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2009年12月

いよいよオープニング!トルコ映画祭②(映画祭報告2009/12/3)

12月3日は、夜に映画祭のオープニング・パーティーがあるということでした。それまではだいぶ時間があるので、朝10時ごろに起きて、旧市街にある「グランド・バザール」へ行くことにしました。ここは、約4400軒以上ものお店が集まる、中近東最大規模のマーケットとして有名な場所です。

グランド・バザールの入り口
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マーケットは屋根つきで、宝石、絨毯、アンティーク、雑貨、食堂など、大まかなカテゴリーごとにある程度まとまっています。
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ランプなどを売る店
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マーケット内には、通りごとに名前がついていて、それで今自分がどこにいるのか把握します。あまりにも広大すぎて、マーケットというより、それ自体が既に街と言っても良いくらい。
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ネコがアラビア風のスリッパの上にちょこんと座っていました。マーケットを見渡すと、結構犬やネコをお店で飼っている人の率高し。
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日本では、「夜遊びのシメはラーメン!」という人は多いですが、ロンドンの夜遊びではなぜか「ドネルケバブ」という人が多いです。というのも、夜間は閉まる飲食店が多い中で、ケバブの屋台は朝までやっているところが多いため。私もロンドンでよく食べました。本場トルコのドネルケバブのお味は如何に? ということで、ケバブを食べることにしました。
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ロンドンの屋台もトルコ人がやっているみたいでしたが、いやいや、本場の美味しさとボリュームにはかないません! 写真を撮り忘れてしまいましたが、美味しかったです。

ところで、屋台の小さな椅子に腰掛けて食べながら思ったのですが、このグランド・バザールに限らず、どこのお店もやたらに従業員が沢山いるのです! 例えば、このケバブサンドのお店なんて、店舗スペースはたった6畳程度。そんなに繁盛しているようでもありません。なのに、一つのケバブを作るのに、肉を削る人、野菜をサンドする人、出来上がったサンドを紙に包む人、お客さんを座席に案内する人、サンドをテーブルまで運ぶ人、お会計をする人、そして何もしないで、傍らに立ってチャイを飲みながら世間話をする人(←でもお客さんではなく店員らしい)etcと、6~7人の店員がいるのです。日本だったら、この程度の仕事の規模だったら、きっと一人で任せ切りになるところも多いでしょうし、もっと忙しい仕事でも一人でやらされるはずです。

私はイスタンブール市内を歩いてまだ2日ほどしか経っていませんでしたが、市内に野宿者の姿が少ないのに驚いていました。全体的な経済状況は日本のほうが良いかもしれませんが、街にいる野宿者の数は、東京やロンドンのほうが圧倒的に多いように感じました。その一因として、(給料は決して多くないだろうけれど)親戚や家族でお店を経営して、人は十分足りている状態でも、雇って働かせているのではないか? と思いました。沢山の人が働くことで、一人一人のもらうお金は少なくなってしまいますが、その分食いっぱぐれる人も少なくなる。こういった背景も野宿者の数に関係しているのではないか、と思いました。

(後からトルコ人に聞いたところによると、トルコの場合は、大都市以外がとても貧しいのだそうです。イスタンブール以外の都市(特に東側のイラクやイランと国境を接する山岳地帯で、クルド人が多く居住する地域)の貧しさは尋常ではなく、電気も水道も通らないような地域で暮らす人が沢山いるとのことでした)。

食べ終わって、ブラブラとお土産探しをしました。”交渉”が全てのマーケットでは、品物に値札はついていません。どう見ても観光客にしか見えない私は、かなり高めの値段を吹っかけられます。それでも粘って値下げ交渉。お店の人は片言の日本語を話す人も多くて、どこで覚えたのか「バザールでござーる!」とか「持ってけ泥棒!」とか突然言うので笑ってしまいました。言ってる本人は意味分かっているのかなぁ???

クッションカバー、アップルティー、携帯ストラップ、ブレスレットなどを購入しましたが、あとで街角のお土産やさん(こちらは値札がついています)のほうがずっと安いことを知ってがっかり。やっぱり交渉というのは、相場の値段をきちんと知っておかないと無理ですねbearing。高いといっても、それでも日本円に換算してみたら、凝った刺繍が施されたクッションカバーが500円とか、かなりお買い得なのですが。

良質のせっけんを売る店を見つけ、あれこれ物色していたら、日本語で声をかけられました。仕事をやめ、1ヶ月かけてエジプト→トルコ→インドと一人旅をしているという多恵美さん。一緒にお茶を飲みましょう、ということになりました。
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手前にあるグラスに入っているのがチャイ。どこでも大抵ガラスのコップで出されます。熱くて持てないので、大抵多恵美さんのように上のほうを持って飲みます。サイズは小さめで値段も50円程度と手ごろ。これを一日に何杯も飲む。
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多恵美さんは、医学部を卒業して、お医者さんとして働いていたそうですが、その仕事をやめ、来年からはオーストリアのウィーンで生活するそうです。以前、ウィーンに留学していたときに、現在のボーイフレンドと運命的な出会いをし、婚約したのだとかheart01 おめでとうございます!!shine

お茶を飲んだ後は、またマーケット内を巡りました。
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大体お土産も買い終わりました(気がついたら必要以上に買っていました)。多恵美さんがこの近くの魚市場に行くつもりだといっていたので、私もそれについて行くことにしました。20分ほど歩いた海沿いに魚市場がありました。

魚市場。日本では見かけないような魚も。
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魚市場の人たちは、とても人懐こくて、「一緒に写真を撮ろう!」とか声を掛けてきます。(魚売りつけられても、持って帰れないから!)と思いつつ、写真を撮ります。
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ロンドンでもありましたが、「なぜか日本人に人気」という商品があります。トルコでもそれは同じで、「さばサンド」が日本人に人気なのだそうです。さばサンドとは、文字通り、焼いたさばをパンにはさんだもの。私たち日本人が歩いているのをみて「サバサンド!」と声を掛けてきます。

サバサンド売りのお兄さん。
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恐らくこういった現象はガイドブックの功罪であると言えるでしょう。たまたまガイドブックに取り上げられたのを見て、旅行者は(現地の人たちにとってはこれが定番なんだ!)と思いこみ、それを探し求める。でも実はその食べ物や名所は、地元の人はほとんど見向きもしないようなものだったりする・・・こういった現象がおきているのだと思います。

夕方になり、多恵美さんとわかれて、私はいったんホテルに戻りました。買いすぎたお土産をホテルにおいて、映画祭のオープニング・セレモニーのため新市街へ向かいます。タクシム広場でオズギュンと待ち合わせをして、セレモニーの会場へ行きました。

セレモニー会場。なにやらゴージャスな雰囲気。ひゃ~、ジャージにチノパンなんかで来ちゃったよぉ~、と今更後悔。
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あまりにカジュアルな服装で入り口で止められたらどうしよう、とビビリつつも、何とか入り口はスルー出来ました。既に中は結構な人で、フリードリンク、チーズやオリーブ、サンドイッチなどの軽食が用意されていました。レセプションで腹ごしらえをした後は、オペラハウスでオープニングのセレモニーと、コンサート、そして映画の上映があるとのことです。
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映画祭のスタッフ:オズギュン、ハリルと。
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(もしかして開催されないのではないか?)とさえ思った映画祭ですが、こんなに盛大にオープニングパーティーが行われ、トルコの公共メディアの取材も沢山来ていて、かなり大規模なものであることが分かりました。

ゲストにはそれぞれインフォメーション・パックというものが渡されました。ファイルを開くと、中には映画祭のカタログ、映画祭スタッフの連絡先、各上映会場の地図などの情報が入っていました。
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映画祭のカタログもかなり立派な冊子です! 全上映作品のあらすじ、監督のプロフィール、配給の連絡先などの情報が載っています。
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私のページはこんな感じ!
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でも、肝心なプログラムがありません! 一体映画はいつ、どこで上映されるのでしょうか? そう思っていると、大量の紙束を抱えてやってくるスタッフの姿が見えました。刷り上がったばかりのプログラムが運ばれてきたのです! それをスタッフが三つ折にしつつ配っていますcoldsweats01

プログラムはA3サイズ。表面にはスポンサーのロゴなどが印刷されています。
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裏面には上映スケジュール。8日間7会場でのスケジュールがびっしりと!
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自分の映画がいつ上映されるのかを探すのは至難の業でしたが、7、8、9日の合計3回上映されることが分かりました。週末だけ、映画制作を手伝ってくれたポールがイギリスからトルコにやってくることになっていましたが(イギリスとトルコは4時間ほどのフライト時間なのです)、7日以降の上映だと彼は残念ながら見られません。あらかじめポールの滞在期間も映画祭側には伝えていたのですが、色んな混乱にまぎれて調整はされなかったようです。

レセプションパーティーでは、他のゲスト監督たちとも話すことができました。ブラジルとポルトガルの女性監督。挨拶もそこそこに、彼らは「昨日になってやっと映画祭から連絡が来て、どこに泊まるか教えられたのよ!」とか「上映用のテープを送ってほしいと言われたから送ったら、その後全然音沙汰がなくて、今日になって私が送ったNTSCのタイプでは上映できないって言われたの!」など、すごい勢いでまくしたてていました。映画祭の件でやきもきしているのは自分だけ?と思っていたのですが、やはり他のゲストも同じだったのですねbearing

オペラハウスでオープニングのセレモニーが始まりました。
セレモニー会場
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開会の挨拶。全てのスピーチはまずトルコ語で、続いて英語で行われました。
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映画祭代表の挨拶
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その後は、映画祭開催の母体となっているトルコのドキュメンタリー・アソシエーションの代表の挨拶、スポンサーであるイスタンブール市の挨拶などが続きました。

