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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その6(10月11日)

いよいよ上映の日。これまでは朝8時に起きて朝食を食べていましたが、この日は11時まで寝て、お昼頃にホテルを出ました。さすがにおなかが空き、なにかきちんとお腹にたまるものを食べようと、近くを散策。

今日は上映の日なので奮発してロースカツ定食! ご飯もそばもついています。
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かなりおいしいです!!
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公民館に行き、インターナショナル・コンペの「星空の下で」(レナード・レーテル・ヘルムリッヒ監督)を途中から最後まで観ました。インドネシアの貧しい地域に暮す家族を12年間追い続けた3部作の完結編、ということなのですが、働き者の妻と、闘魚の飼育に熱中する夫の激しい夫婦喧嘩、思春期の女の子の恋愛、都会と田舎に住むおばあさん同士の価値観の違いなどが赤裸々に描かれていて、監督はオランダ人というけれど、一体どうやってこれらを撮影したのか?!と不思議に思ってしまいました。しかも、めちゃめちゃ面白いし、笑えるのです! 「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムの「9月11日」の監督、大宮浩一さんにいたっては、「あれ、ドキュメンタリーじゃないでしょ!」と言っていたほどです。

上映後はホテルに戻りました。私の上映のための荷物を取りに帰るために。上映後の質疑応答を記録するためのビデオカメラ(撮影は金さんに依頼)、ロビーで販売する「ブライアン~」のDVD(こちらの販売も金さんに依頼)、そして予備のブルーレイやDVCAMテープも持って行くことにしました。

上映会場である山形市民会館・小ホール
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ここの会場は、主に「ニュー・ドックス・ジャパン」とキューバプログラムの上映会場となっていました。
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まだ私の上映まではだいぶ時間があるので、途中からキューバプログラム「移民の島2」を観ました。音声はスペイン語で、英語の字幕のみでした。時々ささやくような音量で日本語の吹き替えが近くの人から聞こえてきます。イヤホンの貸し出しをしていたのかもしれません。私は英語字幕を追って観ていましたが、正直自分の上映を控え、内容はあまり記憶に残っていません。

キューバのプログラムが終わり、いよいよ私の番となってしまいました!! どうしよう!!
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「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラム担当の愛さんとともに、「さようならUR」の映写チェックをしました。やはりブルーレイだから画面はDVCAMよりずっときれいだし、気持ち、音質も良いみたいと思いましたが、それより何より、やはり再生が無事されるかどうかが気がかりでした。
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上映後の質疑応答についても、打ち合わせがありました。上映後に、愛さんが私を紹介してくれ、最初に私は短い挨拶をして、それから質疑応答に入るのだ、と。質問が会場からないようであれば、愛さんのほうから少し質問をする、とのことでした。英語の通訳は、カトリーヌ・カドゥさん(東京国際映画祭で10月24日「黒澤、その道」を上映される)が担当されるけれど、外国人のお客さんが少なければ、時間の節約のためにウィスパリングで通訳をするとのこと。

開場まであと少しとなった時に、金さんが見えました。金さんは映画祭にお客さんとして参加しているにもかかわらず、ほぼスタッフのようにカメラ撮影とDVD販売をお願いしてしまいました。金さんはカメラでの撮影について「普段人のために撮影したことないから、プレッシャーsweat01」と言っていました。そして、私のカメラのようなミニDVタイプのものは使ったことがない、とも言っていました。

私は、善意でのお手伝いの人にたくさん要求してはいけないということは理解しつつも、撮影の仕方まで細かく説明してしまいました。やっぱり記念すべき上映の後の質疑応答だから、ちゃんと撮ってほしいと言う気持ちがあって。

開場を待つ間、木室志穂さんのインタビューがありました。映画祭のビデオリポート第4弾のため、監督たちを撮影して回っているのだそうです。監督たちがどうやってご飯を食べていっているのか?というのが共通質問のようでした。私は「映画で生活していけるだけの収入を得るのは難しい。バイトをしたら今度は映画を作る時間がないし。やっぱり居候でしょう!」と言ったようなことを話しました。・・・参考になったのでしょうか・・・happy02

