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フェスティバル・サーキット トルコ映画祭③(映画祭報告2009/12/4-5)

12月4日金曜日。今日はポールがイギリスからやって来る日でした。会社員として働いているため、金曜日だけ有給休暇をとって2泊3日の参加です。私は空港まで迎えに行くことになっていました。

朝10時ごろに起きて、ホテルのロビーでムバラクたちとお茶をした後に、ネットカフェに行きました。旧市街のネットカフェの相場は1時間1トルコリラ。大体70円ぐらいです。

ホテルに戻り、チェックアウトをしました。というのも、今夜からは映画祭が用意してくれた新市街にあるホテルに宿泊するからです。チェックアウト後、荷物を預かってもらって、空港へ向かいました。空港まで、路面電車と電車を乗り継いで1時間弱。

私が空港に到着したときのような混乱はなく、ポールとはスムーズに会えました。電車、路面電車に乗ってホテルに戻り、預けておいた荷物を受け取りました。フロントのイルディスとお茶を飲みながら少し話しました。たった数日前に「土曜日はトルコのディスコへ行こう!」と盛り上がって約束をした私たちでしたが、イルディスは「多分行かないと思う」というのです。「他の友達と出かけるかもしれないし、出かけないかもしれない」という理由で!

もう既に別の予定が入ってしまったのならともかく、入ってもないし、入るあてもないのに、行くのをためらうのはなぜだろう?と変な気持ちがしました。それは私だけでなく、聞いていたポールも、(???)という顔をしていました。

私たちが不思議に思っているのが伝わったのか、しばらくしてイルディスは、「実は、アブドラと昨日ケンカをしたので行きたくない。彼が私に謝るまで行かない」と話し始めました。ケンカの発端は、本当に些細なことだったらしいのですが、イルディスによると「彼は私が幸せそうにしているのをいつも嫉妬している」と。「私たちはクルド人なの。トルコの東側で生まれて、15年ぐらい前にイスタンブールにやってきた。クルド人は貧しくて、教育も受けられなくて、大変な思で生活をしている。アブドラはものすごい努力家で、自分の力でアメリカまで渡った。でも、彼はいつも不満を抱いているし、満足しない。私みたいに、安月給でホテルで働いているのに、幸せそうにしているのが許せないのよ。それで時々私にひどいことを言うの」彼女はそう言いました。

彼らがクルド人だということを私は知りませんでした。顔からは判断のつかない私は、ただトルコ人なんだろうと思っていました。他の人から「トルコでは未だに”自分はクルド人だ”と言うのは憚られる様な状況」と聞いていたので、ディスコに行く・行かないという話から、思いがけずクルド人だと告白されたことに、ちょっと驚いてしまいました。私はアブドラとそういう状況なら分かったと言い、アブドラが彼女に対して謝ってくれて、皆でディスコにいけることを願いました。

荷物を受け取って、新市街へ向かう路面電車に乗ります。ホテルは、タクシム広場から歩いて5分ほどのところにあるGolden Age ホテル。
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私の部屋! 一人でこんな広い部屋を使ってしまいましたhappy02
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バスルーム
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部屋に荷物を置いて、19時に映画祭のスタッフとタクシム広場で待ち合わせをしました。今夜は映画祭のおもてなしディナーだそうです! 前日に会ったブラジルとポルトガルの監督と、そしてオランダ人の映画ジャーナリストとともに、レストランへ向かいます。金曜日ということで、いつになく大混雑のイスティクラル通りを、映画祭のスタッフを見失わないように気をつけながら歩いていきました。

レストランは、フィッシュマーケットにある魚料理のお店。ゲスト、映画祭スタッフ合わせて約20名ほどのディナーでした。
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一緒のテーブルに座ったのは、ポール、オランダ人ジャーナリストのピーターと、ポルトガル人女性監督のフランシスでした。

45年間、映画専門のジャーナリストとして活躍してきたピーター(右手前)。
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カンヌ、ベネチアなど超有名な国際映画祭からマイナーなものまで、世界中の映画祭を飛び回り、各映画祭のディレクター、配給会社の担当者などの好みを知り尽くす彼は、映画を観れば、(これは○○映画祭のXXが飛びつくだろう。配給会社は△△がつく)などと分かるのだそうです。

