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[jp] ワイズマンの映画制作プロセス

ここ2日間ほどは色んな用事のためにほぼ終日出っぱなしで、睡眠時間も2~3時間という状態が続いていました。すっかり疲れて、今日はゆっくり寝れると思ったら、起きたのが午後1時! なんと13時間も熟睡してしまいました。

普段起きるのが基本的に遅い私でも、さすがに午後1時はショックでした。もう1日の半分が終わってしまったではないか・・・。

この数日間の出来事で色々書きたいことはあるのですが、特筆すべきものをひとつだけ。

昨日から始まった、渋谷・ユーロスペースでのフレデリック・ワイズマンのレトロスペクティブ「ワイズマンのすべて」で、私は夜7時からの「チチカット・フォーリーズ」を観ました。この映画は1967年に制作された作品で、アメリカ・マサチューセッツ州にある精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を描いたドキュメンタリー。収容者が看守やソーシャルワーカーたちによって、どのように取り扱われているかが様々な側面から記録され、合衆国裁判所で一般上映が禁止された唯一の作品であり、長年にわたる裁判の末に91年に上映が許可された、というもの(「ワイズマンの全て」リーフレットより要約・引用)

ナレーションなし、説明なしで展開する映画で、収容所の日常が収容者、看守たちそれぞれの立場で淡々と記録されているのですが、何しろそこで語られる内容と収容者の扱われ方がすごい。多分、カメラ自体に人々が神経質ではなかった&犯罪者の人権という意識がまだ浸透していなかったという当時の時代背景はあるにせよ、こういった場所に撮影者が入り、隅々まで記録するというのは驚きだし、この作品(これが初監督作品)を発表後も、物議をかもしそうな場所を次々に描き(少年裁判所、軍隊の練習所、病院、食肉処理場、多重障がい者のための学校、公共住宅、DV被害者のためのシェルター、議会など)、80歳を超えてなお現在も作品を作り続けているというのですから、本当にびっくりです。

特集上映は11月25日までで「チチカット・フォーリーズ」を含むいくつかの作品は複数回上映されるようですので、機会があればぜひお勧めですが、昨夜は上映の後に監督の質疑応答があり、それもとても良かったのです! 特に、私も自分自身がドキュメンタリーを作っているものとして、監督の話はとても参考になったし、励まされるような思いもありました。

質疑応答で語られたものの中では、どうやって作品のテーマを決めるのか?という質問がありました。監督は、「撮影対象を選ぶのはギャンブル。当たりはずれがある。でも、この現場を撮ると決めたら、数ヶ月から1年をかけてとことんそこにあるものの、あらゆる側面を撮影する。それから半年から8ヶ月の編集の段階で、自分が撮影した素材をじっくりと観て、試行錯誤して構成をつくり、最後にテーマが決まる」と。

普通、TVやドキュメンタリー映画の多くは最初にテーマや大まかな構成を決めてから撮影に挑むもののほうが多いと思うのですが、監督がそうしない理由として「撮影対象に対して、私は固定観念を持ちたくない、なるべく自分の目を開いた状態にしておきたい。撮影する前に、事前の取材はしない。取材時に起こったこと、知りえたことが、撮影の段階でまた再び起こってくれる可能性はないのだから。自分の制作スタイルはフィクションとは真逆で、脚本はない。現場に入り、先入観を捨てて、ひたすら現場で撮影をする、撮影をしながら学んでいく、その物事について知っていくということである。映画を作ると言うことは、その物事についての理解を深めて行くということである。テーマを決めないで、徹底的に観察するほうが、よりその物事が持つ複雑さとあいまいさを表現できるのだと思う。なので、自分にとって出来上がる作品と言うものは、自分が1年近くかけて調べた対象の結果報告ということになる。」と言っていました。

