど同じメンバーで2次会へ向かいます。2次会の席では、映画の中で描かれた「イギリスの民主主義」の話から、日本の民主主義についての話題になりました。これまでニュース、ドキュメンタリーを制作されてきた方は「日本はこれからが面白い。民主党政権でどこまで変わるか分からないが、でも変わり始めている。」と言っていました。特に民主党が導入を検討している日本版FCC(放送局の認可や番組規制などの監督権限を持つ独立行政機関の設置)に注目しているそうです。

私もFCCには興味はあります。でも、それ以前に、マスメディア自体のありかたに興味(というか疑問?)を持っています。権力がメディアを監視したり、圧力を加えてはならないのはもちろんですが、メディア自身が視聴者やスポンサーの反発を買うことを恐れて物議をかもしそうな話題を避けたり、記者クラブの解放には及び腰だったり・・・。政権以前に、マスメディア自身が、まず自分たちのこれまでのあり方を見直したり、変えていくつもりがあるのか? この点に私は注目しています。

さて、2次会は9時ごろに終わりました。やはり上映会の始まりが早いと、散々飲み食いしてもまだ9時なんですね。お開きになって駅に向かおうと思ったら、3次会に誘われました。泡盛のボトルをキープしているお店があるのだそうです! 3次会のメンバーは私も入れて女3人でした。(もしかして他の駅に向かった方々は、そちらでも3次会を開催していたかもしれませんが!)

泡盛をいただきながら、世間話。その中で「30歳定年」という言葉が出ました。30歳定年? 私は聞いた事がない言葉でした。かつて55歳定年だった時代があるというのは聞いた事があるけれど・・・。

聞くと、その方が就職された頃(1970年代)は、就業規則で「女の定年は30歳」と決められていたのだそうです!!!!!!!

有り得ない! 本当? と信じられない気持ちで聞きました。もちろん、今でも就職で女性差別はあります。結婚や出産で暗に退職を迫られる人も沢山います。でも、あからさまに「女性の定年は30歳」なんて、書いて良いものなのでしょうか??? 30歳で定年なんて、人生もまだ半ばにもなっていないのに!

その方は学校を卒業後、地方から東京へ出てきてテレビ局に就職したそうです。結婚するまで都会の空気を吸いたい、ぐらいの気持ちだったので、採用時に「30歳定年」と決められていましたが契約書にサインをしたそうです。

それが30歳目前になり、仕事も面白くて、「辞めたくない」と思いはじめます。そう決め、上司に告げてからは、社を挙げての嫌がらせが始まったそうです。倉庫での資料整理のような仕事を与えられ、いろんな人からお見合いを勧められる。組合に助けを求めても、そこは会社と繋がった御用組合で、「組合に女性は入れない」と何もしてくれなかったそうです。

社内には彼女と同じく30歳で辞めることになる女性たちが働いていたのですが、彼女に味方したら自分の首が危ない、と、心の中では同情しつつもなかなか行動は起こせない。そんな中、彼女をサポートしてくれたのは同業他社の人たちだったそうです。「絶対退職届を書いてはダメ」というようなことから、「赤信号で道路を渡ってはダメ」「会社の備品はペン1本たりとも持ち出してはダメ」(←これら全て首にさせる口実を与えてしまうから。他の人にとっては問題にならないようなことも彼女にとっては命取りな訳です)というようなことまでアドバイスされたそうです。

・・・でも、そもそもそんな就業規則って、憲法違反じゃないの??!! 

私はこう思って聞いてみました。彼女によると、その当時は他の会社でも同じような規定があり、裁判が起こされ始めた頃だったそうです。下級裁判所は「(憲法よりも)社会通念に従う」といったような判決で、それを争っている最中だったとか。

結局、退職届を書かずに(会社では解雇ではなく、依願退職という形で30歳を迎えた女性たちを辞めさせていた)、彼女は働き続け、その後会社は就業規則を男女とも55歳定年と変更し、彼女は定年までその会社で働き続けたそうです。すごい!!!

すごいエネルギーで戦ってきた彼女ですが、それでも「辞めたくない」と声を上げることに、ものすごい抵抗と恥ずかしさがあったそうです。まず、周りの人に「あの人30なんだね」と知られること自体が恥ずかしい。当時は「25歳を過ぎたら後家の口しかない」と言われていたような時代(!)。それが、ただ単に仕事をやめたくないという理由から、突然労働問題、女性問題に直面してしまったのです。会社、社会、組合、法律の仕組みを知るにつれ、労働者の味方ではないのだということに愕然としたそうです。その10年後に、彼女は自分自身の経験から、誰でも入れる組合を立ち上げ、今日までその活動を続けているのだとか。

私はかつて女性には選挙権がなく、婦人参政権運動を通じて選挙権を勝ち取ったということぐらいは勉強しましたが、それ以外にもいろんな差別問題があり、それらは全て孤軍奮闘で戦ってこられた人たちの上に享受できている権利なのだということを、改めて思いました。

11時過ぎにお開きとなり、家に戻りました。

それにしても30歳定年って・・・。私はとっくに定年を迎えていることになります^^;

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今度はゲストルーム!(上映会報告2009/9/23-24)

23日の朝は8時ごろに起きました。今日は新得を離れ、札幌に向かうことになっていました。昨年夏、G8サミットが北海道・洞爺湖で開催されたときに、私はG8サミットを市民の目で伝えると言う「G8メディアネットワーク」に参加して、北海道を訪れました。女性フォーラムの打ち上げの席で斉藤郁弥さんと出会い、札幌での上映会を企画してもらったのでした。

上映会は夕方からでしたので、何時に新得を発つかは決めていませんでした。札幌へ向かう特急電車は1時間に1本程度。青原さんも今日札幌に向かうと聞いたので、一緒に電車に乗ろうということになりました。せっかく新得に来たのだから映画祭会場以外も見たいということで、10時台の電車に乗ることはやめ、田代さんに新得を案内してもらいました。

映画祭の会場である新内ホールへお別れの挨拶に行きます。片付け作業中でした。
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田代さんの車に乗り、新得の町を回りました。昔は複数の会場に分かれて映画祭を開催したこともあるそうで、ここは35mmの上映をしていた場所。
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まさに”北海道”といった景色が広がります!
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この山はなんという名前だったっけ・・・忘れてしまいましたが、聞けば思い出す(←当たり前だ!)有名な山です。
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しばらく車で走ると、インディアンさんの家に到着。なんと、自分で建てた家なのだそうです!
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「空想の森」にも登場する宮下さんの家に行きました。家に行く途中には蕎麦畑が。
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宮下さんの家。留守でした。
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庭先にはかぼちゃが。
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宮下さんは畑で作業をしていました。ジャガイモの掘り起こしを今日中に終わらせないと、と言っていました。
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宮下さんの畑を離れ、共働学舎へ向かいます。「共働学舎」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、かなり大雑把に説明すると、様々な人々が大自然の中で共同生活を送りながら、農作業や酪農などの生産的労働をする、という場所です。詳しくは、共働学舎のウェブサイトに説明を見つけましたので、そちらをご覧ください。

共働学舎の交流センター「みんたる」(アイヌ語で広場、人の行き交う場所という意味)。
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チーズの盛り合わせをいただきました!
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共働学舎の方にチーズの説明をしてもらいました。
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「ラクレット」というチーズを溶かしてジャガイモにかけた一品。美味しいです!
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気がついたら、12時過ぎ発の札幌行きの特急の時間が近づいていました。新得駅へ向かい、田代さんとお別れしました。新得最終日のこの日は天気もよく、観光には最適の日でした。車で色々と案内してくださった田代さん、ありがとうございました!

