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[jp] 大阪劇場公開(4日目:6月26日)

この日は朝9時に起きて、メールのチェックをしました。11時に、御堂筋線で動物園前駅から数駅の「昭和町」で下車し、6月23日の新今宮飲み会で知り合った、調査・研究会社の四井さんの事務所を訪ねました。

四井さんの事務所では、主に大阪市立大学の調査・研究のアシスタントとして、釜ヶ崎、在日コミュニティなどのフィールドワークを行っているそうです。数日前にお会いしたとき、釜ヶ崎が出来たばかりの頃や全盛期の頃の写真などを大量に保管していると聞き、ぜひたずねて見たいと思っていたのでした。

事務所では、スキャンしてデジタル化された、昔の釜ヶ崎の様子を伝える写真、動画などを沢山見せてもらうことが出来ました。木賃宿の詳細な様子、釜ヶ崎の大暴動の様子など、一体どうやって撮影したの?!と思うようなものばかりです。

これらの写真の多くは、長年「あいりん労働福祉センター」の職員として働き、退職後は大学教授として活躍された上畑恵宣さんによるものなのだそうです。センターの職員という立場のため、これら現場の写真を多数撮ることができたり、資料を集め、保存することが出来たのだ、とのこと。

写真資料(釜ヶ崎で仕事を求め、手配師の車に集まる労働者たちの様子)
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釜ヶ崎内で出回っていたビラや新聞などの資料も沢山ありました。
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上畑恵宣さんの著書。上畑さんは現在かなり高齢で体も弱っているとのこと。話を聞くなら「今」だと思います。
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私にとっては、その日1日を生きていくだけで精一杯であろう労働者たちが、こうして毎日のように新聞やビラを発行したり、集会を開いているというのが意外でした。労働者が結束しないと、労働条件の改善や自分たちを守ることが出来ないという事情があったのでしょうけれど、日々働きながら新聞を発行したり、それを資料として保存する(ドヤ泊や野宿では保管場所の問題もあります)のは相当大変なことです。

しかし、四井さんによると、かなりの種類の新聞やビラが発行されていたそうで、現在でも「夜間学校ニュース」が発行されていると聞きました。今でも発行し続けている人がいるなんて! 「あいりん労働福祉センター」の目の前で、釜ヶ崎の資料を集めた資料センターを作るために事務所を持っているのだそうです。これはぜひ訪ねて見たいと思いました。

四井さんは、入手した資料は全てスキャンし、資料として活用できるよう整理をしている最中なのだそうですが、問題は資料をどう活用するのかだ、と言っていました。ただ展示したり、検索できるようにすればいいというものでもありませんし、資料の中には例えば裁判闘争などで、個人名が出てくるものも多数あります。そういうものを、どういう基準で処理し、使えるように、見せられるようにするのか、それが今後の課題だといっていました。

「釜ヶ崎」として全国的に有名なこの地域ですが、ご存知のように実在する地名ではありません。戦後の地名変更で、「釜ヶ崎」という住所はなくなり、実際には大阪市西成区のほんの少しの一角でしかありません。(ただし、面積の狭さの割には人口が超密集しています)

小さくて見づらいですが、下図左側の赤く塗られたエリアが、いわゆる「釜ヶ崎」と呼ばれるエリアです。そのエリアを拡大したものが、下図右側の三角で囲まれた地帯。(写真はクリックすると拡大します)
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現在(といっても10年ほど前)の釜ヶ崎エリアの人口、簡易宿泊所の数、生活保護受給者の数などの統計はこちら。(写真はクリックすると拡大します)
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四井さんの事務所では、釜ヶ崎や野宿者の調査だけでなく、在日コミュニティの調査もたびたび請け負うそうです。在日として暮らす人たちが、祝祭の場として使っていた「龍王宮」についての資料をいただきました。
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「龍王宮」は不法占拠であるとして、現在は取り壊されてしまったそうですが、「龍王宮」に関する記述はネット上でも探すことが出来ます。例えばこちら

資料を拝見したら、なんと、NDSの金さんが取り壊される前の「龍王宮」を映像として記録したと書いてあるではありませんか! これはそのうち編集されて発表されるのでしょうか? それは是非見てみたいですし、取り壊されてしまった「場」を誰かがきちんと撮影しておくことの大事さをつくづく思いました。今後見れる機会があればと思います。

