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[jp] 山形ドキュメンタリー映画祭報告その3(10月8日)

山形に来て以降連日お酒を(たくさんではないけれど)飲んでいるので、私の場合は眠りが浅くなってしまい、寝ていても途中で目が覚めてしまいます。この日も何度か目が覚めながら、また朝8時におきました。寝不足気味な感じです。

朝ごはんを食べに1階に下りていくと、駒澤大学でメディアを教えている手塚義治先生に会いました。以前、五野井先生とともに、駒澤大学の講義でブライアンの部分上映と講演をさせてもらった際に、大変お世話になりました。

手塚先生は、山形はもう何度か来ているそうで、なんと、記念すべき第1回の映画祭(89年)にコンペ部門で作品が上映され、賞を受賞されているのです!!(「家族写真」という作品で、イギリスの映画学校の卒業制作として作ったそうです) 第1回の映画祭の時は、山形市が主催していたそうですが、山形市総出で盛り上げているという感じだったと話していました。

手塚先生の奥さんはロンドンに住み、ブライアンの抗議活動に森住卓さんのイラクの子どもたちの写真を持ちこんだ人です。もともとはそのつながりで、奥さんのほうと先に知り合っていました。でも、奥さんはそれ以降ブライアンの活動から遠ざかっていましたので、ブライアンの活動の最後のほうについては詳しく知らなかったので、手塚先生に私から説明しました。先生は「残念だねぇ・・・」と言っていました。

手塚先生は、このα1ホテルは数週間前に予約をしたのだそうです。私は、山形の映画祭は県外から来る人がほとんどと聞いていたので、ホテルの予約(特に便利な場所)は大変だろうと思っていました。前日にお会いした名古屋の高野さんは、夏には予約しないと連泊では宿泊できないとも言っていましたから。

でも、手塚先生によると、グランドホテル(←審査員クラスが宿泊)やワシントンホテル(←コンペ作品の監督たちが宿泊)などから先に予約が埋まるけれど、α1は直前でも空いていると言っていました・・・

ケイに聞いたところ、グランドホテルの朝食は和食(山形の郷土料理もある)や洋食など、ブッフェではたくさんの選択肢があるそうです・・・。α1はそもそも選択肢もなく、ブッフェでもなく、おにぎりriceball。どんな業界でも下から這い上がって、上り詰めた人たちだけがいい思いができるようになっていますが、私も「次はワシントン、将来的にはグランドホテル」を目指さなくては、と思いましたhappy02

グランドホテルはこんな感じ(でも実際は、内装はかなり古いのでは?とも思うんですが・・・coldsweats01
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朝食を食べた後は、朝一番の「永遠のハバナ」(フェルナンド・ペレス監督)を見に行きました。この監督は、インターナショナル・コンペの審査員でもあります。

観始めた当初、(これは劇映画なのではないか??)と思いました。映画のような撮影で、構図がかなり練られていると思ったからです。でも、しばらくして(相変わらず絵が美しいものの)これはハバナにいる本当の人たちなのだと思いました。絵の素晴らしさ、各登場人物の絶妙な繋ぎかた、音の入れ方の大胆さ・面白さ・・・、観終わって大感激で、私は今回の映画祭で観れた作品の中で一番良かったと思いました。

上映後のQ&A(通訳をしているのは隆夫さん)
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Q&Aでは監督にとって初めてのデジタル作品だったと話していました。デジタルで撮影し、その後のポスト・プロダクションでフィルム風に見えるように加工したのだそうです。音がものすごく重要だと考え、音は全てスタジオで作ったものを使ったそうです。すごい時間がかかったそうです。例えば、道路の雑踏や車の音なども、本当の車の音を使っているのではないのだとか。光と影のコントラストが大切と考えて、ライティングにはとても気を使ったそうです。映画の中で、父子が屋根に登って星をみるシーンがあるのですが、そこなんてもう本当に素晴らしい世界が広がっていました。

上映の後のロビーで監督がすぐ近くにいて、色々と話を伺うことができました!
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映画に出てくる被写体の人たちをどうやって探したのかと聞いたところ、探して探して、探しまくったといっていました。自分で路上で見つけた人もいれば(ハバナの路上でピーナツを売るおばあさんはハバナでは誰でも知っている人なのだそうです)、アメリカに移住するシーンで登場する人は、監督の友達の友達で紹介してもらった人。