木室さんと
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受付の様子
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外では、呼び込みをしてくださるスタッフの方がいました。
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以下の写真5点は、デイリー編集室からいただいた写真です。

映写室が見えます。
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会場前方はこんな感じ
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デイリー編集室の桝谷秀一さん
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いよいよ開場し、意外にもお客さんが入ってきてくれていました。開場から10分ほどで、既に100人ぐらいは来ている様な感じ。すごい、これでもう十分だわ、と思いました。映画祭期間中に知り合った人たちの顔もちらほらと見えて、(やはり後半に上映するのは良いのかも)と思ったりもしました。上映開始後20分ぐらいまでは途中で入ってくる人たちも結構いて、最終的には130~150人ぐらいまで行ったと思います。すごい!!
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場内が暗くなり、映画の上映が始まります!!
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黒塗りの情報公開、URとのやり取り、裁判のこと、直撃取材・・・見ている最中に笑い声や拍手まであったりして、私は反応の大きさに驚きました。こんなに面白がって観てくれるんだ、と。

エンディング
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会場の反応が良く、そしてブルーレイが最後まで問題なく再生されたことで、映画の終了時には私はもうすごく満たされた気持ちになっていました。

愛さんに紹介され、私は会場前方に向かいます。前に出ると、映画祭で知り合ったティーさんや、エイヤさんたちも来てくれている事が分かりました。高杉さん、ジャカワーン、そして吉田さんの顔も見えました。
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最初の挨拶で、何かひとつぐらいエピソードを話そうかとも思っていたのですが、とにかく”無事終わった”という満足感でいっぱいで、お礼だけを述べました。質疑応答では、大抵は最初のうちは手が上がりにくかったりするのですが、このときは最初から数人の手が上がりました。

質問は「3月11日の大震災で、73号棟は大丈夫だったのか?」、「この映画を作ろうと思ったきっかけは?」、「裁判は現在どのような状況か?」、「なぜ73号棟が削減対象として選ばれたのか?」といったような質問をいただきました。
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ベトナムのティーさんも質問してくれました。「自分自身を映画の中に登場させようと思ったのはなぜか?」というのが質問で、感想として「観ていて、あなたはマイケル・ムーアのようだと思った! いや、マイケル・ムーアよりすごい。女性だし」という発言が!!!!! これには会場内からもどよめきと笑いが!!
(以下の質疑応答写真は、全てデイリー編集室からいただいたもの)
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通訳をされるカドゥーさん
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あっという間に質疑応答の終了時間となりました。私自身、楽しみながら質疑応答をすることが出来て、とてもうれしかったです。

上映後はあわただしくロビーでDVDの販売コーナーを設置して、金さんにDVDの販売をお願いしました。

ロビーでも、何人かの方から質問や感想をいただきました。中立性・公平性という観点から、もっとUR側の言い分も取り上げるほうが良かったのではないか?、とか、UR側の人たちの実名や顔を晒すのは、それはそれで暴力的で、彼らを傷つけているのではないか?という意見もいただきました。

これらは本当に興味深い質問だと思います。私には、私なりの考えで敢えてそうしている部分があるので、これらの質問はぜひ会場内の質疑応答で出たらよかったのにと思いました。今回、質問をいただいた方に個人的にしか回答出来なかったのが残念でした。(これまで別の上映会の時にこういう質問が出たことはあります)。

NDS(中崎町ドキュメンタリー・スペース)の金稔万(キム・イマン)さん(「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムで「釜の住民票を返せ!2011」を上映)、中村葉子さんも話しかけてくれました。中村さんは大阪の千里ニュータウンについてのドキュメンタリー映画「空っ風~大阪府北部千里桃山台第二団地の記録」を作られ、お互いに団地に関わるドキュメンタリーを作ったということで、取材について、当事者の人たちとの関わりあい方、支援組織の問題点などを話し合いました。映画のDVDもいただきました。