挨拶の後で、ミニコンサートがありました。
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小休憩を挟んで、今度は映画の上映です。上映されたのは「Superman of Malegaon」というドキュメンタリー。インドのムンバイから数百キロ離れたマレガオンという小さな町で、地元の有志による映画プロジェクトが立ち上がりました。内容は、スーパーマンのパロディー映画。電気が日に何度も停電してしまうような環境の中、家庭用の小型カメラで、ハリウッド並みのSFシーンを撮ろうと試行錯誤する彼らと、それを一目見ようと寄って来る観衆たちで町は大混乱。大切なカメラが池に落ちてしまい、さて、彼らは無事映画を完成できるのか・・・というのが大まかなストーリーです。

この映画、初めて観た私は大感激!!! その映画は登場人物たちの映画にかける純粋な愛とエネルギー、ユーモアで満ち溢れているのです! でも、きれい事だけでは終わらず、インドが抱える社会問題、そこで暮らす人々の貧しさなども逃すことなく描かれている・・・。いや、もう本当に最高、とすっかり気に入ってしまいました。

映画のエンディングクレジットで、NHKや韓国のKBSの名前を発見。(何でNHK?)と不思議に思いました。Asian Pitchという名前も出ていて、それをネットで検索してみて、なぜNHKの名前が出ていたのかを理解しました。
www3.nhk.or.jp/pr/keiei/kokusai/pdf/2007/10/20071009.pdf

(資料の内容を要約すると、2006年6月、公共放送局3 社(NHK、シンガポール・メディアコープ、韓国・KBS)が、アジアの制作会社を対象にした国際共同制作プロジェクト(Asian Pitch)を立ち上げました。アジアをテーマにしたドキュメンタリー企画を募集し、毎年4本程度のハイビジョン番組を国際共同制作。「Superman of Malegaon」はそれで選ばれて製作された作品なのでした)。

既に日本でも放送されたようなので、もしかしたらご覧になった方もいるかもしれません。ちなみに邦題は「お前はもう死んでいる」だそうです(すごい邦題だな)。BSのしかも深夜に放送されたようですが、ぜひ誰でも観られる地上波の普通の時間帯に再放送してほしい、と強く望みます!!

映画の上映の後は、写真撮影がありました。会場に設けられた写真ブースで、まず一人で、そしてグループで撮影されます。映画祭のアーカイブとして保存されるとのことでした。

写真撮影の様子
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もう少しマシな格好してくれば良かったと、つくづく後悔weep
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イベント会場を離れた頃には、もう11時半頃になっていました。オズギュンとハリルに路面電車の駅まで歩いて送ってもらいます。途中、車で通りかかった人が「路面電車の駅に向かっているなら、終電に乗り遅れるよ!」と車に乗せてくれ、私たちは慌ててその車に乗せてもらい、駅まで行きました。終電は8分後に発車するとのこと。ぎりぎりセーフ!

ホテルに戻ったのは12時ごろ。フロントのソファには、キルギスタン人のムバラクが寝ていました。私が帰ってきたのに気づいて、起き上がりました。何しろ、昼間はイスタンブール大学の大学院で国際学を勉強、そして夜はホテルでアルバイトなのですから、相当疲れているのでしょう。彼は夜間のフロント業務という仕事で、3ヶ月前からこのホテルで働いているそうです。夜間はほとんど人の出入りがないので、ソファで仮眠しながら、何かあれば対応するというスタンス。ここで働き始めてから、自分がこれまでに住んでいたアパートは引き払い、私物はここの物置にしまっているとのこと。夜間なのでそんなに忙しくない仕事とはいえ、1ヶ月に1日も休みはなく、給料は500USドル。「イスタンブールで普通の会社員の給料は1000USドルが相場だから、自分の給料は安すぎる」と言っていました。でも、家賃は要らないし、いろんな国からの旅行者と話せて面白いし、英語の勉強にもなるから、この仕事は楽しいともいっていました。

なぜイスタンブールに留学したのかと聞いてみました。それは、イスタンブール大学の奨学金に合格したからだ、と彼は言いました。大学の4年間を終え、現在はマスターで学んでいます。マスターの後は、ドクターに進むかもしれない、と言っていました。そこまで行ったら、学者になるだろうな、とも。ヨーロッパやアメリカの大学にも留学したいけど、奨学金がなければ無理と思っているそうです。トルコで就職するつもりはなく(トルコで就労ビザを得るのは難しいとも言っていました)、もし学者でなく、企業で働くとしたら、ロシアで働きたいと言っていました。ロシアと関係の良好なキルギスタンは、ロシアでビザなしで働けるのだそうです(←本当なんでしょうか??)。国際学を勉強しているので、働くとしたら貿易の仕事が良いなと思っているそうです。

お酒は飲む?と聞かれました。私は「まあ、普通に」と答え、ムバラクにも同じ質問をしました。彼は「自分はモスリムだから飲まないよ」と言いました。このホテルで日本人のお客さんがなぜか多いということは既に書きましたが、働き始めてからの3ヶ月で日本人と沢山話をするようになったムバラクは、「日本人は、お金を信仰して家族の絆がないよね」と言いました。私は「日本人と話していて、そう思ったの?」と慌てて聞きました。「そう」と彼は答えるのです! 彼が会った数十人の日本人の話だけで、日本を代表しているとは全く言えませんが、でも、ここに宿泊するいろんな国からのお客さんに、それぞれの国、政治、家族、宗教、勉強、仕事、将来のことなど質問をしていて、日本人からそんな印象を抱くなんて・・・。この日の昼間、グランド・バザールで家族経営のお店を見て家族の絆について思いをめぐらせていた私は、なんだかギクリとしてしまいました。

気がついたら3時過ぎになっていて、私は自分の部屋に戻って寝ました。

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行ってきました!トルコのドキュメンタリー映画祭①(映画祭報告2009/12/1-2)

12月1日、私は成田空港からトルコのイスタンブールへ向けて旅立ちました。そうです、「ブライアンと仲間たち」がイスタンブールのドキュメンタリー映画祭で上映されることになったからです! この映画は、9月にロンドンの映画祭で上映されたことはあるけれど、ロンドンは映画の舞台ともなっている場所なので、ある意味純粋な”海外”とは言いにくい。なので、このイスタンブールでの上映が、実質初めての海外上映となるのです。

映画祭の名前は「国際1001ドキュメンタリー映画祭」。公式ウェブサイト↓
http://www.1001belgesel.net/en/Default.aspx

期待に胸躍らせて、飛行機の中ではほとんど寝られませんでした・・・と書けたら良いのですが、まったく別の事情で私は眠れずにいました。というのも、飛行機に乗るまで、いや、乗ってからも、私は今回の旅行で不安が一杯だったからです!

映画祭から、上映することが決まったというお知らせをもらったのが今年の9月の半ば頃でした。そのとき、私はちょうど富山~長岡~新得の旅の途中で、長岡でその知らせを受けました。映画祭からのメールには、映画祭は12月4日~13日まで、最後の2日間はドキュメンタリー製作者たちのシンポジウムとなっている、世界中から映画人たちが集まるので是非出席してほしい、映画祭期間中の宿泊費は映画祭が負担する、そのようなことが書かれていました。

この時点では即座に「トルコに行こう!」とは思わなかったのですが、その後東京に戻り、海外で上映される機会というのは、この後にも先にもなかなかない機会だよなあ、と思ったり、航空券は他のところから援助してくれる目処も立ったので、「だったら行ってみよう!」と決心したのでした。

イスタンブール行きの航空券を押さえたあと、映画祭の事務局とは、トルコ語字幕を作るための英語テキストや、上映用のDVCAMテープを郵送するというやり取りが何度かありました。でも、映画祭の開催日は段々迫っているのに、自分の映画がいつ上映されるのか、イスタンブールのホテルはどこに宿泊なのか、そういった情報は一向に来ません。映画祭のウェブサイトは、開催の1週間前になってもまだ工事中・・・!

これまでやり取りをしていた映画祭の事務局の担当者は、忙しいからか全く音信普通になってしまったので、不安になって国際電話をかけてみました。ドキドキしながら映画祭の事務局へ電話します。電話に出た人は、私の名前と、日本から電話をかけているということは理解しましたが、「自分の映画の上映日が知りたい」、「ウェブサイトはいつ更新されるのか?」「ホテルはどこですか?」といった質問は分からなかったらしく、電話口のそばでトルコ語でなにやら誰かと相談中。結局、これまで連絡を取ってきた担当者の携帯につないでもらうことになりました。

担当者の人の話によると、映画祭の事務局はてんてこ舞いだそうで、上映のスケジュールはまだ決まっていない、(スケジュールも決まっていないので)ウェブサイトの更新も出来ない、ホテルは別の担当者が予約したが、その人がホテルの名前を教えてくれない・・・etc、電話を切った後、私は(本当に映画祭は開催されるのか?!)と、とても不安になってしまいました。でも、私の周りのトルコ事情に詳しい人々(元彼がトルコ人とか、トルコに友達がいるとか)は、私のこの有り得ないやり取りを”全て納得!”という感じで聞いていました。「ま、トルコ人は”全ては神のお気に召すままに”が口癖だからねぇ」、と・・・! 

映画祭の事務局の人は、詳細が分かったらメールすると言ってくれましたが、結局出発前日まで連絡が来ないまま、私は成田空港へと向かったのでした。

せっかくトルコに行くなら、ちょっと長めに滞在しようと考えた私は、映画祭の開催日(4日~)の少し前(1日~)にイスタンブールに到着することにしていました。映画祭が用意してくれるホテル(←本当に押さえてくれたのだったとしたらwobbly)は4日からなので、私は最初の3日間泊まるホテルを自分で探して予約していました。

私のフライトは、イスタンブールの空港に夜の10時半に到着する便でした。空港から市内はちょっと離れています。初めての都市で、夜遅くの到着では危ないので、ホテルの送迎タクシーを予約してありました。

成田を発ち、フランクフルトで乗り換えてイスタンブールへ。手荷物を受け取り、出口へ向かいます。手荷物受取所も尋常ではない混雑振りだったのですが、出口は出迎えの人々でごった返していました。運悪く、ちょうどトルコのスポーツ選手団の一行が、遠征で帰国する日で、取材陣、出迎えのファン、家族など1000人は軽く越える人々が、狭い出口に詰め掛けていたのです! 

