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[jp] 大阪劇場公開(5日目:6月27日)

大阪での劇場公開を振り返るこのブログ、最初深く考えずに「大阪劇場公開(○日目:6月XX日)」という形式で始めてしまったのですが、よく考えたら、後半は大阪を離れ、劇場公開とは関係ないことばかりが占めるのです。どうしたものか・・・と思いましたが、統一させるべく最後まで「大阪劇場公開・・・」で行きたいと思いますので、よろしくお付き合い願います。

さて、前日までに劇場での舞台挨拶を終えました。この日は夕方には大阪を出て、滋賀に向かうことになっていました。朝9時ちょっと前に起きたとき、まだかなり眠く、段々と日々の疲れが蓄積されてきているのが、実感できました。

荷造りをして、10時にチェックアウト。次の予定は12時半でしたが、その前に私は釜ヶ崎で立ち寄りたい場所がありました。荷物をホテルに預かってもらい、一人で「あいりん労働福祉センター」へ向かって歩きます。

動物園前駅周辺は、元ドヤを改装したバックパッカー宿ばかりですが、労働福祉センターに近づくにつれ、生活保護受給者を対象とした簡易宿泊所や福祉アパートのような物件が増えて行き、生活保護者歓迎と書かれた看板などが目に付くようになります。
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街中にコインロッカーが沢山あったり、コインロッカーにも短期貸し、長期貸しなどがあったりするのが、釜ヶ崎ならではだと思いました。
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安い大衆食堂や質屋、建設作業員の衣服を売る店など、需要に合わせたお店が立ち並びます。「あいりん労働福祉センター」の前を通り、道路を渡りました。

「あいりん労働福祉センター」(道路の向かい側から撮影したもの)
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四井さんの話では、労働福祉センターの真向かいに「釜ヶ崎資料センター」があるとのことでした。雑居ビルを覗くと、「釜ヶ崎資料センター」とガラス戸に書かれており、中に人が座っているのが見えました。

ノックしてドアを開け、自己紹介をしました。「ドキュメンタリー監督で、大阪に旅行で来て、四井さんから釜ヶ崎の話を聞き、「夜間学校」を今でも発行し続けている人がいると聞いて、話を聞きたいと思ってやってきました。」というのが、おおよその自己紹介の内容です。

私の訪問理由を聞き、センターの松繁逸夫さんは、困惑した表情で「釜ヶ崎の話って言っても、具体的にどんなことを知りたいの?」と言いました。

どんなことって言われても、私だって漠然としているんだし・・・

やはり、あまりにも不勉強で来てしまった自分を反省しました。せめて自分の頭を整理してから来るべきだったと。「行きたい」だけでくるので、こうなってしまうわけです。

ただ「話を聞いてみたい、会って見たい」で、ここまで訪ねてきてしまったのですが、なんとなく世間話をするうちに、結局は、松繁さん自身についてのお話を中心に、高度経済成長のころの釜ヶ崎から、現在の橋下市長「西成特区構想」のお話まで、気がついたら2時間近くお話を聞いていたのです!

松繁さんは、20代の後半から釜ヶ崎に出入りするようになり、約20年間釜ヶ崎で日雇いとして働いてきたそうです。主に鉄筋工として、ビルや学校などの建設にかかわりました。釜ヶ崎で日雇いをやったり、時々はサラリーマンとして会社に就職したり・・・

・・・日雇いと会社員を往復するような人なんているの???

