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行ってきました!トルコのドキュメンタリー映画祭①(映画祭報告2009/12/1-2)

12月1日、私は成田空港からトルコのイスタンブールへ向けて旅立ちました。そうです、「ブライアンと仲間たち」がイスタンブールのドキュメンタリー映画祭で上映されることになったからです! この映画は、9月にロンドンの映画祭で上映されたことはあるけれど、ロンドンは映画の舞台ともなっている場所なので、ある意味純粋な”海外”とは言いにくい。なので、このイスタンブールでの上映が、実質初めての海外上映となるのです。

映画祭の名前は「国際1001ドキュメンタリー映画祭」。公式ウェブサイト↓
http://www.1001belgesel.net/en/Default.aspx

期待に胸躍らせて、飛行機の中ではほとんど寝られませんでした・・・と書けたら良いのですが、まったく別の事情で私は眠れずにいました。というのも、飛行機に乗るまで、いや、乗ってからも、私は今回の旅行で不安が一杯だったからです!

映画祭から、上映することが決まったというお知らせをもらったのが今年の9月の半ば頃でした。そのとき、私はちょうど富山~長岡~新得の旅の途中で、長岡でその知らせを受けました。映画祭からのメールには、映画祭は12月4日~13日まで、最後の2日間はドキュメンタリー製作者たちのシンポジウムとなっている、世界中から映画人たちが集まるので是非出席してほしい、映画祭期間中の宿泊費は映画祭が負担する、そのようなことが書かれていました。

この時点では即座に「トルコに行こう!」とは思わなかったのですが、その後東京に戻り、海外で上映される機会というのは、この後にも先にもなかなかない機会だよなあ、と思ったり、航空券は他のところから援助してくれる目処も立ったので、「だったら行ってみよう!」と決心したのでした。

イスタンブール行きの航空券を押さえたあと、映画祭の事務局とは、トルコ語字幕を作るための英語テキストや、上映用のDVCAMテープを郵送するというやり取りが何度かありました。でも、映画祭の開催日は段々迫っているのに、自分の映画がいつ上映されるのか、イスタンブールのホテルはどこに宿泊なのか、そういった情報は一向に来ません。映画祭のウェブサイトは、開催の1週間前になってもまだ工事中・・・!

これまでやり取りをしていた映画祭の事務局の担当者は、忙しいからか全く音信普通になってしまったので、不安になって国際電話をかけてみました。ドキドキしながら映画祭の事務局へ電話します。電話に出た人は、私の名前と、日本から電話をかけているということは理解しましたが、「自分の映画の上映日が知りたい」、「ウェブサイトはいつ更新されるのか?」「ホテルはどこですか?」といった質問は分からなかったらしく、電話口のそばでトルコ語でなにやら誰かと相談中。結局、これまで連絡を取ってきた担当者の携帯につないでもらうことになりました。

担当者の人の話によると、映画祭の事務局はてんてこ舞いだそうで、上映のスケジュールはまだ決まっていない、(スケジュールも決まっていないので)ウェブサイトの更新も出来ない、ホテルは別の担当者が予約したが、その人がホテルの名前を教えてくれない・・・etc、電話を切った後、私は(本当に映画祭は開催されるのか?!)と、とても不安になってしまいました。でも、私の周りのトルコ事情に詳しい人々(元彼がトルコ人とか、トルコに友達がいるとか)は、私のこの有り得ないやり取りを”全て納得!”という感じで聞いていました。「ま、トルコ人は”全ては神のお気に召すままに”が口癖だからねぇ」、と・・・! 