私はホテルからの送迎を頼んでいたので、その大勢の中から自分の名前が書かれたプラカードを持っている人を探さなくてはなりません。(え~、こんなの絶対無理!)と思いながら、プラカードを一つ一つ見て行きます。(ないよなぁ・・・。でも、もしかしたら忘れて来ないこともあるってガイドブックには書いてあったし・・・)などと思いながら探していると、旅行業者が「どこのホテル?」としつこく勧誘してきます。

結局、プラカードを持っている人を探すのは困難とあきらめ、インフォメーションセンターで呼び出してもらうことにしました。でも、センターでは、運転手のサーネーム(苗字)が分からないと呼び出せないと言われてしまいました。うぅ、「迎えに来る運転手の名前も確認しましょう」とガイドブックには書かれていましたが(←偽運転手防止のため)、私は運転手の名前を知りませんでした。

じゃあ、ホテルに電話をして運転手の名前を聞かなくちゃと思い、重い荷物を引きずりながら空港内の郵便局に行き、テレホンカードを買いました。買った後で、今度は公衆電話を探していたら、空港内に小さな旅行代理店を構える人が「どうしましたか?」と聞いてきました。(この人も怪しい人なのでは・・・?)と少し警戒しつつ事情を説明すると、旅行会社の人は私のホテルに電話をしてくれました。

電話を切るとその人は、「ホテルからは誰も迎えに来てないそうです」と言うではありませんか! 驚きつつも、これまでの映画祭とのやり取りを考えれば、こんな状況は起こりえなくもないとちょっと免疫が出来ていたので、「そうですか・・・。分かりました。ありがとう」とお礼を言いました。すると早速旅行会社の人は、自分たちのタクシーサービスを使え、と言ってきました。空港からホテルまで65トルコリラとのこと。通常、空港から旧市街までは30トルコリラ程度が目安、とガイドブックにはありました。私が予約していたホテルの送迎サービスは45トルコリラ。でもこれはホテルを通して予約するので、仕方のない上乗せ料だと思いました。でも、65リラは高すぎる!と私が言うと、「もう夜遅くだし、危ないよ。タクシーの運転手でも、悪い人だったら回り道をして高いお金を請求されますよ」などと言います。

不安を煽られつつも、そしてどうするあてもありませんでしたが「結構です!」と断り、私は空港の外へ出ました。電車ならば数トルコリラと格安なのですが、旧市街まで直接乗り入れてはなく、途中で乗換えが必要ですし、また電車の駅からホテルまで、深夜にうろうろ道を探すのは怖いなと思ったので、電車を使うのはためらっていました。リムジンバスのようなものもあると調べていましたが、きちんとしたバス乗り場のようなものは見当たらず、何台か聞いてみたバスは「旧市街には行かない」と言われてしまいました。そうこうするうちに、もうすっかり深夜になり、へとへとです。

タクシー乗り場を探そうと歩いていると、後ろから声をかけられました。今度は普通の旅行客っぽい女性です。「何か助けが必要ですか?」と彼女は言いました。私は旧市街まで行きたいというと、自分もその方面に行くから一緒にリムジンバスに乗りましょうとのこと。彼女はどのバスが旧市街に行くか分かっており、私もそのバスに乗り込みました。10トルコリラで旧市街まで行けるとのこと。バスは超満員! 外国人旅行者にはちょっと使うのが難しそうからか、このときの乗客はほとんどトルコ人風で、いかにも外国人旅行者風なのは、私一人でした。

彼女は、「旧市街のアクサライというところでバスを降りて、そこからスルタンアフメットまでタクシーの乗るとすぐですよ」と言いました。彼女とは席も離れて何も話せませんでしたが、私が降りるときに「連絡ちょうだいね」と名刺をくれました。空港から20分ほどで、旧市街のアクサライに到着し、バスを降り、そこからタクシーに乗ってホテルへ到着したときには、もうすでに1時近くになっていました。フロントで荷物を降ろすと疲れがどっと出てきました。

ホテルは、Akdeniz Hotelという名前の、雑居ビルをホテルとして改装したような宿でした。受付で働くのは、トルコ人の女性・イルディズと、キルギスタンからの男子留学生、ムバラクでした。

ホテルからの送迎がなかった件ですが、受付の二人とも「申し込みのメールはなかった」と言っていました。私は送ったはずなのだけど・・・。迷惑メールとして削除されてしまったのでしょうか、それとも・・・・? 真相は分かりません。

疲れてはいましたが、受付の二人とお茶を飲みながら1時間ほど世間話をしました。この宿には、なぜか日本人のお客さんが多く泊まりに来る、とムハマドは言いました。一番多いお客さんはトルコ人で、その次が日本人なのだそうです。「日本の有名なガイドブックに紹介されているらしいんだ」。私はこの宿を、「地球の歩き方」に載っていたので見つけたのですが、多分そのせいでしょうか。

出発前からトラブル続きで、イスタンブールに到着してからもなかなかスムーズにことが運ばないことですっかり疲れた私は、その日は時差ぼけも関係なく、ベッドに入るやいなやぐっすりと眠りに落ちました。

部屋の様子(翌朝撮影)。ベッドは特大で快適でした!
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翌12月2日早朝。とんでもない大音量で目が覚めました。(一体何事?!)と飛び起きると、近くのモスク(ホテルの周りにはブルーモスクをはじめ、沢山のモスクがあります)が、朝のお祈りの時間を知らせる呼びかけを大音量のスピーカーで行っているのです! その音量たるや、甲子園の試合開催・終了を知らせるサイレン並み。時計を見るとまだ朝の6時! 

お祈りのための呼びかけは、大体10分ぐらい続いたかもしれません。(これが毎日続くの???)と不安になりましたが、トルコに住む人々はこの朝のサイレンも慣れてしまって、これで目が覚めることはない、と後で聞きました。(ちなみに私も3日目からは起こされなくなりました)

再び眠り、9時過ぎに起きました。外は晴れ。かなり暖かい気温です。

ホテルの部屋から見た外の様子
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Akdenizホテルの外観
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ホテルから歩いて数百メートルのところにある、”ブルーモスク”の愛称で有名な「スルタンアフメット・ジャーミィ」へ行ってみることにしました。
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お祈りのために訪れる人と観光客は入り口が別になっています。観光客用の入り口から、靴を脱いで入ります。女性はスカーフで頭や足(ミニスカートをはいている人のため)を被うよう、布が置いてありました。

ブルーモスク内部の様子
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お祈りを捧げる人々
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ブルーモスク観光の後は、お茶を飲むことにしました。左は、バクラワといって、パイをはちみつ漬けにしたお菓子。ピスタチオがまぶしてありました。右はトルココーヒーで、エスプレッソのような小さなカップでいただく濃いタイプのコーヒー。
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小休憩した後は、スルタンアフメット地区を散策しました。スルタンアフメットを含む旧市街は、ブルーモスク、アヤソフィア、グランドバザールといった、イスタンブールの歴史的な観光名所が密集する地域です。それに対し、金角湾を渡った先には新市街と呼ばれるエリアがあり、行政機能、商業施設は、新市街に集中しています。

旧市街を歩いていて、モスクのある街並み、モスリムの人々が行きかう姿に、私はどこか懐かしさを感じていました。というのも、私がロンドンで住んでいた地域(東ロンドン・ホワイトチャペル周辺)は、ロンドンで最大のモスリム街だったからです。ヨーロッパ風の建築に、イスラム圏の文化が融合した街並みは、異国を感じさせませんでした。

旧市街を通り過ぎ、新市街へ渡るガラタ橋のたもとまで歩いていきました。
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目の前には向こう岸(新市街)が見えます!

ここ(エミノニュ)と新市街、そしてアジア側を結ぶ船がたくさん運行しています。
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停泊所のそばには屋台も沢山ありました。
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橋を渡って、新市街へ向かいます。・・・橋には沢山の釣り人が!!(ちなみに橋の下はレストラン)
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一日中釣り糸をたれていると言うおじさん。写真は、エサの小エビをカッターで細かく刻んでいるところ。
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四匹釣れてます!
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釣り人を対象にした商売もあって、えさの小エビをカップに入れて売ったり、トルコ人が一日に何杯も飲むチャイ(ストレートの紅茶)も販売しています。
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お腹がすいてきたので、何か食べることにしました。トルコと言えば、世界三大料理の一つ! 滞在期間を通して、食べ物は本当に美味しかった~。キョフテ(ミートボール)のサンドイッチをテイクアウトして食べました。
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写真ではよく見えないかもしれませんが、中に肉団子が挟まっています。
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飲み物はアイランという塩味のヨーグルト・ドリンク。トルコでは、ヨーグルトは日本に砂糖を入れたりして甘くするデザート感覚ではなく、塩を入れて飲んだり、生にんにくをすりつぶして加え、ソースにしたりして食します。
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ネコが食べたそうに近寄ってきましたcatface 肉団子も食べるのか?!
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さて、すっかり観光客気分の私ですが、腹ごしらえをした後は、今回の旅の目的である映画祭のことを何とかしなくちゃいけません。日本から、映画祭の担当者・バリスと電話で話したときに、「イスタンブールに着いたら電話する」と言っておいたので、公衆電話から電話をかけました。さて、映画祭は一体どこまで情報が固まったのでしょうか・・・??

