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2012年11月

[jp] IAEA(原発)>WHO(健康)

先日、毎月恒例の「女たちの一票一揆」集会の撮影に行きました。今回は、北海道の医師・松崎道幸先生の講演が中心で、「今、福島の子どもたちを守るために何をすべきか? ~福島の子どもたちの最新甲状腺検査とチェルノブイリ、原発労働者のデータから」というテーマで、大変興味深い&ショッキングな内容の講演でした。

この講演の動画は、昨日キャプチャ&編集を終え、現在アップロード中ですので、近日中にも公開できる予定です。

今日は、その講演のあとで、福島の佐々木慶子さんより「フクシマ・アクション・プロジェクト」の設立の報告と、参加の呼びかけがありましたので、ご紹介します。連日報道でも(少しは)取り上げられている、国際原子力機関(IAEA)が12月15~17日に、福島県郡山市で開催する「原子力安全に関する福島閣僚会議」に対して、立ち上がったプロジェクトです。

IAEAは2013年に福島県に研究拠点を設置することを発表しています。「フクシマ・アクション・プロジェクト」は、IAEAとは何か、何のために、どんな研究をするのかを知って関心を高め、原発被災者のために真に生かされるか見極めると共に、IAEAに対して原発被災地から望むことを届けることを目的にしています。

集会では、「フクシマ・アクション・プロジェクト」のリーフレットがあり、そこに書かれていたIAEAの説明、これまでの活動がとても分かりやすく、なおかつとても酷かったので、スキャンして掲載します。ぜひご覧ください。

リーフレット表面(クリックすると拡大します)
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リーフレット裏面(クリックすると拡大します)
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特に驚いたのは、裏面の内容でした。リーフレットによると、IAEAの権限はとても強大で、1959年にWHO(世界保健機関)とIAEAとの間に取り交わされた「合意書」により、WHOはIAEAの同意を得ない限り、原子力による健康被害について、発言できないようになっているそうです・・・!!

WHOは国連の社会経済理事会の傘下ですが、IAEAは安全保障理事会の傘下にあるため、一段と強い力を持っています。元来健康を扱う権限はないはずの、原子力を推進するための機関であるIAEAの意向が、国際社会で健康を守り、病人の救援の先頭に立つWHOより優先する・・・。実際、チェルノブイリ事故では、少なく見積もっても数万人以上に被害が及んだと推定されますが、IAEAの規制を受け、WHOはたった30数名の死者しか認めず、子どもの甲状腺がんもなかなか存在を認めなかったそうです。(やっと認めた後も、「大して重い病気ではない」などと言っています!!)

福島県は、「福島環境創造センター」を設置し、IAEAを招致すると発表していますが、そもそも原発推進で、健康被害を軽視する姿勢のIAEAを招致して、福島や日本の政策決定に重大な影響を与える研究や決定にもIAEAが関わっていく予定だなんて、考えただけで背筋が寒くなります。

「フクシマ・アクション・プロジェクト」事務局長・佐々木慶子さんの発言ビデオはこちらです。ぜひご覧ください。

「フクシマ・アクション・プロジェクト」のIAEA福島閣僚会議前後の行動予定は、こちらのサイトに掲載されています。

最後に、リーフレットの最後に書かれている文章を引用します。

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私たちは「命を大切にする立場」からの復興以外を望みません。核の推進機関の、県行政への関わりは、福島県知事が宣言した脱原発という福島県の方針と矛盾しないのでしょうか。
今後、広島長崎の時のように、被災者が研究対象者としてのみ扱われるのではないか、分析や提言にも歪みが出るのではないか、といったことも私たちは心配です。そのようなことが起こらないよう、情報開示を求め、私たちの命や人権が大切にされる福島の未来を求めて、働きかけて行きたいと思っています。
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新聞やラジオぐらいしかなかった広島・長崎の時と比べ、現在は市民が強力な情報発信ツールを持っています。市民&市民メディアなどの力を総動員して、IAEAの好き勝手にさせないようにしなければなりません!(ちなみに、12月15日からの「IAEA福島閣僚会議」は、またしてもフリーランスの排除が行われています。フリーランスの参加登録&審査の基準はこちら。海外メディアの参加はゆるい基準だそうなのに。官&マスメディアがタッグを組んで、フリーランスを入れないよう頑張っているみたいcoldsweats02 ほんと、この人たち終わってる)

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[jp] 岡山映画祭2012(その5:11月20日)

岡山滞在の最終日、この日は朝7時半ごろに起きて、9時に瀬戸内海にある島・長島へ向けて出発しました。

長島は、1930年に日本で初めてハンセン病患者の療養所「長島愛生園」が設立された島です。島内には看護学校もあり、長年その看護学校に通い教えてきた市場さんが、長島の中にあるお寺で講演をされるということで、私も長島を見学させてもらうことになっていたのでした。

紅葉を眺めながらのドライブ。瀬戸内海の海はとても穏やかで、牡蠣の養殖用のいかだが沢山浮いていました。
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長島へ渡る橋。橋としては短い、たった数十メートルの橋ですが、長年のハンセン病に対する無理解と偏見から、この橋をかけるまでに数十年がかかったそうです。(それまでは船で渡っていました)
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橋を渡ったところに、長島の入り口があり、警備員の詰め所がありました。住民や関係者以外が長島に入り、歴史館などを見学するには、事前の予約が必要で、無断で島内に立ち入ることはできません。警備員はそれを見張っているのかと思ったら(もちろんそれもありますが)、一番の目的は「ゴミの不法投棄の監視」だそうです。

島内をしばらく車で走ります。以下は、長島愛生園の歴史館で頂いたパンフと、パンフに掲載されている島内の地図。
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長島愛生園については、ホームページもあり、ホームページ上で園について簡単に説明されているので、以下に引用します。

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長島愛生園について

長島愛生園では現在400人近い入所者が療養生活をおくっています。この方たちの病気の治療を行い、生活のお世話をすることが愛生園の役目です。ハンセン病そのものは完全に治っていて菌のある人はいませんが、後遺症のために目が見えなかったり、手・足の動きや感覚が鈍くなるなど何かの障害のある人がほとんどです。さらに高齢(平均年齢80歳)のため病気や体の不自由さが増しています。

故郷や家族のもとに帰ることができないのは、体の障害のためだけではありません。1930年に長島愛生園はハンセン病の患者さんを集めて治療する目的でできました。国が作った療養所は13ありますがその第1号でした。当時はよい治療法がありませんでしたが、1948年頃からよく効く薬があらわれ次第に治る人が多くなってきました。若くて障害の少ない人は退所しましたが、世の中のハンセン病に対する偏見・差別はあい変らずきびしく、ハンセン病であったことを隠して社会の中で生活しなければなりませんでした。外見で障害がわかるような人は、家族にまでも偏見・差別の被害がおよぶことを恐れて退所できませんでした。国もこの状況をなおすことができないままに40年あまりが過ぎ、1996年にようやく入所者が自由に社会に出ることができるようになりました。しかしそのときには平均年齢は70歳をこえていたのです。年齢や今もある偏見・差別のためにほとんどの入所者の皆さんは、ここで生涯を過ごすことになります。

このような不幸なことが今後起こらないようにすることが大切で、人権啓発活動に力を入れています。2003年8月長島愛生園歴史館を開館し、愛生園にのこる多くの資料を展示しハンセン病とそれを取り巻く問題についてわかりやすく説明しています。ぜひ一度おいでください。

園長 藤田 邦雄

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島内をしばらく車で走ります。
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過去に事務棟として使われていた建物が、現在は歴史館となっており、ハンセン病の歴史や、愛生園の歴史、今なお残る差別などについて分かりやすく展示されています。これまでは、この元事務棟(歴史館)を境に、手前が非患者(医療従事者や教育関係者、その家族など)、向こう側が患者たち、と厳格に分けられ、入所者(患者・回復者)が近づくことは厳しく制限されていたそうです。

歴史館にたどり着く前に、建物がいくつもありました。これらは職員などが住むためのもの。
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元事務棟(歴史館)が見えてきました。
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この建物は1930年に建てられた当時の建物で、園の運営に関する業務を1996年まで行っていました。(2003年に老朽化した内部を改装し、歴史館として開館)
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歴史館では、ハンセン病の歴史、ハンセン病に関する医学的な知識、入所者の作品展示などがありました。

私自身、ハンセン病の療養所を訪問するのは初めてで、ハンセン病については色んな知識が混同し、知っていたようで、実は正しい知識をほとんど持ち合わせていなかったということが、恥ずかしながら分かりました。

以下は、ご存知の方には当たり前の情報ばかりですが、私と同様にハンセン病について実はよく知らなかったという方のために、歴史館や資料で見聞きしたハンセン病について、簡潔に記しておきます。(もし誤った記述を発見された方は、ご指摘くださいませ)

ハンセン病は、古くは紀元前の書物にも記述が見られるぐらい、長い歴史のある病気です。細菌によって引き起こされる病気とはっきり判明するまでは、遺伝説を唱える学者も多くいました。また、感染すると末梢神経の障がいにより、変形や麻痺が後遺症となって現われる場合も多いため、”業”によるものなどとも言われ、昔から差別の対象となっていました。

後に、ハンセン病を引き起こす菌が発見され、伝染病だということは分かりましたが、有効な治療法が無かったために、国の政策として療養所への隔離が行われました。

アメリカでは劇的に効く特効薬が開発されたのですが、第2次世界大戦中で、日本はアメリカと敵対関係にあったため、その薬を日本でも使えるようになったのは、戦後のことでした。

特効薬により、ほとんどの患者は治癒することができたのですが、末梢神経の障がいによる後遺症は残り、見た目からも後遺症であることが分かりやすく、社会の偏見も根強く残っていたことから、完全に治癒してたにもかかわらず、多くの患者は社会復帰ができないまま療養所で暮らし続けました。回復者は、現在も数多く療養所で暮らしています。(一番多かった時期は2000人以上の入所者がいましたが、現在の入所者は300人弱、平均年齢は80代、平均入所年数は50年を超えるのだそうです)

ハンセン病による差別の背景には、伝染病であること、見た目が変わること、そして政府によって誤って流布された”強い感染力”説も大きいそうです。実際には、伝染病ではありますが、ハンセン病の菌の感染力は非常に弱く、普通の人なら感染しても自然に治癒して発症しないということも多いのだそうです。しかし、貧困・不衛生な環境・体力の低下などの条件が重なると発症してしまいます。(それらの理由から、苛酷な環境で暮らした在日朝鮮人たちがハンセン病患者に占める割合が多かったそうです)

日本では現在、新規のハンセン病患者は年間数人に留まっていますし、発症したとしても完全に治る病気ですが、世界ではインドなどハンセン病患者がいまだに多い国は珍しくありません。

平成6年に「らい予防法の廃止に関する法律」が施行されるまでの長い間、日本では「らい予防法」によってハンセン病患者・回復者たちの隔離政策が続けられてきました。有名な「らい予防法違憲国家賠償訴訟」(2001年判決)では、「らい予防法」は憲法に違反することが認められ、原告全面勝訴の判決が下されました。

違憲状態と認められた国のハンセン病政策でしたが、社会の偏見はいまだ根強く、2003年には熊本県のホテルが、ハンセン病の元患者の宿泊を拒否した事件も起きています。

・・・以上が、駆け足ではありますが、ハンセン病についての簡単な説明でした。

歴史館に展示されている資料はどれも、ハンセン病が歩んできた独特の歴史が反映されているようでした。

歴史館には、”隔離”のための様々な方策が展示されていました。島からの脱走を防ぐために、島内には脱走を試みた人たちを収容する監房があり、お金も島内でしか使えない特殊な紙幣が使われていました。心に潤いと安らぎをもたらすとして(←満足して逃走も少なくなる)、患者同士の結婚は奨励されましたが、子どもを持つことは許されず、男性には断種、女性には堕胎が強要されていたそうです。(患者自身も、子どもが社会的に差別されるのを恐れて、子どもを持つことを断念した人も)