2時間ほどで札幌に到着しました。札幌駅で、今夜の上映会を手伝ってくださる水上さんと待ち合わせをしました。今日の宿は郁弥さん、水上さんのお知り合いの方が住んでいる超高級マンションのゲストルームに宿泊できるということでした。宿泊者の知り合いのみが1泊2,000円で泊まれる部屋なのだそうです。青原さんが札幌の宿をまだ決めていないと聞いたので、青原さんも泊まれるかどうか水上さんに聞きました。ちょうど部屋に空きがあったので、青原さんもゲストルームに泊まることになりました。どんなところか楽しみです!

今夜の上映会までまだ時間がありました。水上さんが、今日はイスラムの人たちのラマダン(断食)の最終日でそのお祝いがあると言っていたので、そのお祝いに参加することにしました。

ラマダン終了のお祝い
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このお祝いはインドネシアの方々の集まりでした。札幌には北大がある関係で留学生が結構暮らしているそうです。ちょっとしたコミュニティーを形成するほど暮らしているのだと驚きました。ダーツ大会が行われていて、景品は圧力鍋やアイロンなど。留学生には生活用品はうれしいのでしょう。

お祝いのお弁当が振舞われていました。
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しばらくして郁弥さんが到着しました。1年2ヶ月ぶりの再会です!!

皆で記念撮影
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ラマダン明けのお祝いは終了し、上映会場へ向かいました。「rit」というお店です。レストラン、バーに加えて、ちょっとしたライブステージも設けられています。店内にはギターも飾られていました。郁弥さんがここで水上さんとご飯を食べていたときにスクリーンが備え付けられているのを発見し、上映会ができるかどうか聞いてみたそうです。プロジェクターも、スピーカーも備え付けられていて、会場の広さもちょうどいい感じでした。

「rit」入り口
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郁弥さんは「告知があまり出来なかった」と言っていましたが、この日は12~13人ぐらいのお客さんが来てくれました!

上映前の郁弥さんのあいさつ
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映画の中で、パーラメント・スクエアに雪が降るシーンがあります。ブライアンのサポーターのエリック(パーラメント・スクエアのテントに寝泊りをしている83才のアメリカ人)が「ホッカイドウみたいでしょ? サッポロ」と私に話しかけるシーンがあります。この日の上映会ではここで笑い声が起きました。エリックは今から60年以上前に仕事で日本に来て、北海道に約1年住んでいたことがあるのです! それで北海道のことを知っているし、カタコトの日本語が話せます。80才を過ぎてなお、パレスチナやイラクへ出かけていく、バイタリティーのあるおじいさんです。

上映の後のトークでは、お客さんから質問をいただきました。映画の中で使用している曲について(YANEKAという日本のアーティストの曲で、オックスフォードへ向かう道のりで使っている歌です)、ジャーナリストを志した理由、留学先にイギリスを選んだのはなぜか、Fish & Chipsは体に悪いのか、などの質問をいただきました。

トークの様子
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上映会の後は、札幌名物・スープカレーを食べに行きました。
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皆さんで記念撮影。ありがとうございました!!
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気がつくと、もう11時半を回っていました。水上さん、郁弥さんに連れられて、ゲストルームへ向かいます。なんと、そのマンションは札幌駅の前にあるとのことでした。超豪華マンションなんでしょうか?!

駅前にそびえ立つマンション!(翌朝撮影)
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エントランスからしてゴージャスです!(翌朝撮影)
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予約してくださった住人の方に、早速ゲストルームへ案内していただきます。
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洗面・トイレスペース。トイレのふたは自動で開閉。
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バスルーム
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ゲストハウスとゲストルーム。言葉は似ていますが中身は全く違うんですね!! 皆さんも泊まるときには「ハウス」なのか「ルーム」なのか事前によく確認した方がいいですよ!

終電の時間があるということで、郁弥さんと水上さんとお別れしました。

ゲストルームからの夜景
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ちなみに昼間はこんな眺めです(翌朝撮影)。
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ベッドも快適で、ぐっすり寝ました。

翌朝は9時ごろに起きました。たった1日しか宿泊していないのに荷物を広げすぎて、まとめるのに時間がかかり、マンションを出たのはチェックアウト時間のぎりぎりになってしまいました。

お昼の飛行機だったので、青原さんと喫茶店に行きました。コーヒーを飲みながら、映画作りについての話になりました。ドキュメンタリーの制作で、よく、「〇年かけて撮影」といいます。そういう話を聞くたびに、5年とか10年とか、そんな長期にわたって撮影し続けるのは自分には無理だな、と思っていました。

10年と言っても、おそらく10年間毎日撮影していたわけではなく、生活費を稼ぐ仕事をこなしながら断続的に撮影をして、結果的に10年になったというものも多くあると思いますが、私の場合は、それだけに集中して取り組みたいし、その間はそのことだけをやりたいので、集中力としても、経済的にも1~2年が限度だなと思うわけです。かえって10年なんて撮影したら、間延びするんじゃないかとも思っていました。また、仕事の合間を縫って、例えば半年振りとかのペースで、何気なく断続的に撮影し続けるというので作品になるのだろうか?という疑問もありました。

でも、青原さんは断続的にでも取り続けるのは大切だと言いました。最初から映画作りを意図して撮り始めたものでなくても、カメラを回し続けることによって、ある日決定的な瞬間が撮れてしまったりする。それが撮れた事によって、今までなんとなく追い続けてきたものを、作品としてまとめようと意識することもある、というのです。

確かに、私も最初にブライアンたちを撮り始めたときは(ブログのネタに)としか考えていませんでした。カメラを買ったばかりだったので、何が撮りたいというよりも、とにかくカメラを使いたいという気持ちでした。それで面白半分に取り続けて、数ヶ月ほどたった頃に警察との衝突やちょっとしたエピソードなどが偶然撮れて、段々と映画にしようと思い始めたのです。最終的に映画としてまとめるときに、最初の頃の、何の目的もない無意識の遊びで撮った映像でも、かなり使える部分が沢山ありました。だから、一番大切なのは、映画にする・しないに関わらず、面白いという気持ちに任せて撮り続けることなのかもしれません。

私もどんどんカメラを回して行きたいと思います!