大学院でジャーナリズムを学んでいるという学生さんとも話しました。私の経歴をカタログで見て、ロンドンでジャーナリズムを学んだというのに興味を持ったそうです。ロンドンの学校の様子などを聞かれました。私は日本のジャーナリズム教育(学校での教育)がどうなっているのかについてほとんど知りません。日本のジャーナリズムはOJTとして、優秀な大学を卒業した人たちが新聞社やテレビ局などに入社し、現場で教えられていくようなイメージがあるのですが、実際はどうなのでしょう?? 自分の印象としては、会社組織の中で学んでいくジャーナリズムが日本の特徴であるように思うのですが??

一方、私が学んだロンドンのジャーナリズム専門学校は、フリーランスを前提としていて、法律をたくさん勉強させられ、先生の口癖は「あなたたちを守ってくれるのは会社ではありません、法律です。最後は法律を盾としてたたかうのです」というものでした。(だからと言って、イギリスのマスメディアが良いというわけでないのですが、少なくとも学校の教育はそういう理念がありました)。

日本でも、マスメディアの会社組織の中で、長年ジャーナリストとして育ててもらっても、ジャーナリスト魂を貫き通そうとして会社と衝突したら、最終的には会社は記者を見捨てるのではないでしょうか?(例えば最近の例として、元・北海道新聞の高田昌幸記者の例などが挙げられるでしょう)。

そんなわけで、マスメディアの中でのジャーナリズムは、基本的に成立し得ないのではないか?と、私は思っているのです。マスメディアの中でも、少数派ながら、優れた良心的な調査報道ジャーナリストはいますが、そういう人たちは社内で正当に評価されているとはいえないし、ふさわしい活躍の場を与えられているわけでもないので。。。

大学院でジャーナリズムを学んでいるその学生さんは、「将来はNHKに入社してドキュメンタリーを作りたい。それが日本で報道、ジャーナリズムを実現できる唯一の方法だから」と言っているのを聞いて、私は複雑な気持ちになりました。

さて、無事上映が終わり、DVDも予想以上に売れ、大満足で上映を終えました。金さんはこれから新幹線で東京に戻るとのことでした。金さん、どうもありがとうございました!

金さん、高雄さんと
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愛さんと
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そのあとは、高雄さんとともに晩御飯を食べに行きました。おごってくださるとのことです!!

お鮨屋さんへ
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「遠慮しなくていいですよ」という発言を真に受け、刺身とてんぷらの豪華な定食を注文!
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お鮨を食べる高雄さん
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カウンターのご主人は、私が東京から来ていると知って、「東京の人にはホントに申し訳ないんだけど・・・」と言いながら、「東京の飯はまずい」と繰り返し話していました。東京に行ったとき、2000円もするお蕎麦を食べたそうですが、すごくまずくて、山形の駅の立ち食いそばのほうがよっぽど美味しかった、と。「ご飯は山形が一番美味しい。しかも日本海側がいい」と言っていました。「東京は寄せ集めだから、東京の人は味が分からない」と。若い頃は勉強のために良く東京に行き、一晩で20万円も使って遊んだこともある、とも話していました。お鮨屋さんのマスターというと、寡黙で、客の話を黙って聞く、みたいなイメージがあったのですが、ご主人の独り舞台というぐらい喋りまくる人で、面白かったです。
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この日は、川口隆夫さんも関わっているキューバのクラブイベントがあって、当初はそれに行こうと計画していたのですが、この日は高雄さんの長年の友人が危篤となり、数時間後に亡くなられるという、大変残念なお知らせがあり、高雄さんは電話での対応に追われ、クラブイベント行きを取りやめて、お別れしました。鶴岡の文化活動で中心的な役割を果たされてきた方で、主宰する劇団の公演を目前に控えての急逝。周りの人のショックはいかばかりかと思いました。

