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ムーブメントは始まったばかり トルコ映画祭⑥(2009/12/8)

8日も、朝起きたら既に11時ごろで、この日もまたホテルの朝食を食べられませんでしたweep。午前中は手紙を書いて過ごし、郵便局へ出しに行きました。

カフェに行って、朝食を取りながら、今日一日の予定を考えます。
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ホテルに戻って支度をし、14時半から映画祭スタッフのアイセがプロデューサーとして参加した80年代の軍事政権の映画、「Prison No 5」を観ることにしました。会場に着くと、座席はもうほとんど残っていないような状態で、超満員です。これまで、この映画祭の他の回がガラガラだったことを思うと、平日の昼間でこの人数は異例です。

会場にはアイセがいました。私は自分の映画の上映が16時からあるので、この映画を最初の30分しか観られないと言うと、彼女は映画のDVDをくれました。(この映画は絶対最後まで観なければ!)と思っていたので、DVDをもらえたのは良かったです。

映画を途中退場し、自分の上映会場へ向かいました。イスティクラル通りを歩いていると、演劇やクラブイベントのポスターが張り巡らされている場所に、生身の人間を広告として貼り付けている人を発見! これだけポスターが乱貼されていたら、これぐらいしないと目立ちませんからね!
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今日の上映会場は「Kumbara Sanat」(SanatはArtの意味)。オズギュンも所属しているアートクラブに椅子を並べ、上映会場の一つとして使われています。

アートクラブの入り口
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会場へ入ると、オズギュンのボーイフレンド、ハディルが映写の準備をしていました。「今日はお客さんが少ないかもしれないよ。この前の回は、お客さんがゼロだったんだ。昨日もそうだった」そう言われました。確かに、イスティクラル通りから何本か入った小さな通りにあるので、なかなか人目に着く場所ではありません・・・。

とりあえず下でお茶を飲んで待っててといわれ、階下のカフェに行きました。
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上映時間が近づき、上の階へ行きました。観客は5人ほど・・・。別会場の「Prison No5」は超満員だったのに比べるとずいぶん寂しいですが、トルコ人は「Prison No5」を観るべきなんだ!とも思ったりしました。

上映の後は少人数だったので、質疑応答ではなく、雑談形式で話をしました。観てくれた人たちは、映画を気に入ってくれたようで良かったです。映画の後半からは、空港へまた別の監督を迎えにいっていたオズギュンもやって来ました。

映画の後、オズギュンとハディルに、彼らが所属しているアートクラブで、初めての大きなイベントがあるから来ないかと誘われました。アートクラブは大学生・社会人の有志が集まって約8ヶ月前にスタートし、それぞれ自分の持っているスキルを活用して、週一でカメラの無料講習会をやったり、映画を観てそれについて批評しあったりという活動をしているそうです。今夜は、大きな会場を借りて、ミニコンサートと演劇をやるということでした。

私もそれに一緒に行くことにしました。タクシム広場からタクシーに乗り会場へ向かいます。そこは「マルクス劇場」という名前の会場で、集った100人以上ものアートクラブの会員たちは、ちょっと古いヨーロッパのインテリ学生のような風貌(痩せていて、コートを羽織り、髪はやや長めでボサボサ、太いフレームのメガネをかけている)だったり、チェ・ゲバラのTシャツを着ていたり・・・と、イスタンブールの街中を歩くNIKEやGAPを格好よく着こなす若者とはだいぶ異なっていました。私には、アートクラブの彼らが敢えてそういう格好をしたがっているようにも見えました。というのも、彼らが着こなせているようには見えず(ゲバラTシャツもまだおろしたて風でしたし、古い格好もどこか小奇麗でしたcoldsweats01)、初々しさが漂っていたからです。

1980年代の軍事政権や民族的背景について、近年やっと語れるようになったというトルコでは、社会運動や社会批判的現代アートのムーブメントは、まだ始まったばかりなのかもしれません。だからこそ、その動きにはとてもフレッシュさを感じますし、参加している人々を見ると、かなり間口が広くオープンな印象を持ちました。(もちろん、80年代の軍事政権以前からの活動家もいますが、それとは別の新しい世代によるムーブメント、ということです)。これからの彼らの活動に期待します!

「マルクス劇場」の入り口
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開始は30分ほど遅れていました。ロビーで待つ人々。
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オズギュンとハディル。この二人には超お世話になりました!!
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開場し、主催者の挨拶がありました。彼も映画祭のボランティア・スタッフです。
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トルコの民族楽器も交えたコンサート。とても良かったです!
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その後は休憩を挟んで演劇が始まる予定でしたが、トルコ語が分からない私はここまでにして、クルド人のアブドラと夕食の約束をしていました。オズギュンとハディルにタクシーを捕まえてもらって、タクシム広場へ向かいます。オズギュンたちとは今日が最後・・・。そう思うと、とても寂しくなりました。「監督のアテンド係」という枠を超えて、「友人」として接してくれた彼らに感謝!!

タクシム広場でアブドラと待ち合わせをしました。イルディスのお姉さん、ベヤズも誘ったのですが彼女は用事があって来れませんでした。ご飯を食べながら、アブドラはクルドについて話し始めました。

「クルド人」とはそもそも、トルコ・イラク北部・イラン北西部など、中東の各国に広くまたがって分布し、独自の国家を持たない世界最大の民族。アブドラはクルド人が多く住む、トルコの東側の地域で生まれ、電気もガスもない生活をしていたそうです。13歳のときに家族でイスタンブールに移り住み、トルコ人が通う学校へ行き、トルコ語を勉強するようになりました。今では母語であるクルド語よりも、トルコ語のほうが自分の言葉になっているとのこと。

1年ほど前にアメリカに渡り、グリーンカードを取得。(←と本人は言っていましたが、グリーンカードはこんなにすんなり取れるのでしょうか? 抽選で当たる、というタイプのものでしょうか?? 私の友人でアメリカに住みつつグリーンカードの取得を目指している人たちは、かなり苦戦しているようですが・・・)。

今では、自分は一生アメリカに住むことになるだろうと思っているそうです。トルコに来ることがあっても、それは一時的な滞在でしかない、と。

イスタンブールで、トルコ人にもクルド人にも会いましたが、私にはその外見的な違いは分かりませんでした。アブドラは、「トルコ人とクルド人の外見の違いははっきりしていて、すぐに区別がつく。自分はここのレストランにいる人の中で、誰がトルコ人で、誰がクルド人かを正確に言い当てることが出来る」と言っていました。クルド人はトルコ人に比べて、瞳や髪の色がやや薄いのだとか・・・。でも、そう言われてもやっぱり私には区別がつきません。”トルコ人”と言ったところで、祖先はロシアやブルガリア、キルギスタンなどという人も多いのですから。

「戦争や政治・経済情勢で人は移動し、離れ離れになる。国なんてなくして、人がもっと自由に移動できれば良いのに」と、アブドラは言いました。民族が多様で、「民族」と「国」が著しく一致しない国で、さらに「クルド人」という独自の”国”を持たない民族として生まれたアブドラ。そんな彼が生涯の地として選んだのはアメリカ。彼にとって”国”とはどういう意味を持つのでしょうか・・・。

そんなことを考えた、トルコ最後の夜でした。

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