また、編集についてのアドバイスももらいました。私は映画の前半部分で、パーラメント・スクエアの歴史を説明するパートで、静止画の写真を多く使っています。青原さんによると、基本的に映画は動画を使った方が良い、とのことでした。静止画を使うのは、それをはっきりみせる必要があるときだけ。例えば、昔の写真や地図など。

私は編集していたときに、ナレーションの内容と映像はマッチしていた方がいいと思っていたので、過去の歴史を説明するにもその動画を持っていないので、その代わりに静止画を使いました。でも、ナレーションの内容と映像を必ずしもマッチさせなくてはならないということはなく、例えば歴史を説明する部分で、映像はブライアンの暮らしぶりや日常の風景などを使っても良かったのではないか?と言われました。国会とパーラメントスクエアの位置が具体的にはどのようなものなのかが分かるように、国会からパーラメントスクエアまで歩きながらの動画でも面白いのではないか、とも。

また、オリジナルが持つ映像と音声はなるべく生かすべきで、特に私の映画の中で登場する機動隊との衝突シーンは、音楽をかぶせてしまうのではなく、生の音を入れたほうが良かったとも言われました。音声が良く採れていたら生の音を使いたかったのですが、収録状況が良くなかったので、音を全て消し、音楽をかぶせてしまいました。

現場の音はすごく面白い音だったのです! というのも、ロンドンのデモでは、よく「デモのDJ」というのが登場します。いわゆるサウンドデモなどのDJとは違って、デモの参加者でスーツケースなどにお手製のスピーカーをくくりつけて、iPodなどの音楽をデモの現場で再生するのです。それが、機動隊やデモの参加者たちを煽るかのように、デモの進み具合や衝突具合によって絶妙に選曲を変えるのです! 例えば、機動隊がずら~っと横に並んでこちらに歩いてくる場面では、スターウォーズのテーマ曲が、そして機動隊がデモ参加者たちに容赦なく襲い掛かるシーンではビートルズの「All you need is love」がかかっていたのです! しかし残念ながら音楽のボリュームは小さく、現場の騒乱の声などにかき消されて、そんなに効果的な音声ではありませんでした。よって私は思い切って消してしまいましたが、そんな場合でも、例えば音声を半分残して、音楽をかぶせることでフォローできるのではないか? と言われました。

青原さんから参考になる話を沢山聞けました。やがて帰りの飛行機の時間になり、お別れして千歳空港へ向かいました。シルバーウィークの連休だったため、空港は大混雑でした。

ポケモンジェットに乗って羽田に到着。
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連休中から始まっていたメディアアクティビストたちの三里塚キャンプに合流したいと思っていましたが、あまりにも疲れすぎて断念し、12日間の旅を終えて家に戻りました。

お世話になった皆さま、どうもありがとうございました!!!

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天然記念物のような人!(上映会報告2009/9/21-22)

21日の朝は8時ごろに起きました。昨日は疲れきっていましたが、朝起きて家の中を見渡すと、本当に広くてきれいです! なんで三部屋もあるんだこの家は! 聞いたところ、この家は町営住宅で月の家賃は28,000円と破格の値段です! (でも北海道は家賃が安くても暖房費がかかるということを忘れてはいけません^^;)

家の外観
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家の中には大きな給湯器が
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年代モノのテレビが置いてありました。藤本監督に後で聞いた所、このテレビはきちんと動くのだそうですが、私はスイッチを押したら凹んだまま戻らないのではないかと心配して、このテレビに触れることはありませんでした。
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映画に関する沢山の書籍と、大きな編集マシンが部屋に鎮座しているのをみて、映画監督の家なんだな~と感じました。

9時に田代さんが車で迎えに来てくれて、映画祭会場に向かいました。今日は10時から自分の作品の上映があるのです。映写チェックをするために早めに行きました。

会場である新内ホールは、廃校となった新内小学校の校舎です。大きな柏の木がシンボル。
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ずっと外で火を起こしている人もいました。ダッチオーブンでジャガイモやかぼちゃなどを調理していました。
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10時になり、上映が始まりました。司会進行役は田代さん。上映の後にはフリートークをしました。
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会場のお客さんから質問もいただきました。オックスフォードユニオンについて、討論会の撮影はOKなのか、どの程度の期間撮影をしたのか、何をもって撮影終了としたのか、撮影していて危険な目に遭ったことはあるか? といった質問がありました。

上映の後は、お昼ご飯を食べました。この新内ホールは、入り口を入って左側が上映会場、右側が食事スペースとなっています。この食事スペースでは屋台も出ていて、朝から晩まで食事や飲み物を購入できます。屋台のひとつは、映画祭スタッフのインディアンさん(←なぜか皆にこう呼ばれている)の娘さんたちによるもので、オーガニック系のエスニックフードが美味。

食事スペースの様子
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かつて小学校の教室だった面影が残っています。
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インディアンさんの娘さんの屋台。
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タイカレーを食べました。
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ルバーブのジャムを発見。ルバーブ!! この植物、一体日本でどの程度知られているのでしょうか? 私はイギリスで初めて知りました。ルバーブとカスタードクリームのクランブルは、イギリスの伝統的なパブ・レストランのメニューとしてあり、イギリス人にとっては子どもの頃から慣れ親しんだ人気のスイーツなのです。イギリスと北海道は緯度的にはほぼ同じ。偏西風のおかげで緯度のわりには温暖な気候ですが、ラベンダーが自生していたりして、北海道と似ている部分もあります。

ルバーブのジャム
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お昼ごはんを食べた後は、藤本監督の最新作「ONE SHOT ONE KILL」を観ました。アメリカのブートキャンプに密着取材した作品です。全編ほぼ教官と訓練生たちの怒鳴り声。翻訳を担当された影山さんによると、「アメリカ人でさえ何と言っているのか聞き取れない部分があった」とのこと。

藤本監督と影山さんのトーク
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その次はヒロシマ平和映画祭でお世話になった青原さとし監督の「土徳」を観ました。浄土真宗のお寺に生まれた監督が、父親が病床に伏したことをキッカケにカメラを回し、原爆以前の広島について、父親の辿った人生について探求します。これまでずっと観たいと思いつつも、なかなかタイミングが合いませんでした。今回、やっと見ることが出来てうれしかったです。

青原さとし監督のトーク
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この日の最終回は、「浪速の歌う巨人」という異名を持つ趙博(チョウ・バク)さんによる「歌うキネマ」。この日は「砂の器」でした。私は「歌うキネマ」というスタイルを初めて見たのですが、ピアノの演奏とともに趙博さんが映画の解説を交えながら一人で何役もこなし、映画が進行して行くのです。一人芝居とも違うし、舞台とも違う・・・本当にこれは”歌うキネマ”としか表現の仕様のないスタイルでした。約2時間、趙博さんの語りに引き込まれます。

この日の作品が全て終了した後は、食事スペースで皆が語らっていました。藤本監督はヒロシマ平和映画祭のプレイベントでご一緒したことがありましたが、その時はほとんどお話したことがなかったので、今回が実質上初めてお話しすることが出来ました。

「Marines go home」、「アメリカばんざい」など、社会派のドキュメンタリーを制作し続ける藤本監督。でもその素顔は”ほっとけないキャラ”のようです! 監督は皆から突っ込みを入れられますが、明るくて、どこかお手伝いしたくなってしまうような雰囲気を持つ人。周囲はハラハラしながら支えている部分もあるようですが、監督自身は「これまでに肩が凝ったことがない」って言っているのです!

それは監督として理想形ではないかな、と話を聞いていて思いました。特に大所帯の撮影現場では、監督がテンパったり、威圧的なタイプの人だと、スタッフたちは萎縮してしまうでしょう。監督が(わざと?)リラックスして皆を笑わせたり、スタッフたちが自主的に動くようにする方が、断然現場の雰囲気は良くなると思うのです。もちろん根幹の部分で、藤本監督の正義感と理念がしっかりしていることに周りの人は信頼を置いているからこそ、これが成立しているのだと思いますが。そこさえしっかりして、あとはスタッフたちの自主性を引き出させる方が、監督として優れているのではないかと思います。

すっかり話し込んで1時過ぎになり、影山さん、中井さん、青原さんとともに藤本監督の家に戻りました。

翌22日は映画祭の最終日。朝一番のプログラムは、中井信介監督の「ナナイの涙」でした。フィリピンのかつて米軍基地があった町で、フィリピン人の母親と米兵の間に生まれた子供達(アメラジアン)を取材した作品。映画祭での上映が、お披露目上映だそうです。

中井監督のトーク
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上映の後は食事スペースに行きました。そこでは、「座間の三人娘」と呼ばれ、国内外の反戦活動、座り込み活動に飛び回っている女性たちと会いました! 高江、辺野古、韓国などで座り込みに参加してきたそうです。マイジョッキをもってビールを豪快に飲む彼女たち。頼もしいです!

