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2012年7月

[jp] ”東洋一”の団地で

昨日は、高島平団地の集会所で「さようならUR」の上映会を開いていただきました。1年ほど前、JCJの上映で知り合った山名泉さんが、お住まいの高島平団地で映画を上映してくれたのでした。

日本最大の、そして建設された40年前に”東洋一”と呼ばれた高島平団地。日本の団地の代表といっても過言ではないこの場所で映画を上映してもらえるのは、私にとって大きな意味がありました。

・・・といいつつも、私は高島平団地に行ったことがこれまでありませんでした。この日は、早めに山名さんと待ち合わせをし、団地についてお話を伺いたいと、上映の前に「高島平新聞社」へ連れて行って頂くことになっていました。

「新高島平」駅で下車。
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駅の案内表示版。小学校・中学校が沢山あるのは、超大型団地ならでは。
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駅前の様子。高島平団地は、駅の目の前です。
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高島平団地は、高幡台団地と同様、賃貸と分譲からなります。賃貸と分譲はエリアが分かれているのですが、1棟だけ分譲のエリアの中に賃貸の棟があり、その1階部分にある商店街のお蕎麦屋さんで、山名さん、カメラマンの金山芳和さんとお昼ご飯をいただきました。お二人は、福島県須賀川市で毎年開催される「すかがわ国際短編映画祭」(2012年9月1~2日)のスタッフもされているそうです。
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こちらの喫茶店も気になります!
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高島平団地の地図をいただきました。高島平新聞が毎年発行する「高島平べんり帳」に収められている地図です。
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お昼ごはんの後、団地内を歩きました。とにかく、見渡す限り団地!という光景には圧倒されました。それなりに緑も豊かなのですが、高層(分譲では中層もあり)の団地がずらりと並ぶ姿に驚きました。とにかく、歩いても歩いても団地なのです。
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広い間取りの分譲団地も
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上映のための機材を台車に乗せて運びます。
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ある程度の規模の団地では、大抵診療所や歯医者はありますが、高島平は団地内に大きな総合病院があります。
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かつて約3万人いた高島平団地の人口は、現在約半分になり、子どもも少なくなって、こちらの小学校は廃校に。
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「団地中央通り」を渡ると、「賃貸」のエリアになります。Dsc00382

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賃貸住宅の棟々
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私は高島平を訪問するのが初めてでしたが、実は、73号棟の住民の皆さんたちは、立ち退きの問題が起きた後、高島平団地を”視察”に来ていました。ほとんど同じ時期に建てられた、同じURの団地で、高層の建物。73号棟は耐震性不足で取り壊すとなりましたが、一方で、高島平の高層建物は耐震補強工事がされました。どうして自分たちの建物には補強工事が出来ないのか? その理由を知りたくて、高島平団地を訪問したそうです。

建設時期や同じ高層の建物というだけで単純には同一視できませんが(耐震補強の工法には建物の構造なども関係するので)、高島平を訪問し、高島平の住民の方々にも話を聞いた73号棟の皆さんは、「耐震補強する・しないは有力な議員がいたかどうかの差」とまことしやかに話していました。まぁ、その話に裏づけはありませんが、もしそんなことで住まいの明暗が分かれるとしたら恐ろしいですよね。

山名さんたちが会場の設営をする間、私は高島平新聞社を訪ねました。高島平が入居を開始した当初からこの団地に住み、「高島平新聞」を発行し続けてきた村中義雄さんにお話を聞くことが出来ました。

村中さんと「高島平新聞」
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毎月1回の発行で、時々臨時の増刊号を出しながら40年。7月15日号は、なんと第505号なのでした。現在は、村中さんの息子さんが後を継いで編集長をされているそうです。

村中さんは、高島平団地に引っ越してくる前(40年前)は、業界紙の新聞記者をされていました。小さな新聞社だったため、取材して記事を書くだけでなく、営業などもマルチにこなしていたそうです。高島平団地に当選し、引っ越してきた30歳の時、それまで務めていた新聞社を辞め、高島平で自分で新聞を出そうと一念発起。以来、地域に密着した情報を40年間発信し続けているそうです。

村中さんが所有する、昔の高島平団地の写真を見せていただきました。

高島平団地が出来る前。ほとんど田んぼ。
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高島平団地建設のため、土地を造成
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40年前の高島平団地! リアルじゃないみたいです・・・
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毎年2000冊の母子手帳が発行されていた(=毎年2000人の新生児が誕生していた)高島平団地では、予防接種を受けるにも長蛇の列で、ベビーカーの大渋滞。
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まるでどこかの海水浴場のような賑わいですが、団地内の池で遊ぶ子どもたちの様子です。
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急激に子どもたちが増え続けると、まず困るのが保育所。保育所の建設が追いつかないので、団地のお母さんたちは、団地の集会室を毎日借りつづけて、保育所の代わりとしていたそうです。
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幼稚園の抽選会。倍率高そうだな・・・coldsweats01
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小学生の学童保育所も足りず、体育館の倉庫を代用したそうです。
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商店の様子
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「チェリッシュ」が団地内で歌ったときは、瞬く間にこの人だかりになったそうです! 
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これらの写真を見ているだけで、当時のものすごい熱気が伝わってくるようでした!

40年来、高島平団地の住民であり、高島平新聞の発行者でもある村中さんは、いわばURの歴史をそのまま当事者として体験し、また新聞記者として見続けてきた人です。そんな村中さんは、UR(公団~現在まで)について「巨大すぎて動きが取れない。硬直している。ハードだけで、ソフトがダメ」と評していました。

住民の要望をあげても、まず対応してくれない。対応までに数年~数十年かかることもざらなのだそうです(これは他の団地でも良く聞くことですが)。例えば、集会所内の赤電話の設置。携帯電話が普及していない当時、集会所に赤電話がほしいと言う声が沢山あったそうです。しかしURの対応(発想)は、この団地に赤電話を設置したら、全国の団地にも同様にやらねばならない・・・で、結局「出来ません、やりません」。赤電話設置までに7年(?)近くかかり、URが重い腰を上げて全国の団地の集会所に赤電話設置を決めた頃には、携帯電話が普及し始め、公衆電話の撤去が始まったそうですcoldsweats02

同様に、2階建て駐車場、BSアンテナetc、住民からの要望や提案を、居住者の利便性というソフト面から考えることはせずに、全国一律に導入しなければならないほどの提案ではないと、長い間取り組まないでいた事例はかなりあったそうです。

地域のニーズには、全国規模のURではなかなか対応できないという状況を打破するため、一昨年にURは団地単位でマネジメントを行う「団地マネージャー」制度を新設しました。高島平団地でも、昨年から団地マネージャーが配置されたそうです。今後、どのような成果をもたらすでしょうか。

高島平新聞では、団地マネージャーと二丁目団地自治会会長の対談を掲載
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村中さんは、URにとって都合の悪いことでも、必要であれば書いてきたと言います。私がUR(本社)を取材したのはせいぜい半年程度なのですが、取材の難しさ、有益な情報や内部情報を引き出すことの難しさを痛感する日々でした。なので、40年の長期に渡り、URと付き合い続け、取材し、記事にするというのは、どういうことなのだろうか?と思いました。

意外にも、URから文句を言われたことはないそうです。22,500部を高島平全域に配布する高島平新聞の存在は大きく、URとしても下手に扱うことは出来ないということでしょう。しかし、新聞としては文句を言ってこなくても(←そんなことをしたらURが悪者に見えるだけ)、それ以外のことでかなり”調査”をされたそうです。例えば、本当に居住者として住んでいるのかどうか、電気やガスのメーターが動いているか調べに来たりしたのだとか!

ドキュメンタリーの制作者もそうですが、誰かにとって何か不都合なことを取材し公表するような仕事に従事する人は、本業以外のところもよく注意を払わないと、揚げ足を取って葬られることがありますので、要注意ですね。。。

お話を聞いていたらあっという間に時間がたち、気がつけば開場の時間になっていました。村中さんと共に、上映会場である集会所に向かいます。

上映会場入り口
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山名さんの奥さんがデザインしてくださったステキなポスター
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この日もうだるような暑さで、どれだけの人が来てくれるかと山名さんたちと心配していましたが、沢山の人が来てくれました! 73号棟からも4名来てくれました。
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上映の後は、73号棟の皆さんと私からの挨拶、そして感想や質疑応答がありました。団地での上映で、観に来てくださった人たちの中には自治会の役員の方も多かったため、73号棟問題に対する自治会役員の対応についての質問や意見が、特に多く出ました。

「高島平の団地でもし同じようなことが起こったら、自治会は住民たちに必ず知らせただろう」という発言が何人かから出て、高島平の自治会は高幡台団地よりは形骸化していないのだろうな、と思いました。しかし印象深かったのは、自治会が強く結束することが大事だという意見が大方(私もそう)の中で、73号棟の村田さんが「自治会はもちろん大事だけど、結局は自分たちの問題として当事者ががんばらないとダメ」と発言していたことです。

73号棟同様に、全国でいくつかの団地が耐震性不足で取り壊しが決定しましたが、現在も取り壊されないで残っているのは73号棟だけです。中には、73号棟のケースとは違い、自治会が除却に反対したところもありました。自治会は頑張ったのですが、該当の建物の住民たちが全員出て行ってしまい、取り壊されてしまったというケースもあるのです。「周りの支援はありがたいし必要だけれど、結局は人任せにしないで自分が頑張らないとダメ」という村田さんの発言には、今裁判で立ち退きを争う当事者の決意のようなものが感じられました。

5時ごろに上映会はお開きとなり、近くの居酒屋で懇親会がありました。高島平団地の方、73号棟の方、山名さんの同級生、山名さんのお友達で撮影監督の堀田泰寛さん(映画「靖国 YASUKUNI」、「よみがえりのレシピ」等)という、個性的でにぎやかな集まりでした。特に、堀田さんから映画の感想や撮り方について詳しく聞くことが出来たのはうれしかったです。

懇親会の様子
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上映会を企画してくださった山名さん、高島平新聞社の村中さん、高島平団地のみなさん、遠路はるばる来てくれた73号棟の皆さん、そして映画を観に来てくださった皆さん、どうもありがとうございました!

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[jp] 地元にて

昨夜は、八王子で「さようならUR」の上映会がありました。73号棟問題の弁護団メンバーである、八王子合同法律事務所が主催してくれました。会場は車でないと行きにくい場所だったため、車で迎えに来てくださることになっていました。

八王子と言えば、私は生まれも育ちも八王子で、大学を卒業するまで住んでいました。西八王子駅前のロータリーで待ち合わせとなっていましたが、八王子合同法律事務所の尾林弁護士が映画のチラシを持って立っていたので、すぐに分かりました。

以前このブログでも書きましたが、私が73号棟問題を知ったのは、問題が最初に起こってから2年近くたったときでした。なので、初期の大混乱の頃の出来事は話で聞くしかなかったのですが、立ち退きの問題が起こって、まず住民の皆さんが相談したのが尾林弁護士だったのだそうです。URに対し情報公開請求をすることを勧め、それで映画にも登場する「表紙以外真っ黒塗り」の情報公開がURから出され、記者会見を開き、73号棟問題がいくつかのメディアで取り上げられたそうです。

現在は、特に過労死の問題に取り組んでいるそうで、ILO(国際労働機関)では労働時間は1日8時間と定められているけれど、日本はそれを批准しておらず、雇用者と労働組合が合意すれば、月100時間でも200時間でも青天井で残業させることが出来てしまう、という日本の実態についてお話を聞きました。

いくら”雇用者と労働組合が合意”しているといっても、そもそも雇用者と労働組合(雇われる側)の力関係には差がありすぎるのですから、合意により無制限で残業させることが出来てしまうというのは、やはりおかしいですよね。

しばらく立ち話をしていると、青柳さんが車で迎えに来てくれました。勝手に弁護士事務所の方かと思っていたら、なんと市議会議員をされているんですって! 若くてびっくりです。

会場の「横山南市民センター」
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調理室での上映会というのは初めてです。
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司会の八田さん。今回の上映会のアレンジを担当してくださり、とてもお世話になりました。
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上映の後は、73号棟問題の担当弁護士である和泉弁護士が進行役となり、73号棟の住民の方々の挨拶、飯田弁護士から裁判の経過説明のお話がありました。
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この日は、毎週火曜日の73号棟定例会がお休みで、何人かの住民の方が上映会に来てくれました。
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住民の皆さんが、自分の言葉で思いを話すのが、会場に来られた人たちにも伝わったようで、沢山の拍手がありました。帰り際、車の中で飯田弁護士が「話し方がどんどん上達している」と言っていましたが、私もその通りだなと思いました。もちろん望んで当事者になったわけではありませんが、話す機会を沢山持つことで、明らかに伝える力が高まっていると思います。

挨拶の後は、和泉弁護士から映画についての質問。この映画を作った動機、実際に取材して住宅問題について思ったこと、イギリスとの違い、理事長や大学教授について・・・etcなどの質問をいただきました。

会場からは、自治会の対応についての質問や、八王子市にあるUR館ヶ丘団地の自治会役員の方のあいさつなどがありました。館ヶ丘団地は約38年前に建てられた大規模団地で、URのストック再生再編計画では「集約」(団地の規模を縮小)の対象とされているそうです。そのせいもあってか、URは空き室があるのに入居者募集をせず、入居者の少ない棟はかなり寂れてきてしまっているそうです。(追い出しやすくするために、取り壊し予定の団地などを、10年ぐらいの歳月をかけて募集を停止し、居住者を自然に少なくしていくため)。

館ヶ丘団地では、長らく自治会がありませんでしたが、このままではまずいと危機感を抱き、2年前に自治会を発足したそうです。毎月1回URの地域の支店(南多摩住宅管理センター)と会合を開き、団地の生活環境の改善をしているそうですが、例えば「花壇を作る」などのような小さなことは支店レベルの交渉で実現できても、もっと根本の「住まいの安定のために団地削減計画の見直しをせよ!」といったような大きな話は、URではなく国の住宅政策として決まるので、まだ小さなレベルのことしか出来ていないけれど・・・、と話していました。

質疑応答でも意見が沢山出され、とても充実した上映会でした。

上映会の後、数人でご飯に連れて行っていただきました。上映後のトークで「居候なので、インタビューの時に住民のお宅で食事も食べさせてもらい、一食浮かせる」と発言したのが、尾林弁護士の同情を買ったのかもしれませんhappy01

八王子のイタリアン「VIA MARE」
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市議会議員の青柳さん
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この時点で既に9時を過ぎており、青柳さんは「明日早くないの?」と聞かれていました。私は最初、なぜ青柳さんだけがそう聞かれるのか分からないでいました。私を除く普通の勤め人だったら、平日は朝早くに起きて仕事に行くのではないですか?

青柳さんがそう聞かれていたのは、市議会の議員(や立候補者)がやる、駅前の演説のことでした。通勤前の有権者たちに向けて、演説したり、挨拶したりするあれです。朝6時ごろからやるんですって!

私は常々、駅前で演説をしている議員の方に聞いて見たいことがあったので、青柳さんに聞いてみました。私も上映で質疑応答をしたり、学校で講演をしたりする機会はあるので、人前で話すというのはだいぶ慣れているのですが、忙しく通り過ぎる人たち、まったく耳を傾けないような人たちに向かって話し続けるというのは、どんな気分なんですか、どんな工夫をしているのですか、と聞いてみたかったのです。耳も傾けずに通り過ぎていく人に一方的に話しかけるのは、かなり精神的にタフでないと無理なのでは?と想像するのですが。

その点について青柳さんは、「一瞬で通り過ぎるので、長い話はしないようにしている。チラシがあるときは、それを読んでくださいと言って渡したり・・・」と、自分で工夫されていることを話していました。確かに長いセンテンスだったら、聞き終わらないうちに通り過ぎていってしまいますよねcoldsweats01

どんな場所で、どんな人に向けて話すのか。どんな風に話せば、より伝わるのか。これは私も日々試行錯誤です。

とにかくご飯が美味しい!お店でした。
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八王子合同法律事務所は、弁護士13人、事務員8人の構成なのだそうです。弁護士って、多分映画監督と同じように、それぞれ強い個性があって、プライドが高く、協調性がない人種の人たち・・・と勝手に想像しているのですが(当たってるでしょうかhappy01?)、そういう人たちの集合体である合同法律事務所が、長年存続されてきた背景には、きっと事務員の方々のきめ細かいサポートがあったからこそなんだろうなぁ・・・と、事務員の高橋さん、八田さんとお話していて思いました。

記念写真
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上映会を企画してくださった八王子合同法律事務所の皆さま、上映会に来てくださった皆さま、どうもありがとうございました!

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[jp] 事実はドキュメンタリーよりも奇なり?!

先週末は、高幡台団地の夏祭りがありました。私は土曜日は上映会だったので、日曜日だけ夏祭りに参加しました。単身の高齢世帯が増え、子どもも少なくなった高幡台団地では、小学校も統廃合されてしまいましたが、1年に1度、この夏祭りの日だけはとてもにぎやかになるのです。

73号棟
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お祭りの屋台は、雨よけのため、73号棟の1階部分を利用しています。
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6時ごろに行ったのですが、「73号棟に住み続けたい住民の会」のおでんの売れ行きは好調で、2日分として仕入れ、準備していた材料が初日で完売してしまい、急遽買い足したとのことでした。

2日目分ももうなくなり始めているとのこと・・・! お祭りの日はとても涼しかったので、住民の会が用意した「おでん」と「甘酒」はぴったりだったのかもしれません。
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私も自分の分を急いで買わなくちゃ!と、挨拶もそこそこにおでんをゲット!
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おでん、ビールに漬け物。ほんと、毎年私は何にも手伝わないんだなぁ・・・! 食べるのと写真撮るのだけ!
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おでんを食べ終わってから、屋台の様子を写真に撮ります。
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映画のポスターも貼ってもらいました! ポスターを見て「これ欲しい」って言ってくれた子どもたちも結構いたんですって。沢山持ってくれば良かったなぁ・・・
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畦地さんと中川さんが作ったおむすびの差し入れ
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この日、おでんの屋台には見知らぬ男性がいました。2年以上73号棟問題に関わってきた私ですが、会ったことのない人でした。(誰なんだろう?)と思っていたら、吉津さんが「俺の息子なの。今日うちに泊まりに来てるんだ」と言いました。

・・・吉津さんの息子さん・・・!

これは吉津さん自身がほうぼうで話していることですが、吉津さんはずいぶん前に離婚され、奥さんがお子さんたちを連れて73号棟から出て行きました。それ以来、全く会っていないと聞いていました。半年ほど前に、息子さんのうちの一人が20年ぶりぐらいに73号棟の吉津さんを訪ねてきたと言っていましたが、その男性が吉津さんを訪ねた息子さんだったわけです。

息子さんと話してみると、なんと、インターネットで私の映画のことを見つけ、それで73号棟で起こっている問題を知り、お父さんを訪ねてきたんですって!!! 

この映画がきっかけで、20年会っていなかった親子が再会したなんて。。。こんなことってあるんだ。。。私はとても驚き、そしてとてもうれしく思ったのでした。

私は、息子さんにひとつだけ言いたいことがありました。それは、吉津さんの昔のアルバムを見て欲しいということ。吉津さんの家にインタビューで押しかけたとき、私は吉津さんの戸棚を色々漁って(!)、古いアルバムを見つけたのでした。満州で生まれ、終戦時に命からがら日本へ引き上げてきた吉津さんの、ご両親の写真や満州の頃の吉津さんの写真など、とても貴重な写真が1冊のアルバムに収められていたのです。

インタビューの時に「吉津さん、これ絶対大切にした方がいいですよ。代々お子さんたちに引き継いでください」と言ったのですが、吉津さんは「こんなもの、俺以外の人には興味ないよ。俺が死んだら捨てられるだろ」と言っていたのです。

私はそのことがずっと心に引っかかっていたので、この日幸運にも息子さんに会えたので、「お父さんに頼んでアルバムを見てください」と言ったのでした。

ちなみに、私はインタビュー撮影の後、吉津さんのアルバムから写真を何枚か借り、スキャンしたものを持っています。その中のいくつかを紹介します。

吉津さんのご両親(お母さんはいわゆる「写真花嫁」として満州へ渡り、お父さんと結婚しました)
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満州での吉津さん
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ちなみにこちらの写真は、映画のエンディングで使っている吉津さんの写真。生まれたばかりの長男を抱いた写真。若いなぁ・・・happy01
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息子さんがアルバムを見てくれたら良いですが!

吉津さんの息子さんは私と同い年で独身だそうで、吉津さんは「うちの息子、いまだに独身なの。もらってくんない?」と冗談交じりに言っていました。自主制作の女性ドキュメンタリストは、いわゆる婚活マーケットでは対象外だと思うのですが、そんな私にまで声を掛けるなんて、相当困っているのかしら・・・happy01

私の親だったら、本当に”うんざり”って表情でこういうことを言うと思うのですが、息子さんの心配をする吉津さんの顔は本当にうれしそうでした。子供のことを心配できるっていうのも、幸せなんだなぁ・・・と思ってしまいました。

さてさて、夏祭りの「おでん」ですが、なんと、祭りが本格的に始まる7時に完売してしまいました!
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「完売しました」の表示をして、急いで片付け・・・と思いきや、宴会の準備です!
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こんなに早く完売しているのは、ここの屋台だけかも・・・!
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7時過ぎには乾杯してるし!
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記念撮影
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73号棟裁判の担当弁護士さんから、立派なメロンの差し入れが!
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7時から盆踊りスタートということで、盆踊りの写真も撮りました。残念ながら雨がパラパラと降り出していましたが、踊っている人はいました。
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73号棟の向かいの中層棟・41号棟から撮った73号棟+盆踊りのやぐら
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お祭りは最高潮に盛り上がっていました。沢山の子どもたちで溢れていましたが、団地の人によると、高幡台団地以外の地域から遊びに来ている子どもたちも多いとのこと。
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7時までに完売した住民の会のおでんの横では、「高幡台団地を考える会」のバザーがありました。こちらは50円という破格の値段にもかかわらず販売に苦戦。

中央の赤いボトルは「酸素スプレー」だそうで、考える会の女性によると「買ったけど使い方が分からなくて一度も使ってない」とのことで、「映画撮る時、酸素いるでしょ? 酸素。タダでいいからもらって」と押し付けられそうになったんですが、平地で撮っている限り、別に酸素スプレーはいらないですよねぇ・・・coldsweats01 私が要りませんと答えると「じゃぁ、文鎮は?」と、次々に勧められました。う~~~ん。。。
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吉津さんと津覇さん。おでんの材料買出しなどは、ほとんどこの2人で担当。お疲れ様でした!
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宴会もほぼお開きで、食べ物もほとんどなくなった時点で、高幡台団地に住む松本さん登場。かわいそうに、お仕事の後で晩御飯を食べていなかったそうですが、ここにはもう漬け物ぐらいしか残っておらず。。。やっぱり、こういうのは早く来ないとだめですね!
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1日だけの参加でしたが、今年もまた楽しい夏祭りでした。

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[jp] 報道のお春

土曜日は、「映像女性学の会」で「さようならUR」の上映会を開いていただきました。上映会は夜からだったので、お昼から、「レイバー映画祭」に行きました。

「レイバー映画祭」は、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインの「ザ・テイク(工場占拠)」が観られると知って、それが観たいがために行きました。ナオミ・クラインはイギリスにいる時に知ったのですが、イギリスの社会運動をしている人たちにとても支持されている人でした。

日本でも、東日本大震災に乗じて様々な改革が進められようとしていたときに、ナオミ・クラインが提唱した「ショック・ドクトリン」(惨事便乗型資本主義:大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革)が引き合いに出され、割と広く知られるようになったのではないでしょうか?