バリスに電話をしてみると、映画祭の事務所がある新市街で会いましょうということになりました。でも、バリス自身は映画祭のオープニングで使うミニ映像の編集作業でスタジオに篭っているということで、映画祭の別のスタッフが待ち合わせ場所に向かうということでした。

路面電車に乗って、新市街へ向かいます。待ち合わせたのは、新市街の中心地・タクシム広場。広場近くのスターバックスの前で待っていると、映画祭のスタッフがやってきました。彼女はオズギュンという名の大学生。大学で社会学を学んでいるそうです。映画祭にはボランティアスタッフとして関わっていて、彼女の役割は「ゲスト監督の世話」。彼女によると、オランダ、ポルトガル、ギリシャ、ブラジル、チェコ、イスラエルなどから約40名ほどのゲストがやってくるそうで(ゲストの滞在期間はそれぞれ異なる)、数名のボランティアスタッフでお世話をする(送迎や街案内など)とのこと。

早速新市街を案内してくれると言うことで、歩いて回りました。ショッピング、映画館、美術館、レストラン、銀行など、ありとあらゆる施設が密集しています。メインストリートのイスティクラル通りは、平日の昼間なのに、人でごった返していました。
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メソジストの教会もありました。
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イスティクラル通りを脇に入ると、映画祭のサテライト事務所があります。映画祭とつながりのあるアートカフェの空き室を使っているそうです。

事務所へ上がる階段にて。オズギュン。
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事務所に入ると、数名が作業の真っ最中でした。ゲストコーディネーターのアイセ、ボランティアスタッフのセミールに紹介されました。

忙しそうに電話でやり取りをするアイセ(左)とパソコン作業をするセミール(右)。
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なんと、セミールは今映画祭のウェブサイトを構築中とのこと!! 明日にはオープニングイベントなのに!!!

懸案の映画祭の進行状況について聞いてみると、上映スケジュールは決まったばかりで今印刷中。明日のオープニングイベントでは手渡せるはずと言われました。そのほかにも、色々衝撃な現在状況の説明を受けましたが、もう多少のことでは動じない自分がいましたgawk

二人と雑談をしました。アイセは、映画業界とはもともと繋がりがなかったそうですが、ボーイフレンドが映画監督で、トルコの軍事政権、クルド人の強制収容に関する証言ドキュメンタリー映画を作ったときに、プロデューサーとして関わったのだそうです。

私の不勉強・無知で恥ずかしいのですが、トルコは1980年に軍事クーデターがあり、軍の独裁政権が4年ほど続いたそうです。その間、左翼活動家、労働組合、クルド民族主義者などが拘束され、強制収容所に入れられ、軍事裁判にかけられました。(拘束者の数は65万人とも言われています!)中でも、クルド人を収容する特別な刑務所は「Prison No 5」と呼ばれ、そこでは拷問・虐待により多くの人が命を失ったそうが、その実態は今でも謎に包まれている部分が多いという・・・。

未だにトルコでは、この軍事政権の間に起こったことを詳しく報道することはタブーで、特にこの「Prison No 5」に関しては、国民はその存在を知りつつも、全く触れずにいたとのこと。アイセがプロデューサーとして関わった映画は、その名も「Prison Number 5: 1980-1984」! 刑務所に入れられ、拷問を受けつつも奇跡的に助かった人々にインタビューを重ね、その刑務所の全貌を明らかにするというもの。トルコのメディア状況を考えれば、これはものすごい挑戦です! 彼女によると、ここ数年、インディペンデントのドキュメンタリー製作者を中心に、メディアのタブー(その最大のタブーは”Ethnisity”=民族的背景)に挑戦する動きが出てきたそうです。

(ちなみに、話題がややずれますが、日本では”クルド、クルド人”と表記されるKurd、Kurdishですが、英語圏では”カァード”、”カァーディッシュ”のように発音します。”ク(ku)・ル(r)・ド(d)”とは言いません。私はイギリスでクルド人がデモ集会で発言しているときに、最初、誰のことを話しているのかまったくわかりませんでした。一体どうして”クルド”と訳されるようになったのでしょう?? これに限らず、日本だけが使い、現地語にも英語にも忠実でない、不思議な呼び名(英語を無理やり日本語読みするような感じ)は他にもありますが、カタカナで表記されていると、現地語かもしくは英語なのかと錯覚してしまうので、かなり厄介・・・)

一方、セミールは現在大学院生で、オスマントルコ時代の歴史を研究していると言いました。「こんな分野の勉強だと就職は難しいけどね」とも。なんと、彼は私の映画のトルコ語字幕を担当してくれたそうです!「だから映画は何度も観たし、セリフも覚えてるよ」と言っていました。翻訳してくれた人に会えるとは思っていなかったので、感激! 彼は、映画祭の試写会でブライアンを観たそうです。(映画祭の上映作品の選定は、応募作品をスタッフ10人ほどで試写して決めるそうですが、その数2ヶ月間で300本以上だとか!)。

「映画を観終わって、皆がブライアンのファンになったんだよ」と言ってくれました。トルコでは、ブライアンのような活動はありえないそうで(日本でもなかなか難しいけれど)、特に1970年代に、タクシム広場で開催されたメーデーのデモが混乱して30人近くの死者が出たのをきっかけに、デモはかなり厳しく監視されるようになったそうです。

ちなみに、タクシム広場の”タクシム”は”Freedom”(自由)、その広場へ通ずるメインストリートのイスティクラル通りの”イスティクラル”は”Independence”(独立)という意味のトルコ語だそうで、ここは抗議活動者にとって大切な抗議デモのルートであり、また、数百名単位の警察官・機動隊が常に控えている場所でもあります。

タクシム広場には警察のバリケードが。
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デモ隊の人が貼ったのでしょうか? ステッカーがありましたhappy01
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映画祭の事務所をお暇し、ホテルのある旧市街へ戻ることにしました。オズギュンが駅まで送ってくれました。駅へ向かう途中、イスティクラル通りを行き交う顔も、肌や髪の色も様々な人を眺めながら、オズギュンは言いました。「トルコはいろんな顔の人がいるでしょう? 私は祖先がブルガリアとロシアなの。だから、あなたのようなアジア人の頬とちょっと似ている」。オズギュンの祖先はずっと昔にトルコへやってきたそうで、今ではブルガリアにもロシアにも親戚はいないといっていました。「うちはモスリムではないし、無宗教」とも言っていました。イスタンブールの街中には、モスクだけでなく、様々な宗教の施設もあります。民族的にも、宗教的にも、こんなに多様なものが混在するトルコで、それらを語ることがタブーだなんて・・・。複雑な気持ちになりました。

路面電車に乗って旧市街に戻り、ホテル近くのレストランでテイクアウトの夕食を買いました。買ったのは、ナスと羊肉、トマトのムサカ、そして白いんげんマメのトマト煮。無料で大きなパン(コッペパンのようなタイプ)を付けてくれました。それらを持ってホテルへ。

フロントでは、イルディスが暇そうにコンピューターの画面を眺めていました。なんと、今夜の宿泊客は私だけなのだそうです! 私は自分の部屋でご飯を食べるつもりでいましたが、フロントのテーブルで彼女と雑談しながら食べることにしました。

イルディスはトルコの民族楽器をみせてくれました。名前を忘れてしまったのですが、琵琶や三味線に似た弦楽器。現在そのスクールに通っているといって、少し弾いてくれました。
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ユニークな形をしています。
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私も触らせてもらいました。
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しばらくすると、いるディスのお姉さん、ベヤズがやってきました。仕事の帰りに立ち寄ったそうです。彼女は全く英語を話さないので、イルディスに通訳をしてもらいながら話します。

ベヤズ
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三人でプライベートな話で盛り上がりました。イルディスは、トルクメニスタン人の彼氏と遠距離恋愛中だと言いました。トルクメニスタンからトルコへ出稼ぎに来ていて知り合ったそうですが、観光ビザが切れたため母国に帰ってしまったと。トルコで働きに来るためのお金がなかなか用意できないみたいだから、もう別れることになるかもしれない・・・そのようなことを話していました。トルコとその周辺国で、経済的な格差から労働力が流動する。その構造・力関係というのは、多少なりとも恋愛的な主導権にも及ぶのかもしれない・・・そう感じました。

またしばらくして、今度はアブドラという男友達がやってきました。イルディスたちと、5年以上の付き合いだそうで、イルディスが持っているトルコのギターは、アブドラからのプレゼントだとか。彼はアメリカでグリーンカードを取得して、現在はニューヨークに暮らしているそうです。小さなストール(お店)を持っていて、そこでトルコの伝統工芸を売る仕事をしています。今回は1年ぶりにトルコに帰省して、1ヶ月ほどかけて工芸品(ガラス細工を使ったお皿、灰皿、クッションカバーなど)を買い付けているそうです。

アブドラのお店のウェブサイト
http://kayaglass.com/

アブドラはトルコギターの名手だということで、弾いてもらいました。
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音楽にあわせて踊るフォークダンスも教えてもらったのですが、これがなかなか難しい! ビデオに撮ったのでご覧くださいtv
http://www.youtube.com/watch?v=5d9fbW2zI9s

盛り上がって、気がついたら夜中の1時近くになっていました。今週末は、トルコの民俗音楽が聴けるクラブに一緒に行こう!と誘われ、それは是非!と約束しました。

トルコに着いた初日は散々でしたが、2日目からは路面電車や地下鉄も理解し、人とも出会い、段々楽しめるようになって来ました。

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今年最後の上映(上映会報告2009/12/19)

12月19日の土曜日は、今年最後の上映会(一部抜粋上映)+講演会でした。映画を完成させたのが今年の2月で、4月から上映を始め、私にとっては本当にあっという間の1年でした。今回のイベントは、そんな今年の最後を飾るにふさわしい、豪華な対談をさせてもらいました。