これまで行った映画祭での様々なエピソードも話してくれました。お酒が大好きで、それが原因で奥さんに捨てられたという彼は、映画祭やスポンサーが主催するパーティーが大好き。中でも一番クレイジーなパーティーは、ヘルシンキやエストニアあたりで開催されるものだと言っていました(←あくまでも彼の個人的な体験に基づくものですが・・・coldsweats01)。酔っ払いを運ぶ専用のヘリコプターが用意されているパーティーまであったそうです!

私の隣に座っていたポルトガル人監督のフランシスは、「Still Life: Faces of a Dictator」という作品を作りました。映画祭には、プロデューサーである夫と、息子と共にやってきていました。映画は、ポルトガルで1926年から1974年まで48年間続いた独裁政権を、当時使われたアーカイブの動画(ニュース、戦争記録、プロパガンダ、政治犯の写真など)のみを用いて、インタビュー、ナレーション、テロップなどを一切加えずに制作したというドキュメンタリーだそうです。長編としては二作目の作品。

過去の記録映像のみで、ナレーションも一切なしという形態の作品は珍しいからか、完成した2005年に各国の映画祭に応募した当初は、全くの鳴かず飛ばずという状態でした。申し込んだ全ての映画祭で落選したのだそうです!

それが、映画祭ではなく、何かの学会かコンファレンスのような場所で上映される機会があり、それに偶然出席したある国際映画祭のディレクターが「この映画、私は見逃してしまっていたのではないかしら?」と言って、いったんは断られた映画祭で翌年に上映されることになったのだそうです! その映画祭で上映されたことがキッカケで、その後は各地の様々な映画祭で上映してほしいと声がかかるようになったとか。彼女曰く、「映画祭は繋がっている。一番大事でかつ一番難しいのは、”get your foot in the film festival circuit”(映画祭の回路の中に、うまくもぐりこむこと)」と言っていました。映画祭の循環の中に、うまく入っていくことが出来れば、各地の映画祭で上映されるようになる、まずはその輪の中に入っていくことが肝心、と言っていました。

確かに、それはあるような気がしました。私は自分の映画はそのサーキットに入っているとは言えない状態ですが、でも、今回映画祭に来てみて、映画祭を運営する人々、そして映画祭に出品する人々が、様々な国で既に会ったことがあって顔見知りだったり、同じ情報を共有しているということが良く分かったからです。世界は繋がっているともいえますし、世界は意外に狭い(というか狭いところで動いている)とも言えます。

さて、では一体どうやって、その”フェスティバル・サーキット”に足を踏み入れるのか? これについては、海外の映画祭に自分の作品を出品したい人必見のドキュメンタリー映画があります! この映画、日本ではまだほとんど知られていないと思うのですが、アメリカのドキュメンタリー映画で、インディペンデントの映画制作者が、あれやこれやの手を尽くして映画祭に応募し上映するまでの過程を描いたものなのです! 私は偶然観られる機会があったのですが、それはもう、抱腹絶倒でした。 

映画のタイトルは「Official Rejection」 
http://www.officialrejectiondocumentary.com/MAIN.html
(皮肉なのは、このドキュメンタリーの被写体となっている映画・映画制作者よりも、それを追ったこのドキュメンタリーのほうが、各国の映画祭で絶賛されているという点・・・)

アメリカのインディペンデント系の映画祭として超有名なサンダンス映画祭(昨年は200本の上映枠に9800本の応募があったとか!)の謎に包まれた選考過程、そしてそのほかの有名・無名の映画祭を、映画祭のディレクター、配給会社、映像製作者などが語りつくします。日本語字幕はおろか、英語字幕もついていないし(映画自体は全て英語のダイヤログ)、アメリカのアマゾンからしか購入できないのが難点ですが、でも、海外の映画祭に出してみたい、海外の映画祭がどんな様子か知りたいという人にはオススメです!(この映画に出てくる映画祭はアメリカのもの中心ではありますが)。