お目当ての「ザ・テイク」の上映は一番最後だったので、他の上映作品も観ることができました。おまけで観れてラッキーぐらいに考えていたのですが、「原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録」(堀切さとみ監督・2012年・40分)がものすごく良かったです! 取り上げる人、インタビューの内容など、切り取り方、作り手の立ち位置みたいなものがすごい!と感激したのでした。

作品のあらすじは以下。(レイバー映画祭のリーフレットより)

福島第一原発のお膝元にあり、3・11直後、全世帯が避難勧告を受けた双葉町。町は役場機能を埼玉県加須市に移し、廃校になった高校を拠点に避難生活を送っている。原発と共にあった双葉町の人たちは、ふるさとを追われ、今何を思うのか。避難所で出会った人たちの声を集めた。

私は感激して休憩時間に監督を見つけ、声を掛けました。メディアールのビデオ講座で、松原明さんと土屋トカチさんにビデオ撮影・編集を教わったそうです。・・・話ながら、段々と自分の記憶がよみがえり、私は自分がメディアールで講座を担当した時に、受講生の方が堀切さんをインタビューした映像を見せてもらったことを思い出しました。市民が社会問題について情報発信をするというテーマの中で、堀切さんはインタビューに登場していたのでした。・・・なるほど!

まだ完成直後で、被写体となった方々にも見せていない状態なのだそうですが、この作品が色んな場所で上映されたら良いなと思いました。(早速、「映像女性学の会」での上映作品候補として推薦しました!) 

そんなわけで、思わぬ掘り出し物を見つけた、みたいなうれしい気持ちになったのでした。その後に観た「ザ・テイク」ももちろん良かったのですが。

「ザ・テイク」のあらすじ(レイバー映画祭のリーフレットより)

南米の経済大国として繁栄を謳歌していたアルゼンチンだったが、90年代に極端な新自由主義路線を突っ走って経済破綻してしまった。2001年相次ぐ工場閉鎖のなかで、アルゼンチンの労働者は工場自主管理闘争に立ち上がった。新自由主義の真実に迫った映画「ザ・テイク」は、世界の社会運動・労働運動に大きな影響を与えてきた。

以前このブログでも紹介した、ジョン・ピルジャーもイギリスでは支持されているジャーナリストで、私もとても尊敬しているのですが、私はナオミ・クラインの表現の方が良いなと思いました。というのも、ジョン・ピルジャーの場合、戦争を取材していると言うのもありますが、被害者は可哀想な人たち、悪いのは先進国の権力者たち、みたいな描き方をしています(実際そうなのですけれど)。被害者は全てを奪われ、無力で、無残な姿を晒し、助けを請うています。先進国側の良心ある私たちが、これを何とかしてあげないと、みたいな感じです。(でも、ジョン・ピルジャーの場合、被害者を取り上げるだけでなく、権力者たちに徹底的に向かい合って切り込んでいるので、それがすごいのですが)

でも、ナオミ・クラインの「ザ・テイク」に登場する工場労働者(=被害者たち)は、どん底から自力で這い上がっていくのです。社会的に弱い者とされる人たちの中の、内に秘める力強さ・可能性に光を当てているのが良いなと思いました。民衆の力を信じ、立ち上がる市民たちのポジティブな可能性を描く・・・ 私もそうなりたいです。

映画が終わった後、「映像女性学の会」上映会場である渋谷に向かいました。メンバーの方々が準備をされている最中でした。会場には、映像女性学の会上映の常連の方、PARCの講座で知り合った方、ドキュメンタリー監督の三浦淳子さんなどが来てくれました。

上映の様子
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上映後の質疑応答では、73号棟の今の状況について、撮影方法について、直撃取材についてなどの質問をいただきました。

質疑応答の様子(山上千恵子さんが撮影してくれました)
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上映後の飲み会。皆さん、精力的に活動されている方ばかりで、自己紹介だけで1時間近くあったかもしれません!
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そもそも、この「映像女性学の会」は、映画評論家の松本侑壬子さんが、10年前(? もっと前だったかもしれません)に、社会人向けの講座で映像女性学を教えた時の受講生有志で始めた会なのだそうです。「女性監督の作品を観る」という目的で、これまで上映会を開いてきました。今回で上映会開催は28回になるのだそうです!

「映像女性学」とは聞きなれない言葉だったのですが、松本さんによれば、例えば「映画の中で描かれるヒロイン像の変遷」や「歴代のセックス・シンボル」など、映画と女性のかかわりは、様々な切り口で捉えることができるのだそうです。私自身は、映画を沢山観ているほうではないし、なおかつ脈絡なく散発的に観たいものを観るだけなので、俯瞰的に見れていないのですが、お話を聞いていて女性学の視点で映像を読み解いていくことで見えてくるものがあるかもしれないと思いました。

1次会の後、2次会にも参加しました。この日は、山上さんの紹介で金徳哲(キム・ドクチョル)さんがいらしていました。在日のドキュメンタリー監督として、これまでに「渡り川」等の作品を発表。日本と韓国の国民性の違い、映画監督たちの表現の違いなど、日韓双方を熟知する金さんの分析は的を得て面白かったです。

その金さんは、私の理事長直撃取材シーンがとても印象に残ったそうで、「吉永春子さんに会ってみたら?」と言いました。吉永春子さん、名前をどこかで聞いたことがあるような・・・

以前、JCJのイベントで吉永春子さんの講演会があるというお知らせを頂いて、それでお名前だけ知っていたのでした。(ジャーナリストを目指していたと言いながら、吉永さんのことをほとんど知らない私が無知なのですが)

731部隊の徹底追及で知られる元TBSのディレクター、吉永春子さんは「報道のお春」と呼ばれ、どこまででも追いかけていくジャーナリストとして知られているそうです。80歳を過ぎた現在も、現役で取材をしているのだそうです。吉永さんについて、ネット上でインタビュー記事などがいくつかあります。例えばこちら

山上さんは吉永さんの印象について、「とにかく怖い人だった」とのこと。編集の時には竹の棒を持ち、吉永さんの指示と違う編集をすると、後ろからバシーッンと棒で叩くのだそうです・・・!! 今では暴力としてそんなことは(男女問わず)出来ませんが、山上さん曰く、当時は現場に女性は皆無で、それぐらいしないと(男性)スタッフたちが女性ディレクターの言うことなんて聞かなかった、とのこと。吉永さんの報道マンとしてのキャリアは、そのまま男性型社会とのたたかいでもあったのかもしれません。

会ってみたい! 吉永さん。TBSで手がけた731部隊の番組もぜひ観たいです。TBSのオンデマンドでは、吉永さんが作られた番組が3本見られるようになっているようでしたが、その中に731部隊のものはありませんでした。時々自主上映会のような形で、講演とセットにして上映されたりしているようですが?? 観たいなぁ!

どなたか、どこで見られるかご存知でしたら是非教えてください~

良い出会いに恵まれた映像女性学の会上映会でした。メンバーの皆様、映画を見に来てくださった皆様、ありがとうございました!

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[jp] 緊迫したやり取りが全てカメラに・・・!

今日は朝から「さようならUR」のDVD特典映像の編集作業をやりました。以前、特典映像のために、映画完成から1年後に、住民の方全員VS私のインタビューを収録したと書きましたが、そのインタビューでは各住民の方ごとに「実はこのときこうだった」とか「こう思っていた」とか、そういった裏話を聞いています。

なので、それらのエピソードを裏付ける当時の取材映像を、特典映像の中に何箇所か挿入しているのです。例えば、ずっと「インタビューは受けない」と言っていた吉津さんに対し、アポなしで押しかけてインタビューし、家の隅々、そして家事の様子まで撮影した時の様子や、73号棟の取材を始めた新参者の私を、「マスコミも政治家も信用しないけど」と言って話し始める在りし日の畦地さん、73号棟問題が起きてからの体調の変化を話す中川さん・・・etc、映画には収まらなかったけれど、私と住民の人たちの最初の距離、撮る・撮られるという関係性、住民の人たちの個性などが、良く現れている映像でもあります。

今日は、インサート映像の最後として、村井さんを取材させてもらったときの映像を編集しました。村井さんとは、取材前にほとんどお話したことがなかったのですが、村井さんの契約が終了する日(URが契約更新を拒否した日)に、取材させてもらったのでした。

契約終了日には、UR側から必ず何らかの連絡(電話や訪問)があります。そのやり取りを記録させてほしいと、”契約終了”という当事者にとってとても大事でセンシティブな日に、図々しくも村井さんのお宅に居座らせてもらい、契約最終日のURの行動を記録しなければと思ったのでした。

・・・詳しくは特典映像でご覧いただきたいのですが、「出来ればURとはもう会いたくない」という村井さんに、記録することの必要性を説得する私の、切羽詰った会話、そしてURとの電話&訪問など、私もテンパってかなりめちゃくちゃだったにもかかわらず、その全てが映像にしっかりと記録されていて、今見てもかなり仰天の内容なのです! 

その2週間後のインタビューでは、契約最終日のURとの”対決”の後、ぐったりして4時間近くその場に座り込んでしまったと言う村井さん。あのような取材は、当事者にとってどうなのか、撮影者はどうあるべきなのか。インタビューでは、お互いの”言い分”が噴出していて、なんかもう”インタビュー”とは呼べないような状態なんですが、お互いその時の様子を思い出して爆笑していたりもするのです。

とにかく、あの日はお互いにとって強烈な一日となったのでした。私は契約最終日に村井さんを訪問するまで、ほとんどお話をしたことがなかったのですが、この強烈な日を共に経験したことで、その後のインタビューでは、なんだかもう他人とは思えないような、同士のような気持ちさえ抱いていました。(でも村井さんにとっては単なる迷惑行為だったかもしれませんよね・・・!)

インサート映像にもかかわらずこのパートだけで18分にもなってしまったのですが、完成したら是非観ていただきたい映像です!

特典映像は、あと1つインタビュー取材が残っています。こちらもなるべく早めに出来ると良いですが。

今日はそんな一日でした。

追伸:
以前このブログでも紹介しました、韓国のMBCテレビ局のストライキは”暫定”中断し、18日から職場復帰したそうですね。レイバーネットに詳しい記事があります。

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[jp] 高幡台団地夏祭り

今週末(21日&22日)は、「さようならUR」の舞台である高幡台団地で、毎年恒例の夏祭りが開催されます!

「73号棟に住み続けたい住民の会」は、今年も「おでん屋台」で参加します。なんと、今年でもう4度目なんですって! 昨夜の住民の会ミーティングでは、おでん種の準備、当日の準備などの細かい役割が話し合われていました。

もしお時間のある方は、高幡台団地の夏祭りへ足を運んでみてはいかが? もちろん、住民の会のおでんも食べないと!

ちなみに、「さようならUR」撮影中(2010年)に、夏祭りのおでん準備の様子を撮影しました。そのビデオを今朝簡単につないで、YouTubeに載せました。ビデオはこちらよりご覧いただけます。

高幡台団地が1年で最もにぎわう夏祭り。それに向けて準備をする皆さんの姿は、きっと絵になるに違いない・・・と、意気込んで撮影に向かった私でしたが、撮影されたビデオには、不覚にも「食べ物にありつく私の姿」しかなく、映画には使われないでお蔵入りしていたのでしたbearing

ちなみに、ビデオの中でもちょこっと登場する「シソジュース」ですが、今年初めて、自分でも作ってみました! 1日で出来、すぐに飲み始められるので、興味のある人は是非挑戦してみてください。とにかく赤シソの赤色がとても綺麗。

ネットで検索すれば色んなつくり方が紹介されていますが、私が作ったやり方も参考までにご紹介しておきます。

赤シソは、近所の八百屋さんで購入。地元産&無農薬です。根つきは珍しく、翌朝まで水につけておいたら、しぼんだりせずに元気でした。
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シソは新聞紙で束ねられていますが、かなりの量でした。はさみで枝を切り出し、付いている葉をもいでいきます。
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良く洗います(結構細かい砂がついています)
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最後は家の外で新聞紙を広げて、残っている葉をもぎました。
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沸騰させたお湯(1.8リットル)で、シソをゆでます。色素が抜けて溶け出し、シソがみどりになって行きます。
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レシピによるとまちまちなのですが、私は10分ゆで、そのまま2時間ほど放置してから、葉を取り出しました。

取り出した葉(これを塩もみして乾燥させた後に「ゆかり」としてふりかけにする人もいるのだそう。私も挑戦しようとしましたが、かなり「出がらし」状態で味がなく、すりつぶすためのすり鉢もないので、断念しました)
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葉を取り出した後のゆで汁。この時点では墨汁のような色です。
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再びゆで汁を温め、砂糖(蜂蜜でもOK)を500グラム~1KGほど入れて溶かします。

その後、しばらく冷ましてから、りんご酢(500ml)を入れると、突然とても綺麗な赤色になります!(どういう仕組みなんだか分かりませんが・・・??)
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ガラス瓶などに入れて保存します。私の場合、上記の要領で、3リットル分ぐらい出来ました。
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お好みで3~5倍ぐらいに薄めていただきます。炭酸水で割ったり、ヨーグルトのソースにする人もいるそうです。
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梅雨が明けて、いよいよ夏本番。夏バテしないように、気をつけてくださいね!

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[jp] 極端な選択肢だけではなく

7月7日、七夕の日は、以前このブログでも紹介した「アジア太平洋資料センター(PARC)自由学校」で、「生きるー表現者たちが紡ぐ哲学」という講座に参加させていただきました。

PARCの前に、西新宿のニコンサロンで、韓国人写真家の安世鴻さんの写真展を見に行きました。(写真展の開催までの経緯についてはこちら)。入り口では、荷物検査、金属探知機での身体検査など、異例の厳戒態勢でした。展覧会場ではちらほらと、見たことのある人の顔も。

写真展の後、PARCに向かいます。講義は2時から4時半までで、まず「ブライアンと仲間たち」を鑑賞、その後30分ぐらい私の話、その後は質疑応答というスケジュールになっていました。

上映前にほんの少しだけ挨拶をして、上映スタート
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事前のアンケートでは、「ドキュメンタリー監督になりたい」とはっきりと書いている人もいましたが、この講座は映画監督養成講座ではなく、どちらかというと、仕事をしながらも社会にかかわりたい、芸術を通して表現力を磨きたい、という人たちが多く、講座もそういう人たちを対象としているため、私は、私自身もかつては公務員・会社員として働き、休みを利用して表現活動をしていたという話から、ジャーナリズムへの興味、映画制作の開始など、段階を追って自分のこれまでをお話しました。

一通り話し終えた後は、受講生の方々からの質問や感想。そして「さようならUR」の予告編も紹介させてもらいました。面白いと思ったのは、この講座のコーディネーターの内田さんが、「さようならUR」をまず観ていただく機会があって、その後に「ブライアン~」を観て、この講座では「ブライアン~」を上映作品として選んでいただいたことでした。

私としては、撮影も編集も稚拙すぎる「ブライアン~」を観るのは、所々かなり恥ずかしかったりするのですが、ふたつの作品を並べてみて、それで「ブライアン~」を選ぶ人もいるんだ?というのが正直なところ。私としては、「さようならUR」の方が、撮影も編集も、ちょっとは上手くなったと思うのですが・・・!

内田さんは「ブライアン~」を講座での上映作品に選んだ理由として、「さようならURも良いけれど、ブライアンを初めて観た時の衝撃がすごかったので」と言っていました。また、3.11後の日本で、各地で反原発デモなどが盛んになっている今こそ、ブライアンのことを知ってほしい、とも。

特にドキュメンタリーの場合は、被写体の人の存在が、時に撮影や編集のテクニック・能力などを飛び越えて、観客にダイレクトに訴える場合もあるのかもしれません。

お客さんからもよく「さようならURの方が上達した」と言われることが多いのでcoldsweats01、私としては敢えて「ブライアン~」を選んでくれたのは、うれしいことでもあるのでした。

講座は少し延長して、5時ごろに終了しました。その後は、近くの居酒屋で交流会です。なんと、この講座は今回が3回目で、飲み会も3回目なのだそうです!! 講義の後に毎回飲み会があるのですね^^ 座学も大事ですが、やはり飲んで楽しく語らう時間も大切ですからね。私ももちろん参加させてもらいました。

現在、とある会社にお勤めだという受講生の方は、私が講座の中で話した、イギリスのジャーナリズム学校の話に共感したのだそうです。

そのジャーナリズム専門学校では、ジャーナリズムの勉強といいつつも、実際の勉強内容の3分の1近くが”法律”の勉強でした。ファッション誌のエディターを目指す学生は「ファッションの記事を書けるようになりたいのに、何で法律の勉強ばっかりさせられなきゃならないの?」と不満を言っていました。先生は、「何かあったとき、会社はあなたを守ってくれません。あなたを守ってくれるのは法律なのです」と言いました。

たとえ、いわゆる”政治”などとは一見無関係なファッションのライターでも、取引上知り得た内部情報や、ブランドの契約内容など、何らかの企業秘密を知り、それを外部に漏らすことで、訴えられる場合もないとは言えません。そんな時、自分の所属する雑誌社は、取替え可能な一ライターよりも、企業の利益を優先し、自分を見捨てることもあるでしょう。ライターとして正しい仕事をして、万一そのような事態に遭った時は、裁判を起こしてでも自分を守るしかないのです。だからこそ、法律を勉強する。(その学校では、法律全般というよりは、ジャーナリズム&表現の自由に関する法律や判例が主でした。例えば性犯罪の報道や未成年者の犯罪の報道の基準、マスメディアの行動規範、刑事裁判中の案件の報道、著作権、パブリシティ権、名誉毀損など)

その受講者の方は、特に「何かあったとき、会社はあなたを守ってくれません」発言に共感したそうですhappy01 会社に見切りをつけて定年退職よりももっと早く退職し、これからは自分のやりたいことをビジネスにしたい、と話していました。私としては、別に転職を促すために持ち出した話ではなかったのですが、その人の今後の展開が楽しみですねhappy01

この「会社には頼らず、自分で道を切り開いていく」ですが、他の受講者の方からは、「それが出来る人はいいけれど、必ずしもみんながそんな風に出来るわけではない」という意見も出ました。確かに、特にこの日本社会の中で、組織に頼らず生きて行こうというのは、かなりの勇気がいることですし、特に経済的に厳しくなる場合が多いでしょう。

自分で道を切り開きたいと思う人が、その努力が報われる社会であってほしいと思う一方、努力してもダメだった人(能力だけでなく、運やタイミングもあるでしょう)も、何らかの形で救われる社会であってほしい・・・私もそんな風に思います。

他の人からも発言がありましたが、一連のやり取りを聞いて、コーディネーターの内田さんは、「日本は死ぬほどバリバリ働くか、もしくは生活保護かの両極端。もっと選択肢がいろいろあっていい。この人いったいどうやって生きているの?みたいな、良く分からないけど生活できている人たちがもっといていい」と言っていて、私としてもそんな社会の方がずっと面白そうと思いました。

まさに、講座のテーマどおり(無理やり?!happy02)「生きる」を巡る発言がたくさん出ました!

内田さん、受講生の皆さんと
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なんと、「ブライアン~」の上映に合わせて、洋服まで選んできてくれた受講生の方も! ”燃えるゲバラ”Tシャツ、初めて見ました!!! ちなみに、ゲバラが大好きで、Tシャツだけでも10枚以上持っているんですって。「でも、革命には別に興味ないんですけど・・・」発言に、一同またびっくり!!
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その後打ち合わせが入っていたので、途中でお暇しなければならず残念でしたが、とても楽しい講座&飲み会でした。どうもありがとうございました!

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[jp] 子どもは親の望まないほうに

6月29日深夜に京都駅から夜行バスに乗り、朝6時に東京に到着しました。道中、3回ほどトイレ休憩があり、深夜3時ごろにサービスエリアに立ち寄った際、自分の全身がひどい筋肉痛であることに気がつきました。

普段から運動不足ですが、5年ぶりの登山で、尋常ではない筋肉痛になっています。でも、今更どうしようもなく、ひたすらバスの中で少しは眠れるよう努力しました。

7時過ぎに家に帰り、10時まで寝ました。3時間の睡眠でしたが、かなり復活した感が。

11時ごろ家を出て、12時過ぎに吉祥寺駅で是恒香琳さんと待ち合わせをしました。この日の上映は、是恒朋子さん(香琳さんのお母さん)が、明星学園の社会科サークルとして企画してくれた上映会でした。井の頭公園の中を通り過ぎ、明星学園に向かいます。

香琳さんは、初めて会った時は高校生でしたが、いつの間にかお酒も飲める年齢に! つくづく、月日の流れる早さを感じました。学校での生活や、韓国への旅行のこと、自分で立ち上げた映画サークルのことなどを聞きました。

明星学園に到着し、お昼ご飯をいただきました。美味しそうなお弁当です。
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社会科サークル主催ということで、一般の参加も可能だけれど、お客さんは多分身内だけだと思うと聞きました。上映の後、30分ほど私の話、その後15分ほど坂庭さんのお話、あとは会場からの質問ということでした。

是恒朋子さん手作りの”守銭嬢”。人形の口からカンパを入れると、なんと音が鳴るのです!
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司会の是恒さん
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明星学園を定年退職された川手先生からの挨拶
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上映の様子
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最終的には35人の方が観に来てくださったそうです! 主催者も私も驚きました(っていうと変なのですが・・・coldsweats01

上映後のトーク(こちらの2枚は是恒香琳さんが撮ってくれた写真)
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こちらの写真は是恒朋子さんからいただいた写真
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続いて、坂庭さんからは日本の住宅政策の変遷についてのお話がありました。
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上映後の質疑応答では、予定時間をかなりオーバーして様々な質問や意見が出されました。団地にお住まいという方からは、自治会についての質問がありました(高幡台団地の自治会の対応には、団地の居住者や自治会で役員に携わる方から、いつも驚きの声が上がるのですが、本当に起こったこと&現在進行形で起こり続けていることなんですよねぇ・・・)。

また、URは借金が多いのだから、その事情を住民に丁寧に説明すれば、住民側も納得したのではないか? URのこの大きな借金は、やがて国民に付けが回ってくるので、このままでは良くないのではないか?という意見も出ました。

公共サービスの民営化の是非を巡っても、色んな意見が出されました。

当日は、上映後に大学で社会学を教えているという先生ともお話をしました。これからUR団地の住民の聞き取り調査を学生たちとやるため、URについて検索していたら、偶然この映画を見つけた、ということでした。

偶然見つけるということも、あるのですね! 「さようならUR」と入れれば、ネットの検索で引っかかるのは知っていましたが、それでは単に「UR」とだけ入れたらどうなるのか? URという単語なら、色んなページで出てくるだろうから、私の映画は出てこないのでは? と思い、実際にYahooで「UR」とだけ入れて検索してみました。

・・・すると、今日現在ですが、上から9番目に「さようならUR」が結果として表示されたのです!! もちろん、検索トップはUR自身のページ。その後は、ウィキペディアやはてなキーワードなどのページが候補として上がっていました。

私の映画が9番目に来るとは意外でした。もっと下だと思っていました。意外とURに関する記述はネット上で、思ったよりは少ないのでしょうか? それとも検索システムや表示ルールによるのでしょうか??(頻繁に更新されるものが上に行くとか・・・?)。真相は謎です。

無事、上映会が終わり、社会科サークルのメンバーの皆さんたちと、三鷹の「たべもの村」へ移動しました。
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ご飯をいただきながら、皆さんとお話をしました。明星学園の場合、親が明星の卒業生で、子どもも明星に通わせているという人が、とても多いようでした。それだけ、学校の教育方針を気に入っているということの表れでもあります。学校は私服ですし、なんといっても「教科書がない」というのがユニークです。授業は先生が自分で用意するプリントにそって進められるんですって。

打ち上げでは、私の私生活に関しての話にもなりました。どうして映画を作りたいと思うようになったのか、イギリスに留学しようと飛び出したのか、公務員を辞めることにためらいはなかったのか、親はどう思っているのか・・・etc。

なんと今回は「お姉さんのワンルームアパートで、居候をしながら映画を作っている」と是恒さんが話したら、謝礼を2倍にしていただいたそうです! なんか、映画のクオリティとは関係ない私生活のことで謝礼金額を増やしていただいて、恐縮ですcoldsweats01sweat01

川手先生を始め、明星学園にお子さんを通わせる方々は、自分自身もこれまでに自由な生き方を選択してきたので、子どもにもそうなってほしい、冒険してほしいと願っているのだそうです。

ですが、親の願いとは裏腹に、そんなに羽目をはずした子どもになっていないというのが、悩みの種なんですって! なので、私がどういう環境で育ったのか、生活環境や親の教育方針を知りたいということなのでした。

信じる人は少ないと思いますが、私は「うちの子はぬるま湯につかっている。早川さんみたいにたくましく育ってほしい。うちの子と会ってやってほしい」と、何人かから言われたことがあるのですよ! 世の中には珍しい親もいるものです。

ほんと、うちの親が聞いたら、喜んで「じゃあ、引き取ってください」って言うと思うのですが、私は私の親を含め”ないものねだり”をする人たちの姿をみて、つくづく「子どもは親が望む通りには育たないものなのだ」と思います。子育てはしたことがないけれど。

自由な環境で育てたら、自由な発想の子どもになる”確率”は高いかもしれませんが、必ずしもそうなるとは限りません。自由奔放に生きる親に振り回されて、逆に自分は普通に生きたいと願う子どももいるでしょう。

反対に、保守的な環境で育ったら、保守的な価値観を持つ大人になる場合も多いかもしれませんが、逆にずっと押し付けられてきた反動で、反逆心が育ち、ぶっとんだ子どもになる場合もあります。私の場合は、高校、大学、職場(公務員)と、”超”がつくほど保守的な環境で、人生で最も多感な時期を10年以上過ごしました。でも、今はプータロー生活を満喫するような人間になっていますgawk

圧倒的な貧困状態や家庭内暴力などが子どもの人格形成に与える影響は大きいですが、それ以外の場合は、環境がその子どもにどう作用するかは、一概には言えないし、ましてや予測するのは不可能でしょう。その子どもが本来持つ個性にもよるし、学校、友人関係、バイト先、いろんな場所から影響を受けます。

恋愛が与える影響も大きいでしょう。優れた相手と付き合うのが必ずしも人間的成長に繋がるとは限らず、私の周りには、”だめんず”のパートナーによって、逆にたくましく育っていった元・お嬢様がたくさんいます。何がどう影響するか(良く作用するか、それとも裏目に出るか)は、本当にわからないものですよね。

そんなわけで、私は私の生い立ちや育てられ方を説明したところで、それが今の自分をどう形作っているのか、他の人にも通用することなのか、それは良く分かりません。

でも、実際に川手先生の娘さんが私のようだったら、きっと私の親同様、相当困ると思うのですが・・・!!!!