「撮影をしながら、その物事に対して学んでいく」というのは、私自身、自分が何かの問題やテーマに対して興味を持ち映画を撮り始める時点では、結局その物事に対する興味はあっても、知識はほとんどない、はっきり言って何も分かっちゃいない素人同然の状況である、撮影しながらその本質を知っていくのだということは、以前このブログでも書きました。なので、ワイズマン監督がこのように述べているのを聞いて、私もうれしくなりました。

というのも、1週間ほど前に、私のウェブサイトのメール宛に香港のとある映画祭からドキュメンタリーの企画・構成コンペのお誘いのメールがあり、私はそのメールを読んだときに違和感を感じて、そのことを他の人たちとちょうど話題にしていたからなのです。そのコンペは(世界中でこのような企画は頻繁に開催されていますが)、ドキュメンタリー映画の企画を競い、面白そうな企画に対して制作のための賞金が与えられるというものです。それは、自主制作のドキュメンタリー監督にとっては大きな助けとなりますので、ありがたい話です。

でも一方で、フィクション映画ならともかくドキュメンタリー映画で、撮影もする前から映画の構成やそこから浮かび上がるテーマなどを詳細に、かつ魅力的に企画書にすることなど、可能なのでしょうか? そこでどんな出会いがあるか、最初に持った興味から様々な経験を経て最終的に自分はそこに何を発見するのか・・・それは映画制作の終盤に入らない限り自分にも分かりません。なので、事前に企画書を書くというのは、実際の業界ではそうしない限り企画のゴーサインがでないので必須なのでしょうが、私の制作にもそれが当てはまるかと言うと、それは違うのではないか?と思ったからです。

制作の開始時点で書ける事と言ったら、撮影対象についての説明に終始してしまうと思います。どんな場所で、どんな人がいて、そこでは何が行われているのか、といったようなこと。その場所や人が特異なものの場合は、それを書くだけで他人の興味を引くことが出来るかもしれませんが、奇抜なものでないけれど撮りたいと思うような内容である場合は、企画書でアピールするのは難しいでしょう。

つい最近そんなことを話していたばかりなので、ワイズマン監督の発言には私も納得しました。

また、病院や刑務所など、当事者を傷つける恐れのあるデリケートなテーマや、軍や議会など秘密を守りたいような場所を撮影し、公表すると言うことは、彼らのプライバシーや名誉を傷つけることになるのではないか?という質問がありました。

それに対して監督は、「民間人の撮影に対しては、事前に口頭で撮影の趣旨を説明しOKをもらってから撮影している。でも大抵の場合は断られないし、撮影の後で苦情が来たと言うことは、今までに一切ない。公的な機関に対しては、撮影の許可は取らない。それは合衆国憲法によって表現の自由が保障されているし、税金が使われている公的な機関に対しては、彼らの職務について透明性を確保することが大切だと考えるので、撮影には許可はいらないと考えている。民間の施設(食肉加工場や百貨店など)については、口頭で撮影の許可をもらい、その音声を録音している。合衆国憲法では、書面ではなく口頭による許可も効力があるとされているから。なぜ書面にしないかというと、仰々しい書面を用意して、それにサインしてもらうということで、撮影対象となる人々は(これは何か大変なことをしているのではないか?)という気持ちになってしまうので、それで書面ではなく、口頭にしている」と言っていました。

カメラの暴力性というのは、よく話題になるテーマですが(山形の映画祭の上映後に映画を観ていただいた方から個人的に質問も受け、それに対して回答しましたが)、私自身もそれが「対:個人」であるのか、それとも「対:公共(公的機関及び公共の利益)」であるのか、に分けて考えています。対個人である場合は、センシティブな内容、それを公表することでその人の生命に危害が及ぶような場合は、撮影や公表について慎重に判断します。しかし、撮影対象が国家的なもの、それに携わる人々、公の立場にある人、公共の利益に対する寄与が大きいと考えられる場合は、「撮影許可の有無」は問題にはならないと考えています。