映画祭の事務局の人は、詳細が分かったらメールすると言ってくれましたが、結局出発前日まで連絡が来ないまま、私は成田空港へと向かったのでした。

せっかくトルコに行くなら、ちょっと長めに滞在しようと考えた私は、映画祭の開催日(4日~)の少し前(1日~)にイスタンブールに到着することにしていました。映画祭が用意してくれるホテル(←本当に押さえてくれたのだったとしたらwobbly)は4日からなので、私は最初の3日間泊まるホテルを自分で探して予約していました。

私のフライトは、イスタンブールの空港に夜の10時半に到着する便でした。空港から市内はちょっと離れています。初めての都市で、夜遅くの到着では危ないので、ホテルの送迎タクシーを予約してありました。

成田を発ち、フランクフルトで乗り換えてイスタンブールへ。手荷物を受け取り、出口へ向かいます。手荷物受取所も尋常ではない混雑振りだったのですが、出口は出迎えの人々でごった返していました。運悪く、ちょうどトルコのスポーツ選手団の一行が、遠征で帰国する日で、取材陣、出迎えのファン、家族など1000人は軽く越える人々が、狭い出口に詰め掛けていたのです! 

私はホテルからの送迎を頼んでいたので、その大勢の中から自分の名前が書かれたプラカードを持っている人を探さなくてはなりません。(え~、こんなの絶対無理!)と思いながら、プラカードを一つ一つ見て行きます。(ないよなぁ・・・。でも、もしかしたら忘れて来ないこともあるってガイドブックには書いてあったし・・・)などと思いながら探していると、旅行業者が「どこのホテル?」としつこく勧誘してきます。

結局、プラカードを持っている人を探すのは困難とあきらめ、インフォメーションセンターで呼び出してもらうことにしました。でも、センターでは、運転手のサーネーム(苗字)が分からないと呼び出せないと言われてしまいました。うぅ、「迎えに来る運転手の名前も確認しましょう」とガイドブックには書かれていましたが(←偽運転手防止のため)、私は運転手の名前を知りませんでした。

じゃあ、ホテルに電話をして運転手の名前を聞かなくちゃと思い、重い荷物を引きずりながら空港内の郵便局に行き、テレホンカードを買いました。買った後で、今度は公衆電話を探していたら、空港内に小さな旅行代理店を構える人が「どうしましたか?」と聞いてきました。(この人も怪しい人なのでは・・・?)と少し警戒しつつ事情を説明すると、旅行会社の人は私のホテルに電話をしてくれました。

電話を切るとその人は、「ホテルからは誰も迎えに来てないそうです」と言うではありませんか! 驚きつつも、これまでの映画祭とのやり取りを考えれば、こんな状況は起こりえなくもないとちょっと免疫が出来ていたので、「そうですか・・・。分かりました。ありがとう」とお礼を言いました。すると早速旅行会社の人は、自分たちのタクシーサービスを使え、と言ってきました。空港からホテルまで65トルコリラとのこと。通常、空港から旧市街までは30トルコリラ程度が目安、とガイドブックにはありました。私が予約していたホテルの送迎サービスは45トルコリラ。でもこれはホテルを通して予約するので、仕方のない上乗せ料だと思いました。でも、65リラは高すぎる!と私が言うと、「もう夜遅くだし、危ないよ。タクシーの運転手でも、悪い人だったら回り道をして高いお金を請求されますよ」などと言います。

不安を煽られつつも、そしてどうするあてもありませんでしたが「結構です!」と断り、私は空港の外へ出ました。電車ならば数トルコリラと格安なのですが、旧市街まで直接乗り入れてはなく、途中で乗換えが必要ですし、また電車の駅からホテルまで、深夜にうろうろ道を探すのは怖いなと思ったので、電車を使うのはためらっていました。リムジンバスのようなものもあると調べていましたが、きちんとしたバス乗り場のようなものは見当たらず、何台か聞いてみたバスは「旧市街には行かない」と言われてしまいました。そうこうするうちに、もうすっかり深夜になり、へとへとです。

タクシー乗り場を探そうと歩いていると、後ろから声をかけられました。今度は普通の旅行客っぽい女性です。「何か助けが必要ですか?」と彼女は言いました。私は旧市街まで行きたいというと、自分もその方面に行くから一緒にリムジンバスに乗りましょうとのこと。彼女はどのバスが旧市街に行くか分かっており、私もそのバスに乗り込みました。10トルコリラで旧市街まで行けるとのこと。バスは超満員! 外国人旅行者にはちょっと使うのが難しそうからか、このときの乗客はほとんどトルコ人風で、いかにも外国人旅行者風なのは、私一人でした。