私は驚いたのですが、実際はそういう人もかなり多かったのだそうです。もちろん、流れ着いて、頼る人もなく、路上生活をしながら日雇いの暮らしをする労働者も多数いましたが、松繁さんのように、ドヤ住まいではなく、妻子と共に釜ヶ崎近くの文化住宅で暮らし、日雇いの給料で家計を支え、時には会社員として働く時期もあるというような人も、珍しくなかったのだそうです。中には、労働運動をするために釜ヶ崎に入り込んで、日雇いで働きながら、労働運動をしていた活動家もかなりいたそうです。

松繁さんが日雇いの仕事を好んでしていた理由は、「自由さがある」ということでした。生活は勿論不安定になりますが、週の半分は働いて、週の半分は図書館にいったり、勉強をしたり、労働運動をしたり、自分の時間として使っていたそうです。「アリとキリギリスみたいなもんだよな」と言って笑っていました。

「夜間学校」新聞の発行は、80年代の初め頃から週1で発行し(約500部を配布)、現在でも発行を続けています。新聞の発行だけでなく、当時は実際に市民会館で勉強会(夜間学校)も開催していたそうです。

現在は、元日雇い労働者たちの憩いの場のようになっている「あいりん労働福祉センター」ですが、全盛期(80年代ごろ)は、毎日2万人が仕事を求めて集まったそうです。90年代の終わりごろには2000人ぐらいまで減り、現在では200人程度と、かつての100分の1まで縮小しています。

「あいりん労働福祉センター」の建替えや移転は、問題もありますが、このような状況の変化(かつての100分の1までの縮小)を考えれば、どんな形にせよ変えていかなければならないと、やむをえないとも感じているそうです。この、かつての大きな器をどうするのか、高齢化した元日雇い労働者(ほとんどが単身・身寄りなし)をどうするのか、彼らの介護の問題、それは最後まで関わっていく必要があるとも話していました。

「あいりん労働福祉センター」の今後がどうなるかは、はっきりと決まっていないそうですが、もしかして周辺の土地の動き次第で状況が動いていくかもしれない、と考えているそうです。現在、釜ヶ崎では人口が段々減っているので、簡易宿泊所自体の経営も難しくなり、取り壊してコインパーキングとなっている場所も多いのです。(空き地にしておくと税金が高いので駐車場にしているそうです)。今後、釜ヶ崎が都市開発されることを期待して、土地だけ所有しつづける地主もいるとか。これらの更地に動きが出次第、労働福祉センターをどうするか、その議論が本格化していくのでは?と言っていました。

先日のブログにも書きましたが、橋下市長は「西成特区構想」を掲げ、府外から西成区に居住する人には税金の優遇措置などを検討しています。ですが、税金優遇につられて若い人が移り住めば良い、新しい人たちが入り”釜ヶ崎”色が薄まれば良い、というものでもありません。結核の罹患率が全国平均の50倍というこの地域に、大阪市は結核対策として1億円の対策費を出すことを決定したそうですが、それ以外にも対処しなければならない問題に対しては、そこまでのお金を投入するつもりは無いだろうと言っていました。

松繁さんは”目先のこと”や”あぶく銭”に捉われないで、この街の将来を考えていかなければならないと言います。特に、釜ヶ崎で商売をしている人たちは、目先の利益に捉われがちで、日雇い労働者が少なくなった・高齢化したとなると、外国人バックパッカー向け、生活保護受給者向けの商売に鞍替えします。税金を安くすれば若い世代が入ってくるだろうという計算も、似たようなものです。駅前で、元日雇いの労働者と何も知らないでやってくる外国人バックパッカーたちが、お互いの存在など見えないかのように行き交う姿は、確かに”街”と呼べるようなものではありません。。。

松繁さんは、80年代のころ既に「将来、日本はオールニッポン釜ヶ崎になる」と言っていたそうです。釜ヶ崎で仕事を求める労働者の数は激減しても、世の中を見渡してみれば、使い捨ての労働はますます増えていく傾向にあります。釜ヶ崎のように、1箇所に労働者を集め、手配師が・・・というスタイルがなくなりつつあるだけで、携帯電話やネットで、日々使い捨ての労働力の需要は増すばかりです。