座間の三人娘のみなさん
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午後は田代監督の「空想の森」を観ました。空想の森映画祭の会場で観る、空想の森はまた格別!

田代監督のトーク
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最終日のラストは、趙博(チョウ・バク)さんによる「歌うキネマ」でした。この日の演目は「風の丘を越えて(西便制)」 。
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映画祭の作品が全て終了し、今夜はさよならパーティーです。帯広で「北の屋台」という屋台をされている「おっちゃん」(オサムさんの愛称でこう呼ばれている)が料理を振舞ってくれるとのことでした。パーティーの開始時間はプログラムにも印刷されているくらいですから時間通りに始まるのですが、この「おっちゃん」の料理は毎年数時間遅れる、と聞きました。

さよならパーティーの様子(並んだ食事は”前菜”だそうで、メインの「おっちゃん」料理ではないということですが、共働学舎のチーズを乗せたクラッカーなど、美味しかったです。)
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楽しく歓談し、1時間ほど経ったでしょうか? でも一向に「おっちゃん」の料理が運ばれてくる気配はありません。外で調理していると聞き、様子を見に行ってみました。

おっちゃんの仕事ぶりを見守る人たち。本人は急ぐそぶりもないようです。
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かまどもあり、本格的です! だから時間がかかるのかなぁ・・・
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パーティー開始から2時間ほど経って、やっとおっちゃんの一品目が運ばれてきました!
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だいぶ待たされた人々がお皿を取り囲み、ものの数分で終了。そして次の料理が運ばれてくるまで約30分・・・。(その後も30分に1度のペースで料理が運ばれてきました。そしておっちゃんの料理はパーティーが終わってからも終わることなく作り続けられ、私が帰る夜中の1時過ぎになっても、まだ同じペースで作り続け、運び込まれるのです・・・! もう誰もおっちゃんを止めることは出来ません!!)

おっちゃんのうどん鍋
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おっちゃんの普段の働きっぷりが気になるところですが、藤本監督によると「8人ほどが座れば満杯になる屋台だけど、2時間ぐらい経ってやっと料理が出てくる」そうです。そんなペースなので1日のお客さんは限られます。おっちゃん自身は「お客の回転率が悪い」と不満に思っているそうですが・・・! 東京では絶対めぐりあえない、天然記念物のような「おっちゃん」から目が離せませんでした!

おっちゃんの動画を撮影!! これで少しでもおっちゃんの雰囲気が伝えられれば良いのですが・・・
http://www.youtube.com/watch?v=vA7h0dEIy_Q

最終日のこの日は田代さんもお酒を飲んで、藤本監督のところに一緒に泊まることになりました。一緒の部屋で泊まった私は、かえってからも遅くまで田代さんと話しこみました。

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一升瓶をかついで北海道へ!(上映会報告2009/9/20)

朝8時ごろにおきました。今日は長岡を離れ、新得空想の森映画祭のために、北海道へ行くのです!

映画祭スタッフの人も知らなかった穴場のゲストハウスに泊まっている私は、沢山の人から「北海道へはフェリーで行かれるのですか?」と聞かれました。フェリー! 新潟と北海道がフェリーで結ばれているとは知りませんでした。一晩かけて小樽に到着するそうですが、6,000円程度と格安なのだそうです。放浪者としては、そちらを選ぶべきだったでしょう! 悔やまれます。(ちなみに小樽には朝4時ごろに到着するんだそうです。そんな時間に港に放り出されても困るんじゃないかと思いますが!!)

札幌行きの飛行機は午後4時に新潟発のを取っていたので、だいぶ余裕がありました。荷造りを終えて、コーヒーを飲もうと母屋に向かいます。すると、ちょうどご主人に会いました。「早川さん、あんた国会前に泊まってたんだったら、何でも食べるだろう? 俺の作ったカレー食べるか?」と言ってくれました! それはぜひ食べたいです!

ご主人お手製のカレーに畑で取れた野菜。美味しいんです、これが!!
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とれたてのトマトも!
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6日間も泊まり、映画も観に来てもらったり、世界旅行のお話を聞けたりして、このゲストハウスに泊まれて、予想外に楽しかったです。いざ今日離れるとなると、なんだか寂しい気持ちになりました。また長岡に来ることがあったときには、泊まりたい場所です!

庭の様子。これも当分見納めです。
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来迎寺から長岡駅へ、そして新潟へと向かいました。新潟駅で、立ち寄りたいところがありました。映画祭で知った、新潟の市民映画館「シネ・ウインド」です。

市民によって運営されているというユニークな映画館。この市民映画館誕生のいきさつについて、シネ・ウインドのウェブサイトより抜粋します。

1985年3月、新潟市古町七番町にあった市内唯一の名画座『ライフ』が閉館した。この事実は心ある新潟市民にとってはたいへん衝撃的な事件であったばかりでなく、新潟市にとっては『精神的威信にかかわる出来事(故荻昌弘氏)』でもあった。 これに対し、一人の青年が、名画座一館維持できないとは県都の名折れとばかりに、市民に行動を決して立つことを呼びかけた。現・ウインド代表の斎藤正行がその人である。

彼の呼びかけのもと、多くの市民が同じ思いで集まり、同年5月“市民の手で映画館の建設・運営”を合言葉に『新潟・市民映画館建設準備会』が発足する。同会の市民へのアピールは具現的活動をもって表わされ同年7月、今は亡き松田春翠氏を招いての『鳴呼活動大写真』と銘打った自主上映会は反響を呼び、次いで小栗康平監督を招いて催された自主上映会『伽耶子のために』も翌8月、成功裡に終える。これらの一連の行動は新潟市民に深い感銘と衝撃を与えたにとどまらず、多くの市民から理解と共感、引いては支援を得るに至った。

同年10月3日(劇場建設予定地との間に契約がなされた日)準備会は『新潟・市民映画館を建設する会』と発展的に改称され、年内オープンを目指すことになる。市民出資による劇場建設の理想は、一口一万円の会員を五千人集めることを目標に開始された。いわゆる第一次会員の募集である。このときの会員申込者は、現在シネ・ウインド劇場内にパネル掲示されているご芳名のとおりである。劇場建設への行動を起こしてから、わずか半年後の同年12月7日多くの夢と期待をはらみながら、その記念的な誕生を迎えた。

シネ・ウインド ウェブサイト
http://www.wingz.co.jp/cinewind/

新潟駅から徒歩15分、というと若干1キロ程度の距離ですが、何しろ12日分の旅行の荷物と一升瓶を担いででは結構大変で、ちょっとした苦行のようでした。

シネ・ウインド外観
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中に入り、スタッフの武田さんとお会いしました。この日は「精神」というドキュメンタリー映画を上映していて、うかがった時間がちょうど入れ替えの時間帯だったので、座席を見ることが出来ました。

劇場内の様子
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前方はちょっとした舞台のようになっており、映画の上映だけでなく落語をやったりするのだそうです。上映作品の選定も、イベントの企画も全て市民主体でやっているとのこと。面白い試みです。

2年前に改装したとのことで、おしゃれな雑貨屋さんのような印象を受けました。
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ずらっと書籍が並んでいて、近づいてみると昔の映画雑誌や映画に関する書籍が沢山ありました。資料としてもとても価値の高いものだと思います。武田さんたち自身も一体何があるのか把握していないということで、現在資料の分類作業をしているそうです。

1960年代のSCREEN誌
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武田さんに事務所と映写室も案内していただきました。映写設備は24年前のオープン時に既に中古品だったものを今でも使っているそうです! 今でこそNPOで映画の上映をする団体は珍しくありませんが、24年前は市民が運営する映画館というのはとても珍しかったそうです。12月31日と1月1日以外は年中無休で営業しているそうなので、新潟に行かれた際は是非!