彼女は、「旧市街のアクサライというところでバスを降りて、そこからスルタンアフメットまでタクシーの乗るとすぐですよ」と言いました。彼女とは席も離れて何も話せませんでしたが、私が降りるときに「連絡ちょうだいね」と名刺をくれました。空港から20分ほどで、旧市街のアクサライに到着し、バスを降り、そこからタクシーに乗ってホテルへ到着したときには、もうすでに1時近くになっていました。フロントで荷物を降ろすと疲れがどっと出てきました。

ホテルは、Akdeniz Hotelという名前の、雑居ビルをホテルとして改装したような宿でした。受付で働くのは、トルコ人の女性・イルディズと、キルギスタンからの男子留学生、ムバラクでした。

ホテルからの送迎がなかった件ですが、受付の二人とも「申し込みのメールはなかった」と言っていました。私は送ったはずなのだけど・・・。迷惑メールとして削除されてしまったのでしょうか、それとも・・・・? 真相は分かりません。

疲れてはいましたが、受付の二人とお茶を飲みながら1時間ほど世間話をしました。この宿には、なぜか日本人のお客さんが多く泊まりに来る、とムハマドは言いました。一番多いお客さんはトルコ人で、その次が日本人なのだそうです。「日本の有名なガイドブックに紹介されているらしいんだ」。私はこの宿を、「地球の歩き方」に載っていたので見つけたのですが、多分そのせいでしょうか。

出発前からトラブル続きで、イスタンブールに到着してからもなかなかスムーズにことが運ばないことですっかり疲れた私は、その日は時差ぼけも関係なく、ベッドに入るやいなやぐっすりと眠りに落ちました。

部屋の様子(翌朝撮影)。ベッドは特大で快適でした!
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翌12月2日早朝。とんでもない大音量で目が覚めました。(一体何事?!)と飛び起きると、近くのモスク(ホテルの周りにはブルーモスクをはじめ、沢山のモスクがあります)が、朝のお祈りの時間を知らせる呼びかけを大音量のスピーカーで行っているのです! その音量たるや、甲子園の試合開催・終了を知らせるサイレン並み。時計を見るとまだ朝の6時! 

お祈りのための呼びかけは、大体10分ぐらい続いたかもしれません。(これが毎日続くの???)と不安になりましたが、トルコに住む人々はこの朝のサイレンも慣れてしまって、これで目が覚めることはない、と後で聞きました。(ちなみに私も3日目からは起こされなくなりました)

再び眠り、9時過ぎに起きました。外は晴れ。かなり暖かい気温です。

ホテルの部屋から見た外の様子
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Akdenizホテルの外観
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ホテルから歩いて数百メートルのところにある、”ブルーモスク”の愛称で有名な「スルタンアフメット・ジャーミィ」へ行ってみることにしました。
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お祈りのために訪れる人と観光客は入り口が別になっています。観光客用の入り口から、靴を脱いで入ります。女性はスカーフで頭や足(ミニスカートをはいている人のため)を被うよう、布が置いてありました。

ブルーモスク内部の様子
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お祈りを捧げる人々
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ブルーモスク観光の後は、お茶を飲むことにしました。左は、バクラワといって、パイをはちみつ漬けにしたお菓子。ピスタチオがまぶしてありました。右はトルココーヒーで、エスプレッソのような小さなカップでいただく濃いタイプのコーヒー。
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小休憩した後は、スルタンアフメット地区を散策しました。スルタンアフメットを含む旧市街は、ブルーモスク、アヤソフィア、グランドバザールといった、イスタンブールの歴史的な観光名所が密集する地域です。それに対し、金角湾を渡った先には新市街と呼ばれるエリアがあり、行政機能、商業施設は、新市街に集中しています。

旧市街を歩いていて、モスクのある街並み、モスリムの人々が行きかう姿に、私はどこか懐かしさを感じていました。というのも、私がロンドンで住んでいた地域(東ロンドン・ホワイトチャペル周辺)は、ロンドンで最大のモスリム街だったからです。ヨーロッパ風の建築に、イスラム圏の文化が融合した街並みは、異国を感じさせませんでした。

旧市街を通り過ぎ、新市街へ渡るガラタ橋のたもとまで歩いていきました。
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目の前には向こう岸(新市街)が見えます!