「釜ヶ崎の歴史やここでの取り組みは、将来の日本に、必ず役に立つ。」

その思いで、発行当初からの「夜間学校」ニュースを保管し、釜ヶ崎に関する資料などを数十年かけて集めてきました。保管場所を確保するだけでも、相当大変だったそうです。仲間とアパートを借りたり、大学の先生の研究室に置かせてもらったり。現在のこの事務所は、とあるNPO法人の事務所なのだそうです。

これから大きく姿を変えてしまうかもしれない釜ヶ崎。

でも、大阪府や大阪市には、釜ヶ崎の歴史を保存する資料館を作る気なんてまったくないだろうと言っていました。大阪人権センターさえも閉館になったのだから、今はそういうものをなくそう、痕跡を残さないようにしようという方向なのかも、とも。

そして、行政だけでなく、市民の側も、最近は歴史をきっちり学ぼうとか、そういう傾向はないように見えると話していました。釜ヶ崎資料センターをオープンしたいと思って、資料を収集・保管してきたが、膨大なアーカイブを設けても、どれだけの人が見て、活用してくれるのかという疑問も持っているそうです。どうしたものか・・・と困っているようでした。

ちなみに松繁さんのホームページはこちらです。このホームページやリンクをたどっていくだけでも、かなりの資料や歴史を見ることができます。

釜ヶ崎資料センターの様子
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松繁逸夫さん
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「夜間学校」ニュース
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興味深い記事が沢山! また、漢字には読み仮名がつけられています。
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仲間の死を伝える記事。氏名が分からない場合が多いので、服装や体格、所持金などが記されています。ほとんどの号で、このような死亡者のお知らせ記事が掲載されていました。
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釜ヶ崎、野宿者、日雇い労働、原発労働、貧困、ドヤ、都市問題など、沢山の書籍も。
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かなりの不勉強でしたが(汗)、松繁さんに色々なお話を聞くことが出来て良かったです。どうもありがとうございました!

お昼ごろになり、釜ヶ崎資料センターを出て、ホテル太洋で荷物を受け取り、地下鉄に乗って中崎町へ向かいます。ソウルの女性映画祭で映画を見た韓国人から、インタビューをしたいとちょっと前から言われていたのですが、メールで連絡を取り合っていたとき、偶然同じ時期に大阪に行くことが分かり、では大阪で会ってインタビューを!ということになったのでした。

その人は写真を撮るのが好きで、大阪では「下町」風情の残る場所に行って見たいと言われ、私も大阪に不案内だったのですが、友達に中崎町を教えてもらい、そこで待ち合わせをすることにしたのでした。

古い建物を、レトロさを残しながら喫茶店や雑貨店など、おしゃれなお店としてオープンする人たちが多いと聞きましたが、その通りなようです。
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中崎町で待ち合わせし、カフェでお昼ご飯を食べ、それからインタビューを行うことになっていました。

ヨンゴルと彼の奥さん
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ヨンゴルはフェミニズムに関心があり、ソウル女性映画祭に通って様々な映画を観たそうです。偶然私の映画を知り、タイトルに興味を持って映画も観てくれました。ですが、映画祭会場の質疑応答では、恥ずかしくて手を挙げられなかったそうで、映画祭後にツイッターで連絡をもらい、メールで映画に関する質問をもらいました。

韓国から持ってきたお土産をいただきました。MediACTのDVD、「あんにょん」のDVD、そしてヨンゴルの記事が掲載された英語の雑誌。雑誌では、ソウルで行われた「SlutWalk」デモのことを書いたそうです。(世界各地で行われているSlutWalkについて、個人のブログで簡単に紹介されています)
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ヨンゴルは、専業のライターではなく、普段は保険会社に勤務しながら、趣味で写真や取材、インタビューなどをしているそうです。日本語は読み書きはかなり出来ますが、話すのと聞くのは苦手。というのも、好きなカメラを勉強するために、日本のカメラ雑誌「アサヒカメラ」や「日本カメラ」などの雑誌を読むことで、日本語の読み書きを理解するようになったというのです! オール日本語のメールももらったことがあるのですが、多少の間違いはあるものの、かなり日本人に近い文章で驚きました。(ちなみに、日本のアニメが好きな外国人の多くは、聞いたり話したりするのは得意でも、読み書きは苦手という人もいますよね。どんな文化が好きかで、言葉の習得も変わってくるのですね)

