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2011年10月

[jp] ワイズマンの映画制作プロセス

ここ2日間ほどは色んな用事のためにほぼ終日出っぱなしで、睡眠時間も2~3時間という状態が続いていました。すっかり疲れて、今日はゆっくり寝れると思ったら、起きたのが午後1時! なんと13時間も熟睡してしまいました。

普段起きるのが基本的に遅い私でも、さすがに午後1時はショックでした。もう1日の半分が終わってしまったではないか・・・。

この数日間の出来事で色々書きたいことはあるのですが、特筆すべきものをひとつだけ。

昨日から始まった、渋谷・ユーロスペースでのフレデリック・ワイズマンのレトロスペクティブ「ワイズマンのすべて」で、私は夜7時からの「チチカット・フォーリーズ」を観ました。この映画は1967年に制作された作品で、アメリカ・マサチューセッツ州にある精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を描いたドキュメンタリー。収容者が看守やソーシャルワーカーたちによって、どのように取り扱われているかが様々な側面から記録され、合衆国裁判所で一般上映が禁止された唯一の作品であり、長年にわたる裁判の末に91年に上映が許可された、というもの(「ワイズマンの全て」リーフレットより要約・引用)

ナレーションなし、説明なしで展開する映画で、収容所の日常が収容者、看守たちそれぞれの立場で淡々と記録されているのですが、何しろそこで語られる内容と収容者の扱われ方がすごい。多分、カメラ自体に人々が神経質ではなかった&犯罪者の人権という意識がまだ浸透していなかったという当時の時代背景はあるにせよ、こういった場所に撮影者が入り、隅々まで記録するというのは驚きだし、この作品(これが初監督作品)を発表後も、物議をかもしそうな場所を次々に描き(少年裁判所、軍隊の練習所、病院、食肉処理場、多重障がい者のための学校、公共住宅、DV被害者のためのシェルター、議会など)、80歳を超えてなお現在も作品を作り続けているというのですから、本当にびっくりです。

特集上映は11月25日までで「チチカット・フォーリーズ」を含むいくつかの作品は複数回上映されるようですので、機会があればぜひお勧めですが、昨夜は上映の後に監督の質疑応答があり、それもとても良かったのです! 特に、私も自分自身がドキュメンタリーを作っているものとして、監督の話はとても参考になったし、励まされるような思いもありました。

質疑応答で語られたものの中では、どうやって作品のテーマを決めるのか?という質問がありました。監督は、「撮影対象を選ぶのはギャンブル。当たりはずれがある。でも、この現場を撮ると決めたら、数ヶ月から1年をかけてとことんそこにあるものの、あらゆる側面を撮影する。それから半年から8ヶ月の編集の段階で、自分が撮影した素材をじっくりと観て、試行錯誤して構成をつくり、最後にテーマが決まる」と。

普通、TVやドキュメンタリー映画の多くは最初にテーマや大まかな構成を決めてから撮影に挑むもののほうが多いと思うのですが、監督がそうしない理由として「撮影対象に対して、私は固定観念を持ちたくない、なるべく自分の目を開いた状態にしておきたい。撮影する前に、事前の取材はしない。取材時に起こったこと、知りえたことが、撮影の段階でまた再び起こってくれる可能性はないのだから。自分の制作スタイルはフィクションとは真逆で、脚本はない。現場に入り、先入観を捨てて、ひたすら現場で撮影をする、撮影をしながら学んでいく、その物事について知っていくということである。映画を作ると言うことは、その物事についての理解を深めて行くということである。テーマを決めないで、徹底的に観察するほうが、よりその物事が持つ複雑さとあいまいさを表現できるのだと思う。なので、自分にとって出来上がる作品と言うものは、自分が1年近くかけて調べた対象の結果報告ということになる。」と言っていました。

「撮影をしながら、その物事に対して学んでいく」というのは、私自身、自分が何かの問題やテーマに対して興味を持ち映画を撮り始める時点では、結局その物事に対する興味はあっても、知識はほとんどない、はっきり言って何も分かっちゃいない素人同然の状況である、撮影しながらその本質を知っていくのだということは、以前このブログでも書きました。なので、ワイズマン監督がこのように述べているのを聞いて、私もうれしくなりました。

というのも、1週間ほど前に、私のウェブサイトのメール宛に香港のとある映画祭からドキュメンタリーの企画・構成コンペのお誘いのメールがあり、私はそのメールを読んだときに違和感を感じて、そのことを他の人たちとちょうど話題にしていたからなのです。そのコンペは(世界中でこのような企画は頻繁に開催されていますが)、ドキュメンタリー映画の企画を競い、面白そうな企画に対して制作のための賞金が与えられるというものです。それは、自主制作のドキュメンタリー監督にとっては大きな助けとなりますので、ありがたい話です。

でも一方で、フィクション映画ならともかくドキュメンタリー映画で、撮影もする前から映画の構成やそこから浮かび上がるテーマなどを詳細に、かつ魅力的に企画書にすることなど、可能なのでしょうか? そこでどんな出会いがあるか、最初に持った興味から様々な経験を経て最終的に自分はそこに何を発見するのか・・・それは映画制作の終盤に入らない限り自分にも分かりません。なので、事前に企画書を書くというのは、実際の業界ではそうしない限り企画のゴーサインがでないので必須なのでしょうが、私の制作にもそれが当てはまるかと言うと、それは違うのではないか?と思ったからです。

制作の開始時点で書ける事と言ったら、撮影対象についての説明に終始してしまうと思います。どんな場所で、どんな人がいて、そこでは何が行われているのか、といったようなこと。その場所や人が特異なものの場合は、それを書くだけで他人の興味を引くことが出来るかもしれませんが、奇抜なものでないけれど撮りたいと思うような内容である場合は、企画書でアピールするのは難しいでしょう。

つい最近そんなことを話していたばかりなので、ワイズマン監督の発言には私も納得しました。

また、病院や刑務所など、当事者を傷つける恐れのあるデリケートなテーマや、軍や議会など秘密を守りたいような場所を撮影し、公表すると言うことは、彼らのプライバシーや名誉を傷つけることになるのではないか?という質問がありました。

それに対して監督は、「民間人の撮影に対しては、事前に口頭で撮影の趣旨を説明しOKをもらってから撮影している。でも大抵の場合は断られないし、撮影の後で苦情が来たと言うことは、今までに一切ない。公的な機関に対しては、撮影の許可は取らない。それは合衆国憲法によって表現の自由が保障されているし、税金が使われている公的な機関に対しては、彼らの職務について透明性を確保することが大切だと考えるので、撮影には許可はいらないと考えている。民間の施設(食肉加工場や百貨店など)については、口頭で撮影の許可をもらい、その音声を録音している。合衆国憲法では、書面ではなく口頭による許可も効力があるとされているから。なぜ書面にしないかというと、仰々しい書面を用意して、それにサインしてもらうということで、撮影対象となる人々は(これは何か大変なことをしているのではないか?)という気持ちになってしまうので、それで書面ではなく、口頭にしている」と言っていました。

カメラの暴力性というのは、よく話題になるテーマですが(山形の映画祭の上映後に映画を観ていただいた方から個人的に質問も受け、それに対して回答しましたが)、私自身もそれが「対:個人」であるのか、それとも「対:公共(公的機関及び公共の利益)」であるのか、に分けて考えています。対個人である場合は、センシティブな内容、それを公表することでその人の生命に危害が及ぶような場合は、撮影や公表について慎重に判断します。しかし、撮影対象が国家的なもの、それに携わる人々、公の立場にある人、公共の利益に対する寄与が大きいと考えられる場合は、「撮影許可の有無」は問題にはならないと考えています。

ワイズマン監督の考え方に私も大枠で賛成ですが(特に対:公共&国家については全く同感)、対個人でそれが非常にセンシティブな問題を取り扱うものである場合でも、事前の撮影の許可がもらえればそれは公表しても良いことだという考えについては、私自身が実際同じ状況となったとき、自分がどういう判断を下すのかは分かりません。センシティブな問題の場合、撮影前よりも、後になってから「やはり公開しないで欲しい」と言ってくる人が多いのではないか?と考えます。事前に許可を得て、後から「やはり・・・」となった場合、基本的には公表する立場ではありますが、よく話し合いをすると思います(話し合いによって、公表することに対し理解をしてもらえるように)。

書類ではなく口頭で、というのも、撮影をやっている人だったら大抵経験することです。私の場合は、事前に改まったインタビューをする人の場合は、その人がメールをやっている人だったら電話ではなくメールでインタビューの申込をするようにして、なるべく撮影の合意が書面で残るような形にします。でも、例えば突然撮影させてもらう場合(イベント会場など)は、インタビューをその人に申し込む時点から(話しかける時点から)、実は録画していて(カメラはしっかりと構えていないので、カメラはその人を捉えていませんが、音声は入っている)、その人が「いいですよ」という承諾の部分を記録として残しています。大抵の人は撮影にOKしてくれます。

でも、せんだいメディアテークの震災記録として仙台や石巻で撮影をした時は、この撮影の承諾でとても苦労しました。なぜなら、メディアテークは公共機関で、震災のアーカイブとして保管し、様々な媒体で活用したいために、きちんとした書面で撮影許諾をしてもらわないといけないのです。普通のちょっとした撮影なら「震災について記録しているので、ちょっとお話聞かせてもらえませんか? 撮影してもいいですか?」で、普通は「あ、いいよ」となるのですが、「仙台市の震災記記録事業で・・・」、「この説明書を読んで、同意してくださるなら、こちらに住所とお名前を・・・」みたいな文書を差し出すと、「やめとくわ」となってしまうのです。

私個人のプロジェクトではないので、せんだいメディアテークが用意した署名に記入してもらわないといけないのですが、この書面提示&署名のプロセスが、撮影のハードルをものすごく高くさせていると実感したのでした。ハードルをあげてしまうだけでなく、その書面に記入したあとでは、被撮影者との距離もすごく広がってしまい、自然な状態を撮るのが難しくなってしまいます。

この点に関しては、私は自分の自主制作の時のように被写体となる人に近づき、口頭で許可を取って撮影をさせてもらい、撮影が全て終了した後で書面を出し、記入してもらうという方法をとるようにしました。そうすることで、自然な状態を撮影させてもらい、後から必要な書類も入手できるのです。

そんなわけで、約30分のワイズマン監督質疑応答は、私にとってとても興味深いものでした!

ところで、高幡台団地の住民の会の方から、山形での受賞について住民の会のニュースに載せたいと言われました。その際、審査員の受賞のコメントが欲しいとも言われました。受賞のコメント。。。私は表彰式を撮影していたので(自分の名前が呼ばれた後は、隣に座っていた「女として生きる」の江畠香希監督に撮影をお願いしました)、今日はそのテープを見てみました。審査員のホセチョさんが選考理由について述べているのですが、スペイン語のアクセント&会場の拍手によって、よく聞き取れませんでした。ポールにも聞いて書き取ってもらおうと思い、テープをキャプチャし、YouTubeに載せました。

ブログにも書きましたが、私は表彰式で「ありがとうございました」としか言えなかった自分が情けなくて、表彰式のテープを見るのはあまり気が進まないし、最初はYouTubeで限定公開にしてポールに送ろうと思ったのですが、やはりこれまでの映画作り&上映活動を支えてきてくださった方たちのためには、表彰式の様子をお知らせしなくてはと思い、一般公開にしました。受賞の瞬間の様子は、こちらよりご覧いただけます。

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[jp] 小西修さん写真展、受賞のお祝い品など

一昨日はベトナムのメディアセンターを立ち上げたティーさんとともに、Our Planet TVを訪ねました。白石さんより、どういう経緯で立ち上げたのかとか、運営、方針、ワークショップの内容などを聞いて、ティーさんはとても参考になったと喜んでいました。私も、改めて聞いたことはなかった話ばかりで、面白いと思いながら聞いていました。

ちょっと遅いランチを食べて別れ、後楽園の文京シビックセンターで今日まで開催されていた、写真家の小西修さんの写真展に行ってきました。勝手に(明日まで)と思っていたのですが、今日で終わってしまって残念。もっと早くにブログを更新すべきでした。あ、でも次回の写真展が12月25日~30日まで、ギャラリー八重洲(中央区八重洲2-1)で開催されるそうなので、ご興味のある方はぜひ! ・・・っていうか、年の瀬のイベントの案内をもういただいてしまうなんて、今年ももう終わりに近づいているのだなぁという事をつくづく感じます。

小西さん@写真展にて
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写真展の後は、六本木ヒルズに、東京国際映画祭のカトリーヌ・カドゥさんの「黒澤、その道」を観にいこうと思って向かったのですが、なんと10分前にチケットが売り切れてしまったとのこと・・・! 立ち見も販売しないといわれ、仕方なく森美術館の「メタボリズムの未来都市展(戦後日本 今甦る復興の夢とビジョン」を観にいきました。建築や住宅にも関係するものだし、やや期待して入ったのですが、私が期待していたのとはちょっと違い残念。

やっぱり映画を観たかった。
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翌日、イギリスのポールから受賞のお祝いということで、チョコレートとカードが届きました! ”王室御用達”のチョコレートの老舗「Charbonnel et Walker」(1875年創業)のものです! ”王室御用達”のものにはマークがついているのですが、日本で人気のある”モンドセレクション受賞”なみに、あらゆる製品が指定されていて、中には(これがなぜ?)と思うものも少なくないのですが、ここのチョコレートは本当においしい! ロンドンに行ったらぜひ!(日本でも買えるのかしら??)
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お祝いのカード
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中のチョコレートはこんな感じ
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そして今日は更に、先日映画祭のレポートで紹介した、映画祭の最終日に香味庵で知り合った「正酒屋 六根浄」店主の熊谷太郎さんより、受賞のお祝いとであった記念にということで、日本酒をいただいてしまったのです・・・!!! 実際にお酒を作っている方から、直接お酒をいただくのは初めてで、すごくうれしい!
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中を開けてみると、「六根浄」とお店の名前を冠したお酒が・・・!
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・・・っていうか、部屋があまりにも散らかっているので、写真を見ても、お酒より部屋の汚さに目が行ってしまうのではないかと心配なんですが・・・coldsweats01

早速、姉と共にいただいてみました。私は日本酒通ではないので、表現力・語彙力ともに不足しているのですが、でもすごく飲みやすくて美味しかったです!

・・・でもそれじゃあ、他のおいしいお酒と変わらないじゃないか!ということで、お酒に同封されていた案内より引用。

「純米酒 六根浄 出羽の里」~店主設計の「醇味」を追求した自信作~とあり、その味わいは「穏やかな香りで、味の中心にきれいな酸がある清涼感のある後口」と書いてありました。私は普段映像や写真、音を用いて社会的な事象や出来事を伝えることはしていますが、味やにおいといったものを表現するのに腐心するということはしていないので、このように表現されるんだということに、感心してしまいました。

私は常温でいただいたのですが、冷やしても美味しいのでは?と思いました。冷やしていいものなのか分かりませんが、今度は一部を冷やしていただいてみようと思っています!

「純米酒 六根浄 出羽の里」について、詳細はウェブサイトにもあります。

現在は火曜日のみお休みで営業されているそうですが、冬場は酒造りのために土日のみの営業となるそうです。また来年のためのお酒造りが始まるのです。熊谷さんからは、お互いものづくりに携わるものとして良いものを作っていきましょうねというメールをいただき、私もがんばらなくちゃと思いました。

よく、巷では”異業種交流”とかが流行っていて、私はそういうの冷めた感じで見ているのですが(営業、営業って感じで)、でも、全く違う分野でも真剣に、こだわってものづくりをしている人と話すのは、共通する話や考えさせられる話なども多くて、とても面白いなと思ったのでした。

そんなことを考えた1日でした。残りのお酒をいただくのが楽しみですhappy01

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[jp] 東京での飲み会写真

東京に戻った翌日は、都内で飲み会をやりました。もともと、ケイが映画祭で日本に来るのにあわせてやろうと計画していた飲み会でしたが、山形に参加した他の監督たち、スタッフ、お客さんとしてきていて知り合った人、友達の友達・・・と、参加者は延べ20人以上になったと思います!

私が幹事でしたので、会場を借りて、飲み物・食べ物は各自持ち寄りにして、会費はタダというスタイルにしました。私を含む大抵の人は貧乏だろうし(ケイは除き!)、大人数で人の出入りが激しい飲み会は会計をするのが大変です。長時間場所だけ借りて、人が後から参加したり、早めに帰れたり、気軽に参加できる集まりにしたかったのでした。

私は30分ぐらい前に会場に到着して、オーナーさんに手伝ってもらいテーブルのセッティングをしました。ここは、私が2月に粗編集を完成させた「さようならUR」についてアドバイスをもらうため、映像制作者批評会でも使わせていただいた場所です。オーナーさんには、本当に感謝!
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だんだんと人が集まってきて、とりあえずそろったかなというところで自己紹介を。
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一通り自己紹介をした後は、それぞれ好きなように飲みながら、食べながら話す感じで。
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宴会の最後のほうでは、LOVE DOCTOR出現!!(以前ブログでビデオを載せましたが)
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最後に記念撮影しました!
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10時半ごろには撤収。翌日に日本を離れるアジアの監督たちも多かったので、日本で最後の夜の思い出になっていれば良いけれど。

ケイからはタイのお菓子をお土産でもらいました。「タイのお餅」と言っていました。姉にたくさん食べられてしまったんですがcrying
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企画していた飲み会が無事終わり、私としては晴れて一連の旅がやっと正式に終わったような気持ちになりました。かつてないボリュームのブログにも表れているように、本当にいろんなことを体験できた旅でした。

お世話になった全ての方々にこの場を借りてお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました!!!!!

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[jp] ドキュメンタリー制作の第1歩

さて、山形の映画祭も終わり、13日は朝8時に起きて朝食、そして荷造りをして10時にチェックアウトし、タイ人のジャカワーンとチャチャイとともにタクシーで山形駅に向かいました。山形へ行く時に比べ、私の荷物は更に重くなっていました。受賞のトロフィーは、心理的な重さだけでなく、実際にすごい重量があるのです!

ローカル線に乗って、仙台へ。仙台へは80~90分ほどでいける距離なのです。(但し本数は少ないので注意。実際に仙台⇔山形間を行き来する人たちは、バスを利用する人が多いそう)
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仙台に到着後、お昼ご飯を食べました。私は牛タンとおそばの定食に。
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山形で通訳をされた高杉さんが、仙台のイベントでも引き続き通訳を担当してくれました。
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1時ごろに仙台駅でせんだいメディアテークのチナツさんたちと待ち合わせし、車で被災地の見学に連れて行ってもらいました。私が荒浜方面に来た時はGWで、津波で流されてきたものが散乱し、波をかぶった状態でしたが、震災から半年以上たち、ずいぶん片付けられ、更地には草が生えて、地震さえなかったら造成地のような感じになっていました。
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大部分は片付けられているのですが、時々全壊・半壊状態の建物も見えました。
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津波で大被害を受けた名取市の北釜地区に連れてきていただきました。

北釜地区の集会所
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せんだいメディアテークの伊藤さんとチナツさん。伊藤さんは震災当時の様子について話してくれました。
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拾い集められた思い出の品々が、持ち主に見つけられるようにと置いてありました。
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アルバムやランドセルなど
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この集会所の押入れや天井まで泥がかぶっていて、草が入り込んでいて、津波被害の大きさが伺えます。
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タイ人監督たちはそれぞれ無言で写真やビデオを撮っていました。ちょうどこの頃は(今もですが)、タイの大洪水のニュースがあり、ジャカワーンの家も浸水しているということでした。帰国後、大丈夫と言うメールはもらいましたが、心配です。津波と洪水はまた別物ですが、水害によって生活の場を侵されるという点では同じです。
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北釜の集落に数年前に移り住んだ写真家の志賀理江子さんは、津波で流された写真を拾い集め、洗浄し、ここで展示して持ち主を探す活動をされていたそうです。伊藤さんもそれを手伝っていたそうです。黄色いテープとクリップがあるのはそのときのもの。
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写真をここに長期展示しておくと傷んでしまうため、現在は場所を移動。
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ふと、ここはきっとすごく小さな集落であったはずなのに、ずいぶん集会所が立派だなと思いました。
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伊藤さんに聞いてみると、ここは仙台空港のすぐそばなので、自治体に補助金(?)が入り、それで公共施設が立派なのだそうです。飛行機が実際すぐそばに飛んでいるのが見えました。
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神社
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上に登ってみます。
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以前は祠があったそうですが、津波で流されてしまったそうです。
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上から周囲を見渡すと、本当に全部流されてしまったのだということが良くわかります。
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再び車に乗って、メディアテーク方面に向かいます。道すがら、まだ住宅街に船が残ったままの場所もありました。
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以前、過去に津波被害にあったということを後世に伝えていくために、地名などに津波のことを盛り込んだりしたという、昔の人たちの知恵について聞いたことがありました。今のように新聞やネットがない時代でも、津波の経験を後々まで知らせるという”メディア”としての役割を持たせていたわけです。この「波分神社」もそうなんですって。
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夕方、メディアテークに到着しました。今日のイベントの案内が貼ってありました。Dsc04975

「歴史的・社会的なことを映像で撮影する」というテーマで、ジャカワーン、ケイ、私の3人が、ビデオカメラを始めたきっかけや、短い作品のクリップを見せながらどういう考えで作品を作っているのかなどについて、メディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の映像ワークショップに参加した人たちに対して話し、ディスカッションをするという企画でした。

地震や津波など、大きすぎる社会的な出来事を目の当たりにした人たちが、それらをどうやって記録・表現することが出来るのか? ケイやジャカワーンは数年前に起きたタイの政治的暴動に関しても作品をいくつか制作しているので、そういった経験も踏まえながら、表現について話してもらえたらとも思っていました。

とはいえ、私はケイに中国のワークショップであっただけでしたし、ジャカワーンについては面識もなかったので、彼らについて全く知らないメディアテーク側が、その2人だけをゲストにイベントを行うことは無理があるということで、私も急遽ゲスト参加することになりました。

私は付き添いのつもりでいたので、突然ゲストになるのに驚きましたが、でも一方で、そのほうがバランスが取れるとも思いました。事前に彼ら二人からもらったプロフィールを見て、タイの中でも裕福な家庭らしいことが伺え、大学で映像を勉強してきた、いわば優等生コースな人たちだったからです。一方の私は、映像を勉強したこともなく、目指していたわけでもなく、突然自己流で始めたので、ワークショップの受講者とは、私のほうが距離が近いように思いました。映像街道まっしぐらで生きてきた人の話を聞いても、その人がどれだけ世界で活躍していても、(自分には縁のない話)と思われてしまうでしょう?

会場の設営
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ワークショップの講師、山川さん到着。山川さんはこれまで受講者の方たちを教えてきたので、受講者の方々の気持ちや現在の状況が分かっているので、ゲストと受講者の橋渡し的な立場から話題を導いていくような感じにする、という立場で。
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時間になり、受講者の方も集まり、お話会が始まりました。
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2部構成で、第1部は監督3名の自己紹介、ビデオを始めたきっかけ、作品の紹介と解説。一人目はジャカワーン。
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毎日延々ごみ広いをして、リヤカーに大きなごみの山を載せて運ぶことを繰り返す男性を描いた作品。これによって、人間の”業”を表現したのだそうです。アーティストでもあるジャカワーンの話からは、見たもの、起こった出来事をありのままに表現するのではなく、いったん自分の中に取り入れ、それを昇華させてまったく別の形で表現するという彼の考えが伝わってきました。だから、例えば地震とか津波の被害に関しても、自分だったら、そのときはそれをどう使うことになるのかは分からないまま撮影して、でも何年後かに別の形でそれを使うかもしれない、というようなことを話していました。

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2番目はケイでした。ケイは山形で上映した短編を日本語字幕入りで紹介することになっていました。しかし、仙台に到着してから気がついたのですが、私&ケイともに、映画祭のスタッフの人から日本語字幕入りのDVDをもらってくるのを忘れてしまっていたのでした・・・!! 急遽、別の作品を上映することに。以前、ケイの作品集をもらったときに、すごく面白い作品があって、しかもそれは台詞もないものだったので、それを上映しようということになりました。

その作品は、駅でひたすら写真撮影の構図を長い時間をかけてあれこれとやり直しているおじいさん。それだけなのですが、すごく面白いのです!!
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なんと、それはケイが17歳の時に初めて作った作品なんですって!!! 駅でこのおじいさんを見つけて、面白いなと思って離れたところから撮影を始めて、途中でこのおじいさんが何をやりたいのかがわかった、とのこと。初めての作品、しかも17歳で、というのは、受講生の人にもかなりよいサンプルになったのではないかと思います! 

だって、”映像作品を作る”なんて考えたら、ハードルをすごく高く感じてしまう人も多いでしょう。実際はやりながら上達していくのに、作品を作るためにはまず撮影と編集が出来るようになっていなければならない、みたいな。そして”構成”も考えないといけないし・・・とか。

でも、単純な(この人何しているんだろう? 面白そう)という気持ちだけで、撮影を始めて、その面白さだけで構成も何も必要なく、十分面白いものが出来ている。そういうビデオの面白さを伝えるのに、ケイの作品は一番ぴったりだったと思います。

最後は私の番で、私はなぜビデオを始めたのか、どんなことを考えて撮影しているかを話した後、ブライアンの冒頭5分を流しました。

休憩時間には、ジャカワーンとチャチャイの持っていた、超手作りカメラ(フィルムとマッチ箱だけで作られたもの)がみんなの注目の的にhappy01Dsc05018

休憩を挟んで第2部は、受講生の方々の自己紹介があり、どんなきっかけでワークショップを受講したのか、今どんなことをしているか、などを話しました。受講生の一人は、原発問題に関心を持っていて、講演会などの撮影はどんな風にまとめたら良いのか分かるけど、デモの撮影をしてそういうものはどういう風にまとめたらよいか分からない、と言っていました。”構成”に壁を感じていると。

今回のお話会の前にチナツさんから、ワークショップを3回開催してみた実感などを聞いていました。チナツさん曰く、テレビの影響が相当強いと言っていました。だから例えば、テレビのフォーマットのように伝えなければいけないとか、意識的にでも無意識的にでもなってしまうようなのです。なので、「自分の好きなように伝えて良い」となった場合、逆にどうして良いか分からなくなってしまうのではないでしょうか?