また、四井さんの会社では、阿倍野区の長屋を保存するプロジェクトにも関わっており、その長屋を地域の活動の場として提供しているそうです。そこの長屋で「さようならUR」の上映会もしたいといってくれ、既にブログでも紹介しましたが7月25日の夜7時から上映会が開催されることになりました。

お昼過ぎに事務所を出て、今度はお好み焼きを食べてみようと思いました。有名店などは知らないので、またまた適当に歩いて見つけた店に入ります。ここでも、お客さんは私一人でした。

お好み焼き。ごく普通の味でした。もう少しグレードアップした店を選んだほうが正解だったかも。。。
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地下鉄に乗ればホテルまですぐ戻れますが、地下鉄に乗っては大阪がどんな街なのか分かりません。地図は持っていませんでしたが、歩いて動物園前まで戻ってみることにしました。

余談ですが、大阪は自転車で移動する人が多く、街中は自転車であふれています。また、女性の間では、自転車に傘を取り付けて走行する人も多数! 傍目には、これ結構危険なのではないか?と思うのですが。。。

自転車に取り付けられた傘ホルダー(「女性のパートナー かさキャッチ」と書いてあります!)
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阿倍野のエリアを歩いていると、高級そうなマンションが結構あり、しばらく歩くと近鉄デパートも見えてきて、(もしかしてこのあたりは高級なエリアとされているのかしら?)と思いました。ソウルの旅同様、今回もいわゆる観光地に立ち寄る機会がなかったので、近鉄デパートで大阪のお土産を買うことにしました。買物を終えた後、受付のお姉さんに「動物園前はどちらの方向に歩いて行ったら良いですか?」と聞くと、近鉄デパートで買物を終えた後に釜ヶ崎に歩いて向かう客は少ないらしく、ちょっと怪訝そうな顔をされました。

方角を聞き、動物園前を目指して歩きます。それにしても暑い。梅雨のど真ん中の時期だというのに、連日晴れで(←映画を見に来てもらうには良かったのですけれど)、30度近くの気温です。結局2時間ぐらいかけて動物園前に戻ったときには、暑さのせいもあってかなり疲れていました。

道すがら、こんな旅館を発見。
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「豪華な家具 明るい洋室」とはどんな内装なのか、興味をそそられます。
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ホテルで1時間ほど昼寝をし、夕方4時にホテルを出て劇場に向かい、舞台挨拶をやりました。舞台挨拶のあとは、岸野さん、読売新聞記者の満田さん、元新聞記者の嶋田さん、岸野さんのツイッター友達(すみません、お名前を失念・・・)と共に、中華料理店へ行きました。

満田さん、嶋田さんともに新聞記者のお仕事をされてきたということで、これまでの取材の話を聞くことが出来ました。私は「ブライアン~」の時、読売新聞の名物記者であった黒田清さんにちなんだ賞をいただいたのですが、満田さんは黒田さんに、採用試験の面接で会ったことがあるのだそうです。私も会ってみたかったなぁ! 

今では新聞社もだいぶ官僚的・保守的になってしまって、地道な調査報道などはやりにくくなっているそうですが、昔は黒田さんをはじめ、名物記者と呼ばれるような人たちや、かなりきわどい取材や、危ない人たちとの深い付き合いをして情報をすっぱ抜くタイプの、気骨ある記者たちがいたそうです。今では、記者の側も、取材される側(政治家・役人だったり暴力団員だったり)も、お酒を酌み交わしながら腹を割って話すような付き合いはしなくなり、なかなか内部情報も得にくいのでは?と言っていました。

雇われ記者である前に、一人ひとりが独立したジャーナリストである、というようには現実はいかないようで、取材源を明かさなかったために、嶋田さんは始末書を書かされたという話も聞きました。取材源の秘匿は、当たり前のことだと思いますが、上司からは「会社内には明かせ」と強要されたそうです。しかし、会社とはいえ、いったん知らせてしまったら、それをどう使われるかは分かりません。嶋田さんが取材源を明かすことを拒むと、始末書を書かされたそうです。