明星で学んだ生徒さんたちが、その後どんな人生を歩んでいくのか、とても楽しみ! そう思った社会科サークル上映会でした。

皆さんと
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上映会を企画してくださった明星学園・社会科サークルの皆さま、映画を観に来てくださった皆さま、ありがとうございました!!

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[jp] 大阪劇場公開(7日目:6月29日)

早いもので、この日が今回の大阪~滋賀の最終日となりました!

前日の夜、何をするかは朝起きて決めるとしていましたが、やや寝坊して8時に起きると、外はいまだかつてない快晴! 比良山登山に行くことになりました。

朝ごはんを食べ、山登りの支度をします。山登りの靴は持っていないので、普通のタウンスニーカーです。上は長袖、下はジーンズにしました。今回、梅雨にもかかわらず毎日晴れだったので、ほぼ毎日、日焼け止めを塗っていました。でも、日焼け止めって、洋服の袖口や襟元が白っぽくなったり、お風呂に入った後も日焼け止めがきちんと落としきれていないような気がするのですが、そんなことはありませんか? クレンジングなどを使わないと、落ちにくいようです。

そんなわけで、顔以外に日焼け止めを塗るの、なんか嫌だなぁと思い、日焼け止めを塗らなくてもすむ様に、暑いけど長袖、そして首にはストールを巻いたのでした。

9時半頃、「のらねこ軒」を出発します。山のふもとまで車で走ること5分ほど。
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車を置き、歩き始めます。本格的な登山なんて、多分5年以上ぶり。。。
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私たちは「青ガレ」というルートを登っていくことに。
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「青ガレ」はかなり急斜面のルートで、落石事故が起こり易くなっているので、迂回を勧めるとの看板が。でも、行きも帰りも同じルートでは風景に飽きてしまうだろうということで、こちらのルートから登ります。
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遠藤さんたちは、車で5分で来れる距離ですが、山に登るのは月1回ほどとのことでした。いつでも登れる環境にあると、そういうものかもしれません。

登っている最中、至るところで水が流れていました。
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途中に橋を渡る場所もいくつかありました。登山靴で登るほうがお勧めです。
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ずっと続く登り坂はハードではありましたが、今のところ何とか大丈夫そうです。

・・・しかし、しばらくして登山道とは思えないような崖の前にやってきました。ここが「青ガレ」と呼ばれるゆえんの場所で、なんとこの崖を登るというのです!
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両手両足をフル稼働させながら、登ります。ストレッチタイプではないジーンズでは、足を大きく伸ばさなければならない時、不便でした。やはり日帰り登山とはいえ、きちんとした登山の準備で来ないと大変だ、と痛感。

岩場自体は、石の位置は安定していて、ぐらつくということはありませんでした。
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やっとの思いで岩場を登りきり、後ろを振り返ると、そこには綺麗な琵琶湖の姿がありました! もっと上に登れば、さらに綺麗に見えるといわれました。
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この場所は金糞峠という場所で、歌川広重がこの場所から絵を描いたのでは?と言われているそうです。
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金糞峠で小休憩をしていると、大きな荷物を背負った男性が後からやってきました。なんと、80歳なのだそうです! あの急斜面の青ガレを登り切った直後にもかかわらず、ほとんど息が乱れていません。「60代の頃は、走って登っていた。最近はダメ」とのことですが、私たちよりよっぽど元気です!
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なんと、この男性は定年退職して以来、15年ほどここで生活をしているというではありませんか!!!

・・・ここに住んでいる・・・???

ご自分の家は別のところにあるものの、4月から11月の間は、この山の中でキャンプ生活をし、時々山を下りて食料を調達し、真冬の間だけ里に降りて生活する、とのことでした。

「えー! ここに住めるんですか?」と聞いたら、「15年住んでいます」とのこと。。。びっくりです! さすがに郵便物の配達はないそうですが・・・coldsweats01

実物には遭遇したことはないものの、クマが出没した痕跡も見つけることが出来るそうです。猿、鹿、ウサギはしょっちゅう見かけます。こんなところに、住んでいる人がいたとは・・・

男性の”家”
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いいなぁ、今度はここを訪ねに山を登ってきたいですね!
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遠藤さん曰く「ものすごくおじさんの話に食いついていた」私なのでしたcoldsweats01

さて、男性と別れ、再び歩き始めます。
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モリアオガエルの卵! 水場の上にある木の枝などに卵を産み付け、孵化するとそのまま下の水に落ちる、という仕組みになっているそうです。初めて見ました!
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触ってみると、やや湿ったスポンジのような感触でした。
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とぐろを巻いた蛇!
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このあたりは湿原なのだそうです。
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鹿を発見!
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小鹿もいます!
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お昼ごはんhappy01 遠藤さんたちが作ってくれたお弁当です。
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バナーでお湯を沸かし、カップラーメンも!
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梅干の種がフタ押さえになってます!!
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お弁当を食べ、また歩き始めます。

カエルを発見。水の中でじっとして動かず、目を見開いています。
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このあたりは、かつてスキー場だったそうで、木の間に一本道が見えるのはリフト(ゴンドラ?)の跡です。
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かつてゲレンデだった斜面を登って行きます。
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植林しても、なかなか木は育たないようです。
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上まで登りきると、金糞峠よりさらに視界が開けました!
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電車の中からは海のように見えた琵琶湖ですが、ここまで登ればその姿が一望できます。本当に大きな湖で、島も浮かんでいます。
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それにしても良い天気!
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私は「比良山」という山があるのだと思っていましたが、具体的に「比良山」という山はなく、このあたりの山々を「比良山系」と総称しているのだそうです。一番高いのは「武奈ガ岳」で、そこからの眺めはさらに良いのだとか。
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ここからは下りで、1時間強ほどかけて、車を泊めた場所まで戻ってきました。「のらねこ軒」に戻ったのは3時ごろ。

お留守番をしていた「わらび」
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「みう」。お嬢様然とした佇まいです。
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みんなでビールを飲んでから少しお昼寝しました。夜行バスは眠れない・疲れるのが難点ですが、最終日もフルで使えるというのは利点です。山登りをして、昼寝までしても、出発時間の夜11時まではまだ十分時間がありました。

数年ぶりの山登りで体は疲れていましたが、でも完全燃焼はしていませんでした。というのも、私の中では出発前から、「最終日は30日の明星学園上映会まで」と想定していたからです。29日深夜に京都を出発して、30日の朝6時ごろ東京に着き、数時間仮眠してお昼に吉祥寺へ行くというのまで、セットで考えていました。その心構えがあったので、完全には消耗していなかったのです。

でも、その分、30日の上映会が終わった後には、一体どれほどの疲れが襲ってくるのだろう?とも思いました。考えるだけで恐ろしいので、この時は考えるのを止めましたが・・・coldsweats01

この日の晩御飯は、遠藤さんが作ってくれました。天ぷら、お味噌汁、玄米ご飯と、道の駅で購入したこんにゃく豆腐。美味しかったです!
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お風呂に入った後、午後6時から始まった首相官邸前の原発再稼動反対の抗議デモを、大久保さん、遠藤さんと共に岩上チャンネルのUstreamで観ました。
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すごい沢山の人が集まっている!! 現場の熱気と興奮がパソコンの画面を通じても伝わってくるようでした。

9時半過ぎ、3日間お世話になった「のらねこ軒」を出て、比良駅まで車で送ってもらいました。大阪~滋賀と、約1週間の間に沢山の人と出会い、充実した時間でした。どうもありがとうございました!!

また将来関西に行ける機会があることを期待しつつ、京都駅からバスに乗りました。

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[jp] 大阪劇場公開(6日目:6月28日)

この日は朝7時半頃に起きました。静かで、朝は寒いぐらいだったため、ぐっすりとよく眠ることが出来ました。

「のらねこ軒」での朝ごはんは、手作りの納豆と味噌汁、お漬物、玄米ご飯でした。ネットでも販売されている「納豆菌」を使って、納豆を手作りしているそうです。「納豆菌」を見せてもらうと、目薬のような小さな容器に入っており、それを耳かき程度のさじですくって少し加えます。簡単に出来そうに聞こえますが、大豆を煮るのに圧力鍋を使うことと(なくても出来ますが、そのほうが時間が短縮できます)、発酵機能つきの電子レンジ(もしくはこたつ、湯たんぽなど)で長時間保温することなどが必要です。

頂いた納豆は、味は納豆そのものでした!

朝ごはんの後、支度をして、10時ごろに車でのらねこ軒を出発。大飯原発に向かいました。琵琶湖を眺めつつ、ほとんど信号がなく、渋滞もない道を車はどんどん走ります。

途中の道はどこもこんな感じ。
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オバマ大統領の就任時に注目を浴びた「小浜市」の看板も見えてきました。このあたりの地名だったのか。。。
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農村だったり、漁村だったり。
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小浜市を過ぎるとすぐに、「おおい町」の案内看板が見えてきました。
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すると、それまでの農村&漁村風景が一変。周囲の風景にまるでなじまない、巨大な建物があちこちに見えてきたのです。建設は現在も進行中のようで、多数の重機も見えました。
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それまで約1時間半のドライブで、農村と漁村しかほとんど見なかったので、この突然の風景の変わりように驚きました。

大飯町の公園で、原発の再稼動に反対する市民がテント村をやっていると聞き、その公園までやってきました。

大飯町総合運動公園。野球場、テニスコート、体育館、多目的グラウンド、ジョギングコース、フィットネスクラブ、図書館、郷土資料室etc。Dsc09548

人口1万人足らずの町に、こんな立派な総合体育施設があるなんて、原発マネーの力のすごさを見せ付けられた気がしました。
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トイレを借りに、中に入ります。
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施設の中も外もがらんとして、受付の人以外はいませんでした。まぁ、実際に使われるかどうかはどうでも良くて、「建てる=公共事業の仕事が入る」ことが重要なんだものなぁ。。。
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体育館の中に放射線測定器・・・!
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子どもが遊ばない公園はどこか寂しげです・・・
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野球場。ちなみに、これから10億円かけてサッカー場も作られるんですって。。。
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この公園内で反原発テント村があると聞きましたが、果たしてどこに・・・? 広い公園内を歩くと、やがて遠くにテントらしきものが見えてきました。
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う~~~ん、でも、あれは見るからに「キャンプ」しているだけなのでは?? と思いました。これまで日本&海外の抗議活動のテントを見てきましたが、同じテントでも、レジャーとしてのキャンプと抗議活動のキャンプは、雰囲気が全く違うのです。見てすぐに分かります。

ここのテントの場合、テントの張られ方(間隔の取り方)や、テントにメッセージや横断幕などが貼られていない、そのほかにも言葉にするのは難しいですが、なんとなく漂ってくる雰囲気から、反原発のテント村ではないのでは?と感じました。抗議活動テントというよりは、ロックフェスのキャンプサイトのような雰囲気です。

どうなのかな~と確信できぬまま、私たちはそのテントの群れに近づいて行きました。
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テントの群れのそばを歩くと、やがてここのテントの中心拠点らしきテントが見えてきました。ここまでたどり着いて、置きチラシ、再稼動反対の看板などがあるのが見え、やっとここが反原発のテントなのだということが分かりました。こんなに抗議活動キャンプらしくないキャンプは初めて見ました! 私もまだまだ甘いな。
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ちなみに、私たちはテント村の裏口から入ってしまったようで、表玄関(?)から見るとこんな感じです。こちらから見れば、もう少し抗議活動キャンプっぽい感じです。
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原発再稼動をやめさせたいと、熊本から約10日前にここに駆けつけ、それ以来帰らないでここに泊まり、抗議活動をしているというまゆみSUNにお話を聞きました。
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連日の抗議活動のせいか、声はかなりかすれていました。3.11以後に原発の問題に目覚め、各地の抗議活動に参加するようになったそうです。ここの反原発テントでは、料理を作っています。もともとが料理を作るのが仕事で、野外フェスでの屋台、ミュージシャンのライブに同行して屋台、自分だけでも料理ライブツアーなど、屋外で料理をしたり、即興で料理するのが得意。まゆみSUNの活動については、ネット上でも沢山載っており、ほんと、ミュージシャンみたいに各地を飛び回って、料理”ライブ”しているみたいで、とても面白そうです!(例えばこんな感じ) 

再稼動反対の大きな看板
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近づいてよ~く見ると、文字が全て「曼荼羅」で出来ているというこだわりっぷり!
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テントからは、抗議活動の様子を連日Ustream中継していました。「OnenessTV」というアカウントで配信される大飯原発再稼動反対活動の様子は、7月1日の再稼動日に、原子力発電所へ続く道を封鎖した抗議活動の様子をつぶさに報道するなど、ご覧になった方も多いと思います。
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この日のテントには、東京、北海道、山口など、さまざまな人が集まっていました。地域の経済が原発に依存しすぎてきた地元・大飯町では、原発反対の声を地元民が上げるのは、かなり勇気の要ることだそうです。夕方、薄暗くなってから、犬の散歩でテントに立ち寄り、「本当は原発なんて、ない方がいいんだけどねぇ」とつぶやいていく地元の女性もいたと話していました。

でも、「地元の人も活動に参加しているのですか?」と質問した私に、まゆみSUNは「地元、外と分けて考えるほうが、そもそもはおかしい。原発は事故が起きたら、地元も何も関係ない。自分は”外”の人だとは思っていない。自分のこととしてここに駆けつけている」と言っていました。

6月30日には大飯町で1万人集会を開きたいといっていて、そのチラシをくれました。人口約9000人の大飯町で、1万人の集会を開く。地元・大飯だけでなく、全国から人が集まってほしい。政府の暴走を本気で止めないと、と。
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まゆみSUNと。
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ここにテントを張って抗議活動をしていることに対し、ここの施設の職員はこれまでに3回注意しに来たそうです。「キャンプ禁止」の看板も最近たてられました。(看板はお古のものみたいです)
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さらには、抗議活動のキャンプが始まって以降、それまで自由に使えた水道の蛇口が取られ、しっかりと固められ、使えないようになってしまったとのこと!!
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お話を聞きながら、抗議活動に対する嫌がらせが、ブライアンたちに対するものと全く一緒だなぁと思いました。ブライアンたちの場合は、パーラメント・スクエアにわたる横断歩道を塗りつぶして無くしてしまい、横断しにくくさせたり、付近の地下鉄のトイレの閉鎖時間を夕方4時ごろに早めるなどの嫌がらせが行われました。原発への国民の不信が高まる中で、経産省の反原発テントと同じですが、表立っての強制排除がしにくいので、こういういやらしい(でも日常生活を不便にさせる)方法を使うんでしょうね。

こういう無意味なオブジェこそ、よっぽど撤去すべきだと思うんですが・・・!
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お昼をどこかに食べに行こうかと思いましたが、ここではカンパ制でまゆみSUNのご飯を食べられるということでしたので、こちらで頂くことにしました! まゆみSUNのご飯ライブ、ビデオでも撮らせてもらいました!

まゆみSUNのキッチンのあるテントへ移動。まゆみSUNのメニューは全てベジタリアンです。
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こだわりの調味料。世界各地の珍しい塩も充実。
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麻の実やそばの実なども
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青空の下でのクッキング! この写真、私のお気に入りの1枚です。再稼動反対という緊迫した状況の中で、この平和な時間は奇跡的な瞬間だったと思うから・・・
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全粒粉のパスタとズッキーニ、トマト、唐辛子、にんにくなど。ちなみに、まゆみSUNは作り始めるまで何を作るかは決めず、その場でぱっと思い浮かんだものを作るのだそうです。まさにライブ・ペインティングのようです!
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食材も大事だけれど、屋外の調理では水も大事で、いかに水を捨てないかという調理の工夫が生まれてくるそうです。全粒粉のパスタは長時間ゆでても煮崩れないので、お勧めなのだとか。なるほど。。。
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色んなものがカンパで届きます。野菜、調味料、梅干(瓶ごと!)、調味料、タオルなど。
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最後の仕上げをするまゆみSUN。味付けは塩麴とオリーブオイル。
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出来上がり!! 言うまでもなく、美味しかったです!!! 付け合せは、お豆腐を洋風にアレンジしたサラダで、オリーブオイル、塩(真っ黒な溶岩のような塩でした!)、かんきつ類の絞り汁で味付けされていました。
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まゆみSUNのご飯を頂いたあと、2時ごろにテント村を離れ、大飯原発のすぐ近くにある原子力発電PR館・エルパークおおいに向かいました。大飯原発に向かう道は、陸上からはこの1本の橋(青戸の大橋)のみ。大地震でこの橋が倒壊すれば、陸路から原発にアクセスできなくなってしまいます。免震棟もなく、十分な高さの防波堤もなく・・・つくづく、福島原発の大惨事の後で、日本で最初に再稼動する原発としては、いくらなんでもお粗末過ぎると思いました。これでも無理やり再稼動すると言うんだものなぁ・・・。狂気の沙汰としか言いようがないです。
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橋を渡り、更に1本道を走ります。ここも、かなり急な斜面ばかりで、地震その他の自然災害で、がけが崩れ、道路がふさがれてしまうこともあるでしょう。
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原発PR館が見えてきたところで、大きなゲートがあり、進入する車は全て係員の人たちに止められ、どこに向かうのかと聞かれました。原発PR館を越えた先に原発があるので、ここで入ってくる人たちのチェックをするのでしょう。

私は係員が近寄ってくるのとほぼ同時に、首から提げ、撮影していたビデオカメラをとっさにかばんの中に隠しました。

「どこに行くんですか?」ー神経質そうに聞く係員。
「PR館です」ー普通に答える大久保さん。

やり取りはそれだけでした。無事ゲートを通過すると、大久保さんに「なんでカメラ隠しちゃったの? このやり取りを撮らなきゃ~」と言われました。

条件反射的にカメラをかばんにしまった私。もちろん、隠す必要はないのですが、こういうとき、私はまずカメラを隠してしまうタイプです。ここでカメラを奪われたくない、ここはすっと通過して中を撮りたい、そういう気持ちからです。

全国的に注目を集める今の状況では、ガードマンもとても神経質で、もしかしてカメラを取り上げられてしまうことだって、ないとは言い切れません。原発ではないけれど、今までこういう状況の時に、最初にカメラの存在を気づかれてしまったために警戒されるという経験は、何度かありました。

ここまでを撮って、カメラを奪われるか(もしくは、以降不必要に警戒される)、ここではカメラを隠し、中を撮るか(途中で止められても、「知りませんでした」でやり過ごす。途中までは撮れる)・・・その判断は難しいです。だって今、本当にどうでもいいことでさえ「撮らせない」が増えていますもの。だから、カメラを最初に見せたり、撮影の許可を取ろうとしないで、撮り始めてしまうほうが得策だったりします。(それをその後どう使うかは慎重にしなければなりませんが)(←もちろん、こんなことは一般人に対してはしませんが!)