私としてはまず、自分が映像を作る際に「テレビやニュースではこういうスタイルでまとめている」とか、「こうしなければ」とか、そういった固定観念に捉われないことが大切だと思います。だって自分が作っているのはテレビのニュースではないのだから。(でも、人にわかりやすく伝える点での工夫はテレビやニュースはそれなりにされていて、そういった点は参考になる場合もある)。まずは”構成”とかあまり考えずに、例えばケイが作ったビデオみたいに単純に面白いと思ったものをそのまま伝えてみるのも良いのでは? それに面白い素材と言うものは、それだけで力があって、逆にあれこれ手を加えないほうが面白いという場合も多いです。

・・・と、お話会ではそれだけ伝えたのですが、今更ですが、もっと大事なことがあると後から思いました。特にこれは日本人(日本の教育現場)についていえることですが、映像に限らずあらゆる場面において、自分の意見を自信を持って他人の前で披露する、ということが一番重要なのではないかと思います。(下手だから)とか(つまらないと思われたらどうしよう)とか、そういう気持ちを克服すること。そうじゃないと、あらゆる表現活動は歩みだしていかないと思います。

話がとてつもなく広がってしまいましたが、私はそういうものだろうと思うのです。「自分が面白いと思ったから、みんなにも見せたいと思った」この単純な気持ちを持てること、持ち続けられること、結局はそれが一番大事で、ワークショップで技術的なことを教えるだけでなく、そういうメンタル的な部分も後押しして行くことが必要だと思います。

そのほかの質問では、心に大きな傷を負っている人に、いろんなことをインタビューで聞いても大丈夫か?という質問もありました。この点については、タイの政治的暴動で息子を失った母親にインタビューしたケイが、自分の経験とインタビューした時の方針を話していました。

約2時間のワークショップは、あっという間に、とても充実して終わりました。ドキュメンタリー制作者としての一歩を踏み出そうとしている人たちの、これからがとても楽しみです!!

そのあとは、最近は仙台に来ると必ずと言っていいほど立ち寄っている居酒屋・鈴本へ。
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絶品のしょうが焼きです!!
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お話会の時に、ケイは駅で見かけたおじいさんの映像だけでなく、自分の家と、家で働くミャンマー人のお手伝いさんの映像も流していました。家が、とんでもなく大きいのです。大きな塀が張り巡らされて、外からは簡単に入れない状態で、大きな庭に色とりどりの花が咲き、ちょっとした噴水のようなものまでありました。まるで映画に出てくるような家です。そして、暇そうに(?)パソコンをいじるお母さんと、家事をするお手伝いさん・・・。日本だったらこんな生活が出来る人は、相当のお金持ちですよね?!(それに日本の場合、”住み込みのお手伝いさん”文化自体、ずっと昔にはありましたが、今はお金があるからという理由だけではお手伝いさんを雇うことはあまりしないと思います)

なので、ケイはすごいお金持ちなのか、と言う話になりました。なんと、映像には映っていませんでしたが、お手伝いさんは2人もいるのだそうです・・・! 思わず「いらないでしょ!」と私が言うと、ケイは(本当に自然に、屈託なく)「え、じゃあ、誰が掃除するの?」って言ったんですよーーーーーー!!!! 自分で掃除するって発想はないの?!?! この発言にはびっくりでした。しかも、冗談で言ってるんじゃないっていうのがすごい。ケイは、育ちの良さは感じるものの、嫌味なお金持ちっぽくは全然ない人なのですが、やはり発言がお金持ちだとこの瞬間は感じました。(普段はとても良い人ですが、念のため)

そして今度は、日本の自主映像制作者たちの置かれている環境の話になりました。まず、山川さんからひと言、「悲惨です」と。映像をやっている人たちで、それだけで食べていけていると言う人はほとんどなく、トラックの運転手や日雇い労働など、日本の中でも底辺の労働をやりながら、ギリギリで生活をし、作品を作っている、と。国際的な映画祭で賞を受賞するような監督でも、そんな状態で作品を作っている人は多い、と。

政府からの助成金制度はあるものの、それは大規模の制作を想定・前提としたもので、それを受けるためには(それもすごい倍率なのでもらえる確率は低いですが)、無理に予算自体を大きくしなければならないし、たとえ助成金がもらえるとなっても、助成金は全てをカバーすることはないので(制作予算の何分の1までと決められている)、逆に制作者にとって負担になってしまうのだ、と。諸外国からは日本はいまだに裕福だと思われているので、東南アジアの国が受けられるような欧米からの助成対象になることもないし、「悲惨です」ということでした。山川さんは「ただし、これが日本の状況全てと言うわけではなくて、自分の身の回りの人たちの話です」と強調していましたが、私の周りもそうだし、ほぼ日本の状況を代弁していると思います。

これに対して、タイも似たような状況だと言っていました。政府や欧米からの助成金をもらえるような映像制作者はほんの一部で、ほとんどの人は自分で作っていると。(但し、ジャカワーンは欧米の映画祭での受賞も多く、オランダの映画祭の資金で作品を作ったりもしていますから、かなり抜きん出ているほうなのでしょう)。映画作りの資金として、企業のコマーシャルを作ってお金を稼ぐという方法もありますが、これは実力以前に企業や業界とのコネがものを言うそうです。それがないと、仕事が回ってこないのだとか。それもまた大変そうだなぁ・・・。

ただ、タイがすごいのは、タイの国営放送で毎週1回30分間、一般から短編を公募し放送する番組の枠があるということです! 30分の中で、何本かの短編が放送され、そしてその制作者のインタビュー映像も流れるのだとか! これは作品を発表する機会の少ない自主映像作家たちにとって、ものすごいチャンスです! しかも制作者のインタビューまで流れたら、宣伝にもなります。これまでケイの作品も何度か放送されたことがあるそうで、放送作品は番組プロデューサーによって選ばれるので、あまりにも過激なものは放送されないけれど、でも自分の作品でかなり政治的なものをテーマにしたものも、これまでに放送された、と言っていました。

・・・こんなことを聞くと、これまでは(実態はともかく)いわゆる”発展途上国”とみなされる東南アジアの国々は欧米からの助成を受けられていいなぁ、思っていたのですが、自国政府・自国メディアの状況も、日本はずっと遅れているじゃないか!と愕然としたのでした。日本のNHKが、一般から公募して政府批判をしたビデオを放送するでしょうか? あり得ないでしょう。

居酒屋の後は、高杉さんとともにチナツさんの家に泊めていただきました。なんと、受賞のお祝いということで、ケーキが!!! Dsc05047

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どうもありがとうございました!!

翌朝、別のメディアテークスタッフの家に泊めてもらっていたケイたちと合流して、新幹線で東京に戻りました。

山形に向かったのが10月6日で、東京に戻ったのが10月14日ですから、8泊9日の長旅。山形、そして仙台と沢山の人のお世話になり、貴重な体験が出来た旅でした。

旅の疲れがどっと出て、その日は夜10時ごろに寝ました。

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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その7(10月12日)

11日(12日明け方)は朝4時半まで起きていたので、12日も11時ごろまで寝ていました。今日もホテルの朝食は食べられませんでした。

出かける支度をして、映画を観る前にご飯を食べておこうと思いました。公民館近くの「シベール」というカフェ・レストランのようなお店の前を通りかかり、ここでランチを食べることにしました。
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店内に入ってすぐ(ここだったのか!)と思いました。山形のお土産で、最近ラスクが話題になっているとテレビか何かで見たことがあり、なんとなく覚えていたのでした。ランチを食べた後に、ラスクを買いました。

お昼からは、公民館の6階で「三千年の収穫」(インターナショナル・コンペ審査員、エチオピアのハイレ・ゲリマ監督)を観ようと思い、会場に向かいます。

気がついてみれば、山形も今日が最終日。夜にはクロージング・パーティーがあり、翌日は朝から仙台に向けて出発します。映画祭の公式カタログをお土産に1部購入しました。

「三千年の収穫」は、隆夫さんとともに観ました。映画の冒頭に、マックのパソコン画面が一瞬現れ、それから日本語字幕なしで映画が始まりました。(これは日本語字幕はないんだ?)と思いながら観続けていると、途中で映像が止まり、会場アナウンスで「しばらくお待ちください」とのこと。

…やっぱりこういうことは起こるんだ…

私は自分の上映で何もトラブルが起こらなかったことを、本当にありがたく思いました。

映画の後、またデイリー編集室に行って見ました。ビデオリポートのため、木室さんが川口さんに撮影をお願いしていました。

こんな風に…と指定する木室さん
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最終的にはこれで行くことになったようです…! 木室さんは、どんな風にこの素材を使うのでしょうか?!
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公民館のロビーでカタログを読んでいたら、下之坊さんと会いました。下之坊さんは、昨日の上映の時に、映画の主人公である佐々木千津子さんが会場に駆けつけてくれたそうで、昨晩のみバリアフリータイプの部屋があるグランドホテルに佐々木さんと宿泊していたそうです。

グランドホテルで朝食を取っているときに、面白い会話があったと教えてくれました。今回、「回到一圏:日台ドキュメンタリーの12年後」プログラム(1999年の映画祭で作品を上映した日本と台湾のドキュメンタリー作家たちが、干支が一回りした今年、また山形に集い、新旧の作品をあわせて上映するという企画)で、「放課後~共同学童保育所つばさクラブの一日」(1998年)と、「チョコラ!」(2008年)を上映した小林茂監督と、「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムで「”私”を生きる」を上映した土井敏邦監督が、朝から熱いトークを展開していたというのです。

土井さんは、今回の映画祭で様々な映画を観て、中には(何でこんな作品が上映されるのだ? 人に見せられるレベルではない)と思う作品が少なからずあったそうです。

それに対し小林さんは、この映画祭は優れた作品を上映するだけの映画祭ではない、もともとアジアのドキュメンタリー監督を育てていかないとということから、アジア千波万波プログラムが創設されて、創設当時は、これ作りかけじゃないの?というような5分ぐらいの作品とか、そういうものもたくさんあった、でも、12年前の映画祭でそんな作品を持ち込んだアジアの作り手たちが、今こうして成長して世界に羽ばたいているんだ、と。

下之坊さんはそのやり取りが面白くて、(ずっと聞いていたい!)と思ったそうですが、佐々木さんを駅まで送っていかなければならないため、中座したそうです。

私はこの話を聞いて、昨夜のIDEHAサロンでも感じたことだったけれど、映画の作り手を育てていくとか、交流の場を持つとか、そういうことが映画祭の大きな目的としてあるように感じていました。

話しているうちに6時になり、表彰式とクロージング上映のために、公民館6階の会場に入りました。

表彰式では、コンペ部門(インターナショナル・コンペ、アジア千波万波)の他にも、さまざまな賞が用意されていました。「市民賞」(観客によるアンケート集計)、「コミュニティシネマ賞」(地域で上映活動を行う人たちによって選ばれる賞で、国内での上映協力もされる)、「映画監督協会賞」(日本映画監督協会によって選ばれる賞)、そして今回創設された「スカパー! IDEHA賞」。

先日のブログで、「スカパー! IDEHA賞」を私がいただいてしまったということを既に書きましたが、この賞については、映画祭のメールマガジンでこのように紹介されていました。

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スカパー!IDEHA賞スカパーJSAT株式会社がドキュメンタリー映画作家の育成を支援し、新作の制作を奨励する賞が、初めてYIDFFで創設されます。日本の新進ドキュメンタリストで次回作に最も期待される監督に賞金150万円を授与します。インターナショナル・コンペティション、アジア千波万波、ニュー・ドックス・ジャパンの各プログラムで上映される日本映画の監督を対象とし、審査員は世界第一線の映画に詳しい国際映画祭から招きます。日本映画が世界に羽ばたくきっかけとなればと願っています。
名前の由来:IDEHA賞のネーミングは、「出羽」「いでは」=「山形」、ドイツ語のidea(イディア=理想理念)にも通じていることから選ばれました。
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審査員のホセチョさんのプロフィールについても
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Josetxo Cerdan:スペイン・ナヴァーラ州国際ドキュメンタリー映画祭「プント・デ・ヴィスタ」芸術監督。Rovira I Virgili大学准教授。ドキュメンタリー映画についての執筆は多く、映画のプログラマーとして国際的にも活躍。北米で最も高名なドキュメンタリー関係者のフォーラム、「フラハティ・セミナー」の2012プログラム選定者として選ばれています。
ホセチョ・セルダン氏から届いたビデオメッセージ:「日本の新世代ドキュメンタリストのことをもっと知りたい」「なるべく多くの映画を見てスペイン、ヨーロッパに持ち帰りたい」「今年は日本人にとって大変な年だからこそ山形に来られることがうれしい」とコメントしています。
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何か”賞”がもらえるような映画祭に、これまでも参加したことがありますが(あいち国際女性映画祭など)、でも賞の選考のための”審査員”をわざわざ外部から招くような映画祭には参加したことがありませんでした。私は前日のIDEHAサロンにも参加して、それは私も一応は「スカパー! IDEHA賞」の受賞対象者(日本映画の監督だから)ということなのですが、”受賞”は自分には縁のないものと思っていたので、受賞と知ったときには本当にビックリしました。だって、私には山形で上映されるだけで、十分すぎる快挙だったのですから。

名前を呼ばれ、壇上に行くと、頭が真っ白になりました。トロフィーを頂き、副賞の賞金を頂き、おめでとうと言われました。そのあと、司会者の方から「コメントを」と言われ、私はただ「ありがとうございます」としか言えませんでした。よく、大きな映画祭の授賞式で、受賞した監督たちがスピーチをしているのをテレビやネットで見ますが、あの時のあのタイミングで言うものなのだとは知りませんでした。

表彰式の時の写真(高雄さんからいただいたもの)
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以下の写真はケイからもらったもの
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私の後に、その他の賞を受賞した監督たちが、その場でコメントや感謝の気持ちなどを話しているのを聞いて、(このタイミングで言うものなんだ…。このタイミングで言わなかったら、もう言えないんだ…)と思うと、そのあと30分ぐらい壇上に座っていているのが、なんだかとても居心地が悪かったです。だってそういうの、知らないんですもん!!

今更なのですが、もしも私があの時、ステージ上でコメントを言えたなら、賞をくださったスカパー!社とホセチョさんへの感謝はもちろんとして、私は私の映画に登場してくれた住民の方々への感謝、居候させてもらっている姉への感謝、そして映画祭を支えているスタッフ・ボランティアの方々への感謝を伝えたいと思いました。

ベトナムのティーさんのインタビューがきっかけで、思いがけずにデイリー編集室の仕事ぶりを見て、スタッフの・ボランティアの方々の力によって、こういう大きな映画祭が成り立っているのだなぁ、ということをつくづく思ったからです。私はデイリー編集室の方々としか個人的に接触する機会はありませんでしたが、きっとどのセクションのスタッフの人たちも、同じぐらいの努力と苦労があるに違いないと思います。

映画祭に来て、国内外の監督たちと交流できるのもとても刺激的でしたが、スタッフの方々ともお話しすることが出来たのは、私にとって大きな収穫でした。

表彰式が終わり、舞台袖から出てロビーを通り、座席まで行く途中で、いろんな方から「おめでとう!」と言ってもらえました。何人かの人から、大抵受賞作品は大体どの作品が受賞するか予測できるものだけど、私の受賞が一番のサプライズだったと言われました。私もそう思います…! 

しかも、賞が創設されて初めての受賞…。この賞の重さというのが、私や今後受賞する人たちのその後によって計られていくのだとしたら、こんなに重大な責任はありません…!

クロージング上映の「まなざしの旅」を見終わったあとは、クロージング・パーティーでした。会場であるグランドホテルに移動する途中に、私は映画祭期間中にお世話になったデイリー編集室に行って見ました。

デイリー編集室入り口
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数人のスタッフの人たちがいました。おめでとうと言ってもらい、うれしかったです。
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表彰式の直後に「デイリー号外」が配られていたのですが、その作成・印刷はその日の午後に編集室を封鎖して、ごく少数のスタッフだけで内密に進められたそうです。

デイリー編集室を出て、クロージング・パーティーの会場へ。たった10分ほど遅れただけでしたが、既にご飯がほとんど平らげられていました…! 本当になくなるのが早いのです。恐るべし、山形。
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仕事を終えてやってきた山形新聞の岡崎さん
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岡崎さんご夫婦と
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私の受賞のお知らせに、岡崎さんもビックリしていました。「では早速、受賞監督に自分の映画のコメントをもらおう」ということで、岡崎さんの作品「私たちにできたこと できなかったこと」の感想を聞かれました。私は先日このブログで書いた岡崎さんの作品に対する感想に加え、「岡崎さんが小川紳介のような大ドキュメンタリー監督への敬意として、あえて小型カメラで、ほとんど静止画で、インタビューなしで、無料編集ソフトで作ったのは分かるけれど、今後はそこまでこだわることはなく、自分の好きなようにドキュメンタリー映画作りをやってみても良いのではないですか? 今後の作品も観たいです」と言いました。

下之坊さんと、「ニュー・ドックス・ジャパン」で「隣る人」の監督、刀川和也さん。賞金について超うらやましがられました^^
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以前京都の上映会で「ブライアン~」を観に来てくれた浦辻さんも
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スカパーのスタッフの皆さんと。やはり、こういう賞をいただいたからには、スカパーに加入しないといけないんでしょうかcoldsweats01??!! うちはまだ地デジ化もしてないんですが・・・!
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大西さんと木室さん
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インタビューをしてくれた水上さんと
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パーティーの会場で、審査員のホセチョさんと話せました。表彰式では壇上でほとんど話せなかったので、改めてお礼を言いました。この時に初めて、ホセチョさんから選んだ理由を聞くことが出来ました。以下、箇条書きで列挙すると;

・お金をあげれば、絶対次の作品を作る人は?と考えた時に、それはあなただと思った
・社会問題に取り組んで、それを真剣に、ユーモラスに表現するのは、なかなか出来ないこと
・しかも一人でほとんど作っている
・あなたの中にすごいエネルギーと向かっていく力を感じた
・映画の最初のほうは、良くあるタイプの映画だと思ったけれど、演歌が出てくるあたりから面白いと思い、電話をかけるシーンから最後までは一気に登りつめていくようだった
・撮り方、被写体との向き合い方、映画作りに関する倫理観をしっかり持っている
・映画を作るだけでなく、社会にどう関わっていくかを考えている
・これでもう誰かの家に住むことから開放されるし、機材も揃えられる

ということを言われました。選んでくれた理由を聞きながら、私の中では今まで不思議に思っていたいくつかのことの答えが分かったような気持ちになりました。

というのも、私は今回の賞を自分がいただいたことに関して、映画だけ、映画の完成度だけで判断されたのではない、とまず思いました。映画X上映後の質疑応答XIDEHAサロンXこれからの可能性といったような、複合的な判断でなされたものなのだ、と。

私は今回のタイムテーブルを見て、最初に疑問に思ったことがありました。コンペ作品は、全て2回ずつ上映されるのですが、上映後の舞台上での質疑応答が1回しか予定されていないのでした。監督たちは全日程滞在するのに、なぜ片方しか質疑応答をしないのか? それは通訳者確保の関係か?と思っていました。でも、2回目の上映の後には、舞台挨拶はしないのに、通訳者をつけてロビートークはやっているので、そういう予算の問題でもなさそうだし…と不思議に思っていました。

今から思えば、上映後の質疑応答で監督が作品についてどのように語り、観客はどのような反応を示すのか、といったようなやり取りも、重要な選考対象になっているわけで、それで審査員も上映を観に来る1回だけのほうに、舞台挨拶がついている、と言うことだったのだろうと思います。

この点について、タイ語通訳者の高杉さんと後日話す機会があり、彼女も舞台挨拶の重要性について話していました。タイ人の監督でも、国際映画祭でタイ語通訳をつけずに、自分で英語で質疑応答をする監督もいるそうです。それは自分が国際的なレベルで通用する監督であるということの、審査員へのアピールでもありますし、通訳の良し悪しによっては、審査に影響することだってあり得るので、通訳をつけずに自分でやりたいという監督もいるわけです。それぐらい、舞台挨拶の通訳というのは重大なことを任されている、と言っていました。

舞台挨拶って、ファンサービス的なもの、映画祭のお楽しみ要素的なものと思っていたのですが、コンペともなると別の意味合いも帯びてくるのですね…。いや、コンペじゃなくても、舞台挨拶の度に監督は観客によって審査されているのだとも思います。この映画を作った人がどんな人なのか、それを観客はみるわけですから。

でも、舞台挨拶で質問があまり出なかったり、自分がアピールしたいような分野の質問が出なかったりすると、残念ですよね。観客の人は、純粋に自分の聞きたい事を聞くわけですから、必ずしも監督がアピールしたいこととは一致するとは限りません。私の時は、幸運にもいろんな人が、幅広い質問をしてくれたので、私の考えの一端を伝えることが出来てラッキーでしたが、もしそういう質問が出なかったときは、どうするんでしょう?? 気になるところです。

そして、「スカパー! IDEHA賞」に関して言えば、「IDEHAサロン」での交流も大きな一因だったと思います。普通は、舞台挨拶でしか、監督と審査員が対面する場はありません。でも今回は、IDEHAサロンがあり、そこで2時間にもわたって、審査員のホセチョさんに映画作りや上映について話す機会が与えられたのですから。私が自分なりのやり方で自主上映会をやってきたという取り組みについて評価してもらえたのかもしれませんし、カドゥさんが”Parasite”と訳した私の居候生活が、私に高額賞金をもたらしてくれたのかも知れません…!!!!!

ホセチョさんは、今日もう帰られるそうで、別れ際に「次回作を作ったら必ず教えて」と言いました。頑張らなくては…!!!

そんな訳で、受賞の瞬間はびっくりし、単純に喜び、その後じわじわと受賞したことの重みをかんじていっている私でした。

クロージング・パーティーの終盤に、桝谷さんが、「この辺に立って! あっちを見て!」と言いました。(何だろう?)と思ったら、毎回恒例で全員で最後に記念写真を撮るということになっているそうで、でも人数が多いので、真ん中のエリア付近に立っていないとピントが合わないとのことでした。(端っこのほうに立っている人はピンボケした状態になるんですって)
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だんだん人が集まっていきます
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カメラマンもスタンバイ
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これだけの人数が集まって写真を撮るのは、呼びかけるのもなかなか大変そう
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だんだんまとまってきました
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ケイが私のカメラに向かって…!!Dsc04841

そろそろ写真が撮れるのかしら
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無事写真が撮れたようです!
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クロージング・パーティーの後は、デイリー編集室の打ち上げに私も参加しました。

水上さんと、映画祭で司会・通訳を担当された山之内悦子さん
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おいしいおでん居酒屋でした
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川口さんと、楠瀬かおりさん。最初は映画の話をしていたのですが、途中からは鉄道の話一色に。楠瀬さんは映画大好きであると同時に、「てっちゃん」でもあるそうです!
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打ち上げの様子
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デイリー編集室の佐藤寛朗さんと。実はすごいご近所さんなのです・・・happy01
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桝谷さんと
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もう既に12時は過ぎていて、昨夜は(仙台もあるから夜更かししない)と思っていたのですが、今日は受賞といううれしいことがあったのだし、映画祭の最終日なのだから、ということで、車に乗せてもらって香味庵まで行きました。

香味庵の入り口で、フランス人監督のエマニュエルさんと再会しました。エマニュエルさんからも、おめでとうと言われました。「賞金が高くて良かったね。これでずいぶん安心できるわね。私もロカルノ映画祭(スイス)で賞を取ったとき、結構いい賞金がもらえたのよ。それでバカンスに行ったわ。そう、映画監督にはバカンスが大切なのよ!」と言っていました。相変わらず、(さすがフランス人!)と感心してしまいました。だって、日本人だったら、私はまず借金を返さなくちゃとか、このお金は次回作のためにもらったのだとか、そういうことを考えるのではないですか!?

これまで「大人数が乗ったら床が抜けてしまう」と聞いて近寄らなかった、香味庵の2階へ行って見ます!

かなりの人数が既にいる様子!!
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へぇ~、2階ってこんな風になってるんだぁ。
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映画祭のゲスト&スタッフ&お客さんくらいしかいないこの空間で、明らかに違うオーラを放つ2人組みを発見! 一体何の人なのかと思って、近づいて見ます。
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左の方は、山形でインド料理のレストランJAYを経営されているとのこと。山形のインド料理・・・。聞いてみると、インド人監督のサミーナさんが連れて行ってくれようとしたお店で、なんとこちらのマスターはサミーナさん家族と昔から付き合いがあるそうです!! 私は今回JAYに行けなくて残念でしたが、次回山形に行くときにはぜひ行って見たいと思います。

右側の方は、今日初めて、香味庵から参加(!)したという方で、映画祭には全く行かなかった、来れば良かったと言っていました。山形市平清水で、「正酒屋 六根浄(ろっこんじょう)」という純米酒専門の小売店を経営されている熊谷さんで、「インド料理に合う日本酒」(それってすごい)をJAYに提供しているのだそうです。山形で飲んだ日本酒は、普通に全部美味しいと思った私でしたが、JAYのマスター曰く、六根浄の日本酒は他とは全く違うとのことでした。飲んでみたいです!!!!!

インド料理、日本酒ともに、超奥深い世界ですから、お2人の話を聞いていたら、あっという間に閉店時間(2時)に。

スタッフの方がおもむろに法螺貝を吹くのを、昨夜も(何だろう?)と思っていた私ですが(宴会の余興だと思っていましたcoldsweats01)、これは閉店を知らせるためのものなのだそうです・・・!
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結局2時半過ぎに香味庵を出て、ホテルへ。受賞のお知らせを、こんな時間に電話をもらっても喜ぶ人は普通はいません(迷惑なだけです)。ホテルに向かう道すがら、8時間の時差のあるイギリスのポールに電話をして(通話料が高いので、実際はかけ直してもらったのですがcatface)、受賞のことを知らせたら、とても喜んでいました。「さようならUR」の英語字幕を担当してくれたポールの努力に、少しは報いることが出来た気がして、良かったなぁと思いました。

ホテルに戻り、今日一日の出来事をノートに書き記していたら、また4時過ぎになってしまいましたsweat01!! 

初めての山形ドキュメンタリー映画祭、私にとって忘れられない経験となりました!! どうもありがとうございました!!!