ワイズマン監督の考え方に私も大枠で賛成ですが(特に対:公共&国家については全く同感)、対個人でそれが非常にセンシティブな問題を取り扱うものである場合でも、事前の撮影の許可がもらえればそれは公表しても良いことだという考えについては、私自身が実際同じ状況となったとき、自分がどういう判断を下すのかは分かりません。センシティブな問題の場合、撮影前よりも、後になってから「やはり公開しないで欲しい」と言ってくる人が多いのではないか?と考えます。事前に許可を得て、後から「やはり・・・」となった場合、基本的には公表する立場ではありますが、よく話し合いをすると思います(話し合いによって、公表することに対し理解をしてもらえるように)。

書類ではなく口頭で、というのも、撮影をやっている人だったら大抵経験することです。私の場合は、事前に改まったインタビューをする人の場合は、その人がメールをやっている人だったら電話ではなくメールでインタビューの申込をするようにして、なるべく撮影の合意が書面で残るような形にします。でも、例えば突然撮影させてもらう場合(イベント会場など)は、インタビューをその人に申し込む時点から(話しかける時点から)、実は録画していて(カメラはしっかりと構えていないので、カメラはその人を捉えていませんが、音声は入っている)、その人が「いいですよ」という承諾の部分を記録として残しています。大抵の人は撮影にOKしてくれます。

でも、せんだいメディアテークの震災記録として仙台や石巻で撮影をした時は、この撮影の承諾でとても苦労しました。なぜなら、メディアテークは公共機関で、震災のアーカイブとして保管し、様々な媒体で活用したいために、きちんとした書面で撮影許諾をしてもらわないといけないのです。普通のちょっとした撮影なら「震災について記録しているので、ちょっとお話聞かせてもらえませんか? 撮影してもいいですか?」で、普通は「あ、いいよ」となるのですが、「仙台市の震災記記録事業で・・・」、「この説明書を読んで、同意してくださるなら、こちらに住所とお名前を・・・」みたいな文書を差し出すと、「やめとくわ」となってしまうのです。

私個人のプロジェクトではないので、せんだいメディアテークが用意した署名に記入してもらわないといけないのですが、この書面提示&署名のプロセスが、撮影のハードルをものすごく高くさせていると実感したのでした。ハードルをあげてしまうだけでなく、その書面に記入したあとでは、被撮影者との距離もすごく広がってしまい、自然な状態を撮るのが難しくなってしまいます。

この点に関しては、私は自分の自主制作の時のように被写体となる人に近づき、口頭で許可を取って撮影をさせてもらい、撮影が全て終了した後で書面を出し、記入してもらうという方法をとるようにしました。そうすることで、自然な状態を撮影させてもらい、後から必要な書類も入手できるのです。

そんなわけで、約30分のワイズマン監督質疑応答は、私にとってとても興味深いものでした!

ところで、高幡台団地の住民の会の方から、山形での受賞について住民の会のニュースに載せたいと言われました。その際、審査員の受賞のコメントが欲しいとも言われました。受賞のコメント。。。私は表彰式を撮影していたので(自分の名前が呼ばれた後は、隣に座っていた「女として生きる」の江畠香希監督に撮影をお願いしました)、今日はそのテープを見てみました。審査員のホセチョさんが選考理由について述べているのですが、スペイン語のアクセント&会場の拍手によって、よく聞き取れませんでした。ポールにも聞いて書き取ってもらおうと思い、テープをキャプチャし、YouTubeに載せました。

ブログにも書きましたが、私は表彰式で「ありがとうございました」としか言えなかった自分が情けなくて、表彰式のテープを見るのはあまり気が進まないし、最初はYouTubeで限定公開にしてポールに送ろうと思ったのですが、やはりこれまでの映画作り&上映活動を支えてきてくださった方たちのためには、表彰式の様子をお知らせしなくてはと思い、一般公開にしました。受賞の瞬間の様子は、こちらよりご覧いただけます。

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