ここ(エミノニュ)と新市街、そしてアジア側を結ぶ船がたくさん運行しています。
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停泊所のそばには屋台も沢山ありました。
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橋を渡って、新市街へ向かいます。・・・橋には沢山の釣り人が!!(ちなみに橋の下はレストラン)
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一日中釣り糸をたれていると言うおじさん。写真は、エサの小エビをカッターで細かく刻んでいるところ。
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四匹釣れてます!
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釣り人を対象にした商売もあって、えさの小エビをカップに入れて売ったり、トルコ人が一日に何杯も飲むチャイ(ストレートの紅茶)も販売しています。
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お腹がすいてきたので、何か食べることにしました。トルコと言えば、世界三大料理の一つ! 滞在期間を通して、食べ物は本当に美味しかった~。キョフテ(ミートボール)のサンドイッチをテイクアウトして食べました。
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写真ではよく見えないかもしれませんが、中に肉団子が挟まっています。
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飲み物はアイランという塩味のヨーグルト・ドリンク。トルコでは、ヨーグルトは日本に砂糖を入れたりして甘くするデザート感覚ではなく、塩を入れて飲んだり、生にんにくをすりつぶして加え、ソースにしたりして食します。
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ネコが食べたそうに近寄ってきましたcatface 肉団子も食べるのか?!
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さて、すっかり観光客気分の私ですが、腹ごしらえをした後は、今回の旅の目的である映画祭のことを何とかしなくちゃいけません。日本から、映画祭の担当者・バリスと電話で話したときに、「イスタンブールに着いたら電話する」と言っておいたので、公衆電話から電話をかけました。さて、映画祭は一体どこまで情報が固まったのでしょうか・・・??

バリスに電話をしてみると、映画祭の事務所がある新市街で会いましょうということになりました。でも、バリス自身は映画祭のオープニングで使うミニ映像の編集作業でスタジオに篭っているということで、映画祭の別のスタッフが待ち合わせ場所に向かうということでした。

路面電車に乗って、新市街へ向かいます。待ち合わせたのは、新市街の中心地・タクシム広場。広場近くのスターバックスの前で待っていると、映画祭のスタッフがやってきました。彼女はオズギュンという名の大学生。大学で社会学を学んでいるそうです。映画祭にはボランティアスタッフとして関わっていて、彼女の役割は「ゲスト監督の世話」。彼女によると、オランダ、ポルトガル、ギリシャ、ブラジル、チェコ、イスラエルなどから約40名ほどのゲストがやってくるそうで(ゲストの滞在期間はそれぞれ異なる)、数名のボランティアスタッフでお世話をする(送迎や街案内など)とのこと。

早速新市街を案内してくれると言うことで、歩いて回りました。ショッピング、映画館、美術館、レストラン、銀行など、ありとあらゆる施設が密集しています。メインストリートのイスティクラル通りは、平日の昼間なのに、人でごった返していました。
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メソジストの教会もありました。
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イスティクラル通りを脇に入ると、映画祭のサテライト事務所があります。映画祭とつながりのあるアートカフェの空き室を使っているそうです。

事務所へ上がる階段にて。オズギュン。
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事務所に入ると、数名が作業の真っ最中でした。ゲストコーディネーターのアイセ、ボランティアスタッフのセミールに紹介されました。

忙しそうに電話でやり取りをするアイセ(左)とパソコン作業をするセミール(右)。
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なんと、セミールは今映画祭のウェブサイトを構築中とのこと!! 明日にはオープニングイベントなのに!!!