監房。びっくりするぐらい小さな建物です。
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上から見たいと思い、登ってみましたが、既に塞がれていました。
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館内写真撮影禁止だったので、実物をお見せできなくて残念ですが、入所者たちの作品も展示されていました。強制的に隔離され、島内での肉体労働にも従事させられていましたが(←それにより病気が悪化したり、末梢神経の障がいにより手足の感覚が麻痺しているがために、事故や怪我も多かったそうです)、一方、入所者たちは、何かにひたすら打ちこむ時間を持つこともできました。様々な趣味のクラブが存在し、陶芸、絵画、俳句など、全国大会で入賞するほどのレベル。ゲートボールでは、日本一に輝いたそうです。

幼くしてハンセン病にかかり、この島へ連れてこられた人も多くいました。そのため、島内には学校もありました。患者のうち、教職経験のある人が先生として教えることもありましたが、島外から患者でない教職者が来て教えてもいました。感染を防ぐため、先生は白衣を身に付け、生徒から受け取るものは全て消毒、職員室への生徒の入室は禁じられていました。歴史館では、生徒と先生を隔てる”壁”について、生徒たちの苦しい感情を綴った作文も展示されていました。

私は、展示によって初めて”無らい県運動”という運動が、かつてあったことを知りました。これは、1930年代以降の日本で、ハンセン病患者を摘発し、ハンセン病患者施設に強制収容させて、県内からハンセン病患者を無くそう、という目的で行われた社会運動のことです。

ハンセン病=貧しい国で起こる病気というイメージから、自分の国に、自分の県にハンセン病患者がいることを”恥”・”不浄”として、患者を見つけ次第強制的に隔離するという運動です。それによって、収容所に送られる患者が増え、収容所がパンクしそうになると、今度は「文明国にライなし! 十坪住宅運動」というスローガンを掲げ、国だけでなく、各種の公共団体、学校、宗教団体、市民団体なども協力して募金を集め、収容施設を拡大していったそうです。当時の市民は、善いことをしていると思ってけなげに募金を集めていたのでしょうけれど、それが逆に患者、そして患者の家族の人権を踏みにじってきたという側面があります。

歴史館では、婦人団体が「無らい県運動」の募金集めに使ったかばんなどが展示されていました。

歴史館の見学後は、島内を市場さんに車で案内してもらいました。

かつての船着場(収容桟橋)近辺
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「回春寮」。なぜこのような名前が付けられたのかは不明ですが、患者が強制収容される際、船で島に渡ってきてまず収容されたのがこの建物。消毒風呂への入浴、現金などの禁止物品の取り上げ、持ち物の消毒、入所手続きなどが行われました。
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「回春寮」の中の様子。消毒風呂もそのまま残っていました。
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廊下
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建物はかなり傷んだ状態のまま放置されている感じです。
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ひとつだけベッドがぽつんとありました。当時はずらっと並んでいたのかもしれません。
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島内では、あちこちに仮設住宅のような長屋住宅が並んでいます。それぞれ「○○寮」と名前が付けられて、島内に点在しています。
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建てられた年代により、新しいものも、古いものも見受けられます。古いものは、かなり空き家が目立っていました(入所者の数は最大の頃の10分の1なので)。以下は島内各地でランダムに撮影した住宅の様子です。
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在日朝鮮人で、ハンセン病回復者の金泰九(キムテグ)さんの半生を描いたドキュメンタリー映画「虎ハ眠ラズ」を前日に観ていたので、ぜひ金さんにお会いしたかったのですが、残念ながらお留守でした。

金さん宅の玄関(金子利幸はキムさんの日本名)
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住居と庭の様子
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納骨堂にも行きました。ハンセン病に対する偏見や差別の目は、患者だけでなく、家族まで巻き込んでしまったため、遺骨を引き取ることも難しくしてしまいました。無縁仏にならないよう、1934年に初代の納骨堂が建てられました。現在の納骨堂は、2002年に更新築されたもの。

納骨堂。この中には、亡くなってもなお故郷に帰れない、約3500柱もの遺骨が眠っているそうです。
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島内には、あちらこちらにスピーカーが設置され、ラジオが流れていました。これは、ハンセン病の後遺症で、目が見えない人が多いために設置されていると聞きました。昔は風で回る鈴のようなものが置かれていたそうです。
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かつての高校にも行きました。1955年に創立した岡山県立邑久高等学校新良田教室です。閉校までの32年間に、卒業生は307名を超え、内73パーセントの人が社会復帰を果たしたそうです。
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閉校時に建てられた「希望」の碑
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かつて校庭だった場所は、グラウンドゴルフの練習場に。かつて日本一にまで輝いたゲートボール(団体競技)は、入所者の高齢化のためにできず、個人プレーのグラウンドゴルフが現在の主流だそうです。ゲートボール自体、お年寄りのスポーツという感じがするのですが、それも団体ではできなくなってしまうぐらい高齢化が進んでいるのだ、ということが伝わってきました。
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かつての校舎
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長くそのまま放置されたためか、床が一部陥没するぐらい傷んでいました。
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所々に残る”学校”の面影
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黒板には、かつての卒業生が書いたと思われるメッセージが沢山ありました。この学校自体が様々な問題や矛盾を抱えていたとはいえ、やはり自分の母校がなくなってしまうというのは、寂しいもの。
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体育館。こちらは入所者たちのレクリエーション施設として、現在も使われているそうです。
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島内を車で回りながら、私はある種の”町の原型”を考えていました。強制収容で人工的に作られた”町”ではあるものの、すでに80年を超える”まちづくり”(語弊はありますが)の歴史があるのです。住宅だけではなく、学校、商店、役所、病院、公民館、お墓、あらゆる宗教のお寺など、”町”に必要なものがコンパクトに全て兼ね備わっているのです。現在は入所者たちの平均年齢は80を超え、”ハイパー高齢化社会”でもあります。極端に高齢化したこの町の取り組みは、参考になる部分も多いのでは?と考えました。

商店
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現場は見られませんでしたが、この島には「自殺の崖」と呼ばれる場所があるそうです。社会から隔離され、差別を受け、後遺症に悩まされる日々の中、人生を悲観して自殺する人も多くいました。

そんな状況の中、宗教に救いを見出す人も多かったのか、島内には島の面積や人口密度に不釣合いなほど、あらゆる宗教・宗派が寺院や教会を構えています。
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「寺町」の看板まで! ずらりと様々な仏教の宗派が並びます。各宗派がこれほど密接して立ち並ぶ様は、なかなか他所では見られないのではないでしょうか?
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さて、そもそもこの日長島を訪れた一番の目的は、市場さんの知り合いの住職さんが隔月で開催している勉強会に、講師として呼ばれたことにありました。ハンセン病と、市場さんの専門分野であるDVなどを絡めて話して欲しいと依頼されたということでした。

お昼近くになり、長島愛生園を過ぎて、同じ長島内にある別の国立療養所・邑久光明園へ向かいました。(上の寺町写真は、順番が前後してしまいましたが邑久光明園で撮影したものです)

光明園に入所されている、回復者の吉田さんのお宅を訪ね、そこでお昼ご飯をいただきました。差別を恐れ、入所の際に名前を変える入所者も少なくなかった中、吉田さんは本名を使い続け、生まれ故郷も度々訪れています。同じく回復者の奥さんと結婚され、この島に住み続けています。奥さんが要介護状態で、介護が受けられるこの棟に移ってきました。

介護付き住宅棟
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手押し車や電動三輪車があちこちに停めてありました。
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外から見ると、普通の長屋タイプの住宅に見えますが、玄関側(廊下側)は建物内の中にあり、介護施設と繋がっています。介護を受けやすく、介護をするほうもしやすく・・・を考えた造りになっています。

廊下側の様子
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介護施設棟と一体型になっています。
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吉田さんのお宅
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吉田さん(前列向かって左)と、市場さんたちと
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おうちの中の様子
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台所
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非常用のブザー
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お昼ごはんの後は、真宗大谷派のお寺に向かいました。市場さんは「戦争~日本軍性奴隷~強制隔離~DV~原発」と題した講演の中で、韓国の従軍慰安婦の女性を取り上げたビデオを流すため、スクリーンを設置。

祭壇(なんて呼ぶのでしょうか?)の前にスクリーンというのは、様々な場所で上映会をしてきた私にも、初めての体験。不思議な光景です。
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市場さんは、戦争、ハンセン病、原発被災者、DVを横断的に話し、”国家による暴力の構造”がよく分かる構成になっていました。

市場さん(この背景も珍しい感じ。。。講演というよりは、漫談のようhappy01
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市場さんは、講演では必ずギターを持参して歌うのだそうです。参加者も一緒に歌うことで、会場の緊張感がほぐれるのだそうです。この日も、講演の冒頭に、「切手のない贈り物」を歌いました。”歌う講師”の異名を持つだけあり、ギターも歌もとても心地よかったです。歌う市場さんの映像はこちら(約4分)。デジカメの動画機能で撮影したものなので、画質は粗いですが、雰囲気は伝わるかと。

DVD「私たちは忘れない~追悼:姜徳景さん」の上映
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参加者は、男性の方がやや多いという状態でしたが、反応は女性の方が断然強かったです。特にDVなど、身体的暴力だけでないDVについての話もあったので、男性の中には(あれはDVになってしまうのか・・・?)など、ふとわが身を振り返ってしまったと、市場さんは講演後に感想を聞いたそうです。

仏の道を求める人たちとはいえ、宗教界は(宗教界も、というべきか)ピラミッド型社会で、圧倒的に男性中心の世界です。講演のあとの交流会で偶然隣に座った女性からは、真宗大谷派内における男女の格差についてのお話を聞きました。

これまで、女性は住職にはなれませんでしたが、長い運動の結果、女性でも住職になれる道が開けたそうです。しかし、制度だけを作っても、そのほかの環境が整備されていないのであれば、日本企業で管理職の女性がいまだに数パーセントしかいないのと同様、結局は住職にはなれません。

制度だけではダメなのだ、と訴えても、「制度があるのになぜ?」(=解決済みの問題)となかなか理解してもらえず、今後どうやって女性住職を実際に増やしていく方向に変えていけるのか、模索しているということでした。

また、現在のお寺事情も聞きました。”専業”の住職は、(大谷派限定の話かどうかは分かりませんが)、1割程度に過ぎないというのに、びっくりしました。大きなお寺は別として、全国的には檀家が減り、お寺だけでは食べていくことが難しいので、大抵はサラリーマン、教師、公務員などをやりながら、住職の仕事を続けているそうです。

仏教の宗派の中では、大谷派はわりとリベラルなほうで、妻帯OK、髪は丸坊主でなくても構いません。人権・平和問題にも積極的に取り組んでおり、イラク戦争開始時にはいち早く反対の声明を発表したそうです。(一方で、国内の「死刑制度廃止」などに関しては、なかなか大谷派全体としては声明を発表しづらく、どこのレベル(部署)で声明を出すかが検討されるなど、難しいお家事情も抱えているそうです。現在はどうなのでしょうね? また詳しく聞いてみたいです)

交流会の様子
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講演会終了後、邑久光明園を出発し、長島を出ました。

橋を渡ります。
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車で、備前にある市場さんのお友達のカフェに行きました。

カフェ・ランバー
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もとは材木屋さんだったそうで、店内も木がふんだんに使われています。
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お店のホームページはないようで残念ですが、行ったことのある人たちがブログで写真などを載せているサイトはいくつもありました。私たちは夕方に行ったので無理でしたが、ランチがとても美味しそう! 例えばこのサイトにランチ写真があります。500円でこの内容は格安!