お店は、中崎町のカフェ「AManTo」というお店でした。古い日本家屋の内装をそのまま活かしたつくりになっていました。
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さて、お昼ご飯を食べ終わり、いよいよインタビューです。iPadに沢山の質問を入れて持ってきていました。なんと、15個も質問があるんですって!
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ドキュメンタリー映画を始める前のこと、Petite Adventure Filmsの名前と活動について、日本の住宅事情、現在の経済状況、被写体との関係性、映画の最後にこめたメッセージ、映画には自分の主張はどのくらい反映させているのか、映画の制作費用、生活コスト、イギリスでジャーナリズムを勉強した理由、会社員を辞めることに不安はなかったのか、今後作る作品は・・・etc。約2時間で、主な質問は大体こんな感じでした。

ヨンゴルは、このインタビューを録音し、それを韓国に戻ったら書き起こし、さらに追加で質問があればメールする、と言っていました。なんだか、とても熱心でうれしいです。

ちなみに、彼は先月、ソウルで「さようならUR」の上映会を開いてくれ、それには約10人ほどが参加したそうです。なんと、上映後には映画について2時間も参加者で語り合ったんですって! 73分の映画に対して、2時間も一体何を話したのかと聞いたら、「こんな問題が起きているのに、なぜ支援の輪が全国に広がらないのか? 韓国だったら、すぐに大規模なデモになる」という意見が多く出たそうです。

それに対し、この日はヨンゴルの日本人の友人2人も参加していたので、彼らの意見を聞くと、「韓国にあって、日本にはないもの。それは”連帯”だ」と答えたそうです。(う~~~ん、的確!)そうそう、あらゆる社会問題に対して、大小さまざまな団体はあれど、思想や意見・運動方針の小さな違い&主導権争いに固執して、団結するのが難しいんですよねぇ・・・。

また、上映では「早川由美子は日本でどのくらい有名なのか?」という質問も出たそうです。それに対し、その日本人は「日本の左寄りの運動をしている人たちの中で、少し知られている」って答えたんですって! それも的確だわ・・・coldsweats01

さらに、私の映画の撮影方法に関しての意見も多く出たそうです。スミマセン、批判を承知で書くと(だって、私の発言じゃなくて、ヨンゴルが実際に言っていたのですもの)、「彼女の撮影は、小津安二郎を髣髴とさせる。引きで固定したショットや、バストショット。それが、最後の理事長取材で、カメラが突然揺れ始める。その対比がいい」って言っていたんですって!!

まぁ、それに関しては、一人で撮影とインタビューをこなすために、三脚にカメラを固定するしかなかった、カメラで被写体をきちんと追えないので、ある程度引きに設定するしかなかった、と説明しておきましたが・・・coldsweats01

制作者不在の上映後トークは、本人が思いもよらぬ方向に話が進んで、面白いですね。

インタビューの後で
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お店の外で
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ヨンゴルたちと別れ、中崎町駅から、今度は滋賀県に向かうために電車に乗りました。というのも、今回3年ぶりに大阪に行くと決まったときに、私は滋賀県にある「のらねこ軒」に立ち寄りたいとまず思ったからです。

3年前、京都大学の学園祭で「国際座り込み映画祭」が開催され、そこで「ブライアンと仲間たち」を上映してもらい、京都大学の非正規職員の雇い止めに反対する「ユニオン・エクスタシー」の小川さん・井上さん、そして立命館大学で非正規職員の雇い止めに反対した遠藤さんとともにトークをさせてもらいました。