今回は「草の実アカデミー」が開催しているイベントの第11回目で、「二大侵略国家の反戦運動~ドキュメンタリー映画2本上映と監督対談~」ということで、イギリスの反戦運動を取材した私と、アメリカのイラク帰還兵たちによる証言集会を取材した「冬の兵士・良心の告発」の田保寿一監督の対談でした。

会場は文京区の全水道会館。
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(この日は、私が普段使っているデジカメを修理に出していて、携帯のカメラで撮影しました。デジカメに不具合が発見され、メーカーが回収して修理するということで、数日間カメラを手放さなければならなかったのです。私の携帯のカメラの性能はものすごく低いので、この日はうまく写真を撮れませんでした。残念。デジカメがないということが、こんなに不便なのかと改めて感じましたweep

「草の実アカデミー」のブログ
http://kusanomi.cocolog-nifty.com/

第二言論の結集「草の実アカデミー」の設立の経緯については、草の実アカデミーの運営に携わるジャーナリスト・林克明さんのブログに、林さん個人の想いも交えて書かれています。
http://ankoku-mirai.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_db7a.html
(こちらのブログは広範なトピックが網羅されており、情報源としても貴重なブログです)

今回のイベントに呼んでいただいたのは、11月に林さんのインタビューを受けたのがキッカケでした。その少し前に、林さんは田保さんのインタビューもしていました。ちょうど、アメリカ、イギリスの反戦活動をテーマにした二人の監督を続けて取材した林さんは、この二つの映画を組み合わせて、侵略戦争を牽引する二大国家の反戦運動として取り上げたら面白いのではないかということで、今回の企画が実現しました。

田保寿一監督「冬の兵士・良心の告発」ウェブサイト
http://wintersoldier.web.fc2.com/index.html

映画を2本全て上映する時間はないので、田保さんは、映画本編に含まれていない「序章」を上映し、私はいくつかのチャプターを抜粋上映しました。

田保さんの「冬の兵士」本編は、私は4月に渋谷のアップリンクで拝見しました。偶然知り合いの方に上映会の情報をいただいたので、興味を持ち、観にいったのです。戦場・イラクに派兵された元帰還兵の証言集会を記録したドキュメンタリー。私はこれまでにイラクの元帰還兵の証言を聞いた事はありませんでした。二十歳やそこらの若い兵士たちが、大学に進学できることを夢見て軍隊に入隊し、イラクでの凄惨な攻撃に加わる。帰国してPTSDに悩まされ、アルコール中毒になり、自殺を考え、もう元通りの生活は出来なくなってしまったという彼ら・・・。

観終わって、私は初対面の田保さんに、たまらなくなって話しかけました。というのも、この作品は反戦活動を描いた作品であり、登場人物は反戦のために活動しているのですが、私にはどうしても引っかかる部分があったからなのです。私は田保さんに「反戦活動をしているあの元帰還兵の人たち、どこかでまた戦争があったら戦争に行ってしまうのではないですか?」と言いました。

映画に出てくる元兵士たちのなかには、「9/11のニュースを見たとき、ピザ屋で働いていた私は、”全てのアラブ人をぶっ殺してやる”と報復のために立ち上がり、軍隊に入隊し、イラクに派遣された。自分がこう思うようになったのは、マスメディアの責任。軍隊に入った後は大学に進学できるという夢は壊された。今はまたピザ屋の配達だ。大学に本当に行きたかったのに」と、怒りで震えながら証言します。他の元兵士も「正義のために立ち上がった。ファルージャで戦闘を行っているときも、イラク国民のために良いことをしていると思っていた。私は洗脳されたのです」といった趣旨の発言していました。

政府やマスメディアが戦争を正当化させようとした(している)ことは確かですが、でも、だからと言って”アラブ人を全員ぶっ殺す”と立ち上がって、イラクへ向かおうとまで思う米国市民がいる・・・。これは私にとって衝撃でした。

元兵士たちが何度となく口にする”正義”という言葉も、かなり危ういと感じました。この人たちは、かつて”正義”のために立ち上がり、それがうそだと分かり、今は政府やメディアを批判している。でも、今後もし、また世界のどこかで、(彼らが考えるところの)”不正義”がまかり通っていると判断したら、また彼らは立ち上がり、戦闘地へ向かうのではないか。私は彼らを見ていて、そう心配したのです。

その質問をぶつけたときに、初対面の私に、田保さんはアメリカでの平和思想・運動について、詳しく説明してくれました。「草の実アカデミー」の講演でも話題になりましたが、アメリカの平和活動の主義・主張は様々で、冬の兵士証言集会を主催した団体・IVAW(反戦イラク帰還兵の会)内部でさえも、大きな隔たりがあるそうです。(主義によっては、「共和党を支持する」というものや、「アフガンへの派兵については同様ではない」という立場のものまであるそうです!)

しかし、大小の違いにこだわっていては団結することは不可能なので、IVAWでは会全体としての主張を3つだけに絞り、そのもとで団結し活動していこう、としているのだそうです。その3つの主張とは「イラクから軍隊の無条件即時撤退」、「全ての帰還兵に対するケアの要求」、「イラクの国と被害者に対する国家賠償要求」。その3つに関しては、みなが合意することが出来るので、活動しているのだとか・・・。

ある種の妥協とも映るかもしれませんけれど、そうでもしない限り、まとまることは不可能なのかもしれません。平和活動をめざす人々の間でさえこうなのですから、その他の紛争(国土、民族、宗教など)の解決の難しさといったら言うまでもありません。

上映後の対談では、その他にも9/11以降のアメリカのメディアがどう変容したかについての興味深いお話もありました。

イギリスの反戦運動、メディアに関しては、私が実体験として持っている情報は、私が渡英した2007年以降のものです。しかし、取材を続ける中で、イギリスがどのようにイラク、アフガニスタンに参戦したのか、それに対する国民の反応(当時から現在まで)を理解するようになりました。

イギリスでは、2003年のストップ反戦連合(Stop the War Coalition)が主催したロンドンでのデモに、2百万人が参加したと言われています。実際にそのデモに参加した人にも沢山会いましたが、それはもう歩けないほどの混雑だったと言います。(講演会のとき、会場からは「当時、イギリス国民の7割近くが戦争に反対だった」という報告もありました。)

私が通っていたジャーナリズム学校の先生は、TVの仕事でそのデモを撮影していましたが、マスメディアの取材場所は制限されていて、沢山の人が参加しているようには映させないようになっていた、と言っていました。政府の決定に反対する民衆の声は、実際に沢山あったとしてもそう伝わらないようにされてしまっているのです。

(イギリスに限らず)政府は国民の声を反映していないのではないか?、議員は国民の声を反映した構成にはなっていないのでは? という点について、会場での議論では、「小選挙区制という制度が問題なのではないか?」という意見が出ました。イギリスも小選挙区制です。ひとつの選挙区から一人を選出する小選挙区制では、候補者の票数がたとえ接近していても、最高得票者だけが当選するので、死票が多く出ます。全体の票数は僅差でも、結果的に議席数に大きな差が生まれてしまう場合もあるのです。

「草の実アカデミー」の前回の講演は小選挙区制と二大政党制をテーマにしたものだったそうで、参加できませんでしたが興味を持ちました。以下はそのときの案内文。
http://kusanomi.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/1121206-41ab.html#more

講演は1時間半以上に及びました。田保さんも私も、そして会場の皆さんも(?)、まだまだ話しつくせないといった感じでしたが、いったん講演会は終了となりました。講演会終了後は、「草の実アカデミー」の忘年会が小石川後楽園内にある集会場「涵徳亭(かんとくてい)」であり、そちらに参加しました。涵徳亭、私は初めて行ったのですが、趣のある日本家屋でとてもステキでした!

忘年会の様子
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林さんの挨拶
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忘年会は、参加者の自己紹介だけでも1時間近くかかったのではないでしょうか? 様々な分野で情報発信する人々に出会い、まさに”第二言論の結集”を実感した夜でした。

イベントを企画してくださった林さんをはじめ、草の実アカデミーの皆様、田保さん、イベントに来てくださった皆様、どうもありがとうございました!

追記:
講演会に来てくださった高円寺書林さんのブログにイベントのレポートがあります。そちらも是非ご覧ください。

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Okinawa Takae Helipad Campaign report (PDF) by Paul

Paul and Yumiko visited Takae, Okinawa on 15th October 2009. The Paul's report can be downloaded from here.

Download TakaeHelipadCampaign.pdf

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協同のちから(上映会報告2009/12/12)

(上映日順から行くとトルコのドキュメンタリー映画祭が先になりますが、10日間に渡る長旅でしたので、トルコに関しては年末年始にまとめてレポートを書こうと思っています)

トルコのドキュメンタリー映画祭から帰国した翌々日は、山形で上映会をしていただくことになっていました。午後1時半からの上映にあわせて鶴岡市に到着するには、朝6時過ぎに家を出る計算になります。時差ぼけ状態(トルコと日本は7時間の時差)が幸いしてか、朝は問題なく起きることが出来ました。

東京駅から二階建ての新幹線に乗り、まず新潟へ。
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新潟に到着しました。気のせいか、駅に降りると東京よりも格段に寒くなっているように感じます。
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新潟からは、快速「きらきらうえつ」に乗って鶴岡まで。このきらきらうえつ、車体にも星の絵がかかれています。
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この電車、快速電車なのですが、全席指定。しかもこの日は土曜日ということもあって、全席満席とのこと! 何か特別な電車なのでしょうか??
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私はこの電車、単に”駅すぱあと”で検索して、鶴岡に到着したい時間にちょうど良いダイヤだったので乗ることにしたのですが、後でこの電車は一日に1往復しかしない特別な電車だと聞きました。帰りも「きらきらうえつ」を予約していた私は、上映を企画してくださった皆さんたちから(そんなにあの電車に乗りたいんだね~)と思われていたそうです! もしかして”鉄子”と思われたかもしれませんhappy01

そんなこと、考えてもみなかった私は、電車に乗ってからはじめて、これはちょっと特別な電車なのだということを知りました。停車駅ごとにその土地の名産品の紹介アナウンスがあり、座席の前のポケットには、きらきらうえつ限定の観光案内が入っていました。観光施設の割引クーポンがあったり、観光記念スタンプも。車掌さんが回ってきて、車両ごとに抽選会を行い、当選した座席番号の人には名産品のプレゼントがありました。へぇ~、こんな電車もあるんだな、と感心。

観光案内のチラシと映像(すみません、電車内で撮影したので、だいぶブレてます)
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食堂車もありました。
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12時半ごろ、鶴岡駅に到着しました。
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駅の改札口では、上映会のお手伝いをされている金丸さんが「早川様」と書かれた紙を持って、出迎えてくれました。でも降りるお客さんはほとんどいなかったですし、他に出迎えの人もいなくて、かなり目立っていましたcoldsweats01
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鶴岡駅から車で10分ほどで、今日の会場である「こぴあホール」に到着しました。

こぴあ外観
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ここは、1階が生協のスーパーマーケットで、2階がホールや会議室などになっている施設だそうです。2階へ上がり、今回の上映会を企画していただいた佐藤さんにご挨拶をしました。ホールは、かなり広く、舞台もあって立派でした。グランドピアノや16mmの映写機もあるのです!