##これで山形国際ドキュメンタリー映画祭のレポートは終わりです。かなりのボリュームの映画祭レポート、最初から最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました!!##

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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その6(10月11日)

いよいよ上映の日。これまでは朝8時に起きて朝食を食べていましたが、この日は11時まで寝て、お昼頃にホテルを出ました。さすがにおなかが空き、なにかきちんとお腹にたまるものを食べようと、近くを散策。

今日は上映の日なので奮発してロースカツ定食! ご飯もそばもついています。
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かなりおいしいです!!
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公民館に行き、インターナショナル・コンペの「星空の下で」(レナード・レーテル・ヘルムリッヒ監督)を途中から最後まで観ました。インドネシアの貧しい地域に暮す家族を12年間追い続けた3部作の完結編、ということなのですが、働き者の妻と、闘魚の飼育に熱中する夫の激しい夫婦喧嘩、思春期の女の子の恋愛、都会と田舎に住むおばあさん同士の価値観の違いなどが赤裸々に描かれていて、監督はオランダ人というけれど、一体どうやってこれらを撮影したのか?!と不思議に思ってしまいました。しかも、めちゃめちゃ面白いし、笑えるのです! 「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムの「9月11日」の監督、大宮浩一さんにいたっては、「あれ、ドキュメンタリーじゃないでしょ!」と言っていたほどです。

上映後はホテルに戻りました。私の上映のための荷物を取りに帰るために。上映後の質疑応答を記録するためのビデオカメラ(撮影は金さんに依頼)、ロビーで販売する「ブライアン~」のDVD(こちらの販売も金さんに依頼)、そして予備のブルーレイやDVCAMテープも持って行くことにしました。

上映会場である山形市民会館・小ホール
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ここの会場は、主に「ニュー・ドックス・ジャパン」とキューバプログラムの上映会場となっていました。
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まだ私の上映まではだいぶ時間があるので、途中からキューバプログラム「移民の島2」を観ました。音声はスペイン語で、英語の字幕のみでした。時々ささやくような音量で日本語の吹き替えが近くの人から聞こえてきます。イヤホンの貸し出しをしていたのかもしれません。私は英語字幕を追って観ていましたが、正直自分の上映を控え、内容はあまり記憶に残っていません。

キューバのプログラムが終わり、いよいよ私の番となってしまいました!! どうしよう!!
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「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラム担当の愛さんとともに、「さようならUR」の映写チェックをしました。やはりブルーレイだから画面はDVCAMよりずっときれいだし、気持ち、音質も良いみたいと思いましたが、それより何より、やはり再生が無事されるかどうかが気がかりでした。
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上映後の質疑応答についても、打ち合わせがありました。上映後に、愛さんが私を紹介してくれ、最初に私は短い挨拶をして、それから質疑応答に入るのだ、と。質問が会場からないようであれば、愛さんのほうから少し質問をする、とのことでした。英語の通訳は、カトリーヌ・カドゥさん(東京国際映画祭で10月24日「黒澤、その道」を上映される)が担当されるけれど、外国人のお客さんが少なければ、時間の節約のためにウィスパリングで通訳をするとのこと。

開場まであと少しとなった時に、金さんが見えました。金さんは映画祭にお客さんとして参加しているにもかかわらず、ほぼスタッフのようにカメラ撮影とDVD販売をお願いしてしまいました。金さんはカメラでの撮影について「普段人のために撮影したことないから、プレッシャーsweat01」と言っていました。そして、私のカメラのようなミニDVタイプのものは使ったことがない、とも言っていました。

私は、善意でのお手伝いの人にたくさん要求してはいけないということは理解しつつも、撮影の仕方まで細かく説明してしまいました。やっぱり記念すべき上映の後の質疑応答だから、ちゃんと撮ってほしいと言う気持ちがあって。

開場を待つ間、木室志穂さんのインタビューがありました。映画祭のビデオリポート第4弾のため、監督たちを撮影して回っているのだそうです。監督たちがどうやってご飯を食べていっているのか?というのが共通質問のようでした。私は「映画で生活していけるだけの収入を得るのは難しい。バイトをしたら今度は映画を作る時間がないし。やっぱり居候でしょう!」と言ったようなことを話しました。・・・参考になったのでしょうか・・・happy02

木室さんと
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受付の様子
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外では、呼び込みをしてくださるスタッフの方がいました。
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以下の写真5点は、デイリー編集室からいただいた写真です。

映写室が見えます。
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会場前方はこんな感じ
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デイリー編集室の桝谷秀一さん
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いよいよ開場し、意外にもお客さんが入ってきてくれていました。開場から10分ほどで、既に100人ぐらいは来ている様な感じ。すごい、これでもう十分だわ、と思いました。映画祭期間中に知り合った人たちの顔もちらほらと見えて、(やはり後半に上映するのは良いのかも)と思ったりもしました。上映開始後20分ぐらいまでは途中で入ってくる人たちも結構いて、最終的には130~150人ぐらいまで行ったと思います。すごい!!
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場内が暗くなり、映画の上映が始まります!!
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黒塗りの情報公開、URとのやり取り、裁判のこと、直撃取材・・・見ている最中に笑い声や拍手まであったりして、私は反応の大きさに驚きました。こんなに面白がって観てくれるんだ、と。

エンディング
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会場の反応が良く、そしてブルーレイが最後まで問題なく再生されたことで、映画の終了時には私はもうすごく満たされた気持ちになっていました。

愛さんに紹介され、私は会場前方に向かいます。前に出ると、映画祭で知り合ったティーさんや、エイヤさんたちも来てくれている事が分かりました。高杉さん、ジャカワーン、そして吉田さんの顔も見えました。
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最初の挨拶で、何かひとつぐらいエピソードを話そうかとも思っていたのですが、とにかく”無事終わった”という満足感でいっぱいで、お礼だけを述べました。質疑応答では、大抵は最初のうちは手が上がりにくかったりするのですが、このときは最初から数人の手が上がりました。

質問は「3月11日の大震災で、73号棟は大丈夫だったのか?」、「この映画を作ろうと思ったきっかけは?」、「裁判は現在どのような状況か?」、「なぜ73号棟が削減対象として選ばれたのか?」といったような質問をいただきました。
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ベトナムのティーさんも質問してくれました。「自分自身を映画の中に登場させようと思ったのはなぜか?」というのが質問で、感想として「観ていて、あなたはマイケル・ムーアのようだと思った! いや、マイケル・ムーアよりすごい。女性だし」という発言が!!!!! これには会場内からもどよめきと笑いが!!
(以下の質疑応答写真は、全てデイリー編集室からいただいたもの)
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通訳をされるカドゥーさん
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あっという間に質疑応答の終了時間となりました。私自身、楽しみながら質疑応答をすることが出来て、とてもうれしかったです。

上映後はあわただしくロビーでDVDの販売コーナーを設置して、金さんにDVDの販売をお願いしました。

ロビーでも、何人かの方から質問や感想をいただきました。中立性・公平性という観点から、もっとUR側の言い分も取り上げるほうが良かったのではないか?、とか、UR側の人たちの実名や顔を晒すのは、それはそれで暴力的で、彼らを傷つけているのではないか?という意見もいただきました。

これらは本当に興味深い質問だと思います。私には、私なりの考えで敢えてそうしている部分があるので、これらの質問はぜひ会場内の質疑応答で出たらよかったのにと思いました。今回、質問をいただいた方に個人的にしか回答出来なかったのが残念でした。(これまで別の上映会の時にこういう質問が出たことはあります)。

NDS(中崎町ドキュメンタリー・スペース)の金稔万(キム・イマン)さん(「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムで「釜の住民票を返せ!2011」を上映)、中村葉子さんも話しかけてくれました。中村さんは大阪の千里ニュータウンについてのドキュメンタリー映画「空っ風~大阪府北部千里桃山台第二団地の記録」を作られ、お互いに団地に関わるドキュメンタリーを作ったということで、取材について、当事者の人たちとの関わりあい方、支援組織の問題点などを話し合いました。映画のDVDもいただきました。

大学院でジャーナリズムを学んでいるという学生さんとも話しました。私の経歴をカタログで見て、ロンドンでジャーナリズムを学んだというのに興味を持ったそうです。ロンドンの学校の様子などを聞かれました。私は日本のジャーナリズム教育(学校での教育)がどうなっているのかについてほとんど知りません。日本のジャーナリズムはOJTとして、優秀な大学を卒業した人たちが新聞社やテレビ局などに入社し、現場で教えられていくようなイメージがあるのですが、実際はどうなのでしょう?? 自分の印象としては、会社組織の中で学んでいくジャーナリズムが日本の特徴であるように思うのですが??

一方、私が学んだロンドンのジャーナリズム専門学校は、フリーランスを前提としていて、法律をたくさん勉強させられ、先生の口癖は「あなたたちを守ってくれるのは会社ではありません、法律です。最後は法律を盾としてたたかうのです」というものでした。(だからと言って、イギリスのマスメディアが良いというわけでないのですが、少なくとも学校の教育はそういう理念がありました)。

日本でも、マスメディアの会社組織の中で、長年ジャーナリストとして育ててもらっても、ジャーナリスト魂を貫き通そうとして会社と衝突したら、最終的には会社は記者を見捨てるのではないでしょうか?(例えば最近の例として、元・北海道新聞の高田昌幸記者の例などが挙げられるでしょう)。

そんなわけで、マスメディアの中でのジャーナリズムは、基本的に成立し得ないのではないか?と、私は思っているのです。マスメディアの中でも、少数派ながら、優れた良心的な調査報道ジャーナリストはいますが、そういう人たちは社内で正当に評価されているとはいえないし、ふさわしい活躍の場を与えられているわけでもないので。。。

大学院でジャーナリズムを学んでいるその学生さんは、「将来はNHKに入社してドキュメンタリーを作りたい。それが日本で報道、ジャーナリズムを実現できる唯一の方法だから」と言っているのを聞いて、私は複雑な気持ちになりました。

さて、無事上映が終わり、DVDも予想以上に売れ、大満足で上映を終えました。金さんはこれから新幹線で東京に戻るとのことでした。金さん、どうもありがとうございました!

金さん、高雄さんと
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愛さんと
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そのあとは、高雄さんとともに晩御飯を食べに行きました。おごってくださるとのことです!!

お鮨屋さんへ
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「遠慮しなくていいですよ」という発言を真に受け、刺身とてんぷらの豪華な定食を注文!
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お鮨を食べる高雄さん
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カウンターのご主人は、私が東京から来ていると知って、「東京の人にはホントに申し訳ないんだけど・・・」と言いながら、「東京の飯はまずい」と繰り返し話していました。東京に行ったとき、2000円もするお蕎麦を食べたそうですが、すごくまずくて、山形の駅の立ち食いそばのほうがよっぽど美味しかった、と。「ご飯は山形が一番美味しい。しかも日本海側がいい」と言っていました。「東京は寄せ集めだから、東京の人は味が分からない」と。若い頃は勉強のために良く東京に行き、一晩で20万円も使って遊んだこともある、とも話していました。お鮨屋さんのマスターというと、寡黙で、客の話を黙って聞く、みたいなイメージがあったのですが、ご主人の独り舞台というぐらい喋りまくる人で、面白かったです。
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この日は、川口隆夫さんも関わっているキューバのクラブイベントがあって、当初はそれに行こうと計画していたのですが、この日は高雄さんの長年の友人が危篤となり、数時間後に亡くなられるという、大変残念なお知らせがあり、高雄さんは電話での対応に追われ、クラブイベント行きを取りやめて、お別れしました。鶴岡の文化活動で中心的な役割を果たされてきた方で、主宰する劇団の公演を目前に控えての急逝。周りの人のショックはいかばかりかと思いました。

高雄さんと別れ、私は10時から映画祭期間中に3回開催される「IDEHAサロン」に参加する予定でした。今回の映画祭から創設される「スカパー!IDEHA賞」の対象監督(インターナショナル・コンペティション、アジア千波万波、ニュー・ドックス・ジャパンの各プログラムで上映される日本映画の監督)と、審査員であるホセチョ・セルダンさんが、映画作りについて語り合う場と聞いていました。ホセチョさんは対象作品をすべて観ているので、自分の作品についても感想をもらえるかも、とのことでした。

普通、映画祭で監督と審査員が語り合う場はないそうですが、映画祭から事前に送られてきた案内によると…

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YIDFFでは「優劣を競う競争」よりも「出会い」「交流」ということに重きを置きたいという精神を掲げてきました。特に少人数あるいは一人で制作することの多い日本のドキュメンタリー作家たちにとって、自分の作品へのさまざまな感想を得られる場として、映画祭での上映が多くの扉を開くきっかけになることを願っています。意見のちがう人との出会いもあるかもしれませんが、それも改めて自分の感性を自覚することになるなど前向きに捉えることはできるのではないかと思います。

今回の賞創設にあたり、この考え方を実践すべく、審査員との話し合いの場を特別に設けました。海外の映画専門家であるセルダンさんを中心に賞の対象となっている他の作り手たちと上映作品について話し合える「IDEHAサロン」を期間中、3回予定します。ご興味があれば、どこかの回にぜひご参加ください。軽く飲み食いしながら、セルダンさんや他の日本の監督たちと映画について話し合いませんか?
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と書いてありました。

私は前2回(10月8日と10月10日)は参加していませんでしたが、今日は自分の作品の上映があり、映画を観てもらったはずなので、今日の回に参加することにしました。他に大宮さんや、NDSの金さんも参加されると聞いていました。

IDEHAサロンは10時からだったのでまだ時間があり、私はデイリー編集室に立ち寄りました。

編集室に入ると、皆さんから私の上映後の質疑応答での”マイケル・ムーア発言”について言われたので(何で知ってるんだろう?)と思ったら、デイリー編集室の佐藤寛朗さんがツイッターでつぶやいてくれたのだそうです!!

大竹さんがビデオリポート第3弾を編集中でしたが、編集しながら自分で撮影した素材を観て大受けしていました。どんなのが出来上がるのか楽しみです。

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いつも忙しそうにしている桝谷さんと、この日に初めて色々お話が出来ました。さすがに映画祭も終盤になって、やっと余裕が出来たのかもしれません。映画祭に第1回から市民側のスタッフとして関わっているそうで、これまでの大変な道のりについて少しお話をうかがうことが出来ました。普段は時計の修理のお仕事をされているそうですが、「映画祭の開催年は、1年の半分は映画祭」と言っていました。やっぱりそれぐらい大変なんだなぁ…!
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桝谷さんは、「お気に入りの洋服を1枚持つ」ということについて話していました。桝谷さんは、普段はTシャツとかラフな格好が多いそうなのですが、映画祭の時に海外から来る監督たちが、普段は普通の格好なのに、レセプション・パーティーなどの時に、さりげなくフォーマルな装いを着こなしているのに、とても感心したそうです。(品の良さそうなジャケットにノーネクタイ、みたいな)。そこで、桝谷さんも、ちょっとしたよそ行きの場では、自分のお気に入りのジャケットのような服を1着は揃えておきたいと思うようになった、と言っていました。確かに、”現場主義!”の映画監督たちとはいえ、人前に出る機会が多いのですから、人前に出ても恥ずかしくないような格好をするというのは大人の証、と私も思います(私は実践は出来ていませんがgawk)。

デイリー記録班で活躍しているスタッフの方たちが、89年生まれと知って衝撃! 平成生まれの人たちが、もう映画祭の主力メンバーとして活動しているなんて!!!
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10時になり、「IDEHAサロン」の待ち合わせのため、デイリー編集室を出てワシントンホテル前に向かいました。愛さん、大宮さんたちと合流して、会場である「ふるさと」という居酒屋へ向かいます。

居酒屋「ふるさと」前にて。私はお店が前の写真が撮れれば良かったのですが、大宮さんが「実は自分が写ってる写真って少ないでしょ? 撮ってあげる」といってくれ、愛さんとともに撮ってもらいました。
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大宮さんとも。週刊誌に撮られた風にしよう!と盛り上がり、こんな感じで。怪しい写真だなぁ・・・!
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カドゥさんが通訳となり、ホセチョさんからの質問に各自順番に答えていくというスタイルで進められました。参加監督はNDSの金さん(IDEHAサロン皆勤賞だったそうです!)、NDSの中村さん、大宮さん、土井さん、そして私でした。
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通訳のカドゥさんと、審査員のホセチョさん
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途中で映画祭東京事務局ディレクターの藤岡朝子さんも加わりました。
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まず、最初の質問は、被写体となる人たちとどれぐらいの時間をかけて、どのように関係を築いて撮影をしたのか?というものでした。

それに対する各監督の答えは、面白いぐらいに違っていました。まず私は、前にもここに書いたことが何度かあるかもしれませんが、今回の作品に限って言えば、”裁判のために作る。裁判が始まる時期から逆算すると、もう残された制作時間は少ない”という大前提があったので、最初はカメラを回さずに時間をかけて人間関係を作る、というようなことはせず、顔見知り程度の状態でインタビューをさせてもらい、逆にインタビューをすることによって絆が出来、その後の関係が作られていった、といったようなことを話しました。また、その人らしさを引き出すために、これも以前ブログで書きましたが、私を論破しようとする人には正論ではなく自分の言葉で語ってもらえるように工夫した、とも言いました。

土井さんは、「”私”を生きる」に関しては、撮影に2年間かけ、じっくりと人間関係・信頼関係を作り、それからカメラを回したと話していました。いかにも土井さん的な、誠実な取り組み方です。

大宮さんは、「9月11日」に関しては、5人のカメラマンを雇い、1日で撮影したものだといいました。だから、一期一会だし、その後被写体の人たちがどうなったのかは知らない、と。

金さんは、もともとは「釜の住民票を返せ!2011」ではなく、自分についてのドキュメンタリー映画を作るつもりだったと話していました。それが、NDSのメンバー、布川さん、長居公園の強制排除・・・など、色んないきさつから今回の作品を作ることになったのだ、とのことでした。

NDSは、これまで私は団体名は知っていました。また、前回の山形で「長居青春酔夢歌」を上映したメンバーの佐藤零郎監督が、不当に逮捕&長期拘留されているとのニュースは、東京の自主映像作家やビデオ・アクティビストの中でもよく知られていました。私としては、NDSのことを「インディペンデント・ドキュメンタリー制作者の集団」というように勝手に理解していました。

でも、不思議なことに、金さんがNDSの成り立ちについて、あり方について、詳しく説明すればするほど、逆に良く分からなくなってくるのです・・・! 「布川さんという人が重要な役割を果たしているらしい」、「従来のドキュメンタリー制作のあり方(=監督を頂点としたピラミッド型の組織体制)を否定し、共同で作品を作ることを目指しているらしい」ということは分かったのですが、では各作品の監督はどうやって決まるのか、監督の役割は・・・?といったようなことはよく理解できず、それは英語に通訳してホセチョさんに説明しなければならないカドゥさんも、かなり混乱しているようでした。

一体どんな組織なんでしょう! NDSとは。今度また改めてお聞きしなくてはと思っていますhappy01

次の質問は「映像制作を仕事としているのか?(映像で食べていっているのか?)、制作費の回収は?」というものでした。

この質問に対する私の回答は、このブログの読者の皆さんはご存知だと思うので割愛しますhappy02。ただ1点、”居候”という言葉を、カドゥさんが”Parasite”(パラサイト)と通訳していたのが聞こえました。ホセチョさんは英語は堪能ですがスペイン人なので、どこまでネイティブが使うところの”Parasite”のインパクトとして受け止めたかは分かりません。でも、英語で”Parasite”というのは、ものすごくひどい意味として受け止められる、と以前ポールから聞きたことがあるのです。

”Parasite”は「パラサイト」として、既にジャパニーズ・イングリッシュとして使われていますし、「パラサイト・シングル」なんて和製流行語も生まれるぐらい、普通に使われています。(そりゃ、日本でも良い意味ではないし、褒め言葉でもないですけれど)。

ですが、居候状態を英語圏では(少なくともイギリスでは)”Parasite”とは言わず、その言葉には日本語の「居候」に該当するような愛嬌のある響きはまったくないそうで、えさに群がるハイエナ、ハゲタカ、寄生虫のようなかなり強い意味合いで使われるそうです。

だから私が自分の居候状態のことを、英語でどう表現しようかとポールに相談した時に(3月の雲南映画祭用に「さようならUR」のあらすじを英文で書くときのことでした)、私が「パラサイトしている」と言ったらポールがものすごくびっくりしたのを思い出したのでした。

ホセチョさん、私が「パラサイトしている」と聞いて、どう思ったのでしょうか・・・happy02!!!

NDSの金さんは、日雇いの肉体労働をしながら映画を作っているとのことで、NDSのメンバーは皆、映画で食べていけているわけではなく、何らかの仕事をして制作資金を稼いでいるそうです。

この質問に対する大宮さんの答えが印象的でした。ずっと映画を商業的に作り続けてきた大宮さんとしては、プロならばそれで食べていくべきというのが信条で、映画は「映画館」でかけられるべきだと思っていると言っていました。「最近はシネコンの台頭で、小・中規模のドキュメンタリー映画を上映するような単館系の映画館はどんどんつぶれていっている。でもそれではダメだ。映画館がなくなるということは、最終的には映画を作る人たちもいなくなって衰退してしまうのだ」と言っていました。

だから映画を作る人たちは、映画館で上映されることを目指すべきだし、プロとして採算の取れる映画作りをするべきだ、とも。そして、映画作りに関わる人たちに、正当な支払いがなされるべきだ、と。だから、上映した「9月11日」に関しては、予算の関係もあり、たった1日で撮影をした。でも、雇った5人のカメラマンにはきちんと支払いをした、と言っていました。

大宮さんの話を聞きながら、借金をしたり、生活に無理をしながらの映画作りでは、結局早かれ遅かれ行き詰まってしまうもんなぁ・・・とも思いました。長期的に、映画を作り続けていける環境と人を育てていくというビジョンを持っているのだと感心しました。

そのほかの質問は「海外の映画祭にも出品しているのか? 地元のテレビで放送しているのか?」というもの。

こちらも私の答えは皆さんご存知だと思うので省きますが、大宮さん、土井さんともに「今回山形で色んな日本の作品を観て、日本の作品が海外で通用できると思ったか?」ということに、強い関心を持っていました。大宮さん、土井さん曰く、特に最近の日本の作品は、自分の周りの世界だけ、関心事だけというものが多く、グローバルな視野は持っていないので、世界では通用しないと思う、という意見でした。

それに対してホセチョさん、カドゥさんともに、今の日本の映画も世界で通用すると思う、グローバルな問題を扱えば世界で通用するというものではない、実は日本的であればあるほどそれはユニバーサルなのだ、小津や黒澤がそうではないか、と言っていました。日本の日本らしい暮らし、日本人の感情、日本の社会・・・そういった日本特有のものの中に、世界の観客は普遍性を見出すのだ、と。

この、「日本的であればあるほど、ユニバーサルになる」これは今後自分が作品を作るうえで、心に留めておこうと思いました。

途中から、この賞のスポンサー企業であるスカパーの方々も見えました。
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最後の質問は「どのように作品の上映をしているか?」でした。私はブライアンの時に80回近く自主上映をしたことを話しました。映画業界に何のつながりもないので、新聞で平和運動のイベント情報を見つけて主催者に電話をし、映画の上映をしてくれないかと頼んだり、野宿者を排除して閉鎖するという公園(宮下公園)で、その公園が閉鎖される前日に上映をしてもらったり、ツリーハウスで上映をさせてもらったり、etc。映画館ではないけれど、社会的な運動と繋がって、色んな場所で上映してきたと話したら、ホセチョさんは興味を持っているようでした。

あっという間に2時間過ぎ、「IDEHAサロン」は終わりました。とても興味深いトピックがたくさん話されたので、毎回参加すればよかったと悔やみました。愛さんによれば、毎回、参加する監督たちによって質問や話題の展開が全く違ったのだそうです。その前の回は銀鉛画報会の人たちが多く参加していて、そのときは8mmの話題とかが中心だったそうです。

もう12時を過ぎていましたが、無事上映会を終えた私は開放感でいっぱいで、その時間から香味庵にみんなと向かいました。上映が終わっていなかったら、きっと参加しなかっただろうと思いますが、うれしい開放感で、疲れは全くありませんでした。

いつも面白いことばかり言う金さんですhappy01
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デイリー編集室の花岡さんも、声をかけてくれました。9月に映画祭のウェブサイト用インタビューをしてもらったときに、撮影を担当されていました。
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うどんが振舞われていました。
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こちらの香味庵スタッフの方もボランティアスタッフで、「さようならUR」も見に来てくれました。映画祭期間中、香味庵担当なので閉店の2時過ぎまで働かなくてはなりません、大変そう~。
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香味庵では、NDSの中村さんとたくさんお話が出来ました。撮影された千里ニュータウンは、高幡台団地よりもっと利害関係が複雑で(もとはURの団地でしたが、建替えはリクルート・コスモスが行っている)、立ち退きの強制執行もかなり暴力的に行われ、当事者・弁護士・撮影者の関係も難しいように思いました。

同じ社会運動や住民運動を記録する者として、どのように、どんな立場で問題に関わっていけばよいのか、当事者との関係はもとより、いろんな思惑で関わる支援団体との関係はどうあるべきなのか・・・など、私も今回の撮影を通じて本当に思うことがたくさんあり、お互い話は尽きませんでした。今後機会があれば、中村さんの映画と一緒に上映で来たら良いなと思いますし、映像制作者の社会運動とのかかわり方についてNDSの方々ともっとたくさん話せたらと思います!

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話していたら、もう香味庵の閉店の時間(2時)になってしまいました。今回の映画祭期間中、こんな遅い時間まで外に遊びに行っていたのは初めてです! やはり、上映が終わったという開放感はすごいなぁ。いよいよ山形も明日が最終日。でも、山形後には仙台でのイベントも控えているので、さすがに明日は2時まで香味庵にいるのはやめよう、今日だけにしよう。そう思いながら、晴れ晴れした気持ちでホテルに帰りました。

部屋に戻り、お風呂に入ってから、この日一日の出来事をノートに綴っていたら、時間はもう既に明け方の4時半になっていました。それでもまだ興奮状態で、イギリスのポールにも上映のことを携帯からメールを送ったり、寺澤さんにも「150人ぐらい来てくれたんですよ!」とメールしました。(寺澤さんからは翌日、「150人はすごいねぇ。もともと、物好きが集まっている映画祭だからかなぁ」って返事が来たんですが! ”物好き”だって・・・!!)

この日はやっとゆっくり熟睡することが出来ましたhappy01

追伸:
この日の報告が、とんでもない長さになってしまい、スミマセンcoldsweats02 
後の日程は、ここまで長くならないと思いますので、ご容赦を。

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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その5(10月10日)

この日も朝8時に起きて朝食を食べました。相変わらず、ラップにくるまれたおにぎり、味噌汁(具はほんの少しのわかめと、これ以上小さくはカットできないぐらいの豆腐)、漬物、のり(一袋)、コーヒーでした。

でも、実はおにぎりの具が一応毎日変わっていることに気がつきました! 微妙に工夫してるんだ・・・
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おにぎりって、握ってあるので、結構なご飯の量があります。昆布おにぎりのほうをかばんに入れ、おなかが空いた時に食べるようにしました。意外に、こういうタイプの朝ごはんは便利かもしれない、などとさえ思うようになってきました。
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朝ごはんの時に、下之坊さんと同席になり、予想外だった昨夜の出来事を話しました。下之坊さんも、字幕を入れたバージョンを映画祭期間中にアップするとは想定していませんでした。「あと30分ほどで終わるところまできました」と伝えると、下之坊さんも朝、様子を見に立ち寄るということになりました。

川口さんより、このビデオリポートシリーズは、映像作家が映画祭をどう見たのかという感じでやっているので、突然ティーさんのインタビューが始まるのは、他の作品と比べて違和感があるかもしれない、なぜ私がこのインタビューをしようと思ったのかという経緯を最初のほうで述べたほうが、観る人は(そういうことなのね)と思って観れると思う、と言われ、私もその通りだと思ったので、最初にインタビューをすることになったいきさつを加えることに。

インタビューをすることになったいきさつは、私たち3人のホテルが一緒だったから、なので、ちょうど私はホテルでの朝食を撮った写真があることを思い出し、その写真にコメントを入れていく形で導入部分を作ることにしました。

下之坊さんは普段ファイナルカットを使われているということだったので、写真&コメント入れの作業を下之坊さんがされることになったのですが、バージョンが違うと色々使い勝手が異なるようで、結局また川口さんにやってもらうことに。
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これがファイナルカットの画面。マックは基本的にデフォルトの画面文字サイズが小さすぎると思います。画面の色も薄いし、目に負担がかかりそう。私はマックは使いたくないな。
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「あと30分で終わる」などと目論んでいた私の思惑は、またしても外れ、結局3時間もかかってしまいました。この日も、午前中の映画はあきらめることにweep。でも、午前中でビデオリポートを完成することが出来たので、晴れて自由の身となりました! 