高雄さんと別れ、私は10時から映画祭期間中に3回開催される「IDEHAサロン」に参加する予定でした。今回の映画祭から創設される「スカパー!IDEHA賞」の対象監督(インターナショナル・コンペティション、アジア千波万波、ニュー・ドックス・ジャパンの各プログラムで上映される日本映画の監督)と、審査員であるホセチョ・セルダンさんが、映画作りについて語り合う場と聞いていました。ホセチョさんは対象作品をすべて観ているので、自分の作品についても感想をもらえるかも、とのことでした。

普通、映画祭で監督と審査員が語り合う場はないそうですが、映画祭から事前に送られてきた案内によると…

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YIDFFでは「優劣を競う競争」よりも「出会い」「交流」ということに重きを置きたいという精神を掲げてきました。特に少人数あるいは一人で制作することの多い日本のドキュメンタリー作家たちにとって、自分の作品へのさまざまな感想を得られる場として、映画祭での上映が多くの扉を開くきっかけになることを願っています。意見のちがう人との出会いもあるかもしれませんが、それも改めて自分の感性を自覚することになるなど前向きに捉えることはできるのではないかと思います。

今回の賞創設にあたり、この考え方を実践すべく、審査員との話し合いの場を特別に設けました。海外の映画専門家であるセルダンさんを中心に賞の対象となっている他の作り手たちと上映作品について話し合える「IDEHAサロン」を期間中、3回予定します。ご興味があれば、どこかの回にぜひご参加ください。軽く飲み食いしながら、セルダンさんや他の日本の監督たちと映画について話し合いませんか?
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と書いてありました。

私は前2回(10月8日と10月10日)は参加していませんでしたが、今日は自分の作品の上映があり、映画を観てもらったはずなので、今日の回に参加することにしました。他に大宮さんや、NDSの金さんも参加されると聞いていました。

IDEHAサロンは10時からだったのでまだ時間があり、私はデイリー編集室に立ち寄りました。

編集室に入ると、皆さんから私の上映後の質疑応答での”マイケル・ムーア発言”について言われたので(何で知ってるんだろう?)と思ったら、デイリー編集室の佐藤寛朗さんがツイッターでつぶやいてくれたのだそうです!!

大竹さんがビデオリポート第3弾を編集中でしたが、編集しながら自分で撮影した素材を観て大受けしていました。どんなのが出来上がるのか楽しみです。

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いつも忙しそうにしている桝谷さんと、この日に初めて色々お話が出来ました。さすがに映画祭も終盤になって、やっと余裕が出来たのかもしれません。映画祭に第1回から市民側のスタッフとして関わっているそうで、これまでの大変な道のりについて少しお話をうかがうことが出来ました。普段は時計の修理のお仕事をされているそうですが、「映画祭の開催年は、1年の半分は映画祭」と言っていました。やっぱりそれぐらい大変なんだなぁ…!
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桝谷さんは、「お気に入りの洋服を1枚持つ」ということについて話していました。桝谷さんは、普段はTシャツとかラフな格好が多いそうなのですが、映画祭の時に海外から来る監督たちが、普段は普通の格好なのに、レセプション・パーティーなどの時に、さりげなくフォーマルな装いを着こなしているのに、とても感心したそうです。(品の良さそうなジャケットにノーネクタイ、みたいな)。そこで、桝谷さんも、ちょっとしたよそ行きの場では、自分のお気に入りのジャケットのような服を1着は揃えておきたいと思うようになった、と言っていました。確かに、”現場主義!”の映画監督たちとはいえ、人前に出る機会が多いのですから、人前に出ても恥ずかしくないような格好をするというのは大人の証、と私も思います(私は実践は出来ていませんがgawk)。