音量の調整をした後に、金丸さんとお昼ご飯を食べに下に降りました。もう開場時間まであまり時間がないため、手早くラーメンで済ませました。金丸さんは、2年ほど前から地元の劇団で俳優として活動しているそうです。年2回の公演があり、年明けには春の公演の練習が始まるそうです。長いせりふをどうやって覚えるのか聞いた所、とにかく練習しまくることと、携帯の録音機能を使ってセリフを録音し、それをひたすら聞く、などの方法で覚えている、とのことでした。覚えるのに早道はないということですね・・・

お昼ごはんを食べた後は、会場に戻りました。既に開場時間となって段々人が集まり始めていました。この日は約80人ほどの方に来ていただいたそうです。ありがとうございました!

ロビーの様子
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会場の様子
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上映の後は、30分ほど私がお話をして、その後は質疑応答となりました。会場の方からは「映画を観て、自分はこの状況に対して何が出来るのか考えさせられた」、「イギリスのホームレスの人々は、どのような状況か?」、「孫世代のために平和な世の中を作りたい。自分が平和のためにしてきたことが、ブライアンたちの活動を観て(これで良いのだ)と思わせてくれた」、などの感想と質問が寄せられました。

質疑応答の様子
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上映会の後は、和定食の「滝太郎」で交流会がありました。

滝太郎外観
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山形と言えば、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した「おくりびと」のロケが行われた場所でもあります! お店の店内には、地元の方々の協力に対する感謝状と特製のお酒が飾ってありました。交流会に参加された人の中にも、「おくりびとにエキストラとして出演した!」という方がいらっしゃいました。
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お料理は一人ずつ定食という形式。どれも美味しかったです!
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交流会では、地元の9条の会で活動されている大高さんから、9条を分かりやすい言葉で説明したというポストカードをいただきました。これは池田香代子さんの「やさしいことばで日本国憲法」という著書から9条の現代語訳解釈を引用・紹介したもの。英語訳も印刷されています。ポストカードに描かれているイラストもステキで、普段友達にはがきを出すのにも使える感じです。

大高さんは、イギリスを訪ねたときに、かつての産業革命で栄えたマンチェスターが、その面影もなくゴーストタウンになっているのにびっくりした、と話していました。私もマンチェスターの近くまで行ったことがありますが、マンチェスターに限らず、イギリスでは地方都市の衰退が激しいです。郊外の大型ショッピングセンターができて、地元の商店街が寂れてしまうという現象。日本で起こっているのと同じことがイギリスでも起きています。

交流会の様子
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川崎にある日本映画学校に週一で6週間通いビデオ製作を学んだという、村田さんともお話をしました。鶴岡の介護施設で働く村田さんは、施設で「かつて芸者をしていた」という女性に出会いました。彼女の波乱に満ちた人生を聞くうち、それを書きとめて記録として残したいと思うようになります。しかし、鶴岡出身ではない村田さんには、庄内弁で話す元芸者さんの話を聞き取るのは困難でした。ビデオでならば記録できると思い、映画学校にまで通って技術を習得したのですが、残念ながら元芸者の方はつい最近お亡くなりになってしまったそうです。

芸者さんの記録を取れなかったのは残念ですが、それでも、ビデオを使って歴史の生き証人たちの記録をとりたいと考えているそうです。鶴岡でそのような活動を立ち上げたいとのこと。ぜひ実現してほしいと思います! (ちなみに別の方から、以前鶴岡でビデオのワークショップをやろうとしたときに、ビデオ機材の貸し出しをしているお店がなく、その時は断念したと聞きました。私は、ビデオカメラなんて、ホームビデオレベルの機材から始めて全く問題ないと思っています。ホームビデオならば、子供の運動会や結婚式などを撮るために持っているという人は多いはずです。それらを持ち寄って、3人に1台でもあれば、一緒に機材を触りながらワークショップは十分可能ではないかと思います。ビデオを回すということのハードルを下げるためにも、各地で、いろんな人がワークショップを開催して行ったら面白いと思うのです!)

山形大学の菊間先生からは、「どんぐりの雨」というステキなタイトルのご本をいただきました。どんぐりの雨・・・さて、一体何のこと?と思う人もいるかもしれませんが、ロシア沿海州シホテ-アリン山脈南部、ウスリー河流域の森林と自然、人間の生活を、そこに住むタイガ人の視点から描いたノンフィクションのストーリー。菊間先生は、この本に解説者・翻訳者として関わっていらっしゃいます。

交流会は20時ごろにお開きとなりました。その後は、金丸さんと共に佐藤さんのお宅へお邪魔しました。(夜分遅くに突然お尋ねして、奥様にはご迷惑おかけしました!)
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山形の名産品、ラ・フランス。美味しかったです!!
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今回の上映会には参加できなかったまゆみさんとも、佐藤さんのお宅でお会いすることが出来ました。

佐藤さんは、お母さんの記録映像を撮っているそうです。お母さんも撮影には協力的で、沢山お話してくれるとのこと。それは取材する側にはありがたいことですが、でも一体どうやって編集して良いか悩んでいるのだそう。

以前もこのブログで書いたことがありますが、ドキュメンタリー、記録映像では、編集作業がとても重要ですし、一番大変な作業でもあります。「でも、自分は早川さんのように映画として発表しているわけではないので、次回作の製作は?というプレッシャーはない。だからマイペースでやればいいと思っている」とおっしゃっていました。まぁ、確かに私は上映会で各地を回っていて、必ずと言っていいほど「次回作は?」と聞かれますけれど・・・。作品をまた作ろうという、ほど良いプレッシャーにはなっていますhappy02 でも、外からのプレッシャーがある・なしに関わらず、いつか作品として仕上げてもらいたいな~と思います。その時は是非私も拝見させてもらいたいです。

作品を誰かと作るか、一人で作るか、のお話になりました。映画作りは、機材も小型化し手軽になり、編集もパソコン上で出来るので、だいぶ敷居が低くなりました。一人で映画を作る事だって、物理的には可能ですし、私もほぼひとりで製作しました。製作に必要な資金だって(撮る内容にもよりますが)、ずいぶんと低く押さえることも出来ます。

でも、私は次回の作品を一人で作りたいとは考えていません。映画をよりよいものにするためにくするために他者の目を入れたいのです。作品を多面的に観てもらい、アドバイスをもらいたいのです。いわゆる”プロデューサー”的な役割の人を。

このことを佐藤さんにお話したら、2007年の山形ドキュメンタリー映画祭での、河瀬直美監督とプロデューサーのルチアーノ・リゴリーニ氏の対談のことを教えてくれました。

2年に一度山形で開催されるドキュメンタリー映画祭は国際的にも有名です。佐藤さんは、以前山形市に単身赴任をされていて、山形ドキュメンタリー映画祭で沢山の映画を観たそうです。映画祭で上映された作品は、「山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー」に行けば、無料で観ることが出来ますが、映画祭に行く醍醐味というのは、会場で監督や製作者などに会えたり、トークイベントやシンポジウムで話が聞けるところにある、と言っていました。

2007年の映画祭での、河瀬直美監督とプロデューサーのルチアーノ・リゴリーニ氏の対談では、”プロデューサー”の役割について、「プロデューサー=お金集めをする人と考えられがちだが、プロデューサーの本当の仕事は”監督の中の眠っている才能を引き出すこと”にある」と言っていたそうです! 私も全くそれに同感で、それこそが監督とプロデューサーの望ましい関係だと思います!!

ネット上に、河瀬直美監督とルチアーノ・リゴリーニ氏の対談の記事を見つけました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0011662

山形ドキュメンタリー映画祭のときに、佐藤さんはフィンランドの監督とお話しする機会があったそうです。その監督から最新作のDVDをもらった佐藤さんは、日本語字幕をつけて日本で上映できたらと考え、何人かの翻訳者に翻訳してもらえるかどうかお願いしました。(映画はフィンランド語のドキュメンタリーですが、英語字幕が付いています)。ところが、お願いした翻訳者の方からは全て「出来ない」という返事が来てしまったとのこと!! 忙しいからか、それとも内容のせいかは分かりませんが、一体なぜ?!?!

