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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その1(10月6日)

山形に出発する前の数日間、東京は雨でとても寒い日が続きました。事前に山形の映画祭の事務局の方から送られてきた案内に山形はずいぶん寒いと書いてありましたので、実家から冬物のコートを取り寄せていました。

ところが、出発の当日、起きてみるとまだ夏のような暑さではありませんか! 半そででちょうどよいぐらいの気候でしたので、何も考えずに半そでを着て、もって行く予定だった冬物のコートを忘れてきてしまったということを、電車に乗ってしばらくしてから気がついたのでした! 山形、寒かったらどうしよう・・・。やはり持っていくべきものは、コートのような型崩れしやすいものでも、ハンガーにかけておかないでかばんの上においておかないと忘れてしまうのだな、と思いました。山形が寒くないと良いのですが・・・。

それ以外にも、当日になっての急な変更がもうひとつありました。ブログに既に書きましたが、荷物を全部まとめたところバッグ3つにもなり、とても重くなってしまったのです。小さな台車(?)のようなものに載せて運ぶとはいえ、階段しかないところを持って運ばなければならないことも多々ありますので、自分でも持ち運べるぐらいの重さでなければなりませんが、(そんなの到底無理!)という重さになってしまいました。泣く泣く、持って行くつもりだった古くて重いノートパソコンをあきらめ、家において行きました。それでやっとがんばって短距離を持ち運べる程度の重さになりました。

バッグ三段重ねです!
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山形へは、午後1時過ぎの東京発の新幹線で向かうことにしていました。ホームで新幹線を待っていると、8ミリのカメラで動画を撮りまくっている人を発見。休む暇なく、あちらから、こちらからと撮影して、自分撮りもしています。山形に行くというのに、半そでと短パン。カメラ以外の荷物はかなり少ないようです。私はその風貌と行動に(ずっと山形に行きたいとあこがれていたアジアの映像作家なのだろう)と勝手に思っていましたが、後からやってきた山形スタッフの馬渕愛さんによって、私と同じ「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムに出品している大西健児さんなのだと知りました。思わず、撮影している様子をビデオに撮ろうと思ったくらいユニークだったのですが、とっていなくて残念です。

新幹線で約3時間。山形に到着しました。駅から出ると、思ったより寒くなくて安心しました。映画祭のシャトルバスでホテルに向かいます。ホテルは「ホテルα1(アルファワン)山形」というビジネスホテルでした。
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事前に地図で確認したところ、映画祭の各会場のほぼ真ん中に位置しているようで、どこの会場に移動するにも便利そうです。

チェックインし、荷物を広げました。荷物を広げると、自分の居場所っぽくなりました。
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この日は映画祭のオープニングということで、開会式とオープニングパーティーが予定されていました。私は荷解きをした後、オープニングに持っていくもの(映画祭のプレス用に貸し出すためのDVD、名刺、映画のチラシ、デジカメなど)を用意して、夕方5時ごろに映画祭の受付に向かいます。ここで、ゲストパスやカタログを受け取るということでした。
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受付では見知った顔もあったものの、みんなすごく忙しそうで、あまり話しかけるような雰囲気ではありませんでした。私はゲストパスを受け取った後、受付から出て手持ち無沙汰でぶらぶらしていました。

すると、同じように手持ち無沙汰にしている人たちがいて、聞いてみると「アジア千波万波」で「影のない世界」を上映するマレーシアの監督クー・エンヨー(Khoo Eng Yow)さんと、彼の映画に登場する影絵の人形遣いさんでした。彼らは山形に1日前に到着して、影絵のお芝居をされたそうです。監督は「なるべく日本にいる滞在期間を短くしなければと思っていたが、結局長くなってしまった」というので、(なんでだろう?)と思ったら、生後間もない赤ちゃんがいて、自分がいない間は奥さんがひとりで面倒を見なければならず、自分が長期で海外に行くと文句を言われるのだとか。。。

映画祭は”お祭り”ですが、映画を作る人にとっては、営業や人脈を広げるための場所でもあります。でも、私の家族同様、他の人から見れば「旅行に行っている、遊びに行っている」という感じなのだろうなぁ、と、話を聞いていて思いました。(でも最近思うに、家族や周りの人からの信頼・理解を得られるかどうかは、監督自身の普段の行いや周りの人への感謝・思いやりにもよる、と思ったのですが。だって、現に周りでは稀に家族や周りの人からの絶大な支持・理解を受けている監督もいて、そういう人たちに共通することは、身近な人との人間関係をとても大事にしているということです。私は身近な人はほったらかしにする傾向があるのでcoldsweats01