それがきっかけで遠藤さんと知り合い、その後も何度か連絡を取り、半年前には、滋賀でのらねこ軒をオープンしたというお知らせを頂いていたのでした。約400坪という広大な土地、もと会社の保養所という大きな家、庭で野菜の栽培、味噌や納豆などの手作り、マキストーブ、太陽光発電、ほとんどDIYで家の中を改造していく様子などがブログに綴られ、東京のワンルームアパートに居候する私は、羨望のまなざしでそのブログを時々読んでいたのです。

大阪に行くなら、その後京都経由で滋賀の「のらねこ軒」に立ち寄りたい! そう思って、大阪公開が決まった後、まず連絡を取ったのが遠藤さんなのでしたhappy01

大阪から京都へ、さらに湖西線で「比良」駅へ。電車の中はがらんとしています。
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途中から海のような景色が広がって、(これは日本海?)と思っていたら、これがあの琵琶湖なのですねcoldsweats01! それにしてもでかい!

比良駅到着
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遠くに見えるのが琵琶湖
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「ようこそ」と看板が迎えてくれましたが、駅は無人駅でした。
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駅に遠藤さんが迎えに来てくれました。こちらに住むようになって、自動車免許を取得したそうです。

「のらねこ軒」に向かう道のり。夜は真っ暗になりそうですね。数時間前までの釜ヶ崎の喧騒とはまるで別世界です。
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のらねこ軒到着!
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看板がかわいい!
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到着して、まず「のらねこ軒」の中を見せてもらうことに。

30畳近くはありそうな居間。卓球台やピアノもあります。この部屋だけで30人ぐらいは寝泊りできそうです。
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マキストーブ
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台所では、パートナーの大久保さんが夕食の準備をしているところでした。
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庭で取れた「ズッキーニ」の花。今日はこれも天ぷらにするそうです! どんな味なのか楽しみ!!
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元保養所だけあって、お風呂場がふたつありました。
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普段2人で生活するには大きすぎる浴槽なので、浴槽の中に小さめな浴槽を入れて使っているそうです。今流行のバッグインバッグみたいな感じですね。
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2階の部屋も見せてもらいました。きちんと数えてはないけれど、多分6~8室ぐらいはあるのでは?と思います。
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2階からみた庭の様子
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数ヶ月前に保健所から引き取った犬の「わらび」も、庭を駆け回っていました。これだけ庭が広ければ散歩は不要と思ったのですが、散歩は散歩ですごく行きたがるのだそうです。
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庭で、植えている野菜、果樹などを見せてもらいました。畑を本格的にやるのは初めてで、試行錯誤しながらあれこれ試しているそうです。ミニトマト、かぼちゃ、きゅうり、ねぎ、アスパラ、オクラ、グリーンピース、梅の木などなど、あらゆるものが植えられています!
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こちらがズッキーニ
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後は赤く色づくのを待つだけのトマト。しかし、このあたりは猿がやってきて、ちょうど食べごろのものを食べてしまうこともあるので、油断は出来ません・・・!
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レモンの木
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「のらねこ軒」。それにしても大きいなぁ。このあたりは、かつては観光地として賑わい、景気が良い頃に建てられた保養所がいくつも建っているそうです。その後保養所は手放され、売り家・売り地として出され、遠藤さんたちのように外からの人が移り住んでいるのだそう。古くからの地元の人たちは湖の周りに住んでいるので、古いムラ社会的なものはこのエリアにはなく、町内会すらないのだそうです。ちなみにスーパーは車で10分ぐらい。普段は生協の宅配で食料品を頼んでいるそうです。
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バーベキュー用のテーブルも
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サボテン類
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わらびの写真。とても怖がりで、なかなか近寄ってくれません。
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ちなみに、「のらねこ軒」には、飼い猫の「みう」もいます。「わらび」と「みう」の動画をYouTubeにアップしました! 見てください^^