完成したビデオはこちらです!! 20分もあるのですが、最後まで見てくださいね!!

とってもお世話になった川口さんと
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お昼ごはんを簡単に済ませ、午後はインターナショナル・コンペの「監督失格」(平野勝之監督)を観にいきました。日本からもインターナショナル・コンペには多分たくさんの応募があったのだと思いますが、日本作品で唯一、このプログラムで上映される作品です。

映画は、亡くなった女優の林由美香さんを生前に撮影した映像と、由美香さんの死後も前に進めないでいる監督の赤裸々な様子が描かれています。

監督の目を通して、由美香さんの魅力が語られているわけですが、私はやはりこれは由美香さん自身がものすごい魅力的だったのではないか?と思いました。私は由美香さんが亡くなる数年前に、とある飲み会で同席したことがあるのですが(光栄にもお酌までしていただいたのです!)、女優というオーラを放ちつつも、びっくりするぐらい気さくで、あっけらかんと話す彼女をま近で見て、感動したのでした。

映画では由美香さんを描きつつも、肝は監督自身の迷いや苦悩にあるのだと思いますが、実は私が一番印象に残ったシーンは、由美香さんのお葬式で”かつての男たち”(7~8人の年代も様々な男たち)によって由美香さんの棺が担がれ、運ばれていくシーンでした。それを見た時に、(あぁ、由美香さんは皆のものなんだなぁ・・・)と妙に納得したのです。

監督質疑応答の様子
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映画のあと、夕方5時からはなんと取材が入っていました! 以前のブログでも書きましたが、山形の映画祭で、初めて私に取材申込があったのです! 海外からの来場ゲストも多いのに、しかも何の前評判もない私の映画に興味を持ってもらえたことがとてもうれしく、(一体どんな人だろう?)と楽しみにしていました。

5時に映画祭の受付に行き、ライターの水上賢治さんとお会いしました。映画祭のプレス用貸し出しDVDにて、既に映画は観ていただいたとのこと。「最近、ああいう映画は珍しい」とか「最近は、ドキュメンタリー映画を観て胸がスカッとするような感覚は味わえたことがない」、「あの作品は女性監督だから出来たのだと思う。男性監督では、どうしても距離をおこうとなってしまう。あの吹っ切れ方は、女性でないと出来ない。男性監督ではやろうとしてもできない」etcなどのコメントをいただきました。「インタビュー」ではありましたが、私に対する質問だけでなく、水上さんの感想や最近の映画全般の傾向などもお聞きすることが出来、楽しい時間でした。

水上さん
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今回の映画に関しては、私が制作当時に意図したもの、編集時で感じたもの、そして完成してから他人が観て面白いと思うもの、それらがずいぶん違うのだということを感じました。

まず、この映画を作ろうとなった時に、私としては裁判用に作るという目的がありました。映画祭では、まず興味を持たれない内容だろうと思っていました。(逆に「ブライアン~」の時は、すごく映画祭向きだと自分では思っていましたcoldsweats01)。住宅問題に興味のある人たちなら見てくれるだろう、と。だから、当初は映画祭にも応募をしていなかったのです。でも、2年前に空想の森映画祭で「ブライアン~」を上映してもらった縁で、当時の事務局代表の井上さんのほうから3月に「新作のDVDを送ってもらえませんか?」とメールを頂き、(こんなテーマでも映画祭が興味を持ったりするんだ?)と意外に思い編集途中のDVDを送り、送った後に井上さんから「ぜひ上映したい!」というメールが来て、ではせっかくだし他の映画祭にも送ってみようかな・・・といった調子の、本当に消極的なスタートだったのです。

また、「住宅問題」という限定的なテーマで作り始めた映画でしたが、作り初めてしばらくすると、これは「大家である国家と闘う普通の住民」を記録するという「住宅問題」の映画ではなく、「権力に取材を挑む、自主ドキュメンタリー監督の私」の記録でもある、と思うようになりました。UR住宅の住民でもない私が、「URのやり方は許せない!」と住民同様に(時には住民以上にcoldsweats01)怒っていたのは、マスメディアに所属していない私の取材に応じないURに対する怒りがあったからなのだと思います。だから住民の怒りだけでなく、増幅された私の怒りも合わさって、すごいエネルギーになっていたのでしょうcoldsweats01

でも、基本はやはり「団地の削減」をテーマにした作品であると私は思っているので、自分で書いた作品紹介では、「耐震性不足で取り壊されることになったUR(旧住宅公団)の団地。立ち退きを拒否して住み続ける住民と、居候暮らしで家を持たない映画監督が出会う。取り壊しの背景は民営化?日本の公共住宅を考える、異色の“住宅”ドキュメンタリー。」としました。

しかし、山形の映画祭側がカタログに書いた作品紹介では、「耐震性の不足を理由に取り壊しが決まった、UR(旧住宅公団)管理の高幡台団地73号棟(東京・日野市)。突然の決定に戸惑い、理由を求める住民たちに密着し、住宅問題に関わる専門家への取材を皮切りに、UR、国交省にもたったひとりで斬り込んでいく。ユーモアさえ感じるその姿勢によって、公共住宅問題に潜む、日本の組織体制の問題点を浮き彫りにする」となっています。

私が書いた作品紹介では「追い出しに直面する住民×居候監督」と書いて、住宅問題と自分が半々、そして興味のない人からは敬遠されがちな住宅問題の映画を、少しでも近づきやすそうなものに・・・という思惑で書いたのですが、山形のほうの作品紹介を見ると、これは私という監督が一人で権力に対し闘いを挑む映画という要素が前面に出されています。そして、その姿勢にはユーモアさえ感じられる、と。

それぞれ短い作品紹介ではありますが、作品の捉え方の違いが良くあらわれているように思います。

”ユーモア”に関して思うことは、私としては、大真面目に作った(撮影した)つもりの映画でしたが、編集段階になって気がついたことは、私が真面目に怒れば怒るほど、それは他人からみてコメディーになるということです。私自身は直撃取材の時も必死で、「小川さんも天下りでしょう!」と叫ぶところなど、撮影当時はもちろん私も小川さんも笑いなどなかったです。ですが、これが映画となると、このシーンで笑いが起こるのです・・・。必死でやっているからこそ可笑しい・・・、これは今回の映画作りで初めて気がついたことでした。

自分の意図したものと、周りの反応がこんなに違うって、今後は何を狙ってやったらいいのかしら!?って思うのですが、変に何かを狙ってコケるのもあれですし、結局は自分の思ったとおり、やりたいようにやるのが一番では?と思います。それが他人にはあまり評価されなかったとしても、自分自身は(これで良かった)と納得できるのだろうし。

あー、でもつくづく、人の反応って分からないものだな!と思います。人の反応が全く気にならないということは、正直無いのだし。。。

さて、5時半過ぎにインタビューが終わり、私は同じホテルに泊まっているタイ人監督、ジャカワーンからホテルの自転車を借りて、歩いたら15分かかってしまうフォーラムの会場へ、自転車で向かったのでした。(歩くとジャカワーンの作品の上映に間に合わないといったら、ジャカワーンが自転車を貸してくれたのでした)。

会場に到着した時は、ちょうど「大海原へ」の上映が終わり、中国のグー・タオ監督の質疑応答の最中でした。

質疑応答が終わり、いよいよジャカワーンの「偽りの森」の上映です!

私は仙台メディアテークのイベントの関係で、事前にこの作品の詳細なプレスリリースを送ってもらっていました。なので、この作品を作るに至った経緯や、描きたかったことについて知っていたのですが、それを知らないで観る人にはちょっとわかりにくい部分があったかもしれません。

でも、映画では映像・音の美しさが際立っているので、そちらに重きを入れて監督は作りたかったのだろう、とも思いました。上映後の質疑応答で、アフリカでの録音状態があまりよくなかったので、タイに戻ってからスタジオでかなり音を直した、と言っていました。今回の映画祭で、すごい!と思った作品の多くは、音にこだわりを持ってきちんと作っているので、やはりこの音作りはかなり作品の出来に差をつけるのだ、と感じました。ラストのほうのシーンで滝の映像と滝の音があるのですが、その滝の音は本当の滝の音ではなく、音楽を使っているのだそうです! それもびっくり!!

質疑応答の様子
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質疑応答が終わり、会場を出ようとしたら、鶴岡の佐藤高雄さんに会いました! 映画祭が始まる前から、高雄さんも全日程映画祭に参加すると聞いていて、山形に到着してから何度か携帯のメールで連絡はしていたのですが、チナツさん同様、本当に人と待ち合わせをするのが至難の業なのです! 映画祭5日目にして初めて、高雄さんと会えたのでした。

映画祭では、めいいっぱい映画を観ようとすると、会場の移動や上映スケジュールなどでご飯を食べるのさえままならない、ということは私も学習したのですが、既に山形の映画祭に来たことがあり、映画をめいいっぱい観たと言う高雄さんは(今回は以前ほどではないそうですが)、パンをたくさん買って持ち歩いていると言っていました。高野さんもぶどうを買って持ち歩いていましたし、さすが映画祭上級者の知恵だと思いました。

高雄さんからパンを分けてもらいました!
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そのあとは、「アジア千波万波」プログラムの「柔らかな河、鉄の橋」を観ました。ベトナムのティーさんのメディアセンター・ワークショップから生まれた作品です! 観るのをとても楽しみにしていました。ハノイ近郊の鉄橋で、4人の監督がそれぞれ撮った作品を1本にまとめたもの。橋の上での露天商を取り締まらなければならない警備員が、露天商たちの状況に理解を示しながら日々橋の上を歩く様子、川で裸で泳ぐ老若男女、物売りの女性たち・・・。ベトナムの日常・息遣いがそのまま伝わってくるような作品でした。

上映後の質疑応答(監督よりも、プロデューサーのティーさんのほうがたくさん話していました)
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この作品のあとに、私はふと、ジャカワーンに借りた自転車を返し忘れていたことに気がつきました!! あわてて外に出て、タイ語通訳の高杉さんに電話をします。もしかしてジャカワーンたちと一緒にいるかもしれないと思って。

あいにく高杉さんとケイは、ジャカワーンたちとは別行動とのことでした。これから晩御飯を食べるところだというので、私も2人に合流することに。ケイがマツキヨの袋を持っていたので、何を買ったのかと聞いたらお母さんへのお土産だそうです。(薬局で何を?!?!)と思い聞いてみると、お母さんから日本で買ってきて欲しいシャンプーや化粧品類を購入したのだとか。でも、日本のシャンプーなんて、欲しい銘柄をどうやって指定するの??と思ったら、なんと、空き容器をケイに持たせて、それを薬局で店員に見せ、買えたのだそうです!! お母さんはまだ若いんだろうし、お金持ちっぽいから、日本の美容品に興味を持ったりするのでしょうけど、私だったら旅先でこんな面倒くさいお土産の指定はうんざりですが・・・!!

高杉さんとケイ
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今年の3月に雲南の映像ワークショップで知り合ったときは、ケイは週3日、バンコクのアートギャラリーで働いているといっていました。大学の中にあるギャラリーで、外国人の対応をすることも多く、受付のほかに、イベントなどのビデオも撮ってそれを編集したりする、と言っていました。週3日なので給料は少ないけど、自分の制作時間も持てるからちょうどいい、とも。

その仕事がどうなったのかと聞いてみると、7月頃にやめたとのことでした。「つまらないから」と言っていました(←理由はそれだけではないかもしれないですが)。今はフリーランスになって、つい最近までポーランドの監督がタイでお坊さんのドキュメンタリーを作るプロジェクトのタイ側コーディネーターをしていたと言っていました。

破天荒な生き方をしてきた若者がお坊さんになる前&後でどのような変化があるのか、それを追うドキュメンタリーだといっていました。その被写体探しをするのもケイの役目だったそうです(大変そう・・・!)。無事、対象となる人を見つけ、プリ・プロダクションは終了したところで、次の撮影は来年になるとのこと。その間何をするかはまだ決めていないと言っていました。

タイの伝統では、男性は結婚前にお坊さんになるのが、一人前の男性になるために良いとされている、というようなことを言っていました。日本だったら、仏の道に入る=俗世を捨てるということですから、会社員を辞めてお坊さんになり、数年後にまた会社員に戻る様な感覚では、お坊さんになる人はいないかと思います。その点についてケイに聞くと、タイではいったんお坊さんになってまた普通の生活や仕事に戻るのはよくある、と言っていました。若い男性の人生修行の場というように捉えられているのでしょうか?

12時ごろになり、この日は香味庵に行くことなくホテルに戻ることにしました。帰り道で、吉田孝行さんにばったり出会いました。山形には、映画批評のワークショップで参加しているとのことでした。今日まで忙しくて、明日からやっと映画がちゃんと観れる、とか言っていました。明日って、実質上映画上映の最終日じゃないですか! 映画祭に全日程参加するといっても、その過ごし方は本当に人それぞれなんだなぁ、とつくづく思いました。特に日本の監督の作品に注目しているので、私の映画も観に来てくれるとのことでした。

この日で3連休が終わり、映画祭期間中に出会った人たちで、全日程参加するのではない人たちの多くが、「10日までで帰る」ということでした。普通に会社勤めをしている人ならば、3連休の休みで映画祭に来るのが一番来やすいし、実際週末にかけての人の数は映画祭初日よりも断然多いと思いました。映画祭の居酒屋である香味庵も、「週末は人が多すぎで、2階の床が抜けてしまうと困るから、2階の入場制限をかけたりする」と聞いたりして、圧倒的に週末の人出の方が多いと思いました。

映画祭のお客さん自体、今日で随分はけてしまうし、明日の自分の上映はどうなるのかな・・・と思いました。席は300席もあります。事前に自分でも宣伝はしたし、知っている人たちに向けて「東北方面にほとんど知りあいがいないので、宣伝に協力してください!」と”最後の訴え”的なものもしたのですが、どうなることやら・・・。

ちなみに、朝ごはんの時には土井さんと一緒になり、土井さんは「自分の上映は同じ時間に『311』とぶつかって、お客さんが少なかった」と話していました。自分の作品の上映時間に、大きな話題作があったりすると、そちらに人が流れていってしまう・・・。

映画祭に行く前に寺澤さんからは「300席埋めるって大変なことだよ。お客さんが15人だったとしても、ちゃんと写真を撮って送ってください」と言われ、大きな会場にお客さんがポツポツと蛍のように点在する光景を私も想像していました。

今こうして映画祭のことをブログに詳細に書いているのは、映画祭期間中に毎晩、ノートにその日あったことを綴っていたからなのですが、上映日前日のページには、そんな私の切実な胸のうちが書き連ねてありました。

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明日は上映。ブルーレイディスクが、最後まで問題なく再生されてください! それだけが私の願いです。その次は、なるべくたくさんお客さんに来てもらえる事。でも今日で帰ってしまう人が多いそうだ。でもここまで来たらもうお客の数はどうでもいい。ぴあの人は映画を面白かったと言ってくれたのだから、胸を張ってみんなの前に立ちたい。おやすみなさい。
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今から読むと、スーパーに飾られてある七夕の短冊にしたためられた願い事のようで笑えるのですが、私は文字通り祈るような気持ちでこれを書いていたのです。

翌朝は朝食を食べるのをやめ、ゆっくり寝て上映に備えようと思いました。1時過ぎに寝ました。

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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その4(10月9日)

前日はお酒も飲まず、早めに寝たので、この日は割りとよく寝られたほうでした。でも、時々目が覚めるのは、お酒のせいではなく、やはり自分の上映が終わらない限りは落ち着かなくて、常に自分の気持ちのどこかで上映のことを考えているからなのだと思いました。

今回、私は初めてのブルーレイディスク上映をすることになっていました。山形では、HD素材は全てブルーレイ上映となっているためです。私としては再生が安定するMP4データなどでの上映を望んだのですが、ブルーレイでということだったのでそうしました。ブルーレイはDVDより再生が安定していると聞いたこともありますし(←プレーヤー自体が、古いものは存在しないし)、一方で、同じディスク領域に高密度にデータを書き込んでいるブルーレイのほうがエラーが多く発生すると聞いたこともあります。一体どちらが正しいのか、未だに分かりません。

私は自分で字幕を翻訳し、字幕入れをし、ブルーレイに焼いたので、そのディスクが山形で上映されるプレーヤーでちゃんと最初から最後まで再生されるのか、事前に「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラム担当の愛さんにお願いしていました。愛さんからは9月のはじめ頃に「山形で使用する再生機できちんと最後まで再生された」という連絡をいただいていたのですが、(プレーヤーにほこりが入ったら・・・)とか、(映画祭会期の最後のほうなのでプレーヤーもくたびれてくるのではないか?)とか、色んな不安が頭をよぎり、香味庵にいても、レストランにいても、時々そんなことを考えたりして、やはり完全に開放されてお酒を飲むということはしませんでした(その代わり、上映が終わったその日からは深夜まで遊びに出かけるようになりましたけどcatface)。

私としては自分の上映はなるべく早く終わってもらい、後は映画祭を楽しみたいと思うタイプなのですが、他の上映監督たちと話していて、その人たちは初日の上映だったのですが、「映画祭で色んな人たちと知り合って、仲良くなって『あなたの映画を観にいくよ!』と言ってくれるのに、自分の上映がもう既に終わっていて悲しい」と言っていました。・・・そうかぁ、確かにそれも残念ですね。いつ上映するのがベストか、これはなかなか悩ましいところです。

さて、話がずれましたが、この日は朝8時に起きて、朝食を食べに行きました。前日にティーさんから聞いたベトナムのインディペンデント・メディアセンターの状況を下之坊さんにも話しました。「では彼女にインタビューをさせてもらおう!」ということになり、後から朝食を食べに来たティーさんに取材を申し込みました。とんとん拍子で話が進み、12時半からインタビューをすることになり、インタビューの会場は私が探すことになりました。

デイリーの編集室に行き、川口さんにインタビューで使わせてもらう部屋はないかと聞きました。結局、アワプラさんが公民館4階のトークサロンで使っているスペースの空き時間に場所を貸してもらえることになりました。

場所の確保が出来たので、フォーラムに「よみがえりのレシピ」(渡辺智史監督)を観にいきました。監督のプロフィールに「鶴岡市生まれ」と書いてあったのを見て、(もしかして鶴岡の高雄さんが以前話していた監督では?)と思い、観にいってみることにしました。劇場に到着したときには、既に30分ぐらい経過していました。山形の在来作物を守り育てる生産者、それらの野菜を用いるレストランのシェフ、漬物屋さん・・・。それらの人々の思いが語られていました。画面いっぱいに映し出される野菜たちのおいしそうなこと!

そのあとは、20分ぐらいだけ、「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムの「”私”を生きる」(土井敏邦監督)を観ました。

本当は最後まで観たかったのですが、私はお昼からのティーさんインタビューが気になって、早めに4階のスペースに行くことにしました。インタビューのセッティングというのは、やはり何かと時間がかかりますし、三脚やマイクを借りたいとも思っていたので。

デイリー編集室では、2007年に「遭難フリーター」を山形で上映した岩淵弘樹監督のビデオリポートをアップロード中でした。昨日一日で撮影&編集したそうです! デイリー記録班(の主に女の子ボランティアたち)に密着した(しようとした)記録。見せてもらったら、とても面白かったです。ビデオはこちらからご覧いただけます。
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私と下之坊さんによるティーさんのインタビューはビデオリポート第2弾とすることが決定! どうしましょう~~~!

ちなみにこのビデオリポート企画は、映画祭を訪れた映像作家たちが、自由に映画祭を記録し、リポートするという企画で、第3弾は「ともにある Cinema With Us」プログラムの「雪海」監督、大竹暁(あかつき)さん(ビデオはこちら)、第4弾は雲南の映像ワークショップでも一緒だった木室志穂さん(ビデオはこちら)でした。

いつ行ってもたくさんの人がいるデイリー編集室
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川口さんに三脚とマイクを借り、4階に行きました。私の持っているマイクは、キャノンの純正のものなのですが、私の映画を観た他の映像関係者からよく「音が悪い」と言われます。川口さんに借りたマイクはAudio Technica AT9940というもので、安価な割には音が良いと評判なのだそうです。実際ヘッドホンで聞いてみると、私のよりだいぶ良い感じ。次回制作に取り掛かるときには最低でもマイクは買い換えないとと思っているので、とても参考になりました。(カメラに関しては、ハードディスクのフルハイビジョンに切り替えるかはまだ検討中です。作品作りの度にカメラを買い換えてますcrying

4階のトークサロンスペースは、監督のQ&Aの時間が押して、予定時刻を過ぎてもまだ終わる気配がありませんでした。
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予定時間を30分ほど過ぎたところで、ようやくトークサロンが終了しました。アワプラの平野さんたちに会場の設営を手伝ってもらい、インタビューの準備をします。
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実際に下之坊さんに座ってもらい、カメラの位置を調整します。他人とコラボでインタビューやるのって、実は私は初めてかも!!
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インタビュー開始!
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私は映画祭に来て以降、割りと海外の監督と話す機会が多かったですし、ティーさんのメディアセンターについては事前にたくさん話を聞いていましたし、自分もなじみのある分野の会話であったこと、数週間前のブライアン追悼上映でイギリスとのスカイプ通訳をやったことなどから、今回のインタビュー通訳に関しても(やはりところどころ誤訳はあったと思いますが)そんなに苦労を感じることなく通訳をすることが出来ました。

・・・でも通訳がやりやすかった一番の理由は、ティーさんがとても論理的に、明瞭に話す人だったからなんですがcoldsweats01

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約40分のインタビューを終え、記念撮影。
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インタビューを終えたら、とてもおなかが空いてきてしまいました。ティーさん、下之坊さんとともに、前日に行った”男性客のいない”イタリアンへ、また女性ばかりで行きました。

私はトマトクリームソースを注文。大盛りは300円増しと言われ(←高くないですか? 普通は100円増しでしょ?)断念し、普通盛りでがまん。
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ティーさんは梅干とシソの和風パスタを。どんな反応が出るかと思ったら「意外においしい」とのこと。でも表情は微妙です。
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お昼ごはんを食べ終わった後、下之坊さんやティーさんは映画を観に、私はデイリー編集室に戻って動画の取り込みをすることにしました。

デイリー編集室では、毎日発行する映画祭の新聞の印刷作業に大忙し! 毎日発行で、バイリンガルなのですから、本当に大変そうです!
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「アプダ」のホ・ユェンが表紙を飾っていました!
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印刷機もフル稼働
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「ともにある Cinema With Us」プログラムの「雪海」監督、大竹暁(あかつき)さんが、第3弾リポートのためにビデオカメラを借りにきていました!
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さて、私の考えでは約40分間のインタビューを、日本語での通訳部分を除いて半分以下にして、それでYouTubeにアップしようと思っていました。字幕をつけるなんて、とてもじゃないですがそれでは映画祭期間中には仕上がりません。20分は”中編”といわれる長さなのですから。

私はビデオを取り込みながら、デイリーの川口さんにもそう伝えました。すると川口さんは、字幕が全くないのは良くない、部分的にでも要約としての字幕を載せたらどうか?と提案しました。でも、私からすれば逆に要約をするほうが難しいのです。全てを把握した上で、エッセンスを凝縮して字幕を短くし、入れる場所を厳選するのですから。それはほとんど、全てに字幕を載せるのと、そう変わりはない作業量だといえます。

デイリー編集室の編集環境はマックだったので、ファイナルカットで動画を取り込み、基本的な使い方を教えてもらい、不要な部分をカットしました。予想したとおり20分ほどになりました。でも、このマックの処理スピードの遅さと、ファイナルカットの使い勝手の悪さは、超高速パソコンで、使いやすいエディウスに慣れてしまった私には、ものすごく苦痛でした。写真を画面サイズに合わせたり、タイトルを入れるのに悪戦苦闘。これに字幕をつけるなんてもってのほかです。

「今これに字幕を入れるなんて無理」と、私は何度も主張しました。映画祭に来るお客さんの多くは英語がわかる人たちもいるのだから、仮のアップで日本語字幕がなくても全然問題がないのではないか、と。それよりも、早くアップするというスピードのほうを重視すべきだ、と。映画祭の後で字幕入りバージョンを載せるでいいではないか、と。

何んだかんだ言っているうちに、5時近くになってしまいました。今日はこれから映画を2本観ようと思っているし、そろそろ行かなくては・・・と思ってもいました。

しばらく考え込んでいた川口さんが、「それじゃあ、早川さんに口頭で訳してもらって、自分が字幕を入れましょうか?」と言うではありませんか・・・!!!!!!!

それがどれだけ大変な作業を意味するのかは、映画監督でもある川口さんならきっと理解していたはずです。それを承知の上で言っているのです・・・!!!

私は川口さんが字幕作業を引き受けると発言した時点で、私も(今日はもう映画を観れないんだ、観るわけには行かないんだぁぁぁ・・・)と覚悟を決めたのでした。

既に夕方5時。それから1フレーズずつ再生→翻訳→字幕入れ→聞き取れなかった場合はまた再生を果てしなく繰り返します。私は今まで字幕入れ作業を1日でやったことなんてありませんでしたから、本当に(今、とんでもないことをやっている)という気持ちでした。

夜8時半。まだ半分ほどしか終わっていませんでしたが、デイリー取材班のミーティングが始まりました。私も作業をやめて、ミーティングの様子を見ていました。
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会社員ならば、もう今日の仕事は終わりで飲みに行く・・・の時間ですが、この30畳ほどのスペースに、たくさんのスタッフが集まって、今日一日の報告、注意事項、明日の人員配置などを真剣にやり取りしている様子は、まるで部活のようです!!!