映画に出てくる登場人物はどの人も自然に、かつ、凛と振舞っているのだけれど、これは監督にとってとても難しかったそうです。とにかくキューバ人はおしゃべりだから、べらべらとしゃべり続けてしまう人ばかり。でも、そんななかから黙って何かに集中している、映されていることを忘れて自分の世界に没頭する瞬間を捉え、つなげて映画にしたそうです。

女性がコーヒーを入れるシーンがあるのですが、その女性は最初撮影されたときにがちがちで不自然だったそうです。普通の人なら、そうなるのは当たり前ですが。それで監督は、彼女にカメラになれてもらうために、カメラだけを残してしばらく外に出て、それで戻ってきて「では、私たちのためにコーヒーを入れてくれませんか?」といって、それで自然な状態で、かつ、いつくしみながらコーヒーを入れるそのシーンを撮影できたのだそうです。

編集のつなぎ方が本当に絶妙で天才!って思ったのですけれど、編集は女性の編集者が担当して、彼女はとても柔軟に監督の意見を取り入れてやって見せる人だったそうです。「編集者の中には、自分のつなぎ方に固執して人の意見に耳を貸さない人もいるでしょう? でも彼女は違った」と言っていました。監督は編集者を信頼しているとはいえ、でも、全ての細部に自分も関わって意見した、とも言っていました。

映画のラストに各人の夢が語られるのですが、そこは” ”で一字一句たがわぬように、本人の言葉をそのまま使ったといっていました。唯一、ピーナッツ売りの女性が「夢は、もうない」とかかれてあるのですが、その点について聞いたところ、監督がその女性に夢を何度も聞いても教えてくれなくて、「あなたの映画が成功しますように」とか言って、監督は「それは私の夢であって、あなたの夢ではないでしょう! あなたの夢を語ってください」と懇願したそうですが、ついに最後まで答えてくれず、監督は「夢はもうない」と入れたのだそうです。

・・・監督に質問攻めで、審査員はインターナショナル・コンペの全作品を観なければならないし、お昼ご飯も食べないといけないのに、私たちは30分近く引き止めてしまいました。でも、質問はしてもしても尽きないほどでした。

お昼ごはんは、会場近くのモスバーガーでティーさんと一緒に食べました。ティーさんがやっているメディアセンターについて、更に詳しく聞きました。ワークショップを無料で開講しているということは既にこのブログで書きましたが、その内容がまた衝撃的なのです!

入門者向けのワークショップは年1回開講で、週1回、全3ヵ月のコースなのだそうです。約10名の枠に対し、短い告知期間にもかかわらず200人以上の応募があるそうで、数週間かけて彼女は受講生の選抜をするというのです!!

その選抜方法は、1~2週間ひたすら世界各地のドキュメンタリー映画の上映をし、ワークショップの受講希望者はその上映会に参加し(出席回数も選考対象)、感想をレポートに書きます。みんなからのレポートは厚さ5センチぐらいにもなって、まるで大学の期末試験のようですが、彼女はそれを読み、どんな視点を持って映画を観ているか、社会に対する問題意識はどうか、ユニークな発想を持っているか、といった点を採点していきます。それで200人の中から30人ぐらいまで絞ります。

30人に絞ったら、今度は各希望者と個別に面接をして対話をします。また、各人にデジカメを渡して、1時間半外に出て好きなものを撮影してくるように言います。そのほかにも、自分のお気に入りの写真や、他の人が撮ったもの(雑誌などに掲載してあるもの)から良いと思った写真を持ってきてもらいます。

なぜ写真を持ってきてもらうのかというと、ドキュメンタリー制作は、”映像表現”である以上、絵的なセンスを持っていないとダメだからです。また、面接をして個別に詳しく対話をしていくのは、ドキュメンタリーの制作者になりたいというのは、相当コミットする覚悟がないと続かないので、やる気・意思のある人を選ぶためだそうです。

