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[jp] 自己責任と自己完結

震災後、初めて仙台に行ったということは、昨日のブログで書いたとおりです。2008年の洞爺湖サミット開催時に、市民による報道をめざす「G8メディアネットワーク」にはるばるイギリスから参加した私は、このときに日本の社会運動に関わる自主映像制作者たちと沢山出会えました。その後も時々色んなところでつながりがあり、今回、せんだいメディアテークの震災の記録を残す取り組みに私も声をかけてもらい、参加しました。

「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の取り組みについてはこちらです。

個人で被災地に行きたいと思っても、交通手段、宿泊先など、さまざまなハードルがあります。なので、このような呼びかけで参加できるのは、とてもありがたいと思いました。新宿から仙台へ高速バスで行き、メディアテークのチナツさんと甲斐さんに受け入れてもらい、現地で取材をすることになりました。

普段、ブログ上に写真を載せていますが、今回は写真をSkyDrive上のフォト・アルバムに載せました。このブログには、写真に添えたコメント以外のことで、気になったことを書きたいと思います。

仙台の写真はこちら

今回、私が仙台に取材に行くということに関して、周りの人の中では「被災地に興味本位で入ったら迷惑なんじゃないの?」とか、「完全自己完結で行かないと、相手に迷惑をかけるだけ」とか、「道路が渋滞するから、かえって地元の迷惑」、「GW中はボランティア受け入れをやめている」等々、行くことに対して否定的な意見も多くありました。

現地は大変な状況なのだから、それでも行くなら、完全自己完結で! という意見に対し、私も基本そのとおりだと思いますが、でも違和感を感じていたのも事実です。それは現地に行って、実際の被災者やボランティアの人たちと話して、より強く思うようになりました。

現在、テレビや新聞での被災地の報道は、日を追って縮小していくばかりです。GWを境に、現地入りするボランティアはぐっと減るでしょう。しかし、写真を見てもらえば分かるように、かろうじて道路の瓦礫を撤去して車を通れるようにしてあるのみで、瓦礫はそこらじゅうに散乱しているし、津波によって家屋に侵入した泥は日ごとに固くなってきており、これからかき出し作業はもっと大変な状態になります。

1軒の家の泥かき作業をするのに、3~4人で数日かけて行います。家主の要望を聞きながら、共同で作業を進めます。被害は広大な地域に及んでいますが、一日に処理できる家の数は限られていて、気の遠くなるほどの地道な作業です。

私たちが取材をさせてもらった「ピースボート」は、世界1週の船旅で有名ですが、もともと、大人数での宿泊、共同作業、外国人の受け入れのノウハウを長年蓄積しているため、優れたオーガナイズ力でかなりのボランティア(国内外含む)を受け入れ、泥かき作業を行っていました。それでも、「ボランティアの数はまったく足りない」というのが、ピースボートの現場担当者の声でした。

まったく足りていないボランティアの数。しかし一方では、ボランティアはもう受け付けないという発表・・・。どうしてこのような事態になるのでしょうか?

ボランティアの受付センターとなっている、石巻専修大学に行きました。ここでは、社会福祉協議会と石巻市役所が全国のボランティアの対応をしています。しかし、担当者が1週間ごとに変わり、引継ぎにも漏れが多く、パンク状態となっているそうです。

すでにここで1ヶ月以上ボランティアとして滞在している人は、「自分たちはボランティアの心得や仕組みについてもうすでに知っているのだから、自分たちに仕事を振ってくれてもよいのに」と言っていました。しかし、「何か問題があっては・・・」という”責任問題”を懸念してか、状況を良く知るボランティアには任せず、数時間もボランティア希望者を列に並ばせて待たせながら、登録や説明を行っているそうです。

ボランティアの作業時間は9時から4時までと決まっているので、その時間に合わせてみんなが移動するため、道路は大渋滞となります。私は仙台に行く前に「ボランティアが大挙して押し寄せて大渋滞になる」と聞いていましたので、渋滞を覚悟していたのですが、ボランティアの集合&解散時間をはずして移動していたので、全く渋滞にははまりませんでした。というより、道にほとんど車が走っていません。ちょっとした工夫や、ボランティアの受付時間を2段階にする(9時からと11時から、とか)ことで、全く解消できるレベルだとも思いました。9時に自力で来れる、自己完結の人だけ来て良しっていうのは、あまりにもお役所主義じゃないでしょうか? ボランティアを仕切れないから、実際はボランティアが全然足りていないのに、受付を停止するというのも、現場の声を無視しています。

