[jp] ベトナム・ハノイDOCLAB訪問(その4)
ハノイに到着して、早4日目。無事、昨日の上映会を終え、今日からは「Filming picnic」です!
最近DOCLABに加わったばかりの大学生、ハンさんとの待ち合わせはお昼だったので、ホテルの近くで朝ごはんを食べることにしました。
今度は、また別のフォーの店へ。今日は店内で食べます。
地元向けのお店では、店内にメニューが掲載されていることはないので、「フォー」とだけ言うのですが、そうするとこういった感じのものが出されます。
連日フルで活動しているせいか、とても眠かったので、コーヒーを飲みに行くことにしました。ホテルの近くに、良い感じのお店があるのを見かけたので、そこに入ることに。
店内に入ると、なぜか日本語の放送が。しかも、日本語のレッスン教材のようです・・・? コーヒーを注文すると、日本人かと聞かれました。
聞いてみると、このお店はベトナムの少数民族を支援するために、海外のNGOによって運営されているお店で、日本から見学に来る人も少なくないため、彼女は日本語の勉強を始めたそうです。
店内には、少数民族が作った陶器やバッグなどが並んでいました。フェアトレードで取引しているそうです。
(隣の食堂のお客さんが、このお店の外テーブルにも座ってしまっています・・・!)
ホテルの近くにある大聖堂。バイクで宿まで送ってもらう場合、「大聖堂の近く」というとすぐ分かってもらえました。ちなみにティさんは、このあたりのエリアで生まれ育ち、この大聖堂の裏にある学校に通っていたそうです! 今でも兄弟夫婦がその家に住んでいるとのこと。
ホテルに戻り、支度をしてDOCLABに向かいました。ハンさんとの待ち合わせは12時でした。また歩いてDOCLABに行きます。
町並みの様子
それにしても電線の混雑振りがすごい。
漏電しないのかと心配になります^^;
図書館
こちらの人たちは、マスクも、バイクのヘルメットもとてもカラフル。
今日も朝からすごいバイクの量。通勤時間帯はもっとひどいそうです。
このニワトリ、写真を撮った後に連れられていってしまいました・・・
待ち合わせまでは、まだしばらく時間があったので、今のうちにお土産を買っておこうと思いました。いわゆる観光旅行ではない場合、お土産を買えるような場所にいかないことが多いので、買えるときに買っておいたほうが良いのです。
前日にティさんに紹介してもらったお店。
こちらも、前述のコーヒー店同様、海外のNGOがやっている少数民族の製品を売るお店です。フェアトレード商品。少数民族の固有のデザインを現代風にアレンジしているとのことで、普段持ち歩いていても全く違和感のない、かわいい商品ばかり。
以下の写真、マグネット以外をこのお店で買いました。刺繍が入ったポーチ、クッションカバー(写真はたたんだ状態)、携帯ケース、亀の形をしたメジャー。
お土産を買い、DOCLABに到着すると、マイフォンさんがいました。今日は彼女が、ここを管理する当番なのだそうです。
「ハンさんとの待ち合わせでここに来た」と伝えたら、「彼女はまだ来ていないわ。でも、あなたは1秒も無駄にしてはいけない!」と言って、DOCLABが一昨年制作した作品を見せてくれました。 見せてくれた作品は、DVDももらった「The Sound We See A Hanoi City Symphony」という、27分の作品。
ティさんがロスに住んでいた頃にかかわっていた、エコパークというメディアセンターのスタッフが2ヶ月ハノイに滞在し、DOCLABでワークショップをしたそうです。8ミリのフィルムを使って、各自が1時間の間で数分間フィルム撮影をした素材を繋いだ作品。モノクロで、映像と同時録音した音はありません。その代わりに、映像に、ハノイのコンテンポラリー・ミュージシャンたちが即興で音をつけた音楽がつけられていて、とても美しい作品でした。日本でも上映される機会があればいいな!と思います。