シネ・ウインドを出て、新潟駅に向かいます。駅からはリムジンバスに乗り、新潟空港へ。空港のラウンジで食事を取り、自分の便を待ちました。

夕方5時15分に千歳空港に到着し、そこから新得行きの特急に乗りました。千歳空港に降り立った時点で既に感じていたことですが、かなり寒いのです! 南千歳で特急が来るまで約1時間待たなければならず、ホームに立っているだけでブルブル震えてきました。何しろ私の持っている服というのが、薄っぺらの夏服ばかり。それに冷房対策のジャンパーが1枚。同じくホームに立っている男性はレッグウォーマーまで身に着けていました。

南千歳駅の夕暮れ
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やっと特急列車が来ました!
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1時間半ほどで新得駅に到着。北海道はこれまでに何度か行きましたが、新得は初めてです!
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新得は南千歳より更に寒いと感じました。改札を出ると、お迎えに来てくれた映画祭の谷上さんに「早川さんですか?」と声を掛けていただきました。なんと、半袖です!!

早速車に乗せてもらい、映画祭会場である新内ホールへ向かいました。駅からは10キロ。歩けなくもない距離のようですが、クマが出たりするので歩かないほうが良いとのこと。ひぇぇぇ。

映画祭の会場に到着したときには、藤本幸久監督の最新作「アメリカ~戦争をする国の人々」の上映中でした。なんと、約8時間に及ぶ超大作です! 観たかったのですが、私が到着した頃には既にのこり1時間弱でしたので、東京で上映されるときに改めて観に行こうと思いました。

空想の森映画祭の開催地である新得に暮らす人々を描いたドキュメンタリー映画、「空想の森」の田代陽子監督と再会しました。今年の4月に初めて東京であったときは、初対面にもかかわらず意気投合し、10時間近く渋谷で飲んだのです! 田代監督はとにかく良く飲み、よく食べます。映画が、”農のある暮らし”をテーマにしていることもあり、上映会ではいつも美味しいご飯とお酒が用意されているのだと言っていました。

ところが、最近健康診断を受けて肝臓にかなり負担がかかっていることが判明! そこでしばらくお酒は控えめにしておくとのことでした。

藤本監督の上映が終わり、群馬から来られたシャンソン歌手の方のライブがありました。
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映画祭の会場内では、既に暖房がついていました。私は田代監督に防寒着を借りたので助かりました。

映画祭初日が終わり、今夜からの宿泊は藤本監督の家に泊めてもらえるとのことでした。藤本監督自体は映画祭会場である新内ホールに泊まり、ジャーナリストの影山あさ子さん、中井信介監督、札幌から来られたこゆ(こゆき?)さんと、藤本監督の家に向かいます。初日は疲れて、私は早めに寝ました。

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菅野さんにオススメの・・・(上映会報告2009/9/19)

朝おきて母屋に行くと、ゲストハウスのご主人と会いました。「昨日酒小屋行ったんだって?」と聞かれました。おかみさんに聞いたのでしょう。「俺もあそこの常連なんだよ、もう40年近く」とのこと! タクシーの運転手をされているご主人は、勤務時間が日勤・夜勤と交互にあるので酒小屋に行ける組(これぞ勝ち組?!)です。

ちょうどブライアンと同い年のご主人は、ベトナム戦争、学生運動、ヒッピー文化などの時代を生きてきたそうです。学生運動に失望した友人の多くが海外へ出て行ったのだとか。当時、フランスやオランダには自由を求める若者が世界中から集まり、彼らの中には”自由”を勘違いして、薬づけになり、廃人のようになってしまう人も多かったそうです。今でもなお理想を持ち続けて活動しているブライアンを尊敬している、とご主人は言いました。

この日は朝ごはんを食べずに、ゲストハウスを出ました。来迎寺駅近くで良いレストランがあるとおかみさんに聞いたからです。駅から歩いて3分ほどのところに、「豊明」というお店があります。

豊明の外観
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お昼のランチメニュー
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このお店のランチは、日替わり弁当(800円)もしくは、握り寿司、うどん、そば(各500円)を頼めば、ご飯、お味噌汁、サラダ、漬物、そしてカレーが食べ放題なのです!!

充実の食べ放題コーナー
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地元長岡の新鮮野菜+フルーツ
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カレーは家庭の味!
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ライスは越路のコシヒカリ!!
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この食べ放題でもかなり満腹ですが、日替わり弁当のボリュームもすごい。
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野菜をこんなに取ってしまいました!(しかも完食!)
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映画祭実行委員長の菅野さんが、諸事情によりあまり食事を取っていないと聞いたので、(これは知らせなくちゃ!)と写真をとりまくったのでした。

この後は映画祭の会場に向かおうと思ったのですが、このお昼の時間帯の電車のダイヤが余り良くなくて、あと1時間以上も電車を待たなければなりませんでした。レストランから駅に向かう途中、小さなバス停を見つけました。バスの本数なんて、電車よりもっと絶望的だろうと思ったのですが、時刻表を見るとちょうどあと数分で長岡行きが来ることが分かりました。

時刻表通りにバスが来て、乗りました。電車とは違う田園風景が広がり、これはこれで面白いなと思いました。途中、田んぼのど真ん中にケバケバしいつくりのラブホテルが建っていて、(こういう場所でも需要があるんだなぁ)としみじみ思いました。

20分ほどで長岡駅に到着し、そこから映画祭会場までのバスに乗ります。この日はマレーシアのヤスミン・アハマド監督(残念ながら最近急死されたそうです)の「細い目」を観ました。上映の後には、国際交流センター長・羽賀友信さんと、長岡技術科学大学の留学生ヌルルさん、ウミさんによるトークがありました。マレーシアからの留学生だそうです。長岡技術科学大学の留学生で一番多いのがマレーシアというのは意外でした。マハティール首相時代に「Look East」(東に目を向けよう)という政策があり、日本や韓国の優秀な技術を学ぼうと多くの留学生が来たそうです。中でも、留学地として長岡にやってくる学生は、田舎好きだったり、雪にあこがれて、という人もいるそうです。
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羽賀さんによると、日本に来た留学生のうち約8割が日本嫌いになって帰国するのだとか。留学生が地元と交流するのはなかなか難しいようです。研究に忙しく、また学校が街から離れていて、日本人の友人を作る機会が少ないと言うのもあります。観光地であればお金を払えば誰でも行けます。でも、日本の一般家庭に行ける機会はなかなかありません。羽賀さんは、留学生と仲良くなって、日本の生活を見せてあげてください、観客に言っていました。

私がロンドンに留学していたときも、周りの留学生たちは皆、「友達は学校で沢山出来たけど、イギリス人と知り合う機会がない!」とよく言っていました。学校、アルバイト(留学生はスターバックスや、日本食のレストランでのバイトなどをしている人が多い)で友達は出来るけれど、低賃金の仕事で知り合える人は移民ばかりです。私はブライアン達と出会ったこと、平和活動に関わったことによって、イギリス人の友達を作ることが出来ました。また、無類のイギリスコメディー好きなので、コメディーつながりでも友達が出来ました。その経験から思うことは、何か趣味や関心事を持っていると知り合うチャンスが増えるということです。例えば地元のサッカークラブに入るとか、ダンスクラスを取るとか、映画祭のボランティアスタッフをしてみるというのもすごく良い事だと思います!