懸案の映画祭の進行状況について聞いてみると、上映スケジュールは決まったばかりで今印刷中。明日のオープニングイベントでは手渡せるはずと言われました。そのほかにも、色々衝撃な現在状況の説明を受けましたが、もう多少のことでは動じない自分がいましたgawk

二人と雑談をしました。アイセは、映画業界とはもともと繋がりがなかったそうですが、ボーイフレンドが映画監督で、トルコの軍事政権、クルド人の強制収容に関する証言ドキュメンタリー映画を作ったときに、プロデューサーとして関わったのだそうです。

私の不勉強・無知で恥ずかしいのですが、トルコは1980年に軍事クーデターがあり、軍の独裁政権が4年ほど続いたそうです。その間、左翼活動家、労働組合、クルド民族主義者などが拘束され、強制収容所に入れられ、軍事裁判にかけられました。(拘束者の数は65万人とも言われています!)中でも、クルド人を収容する特別な刑務所は「Prison No 5」と呼ばれ、そこでは拷問・虐待により多くの人が命を失ったそうが、その実態は今でも謎に包まれている部分が多いという・・・。

未だにトルコでは、この軍事政権の間に起こったことを詳しく報道することはタブーで、特にこの「Prison No 5」に関しては、国民はその存在を知りつつも、全く触れずにいたとのこと。アイセがプロデューサーとして関わった映画は、その名も「Prison Number 5: 1980-1984」! 刑務所に入れられ、拷問を受けつつも奇跡的に助かった人々にインタビューを重ね、その刑務所の全貌を明らかにするというもの。トルコのメディア状況を考えれば、これはものすごい挑戦です! 彼女によると、ここ数年、インディペンデントのドキュメンタリー製作者を中心に、メディアのタブー(その最大のタブーは”Ethnisity”=民族的背景)に挑戦する動きが出てきたそうです。

(ちなみに、話題がややずれますが、日本では”クルド、クルド人”と表記されるKurd、Kurdishですが、英語圏では”カァード”、”カァーディッシュ”のように発音します。”ク(ku)・ル(r)・ド(d)”とは言いません。私はイギリスでクルド人がデモ集会で発言しているときに、最初、誰のことを話しているのかまったくわかりませんでした。一体どうして”クルド”と訳されるようになったのでしょう?? これに限らず、日本だけが使い、現地語にも英語にも忠実でない、不思議な呼び名(英語を無理やり日本語読みするような感じ)は他にもありますが、カタカナで表記されていると、現地語かもしくは英語なのかと錯覚してしまうので、かなり厄介・・・)

一方、セミールは現在大学院生で、オスマントルコ時代の歴史を研究していると言いました。「こんな分野の勉強だと就職は難しいけどね」とも。なんと、彼は私の映画のトルコ語字幕を担当してくれたそうです!「だから映画は何度も観たし、セリフも覚えてるよ」と言っていました。翻訳してくれた人に会えるとは思っていなかったので、感激! 彼は、映画祭の試写会でブライアンを観たそうです。(映画祭の上映作品の選定は、応募作品をスタッフ10人ほどで試写して決めるそうですが、その数2ヶ月間で300本以上だとか!)。

「映画を観終わって、皆がブライアンのファンになったんだよ」と言ってくれました。トルコでは、ブライアンのような活動はありえないそうで(日本でもなかなか難しいけれど)、特に1970年代に、タクシム広場で開催されたメーデーのデモが混乱して30人近くの死者が出たのをきっかけに、デモはかなり厳しく監視されるようになったそうです。

ちなみに、タクシム広場の”タクシム”は”Freedom”(自由)、その広場へ通ずるメインストリートのイスティクラル通りの”イスティクラル”は”Independence”(独立)という意味のトルコ語だそうで、ここは抗議活動者にとって大切な抗議デモのルートであり、また、数百名単位の警察官・機動隊が常に控えている場所でもあります。