とはいえ、そもそも何で職務質問みたいにガードマンが車を止めさせてチェックをするのか、やり取りを執拗にカメラに収めると権限も無いのに「撮影はやめろ」的なことを言うのか、そういうナンセンスこそ、抗議も込めて撮る必要があります。

私の場合、確信犯的に”撮る”と覚悟を決めて挑むとき以外は、とっさにはカメラを守る・隠すほうに行動してしまうんですよね。。。まだまだ弱いなぁと反省です。寺澤さんとかにダメだしされそうbearing。意識的に自分の行動やとっさの判断を変えて行かなければ、と思います。

ゲートをくぐり、PR館に到着しました。
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内部の様子
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平成4年にオープンしたそうです。
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内容は大体想像していたような内容で、原発PRのトンデモ度に関しては、このPR館よりも、後で立ち寄った「未来体感ミュージアム・エルガイアおおい」の方がすごかったです。
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大きな施設の中で、来場者は5~6人ほど。見た目(?)「原発反対」みたいな人たちばかりでしたcoldsweats01
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PR館の係員による大飯原発の仕組み、内部、安全性に対する説明。もちろん質問(や苦情)は受け付けず。説明によると、「2001年のアメリカ同時多発テロ以降、安全に配慮して原発内の見学は出来ないようになった。それまでは燃料プールのそばまで行くことができた」とのこと。
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原子炉の3分の1サイズの模型
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PR館ではアンケートに答えると粗品がもらえました。私は答えるのを忘れてしまったのですが、遠藤さんは「原発再稼動反対」と書いたら、ウェットティッシュがもらえ、私にくれましたhappy01(ちなみに家に帰ったら、姉に奪われました・・・!)
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そのほか、この日の「原発マネー施設巡り」では、様々な資料をもらいました。すべて”原発万歳”の視点で書かれているとは思いますが、専門用語などを理解するのには役立つかもしれません。
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「原子力コンセンサス2012」の発行元は、あの悪名高い「電気事業連合会」・・・
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大飯原子力発電所の案内
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「大地震にも万全の対策。」と言い切っています・・・!
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「越前若狭のふれあい」(関西電力の地域交流誌)
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「東日本大震災にかかる関西電力原子力発電所の対応」
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PR館の見学を終え、車に乗り、今度は「うみんぴあ大飯」へやってきました。下の写真にあるように、ホテル、温泉施設、こども家族館、「未来体感ミュージアム・エルガイアおおい」など、大きな施設が沢山建てられた海沿いのエリアです。
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ホテルうみんぴあ
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まだ何か建てるみたいです。施設はどこもガラガラなのに。自然を残したほうがよっぽどこの地域の観光資源になるのになぁ・・・
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反原発のテント村の方々から、原発へは陸からは行けないけれど(PR館までで止められてしまい、そこから先へは進めないため)、「うみんぴあ大飯」の成海桟橋から出ている観光船「青戸クルージング」に乗れば、海から原発がバッチリ見えると聞き、クルージング船に乗るためにやってきたのでした。

同じくテント村を訪ねてきていた人たちと待ち合わせをして、団体割引で一人600円でチケットを買いました。約50分のクルーズだそうです。

青戸クルージングのコース(赤い線がコースです)
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出発までしばし待ちます。
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クルーズ船
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クルーズ船内。私はビデオカメラをセットして、張り切って後方のデッキでスタンバイします!
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出発すると、その船は外見からは想像できないような高速で、ものすごい速さで走行するのでした! しっかりと手すりにつかまっていないと、振り落とされてしまいそうな勢いです。原発前を全速力で駆け抜けるためなのか?? 優雅なクルーズ観光を想像していた私たちは、いろいろと勘ぐってしまいました。それぐらい、尋常でない速さなのです。

赤い橋が原子力発電所に向かう青戸の大橋です。
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北海道や広島から、再稼動反対のために大飯へやってきた人たち。クルーズ船の乗客(PR館の来場客も)、反原発の人たちばかりです。ある意味、私たちは地元経済に貢献していると言えるのではないでしょうか!! そりゃあ、原発があることでの公共事業や原発労働でもたらされるお金には及びませんが、健全な形で地元経済に貢献していると思う!
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遠藤さんと大久保さん
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全速力の航海では、ビデオカメラの撮影は困難を極めました。右手で手すりにしっかりとつかまり、左手にはビデオカメラ。振り落とされないこと、そして水しぶきからカメラを守ること。船のゆれに自分の体を慣らせ、なるべくぶれないように撮影するのはとても難しかったです。そういえば、船の上から撮影するのは初めてでした。例えば、祝島の原発反対運動で、漁師さんの船に乗って撮影をするドキュメンタリー制作者たちは、かなり大変だったのでは?と想像しました。

下の写真で、山の中に、ピンポン玉の上半分だけ見えているような部分があります。そこが、先ほど訪問した原発PR館です。そこからさらに、向かって右奥側に行けば原発なのですが、ここからは見えません。
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ちなみにPR館(エルパークおおい)と原子力発電所の位置関係はこちらの地図でよく分かります。
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参考までに近隣の府県も含めた若狭湾一体の地図
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このクルーズ船は、原発の近くまで行くというけれど、いったいどの程度まで近くを通るのでしょう? 大飯原発が全国的に注目されてしまった今は、コース変更をして原発の近くまでは近寄らせないかもしれません。原発の近くを通っても、さらに全速力で駆け抜けるということだって、ありえます。。。

もうすぐ見えてくるであろう原発は、一体どの程度見えるのか・・・。期待と不安の入り混じった気持ちで、その瞬間を待ちました。

PR館の前を過ぎ、ほんのしばらくしたら、なんと目の前に大飯原子力発電所が見えてきたではありませんか!!!!
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しかも、段々と近づき、なんと運転手はそれまで全速力で走らせていたボートを徐行運転に変えたのです!!! この運転手、よく分かってる!!! ありがとう、運転手さん!!
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この運転手さんの粋な計らい(?)のおかげで、私たちは思う存分写真を撮ったり、ビデオを撮ったりすることができました!! 

それにしても、大飯原子力発電所は、新聞やテレビの報道では上空からの写真が多いですが、海から見ると、如何に海面近くに建てられているのかということが、よく分かります。これで”安全”って太鼓判を押されても・・・

正確にはわかりませんが、1~2分は原発の前で徐行運転をしていたと思います。私が夢中で写真を撮っていたら、他の人たちが「見て、見て!」と別の方角で盛り上がっています。

なんと、イルカがジャンプしているのでした!!

一行は、一瞬原発を忘れ、イルカに心を奪われてしまいましたcoldsweats01 もしかして、原発に関心を向けさせないため、関電が放ったイルカ??と思ってしまうほど、イルカ登場のインパクトは大きかったですhappy02

やがてクルーズ船は原発の前を離れ、また元の超高速で再び走り出しました。
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私も含め、皆さん期待していた以上の内容に、満足したようでした。もしかしてこのクルーズは、そのうち無くなるか、原発の近くはコースからはずされてしまうかもしれませんが、このクルーズはお勧めです! あの距離からの原子力発電所はかなりの迫力です。乗船料は700円(団体600円)。大飯まで行く人は是非!
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約50分間のクルーズを終え、元の桟橋に戻ります。駐車場に戻る途中、「未来体感ミュージアム・エルガイアおおい」に立ち寄りました。子どもの頃に行った「つくば万博」のパビリオンを髣髴とさせるような建物です。
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パンフレット「エネルギーの未来と地球の未来について様々なアトラクションを通じて楽しく学び、考え、発見できるPR館です」と書かれていますが、展示を見ても未来型のエネルギーとして、原発以外の選択肢は無いようでした。
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漫画家・松本零士プロデュースのキャラクターがお出迎え。
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このPR館では、特に子どもに向けた原子力PRに力を入れているのですが、ビックリなのはその内容。

「原子力発電に出会った白クマ」
紙芝居風に、ストーリーが展開されて行きます。
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CO2は息をするだけでも出ちゃう
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でも原子力発電ならCO2が出ない
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原子力の必要性がいまだにこんな風に語られるなんて、ちょっと唖然としました。人間の息だけなら、福島の人たちは避難したり、除染する必要は無かったではないですか!

原子力は得体が知れない? 何が心配なの?
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放射能が出るんでしょ? ペンギン君はまだ信じない。(安全神話をってことかしら)
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放射能なんて、身近な場所にいっぱいあるんだよ
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だって地震が来たら危ないでしょ?
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大丈夫! 地震にも十分な備えをしているんだよ。
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※「最大級の地震に対しても安全機能が損なわれることのないように設計しています」と書かれています。福島の事故後でも、こんな記述のままで良いのでしょうか??

ママ、ぼくたくさんお勉強したよ!
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ハッピーエンドで物語は終わるのでした。。。な、なんなんだ、この話は・・・!

関西電力の海外での活動PR。CO2を減らす取り組み。
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「福島第一原子力発電所事故を踏まえた当社の 安全性向上対策の実施状況について」。ハード面、ソフト面にわかれて掲示されていました。(このブログ内の写真はクリックすれば全て拡大しますので、興味のある方は読んでみてください)
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PR館内部に、原子力運転サポートセンターがありました。ここでは、さまざまな運転状況を再現できるシミュレーターで、原発運転員の訓練をするのだそうです。
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本日の訓練状況
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サポートセンターの様子(ちなみに内部からはこちら側(見学者側)の様子は見えないような、特殊ガラスになっています)
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PR館の中には立派なシアター設備もあります。上映されているのは、特殊な映像ばかりですがcoldsweats01
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見学を終え、「のらねこ軒」へ戻ります。道中、今晩の夕食は何にしようかという話になり、このあたりの地域の名物である「トンちゃん焼き」にすることになりました。鶏肉を味噌ダレにつけたものなのだそうです。いわゆるご当地グルメ。

トンちゃん焼き用の鶏肉が購入できるという地元の人気店へ。民家の1階らしき狭い店舗ですが、私たちの前にお客さんが数組いました。
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店内の様子
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鶏肉は、親鳥、若鶏を指定します。若鶏の方が肉が柔らかいですが、トンちゃん焼きの”通”は親鳥で食すのだそうで、親鳥を購入。
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道の駅にも立ち寄りました。高島市が中江藤樹の生誕の地であることにちなんで、「藤樹の里あどがわ」という道の駅でした。
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ここでも「トンちゃん」がアピールされていますcatface
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私はここで、このあたりの名物だという大豆と小エビの煮つけ、こんにゃく豆腐、鯖寿司を買ってみました。

「のらねこ軒」に戻りました。実は遠藤さんは車の後ろに再稼動反対のプラカードを載せていたそうで、見せてもらいました。

「のらねこ軒」前で再稼動反対アピール!
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楽しみな夜ご飯の時間! ホットプレートでトンちゃん焼き。
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トンちゃん焼きの親鳥。若鶏に比べ、かなり歯ごたえがあります。普段スーパーで普通に売られているのは「若鶏」だったんだ、と初めて知りました。ご飯が何杯でも食べれてしまうような味です!
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私はナスやピーマンを丸ごと焼くのは初めてでした。どうなるのかな・・・?と思っていたら、表面がこげ、中はトロトロの状態! 美味しかったです。(ただし、ざく切りにした場合に比べ、焼き上がりまでに時間がかかります)
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ナスの中はこんな感じになります。
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鯖寿司も美味しかった!
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バーベキューの場合、焼くそばから食べて行きますので、全体としてどのくらい食べたのかあまり意識をしませんが、この日は相当食べたはずです!!

今日はかなりハードな一日だったため、明日に何をするかは、朝起きて考えようということになりました。すごく疲れが出るかもしれないし、天気も悪いかもしれません。朝起きて決めるのが良い、と。

この日も11時ごろに寝ました。いよいよ明日は、今回の旅の最終日です!

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[jp] 大阪劇場公開(5日目:6月27日)

大阪での劇場公開を振り返るこのブログ、最初深く考えずに「大阪劇場公開(○日目:6月XX日)」という形式で始めてしまったのですが、よく考えたら、後半は大阪を離れ、劇場公開とは関係ないことばかりが占めるのです。どうしたものか・・・と思いましたが、統一させるべく最後まで「大阪劇場公開・・・」で行きたいと思いますので、よろしくお付き合い願います。

さて、前日までに劇場での舞台挨拶を終えました。この日は夕方には大阪を出て、滋賀に向かうことになっていました。朝9時ちょっと前に起きたとき、まだかなり眠く、段々と日々の疲れが蓄積されてきているのが、実感できました。

荷造りをして、10時にチェックアウト。次の予定は12時半でしたが、その前に私は釜ヶ崎で立ち寄りたい場所がありました。荷物をホテルに預かってもらい、一人で「あいりん労働福祉センター」へ向かって歩きます。

動物園前駅周辺は、元ドヤを改装したバックパッカー宿ばかりですが、労働福祉センターに近づくにつれ、生活保護受給者を対象とした簡易宿泊所や福祉アパートのような物件が増えて行き、生活保護者歓迎と書かれた看板などが目に付くようになります。
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街中にコインロッカーが沢山あったり、コインロッカーにも短期貸し、長期貸しなどがあったりするのが、釜ヶ崎ならではだと思いました。
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安い大衆食堂や質屋、建設作業員の衣服を売る店など、需要に合わせたお店が立ち並びます。「あいりん労働福祉センター」の前を通り、道路を渡りました。

「あいりん労働福祉センター」(道路の向かい側から撮影したもの)
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四井さんの話では、労働福祉センターの真向かいに「釜ヶ崎資料センター」があるとのことでした。雑居ビルを覗くと、「釜ヶ崎資料センター」とガラス戸に書かれており、中に人が座っているのが見えました。

ノックしてドアを開け、自己紹介をしました。「ドキュメンタリー監督で、大阪に旅行で来て、四井さんから釜ヶ崎の話を聞き、「夜間学校」を今でも発行し続けている人がいると聞いて、話を聞きたいと思ってやってきました。」というのが、おおよその自己紹介の内容です。

私の訪問理由を聞き、センターの松繁逸夫さんは、困惑した表情で「釜ヶ崎の話って言っても、具体的にどんなことを知りたいの?」と言いました。

どんなことって言われても、私だって漠然としているんだし・・・

やはり、あまりにも不勉強で来てしまった自分を反省しました。せめて自分の頭を整理してから来るべきだったと。「行きたい」だけでくるので、こうなってしまうわけです。

ただ「話を聞いてみたい、会って見たい」で、ここまで訪ねてきてしまったのですが、なんとなく世間話をするうちに、結局は、松繁さん自身についてのお話を中心に、高度経済成長のころの釜ヶ崎から、現在の橋下市長「西成特区構想」のお話まで、気がついたら2時間近くお話を聞いていたのです!

松繁さんは、20代の後半から釜ヶ崎に出入りするようになり、約20年間釜ヶ崎で日雇いとして働いてきたそうです。主に鉄筋工として、ビルや学校などの建設にかかわりました。釜ヶ崎で日雇いをやったり、時々はサラリーマンとして会社に就職したり・・・

・・・日雇いと会社員を往復するような人なんているの???

私は驚いたのですが、実際はそういう人もかなり多かったのだそうです。もちろん、流れ着いて、頼る人もなく、路上生活をしながら日雇いの暮らしをする労働者も多数いましたが、松繁さんのように、ドヤ住まいではなく、妻子と共に釜ヶ崎近くの文化住宅で暮らし、日雇いの給料で家計を支え、時には会社員として働く時期もあるというような人も、珍しくなかったのだそうです。中には、労働運動をするために釜ヶ崎に入り込んで、日雇いで働きながら、労働運動をしていた活動家もかなりいたそうです。

松繁さんが日雇いの仕事を好んでしていた理由は、「自由さがある」ということでした。生活は勿論不安定になりますが、週の半分は働いて、週の半分は図書館にいったり、勉強をしたり、労働運動をしたり、自分の時間として使っていたそうです。「アリとキリギリスみたいなもんだよな」と言って笑っていました。

「夜間学校」新聞の発行は、80年代の初め頃から週1で発行し(約500部を配布)、現在でも発行を続けています。新聞の発行だけでなく、当時は実際に市民会館で勉強会(夜間学校)も開催していたそうです。

現在は、元日雇い労働者たちの憩いの場のようになっている「あいりん労働福祉センター」ですが、全盛期(80年代ごろ)は、毎日2万人が仕事を求めて集まったそうです。90年代の終わりごろには2000人ぐらいまで減り、現在では200人程度と、かつての100分の1まで縮小しています。

「あいりん労働福祉センター」の建替えや移転は、問題もありますが、このような状況の変化(かつての100分の1までの縮小)を考えれば、どんな形にせよ変えていかなければならないと、やむをえないとも感じているそうです。この、かつての大きな器をどうするのか、高齢化した元日雇い労働者(ほとんどが単身・身寄りなし)をどうするのか、彼らの介護の問題、それは最後まで関わっていく必要があるとも話していました。

「あいりん労働福祉センター」の今後がどうなるかは、はっきりと決まっていないそうですが、もしかして周辺の土地の動き次第で状況が動いていくかもしれない、と考えているそうです。現在、釜ヶ崎では人口が段々減っているので、簡易宿泊所自体の経営も難しくなり、取り壊してコインパーキングとなっている場所も多いのです。(空き地にしておくと税金が高いので駐車場にしているそうです)。今後、釜ヶ崎が都市開発されることを期待して、土地だけ所有しつづける地主もいるとか。これらの更地に動きが出次第、労働福祉センターをどうするか、その議論が本格化していくのでは?と言っていました。

先日のブログにも書きましたが、橋下市長は「西成特区構想」を掲げ、府外から西成区に居住する人には税金の優遇措置などを検討しています。ですが、税金優遇につられて若い人が移り住めば良い、新しい人たちが入り”釜ヶ崎”色が薄まれば良い、というものでもありません。結核の罹患率が全国平均の50倍というこの地域に、大阪市は結核対策として1億円の対策費を出すことを決定したそうですが、それ以外にも対処しなければならない問題に対しては、そこまでのお金を投入するつもりは無いだろうと言っていました。

松繁さんは”目先のこと”や”あぶく銭”に捉われないで、この街の将来を考えていかなければならないと言います。特に、釜ヶ崎で商売をしている人たちは、目先の利益に捉われがちで、日雇い労働者が少なくなった・高齢化したとなると、外国人バックパッカー向け、生活保護受給者向けの商売に鞍替えします。税金を安くすれば若い世代が入ってくるだろうという計算も、似たようなものです。駅前で、元日雇いの労働者と何も知らないでやってくる外国人バックパッカーたちが、お互いの存在など見えないかのように行き交う姿は、確かに”街”と呼べるようなものではありません。。。

松繁さんは、80年代のころ既に「将来、日本はオールニッポン釜ヶ崎になる」と言っていたそうです。釜ヶ崎で仕事を求める労働者の数は激減しても、世の中を見渡してみれば、使い捨ての労働はますます増えていく傾向にあります。釜ヶ崎のように、1箇所に労働者を集め、手配師が・・・というスタイルがなくなりつつあるだけで、携帯電話やネットで、日々使い捨ての労働力の需要は増すばかりです。

「釜ヶ崎の歴史やここでの取り組みは、将来の日本に、必ず役に立つ。」

その思いで、発行当初からの「夜間学校」ニュースを保管し、釜ヶ崎に関する資料などを数十年かけて集めてきました。保管場所を確保するだけでも、相当大変だったそうです。仲間とアパートを借りたり、大学の先生の研究室に置かせてもらったり。現在のこの事務所は、とあるNPO法人の事務所なのだそうです。

これから大きく姿を変えてしまうかもしれない釜ヶ崎。

でも、大阪府や大阪市には、釜ヶ崎の歴史を保存する資料館を作る気なんてまったくないだろうと言っていました。大阪人権センターさえも閉館になったのだから、今はそういうものをなくそう、痕跡を残さないようにしようという方向なのかも、とも。

そして、行政だけでなく、市民の側も、最近は歴史をきっちり学ぼうとか、そういう傾向はないように見えると話していました。釜ヶ崎資料センターをオープンしたいと思って、資料を収集・保管してきたが、膨大なアーカイブを設けても、どれだけの人が見て、活用してくれるのかという疑問も持っているそうです。どうしたものか・・・と困っているようでした。

ちなみに松繁さんのホームページはこちらです。このホームページやリンクをたどっていくだけでも、かなりの資料や歴史を見ることができます。

釜ヶ崎資料センターの様子
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松繁逸夫さん
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「夜間学校」ニュース
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興味深い記事が沢山! また、漢字には読み仮名がつけられています。
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仲間の死を伝える記事。氏名が分からない場合が多いので、服装や体格、所持金などが記されています。ほとんどの号で、このような死亡者のお知らせ記事が掲載されていました。
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釜ヶ崎、野宿者、日雇い労働、原発労働、貧困、ドヤ、都市問題など、沢山の書籍も。
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かなりの不勉強でしたが(汗)、松繁さんに色々なお話を聞くことが出来て良かったです。どうもありがとうございました!

お昼ごろになり、釜ヶ崎資料センターを出て、ホテル太洋で荷物を受け取り、地下鉄に乗って中崎町へ向かいます。ソウルの女性映画祭で映画を見た韓国人から、インタビューをしたいとちょっと前から言われていたのですが、メールで連絡を取り合っていたとき、偶然同じ時期に大阪に行くことが分かり、では大阪で会ってインタビューを!ということになったのでした。

その人は写真を撮るのが好きで、大阪では「下町」風情の残る場所に行って見たいと言われ、私も大阪に不案内だったのですが、友達に中崎町を教えてもらい、そこで待ち合わせをすることにしたのでした。

古い建物を、レトロさを残しながら喫茶店や雑貨店など、おしゃれなお店としてオープンする人たちが多いと聞きましたが、その通りなようです。
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中崎町で待ち合わせし、カフェでお昼ご飯を食べ、それからインタビューを行うことになっていました。

ヨンゴルと彼の奥さん
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ヨンゴルはフェミニズムに関心があり、ソウル女性映画祭に通って様々な映画を観たそうです。偶然私の映画を知り、タイトルに興味を持って映画も観てくれました。ですが、映画祭会場の質疑応答では、恥ずかしくて手を挙げられなかったそうで、映画祭後にツイッターで連絡をもらい、メールで映画に関する質問をもらいました。

韓国から持ってきたお土産をいただきました。MediACTのDVD、「あんにょん」のDVD、そしてヨンゴルの記事が掲載された英語の雑誌。雑誌では、ソウルで行われた「SlutWalk」デモのことを書いたそうです。(世界各地で行われているSlutWalkについて、個人のブログで簡単に紹介されています)
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ヨンゴルは、専業のライターではなく、普段は保険会社に勤務しながら、趣味で写真や取材、インタビューなどをしているそうです。日本語は読み書きはかなり出来ますが、話すのと聞くのは苦手。というのも、好きなカメラを勉強するために、日本のカメラ雑誌「アサヒカメラ」や「日本カメラ」などの雑誌を読むことで、日本語の読み書きを理解するようになったというのです! オール日本語のメールももらったことがあるのですが、多少の間違いはあるものの、かなり日本人に近い文章で驚きました。(ちなみに、日本のアニメが好きな外国人の多くは、聞いたり話したりするのは得意でも、読み書きは苦手という人もいますよね。どんな文化が好きかで、言葉の習得も変わってくるのですね)

お店は、中崎町のカフェ「AManTo」というお店でした。古い日本家屋の内装をそのまま活かしたつくりになっていました。
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さて、お昼ご飯を食べ終わり、いよいよインタビューです。iPadに沢山の質問を入れて持ってきていました。なんと、15個も質問があるんですって!
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ドキュメンタリー映画を始める前のこと、Petite Adventure Filmsの名前と活動について、日本の住宅事情、現在の経済状況、被写体との関係性、映画の最後にこめたメッセージ、映画には自分の主張はどのくらい反映させているのか、映画の制作費用、生活コスト、イギリスでジャーナリズムを勉強した理由、会社員を辞めることに不安はなかったのか、今後作る作品は・・・etc。約2時間で、主な質問は大体こんな感じでした。

ヨンゴルは、このインタビューを録音し、それを韓国に戻ったら書き起こし、さらに追加で質問があればメールする、と言っていました。なんだか、とても熱心でうれしいです。

ちなみに、彼は先月、ソウルで「さようならUR」の上映会を開いてくれ、それには約10人ほどが参加したそうです。なんと、上映後には映画について2時間も参加者で語り合ったんですって! 73分の映画に対して、2時間も一体何を話したのかと聞いたら、「こんな問題が起きているのに、なぜ支援の輪が全国に広がらないのか? 韓国だったら、すぐに大規模なデモになる」という意見が多く出たそうです。

それに対し、この日はヨンゴルの日本人の友人2人も参加していたので、彼らの意見を聞くと、「韓国にあって、日本にはないもの。それは”連帯”だ」と答えたそうです。(う~~~ん、的確!)そうそう、あらゆる社会問題に対して、大小さまざまな団体はあれど、思想や意見・運動方針の小さな違い&主導権争いに固執して、団結するのが難しいんですよねぇ・・・。

また、上映では「早川由美子は日本でどのくらい有名なのか?」という質問も出たそうです。それに対し、その日本人は「日本の左寄りの運動をしている人たちの中で、少し知られている」って答えたんですって! それも的確だわ・・・coldsweats01

さらに、私の映画の撮影方法に関しての意見も多く出たそうです。スミマセン、批判を承知で書くと(だって、私の発言じゃなくて、ヨンゴルが実際に言っていたのですもの)、「彼女の撮影は、小津安二郎を髣髴とさせる。引きで固定したショットや、バストショット。それが、最後の理事長取材で、カメラが突然揺れ始める。その対比がいい」って言っていたんですって!!