さて、話がだいぶそれてしまいましたが、フランシスの話に戻ります。彼女の本業は大学で金融学を教える教授なのだそうです。彼女の大学は、研究のために教員が2年までの有給休暇をとることが出来るため、彼女はその休暇を利用して映画を作りました。近々また1年の休暇をとるので、それで次回作を作る。映画は全て大学教授としての収入から作っていて、映画そのものからはまったく収入を上げていない、と言いました。他の監督たちも、テレビ局から請負の仕事をこなしながら、自分の作品を作り続けているという人や、家族に養ってもらっているという人もいました。

日本でも色んな映画祭に参加させてもらいましたが、ドキュメンタリー映画で長く活躍し、知名度のある監督さんたちでも、経済的には大変だったり、別の仕事をしながら作品を作り続けているという人を多く見て来ました。でもこれは、日本に限らず世界的に同じような状況なのだと感じました。(トルコの映画祭では、沢山の国際的に活躍しているドキュメンタリー製作者たちに会えましたが、ドキュメンタリーだけで商業的に成功し、潤っているという人には、ついぞ出逢いませんでしたgawk!劇映画の製作者の事情には詳しくありませんが、特にドキュメンタリーの世界では、知名度と商業的な成功は必ずしもイコールではない!と感じます・・・)。作品をどうやって作り続けていくか、これは全世界のドキュメンタリー製作者に共通の問題であると考えます。

食後のデザート。熱々のチョコレートケーキにアイスクリームとカスタードをかけていただく高カロリー食。
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レストランでのディナーは23時ごろにお開きになり、皆でホテルに戻りました。帰り道は、ブラジルの女性映画監督・ダニエラと話しました。彼女の作品は、リオデジャネイロの貧困地域で暮らす人々が、コミュニティーを形成し、自分たちの力で生活を変えていく様を描いたドキュメンタリー。最初は90分の作品だったそうですが、彼女の作品を観て興味を持ったプロデューサーが、「短くするなら自分がプロデューサーを引き受ける」と言って、短くすることを決心したそうです。

撮影も編集も自分で行ったという彼女にとって、90分を70分に削るのは至難の業。彼女はこれ以上削るのを自分でやるのは無理、と考え、3人の人にアドバイスを求め、それで削る部分を決めたのだそうです。その3人とは、新たに雇った編集者、アーティストの母親、そして協力を申し出たプロデューサー。特に母親の意見が参考になったと言いました。最終的には、出た意見に自分の考えを混ぜて、決断したとか。

オリジナルと、70分バージョンのどちらが気に入ったかと聞いてみました。彼女は、70分にしてみて、最初は削りたくないと思う部分もあったけれど、ストーリー展開がテンポ良く進んで、よくなったと思うと言いました。でも、泣く泣く削ってしまった箇所は、DVDを販売するときの特典映像として復活させたそうです。

ホテルに到着し、一日を終えました。

さて、翌5日はお昼頃に起きてポールと共にイスタンブール市内を観光しました。路面電車で旧市街に向かい、アヤソフィア博物館を見学。ここは、ギリシャ正教大本山としてあがめられていた教会ですが、後にイスラム寺院に姿を変えたという、歴史に翻弄された建物です。そのため、建物の内部には、ギリシア正教時代に作られたモザイク画、イスラム寺院になってからのミフラープ(メッカの方向を示すもの)が混在しています。

博物館入り口
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内部の様子
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アヤソフィア内部の、ある柱の周りに人だかりが出来ていました。近づいてみると、柱にくぼみがあります。
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これは「マリアの手形」と呼ばれる柱で、柱のくぼみに親指を入れて、あとの4本の指の指先で、柱から離すことなくぐるりと円を描けたら願い事がかなうといわれています。それで沢山の人が列をなし、円を描けるかどうかに挑戦していたのです。

ポールも挑戦!
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うまく円が描けたかどうか聞いてみたところ、「あんなの絶対無理!」だって・・・coldsweats01