デイリー記録班の人たちは、デイリーニュースのために各会場の監督質疑応答の顔写真なども撮影しているのですが、その撮影について、バストトップの写真を撮るときの注意事項や、ISOの設定を変えないように、とか様々な注意事項を伝えていました。それらを真剣に説明していて、聞いている人たちも真剣そのもので、(青春だなぁ・・・)とか思いながら私はその場にいました。
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この日のミーティングでは、デイリーの0号と1号が在庫切れになってしまったので、今夜中に増刷する、その作業を手伝って欲しいということも話し合われていました。これから印刷・・・!!?? スタッフの皆さんの大変な努力によって、このような大きな映画祭が運営されているのだということを、私はこのミーティングに居合わせたことで、その片鱗を感じられることが出来、つくづく(デイリーの編集室で作業させてもらってよかった)と思いました。

あとで川口さんに聞いたところ、デイリー編集室のスタッフの人たち(主に山形在住のスタッフたち)は、隔年で開かれる映画祭の合間にも、ボランティアスタッフの人たちと人間関係を作っているので、映画祭の時にこのように結束して仕事をすることが出来るのだ、と言っていました。映画祭がない時期でも、例えば毎月(?)の地域での上映会に誘ったり、会ったりして、関係が続いているのだそうです。確かに、人間関係とか信頼関係が出来てないと、一丸となってやらなければならない作業の時にみんながまとまるのは難しいでしょうからね。きめ細かい努力をしているんだなぁ・・・と思いました。

9時を過ぎても、デイリー編集室は相変わらずフル稼働で、ほとんど全ての人がパソコンを立ち上げ、印刷機も運転しており、誰かが「ブレーカーが落ちる!」と叫びました。明日のインタビューのために作品のDVDを鑑賞する人、デイリー新聞用に撮ってきた写真を選定する人、果ては、映画祭の最新情報をツイッターでつぶやき続ける人まで・・・。ここにいると、時間の感覚がなくなり、アドレナリンだけで走り続けているような気分になってしまいます。多分映画祭が終わった後は、みんなぐったりなんだろうなぁ。

映画祭の写真をネットにアップ

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ミーティング終了後は、また字幕作業を再開。10時ごろに、やっと字幕の仮入れ作業が完了しました! ・・・とはいえ、これは川口さんにざっくりと入れていってもらったものなので、私が最初から見直して、翻訳の直しと、入れる位置の最終調整をしていかなければなりません。でも、大変な部分を全部川口さんにやってもらったので、残りの作業は本当に楽です。ほんと、すごく助かっちゃいました。感謝してもしきれません・・・!

10時半頃のデイリー編集室。
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まだこんなにうじゃうじゃ人がいる!
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私はひたすら字幕の修正作業をし、11時半ごろにはあと数分ぶんで終わり、というところまでたどり着きました。このまま行けば、明日の朝30分ぐらい作業すれば完成の見通しです。この頃にはもうぐったりでした。今日の作業はここまでにすることにしました。

デイリー編集室の人たちは、まだかなりの人数がいましたが、私は先に失礼することに。一体最後に編集室を出る人って何時なんだろうと思いながら・・・。

この日は、この日から映画祭に遊びに来た、自由と生存の家・野菜市の金さんと待ち合わせして、香味庵に行くことになりました。金さんは最終の映画を観ていて、終わるのが11時半ごろと言っていたので、私もちょうど時間が合いました。

週末の香味庵は、たくさんの人でごった返していました。お店の奥のほうに行くのも大変な状態でしたが、何とか人の波をすり抜け、混雑を避けた場所をみつけます。ちょうど雲南の映画祭のオーガナイザー、イ・スチャンがいました。

金さんが「雲南はインディペンデントのドキュメンタリーが盛んと聞いた」と話すと、イ・スチャンは「そんなことはない。雲南の映画祭があるから、インディペンデントのドキュメンタリーが盛んという印象をもたれているのだろう。実際は北京などのほうがずっと盛んだ」と言っていました。ただし、政府(北京)から距離的に離れている分、北京よりは自由に出来る度合いが高いかもしれない、とも。

香味庵にはあまり長居せずに、1時ごろにはホテルに戻りました。今日は、全く予想外の展開でした。映画祭に来て、1日に1本もまともに映画を観なかったなんて! でも、私の中では充実感がありました。下之坊さんと一緒に、ティーさんのインタビューを撮れたこと。私一人だったら、いくら面白いと思っても、こうしてせいぜいブログに書くぐらいで、場所を押さえてちゃんとビデオでインタビューしようとまでは思わなかったかもしれません。ちゃんと記録して、伝えられるようにして良かったですし、やはり日本語字幕も入れることにしたほうが、断然見てくれる人の数も多くなるだろうと思いました。そして、映画祭を支えるボランティアスタッフの方々のお仕事を、間近でみることができたこと。映画を観るよりも、とても充実した1日だったと思いました。

・・・でも明日はさすがに映画を観たいよなぁ・・・catface

そう思いながら2時ごろに寝ました。

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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その3(10月8日)

山形に来て以降連日お酒を(たくさんではないけれど)飲んでいるので、私の場合は眠りが浅くなってしまい、寝ていても途中で目が覚めてしまいます。この日も何度か目が覚めながら、また朝8時におきました。寝不足気味な感じです。

朝ごはんを食べに1階に下りていくと、駒澤大学でメディアを教えている手塚義治先生に会いました。以前、五野井先生とともに、駒澤大学の講義でブライアンの部分上映と講演をさせてもらった際に、大変お世話になりました。

手塚先生は、山形はもう何度か来ているそうで、なんと、記念すべき第1回の映画祭(89年)にコンペ部門で作品が上映され、賞を受賞されているのです!!(「家族写真」という作品で、イギリスの映画学校の卒業制作として作ったそうです) 第1回の映画祭の時は、山形市が主催していたそうですが、山形市総出で盛り上げているという感じだったと話していました。

手塚先生の奥さんはロンドンに住み、ブライアンの抗議活動に森住卓さんのイラクの子どもたちの写真を持ちこんだ人です。もともとはそのつながりで、奥さんのほうと先に知り合っていました。でも、奥さんはそれ以降ブライアンの活動から遠ざかっていましたので、ブライアンの活動の最後のほうについては詳しく知らなかったので、手塚先生に私から説明しました。先生は「残念だねぇ・・・」と言っていました。

手塚先生は、このα1ホテルは数週間前に予約をしたのだそうです。私は、山形の映画祭は県外から来る人がほとんどと聞いていたので、ホテルの予約(特に便利な場所)は大変だろうと思っていました。前日にお会いした名古屋の高野さんは、夏には予約しないと連泊では宿泊できないとも言っていましたから。

でも、手塚先生によると、グランドホテル(←審査員クラスが宿泊)やワシントンホテル(←コンペ作品の監督たちが宿泊)などから先に予約が埋まるけれど、α1は直前でも空いていると言っていました・・・

ケイに聞いたところ、グランドホテルの朝食は和食(山形の郷土料理もある)や洋食など、ブッフェではたくさんの選択肢があるそうです・・・。α1はそもそも選択肢もなく、ブッフェでもなく、おにぎりriceball。どんな業界でも下から這い上がって、上り詰めた人たちだけがいい思いができるようになっていますが、私も「次はワシントン、将来的にはグランドホテル」を目指さなくては、と思いましたhappy02

グランドホテルはこんな感じ(でも実際は、内装はかなり古いのでは?とも思うんですが・・・coldsweats01
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朝食を食べた後は、朝一番の「永遠のハバナ」(フェルナンド・ペレス監督)を見に行きました。この監督は、インターナショナル・コンペの審査員でもあります。

観始めた当初、(これは劇映画なのではないか??)と思いました。映画のような撮影で、構図がかなり練られていると思ったからです。でも、しばらくして(相変わらず絵が美しいものの)これはハバナにいる本当の人たちなのだと思いました。絵の素晴らしさ、各登場人物の絶妙な繋ぎかた、音の入れ方の大胆さ・面白さ・・・、観終わって大感激で、私は今回の映画祭で観れた作品の中で一番良かったと思いました。

上映後のQ&A(通訳をしているのは隆夫さん)
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Q&Aでは監督にとって初めてのデジタル作品だったと話していました。デジタルで撮影し、その後のポスト・プロダクションでフィルム風に見えるように加工したのだそうです。音がものすごく重要だと考え、音は全てスタジオで作ったものを使ったそうです。すごい時間がかかったそうです。例えば、道路の雑踏や車の音なども、本当の車の音を使っているのではないのだとか。光と影のコントラストが大切と考えて、ライティングにはとても気を使ったそうです。映画の中で、父子が屋根に登って星をみるシーンがあるのですが、そこなんてもう本当に素晴らしい世界が広がっていました。

上映の後のロビーで監督がすぐ近くにいて、色々と話を伺うことができました!
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映画に出てくる被写体の人たちをどうやって探したのかと聞いたところ、探して探して、探しまくったといっていました。自分で路上で見つけた人もいれば(ハバナの路上でピーナツを売るおばあさんはハバナでは誰でも知っている人なのだそうです)、アメリカに移住するシーンで登場する人は、監督の友達の友達で紹介してもらった人。

映画に出てくる登場人物はどの人も自然に、かつ、凛と振舞っているのだけれど、これは監督にとってとても難しかったそうです。とにかくキューバ人はおしゃべりだから、べらべらとしゃべり続けてしまう人ばかり。でも、そんななかから黙って何かに集中している、映されていることを忘れて自分の世界に没頭する瞬間を捉え、つなげて映画にしたそうです。

女性がコーヒーを入れるシーンがあるのですが、その女性は最初撮影されたときにがちがちで不自然だったそうです。普通の人なら、そうなるのは当たり前ですが。それで監督は、彼女にカメラになれてもらうために、カメラだけを残してしばらく外に出て、それで戻ってきて「では、私たちのためにコーヒーを入れてくれませんか?」といって、それで自然な状態で、かつ、いつくしみながらコーヒーを入れるそのシーンを撮影できたのだそうです。

編集のつなぎ方が本当に絶妙で天才!って思ったのですけれど、編集は女性の編集者が担当して、彼女はとても柔軟に監督の意見を取り入れてやって見せる人だったそうです。「編集者の中には、自分のつなぎ方に固執して人の意見に耳を貸さない人もいるでしょう? でも彼女は違った」と言っていました。監督は編集者を信頼しているとはいえ、でも、全ての細部に自分も関わって意見した、とも言っていました。

映画のラストに各人の夢が語られるのですが、そこは” ”で一字一句たがわぬように、本人の言葉をそのまま使ったといっていました。唯一、ピーナッツ売りの女性が「夢は、もうない」とかかれてあるのですが、その点について聞いたところ、監督がその女性に夢を何度も聞いても教えてくれなくて、「あなたの映画が成功しますように」とか言って、監督は「それは私の夢であって、あなたの夢ではないでしょう! あなたの夢を語ってください」と懇願したそうですが、ついに最後まで答えてくれず、監督は「夢はもうない」と入れたのだそうです。

・・・監督に質問攻めで、審査員はインターナショナル・コンペの全作品を観なければならないし、お昼ご飯も食べないといけないのに、私たちは30分近く引き止めてしまいました。でも、質問はしてもしても尽きないほどでした。

お昼ごはんは、会場近くのモスバーガーでティーさんと一緒に食べました。ティーさんがやっているメディアセンターについて、更に詳しく聞きました。ワークショップを無料で開講しているということは既にこのブログで書きましたが、その内容がまた衝撃的なのです!

入門者向けのワークショップは年1回開講で、週1回、全3ヵ月のコースなのだそうです。約10名の枠に対し、短い告知期間にもかかわらず200人以上の応募があるそうで、数週間かけて彼女は受講生の選抜をするというのです!!

その選抜方法は、1~2週間ひたすら世界各地のドキュメンタリー映画の上映をし、ワークショップの受講希望者はその上映会に参加し(出席回数も選考対象)、感想をレポートに書きます。みんなからのレポートは厚さ5センチぐらいにもなって、まるで大学の期末試験のようですが、彼女はそれを読み、どんな視点を持って映画を観ているか、社会に対する問題意識はどうか、ユニークな発想を持っているか、といった点を採点していきます。それで200人の中から30人ぐらいまで絞ります。

30人に絞ったら、今度は各希望者と個別に面接をして対話をします。また、各人にデジカメを渡して、1時間半外に出て好きなものを撮影してくるように言います。そのほかにも、自分のお気に入りの写真や、他の人が撮ったもの(雑誌などに掲載してあるもの)から良いと思った写真を持ってきてもらいます。

なぜ写真を持ってきてもらうのかというと、ドキュメンタリー制作は、”映像表現”である以上、絵的なセンスを持っていないとダメだからです。また、面接をして個別に詳しく対話をしていくのは、ドキュメンタリーの制作者になりたいというのは、相当コミットする覚悟がないと続かないので、やる気・意思のある人を選ぶためだそうです。

このような厳しい選抜の後に残る人は、大抵映画とは全く関係ないフィールドから来た人が多いのだそうです。映画学校の学生からも申し込みはありますが、彼女曰く「They are already destroyed by the school.」(「彼らは既に学校によって才能をつぶされてしまっている」といったような意味)と言っていました。映画学校卒の人を数人採用したこともあるけれど、大抵途中でドロップしてしまうとも言っていました。

こんな厳しい審査のもとに受講生を選んでいるので、ワークショップの受講後に自主ドキュメンタリー制作者を目指すようになる人はとても多い、と話していました。そして、そういう人はこのメディアセンターの運営にも積極的に関わってくれるそうです。実際、彼女は現在日本に数ヶ月滞在しているわけですが、その間のセンターの運営はかつての受講生たちがやってくれているのだそうです。

聞いていてつくづくすごいなぁ・・・と驚くばかりです!!

とはいえ、センターを立ち上げて2年間、あまりに忙しすぎて、自分の作品を作る時間が全く持てなかったそうです。今後はもっと自分の時間を持てるようになって、作品も作りたいと話していました。

お金をもらっているドイツの機関は、最初の2年間は大きな金額を出してくれて、それで機材などを充実させることが出来ましたが、2年目以降はだんだん少なくなるといっていました。機材はいったん揃えても、何かと維持費もかかります。今後の見通しは実は立っていないのだ、とも話していました。

私はティーさんの話を聞くにつれ、そして日本の下之坊さんやそのほかの独立系メディアでがんばっている人の話を聞くにつれ、メディアというような公共のもの、大きなものの発生と成長が、実は類稀なる個人のがんばり&奮闘・多大なる負担によって支えられているのだ、と思いました。国や政府、もしくは大きな団体ががんばっているのではない、そういう人たちは後から成功事例に乗っかってくるだけで、最初の一番大変なものというのは、全くの個人の負担とリスクの上に成り立っているのだ!と。だからこそ、こういう個人で立ち上がった人を応援していくべきだし、その人たちの活動を広く知らせることが大切だと思いました。

さて、お昼ご飯を食べ終わった後は、ティーさんとともに中国のワン・ビン監督の「名前のない男」を観にいきました。ティーさん曰く、私は半分以上寝ていたそうで、ティーさんが映画の途中で出て行く時に起こされましたcoldsweats01。あらら・・・

この作品は、中国の廃村になった村で一人、洞窟で暮す男性を追った作品で、作品自体は、ひたすら坦々と彼の日常生活(食べる・寝る・食事を作る・畑を耕す)を繰り返し追うという内容でした。

映画では不覚にもほとんど寝てしまった私ですが、上映後の質疑応答はとても面白かったです。観客たちも、一体この男は何者なのか?、どうやって撮影したのか、言葉はしゃべるのか?、など、疑問&質問がてんこ盛りだったようで、色んな質問が飛び交っていました。

ワン・ビン監督の質疑応答の様子
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ワン・ビンのあとは、雲南の映画祭でグランプリを受賞した、中国のホー・ユェン監督の「アプダ」を観ました。雲南で観れていなかったので、必ず観たいと思っていました。この回は舞台上での質疑応答はありませんでしたが、ロビートークがありました。
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アプダの舞台は、中国の少数民族ナシ族が住む場所です。実は、ホー・ユェンもナシ族出身だそうですが、小さな頃にその地域を離れたため、ナシ族が話す言葉は本当に基本的なものしか理解できないそうです。・・・では一体どうやって撮影を?? なんと、撮影に訪れ、撮影しているときは彼らの言葉が全く分からないままに撮影し、編集の段階で通訳をつけて何を話しているのかが初めて理解できたそうなのです!!! そんなやり方ってあるのか!!!

主人公のアプダは不思議な人で、ホー・ユェンは彼を詩人的素質があると感じていました。インタビューなどしなくても、彼はひとりでに話し出し、つぶやくように歌ったりするのです。なので、ホー・ユェンはインタビューをしなくても、彼の独自の世界で編み出される言葉をそのまま記録すればよいと感じたのだそうです。

それでも、相手が何を話しているか分からない状態でずっと撮影に通い、それが作品になるというのは驚きです。”言語”を超えた言葉で彼らとコミュニケーションをとっていたのだということでしょう。

アプダを見終えたあとは、そろそろ晩御飯の時間となりました。前日の香味庵で、インド人のサミーナにインドカレー屋に連れて行ってもらうことになっていましたが、ティーさんの体調が良くなく、延期することになりました。でも、私とサミーナは待ち合わせをして、どこかでご飯を食べようということになりました。

・・・といっても、私もサミーナもこの土地には不慣れです。私も山形は既に3日目でしたが、一向に方角が分かりませんでした。二人でどちらの方向に歩こうかと話していたら、今日夕方に到着したばかりというフランス人のエマニュエル・ドゥモーリス監督(インターナショナル・コンペ部門、「何をなすべきか?」監督)と出会いました。彼女は何かの映画を観ようと思っていたそうですが、時差ぼけも激しいし、ちょっと休みたいということで私たちのご飯に合流することになりました。

今日到着したばかりのエマニュエルさんも、どちらの方向に歩いていけば良いのかわかりません。そこで通行人に「公民館の方向はどちらか? どこかご飯を食べられる場所はないか?」と聞きました。彼らは、地元のおじさん2人組みで、やや酩酊状態でしたが、親切に公民館の方向まで一緒に歩いて連れて行ってくれるということでした。

話ながら、私たちがどこから来たのか、ここで何をしているのか、という話になりました。別の日にも、私は親切な山形市内の人にフォーラムまで一緒に歩いて連れて行ってもらったのですが、山形市内に住む人でも「ドキュメンタリー映画祭? そんなのやっているんですか? どうりで、通りに外国人が多いはずだ」といった反応でした。地元の人というのは、ドキュメンタリー映画に興味があるという人でもない限り、そんなもんなのかなぁ・・・。まぁ、サンプル数がとても少ないのでなんともいえないのだけれども。

15分ぐらい歩いたでしょうか? やっと公民館のある通りに戻ってきました。みんなかなりおなかが空いていました。地元の方曰く、イタリアンとお好み焼きの店がこの辺りにあるとのことでした。”お好み焼き”は英語で説明するとしたら"Japanese pancake"となると思うのですが、英語のパンケーキはホットケーキのようなとてもそっけないもの。英語でもそう連想されてしまうらしく、お好み焼きのほうにはあまり乗り気ではない様子。お好み焼きの、お好み焼きらしさを説明するのに良い訳語はないのでしょうか? 不当にお好み焼きの魅力が失われているような気がしてなりません。Japanese Pizzaと表現した方が、バラエティーに富んで色んなトッピングを選べるニュアンスが伝わるかもしれません。どうでしょうか??

お好み焼きが不評となると、残りはイタリアンです。酩酊した中年の男性は「女性ばかりだし、イタリアンがお勧めでしょう」と言っていました。私はそれを何にも疑問に思わずに、英語にして彼女たちに伝えたところ、フランス人のエマニュエルさんがすごく怪訝そうな顔をして、「なんで女性ばかりのお店をわざわざ勧めるのか? 男性がいなければ楽しみがないじゃない?」と言ったのには驚きました!

日本だったら、「女性に人気の店」、「女性一人でも入りやすい」、「女子会にお勧め」とか、そういうのは悪意のない宣伝文句と受け止められていますし、私自身もそういう宣伝文句を聞くと(ご飯がおいしいのかな)とか(デザートが充実してそう)とか、そういう期待を抱きます。

なので、エマニュエルさんのように、「男性と出会えない環境でご飯を食べて、何が面白いのか? なぜそんなお店をわざわざ私に勧めるのか?」といった反応をするのを、ステレオタイプかもしれませんが(さすがフランス人だな~)と感心してしまいました。

とはいえ、私たちはかなりおなかが空いていたので、仕方なく男性客のいないイタリアンへ入ることにしました。インド人のサミーナさんはベジタリアンなので、肉・魚などがないものを選ぶように神経を使っていました。でも、日本ではどこでも、厳格な菜食主義を貫くのは難しいです。中華料理店で「野菜炒め定食」を頼んでも、豚こま肉が入っていますから。案の定、こちらのお店でも、ベジタリアンと言っているにもかかわらず「肉はダメでも、魚は大丈夫ですか?」と聞かれる始末。まぁ、中には魚は食べるという準ベジタリアンもいますけれど。最終的には、中に入れるもの全てを確認してからオーダーすることにしました。

3人で記念写真
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食べながら、それぞれの国のインディペンデント映画の上映環境、制作環境についての話になりました。まず、エマニュエルさんは「フランスは例外的だと思う」と言いました。諸外国、他のヨーロッパの国々に比べ、制作者を守り、育てる環境が整っている、と。それらはもちろん、映画に関わる人たちの努力によって勝ち得たものですが、例えば、映画監督の失業手当。3ヵ月働くと、その後10ヶ月間、大きな額ではないけれど生活していけるだけの失業手当がもらえるのだそうです!!!! 「実際、失業手当によって作られた優れた映画はたくさんあって、カンヌとかの国際的な賞を受賞している」と話していました。

この失業手当の原資は、国の税金ではなく、映画の各制作会社が拠出してこのお金を積み立てているのだそうです。「会社に所属していない、フリーランスの監督の場合はどうなるの?」と聞くと、フリーランスの監督でも失業手当はもらえるのだそうです。具体的な手続きはきっと色々要求されるのかもしれませんが、彼女曰く、「銀行の通帳を見せて収入が入っていないことを証明すればもらえる」と言っていました。実際彼女も失業手当金をもらって映画を作ったのだそうです!

この制度は現在ベルリンやモロッコなどでも導入され始めているとのこと。すっごーーーく、うらやましい。

エマニュエルさんは「何をなすべきか?」という作品を山形で上映したのですが、この作品はなんと11年をかけて制作したそうです! エジプトに住んでいたときに撮影したもので、編集に6年かかったとか。合計4部作からなる作品の3番目にあたる作品で、現在母国フランスでは全4作品を劇場で公開しているそうです。総上映時間はなんと12時間!!! 彼女はフランスの藤本幸久監督であると思いました。

12時間の作品を上映するなんて無謀だと、フランスの映画業界の人たちからは散々言われたそうですが、「観客はバカじゃない、理解してくれる」との思いから、全作品の一挙上映に踏み切ったそうで、実際かなりお客さんが入っているといっていました。

続いて、セミーナさんにインドの制作事情を聞きました。インドといえば、ボリウッドがあり、映画産業の基盤は層が厚いように思います。しかし、セミーナさんによれば、ボリウッドは特殊な世界で、それがインド映画全体を代表しているのではないそうです。ボリウッドの映画で使われている言葉は、実は日常生活で人が普通に使う言葉でもない。逆に、ボリウッド映画の中で使われた言葉が、人々の間に浸透して行ったりもする。そんなわけで、ボリウッドはインドの日常を映したものではないのだ、とのことです。

インディペンデント映画や、自主制作のドキュメンタリー映画を取り巻く環境は厳しく、政府はそれらの制作を支援するということはほとんどない、と言っていました。インディペンデントの場合は、ほとんどが監督兼プロデューサー。セミーナさんもそうだといっていました。ボリウッド映画は全国規模の映画館ネットワークで上映されるけれど、インディペンデントの映画をかけてくれる劇場はとても少ないそうです。

セミーナさんは学校でビデオ制作を教える仕事をしながら、お金をため、自分の制作費に充てています。作った作品を上映するために、単館の小さな劇場へ自分で企画をたてて持ち込み、1日だけの特集上映などで上映してもらうのがやっと、と話していました。

セミーナさんの話を聞いていて、私は日本ととても似た状況にあるなと思いました。そんな私たち2人を可哀想にという表情で見つめるエマニュエルさん。でも私は、メジャーな映画産業も翳りが出てきている現在、私たちのような自主映画監督にとっては逆にチャンスであるようにも思います。映画館だけでなく、カフェやイベントスペースでの企画上映のほうが逆に集客できる場合もあるし、お客さんも楽しめます。そんなわけで、(まだまだこれから)とも思った私でした。

山形に到着して3日。やはり朝晩がとても寒くて、コートを持ってくるのを忘れた私は、やや喉が痛くなってしまいました。この日は香味庵に行かずに、10時ごろにホテルに戻り、早く寝ました。

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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その2(10月7日)

朝8時ごろに起きて、朝食を食べに1階のレストランに行きました。食券を渡すと、出された食事は・・・
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ラップに包まれたおにぎり2個と、味噌汁と、つけものとコーヒー・・・。日本各地のビジネスホテル(格安のもの含む)を泊まり歩いてきた私ですが、このような朝食は体験したことがありませんでした。避難所、あるいは飯場と表現した方が良いかもしれません。

この朝食に衝撃を受けていると、下之坊さんが先に朝食をいただいていて、彼女もこの朝食にびっくりしていました。
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ご飯を食べながら、下之坊さんの制作の話を聞きました。下之坊さんは、「ここにおるんじゃけぇ」の撮影はほとんど一人で行ったそうです。主人公の佐々木千津子さんは、以前映画を拝見した時にとてもパワフルな女性と思ったのですが、実際は体調によって日々声の大きさが全然異なり、声を出すのもやっとという日もあるそうで、録音はワイヤレスのピンマイクで採り、整音の段階でかなりボリュームを調整したのだとか。車椅子に乗る佐々木さんのほうが移動するのが早くて、追いかけるのも大変だったそうです!

そのうち、ベトナムのティーさんも朝食に加わりました。彼女もこの朝食にびっくりして、「これは日本の伝統的な朝ごはんなのか?」と聞かれたので、下之坊さんと2人で「ノー、ノー!」と激しく否定します。
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下之坊さんにティーさんを紹介して、ふと、この2人とも、それぞれの国で自力でメディアセンターを立ち上げた人たちである、と思いました。ベトナムでのティーさんの取り組みには、下之坊さんも興味深々で、特にドイツから助成金をもらいメディアセンターの運営をしているということに関しては、日本は実際には文化的に後進国なのに、外からはそうみられていないから、欧米とかから援助をもらえない、と言っていました。

ベトナムとか、あとタイの監督たちもヨーロッパなどから資金を援助してもらって作品を作ったりしますが、日本はそういう対象の国とはなっていません。だからといって、自国政府が援助しているかというと、ほとんどの制作者たちはその恩恵にはあずかれない状況です。下之坊さんが「文化に全然お金を使わない日本の政府はダメ!」と言っていて、私もそのとおりだな~と思いました。

朝食を終え、出かける支度をします。せんだいメディアテークのチナツさんから携帯にメールが来て、なんと今日一日だけ映画祭に観にこられると言うことでした。朝イチは、私は「ネネット」を観ようと思い、チナツさんは別のものだったので、では朝の上映が終わった後にお昼ご飯でも食べようと言うことになりました。

映画祭の会場のひとつである山形市中央公民館(通称az)
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タイムテーブル
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上映会場入り口付近
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私がこの日観たいと思った「ネネット」は、パリの植物園に住むオランウータン・ネネットのドキュメンタリーでした。動物でドキュメンタリーを作るって、どんなだろう?という興味があったからです。ドキュメンタリーを作るって、なんとなく、そこには何か問題がなければならないとか私は思ってしまうのですが、そんなわけでもなさそうな、絶滅の危機に瀕した状態でも、病気でも、なんでもなさそうなオランウータンで、一体どんな風に映画を作るのでしょう?? しかも、動物相手なので、言語によるコミュニケーションは出来ないわけだし・・・。私はあらすじを読んでいて、(こういった設定は、制作者の腕が問われる!)と思い、観てみようと思ったのでした。

映画を観て、オランウータンのネネットは最初から最後までマイペースで変化無しだったのですが、そこにオーバーラップされる人間たちの声やインタビューで、次第にネネットに思いを馳せるような気分になってきました・・・!