話を聞きながら、私は(ただ始末書を書くだけだったら、別にいいのでは?)と気楽に考えていました。始末書に適当なことを書き、反省していますといえば、それで取材源を明かさずにやり過ごせるのですから。そんなの、いくらでも書きますよ、と言ってやりたい。そう伝えると、「始末書は一生ついて回るんだよ。それが給料の査定や昇進にも関わるんだから」と言われてしまいました。

始末書を何度も書いてきた嶋田さんは、同僚に比べ給料が低かったのだそうです。う~~~ん、ひどい。でも、ほとんどのマスメディアがこういう仕組みになっているのだろうなと思いました。それにしても、本来の記者としての態度を貫いているだけで、悪いことをしていないのに”始末”書って、おかしいですよね??

お二人の話を聞きながら、マスメディアにいる人たちが、ジレンマを抱えつつ、限界を広げるべく、試行錯誤している姿勢が良く分かりました。

皆さんと
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XO醤+大量のネギ+ご飯のメニューが、こちらのお店の名物なのだそうです!
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すごい大量のネギです!
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よ~くかき混ぜるのがポイントなのだそうです(岸野さん談)
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美味しそう!
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見た目どおり、美味しかったです!!
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満田さんは大学時代に、授業の一環で、釜ヶ崎のフィールドワークをしたそうです。野宿者の人に聞き取りをしたのは、とても大きな経験で、その時の経験が新聞記者になる下地になったかもしれない、と話していました。釜ヶ崎での学生によるフィールドワークは、もちろん大学の先生のお膳立てで行うのですが(学生の聞き取りに応じる人をあらかじめお願いしておいて、待ち合わせをする)、待ち合わせにすっぽかされたりすると、自分で聞き取りできる相手を探さなければならなかったのだとか! また、大学の先生自体がなんらかのいざこざで釜ヶ崎に出入り禁止となり、釜ヶ崎でのフィールドワークを断念し、わざわざ横浜の寿町に生徒たちがフィールドワークに行かされるということもあったそうです。結局は何事も人間関係ですからねぇ・・・gawk それにしても、生徒たちにとってはとんだとばっちりですねcoldsweats01

興味深いお話満載でした!

舞台挨拶の時間になり、劇場へ戻りました。いよいよ本当に最後の舞台挨拶です。この日は、支配人の山崎さんが不在で、しかも受付のスタッフの人が一人しかいなかったので、急遽岸野さんが舞台挨拶の司会をしてくれることになりました。岸野さんは、そもそも山崎さんへ「さようならUR」を紹介してくださった人であり、劇場公開に向け、あちこちで映画のことを書いたり、話したりしてくださって、本当にとてもお世話になったのでした。なのに、さらに舞台挨拶の司会まで・・・! もう足を向けて寝られませんねhappy01

岸野さんが「大阪民主新報」に書いてくれた「さようならUR」の紹介記事(写真はクリックすると拡大します)
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舞台挨拶では、「さようならUR」というタイトルについて、URの職員はこの映画を観たのか、URよりももっと貧困層向けの公営住宅を取り上げるべきだったのでは、こういう問題は最終的には国の借金をどうするのかという問題になるのでは、などなど、住宅問題に深く関わっていそうな人たちから、活発に質問をしていただきました。

無事、4日間、全8回の舞台挨拶をやり終えました!!!

シネ・ヌーヴォのスタッフの方、そして岸野さんたちとお別れし、「動物園前」に戻りました。この日はホテル太洋の前で、大阪市立大学の小玉さんと待ち合わせし、釜ヶ崎の商店街の中にある美味しいおすし屋さんに連れて行っていただきました。

小玉さん
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たった小1時間前まで中華料理を食べていたにもかかわらず、結構食べる私・・・。映画祭や長期の旅行の後はいつもそうですが、今もなんちゃってダイエット中ですcoldsweats01
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釜ヶ崎でのフィールドワークもされたことのある小玉さんは、釜ヶ崎での取材について、「それはもちろん、良く知っている人と一緒に取材するのが一番だろう」と言っていました。釜ヶ崎には長い歴史があり、膨大な資料、様々な論点(労働、人権etc)があります。それらを良く知らないで行った所で、理解できることは少ないのだから、歴史についてよく知っている人に同行してインタビューをするのが一番いい、と。