まぁ、それに関しては、一人で撮影とインタビューをこなすために、三脚にカメラを固定するしかなかった、カメラで被写体をきちんと追えないので、ある程度引きに設定するしかなかった、と説明しておきましたが・・・coldsweats01

制作者不在の上映後トークは、本人が思いもよらぬ方向に話が進んで、面白いですね。

インタビューの後で
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お店の外で
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ヨンゴルたちと別れ、中崎町駅から、今度は滋賀県に向かうために電車に乗りました。というのも、今回3年ぶりに大阪に行くと決まったときに、私は滋賀県にある「のらねこ軒」に立ち寄りたいとまず思ったからです。

3年前、京都大学の学園祭で「国際座り込み映画祭」が開催され、そこで「ブライアンと仲間たち」を上映してもらい、京都大学の非正規職員の雇い止めに反対する「ユニオン・エクスタシー」の小川さん・井上さん、そして立命館大学で非正規職員の雇い止めに反対した遠藤さんとともにトークをさせてもらいました。

それがきっかけで遠藤さんと知り合い、その後も何度か連絡を取り、半年前には、滋賀でのらねこ軒をオープンしたというお知らせを頂いていたのでした。約400坪という広大な土地、もと会社の保養所という大きな家、庭で野菜の栽培、味噌や納豆などの手作り、マキストーブ、太陽光発電、ほとんどDIYで家の中を改造していく様子などがブログに綴られ、東京のワンルームアパートに居候する私は、羨望のまなざしでそのブログを時々読んでいたのです。

大阪に行くなら、その後京都経由で滋賀の「のらねこ軒」に立ち寄りたい! そう思って、大阪公開が決まった後、まず連絡を取ったのが遠藤さんなのでしたhappy01

大阪から京都へ、さらに湖西線で「比良」駅へ。電車の中はがらんとしています。
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途中から海のような景色が広がって、(これは日本海?)と思っていたら、これがあの琵琶湖なのですねcoldsweats01! それにしてもでかい!

比良駅到着
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遠くに見えるのが琵琶湖
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「ようこそ」と看板が迎えてくれましたが、駅は無人駅でした。
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駅に遠藤さんが迎えに来てくれました。こちらに住むようになって、自動車免許を取得したそうです。

「のらねこ軒」に向かう道のり。夜は真っ暗になりそうですね。数時間前までの釜ヶ崎の喧騒とはまるで別世界です。
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のらねこ軒到着!
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看板がかわいい!
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到着して、まず「のらねこ軒」の中を見せてもらうことに。

30畳近くはありそうな居間。卓球台やピアノもあります。この部屋だけで30人ぐらいは寝泊りできそうです。
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マキストーブ
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台所では、パートナーの大久保さんが夕食の準備をしているところでした。
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庭で取れた「ズッキーニ」の花。今日はこれも天ぷらにするそうです! どんな味なのか楽しみ!!
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元保養所だけあって、お風呂場がふたつありました。
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普段2人で生活するには大きすぎる浴槽なので、浴槽の中に小さめな浴槽を入れて使っているそうです。今流行のバッグインバッグみたいな感じですね。
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2階の部屋も見せてもらいました。きちんと数えてはないけれど、多分6~8室ぐらいはあるのでは?と思います。
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2階からみた庭の様子
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数ヶ月前に保健所から引き取った犬の「わらび」も、庭を駆け回っていました。これだけ庭が広ければ散歩は不要と思ったのですが、散歩は散歩ですごく行きたがるのだそうです。
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庭で、植えている野菜、果樹などを見せてもらいました。畑を本格的にやるのは初めてで、試行錯誤しながらあれこれ試しているそうです。ミニトマト、かぼちゃ、きゅうり、ねぎ、アスパラ、オクラ、グリーンピース、梅の木などなど、あらゆるものが植えられています!
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こちらがズッキーニ
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後は赤く色づくのを待つだけのトマト。しかし、このあたりは猿がやってきて、ちょうど食べごろのものを食べてしまうこともあるので、油断は出来ません・・・!
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レモンの木
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「のらねこ軒」。それにしても大きいなぁ。このあたりは、かつては観光地として賑わい、景気が良い頃に建てられた保養所がいくつも建っているそうです。その後保養所は手放され、売り家・売り地として出され、遠藤さんたちのように外からの人が移り住んでいるのだそう。古くからの地元の人たちは湖の周りに住んでいるので、古いムラ社会的なものはこのエリアにはなく、町内会すらないのだそうです。ちなみにスーパーは車で10分ぐらい。普段は生協の宅配で食料品を頼んでいるそうです。
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バーベキュー用のテーブルも
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サボテン類
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わらびの写真。とても怖がりで、なかなか近寄ってくれません。
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ちなみに、「のらねこ軒」には、飼い猫の「みう」もいます。「わらび」と「みう」の動画をYouTubeにアップしました! 見てください^^

玄関には庭で収穫したにんにくが吊るしてあります!
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大久保さんが用意してくれた夕食は、魚とズッキーニの花の天ぷら、きんぴらごぼう、サラダ、味噌汁、圧力鍋で炊いた玄米ごはんと、とてもヘルシーで美味しかったです! しかも、庭で取れた野菜が使われているなんて、すごい贅沢!!
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食卓に並んでいる保存ビン。アンチョビ、豆板醤(コチュジャンだったかも)まで手作りしています!
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庭で採れたカモミールはお茶に。
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どくだみやヨモギなども、乾燥させてお茶にします。
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夕食をいただきながら、ここでの生活について聞きました。私と同年代のお二人ですが、2人とも「ほぼ無職」という状態です。「のらねこ軒」に越して来るまでは、2人ともフルタイムの仕事をして、それなりに稼いでいたそうです。でも、普通に暮らしていると、そんなにお金は使わないし、貯金ばかりが増えていっても・・・と思い、思い切って田舎暮らしをすることに決めたのだそう。

「無職」というのは、普通ならまず「収入はどうするんだ、生活していくにはたとえ田舎でもお金がかかるではないか」と思うのですが、遠藤さんは「年収1~2千万クラスなら別だけど、年収2~3百万のワーキングプアが一番搾取されていると思う」と言っていました。フルタイムで働けば、年金、健康保険、所得税、住民税etc、それなりに差し引かれていきます。しかし、「無職」の場合、かなり免除になるものも多いのです。収入も入ってこないけれど、支出もかなり抑えることができ、何しろものすごく沢山の時間が手に入ります。ここから京都や大阪に通勤することは可能で(1時間程度)、実際そうしている人も多いけれど、週1回だけ働くことにして、あとは庭の手入れとかをしている、無職ってすごくいいなと実感する日々なのだといいます・・・

私も5年近く無職なんですがcoldsweats01、無職にはこんなポジティブな側面があり、私もそれらの恩恵を受けてきたのだとは考えずに、ここまで生きてきましたhappy02

年収2~3百万のワーキングプアが一番割に合わないというのは、私も深く同感です! 実際には、一番しんどい労働を担わされる人たちなのに・・・

「のらねこ軒」は元は会社の保養所だったため、2階に寝室が沢山あります。時々、友達のグループが泊まりに来たり、私のような人が泊まったり、赤ちゃんがいてなかなか旅行に行けないお母さんたちが子連れで女子会をしたり、夏休みには福島の子どもたちが来たりもするそうです。リピーターも多いとか。私も関西に行くときは、また立ち寄らせてほしいです!

私はのらねこ軒に2泊3日させてもらうことになっていたのですが、明日は何をしようかという話になりました。天気がよければ琵琶湖で泳げるし、山(比良山)で登山も出来ると事前に聞いていました。私は琵琶湖を日本海と思ったほどですから、このあたりの知識は皆無。なにかお勧めがあれば、それをしたいと思いました。

大久保さんが、実はここは大飯原発に近くて、車で1時間半ぐらいで行けると言いました。再稼動をめぐる議論で、一躍脚光を浴びた大飯原発。7月1日から再稼動を始めると首相が宣言した直後で、ぜひ私も現地に行って見たいと思いました。現地では、再稼動に反対する人たちが、テント村を作っているとのこと。劇場公開初日の舞台挨拶のためにビデオカメラを持ってきただけの私でしたが、明日はビデオカメラも持っていこう!と決めました。

大きなお風呂に入らせてもらい、夜10時ごろには寝ました。これまで、大阪では連日夜12時にホテルに帰り(大浴場が12時までなので)、2時ごろに寝、朝は9時か10時ごろに起きるというパターンでしたので、久しぶりの早寝です。

翌日の大飯原発訪問を楽しみにしながら眠りにつきました。

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[jp] 大阪劇場公開(4日目:6月26日)

この日は朝9時に起きて、メールのチェックをしました。11時に、御堂筋線で動物園前駅から数駅の「昭和町」で下車し、6月23日の新今宮飲み会で知り合った、調査・研究会社の四井さんの事務所を訪ねました。

四井さんの事務所では、主に大阪市立大学の調査・研究のアシスタントとして、釜ヶ崎、在日コミュニティなどのフィールドワークを行っているそうです。数日前にお会いしたとき、釜ヶ崎が出来たばかりの頃や全盛期の頃の写真などを大量に保管していると聞き、ぜひたずねて見たいと思っていたのでした。

事務所では、スキャンしてデジタル化された、昔の釜ヶ崎の様子を伝える写真、動画などを沢山見せてもらうことが出来ました。木賃宿の詳細な様子、釜ヶ崎の大暴動の様子など、一体どうやって撮影したの?!と思うようなものばかりです。

これらの写真の多くは、長年「あいりん労働福祉センター」の職員として働き、退職後は大学教授として活躍された上畑恵宣さんによるものなのだそうです。センターの職員という立場のため、これら現場の写真を多数撮ることができたり、資料を集め、保存することが出来たのだ、とのこと。

写真資料(釜ヶ崎で仕事を求め、手配師の車に集まる労働者たちの様子)
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釜ヶ崎内で出回っていたビラや新聞などの資料も沢山ありました。
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上畑恵宣さんの著書。上畑さんは現在かなり高齢で体も弱っているとのこと。話を聞くなら「今」だと思います。
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私にとっては、その日1日を生きていくだけで精一杯であろう労働者たちが、こうして毎日のように新聞やビラを発行したり、集会を開いているというのが意外でした。労働者が結束しないと、労働条件の改善や自分たちを守ることが出来ないという事情があったのでしょうけれど、日々働きながら新聞を発行したり、それを資料として保存する(ドヤ泊や野宿では保管場所の問題もあります)のは相当大変なことです。

しかし、四井さんによると、かなりの種類の新聞やビラが発行されていたそうで、現在でも「夜間学校ニュース」が発行されていると聞きました。今でも発行し続けている人がいるなんて! 「あいりん労働福祉センター」の目の前で、釜ヶ崎の資料を集めた資料センターを作るために事務所を持っているのだそうです。これはぜひ訪ねて見たいと思いました。

四井さんは、入手した資料は全てスキャンし、資料として活用できるよう整理をしている最中なのだそうですが、問題は資料をどう活用するのかだ、と言っていました。ただ展示したり、検索できるようにすればいいというものでもありませんし、資料の中には例えば裁判闘争などで、個人名が出てくるものも多数あります。そういうものを、どういう基準で処理し、使えるように、見せられるようにするのか、それが今後の課題だといっていました。

「釜ヶ崎」として全国的に有名なこの地域ですが、ご存知のように実在する地名ではありません。戦後の地名変更で、「釜ヶ崎」という住所はなくなり、実際には大阪市西成区のほんの少しの一角でしかありません。(ただし、面積の狭さの割には人口が超密集しています)

小さくて見づらいですが、下図左側の赤く塗られたエリアが、いわゆる「釜ヶ崎」と呼ばれるエリアです。そのエリアを拡大したものが、下図右側の三角で囲まれた地帯。(写真はクリックすると拡大します)
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現在(といっても10年ほど前)の釜ヶ崎エリアの人口、簡易宿泊所の数、生活保護受給者の数などの統計はこちら。(写真はクリックすると拡大します)
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四井さんの事務所では、釜ヶ崎や野宿者の調査だけでなく、在日コミュニティの調査もたびたび請け負うそうです。在日として暮らす人たちが、祝祭の場として使っていた「龍王宮」についての資料をいただきました。
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「龍王宮」は不法占拠であるとして、現在は取り壊されてしまったそうですが、「龍王宮」に関する記述はネット上でも探すことが出来ます。例えばこちら

資料を拝見したら、なんと、NDSの金さんが取り壊される前の「龍王宮」を映像として記録したと書いてあるではありませんか! これはそのうち編集されて発表されるのでしょうか? それは是非見てみたいですし、取り壊されてしまった「場」を誰かがきちんと撮影しておくことの大事さをつくづく思いました。今後見れる機会があればと思います。

また、四井さんの会社では、阿倍野区の長屋を保存するプロジェクトにも関わっており、その長屋を地域の活動の場として提供しているそうです。そこの長屋で「さようならUR」の上映会もしたいといってくれ、既にブログでも紹介しましたが7月25日の夜7時から上映会が開催されることになりました。

お昼過ぎに事務所を出て、今度はお好み焼きを食べてみようと思いました。有名店などは知らないので、またまた適当に歩いて見つけた店に入ります。ここでも、お客さんは私一人でした。

お好み焼き。ごく普通の味でした。もう少しグレードアップした店を選んだほうが正解だったかも。。。
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地下鉄に乗ればホテルまですぐ戻れますが、地下鉄に乗っては大阪がどんな街なのか分かりません。地図は持っていませんでしたが、歩いて動物園前まで戻ってみることにしました。

余談ですが、大阪は自転車で移動する人が多く、街中は自転車であふれています。また、女性の間では、自転車に傘を取り付けて走行する人も多数! 傍目には、これ結構危険なのではないか?と思うのですが。。。

自転車に取り付けられた傘ホルダー(「女性のパートナー かさキャッチ」と書いてあります!)
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阿倍野のエリアを歩いていると、高級そうなマンションが結構あり、しばらく歩くと近鉄デパートも見えてきて、(もしかしてこのあたりは高級なエリアとされているのかしら?)と思いました。ソウルの旅同様、今回もいわゆる観光地に立ち寄る機会がなかったので、近鉄デパートで大阪のお土産を買うことにしました。買物を終えた後、受付のお姉さんに「動物園前はどちらの方向に歩いて行ったら良いですか?」と聞くと、近鉄デパートで買物を終えた後に釜ヶ崎に歩いて向かう客は少ないらしく、ちょっと怪訝そうな顔をされました。

方角を聞き、動物園前を目指して歩きます。それにしても暑い。梅雨のど真ん中の時期だというのに、連日晴れで(←映画を見に来てもらうには良かったのですけれど)、30度近くの気温です。結局2時間ぐらいかけて動物園前に戻ったときには、暑さのせいもあってかなり疲れていました。

道すがら、こんな旅館を発見。
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「豪華な家具 明るい洋室」とはどんな内装なのか、興味をそそられます。
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ホテルで1時間ほど昼寝をし、夕方4時にホテルを出て劇場に向かい、舞台挨拶をやりました。舞台挨拶のあとは、岸野さん、読売新聞記者の満田さん、元新聞記者の嶋田さん、岸野さんのツイッター友達(すみません、お名前を失念・・・)と共に、中華料理店へ行きました。

満田さん、嶋田さんともに新聞記者のお仕事をされてきたということで、これまでの取材の話を聞くことが出来ました。私は「ブライアン~」の時、読売新聞の名物記者であった黒田清さんにちなんだ賞をいただいたのですが、満田さんは黒田さんに、採用試験の面接で会ったことがあるのだそうです。私も会ってみたかったなぁ! 

今では新聞社もだいぶ官僚的・保守的になってしまって、地道な調査報道などはやりにくくなっているそうですが、昔は黒田さんをはじめ、名物記者と呼ばれるような人たちや、かなりきわどい取材や、危ない人たちとの深い付き合いをして情報をすっぱ抜くタイプの、気骨ある記者たちがいたそうです。今では、記者の側も、取材される側(政治家・役人だったり暴力団員だったり)も、お酒を酌み交わしながら腹を割って話すような付き合いはしなくなり、なかなか内部情報も得にくいのでは?と言っていました。

雇われ記者である前に、一人ひとりが独立したジャーナリストである、というようには現実はいかないようで、取材源を明かさなかったために、嶋田さんは始末書を書かされたという話も聞きました。取材源の秘匿は、当たり前のことだと思いますが、上司からは「会社内には明かせ」と強要されたそうです。しかし、会社とはいえ、いったん知らせてしまったら、それをどう使われるかは分かりません。嶋田さんが取材源を明かすことを拒むと、始末書を書かされたそうです。

話を聞きながら、私は(ただ始末書を書くだけだったら、別にいいのでは?)と気楽に考えていました。始末書に適当なことを書き、反省していますといえば、それで取材源を明かさずにやり過ごせるのですから。そんなの、いくらでも書きますよ、と言ってやりたい。そう伝えると、「始末書は一生ついて回るんだよ。それが給料の査定や昇進にも関わるんだから」と言われてしまいました。

始末書を何度も書いてきた嶋田さんは、同僚に比べ給料が低かったのだそうです。う~~~ん、ひどい。でも、ほとんどのマスメディアがこういう仕組みになっているのだろうなと思いました。それにしても、本来の記者としての態度を貫いているだけで、悪いことをしていないのに”始末”書って、おかしいですよね??

お二人の話を聞きながら、マスメディアにいる人たちが、ジレンマを抱えつつ、限界を広げるべく、試行錯誤している姿勢が良く分かりました。

皆さんと
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XO醤+大量のネギ+ご飯のメニューが、こちらのお店の名物なのだそうです!
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すごい大量のネギです!
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よ~くかき混ぜるのがポイントなのだそうです(岸野さん談)
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美味しそう!
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見た目どおり、美味しかったです!!
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満田さんは大学時代に、授業の一環で、釜ヶ崎のフィールドワークをしたそうです。野宿者の人に聞き取りをしたのは、とても大きな経験で、その時の経験が新聞記者になる下地になったかもしれない、と話していました。釜ヶ崎での学生によるフィールドワークは、もちろん大学の先生のお膳立てで行うのですが(学生の聞き取りに応じる人をあらかじめお願いしておいて、待ち合わせをする)、待ち合わせにすっぽかされたりすると、自分で聞き取りできる相手を探さなければならなかったのだとか! また、大学の先生自体がなんらかのいざこざで釜ヶ崎に出入り禁止となり、釜ヶ崎でのフィールドワークを断念し、わざわざ横浜の寿町に生徒たちがフィールドワークに行かされるということもあったそうです。結局は何事も人間関係ですからねぇ・・・gawk それにしても、生徒たちにとってはとんだとばっちりですねcoldsweats01

興味深いお話満載でした!

舞台挨拶の時間になり、劇場へ戻りました。いよいよ本当に最後の舞台挨拶です。この日は、支配人の山崎さんが不在で、しかも受付のスタッフの人が一人しかいなかったので、急遽岸野さんが舞台挨拶の司会をしてくれることになりました。岸野さんは、そもそも山崎さんへ「さようならUR」を紹介してくださった人であり、劇場公開に向け、あちこちで映画のことを書いたり、話したりしてくださって、本当にとてもお世話になったのでした。なのに、さらに舞台挨拶の司会まで・・・! もう足を向けて寝られませんねhappy01

岸野さんが「大阪民主新報」に書いてくれた「さようならUR」の紹介記事(写真はクリックすると拡大します)
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舞台挨拶では、「さようならUR」というタイトルについて、URの職員はこの映画を観たのか、URよりももっと貧困層向けの公営住宅を取り上げるべきだったのでは、こういう問題は最終的には国の借金をどうするのかという問題になるのでは、などなど、住宅問題に深く関わっていそうな人たちから、活発に質問をしていただきました。

無事、4日間、全8回の舞台挨拶をやり終えました!!!

シネ・ヌーヴォのスタッフの方、そして岸野さんたちとお別れし、「動物園前」に戻りました。この日はホテル太洋の前で、大阪市立大学の小玉さんと待ち合わせし、釜ヶ崎の商店街の中にある美味しいおすし屋さんに連れて行っていただきました。

小玉さん
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たった小1時間前まで中華料理を食べていたにもかかわらず、結構食べる私・・・。映画祭や長期の旅行の後はいつもそうですが、今もなんちゃってダイエット中ですcoldsweats01
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釜ヶ崎でのフィールドワークもされたことのある小玉さんは、釜ヶ崎での取材について、「それはもちろん、良く知っている人と一緒に取材するのが一番だろう」と言っていました。釜ヶ崎には長い歴史があり、膨大な資料、様々な論点(労働、人権etc)があります。それらを良く知らないで行った所で、理解できることは少ないのだから、歴史についてよく知っている人に同行してインタビューをするのが一番いい、と。

それはそう思うのですが、一方で、私は他人を介さずに直接、自分の言葉で相手とコミュニケーションをとりたい、という思いもあります。以前、初めて仙台の被災地で、仮設住宅を取材したいと思ったときに、その仮設住宅で入居者支援を行っている大学の先生に連れて行ってもらい、先生を交えながら取材をさせてもらったことがありました。

先生は既に入居者の方たちと関係が出来上がっていて、仮設住宅が抱える問題にも詳しく、入居者の人の答えをさりげなく補いながら、そつなくインタビューをサポートしてくれました。

それは聞き取り&事実関係を押さえるための資料としては、とてもクオリティーが高く、大変貴重なインタビューが収録できたのですが、私的にはどこか(なんか違う)という居心地の悪さを感じていました。

私は、ドキュメンタリー監督として、社会的な事象を正確に(ここでいう正確さとは、客観的なものを指すのではなく、市民の目線から見て、それがどういうことなのかということを捉えたいということです)記録したいと思っています。

完成品としてどんな精度のものが出来上がるかも勿論重要ですが、それと同等に欠かせないのが、自分がそのことをどのように知り、理解して行き、被写体となる人との関わりを持っていったのか、という”過程”なのです。その過程をも映画では表現したい、と思っています。なので、すでにその問題に詳しく、関係者と親しくなっている”誰か”にお膳立てしてもらって、なるべく完成度の高いものに”最短距離”で近づくのが、必ずしも最善とは思わないのです。

もちろん、場所が不慣れだったり、特殊な場所、安全とはいえない場所の場合、最初は誰かに連れて行ってもらい、自分でも最低限の基礎知識は兼ね備えておくべきですが、結局そこで何を撮るか、誰を撮るかは、自分で切り開いていくしかありません。そしてそういう人に出会えるかどうかは、これはもう運命としか言いようがないと思います。実際、仮設住宅の取材では、私を仮設住宅に連れて行ってくれた先生が、用事で先に帰った後に一人で歩いて、偶然庭先で出会った人にインタビューをさせてもらったものの方が、私らしい視点での取材が出来たのではないかと思っています。それがたとえ、被災地での生活の、ほんの少しの断片しか切り取れなかったものだったとしても。

でも、誤解の無いよう書いておくと、もちろん連れて行ってくれた先生には感謝していますし、先生の補足インタビューを何度かさせてもらったおかげで、段々と私の理解度が上がっていき、最終的には撮りたいと思う人に”出遭えた”のだと思いますが。要するに、「最終的には自分でやるのだ」ということです。

取材前の事前勉強ですが、もちろん関連する全ての書籍や映像を見れるにこした事はありませんが、大抵の場合、そうは行きません。その場合はどうするか。

例えば、釜ヶ崎のように膨大な歴史と情報を持つ地域の場合なら、釜ヶ崎について分かりやすく、基本から応用までを網羅した良質な本を、数冊でもよく読みこむのが良いのでは?と想像します。(外れているかもしれませんが)。事前に資料を良く見極めずに、やみくもに資料に当たるのは、沢山の資料を読んだけれど、全体像が良く見えない・・・みたいな事態に陥ることが多いだろうと思います。

その上で私は、あらゆる分野で、どこまで行っても自分は、結局は”よそ者”で、どこまで行っても当事者にはかなわない、という認識も持っています。どこまで勉強しても、それは当事者から見れば所詮付け焼刃的な知識でしかありません。

でも、だから「あきらめる」のではなく、だからこそ「本人に会いに行きたい」と思うのです。実際に会いに行き、話を聞かせてほしい。その人の言葉や世界観を、少しでも理解したい・・・

ちょっとでも興味を持つと、無知を承知で「会ってみたい」と思ってしまう私は、こういうスタンスで取材をさせてもらっています。だって、全ては実際に会ってみるまで分からないし、始まらないのですから。

よく「次回作は?」と聞かれ、それは全く白紙なのですが、どんな分野の映画を撮るにせよ、最初は誰かに聞いたり、紹介してもらいながら見聞を広め、最終的には誰かと出会い、テーマを見つけていくのかなぁ・・・と漠然と考えています。一体何を撮るんでしょうね?!