映画の後、チナツさんたちとご飯を食べようと思っていましたが、まだチナツさんたちが観ている映画の上映が続いていたので、私はチナツさんたちが観ている会場に向かおうと思いました。

外に出ると、ちょうど映画監督でデイリー編集室のスタッフでもある川口肇さんがいて、これからデイリーの編集室に行き、それから市民会館のほうへ移動するとのこと。

私も次に観たい作品が市民会館近くの映画館・フォーラムという会場だったのですが、そっちの方面に歩いていったことがないので、私も一緒に同行させてもらうことにしました。

デイリーの編集室には、新垣さんと藤井さんもいました! まだ映画祭が始まって間もないのに、テーブルの上にリポビタンDの瓶が散乱しています・・・!
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各上映会場の監督質疑応答の様子を撮影するために準備するボランティアの方たち。映像を勉強している人もいるのだそうです。
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しばらく歩くと、山形市民会館が見えてきました!
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会場の柱には、タイの監督・ジャカワーンさんの「偽りの森」ポスターが。
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見渡すと、まだ初日なのに、結構色んな場所に色んな作品のポスターが貼ってありました。やはりこれだけたくさんの作品がひしめいているのですから、少しでも目だって宣伝しないと、集客は難しいですものね。私はポスターを持ってくるのを忘れてしまった自分をいかがなものかと思いましたが、そういえばポスター自体、A3サイズの小さなものしか作っていないことに気がつきました。

「ニュー・ドックス・ジャパン」の「ちづる」(赤崎正和監督)ポスター
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チナツさんの映画が終わるのを待っていましたが、会場が広く、私がここで待っているということも伝えていなかったので、すれ違いとなってしまい、チナツさんはここからずいぶん離れたところにお昼ご飯を食べに行ってしまったとのこと・・・!

私もそのお昼ご飯に同席したいとも思いましたが、それは先ほどまで映画を観ていた公民館の方にあり、また15分近く歩かねばなりません。お昼ごはんの後で観たい作品は、市民会館近くのフォーラムだし・・・。お昼ごはんに同席するのはあきらめることにしました。

お昼ごはんを食べないまま、12時半からはフォーラムで、前日に知り合ったマレーシアの監督の「影のない世界」を観る事にしました。政治的な理由により伝統芸能が衰退の危機にある状況が良く伝わってきました。

上映後の監督Q&A
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若井さんが英語の通訳をしていました。
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上映の後で、さすがにおなかが空いた!と思い、ご飯を食べることにしました。でも、フォーラムの周囲にはそんなに飲食店がなさそうな感じです。遠くまで行くと、また戻ってくるのに時間がかかるし・・・。映画祭って忙しいんですね!!!

すると、あいち女性映画祭で知り合った高野さんを見かけました。フォーラムの2階の喫茶店でご飯を食べるとのこと。私もご一緒させてもらうことに。山形の映画祭はもう10年以上来ているとのことです!
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ご飯を食べてやっと一息ついたら、今度はケイの「ブリーフ・ヒストリー・オブ・メモリー」と、「三人の女性の自画像」(中国のジャン・モンチー監督)を見に行く時間に。

ケイの作品は、雲南の映画道場の時に既に見ていましたが、日本語字幕で見ることが出来て良かったです。

上映後の監督質疑応答。若井さんはずっと出っぱなしで大変そう!! 右側はタイ語通訳の高杉さん。
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ケイの作品の後は、「三人の女性の自画像」を。監督の見た目と、内側のエネルギーのギャップに驚きました。作品解説でも書いてありましたが「体を使って思い切りシャウト」しているのです!!

ジャン・モンチー監督の質疑応答
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この上映が終わる頃にはもう5時を過ぎていました。朝から会おうと連絡を取り合っているチナツさんとは未だに会えていませんでした。映画祭で人と待ち合わせしたり、会えるのは、すごく難しいことなんだと初めて知りました。中には、良く見かける人もいるのですが、それはたまたま映画を選ぶテイストが似ている人なのかもしれません。実際、ベトナムのティーさんとは、朝から観る作品が全てかぶっていました。

チナツさんはケイの作品は観たいと言っていましたが、お休みにもかかわらず仕事の電話がかかってきて、残念ながらケイの作品を観ることができませんでした。でも、上映の後にフォーラムに来てやっとチナツさんと会え、ケイと通訳の高杉さんを紹介することが出来ました。

チナツさんは帰りのバスの時間があるので、あともう1本見るのは時間的に難しいし、私たち2人とも、この映画祭の忙しさに面食らっていました。会場の移動、ご飯、人との待ち合わせ・・・。2人とも初めての山形で、動き方の勝手が分からないのです。なので、とりあえず落ち着こうと、映画を観るのではなくお茶しようという事になりました。

チナツさんが通りがけに見かけた「山形まなび館」が、廃校になった校舎をおしゃれに改装してよい感じだったというので、そこに行ってみることにしました。確かにセンス良くおしゃれに改装されていて素敵だったのですが、残念ながら6時で閉店・・・。
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でも中を見せてもらうことが出来ました。
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まなび館では、カフェだけでなく、たべものや工芸品なども販売されていました。
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まなび館を出て、ご飯を食べに行くことにしました。・・・といっても、お互いにどこにどんなお店があるかも分からないので、チナツさんがお昼に食べたお店に行くことに。

中央公民館そばの一角「七日町御殿堰」
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雰囲気の良さそうなお蕎麦屋さん
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テーブルについて、ご飯が出てきたら、やっと落ち着いて、なんかどーっと疲れが出てきてしまいました。
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チナツさんはお店の人にも「今日2回目ですよね?」と言われていましたhappy01
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組み方によっては、本当に一日中休む暇なく映画を観れてしまうのですが、私自身はそれをやらないほうが良いとおもいました。あんなにたくさんの映画が掲載されたタイムテーブルを見ると、どうしても効率よくたくさん観なければという気持ちになってしまっていたのですが、今こうして、”あえて夕方の回をスキップする”ことで、どれだけ気持ちに余裕が出来たことか。映画を観て、人とあって、おしゃべりを楽しむ・・・そんな時間もないと、大変だと言う気持ちだけが膨らんでいくように思いました。せっかく映画を観ても、それを自分の中で消化する余裕がなくなってしまうのです。

観ようと思えば、1日5本観られるスケジュールを組むことが出来るようになっていると思いますが、私は1日最低3本観られればよいぐらいのつもりで行こうと思いました。できれば4本ぐらい観れたらと思いますが、それで忙しくなりすぎてしまうなら3本でも良いと。もちろん、映画をひたすら観続けることができる人は別ですが。

この点について、後日「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムに8ミリ映画の「銀鉛画報会」で参加された馬渕徹さんと話す機会があり、彼の場合は「山形では、基本、自分は映画は観ないスタンスだ」とまで言っていました。それ以外の事を楽しむのだ、と。時間があれば映画は観るけど、と。これは正直行き過ぎだと思いましたが、でも、そういう風に言う徹さんの意見には私も一理あると思いました。

ご飯を食べ終え、怒涛の山形での体験を話し合った後、チナツさんとお別れしました。私はこの後、オープニング・パーティーで知り合った岡崎孝さんの作品を見に行きました。3本立てで、前のふたつは観られませんでしたが、岡崎さんの「私たちにできたこと できなかったこと」だけ観れました。

震災後の「張り紙」、普段と違う町の様子などを中心に構成された作品で、例えば、郵便ポストが投函できないように塞がれているのに対し、「岡本太郎は”座ることを拒否するイス”を作ったが、こちらは”投函することを拒否するポスト”だ!」といったようなコメントが入っていたりして、とても面白かったです!

私も映像のワークショップなどで使う機会があるために、練習のためにあえて時々Windows Movie Makerを使います。このソフトは、基本的な作業がめちゃめちゃしにくい代わりに、トランジションとかそういう遊び機能が無駄に充実していると思っていました。岡崎さんの編集のつなぎにはそれらのトランジションが多用されていましたし、字幕もだんだん大きく迫ってくるような効果が使われていて、(シンプルなほうが良いのに)と思いましたが、やはり伝えたいものがはっきりとあれば、高価なカメラや編集機材を揃えているかどうかは全く関係ないのだ、ということをこれだけはっきりと証明してくれている作品はない!と感動しました。やはり、作品を作るのに一番大切なのは道具ではなくて、伝えたいという思い、意思なのだと思います。

上映後の質疑応答
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会場の座席はかなり埋まっていました。
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岡崎さんの発言
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上映が終わって外に出ると、ティーさんがいました。一緒に、この日からオープンする映画祭の居酒屋(?)、香味庵へ行くことにしました。
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事前に「週末は満員電車状態だから、平日に行ったほうが良い」と聞いていましたが、それでも中に入る行列が出来ていました。
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入場料500円で、ワンドリンクとおつまみ付は安いですが、それ以外にも店内では山形名物「いも煮」やうどんなどが時々無料で振舞われていました。
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開店とほぼ同時に入ったので、イスを確保することが出来ましたhappy01
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隣の席に座った大学生の文園さんと話しました。大学で映画の批評などを勉強されていて、山形は2回目の参加だそうです。文園さんは、その後15日の東京での飲み会にも遊びに来てくれました。大学生によるスプラッタ映画祭「残酷映画祭」というのを企画しているそうです! どんなだろ??

同じテーブルに座ったフィンランド人映画研究者のエイヤさんとも話しました。フィンランドといえば、私は鶴岡の佐藤高雄さんとともに、2007年の山形で「革命の歌」を上映したヨウコ・アールトネン監督のパンクをテーマにしたドキュメンタリー映画の字幕を翻訳したので、そのことを話しました。その映画は字幕は完成したけれども、どこでどう上映したらよいか分からずに、未だに上映されないでいて(鶴岡での上映を除く)、私も高雄さんもそのことがずっと気がかりとなっていました。

エイヤさんに話したところ、「あの映画すっごく面白いよね!! 日本語字幕がもう出来ているなら、上映のアイデアは色々ある」とすごい乗り気に! もしかして上映できるチャンスがめぐってくるかもしれません・・・!

ちなみにエイヤさんは2007年の「革命の歌」上映の時には、フィンランドの曲をカラオケで歌ったそうなので、「今度はパンクをカラオケで歌ってもらわなくちゃ」と言いました。良いタイミングで、なるべく良い場所で上映できると良いですが!! 今後、どうなるか楽しみです。

文園さん、エイヤさんともに名刺に猫が!
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しばらく飲んでいると、今度は川口隆夫さんを発見!!! すごーーーーーく、うれしくなってしまいました。思えば私が10年以上前に東京のレズビアン&ゲイ映画祭にボランティアとして関わったときに、代表をしていたのが隆夫さんでした。だから、初めて映画とか、映画祭とか、作品選びとか、自主映像作家とのやり取りとか、字幕翻訳とか、資金集めのクラブイベント開催とか、ゲストのアテンドとか、そういうことをこの映画祭を通じて全部経験していったわけです。何の経験もない私にも、(スタッフの数が足りないという事情はあるにせよ)たくさん大きなことを任せてくれ、映画祭に積極的に関わっていた5年ほどの間に、信じられないぐらい色んな経験をさせてもらいました。今の私の原点であるともいえます。

それが今こうして、今度は自分も映画を作って山形で隆夫さんと会っている・・・。そんな姿、10年前の私に想像できたでしょうか? いや、絶対出来なかったはず。だってそのとき私は公務員で、(自主制作の監督の生活って悲惨だなぁ・・・)って他人事のように思っていましたから! 

隆夫さんとhappy01
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隆夫さんは今回、山形でキューバ特集プログラム「シマ/島、いまーキューバから・が・に・を 見る」を担当していて、字幕翻訳や、プログラムの立派なパンフレット(このキューバプログラムだけで特別なパンフを制作し販売していたのです!)、キューバのクラブイベントなどにかかわっていると言うことで、「死にそう」と言っていました。確かに、キューバプログラムだけで東京のLG映画祭並みの本数があります。それをほぼまかされてしまっているのですから、相当大変なのでしょう。「明日の朝一番の『永遠のハバナ』は絶対お勧めだから観て!」と言われ、明日はそれを観ることに決めました。隆夫さんの一押しとあれば、これは観ない訳には行かないですから!

そのあとは、後から香味庵にやってきたインドからの監督、サミーラ・ジャインさん(アジア千波万波プログラムで「わたしの町」を上映)と話しました。地元山形の英語ボランティアさんと一緒でした。本場のインド人も認めるおいしいインドカレー屋さんが山形にあるそうで、では明日サミーラさんに私とティーさんを連れて行ってもらおうということになりました。座席が4席ほどしかないんですって! とても楽しみです。
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ティーさんとは香味庵でもよく話しました。ベトナム人でベトナムのハノイに住んでいるティーさんですが、4年前までは10年間アメリカに住んでいたそうです。アメリカでジャーナリズムを学び、その後はアメリカでロイターの記者として働いていたそうで、話し方も内容もとても的確、論理的です。ジャーナリストとしてある程度働いた後に、ドキュメンタリー作家となりました。

私もジャーナリストを目指して勉強した後でドキュメンタリーに転向したので、その点では同じでした。話題はジャーナリストからドキュメンタリー監督になることのメリット・デメリットという話になりました。

まず、メリットとしては、ジャーナリズムの手法を学ぶことで、ドキュメンタリー制作をする上でのリサーチやインタビューなどにはずいぶん役に立ちます。事実を正確に調査し、分かりやすく説明する、論理構成する能力は、映像で社会問題や社会事象を伝えるときにも使えます。

一方、デメリットとしては、ジャーナリズムの手法が染み付いてしまっているがゆえに、何でもすべて論理的・客観的に説明しようとしてしまうこと。「頭で考えて」しまい、説明に終始して、「心がどう感じる」のか、分かりにくかったとしてもほとばしるような感情表現などが逆に出来ない、苦手と言うことがあると思います。

映画祭に来て、作家性の強いドキュメンタリーや、詩やアートの世界から生まれたドキュメンタリーなどを観ると、「言葉できちんと説明できないような感覚」や「ほとばしるような感情」、「突き動かされるような衝動」といったもので作られているものがたくさんあります。むしろ情報番組の延長のような説明調のドキュメンタリーのほうが少ないです。

ティーさん、私ともに、それはジャーナリズムを起点としてドキュメンタリーを作っている作家の弱点であるということで一致しました。

では、どうやって私たちはそれを乗り越えていけばよいのでしょうか? ティーさんは、「まず自分の習性・傾向を自覚すること」、その次に「自分とは全く違うタイプの作品をたくさん観ること」と言っていました。なるほど・・・! 私も色々観て、心で感じられる制作者になりたいです!!

12時ごろに香味庵を出てホテルに戻り、2時ごろに寝ました。

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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その1(10月6日)

山形に出発する前の数日間、東京は雨でとても寒い日が続きました。事前に山形の映画祭の事務局の方から送られてきた案内に山形はずいぶん寒いと書いてありましたので、実家から冬物のコートを取り寄せていました。

ところが、出発の当日、起きてみるとまだ夏のような暑さではありませんか! 半そででちょうどよいぐらいの気候でしたので、何も考えずに半そでを着て、もって行く予定だった冬物のコートを忘れてきてしまったということを、電車に乗ってしばらくしてから気がついたのでした! 山形、寒かったらどうしよう・・・。やはり持っていくべきものは、コートのような型崩れしやすいものでも、ハンガーにかけておかないでかばんの上においておかないと忘れてしまうのだな、と思いました。山形が寒くないと良いのですが・・・。

それ以外にも、当日になっての急な変更がもうひとつありました。ブログに既に書きましたが、荷物を全部まとめたところバッグ3つにもなり、とても重くなってしまったのです。小さな台車(?)のようなものに載せて運ぶとはいえ、階段しかないところを持って運ばなければならないことも多々ありますので、自分でも持ち運べるぐらいの重さでなければなりませんが、(そんなの到底無理!)という重さになってしまいました。泣く泣く、持って行くつもりだった古くて重いノートパソコンをあきらめ、家において行きました。それでやっとがんばって短距離を持ち運べる程度の重さになりました。

バッグ三段重ねです!
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山形へは、午後1時過ぎの東京発の新幹線で向かうことにしていました。ホームで新幹線を待っていると、8ミリのカメラで動画を撮りまくっている人を発見。休む暇なく、あちらから、こちらからと撮影して、自分撮りもしています。山形に行くというのに、半そでと短パン。カメラ以外の荷物はかなり少ないようです。私はその風貌と行動に(ずっと山形に行きたいとあこがれていたアジアの映像作家なのだろう)と勝手に思っていましたが、後からやってきた山形スタッフの馬渕愛さんによって、私と同じ「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムに出品している大西健児さんなのだと知りました。思わず、撮影している様子をビデオに撮ろうと思ったくらいユニークだったのですが、とっていなくて残念です。

新幹線で約3時間。山形に到着しました。駅から出ると、思ったより寒くなくて安心しました。映画祭のシャトルバスでホテルに向かいます。ホテルは「ホテルα1(アルファワン)山形」というビジネスホテルでした。
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事前に地図で確認したところ、映画祭の各会場のほぼ真ん中に位置しているようで、どこの会場に移動するにも便利そうです。

チェックインし、荷物を広げました。荷物を広げると、自分の居場所っぽくなりました。
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この日は映画祭のオープニングということで、開会式とオープニングパーティーが予定されていました。私は荷解きをした後、オープニングに持っていくもの(映画祭のプレス用に貸し出すためのDVD、名刺、映画のチラシ、デジカメなど)を用意して、夕方5時ごろに映画祭の受付に向かいます。ここで、ゲストパスやカタログを受け取るということでした。
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受付では見知った顔もあったものの、みんなすごく忙しそうで、あまり話しかけるような雰囲気ではありませんでした。私はゲストパスを受け取った後、受付から出て手持ち無沙汰でぶらぶらしていました。

すると、同じように手持ち無沙汰にしている人たちがいて、聞いてみると「アジア千波万波」で「影のない世界」を上映するマレーシアの監督クー・エンヨー(Khoo Eng Yow)さんと、彼の映画に登場する影絵の人形遣いさんでした。彼らは山形に1日前に到着して、影絵のお芝居をされたそうです。監督は「なるべく日本にいる滞在期間を短くしなければと思っていたが、結局長くなってしまった」というので、(なんでだろう?)と思ったら、生後間もない赤ちゃんがいて、自分がいない間は奥さんがひとりで面倒を見なければならず、自分が長期で海外に行くと文句を言われるのだとか。。。

映画祭は”お祭り”ですが、映画を作る人にとっては、営業や人脈を広げるための場所でもあります。でも、私の家族同様、他の人から見れば「旅行に行っている、遊びに行っている」という感じなのだろうなぁ、と、話を聞いていて思いました。(でも最近思うに、家族や周りの人からの信頼・理解を得られるかどうかは、監督自身の普段の行いや周りの人への感謝・思いやりにもよる、と思ったのですが。だって、現に周りでは稀に家族や周りの人からの絶大な支持・理解を受けている監督もいて、そういう人たちに共通することは、身近な人との人間関係をとても大事にしているということです。私は身近な人はほったらかしにする傾向があるのでcoldsweats01

影絵の人形遣いたちをテーマにしたドキュメンタリーということですが、イスラム教政権が支配するマレーシアでは、古来から行われてきた影絵を、偶像崇拝であるとして、行わせないようにしてきているのだそうです。今や人形遣いだけで食べていける人たちはほとんどなく、何らかの仕事をしながらお金を稼ぎ、伝統芸能を絶やさないようにがんばっているのだとか。映画、観てみたいなぁとおもいました。

6時になり、開会式に出席するため公民館の6階に移動しました。ステージ上では、クラッシックの演奏が。
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理事長による挨拶
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座る席は、審査員席、ゲスト監督席などに、大まかに分かれていました。
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出席者が多いので、審査員ごと、上映プログラムごとにいっせいに紹介され、その場で経ってお辞儀をします。「アジア千波万波」プログラムの紹介の時に、タイのケイを発見しました。

私の隣に偶然座ったのは、「インターナショナル・コンペティション」部門で「遊牧民の家」を上映するエジプト生まれのイマン・カメル(Iman Kamel)監督と、「アジア千波万波」部門で「監獄と楽園」を上映するインドネシアのダニエル・ルディ・ハリヤント監督でした。イマン監督は、数日前から山形に来て、「Holy montainに篭っていた」と言っていました。スピリチュアルな経験が大好きなそうです。宿坊にも泊まったそうです。(その数日後に会ったときも、また別の山に篭ったといっていました)

ダニエル監督は、インドネシア・バリ島で2002年に起こった爆弾テロの被害者やその家族、獄中にいる実行犯にも取材して映画を作ったそうです。

開会式では、山形放送が1965年に制作した「出稼ぎ東京」という作品が上映されました。高度成長期に山形の農村から東京の山崎製パンに出稼ぎにやってくる人たちの生活がユーモラスに描かれていました。

昔の映像というだけで、もう新鮮なのですが、意外な発見もありました。「出稼ぎ」とか、「農村に取り残された母子たち」とか、そういう言葉を聞くだけで、普通は「大変そう」とか「つらい・苦しい」とか、そういうネガティブな言葉を普通は連想するのではないでしょうか? 実際、出稼ぎの生活は本当に大変だと思うし、それらによって農業に従事する人たちの職業人としての誇りが奪われていってしまったのだと思います。でも、そういったネガティブなことを前面に出さなくても、彼らの生活をユーモアを持って描くことによって、画面のそこここに十分彼らの生活の大変さも表現されているということです。声高に「彼らの生活は悲惨です」みたいなことを叫ばれるよりももっと、心に響くように思いました。

田舎で帰りを待つ妻や子どもたちが、出稼ぎに行った父親に宛てて録音テープを吹き込むのですが、みんな初めて見る録音機に大興奮なのですが、そこで語られる言葉にも、男手がいなくなったことで消防の仕事を村の女たちで担うようになった、だから安心してくれとか、けなげに生きる人たちの言葉が語られている・・・。

つらい現実をつらいと表現するだけでなく、こういうやり方もあるんだということを知って驚きでした。

開会式の後は、グランドホテルに移動してオープニング・パーティーがありました。
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映画祭最終日のクロージングパーティーもそうでしたが、ご飯のなくなる速さが尋常ではありません! ドキュメンタリー映画祭の出席はトルコを除いて初めてなのですが、ドキュメンタリーの監督たちってそんなにがっついているのでしょうか!!
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オープニングパーティーで初めて、これまでメールでだけやり取りをしていたタイのジャカワーン・ニンタムロン(Jakrawal Ninthamrong)監督と、チャチャイ(Chatchai Chaiyont)撮影監督に出会えました。彼らは「アジア千波万波」プログラムに「偽りの森」という作品を出品しています。

そもそも、なぜ知り合ったかというと・・・

今回、雲南の映画道場で一緒にワークショップを受講したケイの作品が山形で上映され、来日すると知った時に、私は東京で交流会・飲み会をしたいと考えました。その話をケイにしたところ、「タイから別の監督も日本に行くことになっているので、彼らも良いか?」と聞かれたのです。私は「もちろん」と答え、山形前に1~2日早めに東京に来てもらい、都内のどこかでささやかな上映と交流のイベントを持つことになりました。

8月半ばに仙台に取材で行った際、せんだいメディアテークのチナツさんにその話をしたところ、「それ、仙台でやりたい!」ということになり、私としても東京で単なる飲み会のようにしてしまうよりも、もっと公の場で出来るほうが監督たちにとっても良い経験になるのでは? 被災地の見学も出来るかもしれないしと考え、その後は急遽仙台でのイベント開催に変更し、準備をしてきました。

事前にプロフィールや作品の資料提出をお願いしたり、企画内容が何度も変わったりと、監督たちには色々迷惑をかけてしまったのですが、それでもいつも素早く必要な資料を提供してくれて、私の中での(暑い国の人たち=テキトーで期限を守らない人たち)という偏見がなくなりましたhappy02

そんなわけで、何度もメールでやり取りをしていた彼らと、私はこの日初めて直接会えたのでした。

会場をうろうろしていたら、大阪のてれれを主催する下之坊修子監督がいました。下之坊さんは「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムで「ここにおるんじゃけぇ」を上映されます。下之坊さんとは以前、国立で開催されたてれれの東京上映会でお会いしたことがあったのですが、そのときは沢山の人がいてほとんど話せなかったので、ほぼ初対面のような状態でした。

下之坊さんと、山形新聞編集局の岡崎孝さん
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岡崎さんは、新聞社にお勤めですが、この映画祭にはプレス兼出品作家として参加されているそうです(なので、プレスパスとゲストパスの両方を首から提げている)。

岡崎さんは、東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema With Us」で作品を上映するそうですが、なんと、約3万円のSDカード記録タイプのビデオカメラで撮影し、無料の編集ソフト(私が常々「一番使いにくいソフト」と言っているWindows Movie Maker」を使って編集した作品なのだそうです!!!!

私も、民生用の小型カメラ、自作パソコン、ゼロ予算などをうたい文句(?)にしていますが、岡崎さんの話を聞いたとき、正直(負けた)と思いました。私以上に劣悪な環境で作っている監督の作品が、山形で上映されている、と。

作品の内容について聞いてみると、震災で各地を取材していたときの「張り紙」を写真や動画で記録して編集したものなのだそうです。しかも、その編集をどうやってマスターしたかがまたすごくて、ヤマダ電機のホームムービー編集講座で習得したというのです!!!