このDOCLABのスペースで、自分たちで現像もしたそうです。映画の完成時は、屋外で上映し、サウンドトラックで参加したミュージシャンたちによるオーケストラ演奏と同時に上映されたそうで、「生涯で忘れられない経験」とマイフォンさんは話していました。
やがて、ハンさんが到着し、早速Filming picnicに出かけることにしました。ハンさんは、DOCLABに加わったばかりで、まだ何もワークショップを受講していません。デジカメを持ってきていました。現在は大学生で、20歳だそうです。・・・うわ、私の半分ぐらいの年齢なんだぁ・・・。目眩がしてきました^^; お父さん、お姉さん共に弁護士ですが、彼女は大学で文学を学んでいるそうです。サルバトール・ダリとボブ・マーリーが大好きとのこと。
「Filming picnic」をしたいと提案した私でしたが、具体的に何か撮りたいものがあるとか、ベトナムの滞在中に撮ったもので作品を作りたいとか、そういう目的はありませんでした。つまり、交流する口実が欲しかったのです。DOCLABのメンバーの人たちとゆっくり話したかったし、私が話す一方じゃなくて、彼らの事を聞きたかった。映像制作のこととか、興味のあることとか、社会や生活のこととか。
なので、撮影はかなりいい加減。しかも天気はカメラの天敵=雨。ビデオカメラはあまり使わずに、町を歩きながらデジカメで写真や動画を気ままに撮りました。真剣に撮影しようとしたら、会話どころじゃなくなってしまうので、それは今回の私の目的とは違いました。
私が電線が混雑している写真を撮っているのが、”当たり前の光景”と思っているハンさんには面白かったようです。
ハノイでは、この時期がブライダル・シーズンとのことで、湖の周りで写真を撮る新郎・新婦を良く見かけました^^
2010年は、ハノイ建都千年だったそうで、こちらはその記念碑。
ず~っと歩いていたら、もう夕方近くになりました。この日は6時から、ティさんと待ち合わせをして、ハノイで15年以上続くインディペンデントのアート・ギャラリー「ニャーサン・スタジオ」のイベントに行くことになっていました。ハンさんも誘って、一緒に行くことに。
ティさんとの待ち合わせはDOCLABだったので、自転車タクシーに乗ってDOCLABに向かうことにしました。
自転車タクシーは、バイクとはまた違うスリリングな光景。。。バイクがびゅんびゅん抜き去る中、マイペースで自転車が走ります。
私のビデオカメラを使って、ハンさんが初めて撮影に挑戦!
道中、ハンさんが通訳となって、運転手さんにもインタビューをしました。自転車タクシーの運転手となって5年ぐらいだとのこと。その前は、工場で勤務していたけれど、今の仕事の方が一人で気ままに働けるから気に入っている、給料は前の仕事とほとんど変わらない、などと話していました。ちなみに、個人タクシーではなく、会社に所属している運転手だそうです。
DOCLABでティさんと待ち合わせするはずでしたが、ティさんはDOCLABまで来れなくなり、バイクで15分ぐらいのティさんの家の近くで待ち合わせをすることになりました。
これまで運よくバイクの後ろに乗って移動出来た私でしたが、ハンさんは自転車。ティさんの待ち合わせ場所まで二人乗りで行くのは厳しい状態・・・
ハンさんの自転車
どうやって待ち合わせ場所まで行くか。。。すると突然、ハンさんが「どういう人が好み?」と聞いてきました。???と思っていると、「通りの向こうにいる、あの人はハンサム?」と・・・? 私は暗くて良く見えませんでしたが、テキトーに相槌をしたら、ハンさんが走って道路を渡り、その男性に話しかけているではありませんか!
如何にも観光客風の私が、一人で街を歩いていると、よくバイクにまたがって暇そうにしている人たちから「送っていくよ!」と声をかけられます。何でもちょっとした商売になるハノイでは、タクシーよりも安い値段で(場合によっては白タクのように高い値段のこともあるかもしれません)、空き時間にバイクタクシーをする個人が沢山いるのです。ハンさんは、私のために、ハンサムなバイクタクシーを探そうとしていたのでした・・・!