このような厳しい選抜の後に残る人は、大抵映画とは全く関係ないフィールドから来た人が多いのだそうです。映画学校の学生からも申し込みはありますが、彼女曰く「They are already destroyed by the school.」(「彼らは既に学校によって才能をつぶされてしまっている」といったような意味)と言っていました。映画学校卒の人を数人採用したこともあるけれど、大抵途中でドロップしてしまうとも言っていました。

こんな厳しい審査のもとに受講生を選んでいるので、ワークショップの受講後に自主ドキュメンタリー制作者を目指すようになる人はとても多い、と話していました。そして、そういう人はこのメディアセンターの運営にも積極的に関わってくれるそうです。実際、彼女は現在日本に数ヶ月滞在しているわけですが、その間のセンターの運営はかつての受講生たちがやってくれているのだそうです。

聞いていてつくづくすごいなぁ・・・と驚くばかりです!!

とはいえ、センターを立ち上げて2年間、あまりに忙しすぎて、自分の作品を作る時間が全く持てなかったそうです。今後はもっと自分の時間を持てるようになって、作品も作りたいと話していました。

お金をもらっているドイツの機関は、最初の2年間は大きな金額を出してくれて、それで機材などを充実させることが出来ましたが、2年目以降はだんだん少なくなるといっていました。機材はいったん揃えても、何かと維持費もかかります。今後の見通しは実は立っていないのだ、とも話していました。

私はティーさんの話を聞くにつれ、そして日本の下之坊さんやそのほかの独立系メディアでがんばっている人の話を聞くにつれ、メディアというような公共のもの、大きなものの発生と成長が、実は類稀なる個人のがんばり&奮闘・多大なる負担によって支えられているのだ、と思いました。国や政府、もしくは大きな団体ががんばっているのではない、そういう人たちは後から成功事例に乗っかってくるだけで、最初の一番大変なものというのは、全くの個人の負担とリスクの上に成り立っているのだ!と。だからこそ、こういう個人で立ち上がった人を応援していくべきだし、その人たちの活動を広く知らせることが大切だと思いました。

さて、お昼ご飯を食べ終わった後は、ティーさんとともに中国のワン・ビン監督の「名前のない男」を観にいきました。ティーさん曰く、私は半分以上寝ていたそうで、ティーさんが映画の途中で出て行く時に起こされましたcoldsweats01。あらら・・・

この作品は、中国の廃村になった村で一人、洞窟で暮す男性を追った作品で、作品自体は、ひたすら坦々と彼の日常生活(食べる・寝る・食事を作る・畑を耕す)を繰り返し追うという内容でした。

映画では不覚にもほとんど寝てしまった私ですが、上映後の質疑応答はとても面白かったです。観客たちも、一体この男は何者なのか?、どうやって撮影したのか、言葉はしゃべるのか?、など、疑問&質問がてんこ盛りだったようで、色んな質問が飛び交っていました。

ワン・ビン監督の質疑応答の様子
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ワン・ビンのあとは、雲南の映画祭でグランプリを受賞した、中国のホー・ユェン監督の「アプダ」を観ました。雲南で観れていなかったので、必ず観たいと思っていました。この回は舞台上での質疑応答はありませんでしたが、ロビートークがありました。
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アプダの舞台は、中国の少数民族ナシ族が住む場所です。実は、ホー・ユェンもナシ族出身だそうですが、小さな頃にその地域を離れたため、ナシ族が話す言葉は本当に基本的なものしか理解できないそうです。・・・では一体どうやって撮影を?? なんと、撮影に訪れ、撮影しているときは彼らの言葉が全く分からないままに撮影し、編集の段階で通訳をつけて何を話しているのかが初めて理解できたそうなのです!!! そんなやり方ってあるのか!!!