デイリー記録班で活躍しているスタッフの方たちが、89年生まれと知って衝撃! 平成生まれの人たちが、もう映画祭の主力メンバーとして活動しているなんて!!!
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10時になり、「IDEHAサロン」の待ち合わせのため、デイリー編集室を出てワシントンホテル前に向かいました。愛さん、大宮さんたちと合流して、会場である「ふるさと」という居酒屋へ向かいます。

居酒屋「ふるさと」前にて。私はお店が前の写真が撮れれば良かったのですが、大宮さんが「実は自分が写ってる写真って少ないでしょ? 撮ってあげる」といってくれ、愛さんとともに撮ってもらいました。
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大宮さんとも。週刊誌に撮られた風にしよう!と盛り上がり、こんな感じで。怪しい写真だなぁ・・・!
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カドゥさんが通訳となり、ホセチョさんからの質問に各自順番に答えていくというスタイルで進められました。参加監督はNDSの金さん(IDEHAサロン皆勤賞だったそうです!)、NDSの中村さん、大宮さん、土井さん、そして私でした。
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通訳のカドゥさんと、審査員のホセチョさん
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途中で映画祭東京事務局ディレクターの藤岡朝子さんも加わりました。
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まず、最初の質問は、被写体となる人たちとどれぐらいの時間をかけて、どのように関係を築いて撮影をしたのか?というものでした。

それに対する各監督の答えは、面白いぐらいに違っていました。まず私は、前にもここに書いたことが何度かあるかもしれませんが、今回の作品に限って言えば、”裁判のために作る。裁判が始まる時期から逆算すると、もう残された制作時間は少ない”という大前提があったので、最初はカメラを回さずに時間をかけて人間関係を作る、というようなことはせず、顔見知り程度の状態でインタビューをさせてもらい、逆にインタビューをすることによって絆が出来、その後の関係が作られていった、といったようなことを話しました。また、その人らしさを引き出すために、これも以前ブログで書きましたが、私を論破しようとする人には正論ではなく自分の言葉で語ってもらえるように工夫した、とも言いました。

土井さんは、「”私”を生きる」に関しては、撮影に2年間かけ、じっくりと人間関係・信頼関係を作り、それからカメラを回したと話していました。いかにも土井さん的な、誠実な取り組み方です。

大宮さんは、「9月11日」に関しては、5人のカメラマンを雇い、1日で撮影したものだといいました。だから、一期一会だし、その後被写体の人たちがどうなったのかは知らない、と。

金さんは、もともとは「釜の住民票を返せ!2011」ではなく、自分についてのドキュメンタリー映画を作るつもりだったと話していました。それが、NDSのメンバー、布川さん、長居公園の強制排除・・・など、色んないきさつから今回の作品を作ることになったのだ、とのことでした。

NDSは、これまで私は団体名は知っていました。また、前回の山形で「長居青春酔夢歌」を上映したメンバーの佐藤零郎監督が、不当に逮捕&長期拘留されているとのニュースは、東京の自主映像作家やビデオ・アクティビストの中でもよく知られていました。私としては、NDSのことを「インディペンデント・ドキュメンタリー制作者の集団」というように勝手に理解していました。

でも、不思議なことに、金さんがNDSの成り立ちについて、あり方について、詳しく説明すればするほど、逆に良く分からなくなってくるのです・・・! 「布川さんという人が重要な役割を果たしているらしい」、「従来のドキュメンタリー制作のあり方(=監督を頂点としたピラミッド型の組織体制)を否定し、共同で作品を作ることを目指しているらしい」ということは分かったのですが、では各作品の監督はどうやって決まるのか、監督の役割は・・・?といったようなことはよく理解できず、それは英語に通訳してホセチョさんに説明しなければならないカドゥさんも、かなり混乱しているようでした。