ハンさんが行き先を告げ、私は彼のバイクの後部座席に乗りました。ハンさんの自転車と併走するように、バイクは速度を落として走ります。でも、メーターを覗くと時速20キロ ! ハンさんはものすごいスピードで自転車をこいでいました!
無事、目的地にたどり着き、ティさんを待ちます。ティさんの家に立ち寄れるつもりが、時間が無くなってしまいました。ティさんの近所は、日本語のレストランが何軒かありました。日本人ビジネスマンが滞在するエリアなのかもしれません。
ここからはティさんのバイクの後ろに乗り、ニャーサン・スタジオへ向かいました。ハンさんはまたまた自転車で猛追。本当にすごい体力です。
ニャーサン・スタジオのウェブサイトはこちら。ニャーサン・スタジオは、関わっているアーティスト(ティさんもその一人)が何人か来日したこともあるので、日本のコンテンポラリー・アート界でも知っている人は多いみたいです。(私は今回初めて知りました)
ニャーサン・スタジオの経緯や現状が複雑なので、細かい点で間違っているかも知れないのですが、おおざっぱに言うと、このアートスタジオは、表現の自由が大きく制限されているベトナムでは珍しく、インディペンデントで運営されており、これまでに多くのベトナム人アーティストを輩出してきましたが、数年前、ヌードを伴うパフォーマンスをしたところ、当局から注意を受け、なんと1年間の閉鎖を命じられてしまったそうです!! しばらくしてまた再開しましたが、監視の目は更に厳しくなり、以前よりも活動しにくくなってしまった、とのこと。スタジオとは別に、ニャーサン・コレクティブという団体を作り、別の場所で活動をはじめ、軌道に乗り出したところでもありましたが、その場所から立ち退きを命じられ、つい最近閉鎖した(もしくは近々閉鎖する?)のだとか。。。
というわけで、ニャーサン・スタジオを取り巻く環境は、いまだに流動的なようなので、今後もし訪ねて見たいという人は、ニャーサン・スタジオに連絡を取って、最新情報を確認してから行ったほうが良いかもしれません。場所が変わっている可能性があるかも。
ニャーサン・スタジオ到着! 少数民族の古民家を移築したという建物は独特の雰囲気! めちゃめちゃカッコイイじゃないですか! 既に結構な数の人が集まっていました。
2階部分には音楽の機材がセッティングされ、今日はこれからライブ演奏があるとのこと。1階部分にはアーティストの作品が展示されていました。
今回、ハノイに行く前、ディスロケイトのエマさんから、ニャーサン・スタジオのアーティスト、リンさん(女性)とマミさん(男性)をメールで紹介してもらっていました。二人とも、レジデンスで日本に滞在したことがあるそうです。会場で二人にも会えました。マミさんは、「ハノイのアート・コミュニティは小さいから、いつも同じ顔ぶれなんだよ。東京は沢山イベントがあっていいよね?」と言いました。
確かに、沢山のイベントはありますが、では日々沢山の、”種類の違う”人たちと出会えているかと言うと、そうでもないと思います。まるっきりフィールドの違う人と出会う機会は少ないし、似た傾向のイベントばかりに顔を出しているかもしれません。知り合う人は、(良くも悪くも)みんなどこかで繋がっていたりします。ですので、「イベントが沢山あっても、沢山の人に出会えているわけではないよ」と私は言いました。かえって、イベントが沢山ある分、ジャンルが細分化されて、 似たような仲間でしか集わないという弊害もあるのでは?と思います。 コミュニティが小さければ、ジャンルがクロスオーバーして、異ジャンルの人とも強制的に知り合えるということが、逆にありえるのではないでしょうか?