主人公のアプダは不思議な人で、ホー・ユェンは彼を詩人的素質があると感じていました。インタビューなどしなくても、彼はひとりでに話し出し、つぶやくように歌ったりするのです。なので、ホー・ユェンはインタビューをしなくても、彼の独自の世界で編み出される言葉をそのまま記録すればよいと感じたのだそうです。

それでも、相手が何を話しているか分からない状態でずっと撮影に通い、それが作品になるというのは驚きです。”言語”を超えた言葉で彼らとコミュニケーションをとっていたのだということでしょう。

アプダを見終えたあとは、そろそろ晩御飯の時間となりました。前日の香味庵で、インド人のサミーナにインドカレー屋に連れて行ってもらうことになっていましたが、ティーさんの体調が良くなく、延期することになりました。でも、私とサミーナは待ち合わせをして、どこかでご飯を食べようということになりました。

・・・といっても、私もサミーナもこの土地には不慣れです。私も山形は既に3日目でしたが、一向に方角が分かりませんでした。二人でどちらの方向に歩こうかと話していたら、今日夕方に到着したばかりというフランス人のエマニュエル・ドゥモーリス監督(インターナショナル・コンペ部門、「何をなすべきか?」監督)と出会いました。彼女は何かの映画を観ようと思っていたそうですが、時差ぼけも激しいし、ちょっと休みたいということで私たちのご飯に合流することになりました。

今日到着したばかりのエマニュエルさんも、どちらの方向に歩いていけば良いのかわかりません。そこで通行人に「公民館の方向はどちらか? どこかご飯を食べられる場所はないか?」と聞きました。彼らは、地元のおじさん2人組みで、やや酩酊状態でしたが、親切に公民館の方向まで一緒に歩いて連れて行ってくれるということでした。

話ながら、私たちがどこから来たのか、ここで何をしているのか、という話になりました。別の日にも、私は親切な山形市内の人にフォーラムまで一緒に歩いて連れて行ってもらったのですが、山形市内に住む人でも「ドキュメンタリー映画祭? そんなのやっているんですか? どうりで、通りに外国人が多いはずだ」といった反応でした。地元の人というのは、ドキュメンタリー映画に興味があるという人でもない限り、そんなもんなのかなぁ・・・。まぁ、サンプル数がとても少ないのでなんともいえないのだけれども。

15分ぐらい歩いたでしょうか? やっと公民館のある通りに戻ってきました。みんなかなりおなかが空いていました。地元の方曰く、イタリアンとお好み焼きの店がこの辺りにあるとのことでした。”お好み焼き”は英語で説明するとしたら"Japanese pancake"となると思うのですが、英語のパンケーキはホットケーキのようなとてもそっけないもの。英語でもそう連想されてしまうらしく、お好み焼きのほうにはあまり乗り気ではない様子。お好み焼きの、お好み焼きらしさを説明するのに良い訳語はないのでしょうか? 不当にお好み焼きの魅力が失われているような気がしてなりません。Japanese Pizzaと表現した方が、バラエティーに富んで色んなトッピングを選べるニュアンスが伝わるかもしれません。どうでしょうか??

お好み焼きが不評となると、残りはイタリアンです。酩酊した中年の男性は「女性ばかりだし、イタリアンがお勧めでしょう」と言っていました。私はそれを何にも疑問に思わずに、英語にして彼女たちに伝えたところ、フランス人のエマニュエルさんがすごく怪訝そうな顔をして、「なんで女性ばかりのお店をわざわざ勧めるのか? 男性がいなければ楽しみがないじゃない?」と言ったのには驚きました!

日本だったら、「女性に人気の店」、「女性一人でも入りやすい」、「女子会にお勧め」とか、そういうのは悪意のない宣伝文句と受け止められていますし、私自身もそういう宣伝文句を聞くと(ご飯がおいしいのかな)とか(デザートが充実してそう)とか、そういう期待を抱きます。

なので、エマニュエルさんのように、「男性と出会えない環境でご飯を食べて、何が面白いのか? なぜそんなお店をわざわざ私に勧めるのか?」といった反応をするのを、ステレオタイプかもしれませんが(さすがフランス人だな~)と感心してしまいました。

とはいえ、私たちはかなりおなかが空いていたので、仕方なく男性客のいないイタリアンへ入ることにしました。インド人のサミーナさんはベジタリアンなので、肉・魚などがないものを選ぶように神経を使っていました。でも、日本ではどこでも、厳格な菜食主義を貫くのは難しいです。中華料理店で「野菜炒め定食」を頼んでも、豚こま肉が入っていますから。案の定、こちらのお店でも、ベジタリアンと言っているにもかかわらず「肉はダメでも、魚は大丈夫ですか?」と聞かれる始末。まぁ、中には魚は食べるという準ベジタリアンもいますけれど。最終的には、中に入れるもの全てを確認してからオーダーすることにしました。