一体どんな組織なんでしょう! NDSとは。今度また改めてお聞きしなくてはと思っていますhappy01

次の質問は「映像制作を仕事としているのか?(映像で食べていっているのか?)、制作費の回収は?」というものでした。

この質問に対する私の回答は、このブログの読者の皆さんはご存知だと思うので割愛しますhappy02。ただ1点、”居候”という言葉を、カドゥさんが”Parasite”(パラサイト)と通訳していたのが聞こえました。ホセチョさんは英語は堪能ですがスペイン人なので、どこまでネイティブが使うところの”Parasite”のインパクトとして受け止めたかは分かりません。でも、英語で”Parasite”というのは、ものすごくひどい意味として受け止められる、と以前ポールから聞きたことがあるのです。

”Parasite”は「パラサイト」として、既にジャパニーズ・イングリッシュとして使われていますし、「パラサイト・シングル」なんて和製流行語も生まれるぐらい、普通に使われています。(そりゃ、日本でも良い意味ではないし、褒め言葉でもないですけれど)。

ですが、居候状態を英語圏では(少なくともイギリスでは)”Parasite”とは言わず、その言葉には日本語の「居候」に該当するような愛嬌のある響きはまったくないそうで、えさに群がるハイエナ、ハゲタカ、寄生虫のようなかなり強い意味合いで使われるそうです。

だから私が自分の居候状態のことを、英語でどう表現しようかとポールに相談した時に(3月の雲南映画祭用に「さようならUR」のあらすじを英文で書くときのことでした)、私が「パラサイトしている」と言ったらポールがものすごくびっくりしたのを思い出したのでした。

ホセチョさん、私が「パラサイトしている」と聞いて、どう思ったのでしょうか・・・happy02!!!

NDSの金さんは、日雇いの肉体労働をしながら映画を作っているとのことで、NDSのメンバーは皆、映画で食べていけているわけではなく、何らかの仕事をして制作資金を稼いでいるそうです。

この質問に対する大宮さんの答えが印象的でした。ずっと映画を商業的に作り続けてきた大宮さんとしては、プロならばそれで食べていくべきというのが信条で、映画は「映画館」でかけられるべきだと思っていると言っていました。「最近はシネコンの台頭で、小・中規模のドキュメンタリー映画を上映するような単館系の映画館はどんどんつぶれていっている。でもそれではダメだ。映画館がなくなるということは、最終的には映画を作る人たちもいなくなって衰退してしまうのだ」と言っていました。

だから映画を作る人たちは、映画館で上映されることを目指すべきだし、プロとして採算の取れる映画作りをするべきだ、とも。そして、映画作りに関わる人たちに、正当な支払いがなされるべきだ、と。だから、上映した「9月11日」に関しては、予算の関係もあり、たった1日で撮影をした。でも、雇った5人のカメラマンにはきちんと支払いをした、と言っていました。

大宮さんの話を聞きながら、借金をしたり、生活に無理をしながらの映画作りでは、結局早かれ遅かれ行き詰まってしまうもんなぁ・・・とも思いました。長期的に、映画を作り続けていける環境と人を育てていくというビジョンを持っているのだと感心しました。

そのほかの質問は「海外の映画祭にも出品しているのか? 地元のテレビで放送しているのか?」というもの。

こちらも私の答えは皆さんご存知だと思うので省きますが、大宮さん、土井さんともに「今回山形で色んな日本の作品を観て、日本の作品が海外で通用できると思ったか?」ということに、強い関心を持っていました。大宮さん、土井さん曰く、特に最近の日本の作品は、自分の周りの世界だけ、関心事だけというものが多く、グローバルな視野は持っていないので、世界では通用しないと思う、という意見でした。

それに対してホセチョさん、カドゥさんともに、今の日本の映画も世界で通用すると思う、グローバルな問題を扱えば世界で通用するというものではない、実は日本的であればあるほどそれはユニバーサルなのだ、小津や黒澤がそうではないか、と言っていました。日本の日本らしい暮らし、日本人の感情、日本の社会・・・そういった日本特有のものの中に、世界の観客は普遍性を見出すのだ、と。