玄関には庭で収穫したにんにくが吊るしてあります!
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大久保さんが用意してくれた夕食は、魚とズッキーニの花の天ぷら、きんぴらごぼう、サラダ、味噌汁、圧力鍋で炊いた玄米ごはんと、とてもヘルシーで美味しかったです! しかも、庭で取れた野菜が使われているなんて、すごい贅沢!!
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食卓に並んでいる保存ビン。アンチョビ、豆板醤(コチュジャンだったかも)まで手作りしています!
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庭で採れたカモミールはお茶に。
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どくだみやヨモギなども、乾燥させてお茶にします。
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夕食をいただきながら、ここでの生活について聞きました。私と同年代のお二人ですが、2人とも「ほぼ無職」という状態です。「のらねこ軒」に越して来るまでは、2人ともフルタイムの仕事をして、それなりに稼いでいたそうです。でも、普通に暮らしていると、そんなにお金は使わないし、貯金ばかりが増えていっても・・・と思い、思い切って田舎暮らしをすることに決めたのだそう。

「無職」というのは、普通ならまず「収入はどうするんだ、生活していくにはたとえ田舎でもお金がかかるではないか」と思うのですが、遠藤さんは「年収1~2千万クラスなら別だけど、年収2~3百万のワーキングプアが一番搾取されていると思う」と言っていました。フルタイムで働けば、年金、健康保険、所得税、住民税etc、それなりに差し引かれていきます。しかし、「無職」の場合、かなり免除になるものも多いのです。収入も入ってこないけれど、支出もかなり抑えることができ、何しろものすごく沢山の時間が手に入ります。ここから京都や大阪に通勤することは可能で(1時間程度)、実際そうしている人も多いけれど、週1回だけ働くことにして、あとは庭の手入れとかをしている、無職ってすごくいいなと実感する日々なのだといいます・・・

私も5年近く無職なんですがcoldsweats01、無職にはこんなポジティブな側面があり、私もそれらの恩恵を受けてきたのだとは考えずに、ここまで生きてきましたhappy02

年収2~3百万のワーキングプアが一番割に合わないというのは、私も深く同感です! 実際には、一番しんどい労働を担わされる人たちなのに・・・

「のらねこ軒」は元は会社の保養所だったため、2階に寝室が沢山あります。時々、友達のグループが泊まりに来たり、私のような人が泊まったり、赤ちゃんがいてなかなか旅行に行けないお母さんたちが子連れで女子会をしたり、夏休みには福島の子どもたちが来たりもするそうです。リピーターも多いとか。私も関西に行くときは、また立ち寄らせてほしいです!

私はのらねこ軒に2泊3日させてもらうことになっていたのですが、明日は何をしようかという話になりました。天気がよければ琵琶湖で泳げるし、山(比良山)で登山も出来ると事前に聞いていました。私は琵琶湖を日本海と思ったほどですから、このあたりの知識は皆無。なにかお勧めがあれば、それをしたいと思いました。

大久保さんが、実はここは大飯原発に近くて、車で1時間半ぐらいで行けると言いました。再稼動をめぐる議論で、一躍脚光を浴びた大飯原発。7月1日から再稼動を始めると首相が宣言した直後で、ぜひ私も現地に行って見たいと思いました。現地では、再稼動に反対する人たちが、テント村を作っているとのこと。劇場公開初日の舞台挨拶のためにビデオカメラを持ってきただけの私でしたが、明日はビデオカメラも持っていこう!と決めました。

大きなお風呂に入らせてもらい、夜10時ごろには寝ました。これまで、大阪では連日夜12時にホテルに帰り(大浴場が12時までなので)、2時ごろに寝、朝は9時か10時ごろに起きるというパターンでしたので、久しぶりの早寝です。

翌日の大飯原発訪問を楽しみにしながら眠りにつきました。

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