影絵の人形遣いたちをテーマにしたドキュメンタリーということですが、イスラム教政権が支配するマレーシアでは、古来から行われてきた影絵を、偶像崇拝であるとして、行わせないようにしてきているのだそうです。今や人形遣いだけで食べていける人たちはほとんどなく、何らかの仕事をしながらお金を稼ぎ、伝統芸能を絶やさないようにがんばっているのだとか。映画、観てみたいなぁとおもいました。

6時になり、開会式に出席するため公民館の6階に移動しました。ステージ上では、クラッシックの演奏が。
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理事長による挨拶
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座る席は、審査員席、ゲスト監督席などに、大まかに分かれていました。
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出席者が多いので、審査員ごと、上映プログラムごとにいっせいに紹介され、その場で経ってお辞儀をします。「アジア千波万波」プログラムの紹介の時に、タイのケイを発見しました。

私の隣に偶然座ったのは、「インターナショナル・コンペティション」部門で「遊牧民の家」を上映するエジプト生まれのイマン・カメル(Iman Kamel)監督と、「アジア千波万波」部門で「監獄と楽園」を上映するインドネシアのダニエル・ルディ・ハリヤント監督でした。イマン監督は、数日前から山形に来て、「Holy montainに篭っていた」と言っていました。スピリチュアルな経験が大好きなそうです。宿坊にも泊まったそうです。(その数日後に会ったときも、また別の山に篭ったといっていました)

ダニエル監督は、インドネシア・バリ島で2002年に起こった爆弾テロの被害者やその家族、獄中にいる実行犯にも取材して映画を作ったそうです。

開会式では、山形放送が1965年に制作した「出稼ぎ東京」という作品が上映されました。高度成長期に山形の農村から東京の山崎製パンに出稼ぎにやってくる人たちの生活がユーモラスに描かれていました。

昔の映像というだけで、もう新鮮なのですが、意外な発見もありました。「出稼ぎ」とか、「農村に取り残された母子たち」とか、そういう言葉を聞くだけで、普通は「大変そう」とか「つらい・苦しい」とか、そういうネガティブな言葉を普通は連想するのではないでしょうか? 実際、出稼ぎの生活は本当に大変だと思うし、それらによって農業に従事する人たちの職業人としての誇りが奪われていってしまったのだと思います。でも、そういったネガティブなことを前面に出さなくても、彼らの生活をユーモアを持って描くことによって、画面のそこここに十分彼らの生活の大変さも表現されているということです。声高に「彼らの生活は悲惨です」みたいなことを叫ばれるよりももっと、心に響くように思いました。

田舎で帰りを待つ妻や子どもたちが、出稼ぎに行った父親に宛てて録音テープを吹き込むのですが、みんな初めて見る録音機に大興奮なのですが、そこで語られる言葉にも、男手がいなくなったことで消防の仕事を村の女たちで担うようになった、だから安心してくれとか、けなげに生きる人たちの言葉が語られている・・・。

つらい現実をつらいと表現するだけでなく、こういうやり方もあるんだということを知って驚きでした。

開会式の後は、グランドホテルに移動してオープニング・パーティーがありました。
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映画祭最終日のクロージングパーティーもそうでしたが、ご飯のなくなる速さが尋常ではありません! ドキュメンタリー映画祭の出席はトルコを除いて初めてなのですが、ドキュメンタリーの監督たちってそんなにがっついているのでしょうか!!
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オープニングパーティーで初めて、これまでメールでだけやり取りをしていたタイのジャカワーン・ニンタムロン(Jakrawal Ninthamrong)監督と、チャチャイ(Chatchai Chaiyont)撮影監督に出会えました。彼らは「アジア千波万波」プログラムに「偽りの森」という作品を出品しています。

そもそも、なぜ知り合ったかというと・・・

今回、雲南の映画道場で一緒にワークショップを受講したケイの作品が山形で上映され、来日すると知った時に、私は東京で交流会・飲み会をしたいと考えました。その話をケイにしたところ、「タイから別の監督も日本に行くことになっているので、彼らも良いか?」と聞かれたのです。私は「もちろん」と答え、山形前に1~2日早めに東京に来てもらい、都内のどこかでささやかな上映と交流のイベントを持つことになりました。

8月半ばに仙台に取材で行った際、せんだいメディアテークのチナツさんにその話をしたところ、「それ、仙台でやりたい!」ということになり、私としても東京で単なる飲み会のようにしてしまうよりも、もっと公の場で出来るほうが監督たちにとっても良い経験になるのでは? 被災地の見学も出来るかもしれないしと考え、その後は急遽仙台でのイベント開催に変更し、準備をしてきました。