確かに翻訳は難しい作業です。英語から日本語へと機械的に訳せるものではありません。語学力だけでなく、その国の文化的・歴史的な背景も知っていなければ訳せないことも沢山あります。日本には存在しない制度や習慣だったりしたら、どうやって日本人に分かるように伝えるかの工夫も必要です。

さらに字幕翻訳には、”セリフ1秒あたり日本語4文字”という厳しい文字制限があります。限られた字数制限の中で、情報に優先順位をつけて簡潔にまとめる能力が求められます。そして何より、訳す先の言語(英語から日本語に翻訳する場合だったら、日本語)に長けていることが必要です。日本語の語彙が豊富で的確でなければ、いくらオリジナルが素晴らしくても、その魅力は半減してしまうのですから・・・。

私は一応イギリスに留学していたので、自分で字幕翻訳をすることも出来ます(クオリティーは別として)。でも、上に書いた理由から、自分の映画の日本語字幕製作は別の人にお願いしました。彼女たちの英語力・日本語力は信頼していましたが、映画の中に出てくるイギリスの法制度、裁判制度、ブライアンたちの活動の歴史などには解説が必要だと思い、リファレンス資料をきちんと作ることに決めました。それが翻訳の精度を上げることになる、と考えたのです。

私が字幕翻訳を依頼するときに作成した参考資料、もし興味のある方は見て下さい(→「EN_Subtitle.xls」をダウンロード )。チャプターごとにシートが分かれています。必ずしも翻訳してくれた人に参考として役立ったかはわかりませんが・・・。

さて、翻訳者の見つからないフィンランドのドキュメンタリーですが、なんと私が観てみる事になりました。私がもし、直訳レベルで翻訳が出来れば、それを元にしてプロの翻訳者か日本語の表現力に長けた人が日本語訳として完成できるのでは?と考えたからです。そのドキュメンタリーはパンク・ミュージックをメインテーマとして扱っているそうで、パンクの歌詞の翻訳なんてかなり難関そうですが・・・! これからDVDを観させてもらうのですが、私が出来るレベルなのか、それとも全くお手上げなのか・・・どうなんでしょうね?!

お話は尽きませんでしたが、9時半頃になり佐藤さんのお宅をお暇し、ホテルへ戻りました。

ホテルルートイン鶴岡駅前(翌朝撮影)
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部屋の様子
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ホテルの窓から、鶴岡市内の眺め
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翌朝は8時ごろに起きて朝食を食べ、10時にホテルで佐藤さんと待ち合わせをしました。酒田市出身の日本を代表する写真家・土門拳の記念館へ連れて行ってくださるとのことでした。

土門拳記念館前にて
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土門拳記念館のホームページ
http://www.domonken-kinenkan.jp/index.html

記念館そばの池には、鴨がいました。かつてはここで餌付けをしていたため1万羽以上の白鳥も飛来していたそうですが、鳥インフルエンザの関係で餌付けをやめたので、白鳥はここへは来ず、近くの田んぼなどに分散するようになったということです。
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今年は土門拳生誕百年の記念の年に当たるそうで、「日本人の心ー仏像巡拝」という企画展示が行われていました。絶妙のライティングとアングルで撮られた日本各地の仏像の写真が飾られていました。それらも見ごたえがありましたが、別室の「風貌」(ポートレート写真)が特に良かったです。各界の有名人のポートレート写真に、土門拳のコメントつきでその人物評や撮影時のエピソードが綴られていて、写真家と被写体とのやり取り(攻防?)がこちらにも伝わってきました。土門拳は、対象にとことん食い下がり、納得する写真が撮れるまであきらめない人、などと言われたりしますが、出来上がった写真からはそのような執念はまるで感じられません。自然のままのその人が写し取られているかのように感じます。しかし、土門拳本人が「鬼が現れて撮れるのだ」と言っているように、その人らしさが出てくる瞬間(鬼が現れる瞬間?)まで粘り強く撮影し続けた成果だからかも知れません。

記念館の後は、お昼ご飯を食べに行くことにしました。連れて行っていただいたのは、お蕎麦屋さん。立派な門構えのお店です!
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お店は古民家を改造したつくり。
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お店の外にはなぜか、ヤギ、ブランコ、犬がいました。
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全く人見知りをしないヤギ
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お店のそばには石碑がありました。「ワッパ騒動義民之碑」というのだそうです。
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ワッパ騒動について説明書きがありました。
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ワッパ騒動とは、1874年(明治7年)に庄内の南部一帯で起きた農民運動のこと。騒動について、碑には以下のように記されています。

旧藩時代と同様に米による税制を維持する酒田県に対し、農民たちは、政府が既に許可していた石代納(米でなく金で税を納める)の実施と雑税の廃止を願い、また納め過ぎた税の返還を求めました。実現すればワッパ(曲げ物で作った弁当箱)で分配するほどの金が戻ると言うことからワッパ騒動と呼ばれたと伝えられています。しかし、酒田県は要求をことごとく拒否し指導者を投獄したので、その釈放を迫り一万数千の農民が酒田の県庁に押しかけましたが、百人以上が逮捕され鎮圧されてしまいました。農民たちはこうした弾圧にも屈せず酒田出身の民権家森藤右衛門の指導で、元老院や司法省に県の悪政を訴え、法廷闘争に持ち込みました。1878年(明治11年)、ついに雑税の一部六万三千余円の返還を含む農民勝利の判決が出されました。ワッパ騒動における農民たちの結集と行動は、酒田県政の改革や地租の軽減に有効な影響を与え、さらには庄内における近代の扉を開く契機をもたらしたといえましょう。

ワッパ騒動に関しては、地元でもこれまでほとんど歴史的な検証がなされず、135年たった今年になって碑が出来たのだそうです。

お蕎麦屋さんに戻り、注文した「鶴岡御膳」が運ばれてきました。てんぷら、そば、カブのお漬物など、盛りだくさん!
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デザートには大きなお餅が運ばれてきたので、完食したときには立ち上がれないぐらい満腹になっていました!

お昼ご飯の後は車でこぴあへ向かいました。車中で、佐藤さんは、これまで撮影してきたもののエピソードを話してくれました。これまでイベントやセレモニー、関係者のインタビューなどを撮影して編集したことがあるそうですが、つくづく”インタビューで撮った話は、必ず裏を取ること”というのを痛感しているそうです。例えば関係者のインタビューで、XXさんを良く知るある人が、「XXさんは○○さん(著名人)と同級生でしたが、若くしてお亡くなりになりました」というようなことを話したとします。これはそのまま使っても問題なさそうですが、実は同級生だったというのが記憶違いだったりするのです! 記憶はあいまいなものだし、思い込みであることも多いし、故意でなかったとしても、話していくうちに、脚色されたり、面白く変化していることもあるのです。なので、いくら事情に詳しい人だからといっても、本人の話を鵜呑みにせず、歴史的な資料などに当たって裏を取ることが必要だ、と。

私は映画を作ったときに、必要最低限のことは裏を取るようにしていました。例えば、名前の確認(イギリスでは、公にあだ名が通用している人も多いのです。例えば、トニー・ブレア元首相の”トニー”もニックネームで、正式には”アンソニー”です)、重要な出来事の日付、誰かが逮捕されたというような場合は、その逮捕の日付と容疑の内容などです。しかし、インタビューで本人が自分のプライベートを語っている部分については、それが他にも影響するような内容ではない限り、裏を撮ることなく使っていました。でも、それらがもしかして後で問題になることが、ありえなくはありません。本人が語っていたとしても、”裏を取る”は大事な作業です。

お昼過ぎにこぴあに到着しました。事前に佐藤さんから山形でどこを観光したいかと聞かれたときに、私は鶴岡で地元の方に上映会を開いていただくのだから、地元の方の活動を聞かせてほしいとお願いしました。それで、今回は「自立支援センターふきのとう」の白幡さんにお話を聞かせていただくことになりました。白幡さんは鶴岡で長年にわたり、ひきこもり者とその家族の相談・支援活動をされています。ふきのとうを現在利用しているのは約30家族ぐらいですが、白幡さんの知っているだけで約100家族はこの地域に引きこもり状態になっている人がいて、ということは潜在的には500家族ぐらいあるだろう、ということでした。

引きこもりを考えるときに、大切なのは”親の自立”なのだそうです。引きこもりというと、子が自立していない状態のように見えますが、その背景には、親自身が子離れできていないということも多くあるそうです。親が地域で孤立してしまっている。その結果、子離れが出来ない。人とのつながりを持てば引きこもりは解消できると、このこぴあを「庄内地域づくりと子育て文化協同の家」として、人と人をつなぐための活動拠点としているのだそうです。引きこもりだけでなく、散歩の会、読み聞かせの会、旅行の会、展示会、映画の上映会など様々なグループやイベントがあります。

更に、新しい取り組みとして、佐藤さん、白幡さんたちは映像の力に注目していると言いました。自分たちによるメディア発信です。この地域でも、運動会や結婚式のためにビデオカメラを持っている人は沢山います。でも、家族史や運動などに活用する人はほとんどいない。自分たちでワークショップを開いて、家族や地域、社会とのつながりをビデオで撮る人が増えてくれば、と願っているそうです。白幡さんの知っている引きこもりの家族は、引きこもる兄を弟がビデオで取り始めることによって、家族の関係に変化が生じ、映画を撮り終える頃には、兄は引きこもり状態から脱することが出来たそうです。そんなこともあり、ビデオの持つ力に期待しているのだとか。

白幡さんは、私と会う前に、私の映画のウェブサイトを見たと話しました。沢山上映会情報が並んでいるのに、クレジット(製作協力者)欄には数人の名前しかない。誰かに手伝ってもらったら良いのではないか?と言われました。確かに、映画の製作から、宣伝、映画祭への応募、上映会のアレンジ、果てはウェブサイトでのDVD販売まで、全て自分でやっています。時々、ウェブサイトからのDVDの注文に対して返信メールを送ると、「監督本人からお返事をいただいて恐縮です」なんて言われます。ある程度の規模の映画ならば、監督自らがDVDの販売担当までするということはないのでしょう。