展示も行われていました。
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大工さんの時計、かわいい!
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カップもステキ
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市場さんとカフェのマスター(うわぁ、名前を失念してしまいました・・・coldsweats02)。20数年来のお友達なんですって!
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備前出身の現代アーティスト、林三從(はやしみより・故人)さんの話になりました。11月10日から12月9日まで、岡山県勝田郡の奈義町にある「奈義町現代美術館ギャラリー」で「林三從展~みよりが遺したもの~」が開催されているそうです。詳しくはこちら
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ホームページにある展示の解説を以下に紹介します。
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林三從は、岡山県備前市を中心に1950年代後半から2000年に掛けて先鋭的な芸術活動を展開した女流芸術家です。

林は岡山で若手グループ等に参加し、60年代には東京で個展を開催。その頃出会った国際的な芸術家たちとの交流を通して70年代には数々のアート・イベントを企画していくなかに音楽や演劇とのコラボレーションを拡大させながら、80年代以降はアート・イベントの走りになった「備前アートイヴェント」の企画・運営を10年間続けながら、絵画、立体、パフォーマンス、アート・イベントなどジャンルを越えた独自のマルチな活動路線を生涯にわたって追求していきました。

林三從が2000年12月28日に亡くなって今年が13回忌になります。

本展は、人生のすべてをアートに捧げ先駆的な役割を果たした林が生前遺した豊富な作品や資料を紹介していくことで、林三從の活動の軌跡をあらためて紐解いていくものです。

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保守的な土地柄の備前で、林さんはとても特異な存在であっただろうと想像します。でも一方で、保守的な土地だからこそ、抑圧に反発するエネルギーは更に強くなるのだろうし、抑圧をはねのけて飛び出してくる人のエネルギーはものすごいのではないか?という話にもなりました。確かに、ランバーのご主人といい、保守的な地域の中でも活動を続けている人たちのパワフルさはすごいです。

市場さんは、林さんの生前、シンポジウムのパネリストとして林さんと登壇したことがあったそうですが、当時の印象は「何をしている人か良くわからなかった」そうですhappy01。1933年に生まれ、先駆的な現代アーティストとして、そしてレズビアンであることを公言してこの時代を生きてきたという林三從さん。一体どんな人だったのでしょう? とても興味があります。(林さんが存命だったなら、浜野佐知さんとかが映画に撮っていそう!)。

興味のある人は、是非展示に行ってみてください。東京にも巡回してほしいなぁ!

お店の前で。お店の壁面に描かれた、木の根っこからひょっこりと顔を出している少女は、マスターなのだそうです! ご本人と共にhappy01
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気がつくともう結構な時間で、夜8時の飛行機で東京に戻る私は、そろそろ帰り支度を始めなければならないのでした。ランバーを離れ、車で市場さんのご自宅へ向かいます。晩御飯をいただき、かばんを車に積んで、岡山空港に向かいます。

空港へ向かう道中、岡山の反原発パレード(デモではなくパレードと呼ぶのだそうです)の話になりました。パレードの中心は、旧来の労働組合型ではなく、個人で参加する若者や、避難して来た人たちで、新しいタイプの運動とネットワークが広がっているということでした。その点については、東京も似ていると思いますが、違うのはパレードには必ずと言っていいほど、”露店”もあるということ。パレードの際には、様々な出店が出て、オーガニックのパン、クッキーやアクセサリーなどが買えたりして、楽しいのだそうです。

東京のデモで、露店のストールが並ぶ光景は、これまでに見かけたことがありません。(私が知らないだけかもしれませんが)。デモの集合・解散場所としてさえ、日比谷公園の使用を許可しなかったぐらいですから、さらに露店も出すというのは、かなりハードルが高そう。。。

お話をしていたら、あっという間に岡山空港で、無事飛行機の時間にも間に合いました。前半は岡山映画祭、そして後半は市場さんに大変お世話になりました。今回出会えた人たちとのつながりを、大事にしたいとつくづく思いました。どうもありがとうございました!

追伸:
最終日のブログを書くのに、文字通り1日かかってしまいました。朝から書き始めて、今はもう夕方です。多分これまでで一番長いかもしれません! 最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございます&お疲れ様でしたhappy02

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[jp] 岡山映画祭2012(その4:11月19日)

映画祭の前半は、前日で終了したので、この日からは自由な時間でした。ブログにも既に書きましたが、ヒロシマ平和映画祭の高雄きくえさんに、岡山で活発に活動している女性として、市場恵子さんを紹介していただいていました。岡山に行く二日前ぐらいに突然メールをしたにもかかわらず、市場さんは岡山滞在中の訪問先についてあれこれ提案していただきました。

滞在中はずっと川端さんのお宅へお世話になる予定でしたが、市場さんから、2日連続で待ち合わせをするもの大変だし、最後の1泊は市場さんのお宅に泊まってはどうか?とお誘いを受けて、市場さんのお宅に留めていただくことになりました。

待ち合わせはお昼だったので、朝9時ごろに起きて朝ごはんを食べに母屋へ向かいます。ちょうどお父さんが出勤前で支度をしているところでした。お土産にと、地元産のブドウをいただきました。(皮ごと食べられるタイプで、美味しかったです!)
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市場さんとの待ち合わせは正午で、メールには「岡山駅の赤いポストの前で」とだけ書いてありました。ポストは駅周辺に何箇所か有りそうだし、そもそもポストってどれも赤いよねぇ・・・と一抹の不安を抱えつつも、バスに乗り岡山駅へ向かいます。

交番で「待ち合わせ場所になりそうな赤いポストはどこか?」と聞くと、「あぁ、桃太郎の乗ってるポストね」と言われました。

確かに、これは目印になりそうです! しかもポストの前はロータリーになっていました。
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駅前の広場にはこんな銅像も。(これが唯一の岡山観光らしい写真かもcatface
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無事、市場さんと待ち合わせることができました。この日は、車で40分ほどの「建部(たけべ)町」へ。すぐ売り切れになってしまう、美味しいお蕎麦屋さんに行こうということになっていました。同じ建部町に住む、市場さんの娘さんともお店で落ち合うことに。

ちょうど紅葉シーズンできれい。
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お店に着いたのは12時半を少し過ぎたぐらいでしたが、既にお店の前には「売切御免」の看板が! 予約をしておいてもらって、良かったです。
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お店の看板
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しかも、満席だったので、しばらく外で待つことに。お店の外観など。
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15分ぐらい待ち、やっと席に座れました。それにしても、こんな人里離れた場所で、特に宣伝らしきものもしていなくても、大人気のお店なのですね。

店内の様子。古民家を改造し、8年前にオープンしたお店なのだそうです。
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天ぷらそばを注文。ちょうど新そばの時期でもありました。天ぷらは、もみじ、ブロッコリー、ヨモギ、ジャガイモ、サツマイモなど、かなりボリュームがあります。さすが平日でも12時台には売り切れるだけあって、おそばも超・美味しい!
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(なんか、この写真見ながらブログを書いていたら、またお腹すいてきました・・・!!)

市場さんと、娘さんの大塚愛さんと
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愛さんは、私とひとつ違いで、なんと大工さんなのだそうです! 華奢な外見からは想像できませんが、住む家を自分で手作りしたのだとか! 海外を放浪した後、自然農を学びたくて、受け入れ制度のある福島へ移住しました。川内村にある「獏原人村」に自分で小屋を建て、電気も水道もなく、自給自足で野菜を育てながら、超・大自然の中で暮らしていたそうです。

その後、大工の見習いをして大工となり、建築家のご主人と出会って結婚し、「獏原人村」内に、2階建てのおうちを自分で建て(なんと一軒家の建築費用は150~180万円!!)、お子さん2人と共に幸せに暮らしていました。

・・・ところが、昨年の3月11日で、福島第一原発からわずか20数キロの「獏原人村」は、高線量で住めなくなり、生まれ故郷の岡山へ一家で避難して、建部町で新たな生活を始めることになったそうです。(ちなみに、愛さん一家は地震の起きた3月11日に、すぐに原発のことを思い、その日のうちに岡山へ非難したそうです。直後だったため、道路も、ガソリンなども大丈夫だったとのこと)

現在は、建部町の雇用促進住宅で暮らしていますが、建部町内に家を見つけ、現在はそこの大規模リフォーム作業中。大工さんなので、自分でやっているそうです。お昼ごはんを食べた後は、リフォーム中のお家を見せてもらうことに。
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屋根の上にはソーラーパネルが!
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玄関の前で。
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この大きな母屋に、離れ(下の写真)もついて、家賃は月1万円!!! なんか、つくづく”家賃”って何なんだろうと考えてしまいます。
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母屋のリフォームの様子。かなり大掛かりのリフォームですが、年内には完成させて移り住みたいとのこと。その後は、離れのリフォームにも取り掛かり、だんなさんは人が集まれるようなカフェをオープンさせたいそうです。こういうことを自分たちでできるって、ほんとうらやましいです。
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いくら自分たちでリフォームができるからとはいえ、賃貸の物件でここまでリフォームをやっちゃっても良いのか?という素朴な疑問がありました。すると、この物件にはこれまで高齢の女性が独り暮らしをしていたのですが、施設に入居したので、住んでくれる人を探していたそうです。今後、もしかしてその女性が今後戻ってくるという可能性もありますが、リフォームは好きなだけやっていい、家の中のものは捨ててよい、しかし仏壇だけはそのまま家においておいて欲しい、というのが貸し出しの条件だったそうです。

現在、全国的に空き家は増加傾向にあり、誰も住まないで傷んでいく家もあれば、借り手を見つけて住み続けられている家もあります。愛さんが見つけたような、「家賃1万、リフォームし放題、仏壇だけ残す」といったような、普通の不動産賃貸・売買ではありえないような条件の家は、どうやって見つけるのか?と聞いてみました。

すると、特に限界集落や田舎で家を探すには、村の世話人のような人に聞いてみることだ、と言いました。村の世話人なら(あそこはずっと空き家になっている)、(おばあさんがなくなった以降空き家になっているが、遠くに住む息子たちは格安でも住んでくれる人を探している)とか、そういう情報を持っているのだそうです。それで仲介してくれるのだとか。

普通私たちが家を探すときに頼るような、不動産の仲介業者には逆にこういう物件は出ないそうです。長い間空き家となっている家は、大抵マーケットには出せないほど傷んでいたり、前の住人の荷物が運び出せないほど置き去りにされていたり、という場合が多いからだそうです。そしてもちろん、仲介業者を通せば、手数料も発生します。

住み手を探している人、住む場所を探している人、そういうニーズは多いのだから、それをマッチングさせるためには、間に入ってくれる人の存在が重要、と話していました。確かに。

特に311を機に、この地域へは移住者が増えているそうで、町の小学校は児童の数が21人から30人を越えるぐらいまでに増えたそうです。

建部町で発行されている新聞「タネピリカ」。建部町に新しく苗を育てに来た人と、この里を守りたいと願う地元の人との交流新聞なのだそうです。こういった新聞が発行されるのも、きっと外から移住する人が増えてきたことに関係するのでしょう。
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非電化冷蔵庫の作り方も!!
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ちなみに、「タネピリカ」のバックナンバーはホームページでも見られます。

愛さんのリフォーム中のお宅を見せてもらったあとは、現在お住まいの雇用促進住宅に行きました。
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福島からの避難者に限り、家賃は無料で住めるのだそうです。(ただし、新規の受け入れはこの12月まで)。福島以外でも、近隣の県から自主避難をする人は多いのに、福島だけに限定するのはおかしい、と愛さんは話していました。

愛さんは岡山に移住後、福島の子どもたちの保養プログラムや移住支援、移住して新しい生活を始めた人たちのしゃべり場などを積極的に行っています。

愛さんが立ち上げた「子ども未来・愛ネットワーク」のパンフレットと、ご主人が開設した「せとうち市民放射能測定所」のチラシ
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愛さん夫婦の活動は、現在、ドキュメンタリー映画監督の海南友子さんが撮影されているそうです。どんな映画になるのか、楽しみですね!

