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[jp] 最後の法廷

1月24日は、2011年3月から続いてきた高幡台団地73号棟裁判の、地裁で最後の法廷が開かれました。約30分の裁判の中で、住民の中川さん、弁護団の和泉・窪田弁護士の陳述がありました。

住民を代表して陳述書を読んだ中川さん。事前に、その原稿を読ませてもらった私は、中川さんが書いたこの原稿は、今、このタイミングだからこそ書けるものなのだ、と思いました。住まいに対する思い、URに対する思い。。。問題が起こった当初や、裁判の最初の頃の段階では、ここまでの声は出てこなかっただろうと思います。

問題が起きて約5年、裁判が始まって約2年。長い間に、悩み、苦しみ、他の住民たちと支えあい(もちろん、きれいごとだけではなく、ぶつかり合ったりもしながら)、ここまで頑張ってきた中川さんの思いが、この文章に凝縮されていると思いました。そして、下町育ちらしく、裁判官に向かって読み上げる文章なのに「この73号棟に惚れています」なんて書く、中川さんのセンスが粋だと思いました。

裁判所、しかも裁判官が目の前に3人並ぶという、それだけで普通は気後れがしてしまう法廷で、長年、謡を習い続けている中川さんの声は堂々として、法廷に響き渡る声でした。中川さんが陳述書を読み上げる間、UR側の弁護士は落ち着きがなさそうに、パラパラと手元の書類をめくり続け、UR側の傍聴者(職員)は、じっと目をつぶったままだったり、空を見つめている人もいました。

閉廷後、中川さんに声を掛けると、頬が濡れていました。読み上げているときに(もしかして?)とは思いましたが、でも声は震えているようには感じなかったので、泣いていないだろうと思ったのですが、やはり万感の思いがこみ上げて実は泣いていたそうです。

中川さんが法廷で読み上げた陳述書、中川さんの許可をいただき、以下にご紹介します。

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被告ら意見
2013年1月24日
被告  中川 京子

東京地方裁判所立川支部 民事第3部合議A係 御中

私は今年で85歳になります。人生の半分以上を過ごしてきたこの73号棟で、残り少ない人生を静かに暮らしていきたい。謡や義太夫など好きな習い事で余生を楽しみながら、この73号棟で人生の最期を迎えたい。これが今の私の願いです。

私は昭和3年(1928年)、今の港区・新網町で生まれました。この家は戦時中の強制疎開で壊され、麻布十番に引っ越したところで空襲のため焼け出されてしまいました。その後も高輪、杉並、そして日野市の泉塚と、たびたび引っ越しを余儀なくされました。本当に住まいでは苦労してきました。

昭和46年(1971年)に新築の高幡台団地の抽選に当たった時の喜びは一入(ひとしお)でした。義母と建築中の73号棟を見に来て、立派な建物に感激し、「公団住宅に住める、これで安心して長く暮らしていける」とうれしく思ったことを昨日のことのように思い出します。会社の人たちも入居を祝ってくれて、素敵なマガジンラックを贈ってくれました。このマガジンラックは45年たった今も大切に使っています。

定年まで毎日新宿まで通い、二人の息子を育ててきました。子ども二人が独立した後は義母と二人暮らしでした。そして義母が亡くなった平成13年(2001年)からは一人暮らしです。エレベーターも完備している73号棟は、バス停も近く、お稽古ごとに出かけるにも便利な建物で、友だちもおり、とっても住み心地のいい建物です。

息子たちは私が一人で暮らしていることを心配してくれています。その気持ちはよくわかるし、ありがたく思います。でも私は息子たちに「私の好きにさせて」と話しています。息子たちには息子の人生があるし、私には私の人生があります。「孤独死」を心配しますが、73号棟のように廊下でつながっている建物では隣近所との付き合いも親密になります。何よりも今では、私を気遣ってくれる仲間がいるので安心です。私は73号棟に惚れています。

早稲田大学の吉田先生も、意見書の中で、高齢者が転居を強いられることは、商店の移転や若い世代の転居などと違い、お金で補えない性格のものだ、と書いてくれています。そのとおりだと思います。

それなのに、 URは、和解金を出す提案もしないで、当然に住民を追い出す権利があるかのように、住民説明会と変わらないような内容の和解案を出してきました。URに住民を追い出す権利はない、のです。「一人も移転させないという改修はできないから、全員移転してもらいます」「前と違う条件では、住民間の公平に反するから、できません。」というのは、余りに勝手な理屈ではないでしょうか。

この73号棟は、子供の成長の記録、嬉しかったこと、悲しかったこと、胸の熱くなったこと、涙したこと、私の大切な思い出がいっぱい詰まった、私の大切な住まいです。私は、この73号に住み続けたいのです。

現代日本の技術を使えば、73号棟の耐震補強は十分可能なはずです。73号棟を壊さないでください。

もう一つどうしても聞いて欲しいことがあります。

URは私たち7戸以外の住民は、みなURの説明に納得して出て行ったといっていますが、そんなことはありません。URが住民説明会を開催した、丁度その頃、どういうわけか、73号棟の地盤が危ない、という噂が流れたのです。団地の中で、73号棟の地盤だけが危ないというのも、非科学的な話です。そもそも、URでさえ一言も言っていないことです。しかし、そんな無責任な噂を鵜呑みにして、当時、団地自治会の役員をしていた人が、真っ先に転居を決めたりしたことで、73号棟の住民らは追い打ちをかけられたようになり、いよいよ浮足立ちました。

毎日毎日、転居を決める人が増える。URは、早く決めないと、特典がなくなりますよ、と急かす。とても冷静に判断できる状況ではありませんでした。望んで出て行ったのは、除却の話がなくても最初から転居を希望していた人ぐらいではなかったでしょうか。

転居していっても心は晴れない、高幡台が恋しい、73号棟に戻りたいと言っている人は、今でもたくさんいます。そういう人たちの中には、この裁判の傍聴にも来てくれている人がいます。

 
エレベーター3機が完備し、高齢者にも優しい73号棟が、これからも高幡台団地のセンター棟として活用され、賑やかで活気ある高幡台団地となることを願っています。
私たちが73号棟に住み続けることができるよう、強く希望します。

以上です。
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この日で結審し、裁判長より判決の言い渡し日が告げられました。3月28日(木)午後1時10分から東京地裁立川支部。判決の言い渡し日までの間に、もしかして集会なども開かれるかもしれません。何か決まりましたら、またお知らせします。

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コメント

特典があるなど行って転居を促す手法を使うんですね。
ずっと住み続けられるような判決が出ることをお祈り申し上げます。

投稿: starfield | 2013年1月31日 (木) 21時52分

starfieldさん

コメントをありがとうございます! そうなんです、転居を促す様々なノウハウが蓄積されているらしく、それ専門の職員の方がずっと管理事務所に常駐されていました。激励の言葉、ありがとうございます!

投稿: yumiko | 2013年1月31日 (木) 23時22分

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