マミさんに、なぜニャーサン・スタジオは1年間も閉鎖しなければならなかったのかと聞きました。ヌードになるのは、そんなに大きなタブーなのか、と。すると、マミさんは「ヌードは表向きの理由。自分たちの活動が元々気に食わなかったのだと思う。でも、これまではアンダーグラウンドの活動だったから、さほど知られていなかったけど、そのヌードのパフォーマンスのときはメディアにかなり注目されたから、それがダメだったんだ。つまり、誰にも気にされないぐらいの小規模な活動なら許すけど、注目を集める存在にはなるな、ということだよ」と言いました。「でも、誰にも届かない表現活動なんて、意味が無いでしょ?」と悔しそうに話しました。ベトナムでは、大学の芸術学部も、現代アートは毛嫌いし、国民はほとんど現代アートに触れる機会がない→見ても理解できない→興味を持たない、という状況とのこと。
例えば、政府から閉鎖を命じられても、それを不服として裁判に訴えたらどうか?と私は聞いてみました。国相手では、負ける可能性の方が大きいかもしれませんが、裁判を起こせば内外の注目を集められるし、政府も外圧に負けて許可をする可能性だってありますよね? でも、マミさんは「政府の決定に不服を申し立てることは出来ない。そういう手続き自体がない。だから裁判は起こせない。政府はなぜ不許可としたかの理由さえ開示しない」と言っていました。不許可の理由さえ言わないなんて・・・! つくづく、マミさんたち現代アーティストが、ものすごい規制の中で表現活動をしているのだと感じました。
「自分は現代アーティストとしてこれまで何とかやってこれているけど、自分より若い世代でコンテンポラリー・アーティストになりたいなんていう人はいないよ」とマミさんが言うのが、私には意外でした。
偏見かもしれませんが、日本より数十年後に戦争が終わったベトナムでは、同じく遅れて経済が発展しはじめ、それに伴って文化的な活動も盛んになってきていると思っていたからです。DOCLABによって、ハノイにもインディペンデントのドキュメンタリーを作る人たちが、ここ数年になって生まれはじめ、コンテンポラリーアートや、難解そうなアートなど、芸術の幅が奥行きを持って広がっていっているのではないか?と思ったのです。
それが、30代半ばのマミさんや、40代のティさんがコンテンポラリー・アートの分野で活躍していても、後に続くもっと若い世代がいないというのは、不思議でした。でも、マミさんによると、「コンテンポラリー・アートをやっても、全然食べていけないし、政府からは迫害されているとしたら、目指したいと思う若者はいないでしょ? いたとしたら、相当な変わり者だよ」と。まぁ、日本でも現代アートを志す人は相当な変わり者(!)かもしれませんが、でも少なからずいます。歴史・社会情勢・政治なども複雑に関わっているのだから、単純に○十年遅れで芸術が広まるというわけでもないのだな、と思いました。
知らない女性からも声をかけられました。彼女は、前日のアメリカ大使館主催の企画説明会に出席していたそうで、そこで私を見かけたと言っていました。ドキュメンタリー監督で、作品は主にベトナムのテレビ局で放送しているそうです。でも、テレビ局の社員ではなく、企画を持ち込んでの請負制作。 テレビ局では扱えるテーマが限られてしまうので、海外のスポンサーにも企画を持ち込んだりする、と言っていました。”会社”じゃないと企画を持ち込めないので(←そういっていましたが、事実なのか不明です・・・)、仲間の監督と3人で会社を作ったが、オフィスはなく、いつもカフェで企画会議をしていると言っていました。
しばらくして、ティさんと一緒に2階に上がると、秘宝館のような部屋を発見!! 20畳ぐらいの部屋の四方が、無数の仏像に囲まれています!