雇用促進住宅は、間取りも広く、家族4人で暮らすのに十分な広さのようでした。「雇用促進住宅」という言葉の響きから、なんとなく独身用とか、狭いみたいなイメージを勝手に持っていたのですけれども。
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リビングに飾られた、「獏原人村」で愛さんが自分で建てたおうちの写真。放射能があるとはいえ、やはり愛着のある家を置いて出てくるのは、とても辛いだろうなぁ・・・と思いました。
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愛さんとお別れした後は、また車に乗って、今度は市場さんのお友達が経営されている宿へ。ステキな田園風景の中に立つ、木造のゲストハウスです。

トゥッティ・ゲストハウス
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別角度から
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お庭でとれた柿
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ゆったりとしたエントランスは隠れ家ホテルのよう・・・と思ったら、元はホテルをやるつもりではなく、ご夫婦2人で住むために建てたお家なんですって! びっくりです!
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友達が来たら泊まれるように・・・と思って作った客用の寝室やバスルームが、今はゲストハウスに。1日一組限定、食事は全てベジタリアンフードというこだわり。岡山に行く機会のある方は泊まってみてはいかが?
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この風景を独り占めできる椅子happy01
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この宿をされているご夫婦
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紅茶と、お手製のバナナケーキをいただきました。
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柿も美味しい
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カシューナッツに塩少々とガラムマサラ(カレーなどに使われるスパイス)をふり、ひまわり油で炒めたもの。これ、超美味しかったです。カシューナッツは、私はこれまでただそのまま食べるだけ(ピーナッツみたいに)だったのですが、今度挑戦してみたいです。
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こんな大自然の中で暮らし、美味しいベジタリアンの食事をしていれば、さぞかし健康なのだろうと思ったら、田舎に住んでいると逆に運動不足になってしまうのだそうです。何しろ、何をするにもクルマが必要で、ゴミだしさえも車で行きます。都会に住んでいるほうがよっぽど歩くとも言っていました。

ご夫婦とお別れした後は、また車に乗って、市場さんのお宅へ行きました。市場さんはこの日の夜、現在勉強中の手話クラスがあったので、晩御飯はご主人と私でいただくことに。ちょっとした”お留守番”気分です。

美味しそうな晩御飯
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いただきます!!
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ご主人は、備前焼の陶芸をされていて、ビールグラスも手作り。
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小児科医のご主人は、産業医としても保健所で勤務してきました。岡山市役所に勤務する職員で、月の残業時間が100時間を超えると申告した人の面談もされているそうです。公務員とはいえ、サービス残業で100~200時間を超す勤務の実態について、お話を伺いました。

岡山の保健所では、3年ごとに岡山の労働事情を調査しているそうです。その調査によれば、平成9年頃から、夜9時までに家に帰れる労働者の割合は6割にしか満たないとのこと。「地方=職住接近で、帰りは早い」というイメージがあるけれど、地方でも長時間労働の実態があると話していました。

9時ごろに市場さんが帰宅しました。遅めの晩御飯を食べながら、私の映画の感想なども話してくれました。市場さんは、私の映画を見て、その後のトークを聞いて、「権力と個人」の視点に興味を持ったのだそうです。住宅問題に興味を持ち、取材を始めた私が、結局73号棟問題に絞って映画を作ったのは、UR(=国家権力)に素手で戦う住民の姿に共感を覚えたから・・・というようなことをトークで話していました。

「権力と個人」は、ジャーナリズムの原点だと思うけれど、今のマスコミには、それが一番欠けている、と市場さんは言いました。特に、長年、大学などで心理学を教え、児童虐待、家庭内暴力などについても講演し、慰安婦問題にも精力的に取り組んできた市場さんは、慰安婦問題の報道に関して、特にそれを感じるそうです。よく、「2001年のETV・慰安婦報道以降、報道が萎縮した」と定説のように言われていますが、市場さんによればそれよりずっと以前から、報道は慰安婦問題に対して自主規制が激しかったと話していました。

市場さんから「”権力と個人”の視点は、いつ・どのように体得したのか?」と聞かれました。市場さん自身は、学生運動の只中を過ごしたことで、世の中の見方が変わったのだそうです。

私は、いつどこで”権力と個人”を思うようになったのか・・・

家庭環境はごく普通、高校・大学は保守的な学校で、卒業後は公務員でしたので、”学生運動”ほどの強烈な体験は私にはありません。でも、あえてこじつけるなら、”好奇心”がゆえに自分から関わっていったように思います。差別は良くないとか、正義とか、そういう気持ちからではなく、社会のセーフティネットから外れた人たち(野宿者や不法就労者、売春婦など)の、外れているがゆえにたくましくサバイバルしている姿を、単純に”すごい!”と思ったのです。そして、彼らから聞く話が、どれもこれまで家庭や学校では聞いたことが無い話ばかりで、とても面白かった。

・・・そんなわけで、自然に(?)個人と権力、国家、この国の歩んできた歴史などを、考えるようになった、みたいに思います。

学生運動の頃から社会問題に取り組み、ご主人も医学部生で公害の人体に及ぼす影響などを勉強していたこともあり、市場さん夫妻は昔から自然食や玄米、環境と人体に優しい、合成の界面活性剤を含まないせっけんなどを使ってきたそうです。

お母さんの教えを受け継ぎ、今でこそ自然農を実践している娘の愛さんは、反抗期にはお母さんの方針に反発したそうです。自分用に、石けんシャンプーのかわりに「エメロンシャンプー」を買い、せっけん歯磨きの代わりに「ライオン歯磨き」を買い、白米を食べ、合成洗剤で体操着を漂白する・・・などなどの”抵抗”があったそうなのですが、”反抗期がエメロンシャンプー”なんて微笑ましいと、思わず笑ってしまいましたhappy01

話しているとあっという間で、既に10時を過ぎていました。お風呂に入り、寝る前に愛さんの「獏原人村」での生活がテレビ放映された番組のDVDと、翌朝訪問する予定の「長島愛生園」で暮らすハンセン病回復者の金泰九(キムテグ)さんのドキュメンタリー映画「虎ハ眠ラズ」のDVDを観てから寝ました。

私が寝かせてもらった部屋にも、沢山の備前焼が!
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盛りだくさんな1日でしたhappy01

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[jp] 岡山映画祭2012(その3:11月18日)

岡山滞在3日目。朝起きて母屋へ行くと、川端さんのお父さんがちょうど朝ごはんを食べているところでした。既に3日目なのに、これまでお父さんとはまったく会わず、多分お互いに(本当にいるのか?)状態だったと思いますが、やっと会えました。

ずっと新聞記者で、退職後は関連テレビ局にお勤めだというお父さんとは、話も弾み、気がついたら1時間に1本しかないバスに乗り遅れそうになりました。

無事、バスの時刻にあわせてバス停に到着。バス停付近の光景。
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岡山映画祭2日目のこの日の会場は、「三丁目劇場」という会場でした。岡山駅からは少し離れていて、商店街を歩きながら会場へ向かいます。

商店街はちょうど開店準備の最中
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商店街には珍しく百貨店も入っていました。(百貨店が先に出来ていたのかもしれませんが)。「天満屋」は聞いたことないなぁと思ったら、中国&四国地方で展開されているデパートなのだそうです。
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商店街なのにグッチやシャネルという光景が不思議です。
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先日、岡山と四国は意外に近いと書きましたが、近いだけあって、お遍路用品が売られているお店を多く見かけました。
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「シーズン到来です!」と書いてあるのですが、今がお遍路のシーズンなのでしょうか? ワタシ的には、歩き回るには寒い時期では?と思うのですが。紅葉を見ながらってことかもしれないですが。
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10時半からの上映にあわせて「三丁目劇場」へ到着しました。この日の初回は、藤川桂三監督の「石巻市立湊小学校避難所」。避難所そばに半年間泊り込んで撮影した作品。

上映後の舞台挨拶(向かって左が藤川さん)
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この日のタイムテーブルをよく確認していなかった私は、2時からの「さようならUR」の上映までに、気がついたら30分ほどしか時間がないことに気がつきました。お昼ごはんを外に食べに行く時間が無く、でも、スクリーンや音量のチェックなどには立ち会いたかったので、結局映画祭のスタッフの方にコンビニでお弁当を買ってもらいました。

映画祭のスタッフの皆さん@受付
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2時になり、映画の上映が始まり、上映後は川端さんの司会でトークをさせてもらいました。

トークの様子(岡本さんに撮影していただいたもの。ありがとうございます!)
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この映画を作ろうと思ったきっかけや、家賃にお金をかけすぎるのはもったいないという自論などをお話しました。(でも、飲み会などで岡山の住宅事情を聞いたところ、状況にもよると思いますが、一軒家で家賃月1万円とか、普通にあるみたいでした。超うらやましい!)

上映の後、映画を観た方が、映画の感想を話してくれました。その方は、大きく報道されて話題になった「安愚楽牧場」の被害者なのだそうです。”投資”と聞くと、資産に余裕のある人が、それをさらに増やすためにするものという感じがしますが、実際はギリギリの生活費の中から、将来のためにとお金を預けていたケースがとても多かったそうです。被害対策弁護団などが動いているものの、出資金の返還はほとんど望めず、自殺者も出ているという状況。その方は、私の映画を見ながら「安愚楽牧場」と重ねあわせ、庶民が生活の場や糧を奪われていくさまを思ったそうです。

前日に知り合った、四国の成合さんからは、成合さんもエキストラ出演された「百年の時計」の完成台本と、瀬戸内海の島々を使った現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」の公式ガイドブックをいただきました。瀬戸内国際芸術祭、次回開催は2013年だそうですが、かなり面白そうです!

オール香川ロケの「百年の時計」完成台本とリーフレット。
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瀬戸内国際芸術祭の公式ガイドブック
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こんなに分厚いガイドブックなんですよ! 行って見たいなぁ!
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上映の後は、富田さんと共に、映画祭のスポンサーにもなっているカフェへ行ってご飯を食べ、次の上映作品「モバイルハウスのつくりかた」本田孝義監督のトークを聞きに、また「三丁目劇場」へ戻りました。

本田さんのトーク
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本田さんは、岡山出身で、岡山映画祭には以前スタッフとして関わり、生まれ育った「山陽団地」を舞台にしたドキュメンタリー映画「ニュータウン物語」を岡山映画祭で上映されたこともあるそうです。

今回、岡山で何日間か滞在しようと決めた私は、岡山出身の本田さんや、岡山に近い、ヒロシマ平和映画祭のスタッフの方たちに、「岡山で何か面白い場所&人をご存知でしたら紹介してください」とメールをしていました。岡山映画祭で本田さんと会って知ったのですが、本田さんは私からメールをもらったときに(ドヤ街は岡山にないし・・・)と実は困っていたそうです!!

私は単に”面白い場所や人”とだけ書いたのですが、ソウルや大阪・釜ヶ崎での私の行動をブログで読んで、私はそういう場所に関心があると思ったようです。もしかして、本田さんの中では「私=ドヤ街」という図式なのかもしれませんhappy02 必ずしも、そんなわけではないのですよ! 普通に観光名所や美術館にだって、人並みに興味があります。(←といいつつ、今回の岡山滞在では一度も観光名所や美術館に行きませんでしたが!! やっぱり?!)