映画の後は、スタッフの方々にドイツレストラン、バーデン・バーデンに連れて行っていただきました。ソーセージの本場、ドイツで賞を受賞したこともあるレストランなのだそうです!

ソーセージ盛り合わせ
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お昼に食べ放題で思いっきり食べたので、ここでは軽めにしておこうとサラダ風のパスタを注文しました。ところがこれがずっしりと重いボリュームで、味だけでなく量もドイツ!と思いました。半分ぐらい食べたところでギブアップ。
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8時近くになり、皆さんに挨拶をして長岡駅に向かいました。実は、今日が映画祭に来られるのは最後。明日からは北海道へ向かうのです。火曜日から5日間も通えた映画祭。こんなにスタッフの皆さんとお話したりご飯を食べる時間が持てて幸せでした。

映画祭から新潟の銘酒・八海山(しかも大吟醸)の一升瓶をいただき、記念撮影。
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長岡アジア映画祭の皆さま、どうもありがとうございました!!!!

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酒小屋の夜(上映会報告2009/9/18)

18日はホテルのチェックアウトが11時だったので、ゆっくり寝られました。ゲストハウス暮らしでは食生活は偏りがちなので、ホテルのバイキングで野菜や果物が沢山食べられて良かったです。

ホテル外観
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チェックアウト後、映画祭の会場へ向かいました。今日の午後は「1000年の山古志」という映画の上映があります。これは、中越大震災の被害に遭った山古志の人々を5年かけて追ったドキュメンタリーです。全村避難した山古志の被害は特に大きく、私などはあの地震で「山古志」の地名を知りました。

今回が初上映ということで、沢山のお客さんが来ていました。山古志からも、マイクロバスで観に来ている人たちがいました。私ももぎりを手伝います。
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震災後、山古志に戻ることを決めた人々、離れることにした人々の想いや覚悟が伝わる素晴らしい作品でした。映画の上映後は、長岡造形大学の平山邦彦先生と澤田雅浩先生による解説がありました。
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国内外の災害と復興を研究されているお二人。山古志には他の被災害地域にはみられない特徴があると話しているのが興味深かったです。神戸や台湾での地震では、行政の対応の不備を声高に叫んだり、地震後の復興はどこか走り続けているような感じがしたといいます。それに対し山古志では、行政に怒鳴り込んだり、走り続けているかのような感覚がない(←行政に対する不満がないということではありませんが)。これは、山古志の地理的な性質と深い関係があるそうです。深い雪のため、半年はどうしても立ち止まらなければならないこと、その間に住まいについて、人生について立ち止まって考える時間が出来るということがあるそうです。そして、もともと自然が厳しく、崩れやすい山の中で生活し、自然と共に生き、戦いながら生活してきたという背景もある。そんなことをお話されていました。

映画の中で被災者が仮設住宅で暮らすシーンがあり、外出するときに玄関の鍵をかけた後、その鍵をドアの近くのかごにいれて出かける場面があります。私は(それじゃ意味ないじゃん!!)と思ったのですが、観客の方の多くは自分もそうしているのか、そこについては無反応のようでした。

今日はこの映画だけを見てお暇することにしました。まだ5時過ぎでしたが、私にはある思惑がありました。そうです、以前長岡駅前で見た、あの「酒小屋」に行って見ようと思ったのです! 今行けば6時までには入れる、そう計算して映画祭会場を出ました。

長岡駅行きのバスに乗ります。すると、後ろから声をかけられました。なんと、同じゲストハウスに宿泊していた磯野さんです! 「うわ、すごい偶然だね」と話し始めました。彼はゲストハウスは昨日までの宿泊で、今夜は見附というところにあるスポーツ・チャンバラの先生のところで練習し、先生の家に宿泊すると言っていました。見附に行く電車も、来迎寺行きと同じで1~2時間に1本。私が「酒小屋に行こうと思っている」というと、磯野さんも興味を示し、一緒に行くことになりました。

長岡駅でバスを降り、酒小屋へ向かいました。やった!まだ空いてる! 只今の時刻、5時45分。でも、酒小屋のマスターは「ごめん、もうモツ煮込み終わっちゃったんだよねぇ~」!!!! 6時ごろまでなら大丈夫と聞いていましたが、日によってだいぶ差があるらしく、この日は5時15分になくなってしまったのだそう。えええ~とショックを隠せないでいた私に、「サービス豆腐をあげるから入りなさい」とマスターは言ってくれました。

サービス豆腐というのは、もう終わってしまったモツ煮込みの大きな鍋に”汁”が残っているので、それに豆腐をいれて軽く煮たものです。なんと、無料のサービスだったのですが、”汁”だけでももつの味がしっかり染みていて、とても美味しかったです!! 隣に座っていたおじさんたちは、「俺たちもモツ煮込み食べられなかったんだよ。会社が5時に終わるんだから、どうやったって5時半にしか来られないんだから!」と言っていました。この店に4時から行ける人というのはかなり限定された人ですものね・・・。今度長岡に来れたときはリベンジで4時に行かなければ!!

サービス豆腐をつまみに、ぬるカンで日本酒を飲みました。非情にも数時間で閉めてしまうこのお店ですが、それには事情があるそうです。このお店を始めて50年近く(!)になるそうですが、以前は普通のお店のように夜までやっていたそうです。でも、マスターが体を壊してからは現在の数時間というスタイルに変更したのだとか。再開発の波にも負けず、長岡駅前で半世紀にわたって続けてきた酒小屋。店内に張られた値段表に、大英博物館でみた古文書を思い出しました。

お会計を頼むと2人合わせて540円という驚きの安さでした!

酒小屋前で撮影(すみません、酔っ払ってます・・・)
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磯野さん
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磯野さんと分かれ、私はゲストハウスのある来迎寺行きの電車に乗りました。さすがに、モツ煮込みの汁と豆腐だけではお腹がすくので、来迎寺駅前の居酒屋でご飯を食べることにしました。

わかば家
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電車の数も少ないし、民家ばかりなのだから、お客はほとんどいないだろうと思っていたら、結構店内にお客さんがいてびっくりしました。

お通し
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海鮮丼(美味しかった!)
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ゲストハウスに戻りログハウスの扉を開けると、入り口に写真のアルバムがおいてありました。通算5年以上、世界を放浪してきたオーナーの加藤さんが写真を置いてくれたのです! 