また、雨になると作業は中止だそうですが、渋滞で3時間かけて現場に来て、「雨なので帰ってください」といわれるそうです。これも、雨なんていつでも降るのだから、それに備えて雨でも出来る作業を用意するとか(現場にはさまざまな仕事が山ほどあります)、市の担当者はそれさえ用意する時間がないのだといいたいのでしょうけれど、ボランティアの人たちの労力を無駄にしていると思います。ボランティアだから、無償だし、善意でやっている人たち、ぐらいにしか思っていないのかもしれませんが、これではちょっとひどすぎる、と思いました。彼らがやっている作業を、業者に頼んだらものすごい金額になるでしょうに!

そして、「自己完結」が前提なので、食料やテント、装備は全て自前で準備することが求められます。それはそのようにすべきだと思いますが、初めてのボランティア作業では、うっかり忘れるモノだってあるでしょう。だって、普段出かけるのとは、全く違う持ち物をそろえるわけですから。普段キャンプや山登りをしている人なら、(これがあると便利)という知恵を持っていても、普通の都市生活をしている人には、そんなことを思いつく発想さえありません。

「受付では自分でそろえてこない人はダメって言われてしまうけど、ボランティア同士で分け合ったり、支えあったりすれば良いんだよ。自分たちはそうして受け入れている」と、ここで1ヶ月近くボランティアをやっている男性が言っていました。水を持ってくるのを忘れたとしても、例えば食事作りを手伝って、水を分けてもらったり、寝袋がないのでバンで寝かせてもらったり・・・。そうすることで、人とのつながりが生まれることも多いはずです。

最初から全てをおんぶに抱っこで行くのは問題ありだと思いますが、多少何かを持っていなくても、誰かとコミュニケーションをとったり、何かをお手伝いしながら共有させてもらいながら、現地でボランティア作業をする人は迷惑なんでしょうか? 私は吹き荒れる「自己責任・自己完結」の嵐が、ボランティアとして現地に行きたいというささやかな気持ちを奪っているように思えます。自己完結は方向性としては正しいのですが、それを「自分の仕事を増やしたくない」という行政の思惑に巧妙に利用されているような気がするのです! 現地に行くハードルを高く設定することで、行こうと思う人たちの気をなえさせる、という。

なので、私は「自己責任・自己完結」を基本的な心構えとしつつも、行政やマスメディアは本当に国民目線に立った情報を流しているわけではないのだから(これは今回の大震災でもよく証明されました)、現地に行って自分の目で確かめ、自分に出来ることをしたい!という気持ちのある人たちを大いに応援したいと思います。

また、5月1日のメーデーの日には、仙台市内で初という、反原発・脱原発デモの取材もしました。このデモをブログで知り、福島からデモに参加したという人と話すことが出来ました。その方のお話では、福島では”反原発”を言い出しにくい雰囲気なのだそうです。原発がこんなに大変になっている時期に、反原発とは何事か、まず収束が先だろう! 反原発などという人は非国民、ぐらいの勢いなのだとか。

もちろん収束が第一ですが、でも、それと平行して原発以外の道を模索していく声を上げるのが、なぜいけないことなのでしょうか?? ここまで被害を受けた福島の人たちこそ、収束を願いつつ、原発について「もう沢山!」と声を上げて当然なのではないでしょうか??

ここにも、「ボランティア受け入れ停止」同様に、論理のすり替えがあるような気がしてなりません。原発産業をやめさせたくない人たちが「こんな国難の時期で、いのちの危険をかけて作業している人たちがいるのだから、反原発デモをやるなら、原発の作業にでも行け」というような論調です。

普通に考えれば、何か問題が起こったときに、それを停める作業と、これ以上将来に起こらないようにする予防の作業は平行してやるはずです。両立は全然普通にやっているはずです。なのになぜ、原発に関しては別扱いなのでしょう???

福島の方たちが「福島では声を上げにくい」といっていたのを聞き、東京も含めた各地から声を上げていくべきなのだなと強く思いました。

今回、仙台に行って特に感じたことは以上です。「自己責任・自己完結」に必要以上に気持ちをなえさせずに、想像力を働かせて必要な装備と情報を収集すればOKという心構えでいてほしいと思います。「自己責任・自己完結」の嵐で「知る権利」や「何か現地のためにしたい」という気持ちまで奪われてしまわないように。。。

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