この、「日本的であればあるほど、ユニバーサルになる」これは今後自分が作品を作るうえで、心に留めておこうと思いました。

途中から、この賞のスポンサー企業であるスカパーの方々も見えました。
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最後の質問は「どのように作品の上映をしているか?」でした。私はブライアンの時に80回近く自主上映をしたことを話しました。映画業界に何のつながりもないので、新聞で平和運動のイベント情報を見つけて主催者に電話をし、映画の上映をしてくれないかと頼んだり、野宿者を排除して閉鎖するという公園(宮下公園)で、その公園が閉鎖される前日に上映をしてもらったり、ツリーハウスで上映をさせてもらったり、etc。映画館ではないけれど、社会的な運動と繋がって、色んな場所で上映してきたと話したら、ホセチョさんは興味を持っているようでした。

あっという間に2時間過ぎ、「IDEHAサロン」は終わりました。とても興味深いトピックがたくさん話されたので、毎回参加すればよかったと悔やみました。愛さんによれば、毎回、参加する監督たちによって質問や話題の展開が全く違ったのだそうです。その前の回は銀鉛画報会の人たちが多く参加していて、そのときは8mmの話題とかが中心だったそうです。

もう12時を過ぎていましたが、無事上映会を終えた私は開放感でいっぱいで、その時間から香味庵にみんなと向かいました。上映が終わっていなかったら、きっと参加しなかっただろうと思いますが、うれしい開放感で、疲れは全くありませんでした。

いつも面白いことばかり言う金さんですhappy01
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デイリー編集室の花岡さんも、声をかけてくれました。9月に映画祭のウェブサイト用インタビューをしてもらったときに、撮影を担当されていました。
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うどんが振舞われていました。
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こちらの香味庵スタッフの方もボランティアスタッフで、「さようならUR」も見に来てくれました。映画祭期間中、香味庵担当なので閉店の2時過ぎまで働かなくてはなりません、大変そう~。
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香味庵では、NDSの中村さんとたくさんお話が出来ました。撮影された千里ニュータウンは、高幡台団地よりもっと利害関係が複雑で(もとはURの団地でしたが、建替えはリクルート・コスモスが行っている)、立ち退きの強制執行もかなり暴力的に行われ、当事者・弁護士・撮影者の関係も難しいように思いました。

同じ社会運動や住民運動を記録する者として、どのように、どんな立場で問題に関わっていけばよいのか、当事者との関係はもとより、いろんな思惑で関わる支援団体との関係はどうあるべきなのか・・・など、私も今回の撮影を通じて本当に思うことがたくさんあり、お互い話は尽きませんでした。今後機会があれば、中村さんの映画と一緒に上映で来たら良いなと思いますし、映像制作者の社会運動とのかかわり方についてNDSの方々ともっとたくさん話せたらと思います!

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話していたら、もう香味庵の閉店の時間(2時)になってしまいました。今回の映画祭期間中、こんな遅い時間まで外に遊びに行っていたのは初めてです! やはり、上映が終わったという開放感はすごいなぁ。いよいよ山形も明日が最終日。でも、山形後には仙台でのイベントも控えているので、さすがに明日は2時まで香味庵にいるのはやめよう、今日だけにしよう。そう思いながら、晴れ晴れした気持ちでホテルに帰りました。

部屋に戻り、お風呂に入ってから、この日一日の出来事をノートに綴っていたら、時間はもう既に明け方の4時半になっていました。それでもまだ興奮状態で、イギリスのポールにも上映のことを携帯からメールを送ったり、寺澤さんにも「150人ぐらい来てくれたんですよ!」とメールしました。(寺澤さんからは翌日、「150人はすごいねぇ。もともと、物好きが集まっている映画祭だからかなぁ」って返事が来たんですが! ”物好き”だって・・・!!)

この日はやっとゆっくり熟睡することが出来ましたhappy01

追伸:
この日の報告が、とんでもない長さになってしまい、スミマセンcoldsweats02 
後の日程は、ここまで長くならないと思いますので、ご容赦を。

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