それはそう思うのですが、一方で、私は他人を介さずに直接、自分の言葉で相手とコミュニケーションをとりたい、という思いもあります。以前、初めて仙台の被災地で、仮設住宅を取材したいと思ったときに、その仮設住宅で入居者支援を行っている大学の先生に連れて行ってもらい、先生を交えながら取材をさせてもらったことがありました。

先生は既に入居者の方たちと関係が出来上がっていて、仮設住宅が抱える問題にも詳しく、入居者の人の答えをさりげなく補いながら、そつなくインタビューをサポートしてくれました。

それは聞き取り&事実関係を押さえるための資料としては、とてもクオリティーが高く、大変貴重なインタビューが収録できたのですが、私的にはどこか(なんか違う)という居心地の悪さを感じていました。

私は、ドキュメンタリー監督として、社会的な事象を正確に(ここでいう正確さとは、客観的なものを指すのではなく、市民の目線から見て、それがどういうことなのかということを捉えたいということです)記録したいと思っています。

完成品としてどんな精度のものが出来上がるかも勿論重要ですが、それと同等に欠かせないのが、自分がそのことをどのように知り、理解して行き、被写体となる人との関わりを持っていったのか、という”過程”なのです。その過程をも映画では表現したい、と思っています。なので、すでにその問題に詳しく、関係者と親しくなっている”誰か”にお膳立てしてもらって、なるべく完成度の高いものに”最短距離”で近づくのが、必ずしも最善とは思わないのです。

もちろん、場所が不慣れだったり、特殊な場所、安全とはいえない場所の場合、最初は誰かに連れて行ってもらい、自分でも最低限の基礎知識は兼ね備えておくべきですが、結局そこで何を撮るか、誰を撮るかは、自分で切り開いていくしかありません。そしてそういう人に出会えるかどうかは、これはもう運命としか言いようがないと思います。実際、仮設住宅の取材では、私を仮設住宅に連れて行ってくれた先生が、用事で先に帰った後に一人で歩いて、偶然庭先で出会った人にインタビューをさせてもらったものの方が、私らしい視点での取材が出来たのではないかと思っています。それがたとえ、被災地での生活の、ほんの少しの断片しか切り取れなかったものだったとしても。

でも、誤解の無いよう書いておくと、もちろん連れて行ってくれた先生には感謝していますし、先生の補足インタビューを何度かさせてもらったおかげで、段々と私の理解度が上がっていき、最終的には撮りたいと思う人に”出遭えた”のだと思いますが。要するに、「最終的には自分でやるのだ」ということです。

取材前の事前勉強ですが、もちろん関連する全ての書籍や映像を見れるにこした事はありませんが、大抵の場合、そうは行きません。その場合はどうするか。

例えば、釜ヶ崎のように膨大な歴史と情報を持つ地域の場合なら、釜ヶ崎について分かりやすく、基本から応用までを網羅した良質な本を、数冊でもよく読みこむのが良いのでは?と想像します。(外れているかもしれませんが)。事前に資料を良く見極めずに、やみくもに資料に当たるのは、沢山の資料を読んだけれど、全体像が良く見えない・・・みたいな事態に陥ることが多いだろうと思います。

その上で私は、あらゆる分野で、どこまで行っても自分は、結局は”よそ者”で、どこまで行っても当事者にはかなわない、という認識も持っています。どこまで勉強しても、それは当事者から見れば所詮付け焼刃的な知識でしかありません。

でも、だから「あきらめる」のではなく、だからこそ「本人に会いに行きたい」と思うのです。実際に会いに行き、話を聞かせてほしい。その人の言葉や世界観を、少しでも理解したい・・・

ちょっとでも興味を持つと、無知を承知で「会ってみたい」と思ってしまう私は、こういうスタンスで取材をさせてもらっています。だって、全ては実際に会ってみるまで分からないし、始まらないのですから。

よく「次回作は?」と聞かれ、それは全く白紙なのですが、どんな分野の映画を撮るにせよ、最初は誰かに聞いたり、紹介してもらいながら見聞を広め、最終的には誰かと出会い、テーマを見つけていくのかなぁ・・・と漠然と考えています。一体何を撮るんでしょうね?!

12時ごろ小玉さんとお別れし、ホテルに戻りました。明日は滋賀県に移動です!

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