この日は、「モバイルハウスのつくりかた」が、本田さんのトークを挟んで2回上映でしたので、2回目の上映の間は、映画祭スタッフの中原さんがゲストを連れて晩御飯に連れて行ってくれました。

1時間前にカフェでがっつりパスタを食べたばかりですが、釜飯とお刺身の定食を。
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飲み会では、瀬々監督の「アントキノイノチ」を上映するために、小川さんと中原さんが青春18切符を使って東京に向かい、瀬々さんと会うまでのお話を聞きました。12時間をかけた電車の旅、映画を上映させてもらいたいという熱意。お二人のお話を聞いていて、映画祭スタッフの中で誰よりも若くて、”青春”なんだなぁ!とつくづく思いました。映画を作るのも熱意ですが、映画を上映することに熱意を持つ人たちがいてこそ上映が出来るので、小川さんや中原さんたちのような存在は、作り手にとっても、とても心強いです。

偶然瀬々さんの隣の席に座ったおかげで、瀬々さんから色んなお話を聞くことが出来ました。ピンク映画、映画のほかに、昔所属していたプロダクションからの出向という形で、これまでにテレビのお仕事も沢山されてきたそうです。

制作途中の作品を当事者に見せるか否かは、考え方の分かれるところです。私は、自分が元々ジャーナリズムに関心を持ち、そこからドキュメンタリーの世界に入っていったということもあって、”絶対見せない”という考えです。当事者に見せることで、作品の独立性が失われてしまわないように・・・という理由と、当事者視点からの作品への指摘は、大抵面白いものにはならない、と思っているからです。

しかし、この点について瀬々さんは「事前に見せるのは構わない。後で揉めるなら見せたほうが良い」と言っていました。なぜそう考えるのかと聞いたところ、「新聞とかテレビの人間は”表現の自由だ”とか言って、事前に見せたがらないけど、そもそも表現の自由なんて破綻している。見せて、それで説得すれば言いだけの話なんだから」と言いました。

でも、見せて、説得しても、相手が応じない場合も考えられます。そういうケースの方が多いようにも想像します。その場合はどうするのか?と聞いたところ、「見せれば相手にも納得してもらえるような作品を作っていると思っているから、見せるんだろうね。説得できると思っているからこそ、見せるのだろう」と言っていました。

相手も納得するような作品だから、見せたところで問題はないし、説得も出来る・・・。そう考えて”見せる”選択をしているのだと聞いて、私は腑におちる感じがしました。私も、誰に見せても恥ずかしくないような気持ちで、映画に出た人だって、映画の全体を見れば私の意図を理解してくれるはずだという思いを持って、映画を作っているつもりですが、将来もし「事前に見せないなら降りる」みたいな事態になったとき、自分はどう行動するのかな・・・と考えました。

パスタ、そして釜飯と、もうこれ以上は食べられないぐらい満腹になった後で、さらにこの日の打ち上げへ。本田さんも無事2回の上映を終え、打ち上げに参加しました。なぜか話題は”空撮”になり、本田さんがこれまでの3作品で空撮をしたことが判明。空撮ってめちゃめちゃお金かかりそうですが、予算が許せばまず空撮を考える様子が面白かったです。私だったら、お金が入っても、空撮に使ってしまうのはもったいないから、他の事に使いたいと思うだろうけどなぁ。それとも、一度やってみるとはまるのかも。

空撮シーンもあるという、本田さんの「ニュータウン物語」。拝見するのが楽しみですhappy01
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早くも映画祭の前半の週が終わり。岡山映画祭の皆さま、映画を見に来てくださった皆さま、どうもありがとうございました!

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[jp] 岡山映画祭2012(その2:11月17日)

岡山映画祭の初日。岡山市内に向かうバスが1時間に1本と聞いていたので、乗り遅れないよう早めに起きて支度をしました。

会場の岡山シティミュージアムへ到着。
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岡山映画祭の看板
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岡山映画祭のパンフレット
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10時より、新代表の岡本さんよりオープニングの挨拶
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オープニングの作品は、山崎樹一郎監督による「ひかりのおと」。岡山県真庭市で、なんとトマト農家を営む映画監督なのだそうです! ”地産地生”映画として、地元の人たちをオーディションで役者に起用し、岡山市内の数十箇所で自主上映会を展開したという、ユニークな作品です。

上映後の監督、出演俳優、製作スタッフによる舞台挨拶。
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トークの後、映画祭の小川さん、そしてボランティアの大学院生と共に、お昼ごはんを食べに行きました。

岡山の名物だという「ままかり寿司」(ままかりの酢漬けのお寿司)とおそばのセットを食べました。
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小川さんと会うのも3年ぶりでした。今回の岡山滞在中に何をするのか聞かれ、ヒロシマ平和映画祭の高雄さんから紹介していただいた、岡山在住の市場恵子さんという方に、長島にあるハンセン病療養所に連れて行ってもらう予定だとお話したところ、小川さん、岡山映画祭とハンセン病療養所のこれまでの関わりを教えてくれました。

小川さん自身もプロデューサーとして、在日朝鮮人のハンセン病元患者がお遍路をするというドキュメンタリー映画を過去に制作したことがあり、また、今回の映画祭でもハンセン病に関するドキュメンタリー映画を上映するとのことでした。(山陽女子高校放送部作品集:「私たちの宝1995年、あの日から10年」、「心の架け橋になりたい、山陽学園と長島愛生園の70年」、田中幸夫監督:「虎ハ眠ラズ」)

そして、ヒロシマ平和映画祭経由で紹介していただいた市場さんも、実は岡山映画祭とこれまでに関わりがあるそうです。過去の映画祭で、妨害に遭いながらも「ナヌムの家」を物々しく上映した時、会場で講演をされたのが市場さんだったのだそうです。上映に至るまでの大変な経緯をお聞きしました。

岡山映画祭は、もともとドキュメンタリー映画祭として発足したということもあり、上映する作品はその時々の社会情勢と連動しているといっていました。

お昼ごはんの後は、また会場に戻り、「さぬき巡礼ツアー」を観ました。この映画は、香川県で毎年行われている「さぬき映画祭」の映像作品の企画コンペで選ばれ、その賞金(250万円)をもとに作られた映画なのだそうです! 企画のコンペで250万円って、すごくないですか?(←私が知らないだけで、普通にこれぐらいなのですか? ちなみに、ハンセン病の元患者がお遍路をするドキュメンタリーを作った小川さんも、この映画祭のコンペで助成を受けて作ったといっていました)

「さぬき映画祭」の企画コンペの応募要項については、映画祭のウェブサイトに記載されています。「県内人材育成部門」は、香川出身または香川在住に限定されるそうですが、「一般部門」は県外の人でも応募が可能(ただしテーマは香川にまつわるもの)。香川を舞台に映画を作りたい!という人は、ぜひ応募してみてはいかがでしょうか?

映画の上映後には、プロデューサーの吉田摩弥子さんによるトークがありました。
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トークの後、次の映画は瀬々敬久監督の「アントキノイノチ」で、別会場での上映となっていました。四国から映画祭にやってきたという、映画好きの成合夫妻と歩きながら上映会場へ向かうことに。

「四国から来た」というと、ずいぶん時間がかかるというイメージを持っていたのですが、なんと電車で1時間なのだそうです!(←もちろん、四国のどこかにもよりますが)。そんなに近いとは驚きでした。四国から岡山へ通勤・通学している人も珍しくないそうです。しかも終電は遅くまであり、岡山は普通に行動範囲だといっていました。

成合さんは自営業(本業)の傍ら、四国で映画のロケがされるときには、必ずと言っていいほどエキストラ出演をされているそうです。これまでに度々エキストラをしたそうで、時には真冬に時代劇の格好のまま12時間外で待たされたこともある、と、エキストラの苦労話を聞かせてもらいました。

12時間も待たされるなんて、なんでそんなことになったのかと聞くと、それは前の撮影が押したり、準備に時間がかかったりして、予定時刻がどんどん過ぎていくからだそうです。エキストラとして、これまでに数多くの現場を見てきた成合さんによると、「監督は素人でも、スタッフがしっかりしていれば映画はできる」とのこと。・・・もちろん作品にもよると思いますが、なんか(なるほど)と合点のいく発言でしたhappy02

「アントキノイノチ」の上映会場に到着したものの、上映までだいぶ時間がありました。近所でお茶でも・・・と思っていたら、小川さんから「控え室で瀬々監督たちが打ち合わせしていますよ」と言っていたので、私たちも控え室にお邪魔することに。

打ち合わせ中の瀬々さんたち
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私は瀬々さんと会うのは初めてで、名刺交換をしたところ、「高幡台団地、俺も映画に撮ったんだよ!」と言われました。えぇっ?!とびっくりしたところ、なんと、1993年に高幡台団地で起きた、日野OL不倫放火殺人事件をモチーフに映画を作ったというのです!!(事件の詳細については、ネット上でいくつか見つけることができます。例えばこちら)。高幡台団地で撮影もしたそうで、あの団地の構造についてとても詳しくご存知でした。まさか、瀬々さんと、高幡台団地つながりがあったとは・・・! 驚きでした。

日野不倫OL放火殺人事件をモチーフに、瀬々さんが監督した作品のジャケットまで見せてもらいました! この作品が「さようならUR」とつながりがあるとは、感慨深いです。
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「アントキノイノチ」上映後、小川さんの挨拶
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上映後のトーク。進行は映画祭スタッフの中原さん。
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上映の後は、スタッフ、関係者、来場監督たちで飲み会に。飲み会では、山崎監督をはじめ、岡山に移住した人たちがなぜかすごく元気になっているという話で盛り上がりました。「晴れの国」とも呼ばれる岡山、一体何が起こっているのでしょう・・・!

飲み会の様子。順番に自己紹介。
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京都から岡山に移住し、トマト農家を営みながら映画を作り続けている山崎さんですが、さぞ地元では映画監督としてモテモテなのでは?と誰かが聞きました。それに対して山崎さんは、「映画監督なんて言っても全然モテない。百姓って言うほうがよっぽどモテる」と答えていました。

確かに、特にこの311後の社会を生きる私たちにとって、自分の食べるものを自分で作ることが出来たり、小屋を建てられたりするサバイバル・スキルは、新たな”モテ”基準となったように思います。映画監督と言った所で、災害時に役立ちそうなスキルはあまり持ち合わせていなそうですからねぇ・・・gawk 面白いな~と思いながら聞きました。

映画祭スタッフの小西瞬夏さんからは、句集をいただきました。巻末には俳句と映像のコラボレーション作品のDVDが収録されているとのこと。俳句と映像のコラボなんて、楽しみです!
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宴たけなわの頃、お店のマスターが色紙を持ってやってきました。瀬々さんのサインが欲しいということでした。どういうわけか、その場のノリで山崎さんと私まで同じ色紙にサインをすることに! 私のサインが加わることで、(この色紙本物?)状態になってしまうのでは・・・と危惧しつつ、酔った勢いに任せて私もサインをすることに!
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色紙を持っているのがお店のマスターです。
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ちなみに、サイン部分だけ拡大するとこんな感じ。
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楽しい初日でした。

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[jp] 岡山映画祭2012(その1:11月16日)

「さようならUR」の岡山映画祭上映のため、岡山に行ってきました。前回(2009年)の時は、京都大学での「国際座り込み映画祭」上映後、夜11時過ぎに岡山に到着し、翌日上映→東京へ・・・という弾丸ツアーだったので、今回はもう少しゆっくり滞在しようと、4泊5日で岡山に行くことにしました。