加藤さんの写真の数々を紹介させてもらいます。(海外旅行が一般化した今ではなかなかこういう写真は撮れないでしょうね・・・)
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加藤さんの旅日記と写真は加藤ゲストハウスウェブサイトからご覧になれます!(目次より「TRAVELS」をクリック)

アルバムを返そうと母屋へ行くと、ご主人はいなくて、おかみさんがいました。おかみさんから放浪旅についての話を聞きました。おかみさんは、ご主人と「お金がなくなるまで」ということで向かった放浪旅の途中で妊娠し、飛行機に乗れる最終月(妊娠七ヶ月目まで)まで放浪して、それで日本に帰ってきたそうです。日本に帰るまで一度も医者に行かず、妊婦検診のようなものも受けず、日本にいる妹さんから本を送ってもらい「大体何ヶ月目にはお腹がこうなる」と本で読んで知ったのだそうです。「何とかなるもんだよね」とあっさり言ってのけるおかみさん。さすがです。

その次の放浪は、3才と5才のお子さんを連れて。シベリア鉄道にも乗ったそうです! 約1年ほどの放浪では、現在ではなかなか行けないアフガニスタンなども行ったとか。こんな貴重な経験が出来た子供達は、その後一体どんな風に成長したのでしょう?? 外交官か、国連職員ぐらいにはなっているだろう、と思って聞いてみると、意外にも「海外旅行に興味なし」と国内にいるのだそうです。我が家もそうですが、親子は正反対だったりしますからね。ご主人の方は「また放浪に出たい」と考えているそうです。おかみさんは「これはもう病気みたいなものでしょうね、周期的にやってくる・・・」と言っていました。

この日から、大学生の女の子が一人で泊まりに来ていました。それでおかみさんと3人で何時間も話していたのですが、彼女も放浪派なんだとか。私も自覚はありませんが、世間から見たら放浪派かもしれませんし・・・。決して世の中的にはマジョリティーとはいえない人々が、何でこのゲストハウスには沢山いるんだろうね、そんなお客さんばっかりだよね、とおかみさんは言っていました。

確かに。でも、それが面白いと私は思ったりします。こういうゲストハウス生活や、酒小屋のようなお店を面白いと思って飛び込んでいく人かどうか。これは友達作りのひとつの”基準”と言っても過言ではありません。こういうのを面白いと思う人ならば、きっと何かしらの接点があるだろう!というように。

日付が変わり、ログハウスに戻って寝ました。

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贅沢な時間(上映会報告2009/9/17)

9月17日。今日はいよいよ自分の作品の上映日です。私は雨女なのか、これまでの上映会は大抵雨か曇り。時には嵐なんてこともありました。今日は、雲ひとつない快晴。

朝、ゲストハウスで洗濯をして会場へ向かいます。連日半スタッフとしてもぎりなどをしていた私ですが、今日は”ゲスト”ということで控え室に案内してもらいました。控え室は舞台役者などが化粧をしたり衣装を着替えたりするのに使いそうな感じで、私にとっては手持ち無沙汰でした。

控え室の様子
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コインロッカーなどもついています。
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控え室にいてぼーっとしているのもなんなので、受付に戻りました。受付で記念撮影。

スタッフの菅野さん、関矢さんと
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今年ボランティア初参加だというお二人と(姉妹なのだそうです!)
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そしてなんと私が宿泊しているゲストハウスのご主人・加藤さんと、宿泊しているスポーツチャンバラの大学生・磯野さんも観に来てくれました!!(左に写っている方は、加藤さんの高校時代の陸上部の恩師の先生で、数十年ぶりに再会したそうです)
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上映前に挨拶をし、映画の上映が始まりました。上映の後は、菅野さんを司会進行役にしてトークをしました。菅野さんからは、イギリスに行く前はどんなことをしていたのか、ブライアンとの出会い、ブライアンたちの撮影には快く応じてもらえたのか、映画の製作前と後で変わったことは何か、長岡の戦災資料館を見てどう思ったか、などの質問をいただきました。その後、会場からの質問では、今後はどんな作品を作りたいか、と聞かれました。

私の映画を小林茂監督も観てくれました。そこで菅野さんが小林監督を紹介し、「では、監督の意見を聞いてみましょう!」ということになりました。一体どんな意見が出るのか・・・緊張して待ちます。

小林監督は、映画について「これは戦争という題材を、戦場での取材から見たものではなく、イギリスの、ある反戦活動家を通して取り上げたものです。難しいテーマに挑戦されました。”反戦活動家”についての映画で私たちが知りたいと思うことは、戦争の是非、活動の内容や主張などではなく、ブライアンという人物の人間的な魅力です。でもこの映画を観ても、彼のどんなところに魅力を感じられてつくったのかがわかりませんでした。早川さんにとって、ブライアンの魅力とは何ですか?」・・・こう聞かれたのです。

ブライアンの魅力・・・。改めて(何だろう?)と思ってしまいました。会場のお客さんの前でしたが、私にははっきりと「これです」と答えることが出来ませんでした。ブライアンと一緒にいて、映画を作ろうと思い、彼の主張を聞き、撮影もしてきたわけですが、活動家としてではなく一人の人間としてのブライアンに私はどこまで正面から向き合おうとしただろうか? その点について深く考察したことがあっただろうか? ・・・こんな風に考えてしまうあたり、それはもうその点について深く考えてなかったということは明らかです。

トークの後、チケットの受付をしていた小林監督に挨拶に行きました。ちょうど映画の上映が始まったので、チケットの受付はすいていました。そこで私は自分の作品について、とても沢山のアドバイスをもらうことが出来たのです! もしかして1時間以上話してもらったかもしれません。現役で活躍している優れた映画監督の方から直々に意見をもらえるのですよ! それって、例えば大学の映像学科に通っている学生の人たちだって、そんなに持てる機会ではないでしょう。私は自分はとても恵まれていると思いました。

小林監督からいただいたアドバイスは、その日の夜、寝る前に書き記しました。一言も忘れたくないですから!
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以下、どんなことを教えてもらったのか書きます。小林監督は、カメラマンとしても活躍されていましたので、その視点からのアドバイスもありました。まず、フェードイン・フェードアウトの多様をやめると言うこと。これはこれまでにも他の方から指摘されたことがありますが、とにかくこれがあると「目も疲れる」とのこと。フェードアウトするのは、「絵を殺す」ことに同じ。カメラマンだったら、自分の撮影した素材というのは、本来全て使える絵であるという自負がある。なので、フェードアウトすることで、絵を殺してしまいたくないのです。昔のカメラマンたちは、監督や編集者が編集で切り落としたフィルムを何とか使わせようとして、編集室で切り落とされたフィルムの切れ端をまた繋げて復活させることまでしたそうです。それぐらい自分がとったものに対しての誇りと必要性があるのです。それで、監督がラッシュを見て「え~? これ切り落とさなかったっけ??」と不思議がるのを黙ってみていたとか。それほどのものですから、フェードイン・フェードアウトでバサバサと切ってしまうのは、殺しまくっているのに同じなのです。

私は音声が内臓マイクを使っていることもあり、音を拾うため被写体に近づいて撮っているシーンが多いです。それについて、小林監督は引きで撮ることも大切だと言いました。近くにいるとよく分からなくなってしまうことがある。そんなときは引いて撮る。カメラを一端切る事も大事で、それで引いてみて冷静になり、また撮影を始めると良い。