タクシム広場には警察のバリケードが。
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デモ隊の人が貼ったのでしょうか? ステッカーがありましたhappy01
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映画祭の事務所をお暇し、ホテルのある旧市街へ戻ることにしました。オズギュンが駅まで送ってくれました。駅へ向かう途中、イスティクラル通りを行き交う顔も、肌や髪の色も様々な人を眺めながら、オズギュンは言いました。「トルコはいろんな顔の人がいるでしょう? 私は祖先がブルガリアとロシアなの。だから、あなたのようなアジア人の頬とちょっと似ている」。オズギュンの祖先はずっと昔にトルコへやってきたそうで、今ではブルガリアにもロシアにも親戚はいないといっていました。「うちはモスリムではないし、無宗教」とも言っていました。イスタンブールの街中には、モスクだけでなく、様々な宗教の施設もあります。民族的にも、宗教的にも、こんなに多様なものが混在するトルコで、それらを語ることがタブーだなんて・・・。複雑な気持ちになりました。

路面電車に乗って旧市街に戻り、ホテル近くのレストランでテイクアウトの夕食を買いました。買ったのは、ナスと羊肉、トマトのムサカ、そして白いんげんマメのトマト煮。無料で大きなパン(コッペパンのようなタイプ)を付けてくれました。それらを持ってホテルへ。

フロントでは、イルディスが暇そうにコンピューターの画面を眺めていました。なんと、今夜の宿泊客は私だけなのだそうです! 私は自分の部屋でご飯を食べるつもりでいましたが、フロントのテーブルで彼女と雑談しながら食べることにしました。

イルディスはトルコの民族楽器をみせてくれました。名前を忘れてしまったのですが、琵琶や三味線に似た弦楽器。現在そのスクールに通っているといって、少し弾いてくれました。
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ユニークな形をしています。
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私も触らせてもらいました。
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しばらくすると、いるディスのお姉さん、ベヤズがやってきました。仕事の帰りに立ち寄ったそうです。彼女は全く英語を話さないので、イルディスに通訳をしてもらいながら話します。

ベヤズ
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三人でプライベートな話で盛り上がりました。イルディスは、トルクメニスタン人の彼氏と遠距離恋愛中だと言いました。トルクメニスタンからトルコへ出稼ぎに来ていて知り合ったそうですが、観光ビザが切れたため母国に帰ってしまったと。トルコで働きに来るためのお金がなかなか用意できないみたいだから、もう別れることになるかもしれない・・・そのようなことを話していました。トルコとその周辺国で、経済的な格差から労働力が流動する。その構造・力関係というのは、多少なりとも恋愛的な主導権にも及ぶのかもしれない・・・そう感じました。

またしばらくして、今度はアブドラという男友達がやってきました。イルディスたちと、5年以上の付き合いだそうで、イルディスが持っているトルコのギターは、アブドラからのプレゼントだとか。彼はアメリカでグリーンカードを取得して、現在はニューヨークに暮らしているそうです。小さなストール(お店)を持っていて、そこでトルコの伝統工芸を売る仕事をしています。今回は1年ぶりにトルコに帰省して、1ヶ月ほどかけて工芸品(ガラス細工を使ったお皿、灰皿、クッションカバーなど)を買い付けているそうです。

アブドラのお店のウェブサイト
http://kayaglass.com/

アブドラはトルコギターの名手だということで、弾いてもらいました。
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音楽にあわせて踊るフォークダンスも教えてもらったのですが、これがなかなか難しい! ビデオに撮ったのでご覧くださいtv
http://www.youtube.com/watch?v=5d9fbW2zI9s

盛り上がって、気がついたら夜中の1時近くになっていました。今週末は、トルコの民俗音楽が聴けるクラブに一緒に行こう!と誘われ、それは是非!と約束しました。

トルコに着いた初日は散々でしたが、2日目からは路面電車や地下鉄も理解し、人とも出会い、段々楽しめるようになって来ました。

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