飛行機で岡山空港に到着し、リムジンバスで岡山市内へ。待ち合わせする予定だった、映画祭スタッフの川端さんとは偶然通りかかりに出会ってびっくりしました。川端さんも映画監督で、「岡山の娘」という劇映画を作り、岡山映画祭でも上映されました。現在は次回作の脚本を書いたところだそうです。

劇映画の場合は、しっかり脚本さえ出来れば、かなり大きな山を越えたことになり、あとはいつ・どのように撮影するかという第2の山を迎える状態だと思うのですが、撮影の予定はまだ立っていないそうです。現在は求職中でもあると話していました。

・・・求職中・・・

世の中は分かりませんが、少なくとも私は「プータローじゃなきゃ映画は作れない」と思っているので、せっかく無職でいる今こそ映画を撮るべきなのではないか?と言いました。まぁ、人それぞれ都合とタイミングもあるかもしれませんが。。。

川端さんの周りのお友達で映画を作り続けている人たちは、何らかのお仕事をされながら映画を作っているそうですが、聞いてみるとそのほとんどは”自営業”なようでした。仕事を持つだけで、だいぶ映画作りには打撃ですが、最低限、自分で自分の予定をやりくりできる自営業でないと、なかなか映画作りは難しいということですね。

また、劇映画なので俳優を探さなくてはならないこと、岡山で俳優を確保するのが難しいこと、などもお聞きしました。(質は別として)最悪ひとりでも何とかなってしまうドキュメンタリー制作とは、やはり訳が違うのだなと思いました。

喫茶店でお茶を飲んだ後は中華料理屋に向かい、今回から映画祭の代表になった岡本さんも合流しました。代表として、映画祭の大まかな流れを統率しつつ、ポスターやチケットといった細々としたことまで考えなければならないのですから大変です。

なんと、チケットで「当日」のハンコがないということに、映画祭直前になって気づき、文房具屋に走ったそうですが、「当日」というハンコは需要が無いらしく、ついには自分で彫ったのだそうです!

お手製の「当日」ハンコ
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岡本さん
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中華料理屋でご飯を食べた後は、富田さんも合流しました。川沿いにあるmoyauというステキなカフェでした。

暗すぎて上手く撮れませんでしたが。
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店内の様子
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写真中央左の小さなベルを鳴らして店員さんを呼ぶのですが、そのベルの音はささやか過ぎて、果たして聞こえるのかと不安になりました。しかし、ベルを鳴らすと店員さんが2階まで来てくれたので、相当耳をそばだててスタンバイしていないと無理なんじゃないか?と思ったのですが、どうだったのでしょう。
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富田さん
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川端さん
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岡本さん
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2階のスペースも広くて、上映会なども出来そうな雰囲気でした。映画祭の番外編として、映画祭のメイン会場ではかけないような作品の上映をやったりしたら面白そう!

翌日からの映画祭を控え(スタッフの人は朝8時半に集合!)、この日は早めにお開きとなりました。岡山滞在中に泊めてもらう川端さんのお宅へ。以前おじいさんとおばあさんが使っていたという離れに泊めてもらいました。(「離れ」といいつつ、大きな家です)

寝泊りさせてもらった部屋
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私も翌日からに備え、早めに寝ました。

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[jp] しねまでてんと!

一昨日、岡山から戻りました。岡山映画祭のこと、そのほかに見聞きしたことについては、追ってこのブログで紹介したいと思います。

今日は、経産省前テントひろばの第2テントで新たに始まった試み「Cinema de Tent (しねまでてんと)」のお知らせです。「とつきとおかのテントひろば行動」が9月11日に無事終了し、第2テントは先月より名称を「原発いらない女たちのテントひろば~福島とともに」に変更し、新体制で始動しました。

「しねまでてんと」は、その新生第2テントで、女性たちが中心となって映画を上映したり、語り合ったりするイベントで、その第1回上映作品として、12月2日(日)17:00~「ブライアンと仲間たち」を上映してもらえることになりました!(なんたる光栄!)

面白いのが、屋外なので発電機などを使った上映になるのですが、それらのセッティングを自分たち(女たち)で出来るようになろう!ということで、発電機やプロジェクターなどの接続・操作を、自分たちで出来るようにこれから習得するのだそうです。私も普段の上映は(主催者が別にいるというのもあって)、会場の設営や上映設備の設定は人任せになってしまうことが多いのですが、”自分たちで出来る”ほど強いものはないですよね。そんな姿勢も素晴らしいなと思いました。

「ブライアン~」は、昨年末のオールナイト上映イベントの中でテントで上映してもらいましたが、その時は上映途中に終電の時間帯とかぶってしまい、半分近くの人は途中で帰らざるを得ない状態でした。でも今回は、夕方5時から始まりますので、上映、そしてその後のお話会もあります(終了予定は7時半ごろ)。

映画上映の場所としては、本来もっとも縁遠いはずの「霞ヶ関」で、2度も上映されるのは、私&私の映画にとって、とても意味深いことです。「テント」なので暖房設備がないのですが、ぜひ暖かくして映画を観にいらしてくださいね!

「しねまでてんと」のチラシ↓(クリックすると拡大します)
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[jp] 明日から岡山!

明後日から始まる「岡山映画祭」のため、明日から岡山に行きます。映画祭は、11月17日&18日と、その次の三連休:23日、24日、25日に開催されます。(映画祭のスケジュールはこちら

願わくば映画祭の後半もぜひ行きたかったのですが、私は自分の上映もされる前半のみさんかします。「さようならUR」の上映とトークは18日(日)14:00~@三丁目劇場。岡山近辺の方は、ぜひいらしてくださいね!

なお、このブログを読んでいただいている方は既にご存知だと思いますが、ノートパソコンやモバイル端末を持っていないため、帰京するまでの間、PCのメールやブログなどはあまりチェックできないと思います。ご面倒をおかけしますが、何かあれば電話でご連絡ください。

前回、岡山に行ったのは2009年で、その時は夜11時ごろに到着し、翌日の夜に帰るという強行スケジュールでしたので、岡山の街を歩いたり・・・ということは皆無でした。今回は街を散策したり、人と会えたりする機会があればうれしいな~。

今から楽しみですhappy01

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[jp] 意外に苦戦

以前このブログで、国会記者会VSフリーランスについて紹介しましたが、寺澤有さんたちが起こした、国会記者会館の使用適正化を求める仮処分申し立てが、「国境なき記者団」でも取り上げられました。((「国境なき記者団」の記事(英語&日本語)はこちら))

「国境なき記者団」東京特派員の瀬川牧子さんが、寺澤さんがインシデンツに掲載した動画(国会記者会の事務局長がフリーランスの取材を妨害する場面が収録されたもの)を英語に翻訳したので、動画に英語字幕を付けてほしいと寺澤さんから依頼がありました。

既に英語には翻訳されているし(一応タイムコードも付けてある)、10分弱の動画なので、引き受けたのですが、作業をやり始めて、これは一筋縄ではいかない作業だと分かりました。

・・・というのも、確かに翻訳はされているとはいえ、テキストデータの上で翻訳するのと、それを実際に動画のタイムライン上に置いて見るのとでは、だいぶ印象が違うのです。また、翻訳は正確だったとしても、一字一句を翻訳してしまっては、テキストが長すぎて字幕として目で追えなくなってしまいます。どう要約するかも必要になってきます。

私は字幕付けの作業は、自分でもかなり作業が早いほうだと自負しているのですが、今回の動画の場合、両者(寺澤さんと事務局長)が同時に言い合って口論のようになっており、それをどういうバランスで表示するのかというのも、問題になってきます。両者が同時で話しているとはいえ、メインで話しているほうを取り上げるのか、それとも、より重要or新しいことを話している方を、繰り返しの発言をしている方よりも優先するのかetc、かなり考慮しながら字幕を付けなければならないわけです。

そして、両者が同時に話しているから、どの発言がどちらの発言なのかも明確にするため、発言者ごとに字幕の色を変えたりもしました。

・・・そんなわけで、数時間で終わると思っていた字幕入れ作業が、なんと朝から始めて、休みなく作業し続けたにもかかわらず、夕方過ぎまでかかってしまったのです! 結局この日は、他のことが何も出来なかった・・・crying

翻訳に少し手を入れたと書きましたが、日本語で言うところの「記者クラブ」を、どう表現すべきかで悩みました。ビデオの中で、寺澤さんが佐賀事務局長に対し「一応佐賀さんだって記者だったんでしょ?(なら、取材の自由を認めなさいよ)」という発言がありました。この部分の翻訳、瀬川さんは「a former journalist of Kisha Club」と訳していました。

でも、私はそれに対して(これでいいのかなぁ・・・?)と疑問に感じました。直訳すれば「記者クラブの元ジャーナリスト」だと思いますが、まず「記者クラブのジャーナリスト」という言い方に、ちょっと違和感があります。

「記者クラブメディアに属するジャーナリスト」というか、そもそも新聞社に属する記者が「ジャーナリスト」と訳されるのも、なんか違和感があります。「ジャーナリスト」というより、「記者(reporter)」と書くほうが、実際の彼らの仕事ぶりとアイデンティティにあうのではないか?と個人的には感じます。

そして大前提として「記者クラブ」が「Kisha Club」としてどこまで海外で通用するのか、という問題もあります。「国境なき記者団」の記事中では「Kisha Club」として使っていますし、寺澤さんも「いまや海外でも通用するKisha Club」と言っています。でも、実際は「国境なき記者団」の存在を知っているような関心・意識の高さを持つ人たちぐらいしか、まだ浸透していないようにも思います。(実際、イギリスのフリーランスの友人たちに聞いても、「Kisha Club」という言葉は聞いた事がなく、でも、仕組みを説明すると、「なるほど。イギリスには明確な「Kisha Club」はないけれど、似たように作用してフリーランスを締め出している」と言っていました)

一方で、「Kisha Club」と訳してしまっても、この動画は背景事情を説明したテキストと共に紹介されるのなら、テキストを読めば「Kisha Club」が何であるか観る人も理解するので、それでも良しとする考え方もあるでしょう。

この作業をしているときは、とにかく急いで仕上げるのが目的だったので、翻訳の一字一句について吟味する余裕がなく、結局私はその部分を「a former journalist」とだけ表記したのですが、後から考えれば、もっと時間があったなら「a former reporter (of Kyodo news agency)」とした方が、より明確に、実態に即した形の翻訳であっただろうと思います。海外の人にとっては範囲・理解が不明瞭な「記者クラブメディアの・・・」とするより、佐賀事務局長が共同通信社の出身であることを示すほうが、一目瞭然であると思います。

なので、その点についてはより良い訳を提供できなくて残念だったのですが、でも英語字幕をつける(それなりの作業スピードで)という目的は達成できたのでよかったです。でもやっぱり翻訳作業ってつくづく奥が深い世界だなぁと思います。私も自分の表現力をもっと磨きたいです。

予想外に苦労してつけた英語字幕付きの動画はこちらよりご覧いただけます。ぜひ観てください!

ところで、予想外の重労働で、作業途中に度々「終わらない~crying」と寺澤さんにメールしていたら、夕方「これから晩御飯を持って行きます」と電話がありました。わざわざ姉の分と2人分。「これで今日は晩御飯を作らなくてすむでしょ?」と。

お菓子の空き箱にきれいに詰められています・・・!
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下の写真は、お皿に盛り付けた様子。隣にある巨大な梨は、別の日に寺澤さんからもらったもの。その大きさにびっくり!
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おかげで晩御飯を作らなくてすみましたhappy01

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[jp] 面白そうな”食事”!

