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技術論に行きがち

ここ数日見ている撮影素材は、団地を取り壊すとされている理由(=耐震不足)と、それに対する住民たち、建築家、弁護士、活動家などの反論です。

取り壊すという理由が、如何に多方面から見てナンセンスであるか、誤りであるかを指摘することこそが、取り壊しをやめさせるための対抗手段となります。

私も耐震基準なんて、今まで全くの無知でしたが、この問題をきっかけに、耐震基準の法律やその運用などについてずいぶん勉強をしました。そして、借地借家法や定期借家、立ち退きの場合に大家に要求される正当事由なども、資料を読んだり、インタビューで答えてもらったりして、だいぶよくわかるようになりました。

住民たちの毎週のミーティングでも、これらのことは話題にならないときはないといって良い位です。裁判になるときも「これは技術論争になるだろう」という弁護士や専門家もいます。TBSの番組でも、耐震不足、欠陥住宅の疑いなど、技術面をかなり取り上げていました。

ただ、私が映画の構成を考えたときに、これらの”技術論争”をとことん映画で追求することが、果たして必要なのだろうか?・・・と疑問に思うのです。

確かに、法廷やあらゆる場面で問題になってくるのは、機構が主張する耐震不足になります。でも、この問題の背景にあること(政治の流れにより、全国的に団地が削減方向であることや、高齢化が進み、あらゆる団地の老朽化が進んでいるという現実的な問題)と、それを決める立場にある人たち(政治家や役人、機構)の考えがどうなのか、建築の専門家たちはプロとしてどうかかわっているのか、活動家たちはどのような思惑でかかわっているのか、そして一番肝心な当事者たち(住民)はどんな思いで暮らしているのか・・・そういったことに光を当てる方が、この問題の核心なのではないか・・・? その推測が正しいかは分かりませんが、そんな風に思うのです。

毎回技術論ばかり聞いて、自分でもあれこれ知ってくると、ついつい映画に入れたくなってしまうものですが、そこはぐっとこらえて、私は人の心をメインにしたいなぁと思っています。

なので、例えば建築家の先生にインタビューをしたときは、大抵専門家のインタビューがドキュメンタリーや報道番組で登場するときは、技術的なことだけを述べる役割を与えられるのが普通ですが、私は技術論だけを聞くのではなく、「これまでにも団地は建替え問題も含めてさまざまな問題が起こってきました。立場の弱い住民の方たちがそんなときに頼りにするのは、建築の専門家たちだと思います。これまで、こういう問題が起こってきたときに、専門家たちはどのようにこれらの問題にかかわってきましたか?」というような、建築家の精神面(?)も聞きました。また、建築業界で仕事をしていく上で、機構は”上得意”であるわけなのですが、機構に対して声を上げるということに、仕事上の心配はないのか?など。(←実際、機構からの仕事を受注したいために、声を上げない建築家も多いとも聞いていたので)

こういった専門家に、技術以外のことを聞く理由というのは、すばらしい知識と知能を持っていても、学者・プロとしての”良心”がなければ、原子力爆弾を作るというようなとんでもない方向に行ってしまう・・・という危惧があるからです。団地問題だって、”学会で発表するために・・・”なんて、セコい考えで取り組んでいる学者系の建築家だっているはずです。この団地問題にかかわる建築家の技術論ではなく精神論をあえて聞かせてほしいと思って、あれこれと聞きました。

もちろん裁判などではとことん技術面を掘り下げて、そこで争っていくべきだと思いますが、映画という観点からすると、機構側も、それを指摘する技術論も、どちらも全体の大きな問題からすれば、機構側は苦し紛れの弁明であるし、それを指摘する技術論はあげ足とり、ということになると思うのです。(←っていうと、身もふたもないのですが・・・)。結局はそこで暮らしている人が穏やかな生活を送れること、それが一番大事で、それこそが映画を通して訴えたいメッセージなので、どうやってそのメッセージを伝えるかということに自分は力を注ぐべきだと。

だから、例えば建築家が(これを言ったら相手に大打撃)と思っているような事実をあれこれ羅列したり、活動家が意気盛んに結束を呼びかけたりする場面を取り上げるよりも、淡々と暮らす住民の生活風景を入れるほうがよっぽど説得力がある・・・と思います。

でも、インタビューでは意図的に同じ質問を違う立場の人たちに投げかけてきて、案の定正反対の面白い意見などが飛び出してきたので、それらをモンタージュ風につなげたいなというのが、今回の撮影時から思い描いていた構図でした。なので、技術面を担当する専門家たちも登場させつつ、住民の意見とうまく(良くも悪くも)呼応・敵対するような形で全体がつながってほしいです。

あれこれ書きましたが、社会問題を取り扱うドキュメンタリーとして、事実関係や基礎となるべき技術的な知識は、作り手はすべて認識しておくべきで、理解している上であえて使わないとするべきだと思うので、今後も技術論争はきちんと把握していかなければ、と思います。

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