12時ごろ小玉さんとお別れし、ホテルに戻りました。明日は滋賀県に移動です!

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[jp] 大阪劇場公開(3日目:6月25日)

この日は朝9時に起きてメールの確認をして、11時にホテル太洋の前でNDSの佐藤さんと待ち合わせをしていました。釜ヶ崎にあるNDSの事務所を訪問するためです。歩いて数分で、一軒家に到着。ここにメンバー数人が暮らし、事務所としても使っているのだそうです。

予想外に(失礼!)整理整頓された事務所でびっくり! ソウルでドキュプルンの事務所の汚さに衝撃を受けたので、NDSもそれと同等、もしくはそれ以上かと想像していたからです。これでは、私の部屋よりよっぽど綺麗ではないですか!!
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亡くなった布川さんの遺影。お線香を上げさせてもらいました。大阪に来たら必ず会いたいと思っていたので、本当に残念。
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コーヒーを入れてくれる佐藤さん
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釜ヶ崎を舞台にしたドキュメンタリー映画を持ち、現在も釜ヶ崎で暮らし、あいりん労働福祉センター前で日雇いの仕事を見つけて働く佐藤さんに、ここでの生活や仕事のこと、映画の事をなどを聞きました。

この一軒家の家賃は8万円で、それを3人で分担しているそうです。映画制作の時間を捻出するためにも、日雇いの仕事は都合が良いのだそうです。週の半分は働いて、もう半分は映画のことをやる、みたいな。

釜ヶ崎での日雇いの仕事は主に解体業。朝早く5時ごろに行き、いかにも体力ありそうという感じで歩くのが、手配師に声を掛けてもらえるコツなんですって。朝5時半頃から夕方5時ごろまで働いて、給料の相場は9000円。・・・それってかなりハードで割に合わないのではないかな~と思いました。交通整理の仕事でも同じぐらいの金額がもらえるし、肉体的にもそちらの方が楽なのでは?と言うと、交通整理の仕事もやったことはあるけれど、時間が過ぎるのが恐ろしく遅く、解体作業よりも逆にハードな仕事だ、あれだけはやりたくない、と言っていました。そういうものなのか。。。

全盛期を過ぎた釜ヶ崎では、佐藤さんのような若い人は稀で、日雇いで同じ現場に向かう人たちからは、「まだ若いんだから、こんなところで働くな」ともアドバイスされるそうです。同じ日雇いの境遇の労働者たちは、みんなやさしくていい人ばかりと言っていました。

NDS事務所でコーヒーを頂いた後、釜ヶ崎を案内してもらいました。釜ヶ崎のシンボル的存在である「あいりん労働福祉センター」を目指します。センターに近づくにつれ、労働者を募集する張り紙の張られた車が何台も見えてきました。

日雇いの募集は朝早くだけで、それ以外の時間に止まっている車は、日雇いではなく、1週間以上の泊りがけの仕事(いわゆる「飯場」と呼ばれる場所で、寝泊りしながら働く仕事)を募集しています。張り紙に書かれてある仕事は、ほとんどそれらのものでした。白いバンの窓の部分に、仕事条件がごくごく簡単に書かれた張り紙が張られ、中には運転手兼手配師らしき人が座っていました。

それらの横を通り過ぎ、「あいりん労働福祉センター」までやってきました。1階部分は吹き抜けとなっているのですが、そこに100~200人ぐらいの、高齢の元日雇い労働者らしき人たちが、思い思いの姿で日中の時間を過ごしていました。ショッピングカートに荷物を載せて移動する人、数人で集まってタバコを吸いながら雑談する人、新聞や本を読む人、お酒を飲む人、広げたござの上でちょっとした商売をしているような人、大きな犬を何匹も連れて歩く人、自転車に乗る人、ラジオを聴きながら着替えをする人、コンクリートの地面の上に直接布団を敷き熟睡する人・・・

その一見異様な光景を見て、私は「ここにはコミュニティがある」、と思いました。韓国のスラム街・ポイドンで感じたのと同様の人のつながりが、確かに存在しているように見えました。都内の団地の、殺伐として、お年寄りが一人で歩く姿、遊ぶ子どもがいなくなった公園、シャッター商店街etcを見てきた私には、こんなにお年寄り同士が集い、お金を使うことなく、共に時間を過ごせる場所があるというのが、逆に新鮮だったのです。

佐藤さんによると、日中はここで過ごし(1階の吹き抜けだけでなく、建物の中にも人が沢山いるのだそうです)、大阪市内のどこかで毎日行われている炊き出しに出かけ、夜にはシェルターの抽選に並び、抽選に当たればシェルター入れるけれど、外れれば外で寝るしかない、という感じなのだそうです。過酷ですね・・・。ちなみにシェルターを行政が用意することで、寝場所は用意したのだからと、テントは減らされているそうです。

「あいりん労働福祉センター」は、老朽化しており、建替えの話も出ているそうです。しかし、建替えされたらどんな建物になるのか(野宿者の人たちがいられるスペースがないようなデザインになってしまうかもしれません)、別の場所に移転するのか、など、なかなか問題もあるようです。

かなりゆ~っくりと「あいりん労働福祉センター」の前を通り過ぎました。目が釘付けという状態で私は見てしまったのですが、デジカメで写真を撮るなんて行為は絶対できないように思いました。釜ヶ崎の映画を撮った佐藤さんに、釜ヶ崎でカメラをまわすことについて聞いてみました。

佐藤さんも、最初はこの場所を良く知っている人に連れてきてもらったのだそうです。釜ヶ崎での撮影では、例えば誰かがマイクを持ってしゃべっているときなど、明らかに「この人を撮っているんですよ!」ということが誰から見ても伝わるような感じで撮影した、と言っていました。なので、なんとはなしに、「あいりん労働福祉センター」でぐる~っとカメラを回すなんてことはしたことがない、絶対出来ない、とのこと。・・・確かに!

「釜ヶ崎には、むき出しの生があって、とても魅力的な街。惹きつけられる」と言っていました。

大阪では、野宿者支援の団体や大学の研究者、行政など、あらゆる立場の人たちが野宿者問題に関わっているのですが、中でも佐藤さんは、アートとホームレスの関わりに注目しているのだそうです。私が以前オーマイニュースに書いた、ホームレス排除型のパブリックアートもそうですが、アートや教育という名の下に、逆にホームレス排除にこれらが加担してしまっているという状況。こういった状況に敏感であることを、佐藤さんは、東京のいちむらみさこさんたちから影響を受けたと言っていました。野宿者問題に関わっていながら、逆に彼らを排除してはいないか? そういうことを語り合う場がほしい、とも。

佐藤さんは山形の映画祭の時は、最終日にほんの少し挨拶した程度だったのですが、今回の大阪訪問では、飲み会での注文取りから釜ヶ崎の案内まで、大変お世話になりました。どうもありがとうございました!

佐藤さんに難波の「てれれ」事務所まで送ってもらいました。この日は、お昼から下之坊修子さんが主宰する市民メディア「てれれ」の事務所を訪問することになっていたのです。事務所に伺うのは初めてでした。中に入ると、山上千恵子さんが!!! 山上さんはこれまで東京を拠点に映像のお仕事をされていましたが、少し前から京都に移り、今では月の半分以上京都で生活されているそうです。
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広々として、なんと録音室まで兼ね備えてある事務所でした! 下之坊さんはここで編集をしているんですって。「ここにおるんじゃけぇ」も、ここで生まれたのですね!
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下之坊さんの編集マシン
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私は自主企画・制作の作品しか作ったことがありませんが、お二人からは「依頼されて作る仕事」について、これまでの経験を色々お聞きすることが出来ました。女性映像作家として先駆け的な存在のお二人は、フェミニズム、女性運動など、運動体からの依頼で映像を撮ることも多く、運動体による労働搾取の事例が多数告発されていましたbearing! 

運動の現場では、フェミニズムに限らず、”大義”のために映像作家までも手弁当でやらされることはままあります。撮影、編集、DVDの制作など、どれもとても時間のかかる作業なのに。

手弁当での仕事の依頼に対して、「最低でもこれぐらい(←それでも十分とは言えない額)もらわなくては困る」と主張すると、「あの人はお金に汚い」とか、「他の人はやってくれた」という言われ方をされたそうです。

運動を主宰する立場の人の多くは、その運動自体は手弁当でやっていたとしても、その分野の大学の先生だったり、NPOの職員だったりと、その分野で収入は稼いでいます。でも、フリーの映像作家には財政的な後ろ盾は何もありません。。。

山上さんや下之坊さんたちは、こんな条件で引き受けてしまっては、後に続く作家たちがやっていけない・育たないと、映像制作に対してきちんと報酬が払われるべく、主張してきたのだそうです。(きちんと当事者が主張しないと、牛丼チェーンの値下げ合戦のように、お互い首を絞めあう結果になりますよね)

私も運動や集会などの撮影を頼まれることはたまにあるのですが、特に費用がカバーされない場合には、それを引き受けるかどうかは、自分が興味があるか、仮に頼まれたのではなかったとしても自主的にやりたいと思う気持ちを持てるかどうかで決めるようにしています。頼まれたからとか、義務感からではなく。

でも、考えてみたら皮肉だな~と思いました。家事の無償労働(アンペイド・ワーク)をきちんと労働として評価せよ!と求めるフェミニズムも、運動にまつわる様々な仕事は無償でやらせるのが当たり前と思う人たちがいるというのは。。。忌み嫌う男性社会と同じ構造を、運動体内部の人たちに強いていることになるわけですから。

他にも、行政や教育機関の依頼で撮る場合、当事者や支援団体から製作資金を提供してもらう場合などの、過去の体験談を聞くことが出来、とても勉強になりました。

3時近くになり、劇場に移動しました。下之坊さんと山上さんは劇場に入り、舞台挨拶の時間まで、私はまた自由時間が出来ました。さて、今日は何をしようかなぁ・・・?

ふと、楠瀬さんから「大阪に来たら粉物(お好み焼きやたこ焼きなど、小麦粉を使った食べ物のこと)食べて。ミックスジュースも」とメールを頂いていたのを思い出し、たこ焼き屋さんに行ってみることにしました。ガイドブックも何もない私は、とりあえず歩いて探すしかありません。映画館がある方の商店街の反対側にも大きな商店街が見えました。そちらに行ってみることに。

商店街に入るとすぐにたこやき屋がありました。お客さんは一人も並んでいませんでしたが、なんとなく良さそうな雰囲気がありました。たこ焼きの6個入りを注文し、店先の小さなイスに腰掛けて食べました。
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ほとんどのお客さんはテイクアウトで、座って食べるお客さんは珍しいらしく、お店のマスターが話しかけてきました。なんと、こちらのマスターは、会社員マスターなのだそうです! もとはダイエット食品などの雑貨の営業マンとして働いていましたが、半年前に会社の業務多角化で、たこ焼き屋部門が発足し、たこ焼き屋のマスターとして会社員の身分のまま送り込まれているそうです。たこ焼きは好きで、これまでからも食べ歩きをしたり、縁日でたこ焼き屋を手伝ったりしたそうですが、お店となると大変で、試行錯誤の毎日だとか。

焼き上がりまでの時間が、たった3分でも、「ならいらない」と言って買うのをやめるお客さんが多いので、焼き立てに近い状態をいかに保持するかが大事だけれども、保温状態にしておくと、冬場はたこ焼きの上半分が冷めて固くなってしまう等々、難しさがあるようでした。

この商店街のお客さんは、ほとんどが高齢者のため、一番混む時間帯は午前中なのだそうです。歩行中に自転車などにぶつかられて怪我をしないよう、すいている朝方の時間に買物を済ませたいからなのだそうです。最近のたこ焼きの主流は中がどろどろの柔らかめですが、お年寄りは中までよく火が通ったタイプ(昔のたこ焼きってそうでしたよね?)を好み、「中までよく焼いて」とリクエストされるそうなのですが、そうするとお年寄り以外のお客さんには好まれず・・・と、焼き加減ひとつとってもなかなか難しいようです。

「九条で一番美味しいたこ焼き屋」と豪語するマスター。でも、最近客足が落ちているそうですcoldsweats01
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マスターは「試作品だけど」と言って、飲み物をサービスしてくれました。しょうが味の「冷やしあめ」という飲み物だそうです。しょうがと砂糖を煮詰めたシロップを、氷水で薄めたような味でした。冷やしあめは、私は聞いた事がなかったのですが、大阪では、昔のたこ焼き屋は必ずと言っていいほど、夏にはたこ焼き屋の店頭に冷やしあめも並んでいたんですって。夏の風物詩的存在。これは関西の風習か、それとも私が知らないだけなのか。。。冷やしあめを知らないと答えると、マスターはかなりショックを受けたようでした。

・・・でも、よく考えてみたら、暑い夏にたこ焼きというのは、少なくとも東京では風物詩ではありません。やはりたこ焼きと冷やしあめは、大阪のものなのでは?と思います!

たこ焼きと冷やしあめ
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私自身の事を聞かれ、自分の映画が劇場で公開されるから大阪にやってきたということ、舞台挨拶の時間までこのあたりを歩いて回っている、ということを話しました。

・・・するとマスターは、それまでたこ焼きを手際よくひっくり返していた手を止め、真顔で「九条に来たなら、OS劇場に行かなきゃ」と言いました。有名な老舗のストリップ劇場なのだそうです。このすぐ近くだから、と、親切に行き方まで教えてくれました。

マスターイチ押しのOS劇場を目指し、商店街を出ました。商店街から一歩路地に入るだけで、タイムスリップしたような古い佇まいの家が何軒もありました。
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面白い造りのアパートを発見。入り口がいくつも並んでいます。
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OS劇場の看板が見えました。住宅地の中にストリップ劇場があるなんて・・・
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さすがに早い時間なのでまだ開店していませんでしたが、お店の人によると、ここは普段は女性客は入ることが出来ず、毎月数日間の「SM大会」の日だけ(←なんでだろう?)女性客の入店も可とのことでした。ちなみに7月の「SM大会」は14,15,16日。電話予約(06-6581-7780)すれば割引あり。興味のある女性のかたは行ってみてはいかが? 中はかなり広そうでした。立派なステージもあるかもしれません。

舞台挨拶の時間になり、劇場(OSではなく、シネ・ヌーヴォcatface)に戻りました。舞台挨拶のあとは、下之坊さんが予約してくれたお鍋のお店に行きました。「小川下(こかげ)」という、家族経営のお店です。
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かなりのボリュームのお鍋でした!
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まだ5時と早い時間で、あとから来る人もいると言うことでした。この日の飲み会は、昨年の山形の映画祭に参加した関西(主に大阪)の人たちということで、下之坊さんが声を掛けてくれていたのでした。日本中の映画祭を回っている浦辻さん、映画祭ボランティアスタッフの楠瀬さん、映画監督でビジュアルアーツの先生でもある柴田さん、在日コミュニティの映像を発信し続けているコマプレスの朴さんたちが来てくれました。

昨年の山形に参加・・・といっても、山形の映画祭は、映画祭の規模が大きく、参加監督が多く、プログラムも沢山あり、会場も分散しているので、一見沢山の人と会えるように見えて、実際に会える人(かつ親しくなる人)はそう多くはありませんでした。みんな忙しすぎるのです。浦辻さんは山形で30本の映画を観たといっていました。食事はパンとおにぎりをあらかじめ購入し、会場間を走って移動。・・・これでは見かけないはずですよね。

下之坊さんとは、ホテルが一緒で、なおかつ衝撃的な朝食だったことがきっかけで、お話しする機会が得られたわけですし・・・coldsweats01

親しくなる率で言えば、あいち女性映画祭や新得・空想の森映画祭のような規模・開催形式の映画祭の方が、私の場合はそこで時間を共有した監督さんたちと、その後も親しくさせてもらうことが多いです。

そんなわけで、この日の飲み会に参加した人たちは楠瀬さんと下之坊さんを除いて、私は初めて会う人たちなのでした。
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8時半近くになり、舞台挨拶のために劇場へ戻りました。この日は劇場公開3日目、本日2回目の舞台挨拶。ということは、6回目の舞台挨拶ということになります。私はこんなに連続した舞台挨拶を、これまでにしたことがなかったので、正直、精神的にかなりしんどくなっていました。毎回見に来てくれるお客さんは入れ替わるのですから、同じことを繰り返し話しても問題ないのかもしれませんが、話をするこちら側としては、同じことを何度も話してはつまらないのでは?という思いに駆られてしまいます。だからといって、全く話題を変えるのも難しく、映画を作ったいきさつなど、超基本的な部分はやはり毎回説明しないといけないだろうし・・・。そんな風な気持ちでいました。

支配人の山崎さんに、舞台挨拶についての私の疑問をぶつけて見ました。舞台挨拶を連日こなす監督たちは、毎回同じことを話すのか、それとも変えるのか・・・

山崎さんは、それは監督によると言って、毎回同じことを話す人もいるし、少しずつバージョンを変える人もいる、でも、基本的にこれだけは言っておきたいということは毎回言う、と。

「監督が言いたいこと=お客さんの聞きたいこと、なんですよ」

山崎さんがそう言うのを聞いて、私の中で何かが吹っ切れたような気持ちになりました。とにかく自分が言いたいことを言えばいいんだ、それが繰り返しでも、繰り返しでなくても。そう考えることで、気持ちがずいぶん楽になりました。

この日の舞台挨拶は、日中に釜ヶ崎を見に行った事も自分の中で影響したのだと思いますが、超ロングバージョンで、カメラを回し始めたきっかけからお話しました!
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つくづく、映画をみんなで観ること、そしてその後の質疑応答は”ライブ”だなぁと思うのですが、私の舞台挨拶の意気込みに呼応してか、お客さんからの質問もかなり活発で、熱気にあふれたものになりました。73号棟裁判の進行具合、今後の制作予定、生計はどう立てているのか、映画の感想、”台所”が生活のポイント・・・etc。予定時間をかなりオーバーしての終了となりました。

舞台挨拶終了後も、沢山話しかけてくれました。中でも、大阪のYWCAの方が観に来てくださって、彼女たちの暮らしについて話してくれました。なんと、血の繋がらない90歳の女性と共同生活しているのだそうです! 一人暮らしの女性の場合、洗濯物を外に出すことを控える人は多いですが、彼女の場合は、90歳のおばあさんが「洗濯物はやっぱり外でパリッとさせないと」というこだわりがあるので、彼女の洗濯物も外に干して乾かしてくれ、家に帰ってくると陽のにおいのする、パリッと乾いた洗濯物が置いてあるのだとか。(現在はおばあさんの足が弱くなってしまい、外に干せなくなったそうですが)

もう一人の方は、友達の家(一軒家)を引き継いで暮らしているそうで、聞いてみると皆面白い暮らし方をしているんだなぁ!と感心してしまいました。いわゆる住宅市場から離れたところでの家&暮らし方を実践している人たちを訪ね歩きしたら、面白そうですね!

YWCAスタッフの方と。
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その後は、楠瀬さんと柴田さんと飲みに行きました。九条には珍しい(失礼!)おしゃれな隠れ家風バーです。
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レンコンのピザなど、ユニークかつ美味しいおつまみ多数! オーナーの並々ならぬこだわりが伝わってくるようです。各料理のボリュームは多くないのですが、上質なので満足できる、という感じ。
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楠瀬さんは、以前ビジュアルアーツで映像を学んだときに、柴田さんが先生だったそうです。なのでかつての先生=生徒という関係なのですが、お互いにボケ&突っ込み合戦で、一見するとどちらが先生で生徒なのか良く分かりませんcoldsweats01

お二人から「さようならUR」の感想を聞くことが出来ました。楠瀬さんは、映画を観て、最初は(登場人物が多すぎる。もっと絞り込んだほうが良い)と思いながら観たそうです。でも、最後の直撃取材で、それまでの広がりすぎ感がぎゅっと締まったとのこと。直撃取材をみて(アホやなぁ、よくやるなぁ)と。私と実際に会って、もとはジャーナリストを志望していたというのを聞いて、(あぁ、なるほど、それでああいう取材になったんだ)と思ったそうです。”映画”の発想では、ああいう展開にはなかなかならない・思いつかないのではないか、と。

柴田さんは、映画を観ながら、最初はこの問題を客観的に、引いて作っているのだろうと思っていたそうです。それが、最後の直撃取材があって、(ミイラ取りがミイラになった、この問題を作り手も引き受けたんだ)と思った、と。

柴田さんは「ブライアンと仲間たち」も観てくれていたので、その比較の話も聞くことが出来ました。「ブライアン~」の方は、素直に作っている、と。私がブライアンと出会い、反戦運動に目覚めていくまでの過程が素直に出ていると言われました。それに対して、「さようならUR」の方は、見せ方を工夫しようという跡が見られる、と。

楠瀬さんは、「さようならUR」を「空っ風」と対比させながら観たと言っていました。被写体との関係はどうだったのか、時間をかけて関係を築いたのかと聞かれました。

私はこれまでにもブログで書いたかもしれませんが、「さようならUR」制作に関して、被写体の人とじっくり関係を築いてからカメラを回すということは皆無でした。裁判が起こるであろう日程から逆算すると、製作期間がほとんどなかったので、とにかく話を聞かせてほしい、撮影させてほしいと、ほとんど詳しい事情を知らないままに撮影させてもらっていました。長時間のインタビューの時間を過ごすことで、それがきっかけで住民の皆さんとの距離が縮まっていった感じです。関係性→撮影ではなく、撮影→関係性の順で、普通の逆とも言えるかもしれません。

そう答えると、柴田さんからは「信頼関係が出来るまでカメラを回さない」はよく言われることだけれど、世間はそれに捉われすぎてはいないか? 優れたドキュメンタリーはそうあるべきではないか、と思い込みすぎではないか?と言っていました。特にドキュメンタリーの場合、現場は”偶然”によって動くものが多々あるし、最初に撮ったもの、最初の出会いのインパクトは、とても大きいのだ、と。

柴田さんも、ご自分の映画「ハダカの城」では、最初に撮ったときの映像をかなり多く使っているそうです。最初に撮った(撮れてしまった)あとで、その後にも色々撮影したり、撮りなおしたりもするのだけど、やはり初めて会った時の衝撃が強く、その時の映像を中心に使ったりすることが多い、と。

ちなみに「ハダカの城」は東京の「ポレポレ東中野」で、10/6(土)のゲストトークイベント、10/13(土)よりレイトショーでの再上映が決まっているそうです。私もぜひ観たいと思っています。

気がついたら12時近くになり、お開きとなりました。劇場公開の舞台挨拶はあと1日残っていますが、私的には半打ち上げ的な気分になっていました。・・・というか、この日は自分の中で大きな区切りになったような感じがしていました。最初の1~2日目は手探り状態で、余裕がなく、なおかつまだ残りの日程があるからとセーブしながら過ごしていたのですが、3日目まで無事終えて、舞台挨拶に対する気持ちも吹っ切れて、ここまで来たら最後までやり切れるという確信が生まれてきたからです。逆に、明日で舞台挨拶が終わりなのだと思うと、さびしいという気持ちさえ生まれていました。

駅で柴田さんと楠瀬さんとお別れしました。特に楠瀬さんには、ラジオの出演やウェブマガジンの取材など、とてもお世話になりました。どうもありがとうございました!