路地と人の原田淳子さんより、路地と人で開催される以下のイベントのお知らせをいただきました。

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コートニー・コームス個展「Wish You Were Here」&
思考の糧:フェミニスト・ディナー・パーティ

■Wish You Were Here
2012.11.19-11.25
13:00-19:00 every day
Admission : free

■Food for thought
□2012.11.16 fri.
 19:00-21:00 at Rojitohito/路地と人
□2012.11.17 sat.
 13:00-15:00 at YOYOGI park /代々木公園
□2012.11.18 sun.
 13:00-15:00 at YOYOGI park /代々木公園

donation (for food) : ¥500

今11月、オーストラリアのアーティスト、コートニー・コームス(Courtney Coombs)が来日し、日本で初の個展「Wish You Were Here」(キュレーター:エミリー・ウェイクリング)を11月19~11月25日の期間、開催致します。

またコートニーの展示に合わせて、“集まっておこなうアート”というコンセプトで、フェミニスト・ディナー・パーティを東京で開催致します。

「思考の糧(Food for thought)」と題されたこのパーティは、フェミニスト・アーティストとして知られるジュディ・シカゴの代表作「ディナー・パーティ」(1974-1979)に喚起されおこなっているものです。

ジュディ・シカゴの「ディナー・パーティ」は、象徴的に配膳された女性のための食卓を作品としたもので、この作品は当時の美術界に議論を巻き起こしました。

思考の種:ディナー・パーティは、社会運動とアートを結びつける試みとして、コートニー・コームスもその一員であり、他にメルボルンやブリスベン在住のアーティストたちと共同で運営しているスペース「 LEVEL」で開催されてきました。

そしてこの度、この「思考の種」を日本でも開催することになりました。
日本では「フェミニズム」というと、解らない、知らないという方も多いと思いますが、思想の観点からではなく、女性たちが集まって、女性をめぐる環境、社会、メディア、表現、生き方など、さまざまなお話をしませんか?

このパーティには女性であれば、年齢や国籍に関係なく参加することができます。肉体は男性でも心は女性である、と思われる方もお待ちしています。

昨年の東日本大震災をきっかけに、今の日本社会では、ひとりひとりの暮らし方、生き方を問われているように思います。それは個人として考える事でもあり、女性としてどう生きるか、表現していくか、そんなことにも向き合っているのではないでしょうか。

さまざまな思考を持ち寄り、気軽に食事をしながら、女性同志で それぞれの視点、考えを共有してみませんか? 小さな悩みや、大きな問題、言いたいこと、きいてほしいことをお話しましょう。

女性のみなさま、親愛なる姉妹たちのご参加を心より希望しています。

「思考の糧」は、11月16日(金)の19時から21時まで「路地と人」にて簡単な夕食とともに、11月17日(土)と11月18日(日)は13時から15時まで、代々木公園でピクニック・ランチととにもおこなう予定です。

いずれも日本語と英語の通訳を交えて、各回12名ほどで集まります。
気軽で暖かな雰囲気の催しですので、ご興味のある女性はぜひ、メールにてお申し込みください。ご参加、心よりお待ちしています。

お申し込みメール:foodforthoughttokyo@gmail.com
Food For Thought web page: http://levelari.org/food-for-thought/
コートニー・コームス(Courtney Coombs):http://courtneycoombs.com/
企画協力:野中モモ(Lilmag)
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「思考の糧」の参加は女性(またはMTF)のみ、そして事前予約制だそうですので、ご注意を。

・・・う~ん、このイベント、めちゃめちゃ行きたい気持ち満載なのですが、16日から20日まで岡山なので東京にいないのです・・・!(もちろん岡山行きはものすごく楽しみなのですが!happy01 なんでこう、面白いことはいつも重なるのか・・・!) 

もし参加される方は是非どんなだったか、お知らせくださいね!

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[jp] 裁判的に読み解くと・・・?

先日このブログで、「さようならUR」が住民側の証拠(書証)として裁判所に提出されることが決まったと書きましたが、昨夜住民の会の定例会に参加したところ、証拠書類として確かに提出されたということが分かりました。

裁判では、提出する証拠書類は全て「甲○○号」(←原告側)、「乙○○号」(←被告側)の号証(番号)が付けて管理されます。裁判では、証人尋問の際なども、全てこの呼び方で証拠調べが行われます。弁護士は証拠説明書に、号証、作成年月日、作成者、そして立証趣旨を書いて、その証拠を提出するのです。

気になる、「さようならUR」の立証趣旨ですが、弁護団作成の「証拠説明書」 によると・・・

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原告は、被告ら73号棟住民に対し、退去を求める理由について、十分な説明は行っていないこと。
退去という結論ありきで、住民らに対し、転居の条件については詳細な説明をしたこと。
73号棟は、高幡台団地におけるセンター棟としての機能を有していること、被告らは、いずれも、同団地内で形成されている地域共同体に参加しながら、長年居住を続けてきており、同建物の耐震強度が不足だからと言って、当然に追い出されなければならない立場にはないこと。

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・・・ですって。

私の映画って、裁判的に読み解くと、こんな映画になっちゃうんですか・・・coldsweats02

この文章を初めて読んだとき、これがまさか自分の映画を説明している文章だとは思わなかったのですが、裁判所はこのような説明を読んだのち、私の映画を観る、ということになるのですね。裁判所的には、「日本最大の大家・URに居候の映画監督が挑む!」みたいなキャッチフレーズは、かえって心に響かないものなのかもしれません。

この立証趣旨の文が、映画のチラシにあるあらすじ文だったら、多分誰もその映画を観たいとは思わないでしょうけど!!!

裁判で使われる表現や言い回しは、やはり独特なのだなぁと実感しました。

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[jp] 国会記者会VSフリーランス

毎週金曜日の、首相官邸前抗議活動を取材するため、官邸の向かい側にある国会記者会館の使用をめぐり、フリーランスのジャーナリストたちが訴えを起こしています。

ひとつは、既にご存知の方も多いと思いますが、アワープラネットTVの白石草さんによる、「国会記者会館の屋上から撮影、報道させないのは違法」と提訴した裁判(詳細は寺澤有さんの「インシデンツ」記事を参照)で、こちらは初公判が11月5日(月)午後1時半、東京地裁 721号室で行われる予定です。

もうひとつは、「フリーランス連絡会」の事務を取り扱うジャーナリストの佐藤裕一さん、畠山理仁さん、寺澤有さんらによる、国会記者会館の使用適正化を求める仮処分申し立て。(詳細は「インシデンツ」記事を参照)。

仮処分申し立て後に、司法記者クラブで記者会見を行い、私はその会見の様子を撮影しました。(記者会見の動画はこちら、記事はこちら

記者クラブの弊害はこれまでも指摘され、裁判でも争われてきましたが、今回の国会記者会館をめぐる訴えに関して、裁判所がどのような判断を下すのか、要注目です。

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[jp] 政治にコミットし続ける女たち

先月末の、「女たちの一票一揆」集会のビデオをキャプチャして、DVDを作成し、昨日~今朝にかけてYouTubeにアップしました。

全3時間に及ぶ集会の全記録をYouTubeにアップしても、長すぎて逆に観てもらえない可能性がありますし、当日にネット中継したIWJのサイトにアーカイブがありますので、私は一部だけ抜粋した30分程度のビデオをYouTubeにアップしました。(全記録のDVDは主催者へ提出)。

集会の第2部は、「政治にコミットし続ける女たち」というテーマで、311よりもずっと前から各地で反原発の活動をしてきた女性たちからの報告でした。彼女たちのこれまでの活動、得たもの、失敗から学んだことなど、興味深い歴史が語られています。

発言者とテーマは:
巨人東電に異を唱えた双葉郡の過去と浜岡の今・・・東井怜さん
今、柏崎刈羽原発の地元では… 思いを形にするために・・・小木曽茂子さん
「原発いらない人々」としての国政チャレンジから脱原発基本法まで・・・木村結さん

ぜひビデオをご覧ください。

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[jp] 「居候」改め・・・?

28日の日曜日は、JCJのジャーナリスト講座で「ドキュメンタリー映像を撮る」という講座を担当しました。講座の前半は「脱原発報道で『こちら特報部』の果たした役割」というテーマで、東京新聞の野呂法夫デスクによる講義でした。

はじめに、運営・司会の須貝さんによる挨拶
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須貝さんによれば、20年以上前にはJCJでジャーナリスト講座を開いたこともあるらしいのですが、それ以降はずっとなく、昨年から本格的に始めたとのことでした。昨年の平均的な参加者は20名ほどで、今年は40名を越える人たちが参加しているので、昨年の参加者の口コミで評判が広まっているのかも、と話していました。

カルチャーセンターなどで「一眼レフの写真の撮り方」や「文章講座」のようなものは時々見かけますが、”ジャーナリズム”を主軸にしたそれらの連続講座というのは、確かにほとんど聞いたことがありません。需要はあるのですから、今後も続けていって欲しいと思いました。

野呂さんの講義の様子
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野呂さんによると、東京新聞、さらに「こちら特報部」は、社内でも、マスメディア界においても、かなり特異な存在なのだそうです。「こちら特報部」が、脱原発について積極的に踏み込んだ報道が出来ているのはなぜなのかということを、他紙の報道も交えながら解説していました。

近年マスメディア離れが指摘され、関係者も必死になっているようですが、マスメディア全体が「こちら特報部」化していけば、将来も生き残れるのでは?・・・などと、話を聞きながら思いました。

約1時間半の講義が終わり、15分の休憩の後、今度は私の番になりました。普段のJCJのイベントと異なり、受講者の約半分ほどは学生らしき人たちでした。なので、レジメを用意して、大体の時間配分を決めておいたつもりでしたが、ビデオカメラにも触ったことがない人たちでも入りやすいように、私自身がビデオカメラを始めたきっかけについて時間を割いて話しました。また、ロンドンのジャーナリズム専門学校のエピソードなども紹介しました。

写真は柴本さんに撮影していただいたもの。どうもありがとうございます!
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配布したレジメには、講座の大前提として、「インディペンデントの表現者として」の話であることを書きました。何らかの後ろ盾があるマスメディアと、何もないインディペンデントでは、「装甲車と素手」ほどの違いがあり、その違いはテーマ決め、撮影、編集、上映すべてに及びます。(後ろ盾がないというのは、必ずしも不利ではなく、利点&魅力も沢山あります)

なので、私がこの日お話したことは、最初から最後まで全て”インディペンデント魂”で貫かれていたと思います。

また”ジャーナリスト”ではなく”表現者”と書いたのにも、私なりの考えがあります。社会問題を扱う、ジャーナリズム的なテーマと取材方法だったとしても、”映画”という表現手段を選択するからには、”総合芸術”・”エンターテイメント”でなければならない、と思うからです。

実際の講義の中では、自己紹介の後は、一般的に何をどう撮るか、という話をしました。ドキュメンタリーの題材をどうやって見つけるか、先日このブログでも紹介したロンドンのストリート・アーティストの動画も紹介しながら説明しました。

また、インディペンデントを目指す人たちのために、マスメディアの中におけるインディペンデントの扱い・現状についても話しました。記者クラブの存在、スラップ訴訟、テレビでの放映(スカパーとの契約の顛末)について言及しました。

今は誰でも簡単に撮影・編集が出来て、さらにはYouTubeなどで世界へ向けて発信できてしまうので、著作権やカメラの暴力性についても触れました。被写体とのトラブルについて、過去の上映会中止のエピソードなども交えながら、なるべくトラブルを避けるにはどうすれば良いかなども話しました(かなりケースバイケースなんですが)。

カメラの暴力性、撮る側・撮られる側の思惑の違いについては、「さようならUR」のDVD特典映像の中に入っている「UR職員を誘い出すために村井さんと結託した」動画を紹介しました。