私はすごく興味深々で岡崎さんの話を聞いていたのですが、山形の映画祭の初期の頃から新聞記者としてこの映画祭を取材している岡崎さんは、生前の小川紳介監督にもインタビューをしており、岡崎さんにとってはドキュメンタリー映画を作るということは、「その土地に移り住み、自分の田んぼを持ち、そこで暮す人たちの生活の中にどっぷりと入っていく」ぐらいの覚悟がないと出来ないもので、ちょっと取材したり、関わったぐらいで分かったような気持ちになってはいけない、と思っているのだそうです。

なので、自分がドキュメンタリーを作ることになった時は、あえて小川紳介たちとは真逆の方法、「家庭用小型カメラ、無料の編集ソフト」などで作りたかった、とのことで、そうすることで、人生を捧げてドキュメンタリー制作に没頭した小川紳介たちへの敬意を表したい、というようなことをお話されていました。

岡崎さんの作品をぜひ観たいと思いました。

しばらくすると、会場が暗くなって、舞妓さんによる踊りが。山形でなぜ舞妓?と日本人なら思うはずですが、海外のゲストたちは大喜び。
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舞妓さんの踊りを見ていたら、ベトナムのティー(Nguyen Trinh Thi)さんと知り合いました。彼女は、ベトナムでインディペンデントのメディアセンターを初めて立ち上げた人で、そこで開催するワークショップの受講者たちの作品が今回山形で上映される(ティーさんはプロデューサーという立場で関わった)ため、映画祭に来たということでした。ちなみに上映される作品は、「アジア千波万波」プログラムの「柔らかな河、鉄の橋」で、4名の監督の作品からなる映画です。

ドイツのある機関から助成金をもらい、2年前にベトナムでメディアセンターを立ち上げたそうです。メディアセンターには撮影・編集の機材を揃え、無料でワークショップを開講しているそうです。現在、彼女はフェローシップで日本に滞在中で、山形の映画祭が彼女の受け入れ先となっているのだとか。

日本のインディペンデントメディアの状況は?と聞かれましたが、「NPOや些細な助成金で運営しているメディアセンターはあるけれど、運営は大変で無料で中・長期間のワークショップを開催しているところはほとんどない。2~3ヵ月のワークショップで数万円の受講料を取ってやっている。行政が開催する映像のワークショップは無料で時々あるけれど、”ホームムービーの編集を1日で!”とか、いわばカルチャースクールのノリで教えており、ドキュメンタリー制作者の育成という視点・発想ではない。それ以外では、大学の映像学科とか専門学校でドキュメンタリーを学ぶことになるわけだけど、そうなると大学の高額な授業料を払うことになる」・・・と、日本の状況について説明しました(←大まかには間違っていませんよねcoldsweats01??)

ティーさんとは宿泊しているホテルが一緒ということもあり、その後もずいぶん一緒にお話しする機会がありました。

ティーさん、岡崎さんとともに
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10時ごろにホテルに戻りました。私は事前にどんな映画を見たいか、全く決めていませんでした。とりあえず、明日何を見るか決めなくちゃ・・・。地図上では各会場はそんなに離れていないように見えて、山形の町のつくりは東京などに比べて、例えば1ブロックの間取りとかがはるかに大きいのです。各会場を移動するのは結構な時間がかかりそう。そんなわけで、事前に良く考えて、観る作品を決めなければなりません。各映画の終わり時間や移動時間、ご飯を食べる時間なども考慮しながら。まるで、フジロックに行って、各ステージを移動するときのような気分になってきました。

広げるとタブロイド新聞紙ほどの大きさになるタイムテーブルでは、作品解説はわずかしかありません。これだけではどういう映画なのか、どういう背景があるのか、もしかして話題作なのか、などが分かりませんので、各作品について公式カタログで当たっていきます。(なるほど・・・)と一つ一つ読んでいったら、1時間ぐらいかかってしまいました。(もしかして、これから毎晩この作業やるの・・・?)と焦ってしまいました。それぐらいすごいボリュームなのです!

1時間読んでも、まだ明日何を見るかが決まりません・・・。一体どうやって作品を選べばよいのかと途方にくれてしまいました。そこで、私は自分なりの作品を選ぶ基準を設けることにしました。

映画祭での観る作品選びの基準
①映画祭で直接話す機会のあった監督の作品を観る
②監督のQ&Aがあるものを観る(2回上映の作品はQ&Aがあるほうの回に行く)
③日本・海外の作品で観たいものが重なった場合は、海外のものを選ぶ。(日本の作品はまた別の機会で観れる可能性があるので)
④配給・公開が決まっていない作品を観る(今後日本で観れる機会がなかなかないから)

ということにしました。・・・それでもやっぱりどれを観るかで迷いましたが・・・

映画祭の公式カタログ
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さようならURのページhappy01
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受付でいただいた、公式カタログや案内などが入った特製のバッグ。なんと、山形新聞で出来ているんですって! 内ポケットなどもついた、本格的なもの。持ち手などもかなりしっかり作られています。
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映画祭の手ぬぐいもいただきました。
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とりあえず、何とか明日の第1本目の作品を決め、今日はもうお風呂に入って寝ることにしました。自分の上映は最終日近くだし、最初から飛ばして風邪引いちゃったりしたら大変ですから。

今回の旅は仙台もあわせて約9日間ほどの旅でしたので、持ってきた衣服は洗濯しないと間に合いませんでした。お風呂のあとで洗濯をします。
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普段、家ではもちろん洗濯機で洗濯をする私ですが、旅先での洗濯で、実は一番問題なのは”脱水”だと思いました。洗濯、洗うという行為自体は、洗剤を使い、つけ置き洗いだけでも十分汚れは落ちます。普通に洋服を着ている分には、そんなに洋服というのは汚れるものではないし(泥まみれにでもならない限り)、手洗いで十分です。でも、ゆすいで、手で絞る程度では、全然水分が取れません。ホテル内は乾燥しているとはいえ、厚手の靴下などは手で絞るだけではなかなか乾かないのです。脱水をどのように行うか、それが旅先での洗濯の課題であると思います。

とりあえず、山形に無事到着し、初日を終えました。その規模の大きさ、町の地理に不慣れということもあり、まだ勝手が分かっていないのでしたが、徐々になれて自分のペースをつかめるようになることを願いつつ、寝ました。

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[jp] みんなも大喜びで・・・

昨日は、住民の会のミーティングに行ってきました。先週、先々週と参加できなかったので、ちょっと久しぶりな感じがします。
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ミーティングにはいつも夕飯を早めに食べて向かいます。この日も5時半過ぎに夕食を食べ終えていました。すると、食べ終わった10分後ぐらいに、村田さんから電話がかかってきて、受賞のお祝いのご飯を用意したので、晩御飯は食べないで来るようにとのこと・・・!

畦地さん、村田さんの奥さんたちがお赤飯やおにぎり、お味噌汁などを用意してくださっていたのでした!
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お赤飯なんて、相当久しぶりです!!
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だんだんと人が集まってきました。村田さんが私の受賞報告のメールを印刷して皆さんの家に配布してくれていたそうです(メールをやるのは村田さんだけなので)。それで、皆さんから「おめでとう」と言われました。
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吉津さんが「トロフィーを見せて」というので、渡します。「プラスチックじゃないのか?」とか言いながら、さわりまくって指紋がべたべた!!! あわてて取り返しました。
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みんなで揃って記念写真を撮りました!
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住民の皆さんの協力無しではこの映画は完成しませんでしたし、長く孤独な編集作業の時も、温泉旅行に連れて行ってくださったりして、公私共に支えていただきました。なので、このトロフィーはみんなでもらったものといえます!

全員で写真を撮った後は、一家族ずつ写真を撮りました。私が撮影したかったのですが、私も写真の中に入ることに。
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どうもありがとうございました!!

記念撮影の後は、普段どおりミーティングが行われました。
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今日は午前中から、山形で撮った写真の整理やブログ用にリサイズをしていました。気がついたら4時ごろまでかかってしまいました・・・! 何とか無事写真の用意が出来たので、明日からはいよいよブログを書いていこうと思います^^

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[jp] 映画と監督について紹介されています!

今回の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、スタッフやゲスト、観客の方々から私の受賞に関して「一番のサプライズだった」と言われました(そりゃそうだ)。

普通、受賞作品の候補となるような作品は、既に劇場公開が予定されていたり、それなりに前評判で「良いらしい」といううわさが流れるものの、私のはもちろんそんなことはありませんでした。

たくさんの上映作品の陰に隠れ、目立たない状態だったにもかかわらず、唯一上映前に取材申し込みをしてくれたライターさんがいました! (限られた映画祭の取材時間の中で、「さようならUR」に目をつけるとは、なんてマニアックな人なんだ!)と驚きつつも、取材をされながら、その人の映画に対する感想や、最近の映画の動向(←全体を鳥瞰的に見ているので、とても参考になりました)なども教えていただき、とても楽しい時間でした。

その時の取材による記事が、現在「ぴあ映画生活」というサイトで紹介されています。記事はこちらよりご覧いただけます。

また、「シネマトゥデイ」でも、映画祭での上映時のQ&Aの様子や受賞についてなど、記事を紹介してくれています。こちらよりご覧いただけます。「まるでマイケル・ムーアのよう」って書いてあります・・・!!!

今日は、イギリスその他にDVDを送る作業をしました。予定していた発送作業は全て終え、今日の夜は高幡台団地73号棟の住民の会定例会に行く予定です。受賞のお知らせを代表の村田さんにしたところ、「河北新報でも載っていたみたいですね」と言われました。そうなんだ?? 今日は、めちゃめちゃ重いんですが、トロフィーを持っていきます!!

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[jp] とりあえずやるべきことは

山形から帰ってきて、昨日まではまだかなり疲れていて、メールの返事をするだけで一日が終わってしまいましたが、今日はやっと疲れも取れたようで、朝9時ごろに目が覚めました。

これから写真の整理とかブログとかやっていくのですが、その前にまずやっておくべきことがありました。それは部屋の掃除です!

前回部屋の掃除をしたのは、9月の初め。あいち女性映画祭に参加する前のことです。その間、部屋のホコリはたまり放題で、喘息になってしまうのではないかと心配したほどでした。

今日は朝10時ごろから部屋の掃除を始め、お昼休憩を挟んで3時近くまでやりました。掃除機のホコリを取ろうと思ったら、ありえないぐらいのホコリの量。(良くこんな部屋に住んでいたなぁ)と、変に感心してしまうほどでした。

写真の整理をするにも時間がかかるので、とりあえずビデオだけYouTubeにアップしようと思いました。先日の土曜日に、山形の映画祭に参加した監督&以前雲南の映画道場で一緒だった人たち+αで、盛大な飲み会を東京でやったのです! 

その写真は後日このブログに載せますが、とりあえず飲み会で撮ったビデオをここに紹介します。タイトルは「LOVE DOCTOR」。「アジア千波万波」プログラムに「偽りの森」を出品したタイ人の監督Jakrawalと、撮影監督Chatchaiが、過去の恋愛について話しているんですが、これが超おかしい!! 私は彼らと山形~仙台~東京と一緒だったのですが、いつもこんな感じでとても面白い人たちでした。

明日から写真をまとめたいと思います。

イギリスで建築を学んでいるという学生から「さようならUR」に興味を持っているというメールをもらい、現在色々やり取りをしているところなのですが、もしかしたらイギリスの大学で上映ができるかもしれません。スカイプでQ&Aをするかもという話も出ています。実現するのかまだ分かりませんが(←彼女はまだ映画を観ていないのでcoldsweats01)、こちらも楽しみです。

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[jp] お祝い気分が・・・

山形での受賞のお祝い気分に沸いていたここ数日ですが、すっかり現実に引き戻されてしまいました。

というのも、福島原子力発電所事故対策統合本部の記者会見に参加の申込をずいぶん前にしていたのですが、その回答が来て、なんと出席不可と言われてしまったのです!

マスメディアによって構成される記者クラブが政府と癒着して、国民にとって必要な情報が報道されないということは、ずっと以前から日本の問題ですが、でも今回の福島原発事故によって、その弊害(「犯罪」とも言えるでしょう)は多くの国民の知るところとなってしまいました。

報道が、本当に国民にとって必要なものとなるためには、まず記者会見にフリーランスの記者たちが入れるようになるべきですが(フリーランスジャーナリストの畠山さんや寺澤さんたちの頑張りにより、かなりの省庁で出席が可能となりましたが)、福島原子力発電所事故対策統合本部の記者会見は、”条件”を用いて、フリーランスの排除をしようと躍起です。

ちなみにその”条件”とは・・・

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「フリーランス」の方につきましては、ジャーナリストとしての活動をされていることを確認する観点から、「福島原子力発電所事故対策統合本部の記者会見の実施について」(平成23年4月23日、福島原子力発電所事故対策統合本部)別紙Ⅱ.8.にあるとおり、過去6ヶ月(細野補佐官(当時)の判断により1年間としています)以内に日本新聞協会、日本民間放送連盟、日本雑誌協会、日本専門新聞協会、日本地方新聞協会、もしくは日本インターネット報道協会の媒体に2つ以上の署名入り記事が掲載されていることを基準とさせていただいております。
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なんですが、これでは紙媒体で活動しているフリーランスの記者を想定したもので、私のような自主制作のドキュメンタリー制作者や、例えば協会に所属せずミニコミ誌を発行しているライターなどが含まれません。これだけメディアが多様化し、大組織に所属しなくても情報発信が出来るようになった今日、上記の条件だけをフリージャーナリストとして想定するほうが時代錯誤です。そもそもドキュメンタリー制作者が何で書名記事書かなきゃいけないのだ?!?!

私は、過去半年に上記媒体への署名記事を書いたことはありませんが、ドキュメンタリー制作者としてのこれまでの自分の制作&上映活動について詳細に記し、記者会見への参加を申し込みました。

数日後に福島原子力発電所事故対策統合本部から来た回答には、「フリーランスの参加条件」として以上のことを述べた上で、以下のように付け加えられていました。

==========
一方、早川様の活動実績につきましては、署名記事を求めている当該基準には直接的に当てはまるものではないと思われますが、このようなジャーナリストとしての活動があることは事実でありますので、扱いにつき改めて検討させていただきたいと存じます。
このため、少しお時間をいただきますよう、お願いいたします。
早い回答をということですが、なにとぞご理解いただければと存じます。
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そして待つこと2週間あまり。やっと来た回答は、以下。

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ご連絡が遅くなりまして大変申し訳ございません。
先日お伝えしましたとおり検討させていただきましたが、現時点では、やはり現行の基準で判断をさせていただければと存じます。
つきましては、「福島原子力発電所事故対策統合本部の記者会見の実施について」(平成23年4月23日、福島原子力発電所事故対策統合本部)別紙Ⅱ.8.にあるとおり、過去1年以内(同資料では過去6ヶ月以内にとなっておりますが、細野補佐官(当時)の判断により1年以内としています)に日本新聞協会、日本民間放送連盟、日本雑誌協会、日本専門新聞協会、日本地方新聞協会、もしくは日本インターネット報道協会の媒体に掲載された2つ以上の署名入り記事を送付していただきますようお願いいたします。

同資料は、以下をご覧いただければと存じます。
http://www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2011/230423-2.html

お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

政府・東京電力統合対策室
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・・・・・・。あのねぇ、なんでドキュメンタリー制作者が記者会見の申込をしているのに、署名記事に固執するの!! 映像作る人も、記事を書かなきゃダメってこと?!?! しかも、前のメールで自ら「早川様の活動実績につきましては、署名記事を求めている当該基準には直接的に当てはまるものではないと思われますが、このようなジャーナリストとしての活動があることは事実でありますので」と認めているにもかかわらず、署名記事を条件に入れさせないのは、もうとにかく排除したいからなのでしょう。

書こうと思えば、上記の条件に該当する紙媒体で記事を書くことも可能ですが、それでは筋が違います。自分のためにも、他の自主映像制作者たちのためにも、あらゆる媒体・メディアのフリーランスが記者会見に出席できるようにしなければなりません。もちろんここで引き下がるわけではありませんので、今後の対応を仲間たちとともに考えたいと思います。

政府とマスメディアの関係について、分かりやすく伝えるのに好都合な材料を、今日夕食の準備をしながら思いつきました。思いついたばかりなので、これから交渉していかなければならず、まだここには書けませんが、山形のことをブログに書き終えたら、こちらも取り掛かって行きたいと思います。

11月は割りと時間あると思っていましたが、なんだか忙しくなってきそうな雲行きです。。。

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[jp] 第1回スカパー!IDEHA賞 受賞!!

10月6日から山形国際ドキュメンタリー映画祭出席のために、山形へ行き、その後は映画祭に出品したタイ人の監督たちと仙台メディアテークでイベントをやり、今日の午後に東京に戻りました。

映画祭に行く前に、ブログでは「映画祭にノートパソコンを持っていく」と書いていたのですが、出発当日に最終的に荷物をまとめたところ、信じられないぐらいの重さになってしまい、直前になってパソコンを持っていくのをあきらめたのでした。

ブログが更新されているかも?と、楽しみに覗いてくださった方々、本当にごめんなさいね!

映画祭の様子は、これから1~2週間ぐらいでブログに随時更新をしていきたいと思いますが、まず一大ニュースを先にご報告します!

今回、私は山形ドキュメンタリー映画祭自体が初参加で、それだけで十分すぎるぐらいの快挙だったのですが、なんと、第1回スカパー!IDEHA賞をいただいてしまったのです!!!! (受賞作品一覧はこちら

映画作りを続けてきて良かったと心から思いましたし、映画に協力していただいた皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にどうもありがとうございます!

実は、映画祭開催前から企画していた飲み会が明日に予定されていて、私はその飲み会の主催者なので(飲み会の幹事なんてすごい久しぶり)、その飲み会が無事終わるまでは、オフィシャルには解放感に浸れないのですが、とりあえず充実した映画祭を終え、無事東京に帰ってきてほっとしました。

山形では朝4時に寝るとか、そんな日が続いていたので、明日は昼頃まで寝ようと思います。

おやすみなさい。。。

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[jp] 300席をどうやって!

明日からいよいよ山形ドキュメンタリー映画祭です! 10月2日の追悼上映会後は、写真の整理やブログの更新をしながら、映画祭に持っていくものの準備に追われていました。

持って行くものの準備というのは、例えば、日本語と英語の名刺の印刷をしたり、「さようならUR」の日本語版サンプル、英語版サンプルのDVDを焼いたり、上映用のディスクの予備を作ったり、映画祭での上映情報をチラシに印刷したり、必要な情報を印刷したり、デジカメやビデオカメラの充電をしたり・・・といった感じの事です。そして山形の映画祭の後に、引き続いて仙台と東京でイベントをやることになっているので、そちらの資料準備や打ち合わせ、会場の予約なども。ひとつひとつは、大したことがないように見えるのですが、いっぺんに、短期間でこれらを揃えるのは本当に大変で、この3日間は家にこもりっきりになってしまいました。

本当はあともう1日ぐらいあれば、もっと周到な用意が出来るのですが、時間切れなので、逆算して最低限必要なものから揃えていく・・・という発想で進めました。

・・・と、超忙しい!と騒いでいる私ですが、今日はこれらの作業に加えて、映像の編集作業をしなくてはならないのでした!

というのも、9月30日に「住まいるチャンネル」で仙台に行った際、もやいの稲葉さんから、10月16日の反貧困集会で流す用の、仮設住宅で暮す鈴木さんのインタビューが欲しいといわれ、仙台で稲葉さんがインタビュアーとなり撮影させてもらったのですが、5分程度と決まっているにもかかわらず、なんと15分近くも話し続けているのです・・・! それはすなわち私が編集して3分の1にしなければならないということ!!! そんな時間はないし、引き受けた時はそんな話じゃなかったのに!!

(15分なんて、話しすぎだよぉ~)と思いつつカメラを回していましたが、15分を過ぎた頃に稲葉さんから「もう5分ぐらい経ちましたか?」と聞かれ、「15分も話してるよimpact!」とブチ切れ気味に答えたのでした。あぁ~、編集作業が発生してしまうぅ・・・!!

反貧困集会自体は10月16日なのでまだ先のように思えますが、私は明日から山形で、そのまま仙台、そしてもしかして東京でも宿泊かもしれなくて、旅の終わりが最大で10月16日になってしまうのです!(未だに終わりが確定していないというのもなんですがcatface) なので、今日までに作業を終わらせないと、反貧困集会に間に合わないのでした。

映画祭の準備と荷造りで大忙しなのに加え、編集作業。。。何とか素材を8分にまで縮め、(もうこれで良し!)とデータを書き出し。データ送信サービスで稲葉さんに送りました。再生を確認してもらって、もし不都合があれば明朝に作業しないといけません。ああああ~~~

無事、再生されることを祈るばかりです。

ところで、全く話が変わりますが、山形ドキュメンタリー映画祭での上映は、山形市民会館の小ホールで行われるのですが、その座席数が300席もあるのです!! 普段の10倍の規模coldsweats02!! ガラガラだったら超悲しいなぁ~~~

そんなわけで、ぜひぜひ宣伝にご協力くださいませhappy02
映画祭に行かれる方、もしくは山形近郊にお住まいの方をご存知でしたら、以下の情報をお知らせしてくださるとありがたいです!!

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「さようならUR」上映と監督トーク
~山形国際ドキュメンタリー映画祭~
2011年10月11日(火) 17:10~
会場:山形市民会館・小ホール(山形市香澄町2-9-45)
詳細はウェブサイト:http://www.petiteadventurefilms.com/goodbye_ur.php
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ちなみに、私は山形にも古くて重いノートパソコンを持って行きますので、また映画祭期間中にリアルタイムでブログのアップも出来るかもしれません・・・!(夜が終わる時間によるんですが。。。)

では!!

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[jp] ブライアン追悼上映会 参加していただいた方の感想

10月2日のブライアン追悼上映会で、アンケートに記入していただいた方の感想を掲載します。

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住民同士のみならず家族間にまで対立を生むURのやり方に非常に怒りを覚えました。建て替えになった新しいUR住宅に住む私ですが、問題は根深いですね。いつもエネルギッシュに撮影する早川監督の今後に期待します。
(40代、女性)

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観ながら、しきりと、原子力村のことを連想してしまいました。行政主導の公共事業が血税を浪費し、様々な利権や天下り、大借金など、ブラックホールそのもの。その氷山の一角に果敢に喰らいついた映像に喝采!
(50代、男性)

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住民が追い込まれていく様子と家族内で意見が異なっている場面など、まるで福島県(+東北)で今起きていることと、そのままだと思いました。
UR、専門家(!?)の「経済合理性」を振りかざす姿は、いつでもどこでも同じだなぁーと。
市民(住民)ひとりひとりが考えていくための情報がたくさん詰まっていますね。突撃取材には大拍手を送ります。おつかれさま。ありがとう!!
(50代、女性)

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何より住人への愛情がにじみ出ている、そこがこの映画のイノチですね。でも、切実な現実を抱えている人々、あるいは逆に今身近に具体的な問題が見当たらなくて、「結論」だけが欲しい人たちは、性急に「どうしたらいいのか?」と答えを(この映画に)求めることでしょう。でも「答」は「戦術」でも「対処法」でもない。各々の生活の場で、一人ひとりが「住民として」力をつけていくために必要なことを、この映画を通して皆が考えられることを期待しています。
(50代、男性)

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「さようならUR」「ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1」を初めて拝見しました。

「さようならUR」
築年数の古いURに住む老人達の気持ち、URの経営状況、両方がよく分かりました。子育ても仕事も一段落し、これからゆっくり過ごそうとしていたところに移住をせまられ、不安で夜も眠れないご老人。大きな負債をかかえ、政府にはせっつかれ、どうにか経営を立て直さなくちゃならないUR。お互いが一歩も引かず、折り合いをつけられない状況は、改善できないのでしょうか。
URの住人達は、今まで甘えていたところがあったはずです。何か問題があったらURに頼めば良い、自治会の会長は常に同じで対話をあまりしない、近所のコミュニティ活動を活発にしていなかった。URもそうです。ずさんな経営とURの住人への理不尽な対応。お互いの問題点を解決し、自分の主張を完全に通そうとせずに、どちらも納得が出来る妥協点を見つける努力が出来たら良いのに。
73号棟のおじいちゃん、おばあちゃんは、どうしているだろう。裁判の行方が気がかりです。

「ブライアンと仲間たち」
ブライアンは子供が好き、そして自分の国イギリスも好きなのだな、と感じました。自分の好きなイギリスが、子供を傷つけているのが許せない。だから、何年も何年も訴え続ける。イギリスが、ひどいことを続ける訳がないと信じて。
そんなブライアンに賛同し、サポートを続ける人々の勇気も凄い。自分の生活そっちのけで人を助けるなんて、なかなか出来ない。ブライアンが亡くなった今も座り込みを続けてる、素晴らしいです。イギリス政府は国益ばかり考えず、心の通った政治を一刻も早くしてほしい。

「マリア達との対話」
とても面白かったです。遠く離れた国に住む私達が、お互いのことを思いやっていて、嬉しく心強く思いました。早川さんの同時通訳も素晴らしかった。楽しいイベントをありがとうございました。

(メールにて、女性)

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どうもありがとうございました!

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[jp] ブライアン追悼上映会+イギリススカイプ!

10月2日は、ブライアンが亡くなって以降初めて、わたし主催で開催した追悼上映会でした。三鷹で半世紀以上平和・社会活動をされている谷島さん、そしてこれまでの東京近辺の上映会などでお世話になった方々の協力を得て、「さようならUR」、「ブライアン~」の2本立て上映、そしてイギリスとのスカイプトークという、盛りだくさんな企画を計画しました。

映画の上映とトークだけなら、時間が長くなるだけで普段の上映会と変わらないのですが、今回はスカイプでつなぐというのが目玉で、そしてそれは悩みの種でもありました。

ジャーナリストの寺澤有さんに、誰かWiFi接続の設備と知識のある人で、当日のスカイプをやってくれる人を紹介してもらえないか?とお願いしていました。人を探すにも、10月2日に予定を空けられる人でないと意味がないので、あまり早くから動き出すことは出来ず、1週間ほど前になって、兼業ジャーナリストの田中昭さんを紹介していただきました。

田中さんは東京電力の記者会見に出席し、生中継をしているのだそうです。なので、ユーストやネット中継に詳しく、装備一式も自分で持っているとのことでした。

会場である武蔵野公会堂で一度接続テストをすることになり、9月24日に田中さんと初めて会い、武蔵野公会堂で接続テストをしました。当日、イギリス側でスカイプを担当してくれるポールにもスタンバイをしてもらい、接続をします!

幸い、武蔵野公会堂の会議室の造りは片側全面が窓(学校の教室のような感じ)で、建物の中だと普通は届きにくいWiFiの接続はバッチリとのこと!