写真右側のインタビューを受けている男性は、リンさんのお父さんで、このスタジオの持ち主です。
この部屋にある仏像や器などは、全てお父さんのコレクションだそうで、ただ飾っているのではなく、販売しているそうです。ただし、値札は付いていないようでした^^
しばらくしてから下の階に降りると、リンさんのお母さんがフォーを振舞っていました。聞くと、無料だとのこと。このイベント自体も無料だったし。。。ハノイで有料イベントは、やはりハードルが高いのかな、と思いました。でも、ライブは素晴らしかったし、実際こうしてご飯まで振舞われているし、どこかのスポンサー主催のイベントでもなさそうだし・・・ リンさんのご両親の負担だけで成り立っているのでしょうか・・・? ご両親がとんでもないお金持ちだったらそれでも良いのかもしれませんが、私としてはみんなの少しずつの負担で、こういう場所が維持されていって欲しいと思いました。
フォーを食べていたら、また見知らぬ男性から声をかけられました。「あなたが、すごいインディペンデントで映画を作っている日本人?」ですって・・・!!! 私、この日は既に何人かから、このように声をかけられていました。小さいハノイのアート・コミュニティでは、すぐに噂が広まるのでしょうか? しかも、私の場合、作品よりも、私のインディペンデント魂(制作手法)で注目されてしまっているようです! それって微妙・・・!!
「望んでそうしているわけではないですが、結果的にはそうです」と消極的に答え、自己紹介をしました。彼は、タンさんというハノイ在住のアーティストで、ゲイを公言している人でもあります。今年、ハノイでLGBTに関する大きなイベントを開催したいそうです。マミさんとの話しの中で、ヌードでギャラリー1年閉鎖を命じられたぐらいですから、LGBTはどうなのかと思い、聞いてみました。
タンさん曰く、ヌードは難しいかもしれないけれど、LGBT自体はそんなに問題視されないと思う、と話していました。実際、昨年LGBTに関するディスカッションイベントを行い、かなり盛り上がったが、当局からは何もいわれなかったとのこと。(でも、こちらに関しても、今後規模が大きくなったり、注目されたりしたら分からないですよね?)
タンさんとLGBTについてあれこれ話していたら、気になる発言が! 「ベトナムのLGBTの世界では、日本の用語が多く使われているんだよ。日本の言葉でしか、言いようがないから」と・・・! 私はその発言を聞いて、LGBT以外でも、性的表現の中でなぜ日本語が多く”輸出”されているのか、常々思っていた疑問が甦ってきたのでした。
世界で知られている日本語は、「サムライ」や「ヤクザ」や「スシ」などだけではなく、「カロウシ」、「ヒキコモリ」といった社会現象も(広く一般にではありませんが)知られています。さらには、「ブッカケ」なんて言葉さえ、「Bukkake」として世界で通用しているのですからね・・・! イギリスの美術館で、その言葉を見つけたときには仰天しましたが、一緒に行ったイギリス人は、全員「知ってる」と(うつむき加減で^^;)。なんなんでしょうね、これ。日本人は何かの行為に敢えて名前をつけ、カテゴライズする国民性なのでしょうか???
ベトナムのLGBT界でどんなニホンゴが使われているのか聞きそびれてしまったので、現在NIPAFのパフォーマンスで来日しているタンさんに、是非聞いてみようと思います!
夜10時ごろになり、ティさんが家に帰るタイミングで、私もホテルに戻ることにしました。翌日は、朝8時にDOCLABのタオさんとFilming picnicの予定が入っていたからです! 8時と聞いてティさんはとても驚いて「そんな時間、ありえないわ! 断っていいのよ、全てはあなた次第なんだから」と言われました。まぁ、私にとっても、確かに8時は早すぎるのですが、タオさんからは、最初は7時集合を提案されたのです! でも、それを8時に変更してもらったのだし、何よりもFilming picnicに意欲的に参加したいという意思がうれしかったので、8時にホテルに迎えに来てもらうことで合意したのでした。
そんなわけで、翌朝は7時には起きなければならなかったので、まだ盛り上がっていたニャーサン・スタジオを10時過ぎに出て、ホテルに戻り、早めに寝ました。
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