3人で記念写真
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食べながら、それぞれの国のインディペンデント映画の上映環境、制作環境についての話になりました。まず、エマニュエルさんは「フランスは例外的だと思う」と言いました。諸外国、他のヨーロッパの国々に比べ、制作者を守り、育てる環境が整っている、と。それらはもちろん、映画に関わる人たちの努力によって勝ち得たものですが、例えば、映画監督の失業手当。3ヵ月働くと、その後10ヶ月間、大きな額ではないけれど生活していけるだけの失業手当がもらえるのだそうです!!!! 「実際、失業手当によって作られた優れた映画はたくさんあって、カンヌとかの国際的な賞を受賞している」と話していました。

この失業手当の原資は、国の税金ではなく、映画の各制作会社が拠出してこのお金を積み立てているのだそうです。「会社に所属していない、フリーランスの監督の場合はどうなるの?」と聞くと、フリーランスの監督でも失業手当はもらえるのだそうです。具体的な手続きはきっと色々要求されるのかもしれませんが、彼女曰く、「銀行の通帳を見せて収入が入っていないことを証明すればもらえる」と言っていました。実際彼女も失業手当金をもらって映画を作ったのだそうです!

この制度は現在ベルリンやモロッコなどでも導入され始めているとのこと。すっごーーーく、うらやましい。

エマニュエルさんは「何をなすべきか?」という作品を山形で上映したのですが、この作品はなんと11年をかけて制作したそうです! エジプトに住んでいたときに撮影したもので、編集に6年かかったとか。合計4部作からなる作品の3番目にあたる作品で、現在母国フランスでは全4作品を劇場で公開しているそうです。総上映時間はなんと12時間!!! 彼女はフランスの藤本幸久監督であると思いました。

12時間の作品を上映するなんて無謀だと、フランスの映画業界の人たちからは散々言われたそうですが、「観客はバカじゃない、理解してくれる」との思いから、全作品の一挙上映に踏み切ったそうで、実際かなりお客さんが入っているといっていました。

続いて、セミーナさんにインドの制作事情を聞きました。インドといえば、ボリウッドがあり、映画産業の基盤は層が厚いように思います。しかし、セミーナさんによれば、ボリウッドは特殊な世界で、それがインド映画全体を代表しているのではないそうです。ボリウッドの映画で使われている言葉は、実は日常生活で人が普通に使う言葉でもない。逆に、ボリウッド映画の中で使われた言葉が、人々の間に浸透して行ったりもする。そんなわけで、ボリウッドはインドの日常を映したものではないのだ、とのことです。

インディペンデント映画や、自主制作のドキュメンタリー映画を取り巻く環境は厳しく、政府はそれらの制作を支援するということはほとんどない、と言っていました。インディペンデントの場合は、ほとんどが監督兼プロデューサー。セミーナさんもそうだといっていました。ボリウッド映画は全国規模の映画館ネットワークで上映されるけれど、インディペンデントの映画をかけてくれる劇場はとても少ないそうです。

セミーナさんは学校でビデオ制作を教える仕事をしながら、お金をため、自分の制作費に充てています。作った作品を上映するために、単館の小さな劇場へ自分で企画をたてて持ち込み、1日だけの特集上映などで上映してもらうのがやっと、と話していました。

セミーナさんの話を聞いていて、私は日本ととても似た状況にあるなと思いました。そんな私たち2人を可哀想にという表情で見つめるエマニュエルさん。でも私は、メジャーな映画産業も翳りが出てきている現在、私たちのような自主映画監督にとっては逆にチャンスであるようにも思います。映画館だけでなく、カフェやイベントスペースでの企画上映のほうが逆に集客できる場合もあるし、お客さんも楽しめます。そんなわけで、(まだまだこれから)とも思った私でした。

山形に到着して3日。やはり朝晩がとても寒くて、コートを持ってくるのを忘れた私は、やや喉が痛くなってしまいました。この日は香味庵に行かずに、10時ごろにホテルに戻り、早く寝ました。

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