・・・しかし、イギリス側のポールから送られてくる映像と音声をみて、田中さんは「悪すぎる」とびっくりしていました。画面はほとんど真っ暗で、うっすら人の影が見える程度、音は小さくて聞こえない・・・。

これまで私はポールとスカイプを何度もやっているので、画面は見慣れたものでしたが、普段は画面をほとんど見ないで会話をしているので(ネットサーフィンしながらとかcoldsweats01)、私は全く気にしていなかったのでした!! 音声については、私はイヤホンしてきいているから家では普通に聴こえましたが、田中さんのノートパソコンのスピーカーだとほとんど聴こえない状態です・・・

接続テストをする前は、日本側のWiFi状態だけを心配していた私ですが、思いがけずイギリス側のウェブカメラと音声が問題になると知ってびっくりでした。

カメラの解像度が低すぎるのか?? 家に帰ってもう一度ポールとスカイプをしましたが、相変わらず画像の輪郭はぼやけているものの、明るさはだいぶ明るくなっていました。

というのも、接続テストをした時は、イギリスは朝の9時でまだかなり暗く(イギリスは緯度が高いので)、部屋のカーテンを閉めて、部屋の明かりだけでしていたそうなのです。しかもイギリスの場合、一般家庭では蛍光灯はほとんど使われておらず、もともと部屋の明るさが日本に比べてはるかに暗いのです。

うーーーん、どうするか。カメラを新しく買うにも、彼のカメラ自体2年ほど前に購入したものなので、そんなに古いわけではありません。新しいものを買っても、画質が劇的に向上する保障はないのです。そしてHDタイプのウェブカムも販売されていますが、HDではパソコン側に要求するスペックも高くなるので、普通のパソコンで使っては、画像処理が追いつかずに、かえってフリーズしてしまう危険性もあります。人からウェブカメラを借りる場合は、インストールCDなども一緒に借りないと、パソコンで動作しない可能性もあるし・・・

私たちに残された時間は1週間弱・・・

当日の会場として使用する女性センター側でウェブカメラ、スピーカーを貸してもらえるかどうか、そして事前に接続テストをしてもらえるかどうかをお願いしようという話になりました。女性センターは少人数でいつも忙しくしているということは知っていたので、この1週間という短期間(しかも、田中さん、女性センター、私の予定を合わせなくてはならない。イギリスとの時差もある)で、本当にこれらをクリアできるのか、すごく心配でした。

女性センターから連絡が来て、木曜日の日本時間6時(イギリスの朝10時)に接続テストをすることになりました。私はその日は仙台に向かう日でしたが、4時ごろには仙台に到着する予定だったので、メディアテークでパソコンを借りてスカイプに加わることに。

さて、パソコンを借りてスカイプを立ち上げようとしても、なぜか立ち上がりません・・・! あれこれ試すうちに、約束の6時になってしまいました!! イギリスの女性センターのKay(ケイ)と田中さんが英語でコミュニケーションするのに、私が仲介役となっていたので、何とかログインしなければならないんですが・・・!!

携帯のメールを見ると、田中さんからメールが入っていて「無事スカイプテストできた。音声・映像ともにクリアなり。ケイ、ごっつええ女やん!」と書いてあるではありませんか・・・!

私が心配する必要なく、彼ら同士の間でスカイプのチェックが出来て、しかもケイが好みの女性で良かったですね、と一安心。あとは当日のスカイプを待つのみとなりました!!

はぁ~、でも事前のスカイプチェックをセッティングするだけでもう沢山!という感じで、自分に(これは最初で最後)と言い聞かせながら、何とか今回だけは成功してくれ~という気持ちで、インターネット中継ってつくづく大変なんだなぁ、と思ってしまいました。

そんな状態で迎えた10月2日。会場の武蔵野公会堂。
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第2会議室を午後・夜間の通しで借りました。9時間のレンタルです!!
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会場を借りるときに谷島さんが付けてくれたこの日の催しの名前、「早川由美子の映画を観る会」happy01
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さようならURのポスターを掲げました。サイズはちょうどぴったり。
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受付を担当してくれる「にっしぃ劇場」のにっしぃさんと、谷島さんのお友達の白井さんが来てくれました。会場で設営をします。
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第1部「さようならUR」の上映開始!
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途中、DVDの再生に不具合があり、急遽VHSで再生をするというハプニングがありました。大変申し訳ありませんでした。会場にお客さんとして観に来てくれていた小笠原さんにも手伝ってもらい、急いでVHS上映に切り替えました。

上映が終わったあとのトーク
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この日は、寺澤さんも会場に来てくれていたので、挨拶してもらい、直撃取材の時のエピソードなどを話してくれました。
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この日は2本立てという長丁場でしたから、5時から6時の間は休憩時間でした。「言論・表現の自由を守る会」の垣内つね子さんが、お稲荷さんとかぼちゃの蒸しパン、果物を持ってきてくださり、みんなでいただきました。とてもおいしくて、お客さん同士が自然と会話するきっかけにもなり、大好評でした。
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映画をご家族で観に来てくれた是恒さん。いつもありがとうございます!!
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さて、6時からは第2部「ブライアン~」の上映です。今度は田中さんのパソコンを借り、私が持ってきた卓上スピーカーからの音声に切り替えて上映したところ、第1部よりも格段によい環境で観ることができました。ほんと、私は今後の上映についてどう設備を揃えるのか、真剣に考えないとまずいです。毎回、機材との相性に頼るなんて、運に任せるのはよくないのだから。
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ブライアンの上映が終わり、いよいよイギリスとのスカイプトークです!! 日本の会場のウェブカメラは会場(お客さん)側に向け、カメラの操作は寺澤さんが担当してくれることになりました。ウェブカメラについているマイクは近くで話さないと声を拾わないので、私はスカイプトークの間90分間、ずっとこのような立ち姿勢に!!
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イギリス側は、ウェブカメラの前に4人が納まる状態で映し出されていました。後で聞いたところによると、朝9時にケイが会場に来てスカイプの位置のセッティングをしたそうですが、スカイプが始まる12時ごろになって太陽の位置がずいぶん変わり、最初に設定した位置では暗くなってしまうので、スカイプが始まる直前になってあわてて机やイスを動かし、この位置にしたのだそうです。

写真では良く見えないかもしれませんが、前列向かって左がマリア、右がポール、後列左がケイ、右がディディ。ケイとディディはロンドンのクロスロード女性センターGlobal Women's Strikeのメンバーです。

最初に彼らに自己紹介をしてもらい、そのあとは日本側、イギリス側から色んな質問が出ました。双方の国での反原発の活動、メディアの報道、福島(その他の地域)での住民の健康と対策、そしてイギリスのSOCPA法廃止~新法成立による影響と今後、イギリス総選挙の時に3ヶ月間パーラメント・スクエアで行われた抗議活動Democracy Villageについて、イギリスの表現の自由を守る根拠としているHuman Rights Actについて、イギリスの法務大臣はこの法律自体を廃止しようとしていること(!BBCでの記事はコチラです)、ブライアンの活動を陰で支えてきたマリアの存在、憲法9条、ロンドンでの武器産業見本市で400万ポンドもの税金が警察の1週間の警備で使われたこと、ロンドンオリンピック開催により福祉が削られていること、東京もオリンピックの開催地に名乗り出ていること・・・

本当に沢山の質問と回答が途切れることなく続き、質問が出来ないまま終わってしまう人も出てしまいました。これだけネットが普及しても、積極的に情報収集をしている”活動家”でも、やはりお互い直接話して情報交換することでわかる相手の国・市民の事情というのがあるのだということを痛感した今回のスカイプトーク。(やって良かった!!)と思いました。

今回の上映会は、これまでに何度も映画を観てくれている人たちも沢山いらしてくれたのですが、やはり今回のスカイプトークは特別だったようで、面白かったとの声を沢山もらいました。会場の熱気を感じましたし、私自身もその日は興奮気味で良く眠れなかったです。

以下、スカイプトーク時の写真です。(横山哲也さんによる撮影。どうもありがとうございます!)
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終盤のほうは、私もくたびれ気味な様子だわcoldsweats01

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今回の反省点としたら、このスカイプトークは、私が司会・進行、そして通訳も兼ねていたので、例えば話題が1つのことに集中しがちになったりするのを軌道修正できないまま進んでしまったり、本来はブライアンの追悼上映会であるのに、ブライアンに関する話がほとんど出てこなかったり、一人の話が長くなりすぎて他のことが話せなかったりすることでした。

やはり、きちんと仕切り、舵取りのためには司会者と通訳者を別に分け、私がどちらかに集中できるようにした方が良いでしょう。でも、英語が出来るだけでは通訳は務まらず、その話題についてよく知っていないと通訳は出来ないので、この場合は私が通訳をやるしかありません。なので、司会者を別に立てる事が必要だったと思います。

ちなみに、私はスカイプトーク中はほかの事は全く眼中に入らないぐらい集中しているので気がつかなかったのですが、後で聞いたところによると寺澤さんがスカイプトークの様子をツイッターでつぶやき、それが場外乱闘騒ぎになっていたそうです!

寺澤さんのツイッターを覗いてみると、「田中昭さんがロンドンとインターネット経由で対談をするために準備中。相手方の女性を”ごっつええオンナやん”と言うから、パソコンのディスプレーをのぞき込んだら、ただの”ごっつい女”でした」とか「インターネット経由でロンドンと対話中。相手方はがたいのいいお姉さま3人とホモっぽい男性1人。もっぱら話題は大震災と原発事故」とか、その他様々な放言(普段どおり?coldsweats01)が飛び交い、フェミニストたちとの間で炎上のような状態にもなっていました。

さて、当初このイベントは9時20分ごろには終了させ、9時半にはここを出て飲み会・・・という段取りだったのですが、気がついたら9時40分ごろになり、谷島さんが「今終わらせないと撤収できない!」と知らせてくれて、最後はあわててスカイプを切る様な状態になりました。

来ていただいた方々に一人ひとりお礼を言いたかったのですが、片付けに追われ、それもままならないまま撤収。この場を借りて来て頂いた皆様にお礼を申し上げます。

打ち上げの様子
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↓明るさ調整したら変な色合いになってしまった・・・

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11時を過ぎ、この日は日曜日なので大抵の人は次の日仕事があるのでお開きとなりました。最初はどうなるかと思った追悼上映会+スカイプトークでしたが、おかげ様でとても充実した有意義な会となりました。

手伝っていただいた皆さん、会場へ足を運んでくださった皆さん、第1部+第2部と通しで付き合ってくださった皆さん、どうもありがとうございました!!

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[jp] 住まいるチャンネル・仙台生放送 報告

9月30日は、「住まいの貧困に取り組むネットワーク」の有志メンバーが仙台に向かい、住まいに関するインターネットTV「住まいるチャンネル」の第2回放送をしました!

相変わらず貧乏な私は、新幹線で到着するほかのメンバーより一足早く、前日に高速バスで仙台入りしました。

せんだいメディアテークのチナツさんのお宅に泊めてもらいました。チナツさんにはいつも超x100お世話になっていて、本当に感謝です!!

写真は朝食。
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チナツさんのお友達が作ったという天然酵母のパン。おいしかったです!
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お昼に、「住まいるチャンネル」でキャスターを務める松元千枝さんたちと、仙台長町の仮設住宅で待ち合わせをしました。

私は早めに着いて、8月の取材で飛び込みインタビューをさせていただいた80歳の元漁師・中澤さんのお宅に立ち寄ってみました。中澤さん夫婦は私のことを覚えていてくれ、家にあげて歓迎してくれました。

初めてお会いしたときには、奥さんは私とあまり口をきいてくれませんでしたが、今回はとても良く話しかけてくれ、アイスまでご馳走になってしまいました。やはり、一度きりの関係ではズカズカと家の中にまであげられ、撮影されるのは大抵の人にとって気持ちの良いものではありませんよね。もう一度戻って来れて良かったと思いました。

長町の仮設住宅は、8月に来た時は「異質な町」という印象を持っていました。住民はほとんど外におらず、「埼玉県警」という制服を着た警察官や、雇われの見回りサービス、大学生ボランティアなどがせっせと個人宅を訪問している。。。コミュニティーは何もなく、「施設」のような感じがしました。

しかし今回は、外に出て住民同士で日曜大工をやっている人たちが多く見かけられ、だいぶ雰囲気がよくなっているように感じました。Dsc04126

千枝さんとともに、「住まいるチャンネル」出演者で長町の仮設住宅にお住まいの鈴木さんのところへご挨拶に行きました。放送前に実際にキャスターも仮設住宅を拝見し、お話を聞かせてもらいたいと思ったからです。

なんと、8月に取材した時に病気だった愛犬のバロンちゃんが、つい10日前に亡くなってしまったのだそうです・・・。津波を乗り越え、避難所生活も体験して、相当ストレスがたまってしまったのではないか、と話していました。
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8月に鈴木さんからお話を聞いたときは、ここの仮設住宅には自治会がないので、行政に要望が通りにくい。自分は自治会をたてる道筋を作る、というようなことをお話されていました。私としてはそれがその後どうなったのかにとても興味がありました。

鈴木さんに新しい名刺をいただいたら、「あすと長町仮設住宅運営委員会・会長」という肩書きが書かれているではありませんか!! 8月にここに住む人たちに呼びかけて集まりを持ち、そこで運営委員会を立ち上げ、今は会長をされているのだそうです。

ますます大忙しになり、ついにノートパソコン&光回線を導入!
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運営委員会の立ち上げにより、ずいぶん要望が通りやすくなったそうですが(仮設住宅内への郵便ポストの設置等)、それでも運営委員会活動による個人の出費は相当かさんでいるようです。これまでは月3000円ほどだった携帯電話代が、今は毎月18000円ほどになっているそうです。(そのほとんどは仮設住宅がらみの用件)。全戸配布する資料の印刷代も相当かかります。時間や労力だけでなく、その経済的負担も大変だなぁ・・・と思いました。こういったことが自治会運営費や仮設住宅内の集会所などでまかなえたらよいのですが。

千枝さんによるインタビュー
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鈴木さん宅訪問を終え、生放送スタジオであるせんだいメディアテークへ向かいました。
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今回の放送は、「せんだいメディアテーク・3がつ11にちをわすれないためにセンター」の協力で実現しました。生放送の技術的な部分を全て担当していただいて、本当に感謝です!

出演者が多く、番組構成も複雑なので、番組開始2時間前に打ち合わせを始めました。(早すぎるかな?と思いましたが、結局は時間が足りないぐらいでした)

3がつ11にちをわすれないためにセンターのスタッフ、北野さんによる説明
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”自称”「川柳界の若手」乱鬼龍さん
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出演者の鈴木良一さんと大槻フローランスさん
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出演者が通しで順番にテレビ画面の前に座り、位置を調整します。
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カメラを担当していただいた、せんだいメディアテークの長崎さん
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大船渡の仮設住宅とスカイプでつなぐことになっていたので、そちらの接続チェックを。
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無事繋がりました!
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出演者の新井先生と中島先生
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事前に必要なデータなどは全て提供していたと思いきや、やはり伝えていなかったこと、当日ここで確認しなければならなくなったものなどが噴出。私は生放送番組に携わるのが初めてだったのですが、必要な資料、段取り等、今回の生放送を通じてものすごく勉強になりました。
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放送開始直前。超真剣にパソコンに向かっている千枝さん。
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せんだいメディアテークスタッフ(お名前を失念してしまいました)の方が、番組放送中にツイッターで放送内容をリアルタイムでつぶやいてくれました。ユースト放送では、ツイッターによるつぶやきが、視聴者数拡大のためには欠かせません。
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北野さんとチナツさん
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うわぁ~、いよいよ生放送開始!! トップバッターは鈴木さんです!
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マイクはギャラリーの声も拾ってしまうため、拍手や反応の声などを除き、私語は謹んで放送を見守ります。(でもやっぱりみんなの中に緊張感があって、注意しなくても私語は出ないような雰囲気でした)
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鈴木さんは普段よりやや緊張している感じ。
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大船渡のほうのインターネット環境がやや不安定で、接続を切らないでつないだままにしてとお願いする北野さん。(一度切ってしまうとまた繋げるのが大変なのだそうです)
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インターネットTVで使用する「Ustream」の画面
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出番を待つフローランスさん。緊張感が私にも伝わってくる!!
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当日のキャスター、もやいの稲葉剛さんとジャーナリストの松元千枝さん。いつも、生放送番組ではコーナーの入れ替わり時にステブレと呼ばれる短いクリップなどが流れ、それが流れている間にキャスターは水を飲んだりできるのですが、この日はステブレがなく二人はずっと画面に映りっぱなしで、本当に大変だっただろうと思います。(私は裏方だったんで、お饅頭食べたり、ジュース飲んだりと、やりたい放題だったんですがcatface
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今回の東日本大震災に関するせんだいメディアテークのアーカイブへの取り組み。ぜひ写真をクリックして、拡大して読んでください。
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フローランスさんの出番です! 仙台に住んで28年。東日本大震災で被災した経験や、フランス語通訳としてフランス人ジャーナリストたちに同行した経験を話していただきました。私は香港に住むフランス人のセバスチャン(雲南映画祭で知り合った)に、今回の放送のURLを事前に知らせていて、彼もこの放送を見てくれていたのですが、見終わったあとで「特にあのフランス人女性には驚いた。フランスでは、日本文化に傾倒して日本人のようになっている人のことを"tatami-ization"(←フランス語を英語に翻訳すると)と呼ぶが、彼女はまさにそうだ!」と言っていました。
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東日本大震災、そして福島原発のあと、彼女のところにはフランスからの問い合わせが殺到して、みんなは彼女がパニックになっていることを期待して、質問してきたのだそうです。「どうして逃げないんですか? すぐ国外に避難すべきでしょう」とも散々言われたのだとか。

なので彼女はパニックにならないように、フランスやその他の国のニュースをなるべく見ないようにし、NHKだけ見るようにした!と話していました。私を含む、日本人の多くはウソばっかりのNHKなんてうんざりだという人が多いと思いますが、パニックに陥りたくないからという発想でNHKを見たいという人もいるのだなぁ、海外からたくさん煽られたらなおさらそう思うんだろうなぁ・・・と思いました。
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タイムキーパーを務めてくれた大窪さん。おかげで放送開始は5分遅れたものの番組終了時間はぴったりでした。
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さて、次は乱鬼龍さんによる川柳コーナー。川柳の前に、乱さんが8月まで多摩ニュータウンの諏訪2丁目団地にお住まいだったこと(諏訪2丁目団地はつい先日解体工事が始まりました)と関連して、公共住宅、国の住宅政策に関する考えを述べ、続いて、今回の福島原発事故と、乱さんの出身地(足尾鉱毒事件が起こり、汚染された土地)の共通性などをお話していました。
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お話はとても興味深かったのですが、乱さんの持ち時間(10分)がもうあと残り数分となっているにもかかわらず、いっこうに川柳の紹介がありません!! 大窪さんのタイムキープのためのホワイトボードに「そろそろ川柳の紹介してください!」と大きく書き、乱さんに知らせます。

・・・と、ここからがびっくり。司会の千枝さんたちの仕切りが全く必要ないぐらい、乱さんは自分主導で鮮やかに川柳を紹介して見せ、時間ぴったりに自分のコーナーを終わらせたのです! これには私たちもびっくりで、新井先生は「彼だけでひとつの番組できちゃいますね」と言っていました。私も同感。Dsc04266

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さて、最後のコーナーは中島先生と新井先生です。これまでの出演者たちの話も総括した感じで、ではこれからの被災地における住宅政策はどうすればよいのかなどを話していただきました。

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新井先生による仙台・長町の仮設住宅での入居者支援の取り組みを、パネルを用いて説明します。

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例えば仮設住宅では収納が少ないのが問題となっていますが、建築学科の学生たちがボランティアで外に収納棚を取り付けたり、先生が木材などを調達してきて住民の方たちが自分たちで作れるようにしたり、といった活動をされています。

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10月には長町の仮設住宅で、「仮設住宅祭り」(!)をされるそうで、その紹介もしていました。おしゃれなカフェも登場するのだそうです。行きたかったなぁ!!
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中島先生からは、震災における女性、子ども、障がい者、高齢者、外国人などに必要な支援というテーマでお話をされました。

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無事、先生たちのトークも終わり、これで予定していた全てのプログラムが終了しました。最後は「住まいの貧困に取り組むネットワーク」から、カンパのお願い(切実happy02)や、10月16日の反貧困集会のお知らせなどがアナウンスされました。
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予定していた7時45分に放送終了!! 出演者、スタッフ、メディアテークスタッフの方々と記念撮影。(シャッターを押してくれたチナツさんが入っていないのが残念。。。)
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放送終了後は、スタッフと出演者で飲み会。フローランスさん行きつけのフレンチレストランを勧められたのですが「え? フランス料理? 高そう。私たちワープアなんで」との声続出(一番言っていたのは私なんですがcoldsweats01)。なんと、フローランスさんは値段についてお店に交渉すると言うではありませんか!

飲み物と数品の料理がついて2,000円!!! なんだか申し訳ない気持ちに・・・。ちなみに、イチジクの白ワイン煮なる繊細な料理も出て、おいしかったです! ランチは1500円ぐらいだそうなので、ランチだったら今度行けるかも。

かわいらしいイチジクの白ワイン煮の登場に、思わず写真を撮る新井先生。
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フローランスさん、値下げ交渉、ありがとう! でもやっぱり、仕入れ価格や利益も考えて値段が設定されているわけだから、強引に値下げをお願いするのはよくないことですよね、本来は。まぁ、めったに食べられない、おそらく今年最後のフレンチだと思うので、今回は仕方ないけど。(超迷惑な客!)

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おいしい料理を堪能できましたが、やはりおなかが空いているのでもう一軒行くことになりました。特にキャスターを務めた千枝さんの食欲がすごくて「とにかく腹にたまるものを!」と何回も言っていました。あんなにスリムなのに、すごい食欲なんだなぁ。でも、ずっと画面に出っ放しで何も食べられなかったから、相当おなかが空いたんだろうな、と思いました。

「腹にたまる」をキーワードに、新井先生に別のお店に連れて行ってもらいました。雰囲気の良さそうな飲み屋街へ。
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連れて行かれたお店はジャズバー。ここでおなかいっぱい食べられるのか? 千枝さんは不安そうでした。
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新井先生がお店のママさんにガッツリ食べられるものを、と注文したところ、まるで漁師メシのような魚の煮付けが山盛り出てきました。そのほかにもカレーとか、色んな料理が並んで、千枝さんもやっとおなかが満たされたみたいですcoldsweats01
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打ち上げも終わり、チナツさんのところへ戻りました。出演者の皆さん、「住まいの貧困に取り組むネットワーク」有志の皆さん、そして「せんだいメディアテーク 3がつ11にちをわすれないためにセンター」スタッフの皆さん、どうもありがとうございました&大変お疲れ様でした!!

今回の放送の録画は、コチラのウェブサイトからご覧になれます。生放送を見逃した方は、ぜひご覧くださいね!

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[jp] 廃校になった小学校で

9月28日は、高幡台団地の中にある「中央公民館・高幡台分室」にて、「さようならUR」の上映会をしていただきました。この日は水曜日、しかも午後2時からという時間帯です。(どれだけの人が来てくれるのか・・・)と主催者である「高幡台団地を考える会」と私は、不安と期待の入り混じった気持ちでいました。

高幡台団地に到着。しばらくスーパーのない状態が続いていましたが、新たに100円ショップがオープンしました。高幡台団地の中で食料・生活用品が買えるお店はここだけです。
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73号棟の前を通り、団地内を歩いて会場へ向かいます。
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会場の「日野市教育センター 中央公民館・高幡台分室」は、実は廃校となった「旧・高幡台小学校」なのです。かつて大勢の子どもたちがいた高幡台団地は、2つの小学校があったそうです。校舎が足りなくて、プレハブで授業をしていたこともあるほど。

それが、やがて子どもが少なくなり、高幡台小学校は2002年に廃校となりました(程久保小学校と統合して、夢ヶ丘小学校へ)。

会場の「日野市教育センター」
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廃校になって10年近く。雑草が生えた校庭を見るのはなんだか複雑な気持ちです。私の記憶の中では、学校の校庭というのはいつもきちんと整備されているのが当たり前だったから。。。
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校舎は教育センター・公民館として活用はされているものの、建物の補修やメンテナンスなどはほとんど行われていないようで、傷みが目立ちます。
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学童クラブも入っています。
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こんなに活用されているのだから、もう少しは整備してみんなが気持ちよく使えるようにすればいいのに・・・と思いました。私は古い建物は大好きなのですが、きちんと手入れされ、愛情を注がれて長く使われている建物とそうでない建物は、一目で分かりますよね? ここは明らかに大切にされていないというのが建物から伝わってきて、悲しくなってしまいます。

上映会場に到着。
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とりあえずイスを30脚ほど並べました。
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開始10分前になってもお客さんは数人。。。主催者の田中さんたちと「やっぱり平日は難しいかしら?」と話しました。

しかし、開始5分ぐらい前になって、ドドドっとお客さんが!! みんな高幡台団地やその周辺に住む人たちなので、時間ぎりぎりに来るのでしょうか? あわててイスをもう10脚取りに行きました。最終的には40人近くの方が来てくれました!
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上映中の様子
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上映後は車座になり、高幡台団地のこれからについて話し合いました。普段の上映会のあとのトークでは、例えば映画作りに関する質問がほとんどなのですが、高幡台団地で上映会をするときは、やはり問題が直接自分たちに関わるものなので、高幡台団地の問題を具体的にどうするかという切実な話題が中心になります。(映画作りに関することよりも、私としてもそのほうが本望です)。

定年退職をしたある男性は、高幡台団地に長く住んでいて、かつてはソフトボールチームのコーチをしていたそうです。子どもが多く住んでいた頃は、野球チームが3チーム、ソフトボールチームが2チームも編成されていたそうです。そのどれもが今はなくなってしまった、自分も年をとって団地のコミュニティー作りに無関心になってしまっていた、そこにこの73号棟のような問題が起きてしまった、自分たちにも責任がある・・・というようなことを話していました。

高幡台団地の分譲に住む人からは「73号棟の問題は、分譲の管理組合(賃貸でいう自治会)ではほとんど説明がなされなかった。ただ耐震不足で取り壊すとしか説明されなかったので、背景にこんな事情があるとは知らなかった」などの発言がありました。

73号棟問題について、どうすればよいのかという妙案はそう簡単には出ませんが(出ていたら苦労しない)、この日に出た意見は、「もっと団地に住む人たちが繋がろう」ということでした。

「団地問題を考える会」とか掲げてしまうと仰々しいけれど、例えば団地には面白い人材もたくさんいるのだから(私が映画の中で使っている演歌の作詞家が団地に住んでいる人だと話すと皆さん驚いていました)、彼らの職業などの経験を話してもらうとか、ワークショップをやるとか、そのような機会を持って、横のつながりを作って行く・・・そんなことが出来たらいいね、という話になり、私もそれは面白そう!と思ったのでした。

無事上映会を終え、畦地さんの家でお茶を飲んで帰りました。畦地さんのご主人は、73号棟問題が起こるまで中川さんとは面識がありませんでしたが、この問題を通じて意気投合。今ではしょっちゅう中川さんが家に来るそうで、ついに「中川さん専用の湯飲み茶碗」を畦地さんの家では用意したそうです! いいなぁ。

手前の白い湯飲み茶碗が中川さん専用カップhappy01
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充実した上映会でした。

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