博物館の2階の様子
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これが有名なモザイクの壁画。モザイク画はイスラム寺院に変えられた際に漆喰で塗りつぶされてしまいましたが、1931年にアメリカ人の調査隊によって壁の中のモザイク画が発見されたそうです。
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オリジナルは損傷が激しいですが、傷んでいなければこのような絵であったはずと、小さなレプリカも飾ってありました。
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アヤソフィア見学の後は、ご飯を食べることにしました。スルタンアフメット地区のレストラン街を歩いていると、あちこちの店員さんから声をかけられます。話を聞いていると、どこも良さそうですし、怪しそうだったりもします。レストランの2階からブルーモスクとアヤソフィアが一望できるというレストランに入ることに決めました。

きれいな眺めのレストラン
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前菜のホムス(ヒヨコマメのペースト)とパン。日本やイギリスで食べるホムスと違って、塩気は強くなく、他のハーブ類も混じっていなくて、豆そのもの!といった感じのつくりでした。
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メインはオスマンスタイルのプレートというのを頼んでみました。野菜とラム肉のトマト煮込みに、パイとチーズを乗せ、オーブンで焼いた料理。めちゃくちゃ美味しい!!
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食事の後は路面電車に乗り、新市街へ向かいました。

路面電車の中の優先席ステッカー。
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食事の後、新市街に戻ってブラジル人監督ダニエラの作品を観ようと思っていました。映画祭の会場は新市街に集中していると記憶していた私でしたが、いざプログラムを広げてみると、1会場だけが新市街から船に乗っていくアジア側の会場にあることがわかり、ダニエラの作品はそこで上映されるのでした。上映開始まで後ほとんど時間がありません。残念でしたが、彼女の作品を観るのはあきらめ、別の作品を観ることにしました。

イスティクラル通り沿いにある上映会場で、なおかつ今の時間でも間に合うようなものを・・・と思いながら、イスティクラル通りを進みます。

相変わらず大混雑のイスティクラル通り。Dsc06649

スケジュール表は映画の題名しか書かれていないので、どんな映画なのかはさっぱり分かりませんでしたが、イスティクラル通り沿いにあるTarik Zafer Tunaya Kultur Merkeziという会場で、30分遅れでMurder File Hrant Dinkという作品を見ることにしました。薄暗い会場に入って、着席。しばらくして、これはトルコの映画で、英語字幕なしということが発覚coldsweats02。最後まで何が起こっているのかさっぱり分かりませんでしたが、とりあえず観ました。

映画の後は、21時にタクシム広場でアブドラとベヤズと待ち合わせをしました。そうです、トルコの民俗音楽が聴けるディスコに行こうという約束のためです! 夜になって、更に賑わいを増したイスティクラル通りをまた歩いていきます(滞在期間中、一体何往復したのか分かりません!)。イスティクラル通りをしばらく歩き、通りを1本入ったところに、ディスコが入っている建物はありました。

イスティクラル通りにも映画祭のポスターが掲げてありました。
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”ディスコ”と聞いていたので、クラブのようなものを想像していたのですが、店内は明るく、前方の小さなステージにライブバンドの演奏があり、レストランのような配置でテーブルが並び、お酒を飲み、軽いおつまみや食事を取りながら演奏を聴く、というスタイルでした。
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テーブルには小さな紙切れが何枚か置いてあります。それに聴きたい曲を書いてバンドにリクエストをすることが出来るのです。
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座って演奏を聴くものと思っていたら、お気に入りの曲がかかると、次々に席を立ち、後方にあるスペースで輪になって踊りだします!
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ケンカしたから行かないかも、と言っていたイルディスもやってきました! テーブルに座ったままでも、皆踊ってますhappy01
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大体23時を過ぎる辺りから盛り上がるということだったのですが、翌朝早くにポールは空港へ向かわなければならないため、23時半頃にお店を出てホテルに戻りました。

遅くなればなるほど、人が多くなるイスティクラル通り(建物の上から撮った写真)
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イスタンブールのエネルギーに圧倒された一日でした!

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