レジメ通りに話していったつもりでしたが、前半部分を丁寧に話しすぎたためか、それとも動画の再生などでちょっとずつ時間が嵩んで行ったのか、気がついたら残り時間は後25分ほどになっていました。村井さんの映像は約20分。事前に用意しつつも流さなかった動画は既に2つあり、村井さんのをこのタイミングで流すかどうか一瞬迷いました。

しかし、私がどんなに言葉を尽くして説明しても、あの村井さんとの緊迫した赤裸々なやり取りほど、両者の思惑の違いがよく現れているシーンはないだろうと考え、映像を流すことにしました。

映像を流したら、やはり残り時間は後5分ほどしかなくて、質問を2つだけ受けて終了しました。最初は(90分も持つかな?)と思っていたぐらいですが、終わってみると、あと20~30分ぐらいあったら、用意したものが全部話せて、質問もちゃんと丁寧に答えることができたのでは?と思いました。

とりあえず無事講座が終了し、交流会会場へ向かいました。席に座るなり、周りの人たちから口々に村井さんの映像についての感想が出ました。テレビや映画などでは、あそこまでの「舞台裏」は表に出る機会は滅多にないでしょうから、かなりインパクトがあったようです。上映して良かったと思いました。

活字メディアの記者からは、「自分も取材で経験をしているので、両者の思惑の違いは良く分かるけど、やはり”映像”で取材するのは、もっとハードルがありますね」、と言われました。確かに、活字メディア用の取材ならば、URも取材は応じていたし、住民の側の取材もやりやすかったかもしれません。でも、映像だからこそ、ハードルを乗り越えられた時には、よりリアルなものが記録できるのだとも思います。

交流会は20名を超える人たちが参加し、自己紹介タイムがあって、そこで初めてどんな人たちが参加しているのかが分かりました。ざっくり言えば、半分がマスコミ志望の大学生、4分の1が現役の新聞記者やテレビカメラマン、残りは引退したマスコミ関係者やJCJの運営スタッフ、という構成でした。

好・不況に関わらず、マスコミ業界への就職はいつの時代も激戦なのだと思いますが、就職のために大学に長く留まり続けている人や、マスコミ業界でアルバイトやインターンなどをしている人たちが多く、その頑張りように驚きました。

普段、私の映画の上映会では、比較的年齢層が高く、市民運動に関わり、マスメディアには懐疑的・・・という人が多く集まるので、この日の交流会のように、マスメディア志望の学生と現役のマスメディア関係者がほとんどというのは、私にとっては逆に珍しいことです。

交流会の最後には、マスコミ志望の学生さんたちに向け、現役の新聞記者たちから就活のアドバイスがありました。アドバイスの多くは、小手先の面接テクニックではなく、もっと根源的なものでした。「文章の上手さは重要ではない。荒削りでも可能性を感じさせるような人」とか、「内側からやる気と若さが溢れていて、一緒に働きたいと思わせるような人」とか。(結局、人を採用するってそういうことだよね)と思うものばかりでしたが、現在就活中のデスペレートな人たちにとっては、今さら、このタイミングで人間的な素養を言われても困ったのではないでしょうか?coldsweats01 

自己紹介の中で、「今日の話を聞いて、インディペンデントで報道するのもいいなと思うようになった」と言ってくれた学生が一人いたので、それはとてもうれしかったです。

皆さんの就活が望む方向に進むことをお祈りします!! 

交流会の様子
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ところで、交流会で気になったことがありました。私がこれまで散々ブログやプロフィールにも書き、上映後のトークなどでも話してきた実姉宅での”居候”生活ですが、交流会で隣の席になった人から「プロフィールに”居候”と書いてあったから、どこかの有力者がバックについていて、愛人関係を結んでいるんでしょ?」と言われたのです!! 私はびっくりして、他の人にも聞いてみたのですが、「”居候”って聞いたら、多分、彼氏とかそういうのだろうなと想像していた」と言われました。

「え~、それなら”同棲”って書けばいいじゃないですか?」と言ったのですが、「”同棲”って書くのを憚って”居候”って書くんじゃない?」と。。。

・・・そういうものなのですかcoldsweats02coldsweats02coldsweats02?!・・・

私はこれまで4年近く”居候”という言葉を好んでプロフィールに使ってきましたが(大学の講義などでも)、一体どれだけの人に「有力者の愛人」という誤解を持たれてしまった事でしょう!!!!

”居候”という言葉を使わないほうがいいのか。でも、この居候状態というのは、私の生き方にも、作品作りにも影響を与えていると言えます。なので、書いたほうが良いと思っているのですが。。。

では、「居候(※愛人や同棲ではありません)」と書くのはどうか。・・・でもそこまでして”居候”をわざわざ説明するのもなんだかなぁと思うし。

そんなわけで、今後プロフィールをどう書くかが目下の課題です。

報告を長々と書いてしまって、そろそろ切り上げなくちゃと思いつつ、さらに書き続けてしまうのですが、今回の講座がどうだったのかを須貝さんに後日お聞きしました。今後の参考にしたいと思ったので。

好評だったのはやはり村井さんの映像で、被写体との関係の持ち方、両者の立場の違いがある中で、それでも協力しながら撮影していくことの難しさについて、あの映像を観れば学生でも良くわかったのではないか?と書いてありました。

一方で、著作権、スラップ訴訟やスカパーとの契約についてなどは、実際にインディペンデントで活動をしている人にとっては、切実な問題ではあるけれど、まだ学びの段階である学生にとってはやや遠い話であるのでは?とも書かれていました。

確かに、私はインディペンデントで表現したいと思っている人に向けて講座の内容を構成したので、インディペンデントを目指すなら撮影&編集技術以前に、一番最初に気をつけるべきことを、まず言っておかなければという気持ちでこれらを話しました。しかし、実際の受講者の多くは、マスメディア志望の学生、もしくはマスメディア関係者でしたので、そもそもインディペンデントとして心得ておくべきあれこれについて、どこまで強い関心を持っていたかは疑問です。(でも、だからと言って、インディペンデントの講師としては、そういう大事なことをはしょるのもどうかと思いますが)

また、須貝さんからは「映画を編集するうえで、考えるべきこと。エンターテイメント性をどうつくるか。特にエンターテイメン性をどう醸し出すか、手法、アイデアを含めてもう少し詳しく知りたかった」とも書いてありました。

私は常々、ドキュメンタリー制作は撮影や編集の具体的な技術ではない、心構えが大切なのだ、と思っているのですが、特に「編集」に関しては自分が以前担当したメディアールの講座でも、様々な大学やメディアセンターでも、「技術的」、「個別具体的」な指導が中心で、編集の心構えについてはあまり見聞きする機会が少ないです。

私自身も、「大切なのは技術ではない」といいながら、実際には編集を教える際に、「編集ソフトの使い方」(←これも覚えるのに時間がかかるものなので)や、生徒さんの製作途中の作品を観ながら、部分的なアドバイスをする・・・ということが多いです。でも、それは単に”編集作業”でしかないですよね? そのもっと前段階の「編集についての考え方・姿勢」を、映像をまったくやったことがない人たちに伝えるには、どうしたら良いのか・・・

私がこれまでに観たドキュメンタリー映画の中で(これぞ究極の編集!)と思った作品があります。それは「LIFE IN A DAY~地球上のある一日の物語」(リドリー・スコット&トニー・スコット兄弟製作総指揮)という映画です。

公式ホームページより、その作品について引用すると・・・

YouTubeが贈る、世界初、地球規模の歴史的な試み。
話題騒然のソーシャル・ネットワークムービーが誕生!

「2010年7月24日(土) あなたの日常の一コマを記録しませんか」

世界中の人々が過ごした、それぞれの“一日”を撮影し、動画を投稿、その中から、魅力的な映像を編集して、1本のドキュメンタリーにするというプロジェクト、「LIFE IN A DAY」。

YouTube上で動画募集の告知をスタートさせると、世界192カ国から、のべ80,000本、時間にすると、なんと4,500時間を超える作品が投稿された。

その中から選ばれたのは、332組342人もの動画。朝起きてから寝るまでの日常の風景をとらえたもの、あるいは、プロポーズから結婚、出産、金婚式まで、ライフサイクルに沿うように示される一連の動画、自転車で世界を旅している韓国人男性や靴みがきのペルー人少年のエピソードなど、それらが織りなす美しく、ユーモラスで、感動的な映像たちは、今まさに地球上で起こっているだろう日常を追体験させてくれる。

世界はひとつにつながっている―映像を通し、その普遍的な思いが伝わってくる、画期的なソーシャル・ネットワークムービーが誕生した!

この映画は、YouTube上でプレミア上映され、上映後にはサンダンス映画祭会場から生中継で、ケビン・マクドナルド監督と製作スタッフ、そして動画を投稿した”監督”たちが壇上に上がり、Q&Aがありました。私はリアルタイムでそれを観て、(これが究極の編集ムービーだっ!)と、一人パソコンの前で興奮していたのを覚えています。

世界中の、様々な人が、それぞれの思惑で撮った映像を、1本の物語として紡ぐ・・・。応募された映像を観て、映像を絞り込んでいく視点、それを作品として纏め上げていく過程についてのケビン・マクドナルドと製作スタッフたちの話は、編集の何たるかの片鱗が語られた、とても貴重なQ&Aだったのです! (そのQ&A、YouTube上にアーカイブがあるのを発見! 全編英語なのですが、興味のある方は是非ご覧ください)

「編集」を語るには、この映画を再度詳しく観て、その構成を細かく分析したり、ケビン・マクドナルドの話を聞き返して、参考になるようなストーリーを書き出したりするのも、分かりやすい例として使えるかもしれません。

映画をただ観るだけでも、十分勉強にはなりますが、良質な1本の映画をひたすら繰り返して観て、その構成を詳細に分析するのも、有効なやり方だと思います。私は以前、フィンランドのドキュメンタリー映画(英語字幕つき)から、日本語字幕に翻訳する作業を依頼された際、翻訳のためにひたすら繰り返し再生⇔停止を繰り返して観ていたら、物語の展開や各パートのつなぎ、音の使い方など、とても参考になったからです。

また、「さようならUR」が9割ほど完成した時に、2回に分けて20名ほどのドキュメンタリー監督を呼んで批評会を開き、とても詳しくアドバイスや突込みをもらったことがありました。たった1時間程度の映画ですが、3時間近く容赦ないコメントの嵐で、それは大きな苦痛も伴う会だったのですがcoldsweats01(←でも、本当にありがたいことですよね、真剣に自分の映画を観てアドバイスしてくれたわけですから)、その批評会でもらったアドバイスを受け、自分の中でもう一度自分の立ち位置を見つめなおし、実際に大きく作品が変わった部分もありました。

批評会前と後で、どのように作品が変わったのかを、具体例を見せながら説明するのも、「編集とはどういうものか」とか「編集によってどのように変わるのか」が、やったことのない人にも分かりやすい形で伝わるかもしれません。

今回の講座を通じて、私自身でも色々な発見がありました。より伝わるには、どうしたら良いか、ドキュメンタリーをやったことがない人に、どうやったら魅力を伝えられるのか・・・。今後の課題も見えたような気がしました。

そんなことを考えたJCJジャーナリスト講座でした。講師として声を掛けていただいた須貝さん、JCJスタッフの皆さん、そして受講していただいた皆さん、どうもありがとうございました。ぜひ、講座の感想などを教えていただけると、今後の参考と励みになりますので、どうぞよろしくお願いします。

最後に打ち上げの写真。お店のマスターが撮ってくれた写真です。
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どうもありがとうございました!

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