事前にプロフィールや作品の資料提出をお願いしたり、企画内容が何度も変わったりと、監督たちには色々迷惑をかけてしまったのですが、それでもいつも素早く必要な資料を提供してくれて、私の中での(暑い国の人たち=テキトーで期限を守らない人たち)という偏見がなくなりましたhappy02

そんなわけで、何度もメールでやり取りをしていた彼らと、私はこの日初めて直接会えたのでした。

会場をうろうろしていたら、大阪のてれれを主催する下之坊修子監督がいました。下之坊さんは「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムで「ここにおるんじゃけぇ」を上映されます。下之坊さんとは以前、国立で開催されたてれれの東京上映会でお会いしたことがあったのですが、そのときは沢山の人がいてほとんど話せなかったので、ほぼ初対面のような状態でした。

下之坊さんと、山形新聞編集局の岡崎孝さん
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岡崎さんは、新聞社にお勤めですが、この映画祭にはプレス兼出品作家として参加されているそうです(なので、プレスパスとゲストパスの両方を首から提げている)。

岡崎さんは、東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema With Us」で作品を上映するそうですが、なんと、約3万円のSDカード記録タイプのビデオカメラで撮影し、無料の編集ソフト(私が常々「一番使いにくいソフト」と言っているWindows Movie Maker」を使って編集した作品なのだそうです!!!!

私も、民生用の小型カメラ、自作パソコン、ゼロ予算などをうたい文句(?)にしていますが、岡崎さんの話を聞いたとき、正直(負けた)と思いました。私以上に劣悪な環境で作っている監督の作品が、山形で上映されている、と。

作品の内容について聞いてみると、震災で各地を取材していたときの「張り紙」を写真や動画で記録して編集したものなのだそうです。しかも、その編集をどうやってマスターしたかがまたすごくて、ヤマダ電機のホームムービー編集講座で習得したというのです!!!

私はすごく興味深々で岡崎さんの話を聞いていたのですが、山形の映画祭の初期の頃から新聞記者としてこの映画祭を取材している岡崎さんは、生前の小川紳介監督にもインタビューをしており、岡崎さんにとってはドキュメンタリー映画を作るということは、「その土地に移り住み、自分の田んぼを持ち、そこで暮す人たちの生活の中にどっぷりと入っていく」ぐらいの覚悟がないと出来ないもので、ちょっと取材したり、関わったぐらいで分かったような気持ちになってはいけない、と思っているのだそうです。

なので、自分がドキュメンタリーを作ることになった時は、あえて小川紳介たちとは真逆の方法、「家庭用小型カメラ、無料の編集ソフト」などで作りたかった、とのことで、そうすることで、人生を捧げてドキュメンタリー制作に没頭した小川紳介たちへの敬意を表したい、というようなことをお話されていました。

岡崎さんの作品をぜひ観たいと思いました。

しばらくすると、会場が暗くなって、舞妓さんによる踊りが。山形でなぜ舞妓?と日本人なら思うはずですが、海外のゲストたちは大喜び。
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舞妓さんの踊りを見ていたら、ベトナムのティー(Nguyen Trinh Thi)さんと知り合いました。彼女は、ベトナムでインディペンデントのメディアセンターを初めて立ち上げた人で、そこで開催するワークショップの受講者たちの作品が今回山形で上映される(ティーさんはプロデューサーという立場で関わった)ため、映画祭に来たということでした。ちなみに上映される作品は、「アジア千波万波」プログラムの「柔らかな河、鉄の橋」で、4名の監督の作品からなる映画です。

ドイツのある機関から助成金をもらい、2年前にベトナムでメディアセンターを立ち上げたそうです。メディアセンターには撮影・編集の機材を揃え、無料でワークショップを開講しているそうです。現在、彼女はフェローシップで日本に滞在中で、山形の映画祭が彼女の受け入れ先となっているのだとか。

日本のインディペンデントメディアの状況は?と聞かれましたが、「NPOや些細な助成金で運営しているメディアセンターはあるけれど、運営は大変で無料で中・長期間のワークショップを開催しているところはほとんどない。2~3ヵ月のワークショップで数万円の受講料を取ってやっている。行政が開催する映像のワークショップは無料で時々あるけれど、”ホームムービーの編集を1日で!”とか、いわばカルチャースクールのノリで教えており、ドキュメンタリー制作者の育成という視点・発想ではない。それ以外では、大学の映像学科とか専門学校でドキュメンタリーを学ぶことになるわけだけど、そうなると大学の高額な授業料を払うことになる」・・・と、日本の状況について説明しました(←大まかには間違っていませんよねcoldsweats01??)