メッセージの伝え方についてのアドバイスもありました。あれもこれもとメッセージを沢山盛り込むと、かえって伝わらなくなってしまう。1つ1つのシーンで言いたいことは1つにする。それらがまとまってひとつの章となり、その章としても言いたいことは1つ。そして、章がまとまってひとつの映画となり、映画全体で言いたいことが1つ。このように考えるといい、と言われました。

最初からいくつもメッセージを詰め込みすぎて全てを明らかにしてしまうと、興ざめしてしまうとも言われました。例えば、私は前半のナレーションでブライアンの活動と歴史について詳しく説明していますが、ブライアンの生活をただただ見せるだけで(何だろう?)と思わせるような構成もアリではないか、と。で、その合間合間に警察との衝突などを見せて、(何が起こっているんだ??)となるような。ブライアンの主張=平和はなくてもいいぐらい。

良い編集というのはプロの将棋と同じ、と言われました。つまり、プロの将士は、対局のあとに逆から順に自分の打った手を全てやり直していくことが出来る。それは、打った1つ1つの手すべてに打った理由があるから。映画もそれと同じで、1つ1つのシーンに意味があり、伝えたいメッセージがあるということです。

私は編集作業をしているときに、(これって、誰が編集するかによって、素材は同じでも全く違うものになっちゃうよねぇ・・・)と編集の面白さと恐ろしさを感じていました。それぐらい出来上がりには幅があると思ったのです。しかし、小林監督によると、本当に良い編集というものは、監督、撮影者、編集者ともに「どうやってもこれ以外のつなぎ方はないよね!」というレベルに達するまでやれたものだ、というのです。時間の関係でエイっと完成させざるを得なかったようなものはダメ。とことん編集を考え抜いて素晴らしい作品が出来るのです。

編集のことも考えながら撮影することが大事、とも教わりました。昔の報道記者は、100フィートのフィルムを持たされて現場へ向かったそうです。100フィートとは3分の長さ。この3分という長さの範囲内で、構成・編集を考えながら撮影したそうです。私はビデオから始めてのでとにかくずっと回していますが、こういうクセをつけて撮影した方が良いと言われました。

私はまだ1作しか作った事がありませんし、勢いで作ってしまったので、技術的にはかなり稚拙です。そんなことは誰が見ても明らかですが、小林監督はそんな私に「今、30過ぎでしょう? ひとつ作品を作ったのだから、これからは後輩の指導もしながら作品を作っていくこと」と言われました。私自身がまず教わらないと思っているぐらいなのに、後輩の指導なんて・・・と思っていたら、それを見透かしたかのように、「自分だけで活動していると、しぼんでしまうよ。下の世代の人のエネルギーや閑静も取り入れながら活動していくといい」と言われました。「黒澤明が80過ぎても映画を作っていたのは、一緒に働く若い人のエネルギーを吸い取るからだって言われていたんだよ」とも言っていました。

ドキュメンタリーはインタビューで構成されているものは多いですが、小林監督は「インタビューで知った内容を映像で表現していくことが大事」と言いました。例えば私の作品だったら、ブライアンが8年間抗議活動をしているという事実を、彼のインタビューや私のナレーションで説明してしまうのではなく、その年月が表現されるような絵(風雨にさらされたテント、警察との対峙、やたら手際よくアウトドア生活をしている様子など)を使って表現するのです。インタビューは、はっきり言ってどんなことでも言えてしまう。うそでも。なので、それを実証する絵を探すのが必要。

黒田清JCJ新人賞をいただいたとき、周りの人に「1作目は何とかできる。でも2作目を作るのが大変」と言われました。私も2作目って一体どんなものが出来上がるのだろうと、その話題になる度にちょっとプレッシャーと思ったりします。2作目以降について、小林監督の意見は他の人とは違っていました。

小林監督にとって「1作目を超えることは出来ない」。なぜなら1作目は情熱だけで作られているものだから。どうやったって純粋な情熱の塊である1作目を超えることは出来ないのだけれど、人は2作目以降を作り、前作を超えようともがき、苦しむ。それで良いのだ。そう乗り越えようと努力することに意味があるし、それが生きる意味、人生そのものである。人間的な深みを増すことが出来る。・・・私はここに小林監督の映画作りに対する哲学を感じました。

映画作りにこだわらず、ジャーナリストとして文章でも何でも、どんどん作品を発表していくべきだと言われました。そのためにも常にアンテナを張って情報収集して、面白いことはないか探すこと。人との出会いも大事で、出会いによって作品が生まれるのだから、と言っていました。

・・・と沢山書いてしまいましたが、どれも私にとって大切なアドバイスであるため、ぜひ書き残して頭にいれておきたいと思いました。小林監督、どうもありがとうございました!!!

その後、「台湾人生」の酒井充子監督と小林監督のトークを聞きました。
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酒井監督、小林監督、映画祭スタッフの皆さんと記念撮影。
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この日の最終は、小林監督が初めて映画の現場に携わった記念碑的な作品、「そっちやない、こっちや」(柳澤寿男監督)を観ました。上映後の小林監督のトークで、廃品回収の仕事をしながら助監督として作品作りに携わったというエピソードが語られました。若造だからと、お客さんにごまかされることがあったそうなのですが、それは若さが理由ではない、自分が廃品回収という仕事を低く見ているからだ、と思い、それからはプロ意識を持ってその仕事に取り組んだ、と話していました。

小林茂監督
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トークの後は、スタッフとゲストで飲み会です。

飲み会出発前の写真!
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飲み会の席では、映画祭のスタッフで、造形大学で映像を勉強しているダイスケさんと話しました。現在、卒業制作作品のシナリオを書き上げたところだそうです。撮影はビデオでする予定だとか。そんな話をしていると、他のスタッフの方で8mmや16mmで撮影したことのある人が、「映画の道を志すものは、一度は8mmか16mmで撮るべし!」と言いました。そこで映画はフィルムで撮るべきなのか、ビデオでも良いのかの議論になりました。

フィルムの持つ奥行き、条件を考慮しての撮影など、フィルム撮影から学ぶことは多いでしょう。でも、デザインを出発点として映像制作を始めたダイスケさんにとっては、自分の思い描いた絵を完璧に再現したいという思いがあるので、その場で再生して映像を確認出来なければならないのです。フィルムではそれは出来ません。

私はフィルム撮影を経験すべきかどうかについて、ダイスケさんとはまた別の考えを持っていました。フィルム撮影に要される技術を学ぶことが大事なのではなく(←もちろん大事だとは思いますが!)、フィルムで撮影するという緊張感こそが良いものを産むのではないか、ということです。ビデオだとずっと長回しが出来ます。デジカメと同じで、バシバシ撮り、その中で使えるものがあったらいいよね、みたいな感覚です。でも、フィルムは高価で長さにも限りがあります。ここで絶対撮るぞ!という気迫が違うと思うのです。ビデオで10回とって1つ良いものが取れたという確率の問題ではなく、ここ一番で絶対撮るぞという気持ちで撮ったものの方が遥かに良い絵が撮れるのではないかと思ったわけです。小林監督が言っていた、撮影監督が「オレのフィルムは1コマたりとも誰にも切らせねえ!」といった感情は、ビデオ撮影からは生まれにくいのではないかと思います。

飲み会の様子
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あっという間に時間が過ぎ、気がついたら1時近くになっていました。今日はゲストハウスではなく、長岡市内のホテルに泊まることになっていました。スタッフの方に送っていただいて、ホテルへ向かい、一日を終えました。

ホテルの様子
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