残り1日、がんばろう! そんな気持ちで釜ヶ崎に戻りました。

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[jp] 大阪劇場公開(2日目:6月24日)

大阪の二日目は朝11時ごろに起きました。前日は仮眠したとはいえ、夜行バスでまだ体が疲れているだろうと思ったので、朝には何も予定を入れず、ゆっくり寝ることにしました。ホテルのロビーには共用のパソコンがあるので、それでメールのチェックをしました。メールのチェックは出来るものの、やはり自宅にいないと対応できない案件が多く(例えばデータのやり取りや郵送など)、もどかしい思いをしながら読みました。

お昼にホテルを出て、どこかでお昼ご飯を食べようと思いました。釜ヶ崎なのだから、いかにも日雇いの人たちが行きそうな定食屋(勝手に、缶詰とかが出てくる店を想像happy01)でご飯を食べるのも良いかもと思いながら、駅前の商店街を歩きました。3年前、大阪に来た時にも立ち寄ったインフォショップのココルームと、カマンメディアセンターの前までやってきました。

ココルームにご飯もののメニューもあったので、安食堂をやめて、ココルームでご飯を食べることに決めました。

店内に入ると、スタッフかお客さんか区別がつかないような人から、「今からご飯食べるところなので一緒に食べませんか?」と言われました。スタッフの人たちのまかないご飯のタイミングに合えば、一般のお客さんも500円でご飯が食べられるというものなのだそうです! 食卓にはずらり、沢山の種類のご飯が並べてありました。

では是非私もまかないを、ということで、まかないご飯に参加。まるで昭和の家庭の食卓にお邪魔したような気分になりました。
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美味しいご飯を頂いて、ココルームを出ました。地下鉄に乗り、映画館のある九条へ。上映は3時半からでしたが、2時にNDSの中村さんと待ち合わせをしていました。

中村さんとは、今年1月の高幡台団地での講演以来ですので、約半年振りです。商店街の中の喫茶店に入り、その後の近況を聞きました。臨月で高幡台まできてくれた中村さんは、その後無事元気な赤ちゃんを出産し、今は子育てでかなり忙しいようです。それに加え、亡くなってしまった布川さんの追悼集(詳しくは失念)を出版される予定があるそうで、その作業にも追われているとのこと。気になる、千里団地の元住民の方とは、連絡は取ったもののまだ会える段階までには至ってないそうです。

商店街を通り抜け、映画館に向かいました。歩きながら、中村さんにこのエリアの事を聞きました。
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映画館近くの「安井酒店」はお勧めで、立ち飲みで、おつまみは缶詰、めちゃくちゃ安い、面白いお客さんがいっぱいいる・・・etcと教えてもらいました。

「安井酒店」。滞在期間中に行きたかったのですが、結局開店している時間と合わず、行けませんでした。残念。。。
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また、ここは「松島新地」という遊郭があることでも有名なのだそうです。昔ながらの二階建ての建物の1階に、若い女性が並べられており、その傍らには年を取った女性が座り、道行く人を呼びとめ「遊んでいって」と言うのだそうです。冷やかしで女性が覗くと、客引きの女性から「何みとるんや!」と怒鳴られるのだとか。

でも、中村さんも私も、遊郭の派手派手しいディスプレイや、そこで働く女性たちの妖艶さは、見たい、話を聞きたい、写真を撮りたい、動画を撮りたいという衝動に駆られる場所でもあります。人目をはばかる、表には出てこないような場所だからこそ、逆に興味を持つのです。しかし、こういう場所は怖い人が仕切っていることもあり、働く女性たちに様々な事情があり、そう簡単に写真やビデオが撮れる場所ではありません。

でも、中村さんによると、少し前に釜ヶ崎近くの「飛田新地」で、そこで働く女性たちにインタビューをし、顔出しで写真も収めている本が出版され、かなり話題になっているということでした。著者は女性のルポライターだそうですが、一体どうやってそこまでの取材が出来たのか、とても興味のあるところです! ちなみに本のタイトルは「最後の色街 飛田」です。

大阪に来てまだ二日目ですが、大阪には東京以上に、古くからの土地の個性が各所に存在していると感じていました。大阪の地元の人なら分かるのでしょうが、よそからきた人にとっては、話を聞かない限りそこがどんな場所なのか良く分からないで通り過ぎてしまうこともあるでしょう。前日、ふじはらさんと弁天町に向かって歩いていたときには、住民の4分の1近くが徳島県の出身者という町も歩きました。そこは大阪の町なのに、徳島系の銀行が沢山あるのです。

私は好奇心の赴くままに歩き回ることが多いので、知らずによそ者が足を踏み入れない場所に入ってしまうこともあるかもしれません。NDSのメンバーとしてこれまで釜ヶ崎も撮影してきた中村さんに、釜ヶ崎を一人で歩くのは全然平気か、怖いと思ったことはないかと聞いてみました。すると、中村さんは、釜ヶ崎の中でも危ないと言われているスポットには立ち寄らない(違法薬物の売買拠点とか)、アル中の人が集まる場所は危ないとは思わないけど、薬物系は怖い、と言っていました。う~~~ん、どこがどうなのか、自分には分かりません。。。これは世界中のどこでも言えることですが、やはり最初は地元に精通した人に案内してもらうのが安心ですね。。。

中村さんと共に劇場に着きました。豊中平和映画祭のメンバーの方や、遠藤さんなど、この日は沢山のお客さんが来てくれました!

映画が上映されている間、舞台挨拶までは私は自由時間です。何をしようかと考えて、私の頭の中にあるのは、中村さんに聞いた「松島新地」のことでした。今は昼間だし、住宅街から近いし、とりあえず近くまで行ってみよう、と。

「松島新地」入り口ですが、「松島料理組合」と書いてあります。
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人通りはそれなりにあったので(子どもを後ろに乗せたお母さんの自転車なども普通に走っています)、私も歩いてみることにしました。ジロジロとみることは控えましたが、お店は今開けたばかりという状態で、若い女性は沢山の胡蝶蘭に囲まれながら化粧をしている最中で、その傍らには70代くらいの女性が座り、通り過ぎる大学生ぐらいの男の子に「兄ちゃん、遊んでって」などと呼びかけていました。お店の名前はどこも漢字一文字のタイプが多かったです。

遠くから撮影
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東京には風俗店は沢山ありますが、こういうタイプのお店(遊郭)もまだ存在するのでしょうか??? 不思議な世界を見た気がしました。

舞台挨拶の時間になり、劇場へ戻りました。
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なんとメダカがいました!
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この日はほぼ満席に近い状態でした!(写真はNDSの梶井さんが撮影してくれたもの)
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舞台挨拶のあとは、あらかじめ予定していた飲み会がありました。豊中平和映画祭のメンバー、NDSのメンバー、そして岸野さんとお友達という、大合同宴会なのでした! お互いの都合を合わせた結果の合同宴会なのでしたが、正直、(豊中平和映画祭とNDSは合うのだろうか・・・?)とも思っていました。

その心配をよそに、最初から意気投合してます! 注文をまとめる佐藤零郎さん。
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佐藤さんが現在準備を進めている劇映画に、豊中平和映画祭のメンバーがエキストラ出演するという話まで飛び出しました! これは楽しみな展開です!!

3年ぶりに再会した豊中平和映画祭のメンバーの皆さんも、相変わらずお元気でした!Dsc09276

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私は夜の部の舞台挨拶があるのでお酒は1杯にとどめましたが、お酒&料理共に、どんどん運ばれてきました。
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居酒屋にもかかわらず、20人を超える子どもたちのテーブルが近くにあり、まるで運動会のようなにぎやかさでしたcoldsweats01
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7時半ごろに飲み会はお開きとなり、劇場へ向かいました。舞台挨拶までの間、支配人の山崎さんとお話をしました。

シネ・ヌーヴォの事務所
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この映画館の成り立ちについてお話を聞きました。創立者は、劇場を立ち上げる前、自主映画の上映をしていたそうで、その頃の資料も沢山置かれていました。
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大阪には、インディペンデント系の映画館は、十三の「第七藝術劇場」とシネ・ヌーヴォの2館しかないそうです。シネ・ヌーヴォでは特集の上映に力を入れているのだとか。私の映画に話に関連して、大阪では今、橋下市長が地下鉄を民営化するという話が出ているとも言っていました。「地下鉄の民営化で運賃が安くなると言われているけれど、将来的には不採算路線の廃止などが出てくるのではないか?」と話していました。

大阪では、各新聞社が大阪市長の特集を組んでおり、毎日新聞に連載された橋下特集のコピーをもらいました。
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支配人の山崎さんと
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無事、この日2回目の舞台挨拶が終わり、映画館のロビーで感想や追加の質問をしてくださったり、知らないお客さん同士が映画について語り合い始めるのを見て、支配人の山崎さんは「こんなに舞台挨拶が盛り上がる映画は珍しい。言いたいことが沸きあがってくるのでしょうね」と言いました。

映画館のロビーで立ち話をするのもなんなので、お客さん数人とお茶をしに行くことになりました。まったくの成り行き、しかも、お客さんたち同士初対面で、何のつながりもないのでした。この日の夕方のNDS meets 豊中平和映画祭で、知らない人たち同士を引き合わせることの面白さに味をしめた私は、喫茶店に行くことを提案しました。

結局、喫茶店はほとんど閉まり、マックだったのですが・・・coldsweats01
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イギリスに長く暮らし、ブライアンにも会ったことのある小淵さん、建築家として働き、団地好きな人、YWCAのスタッフとして働いているけれど、お住まいの団地が知らぬ間に大家がURから民間企業に変わってしまったと言う人、阪神大震災の復興住宅で暮らす人、そして千里ニュータウンの建替え問題を取材した佐藤さん、と、多彩な顔ぶれでした。

URの賃貸住宅で、住民が知らない間に大家さんが民間企業へ変わるというケース、私は初めて聞きました。驚いた住民たちがURに電話をしていきさつを聞こうとしても、電話の応対は私の映画に出てくるような状態で、何も知りたい事を教えてもらえなかったとのことでした。新しく大家になった民間企業からは「今後3年間は家賃の値上げはしません」という通知が届いたそうですが、それは「3年後には値上げします」と言っているようなものです。今後どうなるのか心配だと言っていました。

また、災害復興住宅の問題も、東京で暮らしているとあまり聞く機会がないのですが、これも近い将来、大きな問題となることが予想されます。阪神大震災で住まいを失った人々は、災害復興住宅に入居して暮らしている人(6000戸もあります)も多いのですが、その期限は20年と決められているのだそうです。20年の期限まであと7年ほど。その後は神戸市は災害復興住宅から手を引き、UR住宅になると発表しているそうです。そのままその住宅に住み続けてよいが、家賃は2万円から10万円に値上がりしてしまいますので、住み続けてよいとは言われても、現実には住めない人が大半です。住民の中には高齢の人も多く、その後の住まいをどうすればよいのか、と話していました。

契約当時に20年と言われていたけれど、そのときは20年なんて、とても先の話に思えたし、何しろ住まいがなかったのでそこに住むしかなかった、でも月日がたつのはあっという間で、復興はままならず、年ばかりとっていき、そう簡単に次の住居は探せないとのことです。

20年の期限の折り返し地点を過ぎた今、行政は早めに対策を取るべきだと思います。また、同様の問題は、東日本大震災の被災者にも必ず起こるでしょう。

佐藤さんが撮影した千里ニュータウンの話にもなりました。暴力的に住まいを奪われていく様子が、映画「空っ風」の中では描かれています。その現場を撮影することの難しさを話していました。特に住民説明会などは、住民以外の参加禁止とされている場合も多いです。一番良いのは、当事者である住民自身がカメラを持ち、撮影することですが、これもまた一筋縄ではいきません。

私は何かを撮影するとき、「参加」するのはあきらめます。例えば、デモやフェス。デモや音楽を楽しみながら、騒ぎながら、声を出しながら、踊りながら撮影するのは無理なのです。この日は撮影すると決めたら、ひたすら職人のように、場所を変え、アングルを変え、どんなに盛り上がっていても冷静にカメラを回します。でないと、映像としてまるで使い物にならないからです。

同じことが住民による撮影にも言えます。当事者として住民説明会に参加し、興奮して発言しているような状態では、被写体をきちんと捉えていなかったり、カメラが激しく揺れたりして、回していて音声は入っているものの、画面に映っているのは前に立っている住民の頭頂部だけ、みたいな結果になったりするのです。臨場感があるといえばそうも言えなくもないですが、やはり撮影する場合は、撮影者に徹することが必要で、当事者は当事者ゆえに感情が激高してしまうので、なかなか難しい場合があるでしょう。

でも、そのことを理解し、なおかつ訓練することで上達するとも思いますが!

佐藤さんは、釜ヶ崎の住民たちの住民票が削除された件で、住民票の回復を求めて活動し、不当逮捕された経験があります。問題の経緯についてはこちらに詳しく書いてあります。撮影者というのが、いかに狙われるのかという話になりました。

佐藤さんの場合、暴力を振るっていなくても、現行犯逮捕ではなく1年後(選挙前)というタイミングで逮捕され、なおかつ、警察側が主張するテープは1本だけだったにもかかわらず、全て(500本)のテープが押収され、いまだに返されていないという、とんでもない事態なのです。SLAPP訴訟の典型です。でも、佐藤さんは「撮影するというのは、それだけ危険な行為。狙われる。撮影しているときは、声も出さないほうが良い(威力業務妨害と言われる恐れもあるから)」と言っていました。

裁判では有罪(罰金刑)が言い渡されましたが、不服として控訴し、現在も係争中とのことです。私も応援したいです!! 

それにしても、「公務執行妨害」以上に、「威力業務妨害」は恣意的に乱用される恐れがあって、怖いですよね。相手側が脅威を感じたと思えば、「威力業務妨害」と主張できるのですから。大きな声で投票に行くことを呼びかけていただけなのに、これじゃあ、デモやシュプレヒコールのようなものも、相手側(行政、国や大企業)にとって脅威と思えば、威力業務妨害で訴えることが可能になってしまいますね。

訴えられることも腹立だしいですし、罰金刑を言い渡されるのも、もちろん納得がいかないですが、撮影者にとっては撮影テープを押収されるというのが、何よりも一番嫌なことです。私もテープの保管場所に注意したり、大事な素材はバックアップを取って別の人に保管してもらったりしていますが、全ての素材について、しかも連日撮影が続くような時期に、同時にバックアップの作業を行うということは、かなり大変(ほぼ不可能)なのです。テープ保管に関しても、皆さんから色んな提案が出され、面白かったですhappy01

マックでのお茶会は11時ごろにお開きとなり、またホテル太洋に戻りました。早いもので、もう大阪滞在の折り返し地点です。

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[jp] 大阪劇場公開(1日目:6月23日)

早いもので、6月23日から始まった大阪シネ・ヌーヴォXでの劇場公開は、今日(7月6日)が最終日となります。劇場まで足を運んで観て頂いた皆様、どうもありがとうございました!

今日から、大阪での劇場公開のことを書きたいと思います。

23日(土)の初日にあわせ、(言うまでもないですが)貧乏映画制作者の私は、夜行バスで前日の22日深夜に東京を出発しました。

出発前から、4日間の間で飲み会が1日1~2回のペースで入っていた私は、このハードスケジュールを乗り切るには、バスで早朝に大阪に着いたあと、数時間仮眠をしたいと思っていました。

大阪の宿をネットで探し、釜ヶ崎に1泊1500円の安宿を見つけた私は、宿に交渉し、23日の朝7時にチェックインをさせてほしいとお願いしました。「確実に約束は出来ないが、前日からの客がいなければ朝から使っても良い」と言ってくれました。

バスが6時過ぎに大阪・難波に到着し、地下鉄で「動物園前」まで行き、駅出口から20秒ほど歩いてホテルに到着。釜ヶ崎エリアは、ほとんど詳しくないのですが、地理に不案内でも駅から近いホテルなら安心だろうと思って選んだのですが、これは本当に正解でした! 大阪滞在中、どこに行くにも御堂筋線ですぐ行け、夜遅くになっても帰りを心配する必要はありませんでした。

私が泊まった宿「ホテル太洋」
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私が泊まった部屋はこんな感じ。4畳ほどの洋室に、シングルベッド、冷蔵庫、テレビ、浴衣、バスタオル、歯ブラシ。十分です。ちなみにこの階は、「女性専用フロア」のため、宿泊客は全て女性なのだそうです。
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フロアの様子
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風呂、トイレ、洗面所は共同
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掃除中のツインルームの様子も見えました
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釜ヶ崎周辺の、これらのホテルはほとんどが、以前は「ドヤ」(日雇い労働者の宿泊所)として使われていたホテルです。改装され、こぎれいになり、格安の宿泊所として外国人のバックパッカーたちに利用されています。

かつては日雇い労働者であふれたこの街が、高度経済成長が終わり、産業・求人の構造が変わり、高齢化した労働者たちは福祉アパート(主に生活保護者などが入居するアパート)に入居し始めたため、元ドヤは外国人用のゲストハウスか、元日雇い労働者たちの福祉アパートへと商売替えをしているわけです。

実際私が宿泊したホテル太洋も、外国人観光客ばかりで、日本語の会話を聞くことは最後までありませんでした。受付の男性も、見た目日本人なのですが、便宜からか「Steve」と書かれた名札をつけていましたcoldsweats01

元ドヤの名残か、作業用ヘルメットなどをつるしていたであろうフックが廊下にあったりしました。また、大浴場がひとつしかなく(昔は男性労働者だけだったのだから)、時間帯を分けて男性と女性が使えるようにしてありました。(シャワー室は24時間使えるようになっていました)

駅周辺に立ち並ぶ元ドヤのホテル
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宿泊料金は個室で1500円~2000円程度と破格の値段です。
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駅から離れていくと値段はさらに下がり、中には1200円という宿も! 一晩で1200円は、ネットカフェよりも安い値段。東京でも、山谷あたりが同じようにバックパッカー用の宿に造り替えているところもありますが、さすがにこの値段は東京では見かけません。
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「地デジはいりました」じゃなくて「ビデオ付カラーテレビはいりました」っていうのがほほえましいですhappy01

実際に宿泊するまでは、「釜ヶ崎・1500円」に多少の不安を持っていた私ですが、思っていた以上に快適でした! お勧めです!

さて、7時から11時ごろまで仮眠をした後、駅近くの食堂で昼食を食べてから、千里中央へ向かいました。山形の映画祭で知り合った楠瀬さんの紹介で、大阪のローカルラジオ局、FM千里の「映画の森」という番組にゲスト出演させてもらうためです。

「千里」といえば、私のブログを読んでいただいている方はお分かりのように、NDSの中村葉子さんが撮られたドキュメンタリー映画「空っ風」の舞台でもあります。千里の町並みを見たいと思い、予定より早めに千里駅に向かい、近くを歩いてみることにしました。

千里中央駅
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千里中央駅の手前数駅ぐらいから、景色が団地や高層マンション一色になっていくのを、驚きの気持ちで眺めていました。

千里中央駅周辺
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地元の人らしき人が、立ち話をしていたので、そこで千里ニュータウンの建替えられたマンションがどこかと聞いてみました。その人たちによると、千里ニュータウンはとても広いので、私が見たいと思っている一番大きな建替えマンションは、ここからかなり歩くといわれてしまいました。

でも、この近所でもURの団地から民間に建替えられたものはあるということで、いくつか教えてもらいました。
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昔のままの団地もあります。
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建替えの時は、相当な反対運動が起こったけれど、建替えの話は強硬に進められた、今は建替えはほとんど終了したのではないか?と話していました。話を聞きながら、巨大な団地を訪問するには、やはり事前の勉強が必要だったと残念に思いました。団地があまりにも巨大すぎて、同じ団地でも別の駅で降りないと歩いていけないような場所もあって、限られた時間内ではまったく立ち寄る時間がないのでした。

私が団地のことをあれこれ聞くので、その人(70歳ぐらいの男性)は不思議そうに「あんた、グーグルの人?」と聞きました。

グーグル!!!!!

これまでにも知らない人に話しかけたり、街中で写真を撮っていて、よく「新聞記者の人?」とか「週刊誌の人?」とか聞かれたことはありますが、グーグルの人かと聞かれたのは初めてでした! 確かに、グーグルアースとかで、グーグルは各地の風景をとりまくっていますものね。グーグルに間違えられる時代になったんだなぁと、感慨深く思いました。

結局、千里ニュータウンを見ることができずに、待ち合わせの時間になってしまい、千里中央駅に戻りました。楠瀬さんと会い、FM千里まで連れて行ってもらいました。

パーソナリティーの林さん、そしてディレクターさんと挨拶をして、おしゃべりをしました。FM千里は、阪神大震災を機に作られたラジオ局のなのだそうです。

私の映画は事前に送ったDVDで見ていただいていたのですが、千里ニュータウンの建て替えを経験した土地柄、そして地元に支援されているローカルFM局という立場から、URの立ち退きの問題はそんなにつっこんで話すことは出来ないけれども、映画監督としてのこれまでのことや、イギリスに留学した時の話などを中心に聞きたいと言われました。

私としては、まず導入として千里ニュータウンの建て替えからお話をすれば、大阪のリスナーの人たちにも東京の日野市で起こっているUR団地の問題を身近に感じてもらえるのでは、と思っていたのですけれども・・・coldsweats01! 