ティーさんとは宿泊しているホテルが一緒ということもあり、その後もずいぶん一緒にお話しする機会がありました。

ティーさん、岡崎さんとともに
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10時ごろにホテルに戻りました。私は事前にどんな映画を見たいか、全く決めていませんでした。とりあえず、明日何を見るか決めなくちゃ・・・。地図上では各会場はそんなに離れていないように見えて、山形の町のつくりは東京などに比べて、例えば1ブロックの間取りとかがはるかに大きいのです。各会場を移動するのは結構な時間がかかりそう。そんなわけで、事前に良く考えて、観る作品を決めなければなりません。各映画の終わり時間や移動時間、ご飯を食べる時間なども考慮しながら。まるで、フジロックに行って、各ステージを移動するときのような気分になってきました。

広げるとタブロイド新聞紙ほどの大きさになるタイムテーブルでは、作品解説はわずかしかありません。これだけではどういう映画なのか、どういう背景があるのか、もしかして話題作なのか、などが分かりませんので、各作品について公式カタログで当たっていきます。(なるほど・・・)と一つ一つ読んでいったら、1時間ぐらいかかってしまいました。(もしかして、これから毎晩この作業やるの・・・?)と焦ってしまいました。それぐらいすごいボリュームなのです!

1時間読んでも、まだ明日何を見るかが決まりません・・・。一体どうやって作品を選べばよいのかと途方にくれてしまいました。そこで、私は自分なりの作品を選ぶ基準を設けることにしました。

映画祭での観る作品選びの基準
①映画祭で直接話す機会のあった監督の作品を観る
②監督のQ&Aがあるものを観る(2回上映の作品はQ&Aがあるほうの回に行く)
③日本・海外の作品で観たいものが重なった場合は、海外のものを選ぶ。(日本の作品はまた別の機会で観れる可能性があるので)
④配給・公開が決まっていない作品を観る(今後日本で観れる機会がなかなかないから)

ということにしました。・・・それでもやっぱりどれを観るかで迷いましたが・・・

映画祭の公式カタログ
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さようならURのページhappy01
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受付でいただいた、公式カタログや案内などが入った特製のバッグ。なんと、山形新聞で出来ているんですって! 内ポケットなどもついた、本格的なもの。持ち手などもかなりしっかり作られています。
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映画祭の手ぬぐいもいただきました。
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とりあえず、何とか明日の第1本目の作品を決め、今日はもうお風呂に入って寝ることにしました。自分の上映は最終日近くだし、最初から飛ばして風邪引いちゃったりしたら大変ですから。

今回の旅は仙台もあわせて約9日間ほどの旅でしたので、持ってきた衣服は洗濯しないと間に合いませんでした。お風呂のあとで洗濯をします。
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普段、家ではもちろん洗濯機で洗濯をする私ですが、旅先での洗濯で、実は一番問題なのは”脱水”だと思いました。洗濯、洗うという行為自体は、洗剤を使い、つけ置き洗いだけでも十分汚れは落ちます。普通に洋服を着ている分には、そんなに洋服というのは汚れるものではないし(泥まみれにでもならない限り)、手洗いで十分です。でも、ゆすいで、手で絞る程度では、全然水分が取れません。ホテル内は乾燥しているとはいえ、厚手の靴下などは手で絞るだけではなかなか乾かないのです。脱水をどのように行うか、それが旅先での洗濯の課題であると思います。

とりあえず、山形に無事到着し、初日を終えました。その規模の大きさ、町の地理に不慣れということもあり、まだ勝手が分かっていないのでしたが、徐々になれて自分のペースをつかめるようになることを願いつつ、寝ました。

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コメント

映画祭お疲れさまでした。

一点だけ訂正のお願い。小川監督の名前は「紳介」です。そういうことには気を遣う人だったので。

投稿: カトちゃん | 2011年10月30日 (日) 08時54分

カトちゃん さん
ご指摘をありがとうございます!
合計3箇所もありましたbearing
訂正しました。
どうもありがとうございます!

投稿: yumiko | 2011年10月30日 (日) 21時50分

素早い対応をありがとうございます。

山形ドキュメンタリー映画祭報告たいへん興味深く読ませて頂きました。映画祭期間中は何かとお忙しかったでしょうに、ここまで詳細に出来事を覚えておいでとは驚きです。たくさんある写真もとても楽しいものでした。

投稿: カトちゃん | 2011年10月30日 (日) 22時22分

カトちゃん さん

こちらこそ指摘していただいて、ありがとうございました。助かりました!

映画祭期間中の出来事については、毎晩ホテルに戻ってからノートに書いていました。でも、撮った写真を見ながら思い出して書いたものもあります。

すごいボリュームにもかかわらず、読んでいただいてありがとうございました!

投稿: yumiko | 2011年10月30日 (日) 22時52分

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