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[jp] 大きな流れでみれば

7月2日、朝起きて朝食をいただきました。斉藤さんご夫妻は、イギリスに行ったときにB&Bのおもてなしスタイルに感動して、それで日本でもそういうもてなしをやりたいと思ったそうで、まさにイギリスのB&Bスタイルの朝食でした(でも、イギリスではホテルによってずいぶんあたりはずれがありますcoldsweats01)。

盛りだくさんの朝食!
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朝食の後は、支度をして、西南大学へ向かいました。この日は1時から田村先生のゼミで話をする予定になっていました。以前このブログでも書きましたが、”映画監督”として仕事の話よりも、自分が現在までにどんなことを考えて生きてきたのかを話そうと思っていたので、それで内容を考えて大学に向かいました。

西南大学の入り口
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校舎
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西南大学は、規模といい、雰囲気といい、私が卒業した成蹊大学とちょっと似ているかも?と思いました。(ただし、成蹊はミッション系ではないですが)。なんか、ガツガツしていないというようなところが。

講義は大体1~2時間ぐらいで、あとは質疑応答かなと思っていましたが、田村先生からのお話も交える形で、結局終わったときの時間は4時ごろでした。3時間もお話していたことになります!

大学生の頃、アルバイト、就職活動、仕事、沖縄移住、イギリス留学、ブライアンたちとの出会い、ドキュメンタリー制作、日本帰国、上映・・・と、ほぼ時系列に沿って話しました。話してみて、大学生の頃から”路上”というのは、私の中で大きなキーワードになっていると思いました。

また、自分では特に反抗心が強いわけでも、勢いがいいほうだとも思いませんが、田村先生曰く、”はじける要素が十分にあった”そうで、私の高校、大学、最初の職場・・・と、超・保守的な環境にずっと身を置いてきたことが、今の私の行動を説明できるようなことを言っていました。でも、私は超・保守的な環境にいるという自覚もそんなになかったし、そこで抑圧されていたという自覚もなかったのですが。。。でも、そのまた一方で、例えば私がある程度自由な校風や独立心の高い学校に進んでいたら、下手に中途半端に”ガス抜き”されてしまっていたかもしれません。

私は自分の就職活動について話すときに、私のときも”超氷河期時代”といわれる時期だったので、それは今の学生の皆さんと共有できる部分があると思っていました。しかし、田村先生曰く、私のときは氷河期だけど、まだバブルの残像のようなものが残っていたわけで、今の大学生たち(=生まれてから一度も景気のいい思いをしたことがない)とは全く違うのだそうです。そういえば、私の時代は就職は厳しいとはいえ、やはりまだノー天気にとらえる人も多かったような気がします。

私がビデオを撮り始める大きなきっかけとなったのが、市民メディアサイトの「Oh My News」であることは、これまでの上映会でも時々話してきました。この日も、そのときの話をしました。韓国では韓国ならではのメディア事情から発展したものの、日本では根付きにくい”市民メディア”という概念。私はOh My Newsやその他のメディア運動にこれまでちょこちょこと関わってきたものの、基本的にはどこにも無所属で、独りで映画製作をしているので、世の中の映像制作の流れとか、時流と関係があるように思わなかったのですが、鳥瞰的にメディアの流れを見ている田村先生から見れば、私も市民メディア、メディア・アクティビズムやビデオジャーナリストが生まれ始めてきた流れの一環として現れたと位置づけられるようです。

確かに、自分で独自に始めたことだと思っても、そこには時代的な背景(ビデオカメラが小型化し、安価になった&パソコンでのノンリニア編集が可能になった&YouTubeなどのインターネットメディアが一般的になった)が、自分もビデオを始めたということに大きな影響を与えていると思います。きっと10年前だったら、やっていなかったかもしれません。

他にも、話題は多岐に及びました。「ブライアン~」は私が外国人という”よそ者”だから作れたのではないか?とか、マスメディアの”中立”をどう考えるか、日本の運動のシンボル的存在の人には”聖人”っぽさが求められるけれど、海外ではいい加減な人も多いということ、果ては男女差別やヤクザの情婦まで、あっという間の3時間でした。