本番直前にパーソナリティーの林さんと
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本番中!
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番組の冒頭から約20分間、お話させていただきました。映画を作るようになったきっかけ、ロンドンでの生活、ジャーナリズムとドキュメンタリー、そして「さようならUR」の映画について、住民の人へのインタビューについてなど。

この日は3時半からシネ・ヌーヴォXで上映が始まっていました。楠瀬さん、そして取材をしてくれるというウェブマガジン「キネプレ」の編集長・森田さんと共に、急いで映画館のある九条へ向かいます。

東京ではいまいち実感として良く分からない(←私だけかもしれませんが)、橋下市長の人気度と市民生活に与えている影響なのですが、森田さんによると文化関連の助成金などの予算はかなり削られてしまい、これまで若手の登竜門として注目されていたCO2映画祭が終了となり、今後は制作支援本数を縮小して大阪アジアン映画祭の一セクションになる、などと話していました。

映画の上映は3時半からでしたので、厳密には4時43分から舞台挨拶を行うことになっていました。果たしてどれだけのお客さんが来てくれているのでしょうか・・・ドキドキしながら劇場へ向かいます。

舞台挨拶開始20分ほど前に劇場に到着しました。映画館は、商店街を通り、住宅街の中にありました。
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舞台挨拶の時間まで、森田さんがインタビューをしてくれました。キネプレの記事はこちらよりご覧いただけます。

インタビューの後、森田さんと
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劇場の中には、「さようならUR」のポスターも!
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歴代の監督やゲストたちのサインが壁にびっしり!
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初回の舞台挨拶は記念に撮影したいと思い、楠瀬さんに撮影をお願いしました。山形の映画祭で会ってはいましたが、そのときは鉄道の話がメイン(!)だったので、山形に通っている理由(映画のお仕事をされているのか、映画が好きなのか、映画を作っているのか・・・etc)などは分かりませんでした。でも、事前に「舞台挨拶の撮影をお願いすることは出来ますか?」と聞いたところ、ビジュアルアーツで映像を学び、パナソニックの業務機を持っていることが判明! お芝居の撮影などもされているそうです。舞台挨拶の撮影をお願いできる人がいてよかった~と安心しました。(だって、カメラのシャッター押すぐらいならまだしも、ビデオカメラの撮影を頼まれるのって、やったことがない人だったら相当ハードに感じますよね)

映画が終わり、舞台挨拶の時間になりました。会場に入ると、座席が8割ほど埋まっていて、とてもうれしくなりました。

舞台挨拶の様子
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舞台挨拶では、この日千里に立ち寄ったということ、住宅問題は高齢者だけでなく自分たちの世代の大きな問題でもあるということ、などを話しました。

会場からの質問では、「さようならUR」というタイトルの意図、耐震補強工事について、理事長の取材について、などの質問をいただきました。

無事舞台挨拶が終わったあと、観てくれた人が次々に話しかけてくれました。中でも、とても親しみのある笑顔で話しかけてくれた女性がいました。「誰か分かる?」と聞かれましたが、う~~~ん、分かりません。。。「会ったことがあるとしたら、豊中平和映画祭の方ですか?」と答えたところ、「違う。どんどん言ってみて」と言う、その話し方でハッとしました。

もしかしてしょこたん(通称)のお母さん?!?!

・・・正解でした。イギリス留学前5年間働いていた会社で、同期として入社して以来、ずっと仲良くしてもらっているしょこたんのお母さんなのでした! 関西にお住まいと聞いて、是非観に来てとお願いしたら、初日に来てくれたのでした!

しょこたんのお母さんと。話し方がところどころしょこたんに似ているしhappy02!!
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お土産もいただきました。ありがとうございます!
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次の上映は7時半からで、舞台挨拶は8時43分からの予定でした。それまでの間、映画を観に来ていただいた、元UR職員で現在は大学の先生をされている増永さん夫妻、そして大阪のURの職員の方々と共に、近くの喫茶店にお茶を飲みに行きました。

喫茶店にて
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増永さんは、大学で住宅問題を教えているけれども、学生たちは居住実態についてなかなか知る機会がない、こういう映画が作られたのは素晴らしい、と話していました。是非生徒にも観に来てほしいと思っているけれど、地理的にやや遠いので、水族館とセットにして大阪に来がてら、映画も観てもらえれば・・・と言っていました。映画と水族館って、まるでデートのようですねhappy01

URの職員の方からは、最近のURの状況についてお話を聞きました。URの高コスト体質は事業仕分けでも指摘されていますが、そのあおりで新規採用が極端に少なくなっているといっていました。職員は3~4000人いるのですが、新規採用は全国で3~40人しかいないのだそうです。新陳代謝が全くない、いびつな人員構成だと言っていました。3~40人の狭き門をくぐって採用された新入職員は、皆、高学歴でコミュニケーション能力に長けた人ばかりなのだそうです。そういう人は、弁が立ち、説得力があるので、住民対応に配属されると言っていました。そんな手ごわい人が送り込まれたら、住民側も大変ですねcoldsweats02

公務員は身分の保証がされていますが、ふと、URを含む独立行政法人の職員の身分はどうなのだろうかと思い、聞いて見ました。「人員削減せよ」と外部からは言われていますが、リストラなんて出来るのか、と。すると、公務員の給料削減にならい、独法の職員たちも給料が減らされているそうです。現在のところ身分保障はあるそうですが、独立行政法人の職員に対し退職の斡旋ができる法律が制定されようとしている、とのこと。・・・となると、表向きは「退職の”斡旋”」とはいえ、今後は事実上のリストラが始まってくるのかもしれません。

事業仕分け、あり方検討委員会での審議を経て、URの今後の組織についても話題になりました。おそらく8月頃に特殊会社化が決まるかもしれないけれど、総選挙の日程なども影響して、スケジュールはずれるかもしれないとのこと。

また、私の映画の中で「直撃」された理事長ですが、彼はこの6月に任期が切れ(その後はどこに「渡り」をしたのでしょうねgawk?)、次の理事長からは「公募制」によって選ばれることになったそうです。プロパーの職員たちとしては、(天下りも問題ですが)まったくの専門外から来る人が理事長になる場合、それも良し悪しがあると話していました。(※7月10日の新聞報道によれば、小川さんの退任後、みずほコーポレート銀行元専務でオリエントコーポレーション社長をかつて務めた、上西郁夫さんが新たな理事長となったそうです。人選は当初公募で進めたが難航し、小川氏が6月末で退任後は空席になっていた、とのこと。)

今回に限らず、これまでにも、東京や別の地域で、URの職員の方たちが映画を見てくれたことは何度もあり、その後にお話しする機会も持てたりするのですが、私の映画の中でのURの描き方には不満があるようです(そりゃそうかもしれません)。現場で働いている職員の多くは、淡々と真面目に自分の職務をこなしているだけで、住民を苦しめたいなんていう気持ちは全くないのですから。

私も、真面目な気持ちで働いている職員の方々がいるということは認めます。でも、アイデンティティーがどうしても「個人」より「会社員」になってしまうので、上司や会社の命令に背いてまでは、公共住宅や住民を守れないのです。。。(これはURに限った話ではないですね)

URにも労働組合がありますが、組織の加入率は昔は7~8割あったそうですが、現在は約1割(全国なのか大阪の組合限定の数値かは不明)で、なかなか声が届かないと嘆いていました。政策は国が決めるから、自分たちは組織にいる以上それに従うしかない、組合としての活動の第一目的はUR職員の労働条件の改善を求めること、と話していました。

私は映画の中で、URを批判してもいますが、しかし、職員の人たちに会ったときには、私が映画で描いた意図について、こう補足して説明してもいます。「住宅問題や住宅政策は国&自治体レベルの政策の問題。URはただの実行部隊で、住宅政策を論じたり、決定する権限はない。一番問題なのは、「国」にしっかりした住宅政策がないことで、なおかつ住宅に関する理念・哲学・ビジョンも持っていない。それが問題だと思っています」とお話ししています。

国によっては、まちづくりや住宅政策を考える検討委員会のメンバーに建築家らだけでなく、哲学者や思想家も入れる国もあると聞いたことがあります。ただ、建てる・作る・壊すetcだけじゃなくて、そういう視点も大事だと思います。

「さようならUR」というショッキングな(?)タイトルのおかげで観るのをためらうUR職員の方も多いと聞いているのですが、私の本意を理解したうえで、ぜひ多くの職員の方に観に来ていただきたいと思います。(ちなみに「URにDVDを送ってみせたらどうか?」ともアドバイスを頂くのですが、URの会議室でこっそり観るよりも、実際のUR団地にお住まいの住民の皆さんが来られる上映会場まで足を運び、上映後の質疑応答などで住民の皆さんのリアルな声を聞いてほしいと思っているので、DVDだけ送るのはちょっと違うかな~と思います。。。)

やや話題がそれましたが、この日は、大阪の公共住宅事情についても話を聞きました。大阪では、府営住宅と市営住宅を統合していく方向にあるそうです。橋下市長の方針にあるように、府の権限を市に移行する(同等の権限を持たせていく)ということでなのだそうです。統合によって、どのような影響が出るのか、気になるところです。

色々と貴重なお話を聞くことが出来て良かったです。

夜8時ごろになり、舞台挨拶のために劇場に戻りました。本日、2回目の舞台挨拶です。劇場に到着すると、スタッフの方が言いにくそうに「すみません、お客さんが一人だけなんです・・・」と言いました。

・・・一人かぁ・・・ 

これまで、連日の上映や一日数回の上映をしたことがなかったので、劇場公開の厳しさを見せ付けられた気がしました。まだ初日なのに・・・。ほとんど無名の私の作品を公開しようと選んでくれた、支配人の山崎さんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

ちなみに、私が舞台挨拶をした4日間で、お客さんが一人(5人以下)なのは、この1回だけではありましたが。。。

一人と聞いて最初は凹みましたが、段々と、観に来てくれたたった一人のお客さんに感謝する気持ちの方が大きくなってきました。観客の側としては、One of themのつもりで観に来た映画で、舞台挨拶のお客さんが自分だけというのは、かえって嫌なものだろうと思います。(さして興味のない映画で、特段質問がなかったとしても、無理やり質問してあげなきゃ申し訳ない、みたいな気持ちになるのでは?と私だったら思います)

映画の上映が終わり、恐る恐る中に入りました。座っていたのは、若い男性でした。名前はふじはらさんというのだそうです。挨拶もそこそこに「どうして映画を観に来てくれたのですか?」とまず聞いてしまいました。すると、大阪市立大学の全先生から上映のことを教えてもらったとのことでした。

全先生!!!

私はこの日の上映の後、釜ヶ崎で全先生と会う約束になっていました。先生自体は、この日、学会(だったかな?)の総会で映画は観にこられなかったものの、総会後の飲み会に私も合流してお会い(初対面)することになっていたのです。先生の生徒さんが、映画を観に来てくれたとは!

観客はふじはらさん一人でしたが、映画を観て思ったことをノートに書きとめていて、沢山質問をしてくれました。質問も交えながら、気がついたら通常の舞台挨拶の時間を過ぎるぐらいの時間になっていました。大学院で社会学的に様々なこと(ふじはらさんの主な研究フィールドは移民労働者の問題だそうです)を学んでいるだけあって、「社会」、「住居」、「高齢化社会」など、多方面からの質問をしてくれました。

舞台挨拶(?)が終わり、私はふじはらさんを全先生との飲み会に誘ってみました。最寄のJRの駅・弁天町まで歩きながら、大学院での勉強について聞きました。移民労働者、特にブラジルの日系人コミュニティに興味があるのだそうです。私が4月に訪問した韓国のスラム街・ポイドンにも、全先生のスタディーツアーで参加したのだとか。

電車に乗り、新今宮に到着した頃は、既に10時を回っていました。参加するはずだった飲み会はお開きとなり、近くの飲み屋で2次会をやっているとのことでした。この日は、ホームレス支援団体や簡易宿泊所などの経営者たちが全国から集まって総会を開いたのだそうです。北海道、東京、大阪など各地からの人が集まっていましたが、皆さん既に完全に出来上がった状態・・・

元駄菓子屋で、今は飲み屋という不思議なお店。よくみると「菓子問屋」という看板が見えます!
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飲み屋の一角には、駄菓子も売られています。
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ライティングのせいか? 日本ではなく、アジアのどこかの国のような雰囲気です・・・
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全先生、西成の町会長さん始め、皆さん初対面の方たちでしたが、大盛り上がりでした。
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簡易宿泊所の経営をしている人たちは、「貧困ビジネス」と呼ばれることや、今話題の「生活保護バッシング」などに、憤りを感じているようでした。確かに悪質な業者はいるが、行政がやらないから自分たちがやっているのに、と。

話題は橋下市長の話にもなりました。「西成特区構想」として、釜ヶ崎のイメージアップを橋下市長は考えているそうなのですが、大阪府外から西成区に移り住めば税金が優遇されるなどの作戦は、果たして上手く行くのかどうか、など。

私が面白いと思ったのは、まだ就任して間もない橋下市長に対し、実際に野宿者支援に関わる人たちが、「橋下後」を見据えながら今後のことを考えていることでした。「橋下さんは、大阪に骨をうずめる気はない。大阪市民のためというより、自分のために市政に参加しているのだから。府知事は既に次の国政に出ると明言しているし」とのこと。

私が泊まっている「ホテル太洋」を含む、元ドヤの話にもなりました。私としては大満足の元ドヤ泊でしたが、部屋の写真を皆さんに見せると微妙な表情・・・ なぜ・・・!!! 「いかにもドヤ」だと言われてしまいましたcoldsweats01

釜ヶ崎でフィールドワークをしている調査会社の人からは、「釜ヶ崎でコストパフォーマンスが一番良い宿は1,400円の”ラッキー”という宿」と言われました。私はその宿は知りませんし釜ヶ崎のどこにあるのか分かりませんが、でも、値段、部屋の広さ、清潔さ、備品などに加え、夜遅くに帰る私にとっては立地もかなり重要なので、駅から歩いて10秒の「ホテル太洋」はかなりお勧めなのですが・・・!

でも、大阪での宿を探している人は、ぜひ「ラッキー」もチェックしてみてくださいね!

一人で飛び入り参加した超アウェーな飲み会でしたが、「さようならUR」の自主上映会をやってくれるという話が出たり(7月25日19:00~阿倍野区の「阿倍野長屋」で開催決定!)、釜ヶ崎での調査・研究を多く手がける調査会社を訪ねてもいいという話が出たり、とても楽しい飲み会でした。

夜の会のお客さんが一人ではなかったら、さすがに私も観に来たお客さんを突然飲み会に誘うことはしなかったと思うので、これも何かの縁だな~とつくづく思いました。

・・・とはいえ、興行成績的には沢山の人に来てもらうことを目指すべきなのですが!

あと舞台挨拶は残り3日。出来ればたくさんの人に来てもらいたいけれど、そうでない場合も、来てくれた人が満足して帰れる様な、そんな上映にしたいと思った初日でした。

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[jp] ビッグイシューの販売員に

今朝、久しぶりにロンドンのマリアの近況を聞きました。なんと、昨日からロンドンの繁華街のひとつ、コベント・ガーデンでビッグイシューの販売を始めたのだそうです!

夜は野宿者用のシェルターに泊まり、昼間はビッグイシューの販売をする・・・

数ヶ月前までパーラメント・スクエアで抗議活動をしていた生活とは、がらりと変わりました。

気になる初日の販売冊数は「6冊」。ビッグイシューの仕組みは、ビッグイシュー日本もそうですが、販売員は最初の10冊は無料でもらえ、それを販売することで、次回からの仕入れの資金にする、というものです。

しかし、マリアによると、イギリス(ロンドン限定?)のビッグイシューでは、最初の10冊無償提供は廃止となり、最初から自己資金で仕入れなければならないのだそうです。(本当なのかしら・・・でも、マリアはそう言っていました)

丸1日販売して6冊。1冊の販売価格は2.5ポンド(約375円)で、仕入れ価格は1.25ポンド。6冊販売したということは、彼女は1日で7.5ポンド(約1125円)を稼いだという計算になります。マリアは、「もっと簡単に売れると思った。丸1日働いてこれでは割に合わない」と言っていました。ちなみに、ロンドンの一般的なサービス業(外国人や移民労働者の多いウェイトレスやマクドナルドなどの仕事)では、1時間の時給は10ポンドくらいです。

でも、初日でもあるし、知らない人に話しかけるのが好きで得意なマリアだったら、これからはもっと売れるかもしれません。彼女は「とりあえず8月まで続けてみようと思う」とのことです。

6冊が販売冊数として多いか少ないかは別として、なかなか冊子が売れない理由には、ロンドン特有の事情があるようにも思います。毎日地下鉄の駅で手に入る新聞「メトロ」は、無料にもかかわらず60ページほどのボリュームがあり、政治から芸能ゴシップまでかなり幅広く網羅されています。それ以外にも、かなりの数のフリーペーパーがあり、既存の新聞の売り上げに影響し、街中でフリーペーパー以外の新聞を読んでいる人を見つけるのは稀です。中には、ロンドンの夕刊紙(イブニング・スタンダード)のように、もとは有料で販売していた新聞を、無料のフリーペーパーに変更したものまであります。

地下鉄や電車の車内では、毎日夕方ごろには読み終えたフリーペーパーが床に散乱するような中で、ページ数が少なく、なおかつ400円近くする雑誌の販売は、読者がその社会的意義を理解して支えてくれないと、かなり苦戦するでしょう。

なかなか難しいなぁ・・・

マリアは、平和活動をやりたいので、就労の意思がないため、失業手当などは受給することが出来ないのだそうです。(就業のためのトレーニングやカウンセリングを受けるのが条件なので)。なので、現在のような状態で当面は生活を続けていくとのこと。

オリンピック開催による観光客増で、雑誌も売れると良いですが!!

ちなみに8月には、マリアの娘・ケリーに二人目の赤ちゃんが生まれるので、その面倒を見るためにケリーの家で生活をするそうです。

マリアの近況でした。

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[jp] 一行でも滲み出る個性

今週末の7日(土)は、千代田区のアジア太平洋資料センター(PARC)自由学校にて、「生きるー表現者たちが紡ぐ哲学」という講座を担当します。全11回の講義で、作家、映画監督、写真家、美術家など、さまざまな表現者やアーティストたちが、1回ずつ講師を務めることになっています。私もその中の一人として参加させていただくわけです。

私は、今日の日中、7日の講座で配布する資料づくりをしました。最初、A4の紙2~3枚かなと思っていたのですが、最終的には9枚にもなってしまいました! 教科書ではないので、講座ではそれらを読むことはせず、家に帰ってからゆっくりと読んでほしいな~と思っています。

PARCからは、事前に受講生の方々が記入したアンケート用紙のコピーを頂いていました。名前、年代、このクラスを受講した理由、好きなこと、自分自身について、自由学校に期待すること、クラスでやってみたいこと等々。良くあるアンケート項目です。

このコースの受講生の方は19人いるそうで、それらのアンケート用紙を順番に読ませていただきました。

A4のたった1枚の紙。しかも、書かれていることは一言だったり、多くても数行だったりするわけですが、読みながら(かなり個性的な人たちだわ!)と感心しました。

よく、直接人に会わないと、例えば、ネットなどでは「なりすまし」といわれるように、性別や年代、そのほか、あらゆることを偽ることは可能と思われますよね? 私もそう思うのですが、でも、直接あっていなくても、大量の文章をやり取りしなくても、たったひと言、たった数行の文章から、その人となりらしきものが伝わってくる場合は、確実に「ある」と思います。

私はずっと前に池袋のアパートに住んでいたとき、同居していた友人が急に実家に帰らなければならなくなったので、インターネットでルームメイトを募集したことがありました。ネットでは、もしかして怖い人も近寄ってくるかも?だまされるかも?という不安もあったのですが、次々と送られてくるメールを読んだり、何度かやり取りをするだけでも、(う~~~ん、この人微妙かも!)とか、(この人は一緒に生活できそう)とか、そういうことが伝わってくる場合が多いのです。で、実際あってみるとその通りだったり。(もちろん外れる場合もあるのですが)

そのときに思ったことを、今回受講される方々のアンケートを拝見しながらも思いました。震災を機に社会に働きかけるための表現方法を学びたいと思ったという人、韓国の「西大門刑務所歴史館」に行って衝撃を受け、自分が今見ている世界は偏っているのではないかと思うようになったという人、演劇をやっている人、飲み会がしたいという人、「生きてて良かった」と思える社会にしたいという人、受講理由=消去法で残ったのがこのクラスという人、野望は脱原発と転職という人・・・などなど、読んでいて、それぞれの方の人柄がちょっと伝わるようでしたし、(この人たちの方が、講師である私よりよっぽどキャラが強いのでは?)とも思ったり。。。

講座の後には飲み会(交流会だったかもcoldsweats01)もあるそうなので、受講生の方々にお会いできるのが、今からとても楽しみです! 私が話すだけじゃなくて、話も聞かせてほしいですから!

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[jp] 1万枚超え

2008年に購入した、ソニーのデジカメで普段写真を撮っているのですが、今回の大阪旅行で撮った写真をパソコンに取り込もうとしたら、メモリーカードになぜかフォルダが二つ作成されていることに気がつきました。

何でだろうと思って、それぞれのフォルダを開いてみると、写真に自動的につけられる番号が「9999」に達したので、それ以降の写真は「0001」とナンバリングされたため、「0001」以降の写真が別フォルダに入っていたのでした。

これまでにも、別フォルダが作成されたことが、あったような、なかったような、記憶が定かではないのですが、少なくともこのカメラで1万枚以上は撮影したということです!

でも、もしかして2万枚、3万枚目ラウンドだとしても、ありえる話です。なぜなら、今回の大阪旅行8日間だけでも、800枚も撮影していますし、1週間単位の旅行や映画祭などでは、いつもそれぐらいの数を撮影しているからです。多分2万枚は到達しているでしょうね。

今日はメールを書いているだけで一日が終わってしまったのですが、滋賀の「のらねこ軒」で撮影した看板(?)犬「わらび」とネコ「みう」の動画をご紹介します! 動画はこちらよりご覧いただけます。「わらび」は動物保護センターから2ヶ月前に引き取ったそうで、とても怖がりなワンちゃんです。でも、遠藤さんと大久保さんに育ててもらって、段々心を開いていくかな? 今度会う時は、私にもなついてくれると良いですが!!

また、大阪で映画をご覧頂いた方が、ブログで映画の感想を書いたと教えてくれました。うれしいな~。

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[jp] 大阪から戻りました!

久しぶりのブログ更新です。6月23日から、「さようならUR」の劇場公開のため、大阪に行き、初日から4日間、合計8回の舞台挨拶をさせていただきました。観に来ていただいた皆様、どうもありがとうございました!

「さようならUR」のシネ・ヌーヴォXでの上映は、7月6日(金)までとなります。ぜひ、周りの方々に広めてください!

大阪では、インタビュー取材2回、ラジオ出演1回、舞台挨拶8回、飲み会8回・・・と、かなりのハードスケジュールでした。それらに加え、大阪で知り合った人の事務所なども訪ねて話を聞いたりもしました。その後、滋賀県に住む友人宅に立ち寄り、そこでは都会の喧騒を忘れゆったりとした日々を送るつもりでしたが、結局、車で大飯原発まで行き、原発の再稼動に反対し全国から集まった人たちと交流したり、フェリーで大飯原発のすぐ近くまで行ったり、数年ぶりに登山(比良山)をしたり・・・と、連日色んな場所に連れて行ってもらいました。

今は全身筋肉痛で、階段の上り下りが大変です・・・coldsweats01

昨日は、朝東京に夜行バスで到着し、家で3時間寝てから、三鷹市の明星学園高校で「さようならUR」の上映に参加しました。大阪出発前から明星学園での上映までを「旅行」として組み込んでいましたので、気力・体力共に大丈夫でした。でも、さすがに打ち上げで夜9時を過ぎたあたりからは疲れが出てきてしまったのですが・・・

昨夜は夜12時に寝て、今日は目覚ましをかけずに寝たら何時ごろに目が覚めるか?と思ったら、10時ごろには目が覚めました。午後2時ごろまで寝ててもおかしくないかと思ったのに、意外に早く起きました。朝9時ごろ、町内会のごみ収集のアナウンスで目が覚めたのが影響したのかもしれません。

これから、大阪&滋賀で撮った写真を整理したり、出会った人たちにメールをしたり、ブログを書いたり・・・といったことをして行こうと思います。部屋も掃除しなくては・・・

とにかく、まずこの筋肉痛がどうにか治まってほしいです・・・!

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