でも、私はこれが初めての作品で、撮影・編集もアマチュアの域を出ないし、内容も”イギリスの反戦活動”という地味なものなので、商業的にヒットするとは当初から考えていませんでした。(今も商業的ヒットとは別の道を歩んでいますgawk)。そんなわけで、私は配給会社に数百万のお金を支払ってお願いするつもりはありませんでしたし、そうでなくてもこの細かで地味すぎる作業を全部他人にお願いすることは無理なように思いました。(これは自分の映画なんだから、自分でやるしかないのだ)そう思ってやりました。そうは言っても、私には無理な技術面ではいろんな人の協力をもらいました。字幕翻訳、ウェブサイト、ポスターのデザインなどです。これらは私には技術もセンスもないので、友人たちに手伝ってもらいました。

上映に関しては、確かに窓口は私ですが、実際の上映会は自主上映会という形で上映会を開催してくださる方がメインとなって企画、会場押さえ、宣伝、当日の運営までしてくださっているので、私の方ではずいぶん助けてもらっているのです! これらを全て自分でしなければならないとしたら、私は知らない土地で、どこの会場が使えるかも分からず、どこの誰に向かって宣伝すればよいのかも知らず、到底無理な話です! なので、製作時のクレジットにこそ名前は入っていませんが、出来上がってからの宣伝や上映に関して、沢山の人の力をお借りしているのです! これは、最初に全く予想していなかった、うれしい驚きです。

それでも、次回は製作時から他人と協同して良いものを作りたいと思っているし、出来上がったときには、「ブライアンと仲間たち」を上映していただいた方々へ新作の上映会のお願いをするかもしれません。(いや、絶対するでしょうcoldsweats01!)。・・・協同のチカラを頼りにして!!

そんなことを考えた今回の鶴岡上映会でした。上映会を企画してくださった佐藤さん他皆さま、映画を見に来てくださった方々、どうもありがとうございました!

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「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」集会のお知らせ(東京)

「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」
                   -生存権を求めたA君は無罪だ-

日時:12月23日(水) 18時開場(18時半開始)
場所:大久保地域センター(新宿区大久保2-12-7)
JR新大久保駅または都営大江戸線東新宿駅より、いずれも徒歩10分
http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/map/ookubo_toyama.htm
資料代:500円(カンパ)
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◆信じられないことが起きてしまいました。この8月、大阪府柏原市の福祉事務所に自身の生活保護申請に赴いた「ユニオンぼちぼち」の組合員A君が、二ヶ月半を経過した10月末に逮捕されたのです。彼は保護申請の様子をビデオカメラに収め、福祉事務所の職員に「生活保護申請をさせてください」と訴えました。そのためにそれから2ヵ月半もたって彼は逮捕され、11月16日には「職務強要」容疑で起訴されたのです。(以下参照)
http://unionbotiboti.blog26.fc2.com/blog-entry-101.html

◆生活保護の現場では、ぎりぎりのところで保護を求める人々の希望を挫く「水際作戦」が展開されてきました。申請者にわたすべき用紙をわたさない、理由をつけては「また来てください」と追い返すなど、手続きのハードルを上げることで申請自体を断念させようとする行為です。その結果、生活保護を受けるべき状況にある人々の実に80%が保護から排除されています。

◆福祉に保護を求めることは権利であり、保護を求める人々の申請受け付けは、福祉事務所の当然の職務です。また、行政機関への適切な監視は市民としての義務ですらあります。A君は生きようとし、A君は福祉事務所が当然行なうべき職務を記録しようとしたのであり、それはなんら犯罪ではありません。彼の行為が犯罪なら、保護を求める行為は萎縮し、行政機関の活動はますます不可視化するでしょう。生きる権利から多くの人が排除されている状況を直視し、A君の無罪を勝ち取る必要があります。そのために何をすべきなのか、ともに考え行動しましょう。

---------- 集会内容 --------------------------------------------------
○報告
橋口昌治(関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」委員長)

○問題提起
稲葉剛(自立生活サポートセンター・もやい代表理事)/山谷労働者福祉会館活動委員会/根来祐(フリーター全般労働組合ムービーユニオン)

○会場討議
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主催:「生活保護申請を記録して逮捕って何だよ?!」集会実行委
連絡先:フリーター全般労働組合(新宿区西新宿4-16-13 MKビル2階)
電話/FAX: 03-3373-0180
Web: http://freeter-union.org/union/
Log: http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/
Mail: union(at)freeter-union.org ←(at)を@に置き換えてください

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ビデオ撮影で職務強要罪、逮捕! そんなのおかしい!!

以下、関西非正規等労働組合、ユニオンぼちぼちの声明を転載します。
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A君は無罪だ!生活保護申請に対する不当逮捕・起訴弾劾!!

関西非正規等労働組合 ユニオンぼちぼち                           2009.12.10修正版

「生活保護の申請をさせて下さい!」と泣く泣くカメラを手にしたA君を逮捕・起訴するなんてあんまりじゃないか! A君の救援活動と無罪を勝ち取るための法廷闘争へのカンパをどうか宜しくお願いします!

10月27日朝、組合員であるA君は、いきなりやってきた大阪府警によって家宅捜索をされ、職務強要罪(※)で令状逮捕されました。29日に送検、勾留延長もされ11月16日に
起訴されてしまいました。A君は柏原市福祉事務所から生活保護を受給していました。結果的に受給は出来ていたものの申請にあたっては大変な困難が伴った末の保護決定でした。

今年2月、ユニオンぼちぼちは世界的な金融危機以降悪化する雇用情勢の変化に伴い、生活保護の取得の仕方を学ぶための学習会を開催しました。全国各地のユニオンの共通の課題として浮上してきた問題だと思いますが、労働にまつわる相談の解決の前にまずは生活の安定が必要であり、そのための生活保護申請のノウハウを組合員間で学習しようという試みです。

勤務先で散々社長に罵られた挙句に不当解雇に合い、組合に相談にやってきたことがA君と組合との出会いでした。A君は労働法などを一生懸命勉強し、自分が争議の中心になって会社との交渉を行ってきました。しかし生活面は安定したものと言える状態にはなく、生活保護を申請することになりました。

ユニオンぼちぼちは、生活保護の申請時における「水際作戦」といわれる福祉事務所の対応が問題だと考えてきました。水際作戦とは、福祉事務所へ相談に訪れた人々に対し、申請用紙を渡すまえに職員が理由をつけて追い返すことにより、保護の件数を予め抑制しようという手法です。なんとか申請をして保護を受給できたとしても福祉事務所からの執拗な「指導」により保護打ち切りに合い、保護基準以下の生活を再び強いられて
いく人が少なくありません。北九州市においては生活保護を打ち切られた男性が「おにぎりが食べたい」と書き置きを残して餓死するなど、全国で痛ましい事件が続発しています。

日弁連によると、本来なら生活保護制度を利用できる経済状態にある人々に対しての実際の支給率はわずか9~19・7%ということです。その大きな要因として、福祉事務所による申請への違法な拒否行為が挙げられています。A君の保護申請は、こうした状況の中で行われたものでした。

本来、困った人のために相談にのり、サポートするのが仕事であるはずの柏原市福祉事務所の対応はとても冷たいものでした。そのことにA君は不安を募らせていきました。そして残念ながら、当初の保護申請は却下されてしまいました。困ったA君は再度申請を行おうとしましたが、福祉事務所は素直に取り合ってはくれません。やむにやまれず自分の部屋からビデオカメラを持ってきて、福祉事務所の職員に訴えました。「生活保護の申請をさせて下さい!」

2ヵ月半後、この時の行為が職務強要罪の容疑にあたるとされ、A君は逮捕されました。

しかし組合員が一緒に柏原市福祉事務所に話に行くと保護が支給されることが決まり、逮捕までの2ヵ月半の間A君は無事に保護生活を送っていました。逮捕の2日後、ユニオンぼちぼちの大阪事務所が家宅捜索されました。念のため付け加えておきますと、生活保護を受給する資格がないのに恐喝して違法に受給をしたという容疑ではありません。その証拠に現在も保護は廃止(取り消し)ではなく、逮捕・勾留による停止という状態になっています。職員の冷酷な対応を受け、やむにやまれずカメラを回しながら訴えたことが容疑とされているのです。その後、その映像が公開さたことはありません。

勉強熱心なA君は逮捕前、生活保護を抜け出すために国の新しく始めた職業訓練制度を使い訓練学校に通い始めていました。入学のための選考試験は簡単なものではなく、時には落ち込むこともありました。しかし何度かの不合格を乗り越え、ようやく入学することが叶ったとき、私たちは手を取り合って喜んだものです。資格取得を目指して学校に通うことはA君にとって生きる張り合いになっていました。身近で様子を見聞きしてきた私たちは、その生活がとても大切なものであるということを感じていました。しかし、ようやく安定して学校生活に通えるようになった矢先に、突然逮捕されてしまったのです。A君は無実です。逮捕・起訴・勾留によって学校生活もメチャクチャにされてしまいました。このままではA君は出席不足による退学処分になってしまいます。

私たちはA君の即時釈放を求めています。そして裁判では必ずA君の無罪を勝ち取らなければなりません。また、この事件で有罪の判例を出させてしまったら、労働運動や社会運動においてビデオカメラを使うこと自体が抑制される恐れがあり、到底容認できるものではありません。

心を寄せてくださる皆様には、未曾有の失業の嵐のなか大変心苦しい限りではございますが、この闘いへのカンパを寄せて頂くようお願い致します。

※ 職務強要罪とは、公務員に対して、「ある処分をさせる目的」、「ある処分をさせない目的」や「公務員の職を辞させる目的」のいずれかをもって、暴行または脅迫を加えるというもので、「3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金」という重い罪です。私たちはA君の言動が犯罪にあたるという見解を容認できません。

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