ほとんど私と田村先生の話だったので、学生さんたちの話を聞く機会が少なかったのは残念でしたが、でも、講義自体はとても楽しかったです。

講義のあとで、田村先生とゼミの生徒さんたちと
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西南大学のあとは、軽く夕食を食べて(←食べれるときに食べておかないと、食べ損ねてしまうので)、上映会場である中央市民センターへ向かいました。
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斉藤さんは、住宅問題の専門家からなる「日本住宅会議」という団体の、福岡支部のリーダーをしていて、今回の「さようならUR」上映会を主催してもらいました。福岡で住宅問題に携わる人たちや、マンション問題、地域の再開発問題に取り組んでいる人たちが観に来てくれました。

斉藤さんからの挨拶
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映画の上映のあとは、10分ぐらい私からの挨拶と質疑応答がありました。福岡では、六本松という地区にある九州大学の跡地の再開発が問題となっていて、市民運動では「文化施設を移設すべき!」と運動をしていますが、担当しているURは賃貸マンション+商業施設を作ろうと計画しているようです。その運動に関わる方も、映画を観にいらしてくれました。

六本松九大跡地を考える連絡会のブログ

上映のあとは、東日本大震災の現地報告がありました。東京から坂庭さんも、報告に参加しました。
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イベント終了後は、かつてURで働いていたという人たちを紹介され、飲み会に行きました。お酒の席では、私の映画の話にもなりました。URの民営化反対運動をしている人からも時々言われることですが「私の映画は危険性をはらんでいる」と言われました。URの批判は分かる、でも、そればかり強調したら「じゃあURは民営化してしまえ!」と言われてしまう、URの批判ばかり強めてはダメだというものです。

この日の上映会のあとの質疑応答では(というか毎度の上映会でも)、会場からはURに対する批判が飛び交います。それはある意味当たり前・当然のことです。でも、URに定年近くまで勤めてきた人(URは定年直前に肩たたきでファミリー企業に行くケースが多い)にとっては、例えば労働組合で会社を勢いよく批判してきた人でも、びっくりするぐらい”愛社精神”があるのです。批判も、よくよく聞いてみると、国民がする批判とは趣が異なり、会社を愛するが故の批判となっていて、一般人の感覚とは相当ずれています。例えば、(もちろんURに勤めている人たちの総意ではまったくありませんが)「天下り役員は可哀想。今まで国で悪いことやってきて、それを黙らせるために天下りさせて、口封じをさせられているという一面もある。本人が望んでやるというだけのものではない」なんて発言を聞いたときは、驚いてしばらく開いた口がふさがりませんでした。

私を飲み会に誘ってくれた人は、もしかして「彼女はURの批判ばかりしているけれど、個人的に普通の職員たちの人柄を知ってくれれば、ちょっとは軟化してくれるかな」風に思って誘ってくれたのかもしれませんが、私もURの実態を知る上で実際に働いていた人たちと会うのもいいことかななんて思ったりもしましたが、「国民の住宅を守る」というより、「自分たちの組織を守る(というか、悪いものだとは信じたくない)」みたいな意識のほうが強いとひしひしと感じるので、情報収集のためとはいえ、今後は接触を控えたほうが良さそうだなと思いました。っていうか、もちろん人柄的には良い人たちばかりでしたが(←それは本人たちの名誉のために断っておきます)、自分が長年仕えた組織を客観的に見ることの”限界”を感じました。

私がもっと大人の対応を取れるのなら、こういう飲み会に出かけていって、楽しく会食し、なおかつ情報収集が出来てよいと思うのですが、黙って話を聴いていることが出来ず「それは全然違う! 見方が甘い!」と大論争になってしまうので(この日もそうでしたbearing)、今はまだそこまで見越した上で振舞える技量が自分にはないと思います。将来的にはそうなれるようにしたいです。

12時ごろ帰宅しました。

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