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[jp] 『さようならUR』いただいた感想の紹介

『さようならUR』のDVDをご購入いただいた方より、以下の感想をいただきましたので、ご本人の了解を得て、ご紹介します。以前、73号棟に住んでいたことがあるのだそうです!
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『さようならUR』を観ました。

私が『さようならUR』の事を知ったのは、つい最近でした。
実は私はかつて、まさに、高幡台団地73号棟のXXX号室に住んでいたのです。
そんなもので、高幡台団地のことをふと思い出したりするのです。それで、ネットで高幡台団地を検索していたら、「73号棟取り壊し」に関するブログを偶然目にして衝撃を受け、検索を続けたところ、「さようならUR」の存在を知ったという次第です。『とにかく手に入れるしかない』と思いました。

私は5年前の2008年11月29日に、思い出の地、高幡台団地に行って来ていました。京王線で高幡不動で降り、歩きで団地まで行きました。駅周辺からデジカメで撮りながら、『ずっと見ないでいた間に随分と変わってしまったものだなあ…』と驚き、困惑しながらも『まあ、世の中は変わって行くものだからしょうがない事だよな』という未来への希望と諦めが入り交じったような複雑な気持ちでした。高幡台団地に向かう上り坂の中ほどにある階段(さようならURにも撮影されていますが)に差し掛かった所で異様な雰囲気を感じ始めました。全く人けがないからです。階段を登りきって道に出た所で見たのは、たったひとり歩いている女性だけでした。『ゴーストタウンだ』と思いました。

そして、73号棟は変わり果てた姿になっていました。殆どシャッター通りになってしまっていました。XXX号室には南京錠が掛かっていました。

お昼のちょうど12時から1時頃まで、何枚もの写真を撮りました。集合ポスト、エレベーター、めんこやベーゴマをして遊んだ所、広場の滑り台、段ボールでソリごっこをして怪我した階段、ローラースケートで友達と滑ったけど凄く怖かった73号棟前の坂道、毎日通った通学路、高幡台小学校。父とキャッチボールをした73号棟の壁面…。高幡台小学校は夢が丘小学校に統廃合されて廃校になり、もうぼろぼろになっていました。校庭には、卒業の時に埋めたタイムカプセルが、掘り起こされていなければ、今も埋まっているはずです。集合ポストの前に少なくとも150台は駐輪されていたであろう自転車も、全く空っからかんになっていました。

母は73号棟1階の郵便局で働いて家計を助け、私は鍵っ子でしたが全く寂しいと思った事はありませんでした。母は同じX階の数件先の居室に住んでいたXXさんと仲が良く、よくお宅に遊びに行っていました。この73号棟から高尾山にも行ったし、多摩動物公園、多摩テック、サマーランド、御岳山にも行きました。団地から西に30分程離れた所にあるメルセス会修道院に毎週日曜日、カブスカウトにも行っていました。

2008年、73号棟にはまだ「美容パリジェンヌ」と「理容ニシムラ」「クリーニング・クリーンワールド」「肉の専門店・関ミート」「寿司うなぎ・寿司松」「グルメシティ」は営業をしていました。関ミートではペヤングソース焼きそばも売っていました。しかし、私と友達に、コロッケをただでプレゼントしてくれた揚げ物屋さんの姿はもうなく、中華そばが美味しかった店もなくなり、その場所が「寿司うなぎ・寿司松」になっていました。スーパーボールをよく買ったお店も、名物店だった中村屋もなくなっていました。「グルメシティ」も以前は「セイフー」でした。

私が73号棟に住んでいたのは団地が出来たばかりの昭和46年から50年までのたった4年間だけでしたが、とてもとても長く長く熱い日々でした。5年生の時に府中に引っ越す事になりましたが、残りの1年間も、電車とバスを乗り継いで50分かけて通い、高幡台小学校を卒業しました。

中川さん、津覇さん、畦地さんらも、新築当初から73号棟に住み、かれらのお子さん達も高幡台小学校に通い、同じ店で買い物をし、同じ風景を見、いろんな事を考え、喜んだりしていたのだろうなと思うと、友人知人ではないけれども皆、「別個に非ず一体なり」というような感慨に打たれました。

私が高幡台団地に行ったのが奇しくもURの取り壊し対策が始まった直後だったのは、何か第六感か何かのようなものが私を高幡台団地に赴かせたのでしょうか。

吉津さんが冷やし中華を振る舞った場面に心揺さぶられ、また笑いもしました。みんな、困難な案件を引き受けさせられ、プレッシャーを感じ、悩んだり苦しんだりと煩悶する中でも、大きなダメージを受けないように明るい面を見て、まだ起こりもせぬ事に取り越し苦労する心を持たず、幸福のほうを向いていらっしゃる姿に感銘しました。

畦地さんが南から撮った昔の色褪せた73号棟の写真には想いを馳せられました。『ちょうどこの時、私も73号棟に住んでいたんだなあ』と。畦地さんが亡くなられてしまった事は本当に残念で悲しい事です。

この世の中は諸行無常だと思います。世の中で変わらない物質は何ひとつありません。しかしながら、人間は良心だけは光り輝やせ、自分も他人も守り合い、共に愛し合い、生かし合い、許し合う事が大切だと思います。心だけは向上させ、滅尽させてはならないと思います。慈悲観だけは失ってはならないと思います。
愛し合い、睦み合い、信じ合う世界がやはり真実であり、理想だと思います。そんな事を確認した映像でした。

結局、団地内で見かけた人の数はたったの7人でした。大変な事態が起こっているなどとはつゆ知らず、私は『少子化だからこんなんになっちゃったんだろうな』位にしか思わず、ただ個人的な寂しさを感じていただけでした。

『さようならUR』を観て、やはり、国と法人は責務として、42年間住み続け、活用してきてくれた住人を守り、73号棟を維持・発展させ、持ち堪えさせ、生活の質をより良きものにしてあげる判断をするべきです。裁判所とURは心をクラリと変えなければなりません。URは、むしろ恩返しをするほうの立場であるのです。
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73号棟に住んでいたわけではない私でも、映画の制作を通じて、以前、一時期ではあっても73号棟で暮らしたことがある人にとって、73号棟は思い出のたくさん詰まった場所であるのだ、という気持ちは分かります。単なる建物じゃない、そこには自分が生きた証がある、歴史がある・・・ 感想の最後、「URはむしろ恩返しをするほうの立場である」に深く納得。
ご感想をありがとうございました! このメッセージは、73号棟に住み続けたい住民の会でも紹介されました。

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